東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道[No301〜360]
かすがの坂(NO.313)? / 兵庫県神戸市中央区
湯坂(NO.310)その2 /新潟県湯沢町
三年坂(NO.312) /千代田区
茱叟坂[ぐみざか](NO.311) /千代田区
湯坂(NO.310) /新潟県湯沢町
幽霊坂(NO.307)、幽霊坂(NO.308)、幽霊坂(NO.309) /千代田区
紀伊国坂(NO.306) / 港区
上甲東園石畳階段(NO.305) /兵庫県西宮市
紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304) /千代田区
へっぴり坂(NO.302)/ 多摩市
東京富士見坂(NO.301) / 目黒区+品川区

年始に神戸を散歩した時に偶然見つけた坂道です。
場所は、阪急電車の春日野道駅からすぐの場所です。
住所で言えば、神戸市中央区になります。


かすがの坂(NO.313)1
写真1

では、まず坂下の様子でも。(写真1)
見た感じは商店街の入口という感じでしたね。

というか当日は、春日野道駅を降りて、なんとなく山の方をみかけたら、なんと写真のように「かすがの坂」と書かれた看板を見つけたのですね。
え!という感じでしたよ。(笑)

そんなわけなので、ここは、坂道マニアの方々もほとんど取り上げておらず、そういう意味では、マニアの中では僕が初かも?


かすがの坂(NO.313)2
写真2

看板のアップ写真でも。(写真2)
ただ、ここは奥はアーケード付きの商店街になっていたので、正確には「かすがの坂・商店街」であり、名前にたまたま坂名らしい「かすがの坂」という名前がついただけともいえますかね。


かすがの坂(NO.313)3
写真3

看板の真下あたりから坂上方向を見てみました。(写真3)
要は北側の山方向を見ているものですね。
商店街の部分は平坦ですが、その奥は山のほうに向かって坂道になっていますよね。
そんな地形具合も加味して、今回は不遜にもこの南北の通りをかすがの坂と呼んでみることにしました。
ですので、今回はあくまでこのブログではそう呼んでみているということを忘れないでくださいね。(たしかこれはテレビに出演した時に、坂道に名前を付けて楽しむと言ったと思いますが、その実例でもあるかもですね。)

ちなみに、左右のアーケードの側面の赤というかピンクというか、とにかくそこのラインが南北にしっかりと見えているのもなかなか、このあたりの街並みに対する見解を示しているようでおもしろいですね。


かすがの坂(NO.313)4
写真4

写真3とだいたい同じ位置より右側を見てみると、だいぶ雨風にやられて見えにくですが、中西市場と書かれた看板が見えていました。(写真4)
今回は歩いていないですけど、この奥に東京でもたまに見かける小さな市場がありそうですね。


かすがの坂(NO.313)5
写真5

もうすこし坂上方向に歩いて、坂上方向を見てみたものです。(写真5)
奥の山並みと坂道と商店街のアーケードの赤のラインがなんとも。


かすがの坂(NO.313)6
写真6

さらに山側に歩き、商店街の北端(山側)から坂上方向をみたものです。(写真6)
このあたりから見た目にも傾斜がついた坂道になってきましたね。


かすがの坂(NO.313)7
写真7

さらに坂を上り、今度は坂下側(海側)を眺めてみました。(写真7)
このあたりからは住宅街といった感じでしたね。


かすがの坂(NO.313)8
写真8

さらに坂を上り、坂上方向を見てみました。(写真8)
住宅街の奥の山並みがいい感じでした。


かすがの坂(NO.313)9
写真9

ちなみに、写真8の左側にもちらりと見えていましたが、坂道に隣接した姫路信用金庫の建物がなかなかレトロなつくりでかっこよかったですね。(写真9)
さらりと調べてみると、2001年竣工で、一級建築士事務所アトリエフォルムという設計事務所の設計らしいです。
なので、実際は古い建物というわけではなくレトロ風な建物ということですかね。


かすがの坂(NO.313)10
写真10

で、さらに坂を上ります。(写真10)
だいぶ山が近くなってきましたねえ。


かすがの坂(NO.313)11
写真11

さらに坂をのぼり、今度は坂下方向を眺めてみました。(写真11)
だいぶのぼってきましたねえ。
奥のビルとビルの間にちらりと海らしきものがを見えているような。


かすがの坂(NO.313)12
写真12

写真11とだいたい同じ位置より、今度は山側を見てみました。(写真12)
だんだんと山の手の雰囲気になってきたかな?

ちなみに、手前の左右(東西)に走っている道路は原田線という通り名がついています。
このあたりの住所は、西から東に向かってほにゃらら1から7丁目という具合に並んでいて、坂道に面している町名は、この坂道で言えば5つもあり、しかもなぜか各町名の1丁目と7丁目の間を走っているというのもいろいろ調べてみると興味深い史実がでてきそうな予感がします。


かすがの坂(NO.313)13
写真13

さらに坂をのぼり、坂下方向を見てみました。(写真13)
とにかく長い坂道ですね。
坂下の商店街もはるか下のほうになってしまいましたね。
あとはここからも奥のビルとビルの間にちらりと海らしきものがを見えていましたかね。


かすがの坂(NO.313)14
写真14

写真13とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみました。(写真14)
街路樹がいい感じに植えられているのもあり雰囲気はまさに山の手といった感じでしたかね。


かすがの坂(NO.313)15
写真15

長くなりましたが、やっとこ、坂上あたりまできて、坂下方向を眺めてみました。(写真15)
ここまでくると坂下のビルと同じくくらいの高さかそれ以上あるので、遠くに海もちらりと見えていましたが、街路樹のおかげでずこしみえずらいという事実もありましたね。

ただ坂上から坂下まで、これほど直線になっているのは、神戸らしいなあとも思いました。
なので、この坂道でいえば、坂下のかすがの坂・商店街から一本の道でしっかりとつながっているということで、このブログではここまでを「かすがの坂」ととらえて取り上げてみることにしました。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
兵庫県神戸市中央区

湯坂(NO.310)の続きです。
正確には、湯坂かも?という坂道ですが、”その2”扱いということにしてみました。


湯坂(NO.310)その2-1
写真1

こちらは湯坂(NO.310)の記事の一枚目の写真とほぼ同じ位置から坂上方向をみたものです。(写真1)
(撮影した日は同じなので、今回も暗くなってからのものです。)
なので、この左側に川端康成さんも浸かったという山の湯があるわけですね。


湯坂(NO.310)その2-2
写真2

写真1とほぼ同じ位置から坂下方向を見てみたものです。(写真2)
けっこうな勾配具合で、しかもすこし下ると180度ターンのカーブがありましたね。
なかなか形的にもおもしろい坂です。

しかも、地面をお湯が流れているのも見えますよね。
ちなみに、もしこれが水だと、おそらく夜の気温が低い時間帯になれば凍ってしまったりすると思うので、お湯だろうということですけどね。


湯坂(NO.310)その2-3
写真3

さらに坂を下り180度カーブする手前の位置より坂上方向をみてみました。(写真3)
なかなかな坂道風景ですなあ。
現地ではお湯も流れていたのでなかなか幻想的な感じでもありました。



動画

ちなみに、現地では写真3と同じ位置と方向で動画も撮ってみました。
ね、かなりお湯流れていますよね。♪♪
湯気もなんとか撮れてますかね。


湯坂(NO.310)その2-5
写真4

今度は、写真3の位置からすこし坂を下り(というか写真3の右側に移動しただけともいいますが)、さらに坂下方向を見てみたものがこちらです。(写真4)

ここは180度カーブの上に高低差もあるのでかなりの勾配具合でしたね。
まあそんな場所なので、お湯でも流しておかないと道に雪がどんどん積り車が山の湯まで上れない状況になってしまうんでしょうね。

でもまあ日本の名前のある(かも?)坂道でこれほど水というかお湯がこんこんと日々流れているのもかなり珍しいので、もしかしたらここだけの可能性もありえますね。


湯坂(NO.310)その2-6
写真5

そして、坂下からの風景でも。(写真5)
180度カーブの部分はなかなか迫力ありますね。
でも上にあるのは共同浴場というのがこれまたなんとも。

あとは下の道にくるとお湯は流れていませんよね。
まあ雪が除雪されている関係で多少は湿ってますけど、これが普通の状態ですよね。

とりあえずここまでが湯坂なのかどうかということですが、この180度カーブがいつ頃できたのかにもよりますし、このことについてはぼちぼちと調べていくしかないので、また続報があればこちらで書きたいと思います。


湯坂(NO.310)その2-7
写真6

最後は、180度カーブの部分を別の角度からぱちりと。(写真6)
ここから、みると坂道の部分から湯気がわかりやすく見えてません?
現地ではわかりやすかったのですが、写真ではちょっとわかりにくいですかね。


湯坂(NO.310)その2-8
写真7

あ、そうそう。
あと、越後湯沢の駅ナカには、川端康成の「雪国」に関連して、小説に登場する駒子の等身大人形が常設で展示されているんですよね。(写真7)
なかなかの八頭身でスタイルいいですね。
あとは川端康成さんがこの人形のことを知っていたのかが気になるところです。(笑)
なおこちらは違う日に撮ったものですが、いつかあげたいなと思っていたので、この機会にあげておこうということで、おまけがてらです。


ということで、今回はこんな感じです。

地図
新潟県湯沢町湯沢

こちらもLINEトラベルjpの記事「虎ノ門駅すぐ!三年坂の坂上にあった大久保利通邸と界隈坂道めぐり」で取り上げた坂道ですが、やはり茱叟坂[ぐみざか](NO.311)と同様に初登場ということで、すこしばかり触れておきたいと思います。


読み方は、さんねん坂といいます。
場所については、LINEトラベルjpの記事にも書いてますけど、坂道に隣接して財務省や文部科学省が隣接しているまさに政治の中心地に位置している坂道ですね。

ただ、そんな立地なこともあり実はこれまでこのブログでもなんとなく気がすすまないところがあって積極的には取り上げてこなかったのですが、昨年の大河ドラマの西郷どんの解説で三年坂がでてきたこともあり、それならばということで、(すこしビジネスらいくな気分で(笑))LINEトラベルjpの記事で取り上げてみたという感じですかね。


三年坂(NO.312) 1
写真1

ではまず坂上あたりから坂下方向を見てみた風景など。(写真1)
さすがに官庁街ということもあり、整然としつつもどこか古めかしい雰囲気も漂う坂道でしたね。
ただ江戸時代の古地図で確認してみると、昔は、場所こそほぼ同じですが、途中がS字カーブだったり坂上の方はくねくねしていたりと、現在の姿とはだいぶ変わっているようでしたね。


三年坂(NO.312) 2
写真2

写真1の背後のほうを見てみると、なんとこちらも下っていました。(写真2)
やはり正面に見えている江戸時代にはなかった道+高速道路をつくるために、地形的に削られた可能性もありますね。(もしくは高低差自体は変わっていない可能性も。)

ちなみに、正面の道路の奥が、LINEトラベルjpの記事でもテーマにした大久保利通邸があった可能性がきわめて高い場所ですね。
今回の三年坂との関係については、これまでも個人のウェブサイトで場所を推測している記事などはありましたが、さすがに特定している坂道マニアの人はなかったのですが、なんと西郷どんの解説で、その位置関係がわかるというラッキーなことにでくわしたわけなのですね。

なので、このことや古地図などからも、現在の地図でいえば、今の内閣府のあるあたりで四方道路に囲まれた部分がかつての大久保利通邸だった可能性が高いですね。

ただまあこれは、マニア以外の人からすると「それで?」と言われそうなところでもあるんですけど、坂道視点で観察すると、なんといっても他の坂道を研究する際のヒントにもなりますし、ある人にとって歴史の聖地探訪のきっかけにもなり、自分としてもただその土地の歴史を掘り下げていくというよりは坂道を通したほうが物語的で楽しいので、やっているという感じですかね。(他にもいろいろあるかもしれませんが今思いつくのはこんなところです。)


三年坂(NO.312) 3
写真3

写真1の場所からすこし坂を下って坂上方向を見たものです。(写真3)
現地では気が付かず撮っていたので、LINEトラベルjpの記事を書いているときもスルーしてしまったのですが、なんとここからもちらりと国会議事堂が見えていたんですね。
このブログの記事を書こうと思って写真を見直していたらびっくりと言った感じでした。(笑)


三年坂(NO.312) 4
写真4

さらに坂を下り、坂の碑が見えるポイントで、坂下方向を見てみました。(写真4)
ここからだと高低差具合もわかりやすいですね。

ちなみに坂名の由来についてはLINEトラベルjpの記事に書いた通りですが、せっかくなので現地の坂の碑にかかれていたことものせておきます。
『潮見坂の南にあり、裏霞が関と三年町の間を通っています。別名を淡路坂、陶山(すやま)が関とも言います。かつては坂上の道路が湾曲していたことにちなみ栄螺尻坂、または周辺に鶯が多かったことから鶯谷という別名もありました。』

とのこと。
この文、これまでの坂道マニアの方のサイト情報を見ても、内容がかなり違っているので、どうやら最近リニューアルしたみたいですね。


三年坂(NO.312) 5
写真5

あとは文部科学省のはいっているビルが、高層棟は現代的で、下層部は昔の形を残している形式で建てられていたのは興味深かかったですね。(写真5)
ウィキペディアには霞が関コモンゲートとして記録されていますね。
設計は久米設計、大成建設、新日本製鐵とのこと。
なるほどなるほど。


三年坂(NO.312) 6
写真6

最後は坂下あたりより。(写真6)
やはりこのビルの低層部のデザインのおかげでなにやら独特の雰囲気になっているような気がしました。


ということで、今回はこんな感じです。

地図
千代田区霞が関3

LINEトラベルjpの記事「虎ノ門駅すぐ!三年坂の坂上にあった大久保利通邸と界隈坂道めぐり」で取り上げた坂道ですが、このブログでは初登場ということで、すこしばかり触れておこうかなと。
(まあこれは、今まではSNSみたいに、記事書いたらお知らせという感じで、このブログでも”書きました〜”という具合に告知していましたが、やはりSNSとこのブログは違うものにしたほうがおもしろいよなあということで、今回から以前のような書き方にもどうそうかなと思って書いています。)


まずは、読み方は、茱叟坂とかいて「ぐみ坂」と呼ぶそうです。
坂名の由来については、LINEトラベルjpの記事にも書いてますけど、現地には坂の碑があったので、それを抜粋しておくとですね、
『坂に沿った武家屋敷に茱叟の木が植えられていたことに由来します。また、番付坂という別名もあり、山王祭の行列がこの場所に並び、山東の番付札を確認したことから名付けられました。』とありましたね。

ちなみに、山王祭とは?という方もいると思いますので、これも日枝神社の公式HPに説明があったので、一部抜粋するとですね、
『徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」として盛大をきわめ、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられているお祭りで、例年6月に開催されます。』
とのこと。
僕も以前に祭りの様子をみたことありますし、過去記事(山王まつりのついでに坂道ぶらり)でもとすこしとりあげていますけど、かなり大規模な祭りでしたね。


ぐみざか(NO.311)1
写真1

こちらは坂上あたりからの景色です。(写真1)
さすがに国会議事堂に隣接している道路ということもあり、片道3車線の合計6車線という広い道でしたね。
ただ高低差はそれほどない感じでした。

ちなみに、この写真の右側にLINEトラベルjpの記事にも書いた大久保利通邸があった模様です。
とにかくあまりに情報少ないし、現地にも案内板もないので、歩いただけではわからない情報なのですが。。(このことについては次の坂道記事でもうすこし話そうと思います。)


ぐみざか(NO.311)2
写真2

短い坂道だったので、一気に坂下までやってきました。(写真2)
まあ現地ではこんな感じで警備関係の方がうようよいたのですよ。
ただ写真撮っている分にはなんの問題も起きなかったですけどね。

ちなみに正面にどどんと見えている高層ビルは、山王パークタワーのはず。


ぐみざか(NO.311)3
写真3

あとは、写真2の右側を見ると、国会議事堂も見えていましたね。(写真3)
とにかくなかなかの立地な坂道でした。

ただまあこの茱叟坂、古地図でみると江戸時代から位置は変わってないんですよね。
場所柄すごく開発されているように見えますけど、その点ではびっくりでした。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
千代田区永田町1

最近、新しい坂道を取り上げていなかったこともあり、ひさびさにそちらのほうのことでも。
しかも、いきなりというか初登場の県でもある新潟県の坂道をふらりとしてきました。


湯坂(NO.310)1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
見てのとおりですが、今回は暗い時間帯の写真です。
まあこれは、簡単にいえばスキーに行ったついでにまわった坂道のため(笑)、明るい時間帯に寄れず暗くなってしまったからですね。(といっても時間で言えば18時台なのですが。)

詳しい坂道の場所がどこなのかは諸説あるのですが、だいたいこのあたりが湯坂の坂下あたりかなあと目星をつけて撮ってみたのがこちらです。
なので、現時点では、名前と場所くらいしかわからないのが現状ですね。
坂道自体は、暗いのでわかりにくいですけど、かなりの急坂でした。
ただ雪が多く降る季節の割にはきちんと除雪されていて雪は坂下から坂上までありませんでしたね。(まあこの傾斜で雪があるとかなりたいへんかもですが。。)


湯坂(NO.310)2
写真2

すこし坂を上って坂下方向を眺めたものです。(写真2)
坂道自体は、ここからさらに下っていました。
なかなかおもしろい坂道ですよね。

ちなみに、右側に見えている駐車場と建物は、写真1の左側にもちらりと看板がありましたが、「山の湯」なる公衆浴場です。
しかも、ここ、知っている方も多いとは思いますけど、近くに川端康成が泊まった旅館があり、時々あいまにこの山の湯にも浸かりにきていたという浴場でもあるんですよね。
そういう意味では今はやりの言葉で言えば聖地ともいえますかね。(笑)

いちおう、僕自身も過去に浸かったことがありますが、源泉かけ流しということでいいお湯でした。
ただ公衆浴場なので、つくりはこじんまりとしていて、地元の方がメインに使う雰囲気満載だったので、まあそういう場所と思ってもらえればなと。
あとは地図見てもらうとわかるかもですが、この坂道と川端康成ゆかりの場所が、あの新幹線の駅直結のスキー場として有名なガーラ湯沢のほんとそばにあることはなかなか感慨深いなあと思ってみたり。
そんなこともあいなりガーラ湯沢がこの立地にできるきっかけのひとつにもなったのかなあと思ってもみたり。


湯坂(NO.310)3
写真3

現地を暗い中ぶらぶらしていると(汗)、界隈の案内看板があったので、撮っておいたのですが、これみると湯坂の位置がだいたいわかりますよね。(写真3)
僕はこれをもとに現地では写真を撮ったのですが、実は今この記事を書いているときに、新潟県の公式サイトに山の湯を紹介しているページがあるのですが、それによると「「山の湯」には、川端康成も浸かったといわれています。小説「雪国」においては、この湯屋に至るまでの坂道を「湯坂」と称して紹介されています。」と書かれてあるんですよね。
なので、写真2に写っていた眼下の坂道までを湯坂という可能性もありますね。
ただ写真3の案内図みるとどうとらえていいのか迷うところではありますね。
しかも新潟県のサイトの書き方は、捉え方次第では坂道の名付け親が川端康成ともとれるような伝え方をしている気もしますよね。
これはもうすこし深掘りせねば。(笑)

あ、そうそう。
山の湯を紹介しているページを読んで最初に書くのを忘れていたのですが、今回の坂道界隈というか、川端康成ゆかりの場所界隈は、小説『雪国』の舞台になっているんですよ。(知っている方も多いとは思いますけど。)
なので、今、ひさびさにこの記事書くのにあわせて再読中なのですが、読んでいると時々坂道の描写やらスキーのことなんかもちらちらとでてきて、そっちのほうでも興味をひかれてしまいましたね。(笑)


湯坂(NO.310)4
写真4

で、さらに坂道を上るとこんな感じでした。(写真4)
坂上にある旅館の看板だけがぴかりと光っていてなかなかの雰囲気でしたね。
(写真についてはいちおう一眼のOMDで撮っているんですが、実は現地のほう、かなり暗くて、不審者と間違われないように急いで歩いていた上に、手持ちではピント合わせるだけでも一苦労という感じだったので、なんとなくぼんやりしていますね(汗)。でもこれ一枚しかないので、ご容赦を。)


湯坂(NO.310)5
写真5

写真4とだいたい同じ位置より坂下方向をみたものです。(写真5)
高低差すごいですし、夜ならではの地面をわずかに流れる水(たぶん温泉のあたたかい水)のテカリ具合がいいですね。


湯坂(NO.310)6
写真6

さらに坂を上るとこんな感じでした。(写真6)
さっき看板に書かれていた旅館のあかりがみえてきましたね。


湯坂(NO.310)7
写真7

せっかくなので、坂道からの旅館の景色など。(写真7)
「湯元眺望閣 湯居間蔵」という旅館みたいですね。
HPみると高級旅館のようでした。

あとは地面から湯気がたっていてすこしばかり幻想的な感じだったんですが、写真ではわかりにくいですね。。


湯坂(NO.310)8
写真8

そしてやっと坂上あたりまでやってきたので、坂下方向をみながらぱちりと。(写真8)


ということで、またいつか明るい時間帯にもきてみてもうすこしくわしく調査してみたいところではありますが、とりあえず今回はこんな感じです。


地図
新潟県湯沢町湯沢

まずは、つい最近、トラベルジェイピーの記事にて『再開発のはざまにひっそり残る東京・JR飯田橋駅界隈の3つの幽霊坂』と題して、3つの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。

なお今回は、同じ名前の幽霊坂が3つということで、後でどれがどの坂のナンバリングかで混乱しないように、この記事で決めておきますね。

1つ目の幽霊坂=幽霊坂(NO.307) /所在地:東京都千代田区富士見2
2つ目の幽霊坂=幽霊坂(NO.308) /所在地:東京都千代田区富士見1と2の間
3つ目の幽霊坂=幽霊坂(NO.309) /所在地:東京都千代田区富士見1

要は記事の順番そのままですね。
でも、幽霊坂自体はここ以外にもありますし、この記事で完結というわけではないので、やはり僕の場合、坂道にナンバリングするのは重要なことなのですよ。

ちなみに、今回の幽霊坂は、ブログでは取り上げていないのですが、昨年の夏に、民俗学的な視点での幽霊の話に惹かれて、このブログの記事で取り上げようと、実は都内の幽霊坂の7割くらいまわっていたんですけど、結局、写真だけ撮って記事は書かずじまいでした。

なので、またそのうちどこかでその写真などは公開するかもしれないですが、今回のトラベルジェイピーの記事でいえば、撮りおろしの坂道ですのであしからず。


そんなわけで、坂道自体のことは記事をみてもらうとして、ここからはいつものおまけ写真をいくつか。


3つの幽霊坂1
写真1

今回は、坂道からはすこし離れていて取り上げなかったのですが、JR飯田橋駅から飯田橋サクラテラスに行く途中に必ず見える教会がありますよね。(写真1)
これってなかなか渋いつくりで気になっていたんですけど、調べてみたら「富士見町教会」というそうで、一粒社ヴォーリズ建築事務所が設計した教会だったんですよ。
一粒社ヴォーリズ建築事務所といえば、ウィリアム・メレル・ヴォーリズなので、この建物もその流れをくんでいるみたいですね。

あとは、幽霊坂が密集している近くに、お寺はなくて教会だけあるというのもなにか不思議な感じではあったかも。(ちなみに靖国神社も近くにありますがそれはもっと広域なエリアに影響を与えている感じがするのでここではスルーしています。)

とにかく、今回の記事を書かなければおそらく調べないままだったので、そういう意味ではよかったですね。


3つの幽霊坂2
写真2

こちらは、幽霊坂(NO.309)の坂上に隣接しているふじみこどもひろばの写真です。(写真2)
まさに原っぱという感じで、まさか千代田区のど真ん中にこんな場所があるとは、という感じでしたかね。(今、この一文を書いていて、これもトラベルジェイピーの記事に載せておけばよかったかなと思ってみたり。笑)


3つの幽霊坂3
写真3

こちらも、トラベルジェイピーの記事に書くのを忘れていたのですが、「Q-DAN1991 」なるビル建築です。(写真3)
建築家の武澤秀一氏の設計によるものです。
ここは意識しないと、普通のビルにみえなくもないのですが、写真3のアングルからよくみると凝ったつくりしていましたね。

ということで、今回はこんな感じです。

まずは、つい最近、トラベルジェイピーの記事にて『風光明媚な「紀伊国坂」は別名で赤坂。東京・赤坂との関係を探る坂と史跡めぐり』と題して、紀伊国坂を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。

今回は、単純に、このブログでもまだ取り上げていなかったし、ドラマの西郷どんでも、紀伊徳川家に関わる話もちょうどでていたこともあり、なにげに関連している「紀伊国坂」を取り上げてみました。

そんなわけで、坂道自体のことは記事をみてもらうとして、ここではおまけ写真をいくつか。


紀伊国坂(NO.306)1
写真1

いちおう、紀伊国坂にもいつもの坂の碑はありました。(写真1)
ただ雨風がすごい場所なのか、坂の由来が書かれている部分は、色落ちしていてほとんど読めないほどになっていました。(残念。)
ただ、この坂の碑は平成8年(1996年)に建てられたものらしく、いうなれば22年間、雨風にさらされながらみたいなので、まあそうかもしれないですね。


紀伊国坂(NO.306)2
写真2

こちらは、坂下あたりを歩いていると、珍しいタイプの観光バスに遭遇したので、ぱちりと。(写真2)
紀伊国坂の坂下あたりの目玉といえば、高速道路の高架とのコラボですが、いちおう写真でもちらりと見えてはいますかね。


紀伊国坂(NO.306)3
写真3

ちなみに、記事ではふれなかったと思いますが、坂下あたりに隣接している弁慶堀には、こんな感じで貸しボート屋さんがやっているのですよ。(写真3)
しかも、釣具まで貸していて、釣りもできるんです。
いうなれば、ここは大きな釣り堀とも言えるかもですね。

あと、この弁慶堀の釣り堀(?)で思いだしたんですけど、都内の坂道には、なにげに坂の途中(しかも名前のある坂)に釣り堀があるところが何件かあるんですよね。
釣り堀と坂道、なんか関係あるんですかね。
またちょっと調べてみたくなってきました。(笑)


ということで、今回はこんな感じです。

今年の年始に行ったところです。
というか、仁川百合野町地区地すべり資料館に行く途中で偶然見つけた階段坂です。

場所は、阪急の甲東園駅から、西へ徒歩4、5分くらいのところにある階段坂です。
歩いた時は、現地では特に坂名が記されたものは見つからなかったのですが、帰ってから確認してみると、なんとグーグルマップに「上甲東園石畳階段」と記されていたのですよ。
なので、もしかしたら詳しく現地を調べればなにか手がかりがあるのかもしれませんが、今回はグーグルマップさんを信じて、無名坂ではなく、名前のある坂道として記録しておくことにしました。


上甲東園石畳階段(NO.305) 1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
比較的新しい感じのつくりでしたけど、高低差もあって雰囲気はなかなかいい感じ。
すぐ北側には頴川美術館が隣接しているので、この階段の意匠についてもなにかしら関係あるのかもしれないですしないかもしれないです。


上甲東園石畳階段(NO.305) 2
写真2

なお写真1の坂下はこんな具合の道路になっていました。(写真2)
こちらも坂道になっていましたが、階段の雰囲気に惹かれてそちらを選んだので、この上がどうなっているかはまたそのうちということで。


上甲東園石畳階段(NO.305)3
写真3

階段わきにはこのあたりらしいというか(と僕が思っている)水が流れていました。(写真3)
実はここだけでなく、途中の道路わきでも水が流れていたので、やはりこのあたりは都内などと違って山の地形と関係の深い階段なのだなあと実感。(そんなわけでパチリと。)


上甲東園石畳階段(NO.305) 4
写真4

写真1でも見えていた階段上まできて、坂下方向を眺めてみました。(写真4)
なかなかの眺望でしたね。


上甲東園石畳階段(NO.305) 5
写真5

ただ階段はさらに上に続いていました。(写真5)
地面を見ると石畳になっていたので、坂名はこの地面のつくりに由来するんでしょうね。


上甲東園石畳階段(NO.305) 6
写真6

さらに上に行くと、再び階段が見えてきました。(写真6)
けっこうな高低差がありそうでしたかね。
あとは坂下からここまで一貫した意匠になっているので、しっかりはじめから練られてつくられた階段だということはわかりますかね。

ちなみに、坂名にも記されている「上甲東園」とはこのあたりの町名です。
甲東園については、西宮市内にある他の甲陽園・苦楽園などの「園」の字を含む六つの地域と合わせて西宮七園と呼ばれる高級邸宅街の一つであるとのこと(ウィキペディア参考)。
なるほど。西宮七園については今知りました。(笑)


上甲東園石畳階段(NO.305) 7
写真7

そんなわけで、やっと階段上までやってきました。(写真7)
さすがにここまでくるとけっこうな高低差もあって眺めもいい感じでしたね。方角的には尼崎とか大阪市内のほうを見ている具合ですかね。

しかも、途中には地元の学生(中学くらい?)が階段で寛いでいてほっこり。
まわりは高級邸宅街とはいえ、このあたりは関西らしいのかなと思ってみたり。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
兵庫県西宮市上甲東園1あたり

まずは、つい最近、トラベルジェイピーの記事にて『ドラマ「西郷どん」でも登場!四ツ谷駅すぐ、歴史的舞台ともなった東京・紀尾井坂めぐり』と題して、2つの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。
なお、記事で取り上げた紀尾井坂と清水谷坂はまだブログでは取り上げていませんのであしからず。

とにかく、2月の終わり頃から取材に行こうかなとのんびり準備していたところ、3月最初の西郷どん(第9話:江戸のヒー様)で紀尾井坂がどどんと大きく取り上げれたのを知った時はあせりましたね。(笑)
ドラマ内では、記事で取り上げた内容以外にも、ランドマークとして紀尾井坂が江戸の地図に記載される形でもでていましたよね。

なお余談ですが、主演の鈴木亮平さんはなにげに地元の芦屋つながりの人でもあるので、個人的にはそちらのほうでも大河ドラマ以前から関心を持っていたりしていまして、そんなこともあり今回も陰ながら応援していたりもするのですよ。(迷いましたけど、やっぱり書いておくことにしました。すっきり。笑)


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)1
写真1

そんなわけで、話はもどりまして、記事では軽く取り上げるだけでしたけど、取材時は、紀尾井坂の坂名の由来ともなった『紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、井伊家の「井」』のそれぞれの場所も巡っているのですよ。
写真1は、紀伊徳川家の「紀」にあたる場所ですね。
現地にはこんな具合に立派な石碑と案内板があったんですよ。
場所でいえば、東京ガーデンテラス紀尾井町とニューオータニを挟んだ道路沿いにありました。
要は弁慶橋のそばですね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)2
写真2

次は尾張徳川家の「尾」にあたる場所ですね。(写真2)
こちらも立派な石碑と案内看板が道路沿いに設置されていました。
なお詳しい場所については記事のほうでもふれていますので、そちらを読んでみてください。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)3
写真3

そして、井伊家の「井」にあたる場所にも立派な石碑と案内板がありました。(写真3)
こちらは、ホテルニューオータニの敷地内にありました。今回でいえば、喰違見附側の場所といえばわかりやすいですかね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)4
写真4

あとは、紀尾井坂の坂上あたりにつくりはシンプルなのですが、なかなかしぶいつくりの建物があったのでぱちりと。(写真4)
「カトリックメリノール宣教会」なる施設の建物みたいでしたね。
いちおう調べてみたら、高垣建築総合計画なる建築設計事務所が設計した建物みたいでした。
竣工は1996年とのこと。
写真ではなんだか最近できたものみたいに見えてますけど意外と昔からあったんですね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)5
写真5

紀尾井坂にくるといつも気になる自販機があるのですが、これなんですよ。(写真5)
だしの自販機。(笑)
坂下にさらりと置かれてますので、気になる方は買ってみてはどうでしょうかね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)6
写真6

そして、清水谷坂の坂下あたりにある、村野藤吾設計による紀尾井町パークビル(旧・紀尾井町南部ビル)ですね。(写真6)
外観は昔とそれほど変わってないようですが、ビル名が紀尾井町パークビルに変わるときに(けっこう最近みたいです)中もリニューアルしたみたいですね。(これは受付の人に聴きました。)
とにかく、こちらも渋いビルですよね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)7
写真7

最後はこちらですね。(写真7)
清水谷坂の坂上あたりにあったビルです。
一風変わった感じの外観だったの、写真に撮っておいたのですが、帰ってから調べてみると「オークラヤ麹町ビル」と言って、大林組一級建築士事務所が設計したビルらしく、2013年にグッドデザイン賞を受賞しているビルみたいでした。
なるほどなるほど。
ちなみに道路のほうをみると坂道の傾斜具合もわかりやすいですよ。


ということで、坂道関連のことについていろいろ取り上げている長くなりそうですので、今回はこんな感じです。

今回はトラベルジェイピー(なにやら、たびねすという言葉は今年の3月から、サイト名を統一するとのことで使わないようにとの連絡がひそかにきたので、今後はトラベルジェイピー=たびねすと思ってください)の記事(ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう)の取材ついでに行った聖蹟桜ヶ丘界隈の坂道なのですが、変わった名前の坂道なのでこのままお蔵入りしてしまうのもなんですので、現地を歩いてから1年以上は経ってしまってますが(正確には2017年の1月頃)、取り上げておこうかなと。


場所については、前に取り上げた山の婆坂(NO.291)の坂上からすぐのところにあります。


へっぴり坂(NO.302)1
写真1

坂上あたりから坂下方向を見たものです。(写真1)
写真1のように右側に気持のいい感じでカーブしながら静かな住宅街を北側に下っている坂道でした。

ちなみに坂名の「へっぴり坂」については、多摩市の郷土資料「歴史のさんぽ道」によれば、昔はこの坂道があまりに急坂だったため、荷車などを引いて上る時には、思わず力を入れてしまいですね、おしりにも力が入り・・・。
「へ!」という例の音が、静かな坂道でこだましたことから(笑)、「へっぴり坂」と地元の人の中でそう呼ばれるようになったそうですよ。
なお「へっぴり」という言葉は、コトバンクによると「1:屁をひること。また、その人。」「2:つまらぬ奴。人をののしっていう語。」という意味で使われているそうです。そして”屁をひること”とは、要は”おならをすること”ですね。(笑)
なんとなく僕の感想では「へっぴり」といえば、「へっぴり腰」のほうをイメージしてしまっていたんですが、どうやらその意味ではないみたいですね。

まあ、現地を歩いているだけではまったく予想のつかない坂名といえるかもですね。


へっぴり坂(NO.302)2
写真2

こちらは坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
厳密に言えば、坂道自体はもうすこし下り続けているのですが、あえてこのポイントを選んでみました。
まずなんといっても坂上のほうに見える大木ですかね。
1年前のものなので今もあるかどうかはわかりませんが、歩いた時はかなりのインパクトでした。
もうひとつは、右側の擁壁ですかね。
ここからだと左側にきれいにカーブしながらその大きさを縮めていっているのがいい感じでした。

あと、坂名については追加のエピソードがありましてですね、地元のひとたちの間では以下のような坂道に関する歌も歌われていたようですね。
『へっぴり坂でへをしって 百草、倉沢暗やんで 耕地、落川粉が降る』

ということで、今回は写真が少なめですが、さらりとこんな感じです。


地図
多摩市東寺方510あたり

まずは、つい最近、たびねすの記事にて『都心部で唯一富士山が綺麗に見える坂道!東京・目黒の富士見坂』と題して、2つの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。

なお、今回の記事では、以前に取り上げた富士見坂(NO.237)とあわせて、なにげにブログできちんと取り上げていなかった東京富士見坂についても取り上げてみました。
東京富士見坂については、眺望ポイントとしての名称として、これまではなんとなく僕自身捉えていたのですが、よく考えてみえれば、これも平成という時代につけられた坂名だよなあということにして考え直してみることにしました。
そんなわけで、東京富士見坂についても坂名リストに加えるということでナンバリングしておくことにしました。


東京富士見坂(NO.301)1
写真1

そういえば、富士見坂(NO.237)と東京富士見坂(NO.301)の間で、大規模なマンション建設をやっているみたいでしたね。(写真1)
写真1は、富士見坂(NO.237)側の仮囲いにマンション募集の看板があったのでぱちりと。完成すると雰囲気よくなるんですかね。
ただ現在の街並みは、坂道側からみると仮囲いだらけという感じで、最悪でしたけど。。


東京富士見坂(NO.301)2
写真2

富士見坂(NO.237)側からは工事現場も見えましたね。(写真2)
一部は東京富士見坂(NO.301)にも接していて、かなり大きな現場でした。
まあ、特に深い意味はなく記録がてらの写真です。


東京富士見坂(NO.301)3
写真3

こちらは、今回の坂道の場所からちと離れた場所にある三田公園にあった地名を紹介する案内板ですが、どうやら同じような内容のものが、富士見坂(NO.237)の途中にもかつてあったみたいですが、今はないようですね。(写真3)
ただ、そんなことから歌川広重による浮世絵「目黒千代か池」の舞台がこのあたりだったのかもという推測ができたわけなのですよ。


東京富士見坂(NO.301)4
画像

ちなみに、歌川広重による浮世絵「目黒千代か池」とはこれですね。
以前にも紹介してますけど、再び。
さすがに歌川広重が描くだけあって景色やら雰囲気もよかったんでしょうね。


あ、そうそう。
記事の中でダイヤモンド富士のことをふれているのですが、実はこれ、この日を狙って富士見坂に訪れたわけではなかったのですよ。(汗)
当日は、恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で気になるイベントがやっていたので、それも見がてら富士山も撮ろうという気軽な気持で訪れて、恵比寿ガーデンプレイスと富士見坂を行ったりきたりしていたら、地元の方が今日はダイヤモンド富士が見える日なので見るべし!と言ってくださって、やっと気がついたわけなのですね。(汗)
まあ、この坂から富士山が見えて、時期があえばダイヤモンド富士が見えるということは知ってはいましたけど、さすがにその日にちまでは知らなかったわけなのです。
なので、ダイヤモンド富士が見れる日についてはあたかも知っているかのごとく書いてますけど、実はこれ、後付なのですよ。(ああ、言ってしまった。でもすっきり。笑)
でもまあこういう偶然みたいなことが次々と起こるから坂道散歩もやめられないのですけどね。

ということで、今回はこんな感じです。

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