東京坂道さんぽ

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山の上ホテルに行ってきました。
三べ坂(NO.281) /千代田区
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つい最近、たびねすの記事にて「都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂」と題して、御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂を取り上げたわけなのですが、なんとこれまでにブログでは男坂(NO.218)は取り上げていたのですが、女坂のほうについてはすでにみちくさ学会の記事にて取り上げていたこともあり、ブログで取り上げておらず、坂道カウントもしていなかったのですよ。(長い、笑)
そんなわけで、今回は坂道ナンバリングとお知らせもかねて書いておくことにします。

以前から、このブログを読んでくださってる方には、またあそこかなどと思われるかたもいたかもしれませんが、やはりたびねすのフォーマットの中では初めての場所ですし、今後もなにか別の場所で書くことでもあれば、同じように紹介するかもです。

それにしても、なぜ神社の境内でもない場所にあんな男坂&女坂が存在するのか。
謎ですね。
僕の予想はたびねすの記事でもちらりとふれてますけど、やはりオマージュみたいなものなのかなと。
ただそれはあくまで僕の推測なので、もっとなにかの理由があったかもしれないですよね。
なのでそういうことを、これまでもそしてこれからも訪れるであろう坂道調査の結果や経験の中から予測していけるかもしれないと思うことはやはり楽しみのひとつかもですね。


そんなわけで、ここからは取材時に撮った気になる場所の写真をいくつかあげておきますね。


女坂(NO.283)1
写真1

すぐ隣に坂の碑があるのですが、こちらはあえて古そうな坂の名前が書かれた石碑のほうをぱちりと。


女坂(NO.283)2
写真2

こちらは女坂の途中にあった隣接するビルの非常階段ですね。
意外といい感じだったもので。


女坂(NO.283)3
写真3

こちらは女坂の坂上すぐの場所にあるアテネ・フランセの外観ですね。


女坂(NO.283)4
写真4

そしてこちらが、同じアテネ・フランセなのですが、坂下側の崖下から撮ってみたものです。
アテネ・フランセの写真はよくみかけるのですが、こちら側からの写真はなかなか珍しいんじゃないですかね。


女坂(NO.283)5
写真5

最後は、たびねすの記事では取り上げませんでしたけど、女坂の坂下側からほんのすこし歩いた場所にある住友不動産猿楽町ビルですね。いちおう芦原建築設計研究所が設計した高層ビルとのことです。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区神田駿河台2あたり

つい最近、御茶ノ水の山の上ホテルで「山の上ホテル作家展2017 ヴォーリズ建築としての山の上ホテル」という展覧会がやっていたので見てきましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。1
写真1

会場内にはこんな具合に、ヴォーリズ建築事務所所蔵の山の上ホテルの設計図の原図やら当時の写真をはじめ貴重な資料が展示されていました。(写真1)
要は、このホテルの建物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に焦点をあてた展覧会ということみたいでしたね。


山の上ホテルに行ってきました。2
写真2

あと帰りには山の上ホテル特製の栞と鉛筆までおみやげにいただきました。(^o^) (写真2)
写真は、その鉛筆です。
「山の上ホテル」という文字にちょっと感動すら覚えましたかね。

なお展覧会自体は、最初に公式HPにリンクしておいたように、8月31日までやっているみたいなので、山の上ホテル(=ヴォーリズ建築)とあわせて体験できる貴重な機会だと思いますし、無料なので気になる方はおすすめですよ。


山の上ホテルに行ってきました。3

写真3

あとはなんといっても山の上ホテルの一室(宴会会場とのことですが)が会場の展覧会ということで、(しかも)写真撮影もOKということだったので、あわせて階段の写真も記念に撮っておきましたよ。(写真3)
写真では細かなディテールがみえにくいですが、かなり工夫こらされていましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。4
写真4

階段以外にも何枚か撮らせてもらいましたが、今回はこの一枚だけ公開してみます。(写真4)
受付横にもラウンジがありましたが、こちらは階段を隔てて受付とは遠い側にあったラウンジのほうをパチリと。
このクラシックな感じ、たまらんですね。
公式HPのによると川端康成、三島由紀夫、池波正太郎をはじめ数多くの作家の定宿になっているとのことで、そういう意味では僕の好きな作家の一人でもある川端康成も生前ここでくつろいでいたのかなと思うとドキドキしてしまいましたかね。
あとは、このブログでも過去にホテルのことをふれている記事があったので読み直してみたら、村上春樹さんも以前はよく仕事で使っていたとのことみたいですね。


山の上ホテルに行ってきました。5
写真5

いろいろ書き留めたいこともありますが、今回はこれくらいにして、帰りにホテルの外観も一枚、記念に。(写真5)
雨模様の中に佇むホテルもいいですねえ。
行った時期は、梅雨明けしたのにもかかわらず、雨が降り続いた時期でしたかね。
ちなみにこのホテルは、1954年(昭和29年)の開業とのこと。
ちゃんと手入れして使っていれば、全然問題ないんですよね。というかこのホテル独特の空気感もちゃんとあって、いつかここに泊まることを夢見て頑張ろうという気になりました。(^o^)


山の上ホテルに行ってきました。6
写真6

そして、最後は、山の上ホテルから明大リバティ前の大通り(明大通り、というらしいですが)へと下る坂道が、前にも記事にしたことがある吉郎坂だったので、忘れずに一枚。(笑)(写真6)
太陽の位置と勾配具合がほどよいためか、雨のため路面が光っている具合が印象的でしたね。


ただこのあと、ひさびさに母校でもある明治のリバティー内にある図書館やら展望食堂なんかもついでに寄ろうと思ったんですが、盆休みで中に入れませんでした。。
できれば、展望食堂あたりからの山の上ホテルの風景も見れたらなあと思っていたんですけどね。
でもまあ、この時期らしいエピソードといえば、そうなのですが。(^o^)


ということで、今回は気がつけば、近くて遠い場所だった山の上ホテルの中に初めて入ることができたこともあり、ここにてさらりと書いておくことにしました。

ではまた。


地図
千代田区神田駿河台1-1

さんべ坂と呼ぶそうです。
場所は、東京メトロ永田町駅からすぐの場所にあり、坂上は国道246号と接しており、そこから衆参の議員会館の方へと下っている坂道です。


三べ坂(NO.281)1
写真1

まずは坂上からのものなど。(写真1)
ちょうどこの後ろが、東京メトロ永田町駅が地下にある国道246号という場所ですね。
このあたりは比較的ゆるやかに下っている感じでしたかね。


三べ坂(NO.281)2
写真2

ちょうど写真1の右側には参議院議長公邸が隣接しているのですが、そこの出入り口あたりに、こんな感じで「華族女学校跡」なる石碑もありました。(写真2)
これは、かつて華族女学校がこの地にあったことからということみたいですね。
ちなみに、この碑、ちょっと調べてみたら戦時中の昭和18年に建てられた碑とのことみたいです。なので、戦災で燃えたり壊れたりしないように、こんな大きな石を削って、石碑にしたのかなあと思ってみたり。


三べ坂(NO.281)3
写真3

一気に坂を下り、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみたものです。(写真3)
この坂道のビューポイントはこのあたりですかね。
これまでにも何回かここを通っていますけど、議員会館が整然と並んでいる様やらこの高低差感、ヌケ感にいつも「ほほー」と思ってしまう感じですね。


三べ坂(NO.281)4
写真4

ほぼ同じ位置ですが、すこしばかり下って、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真4)
こちら側は、両側の立派な擁壁が印象的でしたかね。
こっちからだと意外と高低差感あるように見えていました。

あと、写真4の右側にちらりと見えていますけど、ここにも坂の碑があったのですが、雨風にさらされて文字が見えなかったのですよ。。
なので、坂の碑に書かれていたことを抜粋してくれている東京23区の坂道さんのサイトを参考にさせていただくとですね(平成5年くらいの内容ですが)、
『この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂という。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三邸ありし故に名づくといふ」とあります。また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました。』
とのこと。

「水坂」なんて別名もあったんですね。
なるほど。



三べ坂(NO.281)5
写真5

もうすこし、坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからだと、衆参の議員会館もかなり近いですね。
あと、昔はこの坂の左側、今はフェンスになっているところは、いい感じのかつての大蔵大臣公邸の名残りの赤レンガの塀が残っていたんですが、なくなってしまいましたね。。
なんというか大臣公邸のものなので、かなり気合い入れてつくられたはずの塀なので、ちょっともったいなかったかなあと今さらながら思っているのですが。


三べ坂(NO.281)6
写真6

写真5の位置からほんの少し下って、坂上方向を見てみたものです。(写真6)
こちら側から見るとここも高低差感ありますね。

あとはこの右側に赤レンガがあればさぞかし印象的な景色だったろうなあと思ってみたりもしますが、それはさておき、ここからは、坂道の風景とともに、遠くに見える坂上のいろんなビル群が印象的だったので、写真に残しておくことにしたのですよ。


ということで今回はこんな感じです。


(ひとこと)
今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃(2016年12月)の写真です。


地図
千代田区永田町2-17あたり

(とりあえず、昨年のたびねすの取材ついでにまわった坂道の写真もたまってきたので、しばらくはそのあたりの坂道を記事にしてみようかなと思っていますよ。)


すわ坂と呼ぶそうです。
場所は、メトロ永田町駅の出口とも直結していて、東京ガーデンテラス紀尾井町にも隣接している坂道です。


諏訪坂(NO.280)1
写真1

ではまず、坂下からの景色でも。(写真1)
比較的緩やかな勾配具合でしたかね。
しかもここからでも坂上あたりが見えているほど距離の短い坂道でした。

左側には、東京ガーデンテラス紀尾井町の高層ビルがあるんですが、ここは赤プリがかつてあった場所でもあるので、今のビル名よりも、赤プリ跡地と言ったほうが分かる人も多いかもですね。

ちなみに、このすぐそばには、いつものように坂の碑がありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『この坂を諏訪坂といいます。「新撰東京名所図会」には「北白川宮御門より赤坂門の方へ下る坂を名づく。もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり。」と記されています。道路の向かい都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。また、別名を達磨坂ともいいますが、旧北白川宮邸が紀州藩であった頃、その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と人々は呼ばれたためです。』
とありました。

坂の碑に書かれていたことも含めて、ちょっとした史実なんかについては、たびねすの記事の諏訪坂の項で書いてますのでそちらを見てくださいな。


諏訪坂(NO.280)2
写真2

前からだったのかは忘れましたが、東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地内に「空の広場」という広場があるんですが、これがちょうど今回の坂下あたりと隣り合っていたのですよね。(写真2)
写真2は、広場側から坂道を見た写真ですけど、こんな感じになっていたのですよ。

ちなみにちなみに、東京ガーデンテラス紀尾井町のHPにも「空の広場」の記載があったので、抜粋しておきますよ。
『赤坂御門の歴史的遺構を保存しつつデザインに取り込んだ「空の広場」は、開放的でフラットな空間。東京メトロ永田町駅の出入口に近くアクセスしやすい位置にあり、イベントの開催など様々な用途に最適です。また、広場の高台からは、弁慶濠が見下ろすことができるなど、気持ちの良い眺望が広がります。』
まあ、赤坂御門のことはほぼ触れず見た目のことをそのまま書いているみたいですね。


諏訪坂(NO.280)3
写真3

そんなわけで、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみました。(写真3)
左側は都道府県会館の敷地みたいなのですが、そこの空地と歩道が一帯になっていたので道路部分とあわせると道幅自体がけっこう広く見えていましたかね。
しかも遠くに見えるビルもちょっと雰囲気が一味違う外観のビルなので、やはり目がいってしまいますね。


諏訪坂(NO.280)4
写真4

そして、坂上あたりからさらに坂上方向を見ると、左側には、赤坂プリンスクラシックハウスが見えていましたよ。(写真4)
これは赤プリ時代からあった建物ですよね。
まあ東京ガーデンテラス紀尾井町ができるのにあわせてある程度はお化粧直しもされたみたいですけど。


諏訪坂(NO.280)5
写真5

最後は赤坂プリンスクラシックハウスのそばにあった「煉瓦基礎遺構」ですね。(写真5)
近くに案内看板があったので、一部を抜粋するとですね、
『2011年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より北白川宮邸洋館の煉瓦基礎が発見された。(略)洋館は煉瓦造2階建の壮麗なゴシック建築で、設計者はジョサイア・コンドルであった。』
ということだそうです。
そして、北白川宮邸洋館の跡地に今の赤坂プリンスクラシックハウスがあるというわけですよね。
(なお、案内看板に書かれていたことをかなり省いてしまいましたので、気になる方は現地でどうぞ。(笑))


なお、今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃の写真です。
とりあえず記事では2枚しか掲載できなかったので、こちらでも書いておくことにしました。
ということで、今回は、こんな感じです。

地図
千代田区平河町2あたり

今回は、先日、たびねすのミーティングイベントに参加した後に、東京駅グランルーフに立ち寄ってみたら、クリスマスまで開催中というライトアップイベントがやっていたのですよ。
なので、このままいつものようにほっておくと、クリスマスも過ぎてイベントもおわってしまいそうなので、今回は忘れないうちにさっそくということで。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
いつものように階段とともに。(笑)
グランルーフにもこんな大階段があったのですねえ。
すこし前にここを通ったことあるはずですが、その時は素通りでした。(汗)
でも今回は、見てのとおり天井部分が印象的にライトアップされていて、思わずぱちりと一枚という感じだったのです。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション2
写真2

もうすこし天井部分にフォーカスしてみるとこんな感じでした。(写真2)
なお、このライトアップイベントは、「東京駅グランルーフ light on train」というそうですよ。
公式サイトみたいなものもありました。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
http://www.tokyostationcity.com/special/lightontrain/index.html

しかも、
公式動画まで。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
https://youtu.be/0b7338rv5po

なのでこの動画みたら、だいたいここでどんなことやっているかわかりやすいかもですし、詳しいことは公式サイトのほうをどうぞ。(笑)

それはともかく、どうやら公式サイトの説明を読むと、「体験型インスタレーション」とあるので、制作した方々はアート作品的にみてほしいのですかね。
そういう意味では、このインスタレーション、公式サイトによればWOWというスタジオがクリエイティブディレクション(この言葉だとどこまで関わっているのかわかりにくいですが、まあそういうことだそうですよ。。)やら映像制作されているそうです。
(余談ですが、WOWさんの作品といえば、ニコンの動画「TOKYO DENSE FOG by WOW」が僕の中ではかなり印象に残っていますよ。)

そんなこんなで、現地での説明でも「インスタレーション」とあったので、著名なクリエーターさんがかかわっているのかな?と思ってはいたのですが、やはりそういうことだったのですね。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション3i
写真3

最後は、遠目からのものでも。(こちらだけスマホですが)(写真3)
動画にも近いアングルでてきましたが、あくまでこれは僕の視点という意味もこめてです。(笑)
とにかく、現地ではこの位置からでもなにをやっているか一目瞭然という感じでしたかね。




あ、そうそう。
せっかくなので、当日の日記がてらのこともちょこっと書いておきますが、このインスタレーションを見る前に、最近、寄稿記事を書かせてもらっているたびねすさんのミーティングイベントに参加してきたのですよ。
どうやら毎年開催されている行事のようで、僕のように人見知りするライターさんも過去に多くこられていたみたいで、いろいろと参加した方々が交流しやすいような工夫が随所にみられて、かなり助かったかもです。
とにかく、当日はどうもありがとうございました。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区丸の内1-9-1

今回も夜散歩した時のことでも。
といっても今回はすこし前の写真を交えながら。


神田明神男坂の夜散歩1
写真1

いきなりですが、階段の夜景写真です。(写真1)
ちょっと暗くて階段部分が見にくいですね。。
それはさておき、場所はタイトルにもあるとおり、JR御茶ノ水駅からほど近い神田明神の男坂ですね。
神田明神の男坂のこまかいことについては、過去記事をみてくださいな。
ただ前に訪れた時は、階段の両サイドで建物が工事中だったため、あまり風情のない感じになっていましたが、今回はさすがにそれらの工事もおわっていたようですね。

とにかく、この時間帯の景色は坂上と坂下の灯りの明暗の差が印象的で、よりこの階段の高低差具合がわかりやすくなっていたかもです。
そして、この坂の脇には昔、大きな銀杏があったらしく、安房上総辺(今のと千葉県あたり)から江戸へやってくる漁船の目標となったという話(坂の碑にも書いてありましたが)からも、昔は海からここの木がみえたということは、ここからもやはり海が見えたんでしょうかね。
そんな史実もあったこともあり、夜ならもうすこし、遠くの灯りもみえるかもと期待していたのですが、ちょっとまわりに高層のビルが多すぎて観測は難しかったです。


神田明神男坂の夜散歩2
写真2

せっかくなので、坂下からもぱちりと。(写真2)
やはり、坂下のほうがかなり明るいですね。
今回は、階段の途中にみえていた工事中の仮囲いもなくて、階段と建物の関係もきちんと見えていますし、前回仮囲いされていた階段上のマンションも完成したのかばっちりと見えていました。
なんというか、こういうのをみると、法律的には問題ないのかもしれないですが、個人的にはこういう地形も考慮した土地関連の法律も新しくできないものかなあとか思ってみたり。(まあ、こういう場所は多いので、いまさらなのですが。。)


神田明神男坂の夜散歩3
写真3

ちなみに当日は、神田明神境内の夜桜も撮っておいたのですよ。(もちろん手持ち撮影です。)(写真3)
なので、時期的には4ヶ月ほど前のことになりますかね。


神田明神男坂の夜散歩4
写真4

境内の南西側にある随神門をくぐり神社をでると、なにげに坂道になっていたので、ぱちりと一枚。(写真4)
明るい時間帯は人通りも多いため、あまり気にかけなかったのですが、こうしてみるとけっこうな高低差だったのですよ。


神田明神男坂の夜散歩5
写真5

最後はもう御茶ノ水というエリアつながりとしかいいようがありませんが、聖橋からのJR御茶ノ水駅の夜景など。(写真5)
ここも現在、大規模な工事中なのですよねえ。
なんか最近は、街に大きなものができそうなたびに(大工事現場をみると)せつなくなることが多いのですが、ここもそのうちのひとつになりそうですかね。(批判もうけそうですが、今の気持ちだから隠してもしかたがないので書いてしまいました。だからといってこういう開発が絶対だめだとか思っているわけでもないところがなかなか難しいところなのですよね。)
要は、ひと昔前は単純にこういう現場をみると楽しみでしかたがなかったことも多かったですが、今は、もうすこし既存の施設もうまく使ってよというところに考えがシフトしているだけなのかもしれないですが。
これが歳をとったからなのか、時代の流れの中での気持ちの変化なのかはわからないところではありますけど。。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区外神田2あたり

今年も月が変わらないうちに、4月初めに千鳥ヶ淵に桜見物に行った時のことでも。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵1
写真1

千鳥ヶ淵とは書きましたが、こちらは九段坂の中腹あたりからのものです。(写真1)
始めに千鳥ヶ淵に桜見物と書きましたが、実は、こちらのほうをまず見たくて今回は、ここにやってきたのですよ。
とりあえず、このアングルからだと左側のほうに桜が見えているという感じですかね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵2
写真2

次はこのアングルから。(写真2)
本丸や武道館に向かう時に通る場所ですが、実はここも坂道になっていて、奥には九段坂、手前左には、このブログでも過去にの記事(九段坂の標高と燈明台)で取り上げた、常燈明台が見えておりましたよ。(しかも点灯状態!)

それにしても改めて、写真で見直してみるといい感じですね。
またそのうち、明るい時で人が少なめな時にでも来れれば、ここは取材しておきたい場所というか隠れ坂道でもありましたが、今回はそういうわけで軽くスルーです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵3
写真3

こちらは写真2の正面にも見えていた歩道橋からの九段坂の坂上方向の景色です。(写真3)
いい感じですねえ。
いちおう時期的には満開の時だったので、九段坂と桜のコラボ的にも一番良い時だったのかなと。
ただ、もうすこし夜景モードで坂道ばかりでなく桜のことも気にしながら撮ったほうが、両側の夜桜がわかりやすく写ってくれたかなと軽く後悔しつつも、実は、このブログで九段坂の桜を取り上げるのは初めてなので、散歩当日はそんなこともあり、すこし興奮状態で、しかも手持ち撮影でいろんなアングルから桜を見物することばかりに気がいっていたので、カメラまかせの撮影になってしまったかも。(笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵4
写真4

そして、やっと千鳥ヶ淵の夜桜の様子でも。(写真4)
場所的には、写真3の左側の歩道橋を下りたあたりからも、千鳥ヶ淵の桜を見れるポイントがあって、しかもその奥には東京タワーまでもが、ということでパチリと一枚という感じだったのです。
ちなみにこちらも手持ち撮影です。(というか今回の写真すべて、三脚は使っておらず手持ち撮影です。)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵5
写真5

こちらも千鳥ヶ淵で撮ったものです。(写真5)
ちょうどイタリア文化会館(例の赤いファサードで有名な)の裏側あたり(千鳥ヶ淵側)にある高級マンションなのですよ。
ここは、学生時代(ずいぶん前ですが・・・)、このマンションの一室の間取りを提案するコンペがあってですね、このブログでも前に登場してくれた大学時代の後輩のむとう君と組んでコンペに出したというなんとも思い出深いマンションなのですよ。
そんなわけで、マンションをぼんやりと眺めていると、コンペのために周辺状況やらこのマンション自体のことやらいろいろ調べた記憶がよみがえりました。(気分的には場所的なこともあり黄泉・・・。遠い目、笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵6
写真6

散歩当日は、こんな場所からも千鳥ヶ淵の夜桜を撮ってみました。(写真6)
千鳥ヶ淵の南側、首都高速をはさんだ対岸からのものですね。
左上のほうには写真5で取り上げたマンションも見えていたりします。
ちなみに、正面のピンク色にライトアップされた桜ですが、実は時間ごとに色が変わるライトアップになっていたのですよ。
白になったり、写真6のようにピンク色になったりという具合にですね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵7
写真7

そして、これなんですよ。(写真7)
実は(なんか今日の記事は実は・・が多いですが)、散歩当日は、東京駅から千鳥ヶ淵まで歩いて、皇居沿いの夜桜見物もしてしまおうという自分なりの企画を立てて歩いてみたのですが(特に他意もなくただ夜桜見物をしたかったのです)、そのスタート地点である東京駅で、偶然にも出会ってしまったのです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵8
写真8

こちらは綺麗に撮れているものもありましたが、わざとぼけた写真を選んでみました。(写真8)
これ見るとだいたい想像出来るんじゃないですかね。
そうなんですよ。
なんと、天皇皇后両陛下が、東京駅から皇居へ帰られる時に、偶然出くわしてしまったのですよ。
それで、写真7のような公用車の大行列、大勢の人だかり、というわけだったのです。
いやはや、なんとも大興奮でした。
僕自身は天皇陛下万歳とかそういう人ではありませんが、それでもこれだけ近くでお二人を見れたのは初めてだったもので。
ちなみに、今回は、天皇皇后両陛下をうまくおさめることができた写真も撮れましたが、ここではUPしないことにしましたので、あしからず。


ということで、今回はこんな感じです。



住所
千代田区九段南2あたり

もうそのままですが、時間が経ってからというのもなんですので、またまたタイムリーな散歩話でも。
今回は、飯田橋駅からすぐ近くに、桜の名所としても知られている外濠公園を歩きながら、桜見物してきました。


外濠公園の桜を見ながら坂道も1
写真1

まず、こちらは、右側に外堀公園がある場所なのですが、この道路、写真ではわかりにくいですが、坂道になっていたので、ぱちりと一枚。(写真1)
しかも両側に桜という、この時期に歩くにはちょうどいい場所でした。
ただ、歩いた日は、雨がパラパラと降った後の時間にふらりと歩いたので、ちょっと暗めなのが心残りではありますが。。


外濠公園の桜を見ながら坂道も2
写真2

後ろを振り返るとこんな感じでした。(写真2)
右側は高層ビルで、どうやら最近できたビルみたいで、この道路もそれにあわせてリニューアルされたようですね。


外濠公園の桜を見ながら坂道も3
写真3

こちらは、写真1にもちらりと写っていたりするのですが、写真1と2の道路から階段上の外堀公園に向かうための階段です。(写真3)
いたって普通な感じですが、桜がいっぱい散っている様子がビジュアル化されていたのと、階段上の両サイドの石の柱のようなものがなんなのか気になったので、記録もかねてぱちりと。
とりあえず、この階段の高低差や柱のことなどについては、そのうちこのあたりの坂道取材する時の宿題ということで、今回はそのままスルーです。
とにかく散歩した日は、風もけっこう吹いていて、桜吹雪がすごかったのですが、その吹雪いている様子についてはうまく撮れなかったので、この写真で想像してもらえればなと。(汗)


外濠公園の桜を見ながら坂道も4
写真4

そんなこんなで外堀公園を歩きながら、対岸に見えていた定番の桜景色でも。(写真4)


外濠公園の桜を見ながら坂道も5
写真5

それからすこし歩いていたら、電車が走ってきたので、急いでぱちりと。(写真5)


外濠公園の桜を見ながら坂道も6
写真6

そして、せっかくなので、手前の桜も気にしてみたものなど。(写真6)
普段はあんまり撮らないタイプの写真ですが、なんとなく。。
でもまあ、これも高低差のある場所だからこその風景なのかなと、ちょっと思ってみたり。


外濠公園の桜を見ながら坂道も7
写真7

さらに市ヶ谷方面に歩いていくと、公園がいったん道路で分断される場所があるのですが、そこをちょっと違う場所から見てみたものがこちらです。(写真7)
見てのとおりなのですが、奥に延びている道路が坂道になっていて、坂下のほうに桜が見えていました。
要は、この道路は外濠を渡るためのもので、新見附橋という名がつけられているみたいです。
ただこの場所、普段ならあまり意識しないのかもしれないですが、今回は桜が道沿いに見えたおかげで、ちょっと気になる坂道というか場所になったのだなあと思っていたりします。
そして、僕が今立っている場所、実はこのブログの初期の頃に取り上げている富士見坂 (NO.11)の坂下あたりの場所でもあったんですよ。(気になる方は地図で確認してみてくださいな。富士見坂は写真7の右ななめ後ろ側のほうに見えていたりするのですよ。)


外濠公園の桜を見ながら坂道も8
写真8

いちおう、写真7の道路というか橋の様子が俯瞰できる場所から見てみたものがこちらです。(写真8)
この位置から見てみると、今回は桜メインなのですが、やはり橋だけを注視してみてもけっこうな勾配具合の場所ということがわかりやすいんじゃないですかね。


外濠公園の桜を見ながら坂道も9
写真9

そして、最後はおまけです。(写真9)
実は、この日は、桜見物とあわせて、飯田橋駅からほど近い場所にある東京大神宮なる神社にもよってみたのですが、その際、神社の前がいい感じで坂道になっていたので、紹介がてらです。
とりあえず、調べてみたところでは無名坂のようでしたが、そのうちこの界隈の坂道を調査したときには(まだブログで取り上げてない坂道が多数あるのです)、東京大神宮前の坂道とかで(笑)、縁起のよさそうな坂道として、もうすこしきちんと調べるなり、写真撮るなりしてブログでとりあげるかもです。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区富士見2あたり

このまえ、江戸三大祭りのひとつと言われている赤坂の日枝神社界隈で行われる祭り、山王祭を見てきたのですけど、実はあのあたり、このブログではまだ取り上げていない坂道がいっぱいあるエリアなんですよ。
なので、今回は、坂道散歩しながら、まつりを見てみるというすこし変わったことをしてみました。
(そして、すこしばかり前回の七夕祭の絵とまつりつながりの記事ということで。。)

ちなみに、山王祭とは、公式HPによると『徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」 として盛大をきわめ、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられているお祭りで、例年6月に開催されます。』とのこと。
ただ個人的には、日枝神社界隈の場所が、官庁街ということもあってか、お祭りとは行っても警備が厳しそうでなんとなく気楽な雰囲気はうすいかなあと、見に行った日の感じではちょっと思ってみたり。(ただ別の日には、東京駅ちかくや有楽町界隈も練り歩いているみたいなので、感想は変わるかもしれないですけど。)


山王まつりのついでに坂道ぶらり1
写真1

そんなこんなで、まずは、山王坂の風景を織り交ぜながら。(写真1)
山王坂については、実はまだこのブログではきちんと取り上げていないので、またそのうちということでなんですが、やはり結構な勾配具合の坂道にこの祭礼行列の感じはなかなかのものでしたよ。
ただこの坂道、両サイドが議員会館なので、警備の警察官も多く、見る人もちょっと緊張(と自分が感じただけですが)という中でのものだったかもです。


山王まつりのついでに坂道ぶらり2
写真2

次は同じく山王坂で、坂下からのものです。(写真2)
ここから坂上方向をみると、高低差具合もわかりやすいかもですね。
しかもさすが東京の官庁街、電柱(および電線)もなくて坂上のほうまではっきり見渡せますかね。
ちなみにこの祭礼行列の人たちは、もちろん写真2の背後方向にある日枝神社の境内に向かって歩いているのですよ。


山王まつりのついでに坂道ぶらり3
写真3

せっかくなので、写真2のすぐ右側をみると、行列の向こうに、超高層ビルが。。(写真3)
馬もさすがに小さく見えます。


山王まつりのついでに坂道ぶらり4
写真4

今度は同じ場所から行列の女性陣をパチリと。。(写真4)
やはりなんか不思議な光景ですかね。


山王まつりのついでに坂道ぶらり5
写真5

次は場所を日枝神社境内に移して、山王女坂に来てみると・・・。(写真5)


山王まつりのついでに坂道ぶらり6
写真6

さきほど山王坂を歩いていた祭礼行列の一団が、坂上の社殿にむかうために、坂道を駆け上っていました。(写真6)
これはなかなか珍しい景色かもですし、女坂はこういう時のためにつくられたものでもあるのですね。


山王まつりのついでに坂道ぶらり7
写真7

そして、最後は、同じく境内にある山王男坂の坂下からの風景です。(写真7)
とにかくすごい人でした。


ということで、山王祭とあわせてとりあげた山王男坂、山王女坂、山王坂については、またそのうちこの界隈の坂道を取り上げるときに復習することにして、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区永田町2-10あたり

もうタイトルそのままでなんですが、今回は、地べたの坂道ではないのですけど、JRの東京駅と有楽町駅の間にある東京国際フォーラムのガラス棟と名付けられている場所の壁まわりにぐるぐるまわっているあのなんともあぶなさそうな人工の坂道をやっと(前から実行しようとは思っていたので)ぐるぐるとまわり歩いてきましたよ。
(なので今回は写真が過去最高の数になってます・・・。)


東京国際フォーラムのスロープ1
写真1

まずは1階部分の坂下(?)からのものです。
ちょうど東京駅方面の地上部分の入口から入るとこのあたりにやってくるのだったと思います。(というのも撮影したのはすこし前ですので。)
とりあえず「おー、なかなか格好いいではないですかあ」というのが第一印象でした。


東京国際フォーラムのスロープ2
写真2

すこしスロープを上り、坂下方面をぱちりと。
入口との関係はこんな感じでした。
ただこれだけ入口と近い割には、このスロープを使って上に行こうという人は、僕のように散歩目的の人が多いような気が昔からしてるんですけどどうでしょうかね。。


東京国際フォーラムのスロープ3
写真3

そして、また坂を上りはじめつつ、ガラス棟の吹き抜け部分を見上げてみると、知っている人も多いとは思いますけど、なんとも特徴的というか奇抜というかこのビルの売りでもある恐竜かなにかの背骨のようにも見えてしまう構造体が見えていました。


東京国際フォーラムのスロープ4
写真4

さらに坂(もう坂でいいですよね)を上ると、坂上の方に卵型をしたガラス棟のもう片方の端のとんがり部分が見えてきました。
(とりあえずこの段階で通路ですれ違った人はゼロでした。。)


東京国際フォーラムのスロープ5
写真5

折り返しのあたりまでくると急に暗がりに。。
上の階の天井部分の高さが坂下から一緒で坂だけが上る形になっているのでこの場所でそうなるだけのことなんですけど、なんか不思議な感覚でした。


東京国際フォーラムのスロープ6
写真6
坂下のほうを見るとわかりやすいかもですね。


東京国際フォーラムのスロープ7
写真7

折り返し地点あたりの様子です。
スロープはこのあと右にくいっと曲がりながら上る形となっていて、ちょっとした歩道橋のような構造になっていました。
しかもなんかいろいろつくりが複雑で掃除が大変そう。。


東京国際フォーラムのスロープ8
写真8

そして、折り返し地点からの坂上方向の眺めです。
かなり近未来的な雰囲気?のスロープになっていました。


東京国際フォーラムのスロープ9
写真9

ちなみに室内のほうを除くと、下は1階ではなくB1階ということになっているらしく、おそろしく高低差ありました。
さっきまでのスロープも右側にちらりと見えていたりします。


東京国際フォーラムのスロープ10
写真10

さらに坂を上ったあたりのものです。
このあたりは写真10の右側にみえている渡り廊下と同じようなつくりとなっているため、ここで軽くジャンプしてみると廊下自体がかなりゆさゆさと揺れてしまうというなんともたよりない感じだったのでちょっと怖くなってしまいました。


東京国際フォーラムのスロープ11
写真11

なので天井のほうを眺めてみました。
とりあえずこれだけ骨があれば大丈夫なのかなと落ち着きを取り戻してみたり。(笑)


東京国際フォーラムのスロープ12
写真12

さらに坂を上り、坂下のほうを見てみました。
写真12の右側の手すりあたりに“4F、5F”とあるので、もうこのあたりは4階半あたりということみたいですね。
それでふと気がついたんですけど、実はここ金属棒の手すりに、さらに外側にはガラスの手すりという、なんともいろいろと豪華な感じなんですね。


東京国際フォーラムのスロープ13
写真13

写真12よりさらに坂を上ったあたり(5階半くらい?)の場所からも坂下方向を見てみました。
ここからだと吹き抜けのところに架かっている渡り廊下のつくりがなんとも印象的な感じなのですけど、これは1本でもよかったのでは?と思ってしまいました(1本だと見た目が貧弱なことになりそうなので気持ちはわかりますけど・・・)。


東京国際フォーラムのスロープ14
写真14
そして、すこし坂を上り坂上方向をみると、やっと坂上あたり(今回の終点)が見えてきました。


東京国際フォーラムのスロープ15
写真15

ちなみに写真14の右側に見えていた大きな柱のあるあたりで下を覗いてみると・・・。


東京国際フォーラムのスロープ16
写真16

そしてそして、やっと坂上あたりまでやってきました。
写真16は坂上からの風景ですね。
いちおうここはビルでいえば7階の場所になるとのことみたいですよ。
いやはやこれは過去最高の高低差をほこる坂道歩きになるのですかね。


東京国際フォーラムのスロープ17
写真17

ちなみに写真16のすぐ左側はスロープ部分と建物の床部分をつないでいる小さな渡り廊下がつけられていましたよ。
さすがにここを通る時はガラスの床で地上とは写真15で見たとおりかなりの高低差があったので、なんだか意味もなく緊張してしまったので、気になって横から再度見てみたらこんなつくりしていたんだなーと。(汗)


東京国際フォーラムのスロープ18
写真18

ただそこから天井を眺めてみるとこれはこれでなかなかすごい景色が広がっていたわけなんですけどね。


ということで、今回は写真が多くなってしまいましたが、こんな感じです。



地図
千代田区丸の内3-5-1

すこしまえに丸の内を歩いていてちょっと気になったことです。


丸の内の微坂1
写真1

写真1は、丸の内にある場所で、東京駅方面から地下を歩いてくると出会う場所で奥の入口は丸ビルへの出入口となっているところです。
ただここも、坂道さんぽ視点でよく見てみると実は微妙に左から右に下っている坂になっていたんですよ。
(そうなると奥のドアはどういうことになっているんだろう?と考えてしまうわけですが。。)



丸の内の微坂2
写真2

またちょっと場所を変えて見てみました。
こちらもおなじく丸ビルに出入りするための入口で、写真1の場所からどっち方向に行ったところなのかまでは忘れてしまったのですが、とにかくすぐ近くの場所で、ここも微妙な高低差(手前から奥へと上る)になっていました。
ちょっとわかりにくいんですが写真2でみえている柱の足元をみると地面との傾斜関係がすこし判別できて、ここがすこしだけ坂になっていることがわかるかもです。
またその傾斜にあわせてなのか、写真1とはちがい地面のタイルの敷き詰め方がけっこう凝っていて、奥の出入り口に向かってなにげに同心円上になっているという具合でほほーという感じ。


丸の内の微坂3
写真3

おそらくこんなところを写真に納めて公開しようと思う人も少ないとは思いますが、丸ビルの出入口から反対方向の東京駅に向かう側の地下道もこんな具合に手前から奥へと上る微妙な高低差のある場所がいたるところに見受けられました。
とにかくなんでこんな傾斜をつけないといけないんだろうと不思議に思いつつも、このときはあわせて個人的に地面のタイルの向きにもなんとなく興味が湧いていて、こういうタイル割りについてもなんか意図があるのかなあとか、よく考えてみれば不思議なものだなあーとか思ってみたり。。

そんなわけで、丸ビル界隈の微坂についてはこんな感じなのですが、実はそのあとあたりをうろうろした後、JRで帰ろうとしていた途中。


丸の内の微坂4
写真4

なんと、こんなものを見つけてしまったのですよ。(丸の内というと平坦な場所というイメージがあったものでちょっと驚きつつ。)
もちろんこれは坂の碑ですね。

ただこちらの坂については、ぶらついた時間帯がラッシュの時間帯ということもあって人の数が半端なかったので、また人が少ない時間帯をねらって再取材に行こうと思ってますのであしからず。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。



住所
東京都千代田区丸の内2

忘れないうちに書いておこうと思うのですが、前にみちくさ学会やこのブログの記事でもとりあげた皀角坂、昨年のドラマでも登場してましたよ。
しかもなんとあのフジテレビのドラマ「プライスレス」でですよ。

とりあえず、あのキムタクさんがホームレス?というのが気になってなんとなく見はじめたわけなんですが、ドラマの途中(しかも突然、あたり前ですが)あの坂道を香里奈さんが歩いている映像が流れたときはピクピク・・・!という感じでしたよ。
とにかく、すぐに「あそこだー」と。(笑)
まあ、ほんのすこしのちらり登場ではありましたけど。

もちろんあとでドラマのロケ地を調べてくれているマニアックなサイトがいくつかあるので、そこで確認してみたんですが、やはり場所あってましたよ。

20130102
皀角坂


あ、あとロケ地でいえば、なかなかタイミングがなくて報告できなかったのですが映画の「八日目の蝉」(DVDのほうしか見てないのでテレビ版のほうはわかりません)、で、このブログでもだいぶ前に取り上げた富士見坂が登場していて、井上真央ちゃんが坂を下るシーンも印象的だったんですよ。
こちらもちらりと流れる感じのものでしたけど、ぴくぴくもの(←なんという言い方!)でしたよ。

ということで皀角坂の新情報はこんな感じですが、富士見坂のほうは、同名の坂が都内にいくつもあり、今回のはたまたま映画観てて気がついただけで、皀角坂のように気軽には調べられませんので、このロケ地ネタについてはまたおいおいということでお願いします。

最近、また九段坂についての気になる史実が書かれた本を見つけたので、今回はちょっとその話でも。


九段坂の高低差と燈明台1

いきなりですが、こちらは『色刷り明治東京名所絵・井上安治画』という本にあった九段坂の名所絵です。(ただしデジカメで、風景を撮る感じでぱちりと絵を撮ってみたものを加工したものですので、絵が一部歪んでますのであしからず。)

で、この名所絵ですが、参考本のタイトルにもあるとおり井上安治なる絵師によるものだそうですよ。
(前に、「九段坂・今昔メモ」という記事で登場した明治時代の九段坂の写真と見比べてみてもおもしろいかもですね。)
ただこの上の絵を見る限りでは、常燈明台も今の位置になる前の坂の北側(靖国神社側)にあり、ほんとうに坂の上の頂上からのもののようで、見た感じかなりの丘の上の風景といった感じが誇張しているのかなあとすこし思ったわけなんです。

でも、実はそうでもなさそうなんですよ。

そこでまずは絵の解説文として本に書かれてあった一文をすこし抜粋してみますね。
『戦前には、陸軍将校クラブであった偕行社があり、構内に常燈明台が建っていた。(略)。明治三年招魂社として創建された靖国神社のために献燈として明治四年(一八七一)建てられたという。標高二五メートルという東京の最高所だから品川沖を航行する船の唯一の目標になるというので評判になったのも無理はない。』

ふーん。そうなんですね。
そして、抜粋分ではちょっとした常燈明台の史実とともに“標高二五メートルという東京の最高所”なる一文があるんですよ。
要は標高25メートルといえば、あの都内の自然の山としては最高峰の標高でもある港区にある愛宕山でも(だいたいの標高が測れる地図サイト)マピオンによれば海抜25m(ウィキペディアでは標高25.3m)ということなので、江戸から明治時代のころであれば、ここから海方面にかけては愛宕山に負けないくらいの高低差があり、かなりの高所だったということになりそうなんですよ。
いちおう愛宕山と同様にマピオンで九段坂の海抜を計ってみると坂上のほうはたしかに海抜25mという表示がでてきました。
そんなわけもあり、前にみちくさ学会の九段坂の記事でもこの坂は潮見坂であると予測はしてみたものの、あんな立派な常燈明台が九段坂の坂上あたりにありきちんと本来の役割もはたしていたというのは現在の景色をみると想像しにくいこともあり、やっぱり気になるなーと不思議に思っていたんですけど、この史実やデータをみるとやっぱりそうだったんだなあーとちょっと納得してしまいました。


九段坂の高低差と燈明台2

ちなみに現在の常燈明台はこんな感じです。
位置は坂の南(日本武道館側)に移動していますけど、上の絵と見比べてみてもそれほどつくりというかデザインの違いが感じられないので、今の常燈明台はほぼ昔と変わらない形で残っているのかもしれないですね。


あと、この他にも、参考本には、
『この常明燈は、漱石の「三四郎」のなかでは、広田先生に「時代錯誤」と批評されている。ヨーロッパ留学で、本場の建築になじんできた漱石としてはもっともな意見ではあっても、いまの時点で明治初年の混乱期のモニュメントとしてみえれば珍重に値する。』
という一文もあり、ちょっと気になったので小説「三四郎」の本文ではどこの部分なんだろうと思い調べてみたらありましたよ♪♪

『「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。』
(以上は青空文庫からの引用です。)

なんとも路上観察学的な会話というかタモリ倶楽部でぱらりとでてきそうな会話のやりとりというか。。(笑)
なんかいい感じですね。


住所
千代田区九段北1あたり

今回は、時期てきなこともあり、あまり遅くに公開しても実感ないかなーということで、かなり直近のことですが神宮外苑花火大会が行われた日にちょっと変わった試みをしてみました。


富士見坂から花火1
写真1

まずはこちら。(写真1)
ちょっとわかりにくいかもですが、道路の向こうで花火みえてますよね。
そうなんです。
実は今回は花火見物のまえに、ちょっと下調べをしてみて都内の富士見坂から神宮外苑花火大会の花火が見えるポイントないかな〜と地図とにらめっこしてみるとあったんですよ。

過去記事でいえば、富士見坂 (NO.10)の千代田区永田町にある富士見坂で、場所的にはメトロの永田町駅やら赤坂見附駅が一番近い駅となっている坂道です。


富士見坂から花火2
地図

地図で見てみるとこんな感じでした。(グーグルマップを利用して加工したものです。)
今回の富士見坂 (NO.10)はちょうど東から西へと下っている坂道で坂道の軸線がほんとうに神宮外苑あたりを通っていたんですよ。
地図でいえば、青の点線あたりが富士見坂で、赤の点線で囲われたエリアが花火大会の行われた神宮外苑です。
もうこの位置関係を地図で再確認した瞬間、行かねば〜という感じでしたよ。(笑)


富士見坂から花火3
写真2

で、場所を変えて見てみてもやっぱり見えていましたよ。(写真2)
現地では僕が写真取り出しはじめてから人もちらほらと集まりだしてきました。


富士見坂から花火4
写真3

こちらはもうすこしカメラをズームにして撮ってみたものです。(写真3)
とりあえず花火に目がいってしまいますが、ここは富士見坂でもあるので、もし高速やらビルがなければ花火の向こうに富士山が!というロケーションも期待できるかもですが、まあ今の状況では夢の話ですかね。


富士見坂から花火5
写真3

また場所を移動して、坂の途中で花火がよくみえるポイントがあったので、そこにてぱちりと。
高低差具合からするとこのあたりはなかなか良い感じの場所みたいです。
(あと、どなたか知りませんがうしろ姿写ってますが気にしないでくださいな。)


富士見坂から花火6
写真4

そして、さっきのポイントでは花火に見いっていて全然動いてくれなさそうだったので(笑)、またまた移動してみました。
位置的には坂の中腹あたりですかね。(写真4)
ここからもなんとか見えていましたよ。
しかも坂道風景的にはここからのものがたぶん坂道と高速の高架の見え具合がよさげにみえるポイントのひとつでもあるので、これはこれでなかなかよかったかもです。
(でもなぜか警察の警備の人がいて(もしかしたらデモ関連かもしれませんが・・・)あまり落ちついてはみれませんでしたけど。)

ということで、いままでなぜこのことを思いつかなかったのだろう?というくらい写真撮るとき、すごく楽しかったです。あとはこの坂以外にも乃木坂も行ってみたんですが、こちらは地図では坂上のほうでなら下りながらみえるはずだったのですが、現地では完全に花火方向に背の高いビルがあってみえませんでした。また来年の花火大会までにはもっと下調べして他の場所もないかどうか調べてみたいものですよ。


住所
千代田区永田町2丁目あたり

今年の4月にみちくさ学会の記事でもとりあげた九段坂(江戸時代には海が見えた九段坂)なのですが、その後、いくつかの情報をみつけることができたので、今回はその追加報告です。(メモもかねていますが。。)


まずひとつめは、九段坂の坂名について。
こちら、実は、九段坂や飯田坂とよぶ以外に、別名で「飯田町坂」という呼び名もあったそうです。
(あとは個人的には、富士見坂と潮見坂を追加してほしいところですが。。)


九段坂・今昔メモ1
明治時代の九段坂

そして、2つ目が上の写真です。
こちらはたまたま図書館でみつけた「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」なる本に掲載されていたものです。
要は明治時代に撮影された九段坂の風景写真なのですよ。


九段坂・今昔メモ2
現在の九段坂

で、こちらが一枚目の写真とおそらくそんなに変わらない場所から撮った現在の様子です。

この2枚を見比べてもらうとわかりやすいと思うのですが、現在は遠くのほうはビル(明大のリバティタワーなどはわかりやすいですが)が立ち並んでいる様子しか見えませんが、かつては一枚目の古い写真のように、このあたりからなんとあのニコライ堂も見えていたんですよ。(一枚目の写真左上あたりに見えてます。)

なので、九段坂のことをいろいろ調べていると、与謝野晶子が九段坂からよくニコライ堂を眺めていたとか、田山花袋の「東京震災日記」には震災直後にこのあたりから坂下のほうを眺めると、あたり一面焼け野原で遠くのほうに半ば焼け落ちているニコライ堂が見えたなんてことも書かれていて、「え!本当?」とか思っていたわけですが、そのことがこの写真で証明されたわけで、かなりの驚きがあったというわけなんですよ。


九段坂・今昔メモ3
九段ざか

そしてこれが最後ですが、三つ目はこの浮世絵ですね。
二代目歌川広重による江戸名所四十八景の『九段ざか』なる風景画です。

ただ前はこの風景画を見ても、あまりぴんとこなかったのですが、これまた、さっきも登場した「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」の九段坂の説明の中に、『江戸期には石を積んで9層の石段になっていた坂だった。御用屋敷の長屋が9棟建っていたという。これを九段長屋と呼び、坂を九段坂といった。明治2年に招魂社が建立されたとき、段を取り除いて平らな長坂にした。』の一文を見つけ、それをよんでから、またこの浮世絵をじ〜とみてみると。
おそらく絵の右側は今のお堀とおもわれますので、坂上から坂下のほうを眺めたものを絵にしたものと思われます。
そうすると手前の土の部分が九段坂ということになり、絵では奥(坂下方向)にいくほど道が狭くなっています。
ということは、さっきの抜粋文から推測すると、その先(坂下方向)が階段だった可能性が高いということになりまませんかね?
まあ、適当な予想ではありますが・・・。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区九段北1あたり

所在地:千代田区神田駿河台2


小栗坂(NO.219)でもちらりと話がでてきたついでに、今回はちょっといつもの感じとは違い、なにげにいろいろ思い出したこともあるので補足的な話など。

皀角坂については、この坂道ブログでは初登場なので今回いちおう「皀角坂(NO.220)」という形でいつものようにナンバリングしてみましたが、実は以前にみちくさ学会ですでに取材済みですので、坂道自体の細かい話については、そちらの記事をみてくださいね。
電車がすぐそばを走る場所としてロケでもよく使われる駿河台と水道橋を結ぶ眺望坂


皀角坂(NO.220)0

で、この坂道、坂の途中から富士山がかつて見えた坂であることはみちくさ学会の記事でも書いたとおりです。
で(しつこい、笑)、その富士山が坂道からいつごろまで見えたかということが、今回だいたいわかったので、まずはその報告です。

というのも「江戸の坂東京の坂」という本に『四、五年前までは、昔の絵と変わらない美しい富士を見せてくれた。ことに皀角坂の上からは、靖国神社の大鳥居(今はないが)と大松閣の白い建物とのちょうど中間に、富士が見えたものである。』と記述があり、だけど今はビルで見えないということも書かれてありました。
しかも(著者の横関さんによれば)この坂をなぜ富士見坂ではなく皀角坂と呼ぶことにしたのか不思議だ、ということまで書くほど、かつてはクリアに坂から富士山が見えていたようです。
そして、この「江戸の坂東京の坂」は昭和56年に発行された本です。ということは、本の記述にある四、五年前までは見えていたという話が正しいのだとすると、おそらく昭和51年(1976年)ごろまでは、この坂からも富士山が見えていたということになると思われます。

なので、今ちまたで話題になっている日暮里の富士見坂はこの2、3年でビルが建ってしまい富士山が見えなくなってしまうかもという悲しいうわさが流れていますけど、今回の皀角坂でいえば、1976年ごろにそういう出来事をすでに経験してしまっているわけで、そういう意味では、この皀角坂と呼ばれている坂も、横関さんのいうとおり富士見坂という名前にしておけば、もうすこし結果が違っていたのかなあとすこし思ってしまいました。


皀角坂(NO.220)1
写真1

話は変りまして、まずはこちら。
坂の名を記した石碑らしいのですが、今回坂道歩いた時は、さいかちの“ち”の文字部分が地中に埋まっていましたよ。(笑)
舗装工事の時、石は移動せず、上からタイルで覆った感じがなんともです。。
そしてこれはめんどくさかったからなのか、それとも石をなるべくうごかさないようにそっとそっと〜という、ちょっとしたおもいやりからなのか・・・。(う〜む。)
しかも野草がちょびちょび、タイルと石の隙間から生えてる感じもなんだかですな。
まあこんなちょっとしたところにも坂道の歴史ありという感じですかね。

あ、あと歴史を感じるといえば、坂の途中に「神田上水懸桶跡」なんていうものもあったので気になる方は検索でもしてみてください。


皀角坂(NO.220)2
写真2

そして、実はこんな看板も坂の途中にありましたよ。(笑)
ただどのへんにあるのかは、ここでは明かしませんので、興味あるかたは実際に坂道歩いて探してみてくださいな。


ということで、あとはみちくさ記事でも書いた皀角坂の風景がちりばめられたいくつかの映画を借りてきてみるだけですよ。(笑)

せっかくなので、その作品リストものせときますね。↓

<作品リスト(皀角坂の風景がどこかに写っている映画orTV)>

★映画
『自由学校』(出演: 高峰三枝子など)1951年
屑籠を背負った南村五百助と長谷川金次が歩いていた坂道。

『少年探偵団・妖怪博士』(出演: 岡田英次など)1956年
怪人二十面相がアジトへ少年たちをおびき出すときに歩いていた坂道。

『女がいちばん似合う職業』(出演: 桃井かおりなど)1990年
きぬが佐山吾郎を追ってかけ下りた坂道。

『海猿』(出演:伊藤英明など)2004年
ラストシーンで仙崎大輔と伊沢環菜が歩いていた線路沿いの坂道。

★TVドラマ
『ロングバケーション』(出演:木村拓哉など)1996年
瀬名秀俊と葉山南が歩いていた坂道。

『北の国から(92巣立ち、95秘密、98時代)』1992年〜1998年
黒板純と松田タマコが歩いていた線路沿いの坂道。

『離婚弁護士II』(出演:天海祐希など)2005年  
間宮貴子弁護士事務所近くにある線路沿いの坂道。

『ケータイ刑事 銭形雷』(出演:小出早織など)2006年
銭形雷と岡野富夫が事件終了後に会話していた道。

『めぞん一刻』(出演: 伊東美咲など)2007年
五代裕作が通う「明治予備校」のある坂道。

『猟奇的な彼女』(出演:草なぎ剛など)2008年
眞崎三朗が人力車を引いていた坂道。

『貧乏男子』(出演: 小栗旬など)2008年
オムオムが車の中から白石涼に声をかけて誓約書を渡した道。

『アタシんちの男子』(出演: 堀北真希など)2009年
小金井響子が電話で峯田千里と防犯装置のことを話していた坂道。

『SPEC』(出演: 戸田恵梨香など)2010年
地居聖が電話をかけていた坂道。

『生まれる。』(出演: 堀北真希など)2011年
林田愛美が歩いていた坂道。

(多いですね〜。)

と、いう感じです。


地図
千代田区神田駿河台2

所在地:千代田区三崎町1


おぐり坂とよぶそうです。
場所はJR水道橋駅から徒歩2・3分のところにあり、坂上は皀角坂に面しており、そこから南のほうに下る緩やかな坂道です。


小栗坂(NO.219)1
写真1

ではさっそくですが、写真1は坂上から坂下のほうを眺めたものです。
ゆるやかな勾配すぎて、途中に坂の碑がなければ、ここが坂道だと気が付かないくらいの場所だったかもです。
しかもこんなに広い道路なのに一方通行。
そしてまわりの様式の違うビルのファサードのごちゃごちゃ感を補うようになにげに(というか控えめに)街路樹もあったり。
個人的には、なんていうか空見上げるとちょっと気分がくらくらしてきますが、道だけみてると落ち着いた道路に見えなくもないかなあという印象でした。


小栗坂(NO.219)2
写真2

こちらは写真1の左側にあったビルのファサードのアップ。
今時のビルにしては凝ったつくりかもですね。
でもまあしいていえば、ビルのガラス張りの冷たいイメージに、なにげにこのような装飾、しかもこの地域のビルに多い茶色系の色を混ぜることで、なんとかがんばってこの地域にとけ込んでみようかな(みました)という雰囲気をだそうとしてるのかもなあと、ちょっと思ってみたりしました。


小栗坂(NO.219)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみてみました。
なので正面がJRの線路で、その下の道路が皀角坂ということになります。

あと、ここからもちらりと見えていますが、ここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を小栗坂といいます。『江戸惣鹿子名所大全』には「小栗坂、鷹匠町にあり、水道橋へ上る坂なり、ゆえしらず」とあり、『新撰東京名所図会』には「三崎町一丁目と猿楽町三丁目の間より水道橋の方へ出づる小坂を称す。もと此ところに小栗某の邸ありしに因る」とかかれています。明暦三年(一六五七)頃のものといわれる江戸大絵図には、坂下から路地を入ったところに小栗又兵衛という武家屋敷があります。この小栗家は「寛政重修諸家譜」から、七百三十石取りの知行取りの旗本で、小栗信友という人物から始まる家と考えられます。』
とありました。

ちなみにこの坂、江戸の古地図を見てもちゃんと今と同じ位置に道があり、そこに小栗坂って記載ものっていましたよ。


小栗坂(NO.219)4
写真4

で、歴史的にも古い坂道ということはわかったわけですが、この坂、実はビルとの隙間からこんな風景も楽しむことができました。
場所でいえば、写真3の右側あたりにちらりと見えていて、ちょうど左奥が皀角坂ということで、写真左から右へと上り坂になっていてさらに手前から奥へと崖になっている地形なので、ビルの高さ具合と地形のせめぎあいがなんともおもしろい感じで成立している場所でした。


小栗坂(NO.219)5
写真5

そして、あっというまに坂下までやってきました。
そういえば、この記事書いてる時に古地図の本の解説に『坂下の中坊陽之助邸は松尾芭蕉の旧跡、芭蕉蔵で知られる。』とあったので、どこぞや?と思い、地図やら古地図など見つつ調べてみても、結局近くにはそういう場所はなくどこにあるのかわからずじまいだったのですが、その後(といっても1時間後くらいですが、笑)、ネットで調べたらなんと明治大学のサイトにいきあたり、そこに『明治大学は俳人、松尾芭蕉のゆかりの地です。現在リバティタワーがある場所は江戸時代、4000石の旗本・中坊(なかのぼう)氏の屋敷があり、その中の蔵に芭蕉は仮住まいしました。のちにその蔵は「芭蕉蔵」と呼ばれています。』なんてことが書かれていましたよ。
いちおうその知識を得てから、古地図みてみると、小栗坂のはるか坂下の今の明治のリバティタワーがあるあたりに、たしかに中坊陽之助邸という記載がありましたよ。
へえー、そうだったんですね。(笑)
地味な坂だなあと思ってたら以外な史実にぶつかって、不思議な縁を感じてびっくりという思いですよ。
なのでまたそのうち、その蔵がどうなったかも調べてみますかね。


地図
千代田区三崎町1


※はじめにでてきた小栗坂の坂上と接している皀角坂(さいかち坂)については、みちくさ学会ですでに記事にしていますので、そちらもよかったらどうぞ。
電車がすぐそばを走る場所としてロケでもよく使われる駿河台と水道橋を結ぶ眺望坂

所在地:千代田区猿楽町1


おとこ坂と呼ぶそうです。
場所はJR御茶ノ水駅から水道橋駅方面に歩いて徒歩5分くらいのところにある階段坂です。


男坂(NO.218)1
写真1

ではさっそく写真です。
写真1は見てのとおりですが、坂上からのもの。
かなりの急勾配の階段です。
まわりのビルと見比べてみると、おそらく4階分くらいの高低差はありそうですね。
ちなみに松本さんの階段本によるとここは73段で高低差は13.1mだそうですよ。


男坂(NO.218)2
写真2

いちおう坂上から階段入口あたりをみてみるとこんな感じでした。
ふつうに崖ですね。。
しかもここ、いちおう南西にくだる階段なので、もしかしたら昔は富士山見えたかもですね。
ただ正確に言えば、そういうこと書いている資料もなく、軸はかなりずれていて、写真2でいえば右側のほうにみえるはずなのですが、今はちょうど右側にある明治大学の校舎がもろにじゃましているという形なので、現在ネタとしては確認不可能という感じです。
でもこれだけの高低差があって見晴らしもよさげなので、昔もこの地形のままということなら、やっぱり富士山ちらりと見えてたかもですね。
なのでこれは今後の宿題として保留という形で、富士見坂カテゴリーに追加しておきますよ。(とりあえず、わかりしだいみちくさ学会の記事でも紹介してみるかもですので、あしからず。)


男坂(NO.218)3
写真3

そして、坂を半分くらい下りて、坂上のほうを見てみました。
見上げるだけで首が痛くなってきそうです。
坂道風景的には、やっぱり坂上あたりの樹々が良い感じ。
坂上にあるのでなんかすごく大きく感じてしまいました。

あと、写真でも見えているとおり、ここにも坂の碑があり、
『この坂を男坂といいます。駿河台二丁目一一番地の端から猿楽町へ下る石段の坂「女坂」に対して名付けられたものです。この坂のできたのも比較的新しく、大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。男坂は同一場所、あるいは並行してある坂の急な坂を、女坂はゆるやかな坂というように区別されて名付けられています。』
とありました。

ふつう男坂といえば、お寺の境内にある男女坂を思い出しがちですが、ここでは違うみたいですね。
まわりにお寺もないみたいですし。。


男坂(NO.218)4
写真4

最後は坂下からです。
坂下からみると迫力ありますね。
でもやっぱり両サイドの手摺といい、端正な階段のつくりや勾配具合といい、ほんと坂上にお寺の施設かなにかがありそうな雰囲気満載なのですけど、ないんですよね。

とにかく、名前といいこの雰囲気といい、不思議な感じの坂道だったかもです。


男坂(NO.218)5
写真5

最後といっておきながらのおまけ写真です。
なぜか坂下あたりの上空には歩道橋がありました。。
ここからみるとさらに不思議な風景がひろがっていましたよ。


地図
千代田区猿楽町1

所在地:千代田区猿楽町1


(気がつけば久しぶりの御茶ノ水の坂話ですが、とりあえず前の続きということで。。)

きんか坂と呼ぶそうです。
場所は、御茶ノ水の山の上ホテルや明治大学(リバティータワー)の校舎のすぐ西側にあり、南北に続く長い坂道です。


錦華坂(NO.217)1
写真1

で、さっそく写真ですが、こちらは錦華坂の坂上あたりの様子です。
道幅の割に両サイドの建物の背が高いせいか御茶ノ水界隈の道にしてはすこし狭く感じる坂道で、しかも遠くには明治のリバティータワーなぞも見えていて、なんていうかすごくスケール感の違うものが混在していて、うまく言えないですけど変な風景画を見ているような気分になってしまいました。


錦華坂(NO.217)2
写真2

もうすこし坂を下ると坂下のほうまで見わたせる場所があったので、とりあえず坂下のほうを眺めてみました。
あいかわらず道幅は狭いですが、まわりは山の上ホテルをのぞけばすべて大学の施設ということもあり、緑も多めで、ふつうの街なかにみられる坂道風景とはすこしちがったなんか独特な雰囲気が漂っていましたよ。
そしてこのあたりからは、坂下のほうを見てもらえればわかると思いますが長い直線の坂道で高低差もけっこうある感じでした。


錦華坂(NO.217)3
写真3

さらに坂を下り、写真2でも見えていた横断歩道のあるところまできてみました。
坂道はまだまだ続きそうな感じですが、ここではなんといっても、左手にみえている山の上ホテルですかね。
といってもまあ、ここで見えているのはホテルの裏側なんですけどね。
どちらかといえば表の風情のあるものとはすこし趣が変り淡々とした感じだったですかね。


錦華坂(NO.217)4
写真4

あと写真3の左側にはこんな風景が広がっていました。
右側の山の上ホテルの本館をみながらの急勾配の坂道に、坂上の別館というなんともいえない風景。
ただこの坂道には名前はついていないようでした。


錦華坂(NO.217)5
写真5

そして、写真3の位置よりさらにさらに坂を下り、今度は坂上のほうを眺めてみました。
位置的には正面にみえているトラックのむこうあたりが山の上ホテルということになります。

またこのあたりに、いつものように坂の碑があり、『この坂を錦華坂といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。この坂は大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路です。「議決要綱の三」には"南甲賀町より袋町三番地を横断して裏猿楽町二番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設"とあります。』
とありました。

ちなみに、坂の碑には「この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。」とありますが、これ江戸東京坂道事典によれば、「“異本武江披砂”によれば、江戸時代はこの坂を勧学坂、または勧学坂と名づけている。」と書いてあるんですよ。
本ではそのあとこの勧学坂の名前の由来についてあれこれ推測しているんですが、ここではその話は置いておいてとりあえず江戸時代の古地図を見てみたわけです。
するとどうやら、たしかにこの錦華坂とよばれている道は増設された様子が伺われるわけなんですよ。でも古地図で見比べた感じでは坂上のほう、写真でいえば写真2あたりの道は江戸時代にもあったみたいなので、かつては坂上あたりの場所を勧学坂と呼んでいたのかもしれないですよ。
そしてこの写真5のあたりは、坂の碑にあるとおり大正一三年以降に増設された坂道というのが僕の予測です。

そんなわけなので、個人的にはこの坂道、坂上と坂下で名前変えてほしいなあというのが僕の希望です。(笑)
坂上が勧学坂、坂下が錦華坂という具合にですね。。

あと、地図みると実は錦華坂の名前の由来になった錦華小学校が見当たらないんですけど、実はこの小学校、1993年4月に小川小学校、西神田小学校を併せて統合され、お茶の水小学校となったようで、そのお茶の水小学校は現在、ちょうど明治大学の西隣にあったりします。
またこの錦華小学校知ってる方も多いとは思いますが、あの夏目漱石も学んだ小学校でもあるらしいですよ。


錦華坂(NO.217)6
写真6

そんなわけで、やっと坂下あたりまでやってきて、さらに坂下のほうを見てみました。
写真では左側に明治大学の校舎、右側には錦華公園の樹々がたくさんみえていました。
なので今では錦華坂の名前の由来に関係する地名といえば、この錦華公園ということになるんですかね。。
でもこの錦華公園も実は大名屋敷の庭園であったというなんとも歴史のある公園らしいです。(しかもこの公園、つくり的にも高低差満載の公園なんですよね。。)
なんかいろいろでてきますね。

ということで歴史好きな人はここから漱石さんの話とか色々続けていくんだろうとは思いますが、ここではとりあえずこんな感じです。。


地図
千代田区猿楽町1

所在地:千代田区神田駿河台1


きちろう坂と呼ぶそうです。
場所は文坂(NO.215)の坂上のほうでちょうど今回の吉郎坂の坂下が接続しており、さらに吉郎坂を下る方には甲賀坂(NO.214)と接続して、要は地図的にみると、十字架の縦長の部分が文坂(NO.215)で左が吉郎坂、右側が甲賀坂(NO.214)という感じのちょっとした坂ずくしの場所でもあったりします。

ただこの吉郎坂という名は区が認めた正式なものではないらしく、かつては胸突坂(むねつき坂)と呼ばれていた時期もあったそうです。(もしくは別名。)
胸突坂の名前については、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」に記載があり、『「新撰東京名所図会」には「胸突坂 袋町の間を東より西に向ひて上る坂あり胸突坂といふ、胸突坂は急峻なりしより起これるなるべし。新編江戸志にも胸突坂とありて、小川町より駿河台の方へと上る坂なり」とある。』と書かれています。


吉郎坂(NO.216)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの風景です。
手前の通りが文坂(NO.215)で、左にリバティータワー、右が大学会館という場所をさらりとかけあがっていく短い急坂となっていて、ここから見る分には道の両側が明治大学の施設ということもあって、どこか学校の施設内に入っていくような気分になってしまいました。


吉郎坂(NO.216)2
写真2

それで次は、ちょっと坂を上って坂下のほうを見てみました。
ちょっと上っただけで、まわりの建物をみてもらうとわかりやすいかもですが、すでに2階床レベルくらいの高さまで上ってきているようでした。
いちおう正面の通りの向こうにある道が甲賀坂(NO.214)なんですけど、ここから見る分には普通の平坦な道のようしか見えませんかね。。

ちなみに写真ではちょっとわかりにくいですけど、坂下の横断歩道の右側のちょっと手前あたりにこの坂の名が記された石碑が置いてあるんですよ。
ただ、そこには坂の現在の名前(吉郎坂)が記されているのみなのですが、実は明治大学の公式サイト内に、この吉郎坂についての名前の由来の説明が書かれていて、それによるとこの坂は佐々木吉郎という明大の経営学部を創設した先生の名前に由来しているらしく、サイトには『彼は人格的にも「吉ちゃん」と親しまれ、なんと彼の名に因んだ坂もある。駿河台の大学会館とリバティータワーの間、ヒルトップ・ホテルに緩やかに続く坂が「吉郎坂」と命名されている。(確認したい人は、リバティータワーの脇に、「吉郎坂」と書かれた石標を見ることができる。かつて作家の田辺聖子が“とぼとぼと”この坂を歩いていた。)』と書かれていました。

まあなんていうか、なぜこの吉郎先生とこの坂がつながったかは不明で、かなりの強引感はありますけど、とりあえず今回はこれ以上の深追いはしないことにしてみます。


吉郎坂(NO.216)3
写真3

今度は坂上のほうを眺めたものです。
もうこのあたりからも坂上の頂上のほうが見えていました。
あとは狭い道のくせして、左右に歩道があるあたりが、なんだか変な感じというか大学施設にはさまれた、ある意味穏やかな感じのする坂道なのかなあと。


吉郎坂(NO.216)4
写真4

そして、坂上には、写真3からも見えていた山の上ホテルがでんと構えていました。
山の上ホテルについてはかなり有名なので知ってるかたも多いと思いますので、詳しくはウィキペディアの説明でも見てみてください。
ホテルの歴史から建物自体にはじまり作家の定宿としても知られるなど、けっこう見所のあるホテルですので。
山の上ホテル


吉郎坂(NO.216)5
写真5

で、肝心の坂上からの眺めはこんな感じでした。
両サイドにのっぽのビルがあるわりには、なんとなくひらけている感がある景色だったかもです。


216)6
写真6

そんでもって空見上げてみるとまあ、こんな具合でした。
これが出来る前はもっとスカっと空見えてたんでしょうけど、今はなんとなく見下ろされている感がなんともなんともだすなーという感じでした。
そういう意味では、この背後にある山の上ホテルからの坂の眺めも昔はもっと景色がよかったんでしょうかね。


地図
千代田区神田駿河台1

所在地:千代田区神田駿河台1あたり


前回の甲賀坂(NO.214)の坂上と交差している道路で、現在は明大通りとよばれている大通り自体が今回の坂道ということになり、御茶ノ水駅からも徒歩5分くらいの場所にあります。
ちなみにこの坂道には、いつものような坂の碑はなかったのですが石碑があり、そこに「文坂」と刻まれているのみだったため、実際のところここを「ふみ坂」と読むのか「ぶん坂」と読むのかどうかまではわかりませんでした。
しかもこの坂、千代田区のHPの坂紹介ページにもないんですよね。。(まあいちおう坂道本で紹介しているものはいくつかありますけどね。)


文坂(NO.215)1
写真1

で、こちらは文坂の坂下あたりであろう場所から坂上の方を眺めたものです。
わかる方はわかるかもしれないですけど、左右を走っている道路は靖国通りで、この左側エリアが神田古書街ということになります。
坂道自体は、写真ではわかりにくですけど、ゆるやかなんだけど歩いているとそれなりに傾斜具合を感じることができる坂道という感じでした。


文坂(NO.215)2
写真2

すこし坂を上って坂下のほうを見てみるとこんな感じでした。
両側あわせて5車線なのでかなり道幅広いですね。
いちおう古地図見てみましたけど、ここはやはり昔からある道みたいですけど、かつてはここまで幅広な道ではなさそうでしたよ。


文坂(NO.215)3
写真3

そして、もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てみました。
写真ではほんとわかりにくいですけど、いちほう上り坂になってます。
しかも左側にでーんと高層ビルみえてますけど、こちらが明治大学の校舎(リバティータワー)で、建物的にもいろいろ工夫されている有名建築らしいです。
あと、写真左にはなまるうどんの看板みえてますけど、ここから左へと抜ける道路が、実は富士見坂 (NO.5)だったりします。


文坂(NO.215)4
写真4

写真4は撮った時期は違うんですけど、これが通り(というか文坂)からみた富士見坂 (NO.5)です。
ちょうど文坂側が坂上になっています。
ということは・・・。
この文坂(NO.215)も歩いた限りではどう考えても坂の途中から富士山ちら見えしてた可能性高いので、確定ではないですしだれも言ってないことですけど「富士見坂」と別名で呼んでもいいのかもしれないですね。(なので、これも「みちくさ学会」で取り上げようか迷ったんですけどね。ただもしかしたらもうすこし丁寧に調査したらいろいろな史実でてくるかもしれないのでだいぶあとに取り上げる可能性もなくはないですけどね。)


文坂(NO.215)5
写真5

そんでもって、写真5はさらに坂を上り坂下のほうを眺めたものです。
このアングルからだと坂の勾配具合や高低差具合、わかりやすいんじゃないですかね。


文坂(NO.215)6
写真6

ただすこし坂を上ると、もうこのあたりから勾配具合はかなりのゆるゆる度で、よくよく考えれば、右にリバティータワー、左に日本大学法科大学院の建物(こちらも有名建築だったりするのですが)があるので、階段で言えば踊り場のような場所になっているのかもなあと。


文坂(NO.215)7
写真7

最後は写真6からだいたい同じ場所より坂上のほうを見たものです。
見た感じではここからまたすこしだけ上り傾斜になっていますかね。
そして、正面にみえている東京医科歯科大学のビルの手前あたりが神田川ということになります。
それにしてもやっぱり道幅広いですね。
でもまあこれぐらいの道幅だと道のほうに意識いくので坂道散歩の時はおもしろいちゃあおもしろいんですけどね。


地図
千代田区神田駿河台1あたり

所在地:千代田区神田駿河台1


こうが坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた池田坂(NO.213)の坂下から西へ上る坂道で明大通りにぶつかるまでの道が今回の坂道ということになります。
そしていちおう古地図も確認してみましたけど、この道はいちおう昔からある道みたいです。


甲賀坂(NO.214)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下あたりの様子など。
見てのとおりここって坂なの?と思ってしまうくらい勾配具合はゆるく、しかも写真奥に信号見えてますけど、あのあたりが坂上ということで距離も短い坂道です。
また右側には日大の校舎が見えているとおり、このすぐ右側も坂道になっていて上でもあげた池田坂(NO.213)がぼぼんと控えています。


甲賀坂(NO.214)2
写真2

次はさらに坂を上り、坂上のほうを見てみたものです。
左側は広大な駐車場となっていて、さらに奥には明治のリバティータワーがそびえ建っていて、空地に高層ビルという感じでどこぞの再開発地域なんでしょ?と思いたくなるような景色が広がっていました。


甲賀坂(NO.214)3
写真3

またちょうど写真2の右側に日大歯学部の建物があって、その道路際にこんな銅像があったわけですけど、やっぱり無視できませんで、なんとなく日本的な感覚でみると(というか大仏さん想像してですけど)、こんな雨風激しくあたるとこにたてちゃって大丈夫なんですかねなんて思いつつ、でも銅像っていえばやっぱり青空の下にあるもんだよなあと思いなおしてみたりと、まあいろんな考えがぐるぐるとまわりつつ、思わず近寄ってぱちりと一枚。(笑)


甲賀坂(NO.214)4
写真4

そして、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
のっぺらりんとした坂道で、都心らしく高層ビルもたくさんあって、こちら側からみると坂下からみた感じと違い、どちらかというと丸の内あたりの雰囲気とかぶってくるというか、そういう気もしてくるんですけど、どうでしょ。


甲賀坂(NO.214)5
写真5

あと、写真4の左側に東京YMCA会館なる施設があるんですけど、ここけっこう有名な施設らしくてHPをみると、「日本では、初めて公にYMCAの「Young」を「青年」と訳し、広く用いるようにした。」なんてことが書かれていて、ほかにもバスケやバレーボールを日本に紹介したのもここに所属していた人たちだったなんてことが書かれていましたよ。ただ個人的には、この建物、僕が大学在学中に学校で教えていた先生が設計されたビルということで記憶していただけだったので、今回、坂道資料をいくつか見ながらあらためて、ほほーと思いなおした感じでした。

ちなみにここにもいつもの坂の碑があり、
『この坂を甲賀坂といいます。「東京名所図会」には”南北甲賀町の間に坂道あり、甲賀坂という。甲賀の名称の起源とするところは往昔、甲賀組の者多く居住せし故とも、又光感寺の旧地をも記されるが云々”とかかれています。どちらにしてもこのあたり甲賀町と呼ばれていたことから名がつけられました。甲賀町の名は、昭和八年(一九三三)から駿河台一、三丁目となりました。』
とありました。

なので、昔はこのあたりは忍者屋敷ということだったんですかね・・・(わかりませんけど)。
でも今はYMCAだったり学校の施設だったりと、まあそのつながりみたいなものはちょっと想像できないものとなってしまったかもですね。

ということで、あとは「甲賀組」というキーワードでここからたらたらとさらに調べたくなってきてしまいましたが、それすると話長くなりそうなので(汗)、とりあえず今回のところはこんな感じです。


地図
千代田区神田駿河台1

所在地:千代田区神田駿河台1


(気がつけば期間あいちゃいましたので、そろそろということで。)

いけだ坂と呼ぶそうで、別名で唐犬坂とも呼ぶそうです。
場所は雁木坂(NO.212)の坂上とつらなっていて、そこから南西方向に下る坂道です。


池田坂(NO.213)1
写真1

まずは坂上からの景色でも。
普段ならこのあたりはタクシーなどがいつも待機している場所で写真撮る時はあまりうまくないのですが、このときは休日だったこともあり、車もいなくて、学生もほとんど歩いてなくて、なかなか良い感じで坂道を見渡すことができました。
ここからでも坂下の様子が見えているとおり、それほど長い坂でもなく高低差も建物2階分くらいのもののようでした。
また周りの建物も大学関連の施設ばかりということもあり、よくある住宅街やオフィス街にあるようなものとはひと味ちがった雰囲気の風景を体験できたかもです。


池田坂(NO.213)2
写真2

左のほうを振り返ると、ニコライ堂も見えていました。
なので場所関係はこんな感じです。


池田坂(NO.213)3
写真3

そんなわけで、一気に坂下までやってきてしまいました。
とりたててみるべきポイントみたいなものはないですけど、しいていえばここ通るたび、道路がいつも工事中のようなに荒れてるなあというのと、まわりの建物がいい感じの煉瓦色系の建物多いのに、左隣の日大理工学部校舎だけがなんでここだけガラス張りの建物にしちゃんたんだろう?という感じですかね。。

ちなみにここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を池田坂といいます。この辺りに池田姓の旗本が屋敷を拝領したためといいます。「新撰東京名所図会」には「池田坂は、北甲賀町の中央にあり。駿河台より小川町に通ずる坂路なり、其昔坂の際に、池田氏の邸宅ありしより以て名とす、一名唐犬坂といふとぞ。「新編江戸志」には、「池田坂 唐犬坂とありて、池田坂 唐犬坂とありて、むかし池田市之丞殿屋敷に唐犬ありし故、坂名とすと見えたり。」とかかれています。大名・旗本の系譜である「寛政重修諸家譜」によれば、この家は池田政長という人物に始まる九百石の旗本と考えられます。』
といろいろ親切に書かれていました。


地図
千代田区神田駿河台1

というわけでやっと本題です。
そして今回も同じく神田明神つながりの話です。


神田明神曙之景と坂道風景1

まずは神田明神男坂の坂上からの眺望など。
とりあえず、この坂のこまかいことについては、過去の記事を見てもらうとして、この景色を見てもわかるとおり、この神田明神は湯島台地の東端にあるので、こんな具合に急勾配な崖に近い高低差のある坂道があるわけですけど、やっぱり遠くを見るとビルばかりです。

でもこの前、神田明神の公式HPを見てたら、実はこの神田明神男坂についての記載があり、『天保年間に神田の町火消4組が石段と石灯籠を奉献した。眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれた。又、当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれる。』
とありました。

それでいちおう神田明神男坂の過去記事を改めてみてみても灯籠らしきものはなかったですが、石段は多少の改良工事はあったとはいえ、写真で見た感じでは、おそらくそれほど変化してないのではないかと考えらます。
そして、もうひとつが江戸時代は眺めがいまよりもよくて観月が行われ、さらには灯台の役目もはたしたとのこと。
まあこれはもちろん坂道の話というより、神田明神のことだとは思いますけど、やっぱりそれほどまでに景色がよかったんですかね。


神田明神曙之景と坂道風景2

そこで、当時の風光明媚具合を知りたかったので、こんなものを見つけてきました。(笑)
広重さんの「神田明神曙之景」なるタイトルの浮世絵です。
こちらは神田明神境内から東の海側方向を描いたものらしいのですけど、こうしてみると当時はほんとうに景色がひらけていたんですね。
しかも早朝の朝焼け具合もすごく良い感じで描かれてます。
これなら、ここが昔、灯台の役目もはたしたということもなんとなくわかるかもですね。

なので、おそらくこのすぐ隣にあったであろう神田明神男坂も似たような景色が坂上ではひろがっていたのかもしれないですね。


神田明神曙之景と坂道風景3

ちなみに、絵の雰囲気から、現代の境内の場所を推測してみるとたぶんこのあたりかなあという場所で、同じく東の海のある方向を眺めながらぱちりと一枚。

そんなわけで、もしかしたら、浮世絵に描かれているようにゆっくりすわって景色を眺められる眺望場所が境内からなくならず昔からずっとここに残っていたなら、現代のここから眺めることができる風景もちょっと違ったものになっていたかもなあなんて妄想もしつつ、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区外神田2

今日も息抜きエントリーです。。

とりあえず前回に引き続き、神田明神をぶらりとしていると、


神田明神いろいろ1

こんな風景を見つけました。

もうだいたいお分かりかと思います。

でもこれだと本殿がメインといった感じですね。


神田明神いろいろ2

そんなわけでやっぱりもう一枚。

はい、これでどっちがメインかわからなくなりましたね。(笑)

でもなぜか東京タワーと違い、スカイツリーは上海あたりにポンと建ってそうな高層ビルのデザインしているせいか、個人的にはこういう風景撮ってみても東京タワーの時ほどの情緒感やコントラスト感がわいてこないというかなんというか。。

でもこの神田明神とはけっこう距離が離れているにもかかわらず、これだけ大きく見えているのはやっぱりすごいですよね。


神田明神いろいろ3

それから次は、けっこう何度かここに来てたわりに、今回はじめてこんなものがあることを知りました。
ちょっとわかりにくいかもしれないですけど、神社の駐車場の屋上部分に屋上庭園なるものがありました。
いつからあったんですかね?

ちなみに公式HP見ると、神田明神の鎮守の森の変りとして、もとからあった立体駐車場を縮小して回遊式・屋上緑園を造ったとの記述がありました。
(ということはけっこう最近できたものなのかもしれないですね。)

今年9月の新宿散歩の時にもすこしふれましたけど、なんていうか日本の神様も今の日本人と同様、高く浮揚する感覚がお好きなのかもしれないですね。


神田明神いろいろ4

ということで、最後は同じく屋上庭園の入口あたりにあったおみくじなんかに書いてそうなもの(神様の言葉?)が、さらりと設置してあったので、思わずぱちりと。


住所
千代田区外神田2

所在地:千代田区神田駿河台2

がんき坂と呼ぶそうで、場所はここもJR御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあり、紅梅坂(NO.207)の坂上からだと西へ歩いて1分くらいのほんとうに間近にあり、そこから西にある明大通りへと下っている坂道です。


雁木坂(NO.212)1
写真1

まずは坂上からの風景です。
見てのとおりなんですけど、ここ本当に昔からある坂道なの?と疑うくらい平坦具合が強くてちょっとびっくりするくらいでした。

でもこのすぐ横あたりに、おなじみの坂の碑があり、
『この坂を雁木坂といいます。今はその面影はありませんが、昔は急な坂で雁木がくまれていたといいます。雁木とは木材をはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には「駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに「ガンキ木サカ」としるされたり」と書かれています。』
とあり、また古地図で確認してみても、現在とほぼ同じ位置に道があり、坂名まで書かれていたので、ここが昔からある坂道だということは正しいと思われます。

そんなわけで、いつごろに地形がいじくられたのかは不明ですけど、僕が歩いた限りでは、現在の雁木坂はほんとうにかつての急勾配の坂道の痕跡すらない感じだったかもです。


雁木坂(NO.212)2
写真2

また後ろを振り返って坂上のほうをみてみると、ニコライ堂がちらりと見えていました。


雁木坂(NO.212)3
写真3

次は、一気に坂下あたりまでやってきて、坂上のほうを眺めてみました。
ここからだと、坂の勾配具合もなんとか確認できるかもですね。
あとは左の樹がなんとも気になるところですが、歩いたときには樹の左側にある杏雲ビル(ここからだと隠れていて見えてませんけど)のものかなあと思ってたんですけど、この写真3をよくみると、いちおう歩道上にあるみたいですね。
ということは公共の街路樹なんですかね。
(まあどうでもいい話なんですけど・・・。)


雁木坂(NO.212)4
写真4

そして最後は写真3でもちらりと見えているのですけど、日大病院のビルの側面の配管がなんだかすごい感じだったので、思わずぱちりと。。
なんかもうここまでくるとアート作品みたいですね。

そんなわけで、今回はこんな感じです。


地図
千代田区神田駿河台2

前回、御茶ノ水の坂道の話がでたついでに、今回は前にみちくさ学会で、同じく御茶ノ水にある坂「日本一の古書店街を見守り続ける富士見坂」の記事を寄稿したついでのこぼれ話でも。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ1
写真1

短くて勾配もゆるくて、けっこうつっこみどころない坂なんですけど、とりあえず坂上の明大通りから富士見坂を眺めたものです。
こちらは寄稿した記事にはのせなかったものなんですけど、散歩の時は、通り沿いの手前のビルが坂道に対してやけにアンバランスに背が高かったので思わずぱちりと。
しかも僕が写真撮るために立っているこの明大通りと呼ばれる道も実は坂道になっていて、写真1の左右でけっこう複雑な高低差具合になってました。
なので右側のビルに入居しているはなまるうどんの店舗への入口もなぜか階段になっているという具合で、これはこの道路が右側へ上り傾斜になっていて、そちらの高い側を一階レベルにしたのでこんなややこしいつくりになってしまったようですね。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ2
写真2

あと、坂上からすこし下って坂上のほうをみると、なにやら変わったつくりのビルがふたつ見えていますけど、こちらは(寄稿した記事ではほにゃららと流してしまったんですけど)、左側が「お茶の水スクエア」といい、右側が「明治大学・紫紺館」というそうです。
なんていうか使い勝手はどうなのかわかりませんけど、どちらも知る人ぞ知る建物で、建築散歩する際には見学コースにいれてみると玄人の人(=マニア)ならほほ〜と喜ぶという感じのものですかね。(笑)

あと、坂上あたりにある緑の看板に「ロシア料理サラファン」とかかれているのが見えているのですが、こちらさらにその横にちょっと写真じゃ見にくいですけど、「御茶ノ水で40年」という謳い文句まで書かれていました。
ということはこの坂道に店を構えてから40年!。
(ごくり。しかも違う意味で・・・。笑)
なんとも、そんなに歴史あったんですね、また今度食べにでも行ってみますかね。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ_03
写真3

そして、この坂道沿いにも(正確に言えばちょっと違うんでけど)、古本屋さんありました。
けっこう前からあったような気もするんですけど、ちょっと記憶が定かではないです。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ_
写真4

最後に、あまりこのブログでは登場しませんけど、いちおう坂の碑も記念に毎回撮ってたりします。
でもなぜか過去記事(富士見坂 (NO.5))にはのせていて、10年ほどまえの富士見坂の碑は手描き感いっぱいという感じだったのが、現在のものはだいぶきれいになっていました。

ちなみにこの坂の碑の説明にでてくる「新撰東京名所図会」は1896年(明治29)より発行されたシリーズ本です。(いまさらですけどね・・。)

というわけで、そんな名前のはじまりみたいなことをふつふつと考えていたら、実は「富士山」という名がいつからそう呼ばれていたのかどうか、かなりあいまいに理解していたので、そんなことまでこまかく調べてしまいそうな勢いの今日この頃です。。


住所
千代田区神田小川町3あたり

所在地:千代田区神田淡路町2


しん坂と呼ぶそうです。
場所は、幽霊坂(NO.208)と並行な一本南側の道を東へと下っていて、坂上は本郷通りに面している坂道です。


新坂(NO.210)1
写真1

まずは坂上からのものです。
とりあえず、ここからすでに坂下のほうまで見えていて、両サイドには高層ビルが建ち道路に対してセットバックしているので、まだこのあたりは平坦で見た目にも広く見えるのでなんとなく殺風景な感じの道路(坂道)という風に見えなくもないですかね。
しかもこの道路、標識見えてますけど一方通行になってましたよ。
なんというかこれぐらいの道幅で両側通行のところはたくさんありそうですけど、やっぱり土地柄なんでしょうかね。


新坂(NO.210)2
写真2

とりあえず写真1でフレームに収まりそうになかったので、思わず空を見上げてぱちりと。


新坂(NO.210)3
写真3

そして、道路が傾斜しているあたりまでやってきて坂下のほうを見てみました。
ちょっと変わった雰囲気のする坂道といえばそんな感じもしなくもないですかね。
そんでもってやっぱりここも一通の道路でした。
なので車でこの坂道を通るときは下ることしかできません。(笑)

またここには写真3でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり、
『この坂を新坂といいます。『東京名所図会』には“新坂は維新の後、新たに開かれたる道路なり、昔は観音坂と紅梅坂の間、阿部主計頭の屋敷にして、此処より駿河台に登る通路なかりし、崖の上には今も旧形を存せる彼の練塀の外囲ありしなり、此の練塀を道幅だけ取毀ちて道路を開きたり。故に俗呼んで新坂といへり”とかかれています。維新の後とのみかかれその年月は不明です。』
とありました。

ちなみに、説明には維新後にできた坂と書いてあったので、古地図でも確認してみたのですけど、やはりそのとおりなのか江戸時代にはこの坂道に該当しそうな道はありませんでした。


新坂(NO.210)4
写真4

そして、あっというまに坂下までやってきました。
こうして坂上のほうを眺めてみると、以外と高低差あったんですね。
見た感じでは建物一階分くらいですかね。

でもこの北側(右側)を並走している幽霊坂(NO.208)や淡路坂(NO.209)はこれどころの高低差ではないはずので、なんだか不思議な感じですね。

あと、坂の右側には「淡路公園」という公園があったそうですが、今は「淡路広場」という名(千代田区のHPによると)になっているようです。
ただ今はオレンジというかピンクというかそれ系の色の建物が建っているみたいで、地図やら航空写真をみるかぎりでもどこが「淡路広場」なのかまではちょっとわかりませんでした。


地図
千代田区神田淡路町2

所在地:千代田区神田淡路町2


あわじ坂とよぶそうで、別名で相生坂、大坂、一口坂(いもあらい坂)ともいうそうです。
場所はまさにJR御茶ノ水駅から目と鼻の先にある聖橋の南端が淡路坂の坂上あたりになります。


淡路坂(NO.209)1
写真1

坂上あたりに様子です。
このあたりはJR御茶ノ水駅の東口にあたる聖橋口改札をでるとすぐに見えるところなので、ああここね!とわかる方もいるかもしれませんね。
ちょうどすぐ左手はJRの線路で、坂は秋葉原のほうに向かって下っていっています。


淡路坂(NO.209)2
写真2

ちょっと横をみると、すぐ左手前には聖橋、線路の向こうには湯島聖堂もちらりと見えています。


淡路坂(NO.209)3
写真3

さらにその横には、なんとも神秘的な感じの巨木がでんとありました。
またこの巨木には、写真では手前の標識に隠れてちょっと見えていないですけど、簡素な木版案内板が設置してあって「太田姫神社」というタイトルで説明が書かれていました。
せっかくなのでそのまま抜粋してみますね。
『太田姫神社
太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削した時、江戸城の結界また鬼門の護り神として江戸城内よりこの地に移された。昭和六年(一九三一)総武線開通に伴い、現在の駿河台下に移る。尚鐡道(「甲武線」中央線の前進)は堀の中にあり、開通時天皇家との間に堀幅を減じない中で商賣を営まない環境を守るとの約束がある(明治期鐡道史より)
この椋の木 落葉睫據_屬藁弌ー造惑算隋

あとついでなので、写真3でもみえている坂の碑も抜粋しておきます。
『この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの名称がつけられています。この坂の上に太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、それにもとづき町名、坂名がついたといわれます。
一口坂については太田姫稲荷が通称一口稲荷といったためとされています。大坂はもちろん大きな坂という意味でしょう。』

てなわけで、このふたつの案内板でこのあたりのだいたいの歴史の流れみたなものもおわかりいただけたかと思いますので、僕がこまかく説明することはほとんどありませんが、ただひとつ気になったのは、この案内板から推測するとやっぱりかつての太田姫神社は、今の御茶ノ水駅(聖橋の下)があるあたりにあったのかもしれないですけど、こればかりはもうすこしこまかく調べてみないとわかりません。

ただ、「鐡道」と書いて「てつどう」って読むのにはちょっと驚いたかもです。(そっちですか・・・・。)


淡路坂(NO.209)4
写真4

では坂道に話はもどりまして、こちらは坂上からの眺めです。
このあたりからやっと勾配がつく感じでした。
かなりのハイレベルな坂風景といえるかもですね。
坂の高低差もかなりのもので、空も広く見えて、線路側に電線電柱がないのでJR総武線と中央線が合流している珍しい高低差の様子も坂下のうほうでみれますしね。


淡路坂(NO.209)5
写真5

今度はすこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
このあたりは、道の両側の樹木や草木に元気があってけっこう目に飛び込んできました。
遠くには駅前の新御茶ノ水ビルの高層ビルがでんと見えています。
あとは坂の左側が工事中なのでもしかしたら、なにかまた大きなビルが建つのかもしれないですね。


淡路坂(NO.209)6
写真6

そいでもって、歩いていると坂の途中でちょうど中央線の列車がガタンゴトンと走っていたので思わずぱちりと。
これまた坂道風景としてはかなりのレア度かもです。
しかも、手前の柵、現地では気がつかなかったんですが、なにやら鳥が休憩できないように、なかなか味のあるガウディー風のギザギザが最上部についていてなかなか面白いです。


淡路坂(NO.209)7
写真7

またちょっと坂を下った場所では、こんな写真も撮れてしまいました。
これは踏切からのものとかではないですよ。
こうしてみると左側の坂の勾配具合やら地形と線路の関係やらもあわせて見れていろいろと参考になります。


淡路坂(NO.209)8
写真8

さらに坂をくだり、一気に坂下あたりまでやってきて、坂下のほうを見てみました。
もうこのあたりまでくると平地になっていて、さっきまで真下にみえていた線路も頭上にあるという具合でした。


淡路坂(NO.209)9
写真9

せっかくなので、坂下から見た淡路坂の景色などでも。
このあたりまでくると普通の坂道という感じですかね。


淡路坂(NO.209)10
写真10

でも、写真9の右側あたりにはこんな場所があったりします。
都内ではよくありがちな高架下のお店なのですけど、よくよくじっとみてみると高架自体のレンガやらその他もろもろのつくりがなんともレトロでいろんな素材がまざってておもしろい感じです。


淡路坂(NO.209)11
写真11

(今回はかなり長めですのでまだまだ続きますよ。)
こちらは、坂下の外堀通に面したあたりの高架のものです。
たしかブラタモリでも(ここだったかどうかは憶えてないですけど)似たようなつくりの高架の話が取り上げられたので知っているかたもいるかもですが、かなり古いつくりで新旧いろんな構造やら素材やらが混じりあって電車の高架がつくられていました。
ここから右側が橋になっていて緑の部分は見てのとおり新しめの鉄のようですが、左側の部分は時代を感じるレンガやら石が綺麗に配置されてますね。
しかもこのレンガ、今の時代ならハリボテ扱いにするのかもしれないですけど、たしか本物のレンガを組んで組み建てているんだったと思います。(かなりあやふやな記憶なので間違っていたらごめんなさい。)


淡路坂(NO.209)12
写真12

さらに下見ると、奇妙な場所がまたひとつ。
柵柵風景ですかね。(笑)
雑草まで元気に生い茂っていたり、左側にはこれまた坂の碑があったり。。
あっ、そうそう。
そういえば、ここの坂の碑。
坂上にあったものとちょっと文章が違っていたんですよ。
『この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上に太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名、坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。』
上の文と比べてもらえればわかると思いますけど、やはりこちらは平成二十二年一月に補修とのことで碑も新しくて簡易説明といった感じみたいでした。


淡路坂(NO.209)13
写真13

というわけで最後の写真です。
実は、写真12の場所から右にちょこっとあるくと昌平橋という知る人ぞ知る橋があり、そこからみたのがこの風景です。
運河をさけてつくられた変わったつくりの橋脚やら、左側のレンガつくりの線路やらなかなかおもしろい風景がひろがっていました。


淡路坂(NO.209)14
昌平橋聖堂神田川

ちなみにこちらは写真13とだいたい同じ位置から、広重さんが描いた江戸時代の浮世絵です。
手前の山のあたりが、今回の淡路坂で、奥の坂が相生坂(NO.161)ということみたいです。
またこの絵のとおり江戸時代にはすでにこんな景色になっていたようですが、対岸の相生坂(NO.161)ともに今回の淡路坂を別名で相生坂とよぶことからも、この二つの坂はもともとひとつの台地で、それを割ってできた場所なんて「江戸東京坂道事典」の説もあるとおり、江戸時代以前はひとつの坂道だったのかもしれないですね。


地図
千代田区神田淡路町2

所在地:千代田区神田駿河台4あたり


ゆうれい坂よぶそうで、別名で光感寺坂や埃坂ともいうそうです。
場所は前回同様御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあり、坂上のほうが本郷通りに面していて、かつては紅梅坂(NO.207)とひと続きになっていた坂のようですが、現在は本郷通りによって坂道は分断されて名称も違うふたつの坂道があるということになっているようです。


幽霊坂(NO.208)1
写真1

まずは坂上からの眺めです。
地図でみると紅梅坂(NO.207)と直線上につながっている小道もあるのですが、今回の幽霊坂はかくっと90度左に曲がってもういちど90度右にまがるとこの坂上あたりの場所にやってきます。
みたところ結構な高低差ぐあいですが、いちおうちらりとですけど、坂下の様子もうかがえます。
しかも坂上と坂下のほうでビル建設の工事をやっていたので、けっこう殺風景な景色がひろがっていました。


幽霊坂(NO.208)2
写真2

すこし坂を下って坂上のほうを見てみました。
右側はみごとに工事の仮囲いに囲まれていてある意味不思議な景色がひろがっていたかもです。

そして、坂上にちらりと見えてますけど、ここにもいつもの坂の碑があり『この坂を幽霊坂といいます。もとは紅梅坂と続いていましたが、大正一三年(一九二四)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた形となりました。「東京名所図会」には、”紅梅坂は””往時樹木陰鬱にして、昼尚凄寂たりしを以って俗に幽霊坂と唱えたりを、今は改めて紅梅坂と称す。”とかかれています。また古くは光感寺坂とも埃坂などとも呼ばれていたこともあるようですが、一般には幽霊坂の名でとおっています。』
とありました。
別名で光感寺坂ともいうとありますが、これはその名のとおりかつてここに光感寺というお寺があったからだと思いますけど、古地図でみた限りではそのようなお寺はありませんでした。


幽霊坂(NO.208)3
写真3

さらに坂を下り、坂下のほうを眺めたものです。
両サイドで工事していたので、まだビルが道路にせまってなくて幽霊坂と呼ぶ坂にしては明るい感じかもですね。
どちらかといえば光感寺坂というほうがしっくりくる感じでした。
あとは接触を防ぐためだろうとは思いますけど、上空の電線に黄色いカバーが巻きつけられている光景はなんとも不思議な感じでしたよ。


幽霊坂(NO.208)4
写真4

そいでやっと坂下あたりまでやってきました。
両サイドにビルがせまってきてなくていちおうは開けた感じはあるんですけど、この不思議などんより感はなんですかね。
あと遠くにでんと大きく見えている高層ビルは、紅梅坂(NO.207)に隣接している新御茶ノ水ビルです。


幽霊坂(NO.208)5
写真5

最後は、写真4でもちらりと左側の工事中の仮囲いにも見えていますけど、写真4のあたりからさらに坂下のほうへ向かう側に、こんな感じで数個の浮世絵がプリントされていました。
すべてお見せしてもいいんですけど、とりあえずはこの一枚でも。

というわけで、幽霊坂の話はこんな具合なのですけど、実はこのあたりの古地図みていて、どうも最近の坂道の名とは違う坂道名が古地図にいくつか記されいて、あれれと思うこともあったんですけど、とりあえずそれについてはおいおい調べていくとして、今日はこんな感じです。

地図
千代田区神田駿河台4あたり

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