東京坂道さんぽ

タグ:坂道
女坂(NO.283) / 千代田区
とある街の風景264(アートナイト2017の夜に六本木の坂道をぶらりと)
衣紋坂(NO.282)その2 / 神奈川県横浜市中区真砂町1あたり
衣紋坂(NO.282) / 神奈川県横浜市中区真砂町1あたり
聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道
聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道
今回は、田町駅すぐにある「潮見坂」と「聖坂」の2つを取り上げました。 /たびねす記事掲載お知らせ。
今回は、鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」の2つを詳しく取り上げました。 /記事掲載お知らせ。
記事掲載お知らせ:ヱビスビール発祥の地、東京・恵比寿と縁深いビール坂めぐり
東京・麻布の狸穴坂に住んでいた狸は有名人?隠れスポット麻布狸穴界隈を歩いてみよう / たびねす記事掲載お知らせ
今回は、ハルキストの聖地でもある千駄ヶ谷の八幡坂界隈についてです。 / たびねす記事掲載お知らせ
欅坂46の坂道の歌(=W-KEYAKIZAKAの詩)を聴いてみて。
乃木坂 (NO.132)その3  / 乃木坂今昔
今回は、港区の「乃木坂」についてです。 / たびねす記事掲載お知らせ
今回は「踊る大捜査線」のロケ地でもあるお台場海浜公園・展望デッキについてです。 / たびねす記事掲載お知らせ
たびねすの記事掲載されてます。今回は、耳をすませばの聖地でもある、いろは坂についてです。
たびねすの記事掲載されてます。今回は、永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈についてです。
たびねすの記事掲載されてます。今回は、代官山の「目切坂」界隈です。
たびねすの記事掲載されてます。今回は、港区六本木の「鳥居坂」界隈です。
ハロウィンということで、幽霊坂セレクト?
「POP UP!」というJ-WAVEの番組で、坂道の話をしてきましたよ。
トラベルjp(たびねす)にて記事の寄稿はじめますよ〜。
都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地
ドラえもんとマリオと道玄坂
SMAPのメンバーが走った東京の坂道
多摩川浅間神社の女坂かも?
多摩川浅間神社の男坂?
行人坂(NO.266) /目黒区
とある街の風景252(九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵)
別所坂 (NO.265) /目黒区

つい最近、たびねすの記事にて「都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂」と題して、御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂を取り上げたわけなのですが、なんとこれまでにブログでは男坂(NO.218)は取り上げていたのですが、女坂のほうについてはすでにみちくさ学会の記事にて取り上げていたこともあり、ブログで取り上げておらず、坂道カウントもしていなかったのですよ。(長い、笑)
そんなわけで、今回は坂道ナンバリングとお知らせもかねて書いておくことにします。

以前から、このブログを読んでくださってる方には、またあそこかなどと思われるかたもいたかもしれませんが、やはりたびねすのフォーマットの中では初めての場所ですし、今後もなにか別の場所で書くことでもあれば、同じように紹介するかもです。

それにしても、なぜ神社の境内でもない場所にあんな男坂&女坂が存在するのか。
謎ですね。
僕の予想はたびねすの記事でもちらりとふれてますけど、やはりオマージュみたいなものなのかなと。
ただそれはあくまで僕の推測なので、もっとなにかの理由があったかもしれないですよね。
なのでそういうことを、これまでもそしてこれからも訪れるであろう坂道調査の結果や経験の中から予測していけるかもしれないと思うことはやはり楽しみのひとつかもですね。


そんなわけで、ここからは取材時に撮った気になる場所の写真をいくつかあげておきますね。


女坂(NO.283)1
写真1

すぐ隣に坂の碑があるのですが、こちらはあえて古そうな坂の名前が書かれた石碑のほうをぱちりと。


女坂(NO.283)2
写真2

こちらは女坂の途中にあった隣接するビルの非常階段ですね。
意外といい感じだったもので。


女坂(NO.283)3
写真3

こちらは女坂の坂上すぐの場所にあるアテネ・フランセの外観ですね。


女坂(NO.283)4
写真4

そしてこちらが、同じアテネ・フランセなのですが、坂下側の崖下から撮ってみたものです。
アテネ・フランセの写真はよくみかけるのですが、こちら側からの写真はなかなか珍しいんじゃないですかね。


女坂(NO.283)5
写真5

最後は、たびねすの記事では取り上げませんでしたけど、女坂の坂下側からほんのすこし歩いた場所にある住友不動産猿楽町ビルですね。いちおう芦原建築設計研究所が設計した高層ビルとのことです。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区神田駿河台2あたり

一昨日から昨日にかけて開催された六本木アートナイト2017なのですが、実は僕もちょっと見てきました。
実はここ数年は毎年見にいっているわりにはブログでとりあげることも少なくなっていたのですが、今回は、坂道とコラボした写真がけっこう撮れたので、時事ネタとして時間が経たないうちに公開しておこうかなと思い、記事にしておくことにしました。


アートナイト2017の夜1
写真1

まずはメトロ乃木坂駅の入口にて。(写真1)
これは、アートナイトとは関係ないですけど、例のかわった坂道というか橋の下の部分ですね。
当日は、ライトアップされた階段と月が見えていたので思わずぱちりと。


アートナイト2017の夜2
写真2

こちらは国立新美術館の中にある坂道ですね。(写真2)
以前にも取り上げましたけど、すこし違うのは、国立新美術館の建物の中でアートナイト関連の上映会をやっている様子も見えていたことですかね。


アートナイト2017の夜3
写真3

あと、写真2と同じ場所なのですが、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
ちょうど正面に蜷川実花さんによる「Tokyo Followers 1」なる作品が見えていました。
しかも、その奥には東京タワーも見えていたのですよ。
なので、この写真2の敷地内の坂道というか道のほう、実は東京タワーがみえる軸線で計画されたのではという考えを歩いていてふと思いついたのですが、どうでしょうかね。


アートナイト2017の夜4
写真4

こちらはミッドタウンの地下にあったもので、山根英治さんによる「四つの階段」なる作品ですね。(写真4)
まさにタイトルにひかれてぱちりと。
現地でははしご?と一瞬思ってしまったわけですが、よく見るとタイトルどおり急階段が4つありますね。


アートナイト2017の夜5
写真5

お馴染みのけやき坂ですね。(写真5)
今回のアートナイトでは坂道上になにかあるわけではなかったのですが、なんとなく気になったもので。
まあ普段の夜のけやき坂という感じでしたかね。


アートナイト2017の夜6
写真6

そいでもって、こちらは見たままですが、芋洗坂坂上あたりのものですね。(写真6)
世間的には六本木の有名なアマンドがある交差点でも知られている場所ですよね。
そして、ここにも山本洋子さんによる「アジアの花」なるカラフルな作品がありました。


アートナイト2017の夜7
写真7

写真6だけではわかりにくいかもなので、近くから見てみたものなども。(写真7)


アートナイト2017の夜8
写真8

こちらも同じく芋洗坂なのですが、坂の途中にアートナイト関連の作品があったので、坂道風景とあわせて撮ってみました。(写真8)
左側の駐車場隣のビルに投影されているのがそれで、リム・ソクチャンリナ、ナット・スワディーさんの映像作品が流れている「アジア映像集」というプログラムとのことみたいでした。
まあ、事前に知ってないとちょっとわかりにくいので、そのまま素通りしている人も多々いるみたいでしたね。


アートナイト2017の夜9
写真9

最後は、アートナイトとは関係ないのですが、芋洗坂の途中と合流している饂飩坂の坂下からの様子でも。(なので写真9は芋洗坂からのものともいえますかね。)
坂上はタクシーが列をなして渋滞状態になっていましたね。
まさに夜独特の景色という感じだったので、こちらも載せておくことにしました。


ということで、気がつけばけっこうな写真の量となってしまいましたが、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木

衣紋坂(NO.282)の話の続きです。
坂の由来については、たびねすの記事でさらりと書いたとおりですが、では昔の衣紋坂の風景とはどんなだったのかということについて、今回はふれてみたいと思います。


衣紋坂(NO.282)その2-1
写真1

まず、衣紋坂についてのヒントなんですが、実は現地で写真に撮っておいたんですが、このことに気がつくのにけっこう時間がかかってしまいましたよ。(写真1)
これは横浜スタジアムもある横浜公園の園内にあった歴史について説明している看板です。
わかるかたはわかるかもですが、ここにのっている絵図が大きなヒントだったのですよ。


衣紋坂(NO.282)その2-2
画像1

その前にまずはこちらから。(画像1)
資料を探していたら、横浜市の広報新聞の中でこんな絵図があることがわかったんですよ。
絵図の名前は不明なのですが、右上にはたしかに「衣文坂」ほにゃららと書かれてありますね。
まあ、衣紋ではなく、衣文というのがちょっと気になりますけど。。
なお、この絵図が紹介されていた紙面には『幕末期、「衣紋坂」という坂があり、太田屋新田の中の港崎町へ向う道にあった。現在の開港記念会館から横浜公園へ向かみなと大通りが坂のあった場所といわれている。』と書かれてあり、この絵図の坂が衣紋坂だということが示されていました。
ただですね、この絵図を見ていてちょっと気になったのは、左上に書かれた山ですね。
絵図右上の説明によれば、富士山という言葉がでてきているので、おそらく左上の山も富士山なのかもしれませんよね。
そこで地図を確認してみると、たとえば、海辺にありがちな海側から横浜スタジアムへと上る坂道だった場合、富士山は坂の右側に見えるはずなんですよね。。
そんで、逆に、横浜スタジアムから海側(北東方向)に上る坂道だったとしたら、富士山は見えませんよね。
そういう意味でも謎な絵であり、この絵図がもしかしたら別の坂道を描いているという可能性があるのですが、じゃあ関内エリアで別の場所に坂道らしい場所があるといえばないわけで。。


衣紋坂(NO.282)その2-3
画像2(御開港横濱之圖)

そこで、見つけたのがこの地図です。(画像2)
横浜公園の歴史を調べていたら、見つけました。
これは今の関内エリアの昔のもので、開港当時の地図みたいですね。
古地図の上が今の地図では南東向きなので、古地図の上のほうに川が流れているあたりが今の関内駅などがあるJRが走っているあたりです。
横浜公園のできる前は、遊廓だったそうなのですが、地図で言えば、ちょうど川の南側に運河で囲われた長方形の場所があるのですが、ここが遊廓だったようですね。
そして、遊廓から南に向かう一本の道が。
しかも、南の住宅街との境には川らしきものが。
川があれば低地、もしや!と思い、いろいろ調べてみたら・・・。


衣紋坂(NO.282)その2-4
画像3(横浜本町並ニ港崎町細見全図/1860年)

この絵図が見つかったのですよ。(画像3)
これは関内エリアの俯瞰図です。
絵図の左下には遊廓が描かれていて、右側の住宅街の間にはけっこう高低差がありますよね。
そして、遊廓と住宅街をつないでいる道、ちょうど坂道になってませんか?
おそらくここのことを衣紋坂と名付けていたのではないかと予想しているのですよ。
そして、今の位置でいえば、「みなと大通り」と重なる場所でもあるんです。
この遊廓のあったエリアは、さらにその後、埋め立てられ現在のようなほぼ平坦な場所になっていったことも史実にあるので、この予想はだいたいあってると思っています。

そんなわけで、最初の写真1にもどるわけですが、画像3の絵図、案内板にのっていますよね。。
まさかのまさかでしたね。(笑)


衣紋坂(NO.282)その2-5
画像4(神名川横濱華郭之光景(横浜風景画帳)/1860年)

ちなみに別の角度から衣紋坂を描いている絵図もありました。
右側に大きく描かれているのが、当時の遊廓で、左側に奥の住宅街へと続いている道が衣紋坂のようですね。
こうしてみるとちゃんと坂になってますよね。


ということで、今回はこんな感じですが、あとは今後の課題として画像1の場所が実際どこなのか、それとも衣紋坂のデフォルメ画なのかを調べることですかね。


地図
横浜市中区真砂町1あたり

先日、たびねすに「衣紋坂」の記事を寄稿したのですが、今後も記事公開を続けていくと、ブログで取り上げた坂道以外の場所についてもけっこうな数になりそうなので、今回から以前のみちくさ学会の時にしたように通常のブログ記事の中でお知らせする形とすることにしました。

中身はあまり変わらないかもしれないですが(笑)、坂道記事に関しては補足事項があれば、その2、その3みたいにしていつもどおりに追加していければなとも思っています。(今回はその可能性大なので。)


衣紋坂(NO.282)1


そんなわけで、今回はブログでも取り上げる機会がなかなかとれなかった、横浜市の坂道をやっと取材して、たびねすの記事を通じて取り上げることができましたので、よかったらどうぞ。
→『関内にも坂道があった?横浜スタジアムを眺めながら巡る衣紋坂 | 神奈川県


衣紋坂の由来については、記事にある通りなのですが、事前の調査で過去の絵図をいくつかみつけることができたので、おいおいこのブログにて紹介していこうかなと思っています。(ほんとうはたびねすの記事で一緒に紹介できればわかりやすくていいのですが、それができない規定なので。)

それにしても、あの関内に坂道があったことは、実は今年になって知り、どのタイミングで取り上げようなかなと思っていたのですが、ちょうど先月記録的な長雨で都内は雨ばかり続いたこともあり、それでは夏だし海も近い横浜に行こうという感じでした。
ところが、いざ調べだすと、坂道界隈だけで、かなりの数の歴史的建造物やら関内自体の史実にたくさんぶつかり、まさに関内の地霊を調べるという具合になってしまいました。
でもまあ、そのおかげで、関内あたりにはかなり土地勘できました。(笑)
しかも、あのあたりは見ておくべき近代建築がたくさんあることに加えて、ライトアップイベントやらアートイベントで訪れることもなにかと多い場所だったので、土地勘どころか愛着さえ沸いてくる感じでしたかね。
とにかくあの港町にも坂道とアートがあるということで、なんというか気持的なものではありますが精神的な軸ができ、自分としてはちょっとうれしい発見だったかもです。


ということで、今回は長くなりそうなので、いったんこれくらいにして、また次回以降に周辺の建築物やら衣紋坂自体のことについても取り上げようかなと思っていますので、しばしお待ちください。



地図
横浜市中区真砂町1あたり

今回も、「ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう」の記事で取材した時に一緒にまわった時の話です。
名前はついていないようでしたが、なかなかの坂道だったので、取り上げておくことにしましたよ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道1
写真1

ではいきなりですが。(写真1)
ここは、いろは坂の坂上にあたる場所(さらに前回の天守台(関戸城跡)よりすこしだけ坂上)でもあり、道の左側には桜ヶ丘浄水所がある場所です。
写真でも見えているとおり、左側には浄水所の給水塔が見えていて、奥の方に向かって下っている坂道です。
なんといっても給水塔とのコラボですかね。
なかなかいい感じだと思います。
さらに遠くのほうを眺めると、この地独特の高低差具合からくる景色もいい感じでした。
地図で見ると北東側に下っているので日野市あたりの街なみが見えていたのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道2
写真2

さらに坂を下り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
ここからもさらに下っているようで、遠景の街並みを確認すれば、その高低差具合もすこしばかりですが想像でそうでしたかね。
なお、この道路は坂上あたりの場所から「桜ヶ丘西通り」という通り名もついているため、ここからさらに坂下のほうへと道路は続いているようでした。

ちなみにこの浄水所、映画「耳をすませば」のラストシーンで、二人が景色を眺めていた場所なのかもしれないなどと、アニメの検証サイトで唱えている人も実はいたのですよ。たしかに雰囲気といい、いちおう多摩川の方向も向いているし、写真2の左の擁壁の上からならばそれっぽいところもあるのですが、僕の調べた限りではちょっと違う場所なのかなというのが正直な感想です。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道3
写真3

それはさておき、こちらは坂の途中から給水塔を見てみたものです。(写真3)
よく見ると、給水塔の壁面になにやら壁画が見えていますよね。
実はこれ、僕も現地ではほほーと思っていながら、どこにも説明らしきものがなかったので、帰ってから調べてみたら、多摩市のHPに説明があってですね、どうやら「輪華」という作品名で木版画家、河内成幸氏デザインのものらしいですよ。HPの説明によると『太陽を表す大きな円に、花弁が流れ飛ぶ様子が描かれています』とのこと。
ふむふむ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道4
写真4

そして、これですよ。(写真4)
ここは坂上からの景気もいいですが、この坂下からの勾配具合やら途中から道が分かれてY字路になっている真ん中に、例の給水塔があるという具合がなんともよかったです。
給水塔と左側の坂道だけでもなかなかですが、加えてのこのアングルからの景色も印象的で、無名坂にしておくのはもったいない坂道だなあなんて思ってみたり。


ということで、今回はこんな感じです。



地図
多摩市桜ケ丘4-10あたり

今回は、けっこう前のことですが、たびねすの記事『ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう』の取材とあわせてまわった階段の話でも。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道1
写真1

いきなりですがばばんと。(写真1)
たびねすの記事でもすこし取り上げましたが、京王の聖蹟桜ケ丘駅からいろは坂をのぼった高台のところに「天守台(関戸城跡)」なる案内板というか天守台の碑(標柱?)があり、その奥がかなりの高低差のある階段になっている場所があるんですよ。
そんなわけで、耳をすませばとの関連についてはたびねすのほうを見てもらうとしてですね、今回は階段自体についてクローズアップしてみたいと思うのです。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道2
写真2

天守台の碑のアップ写真など。(写真2)
せっかくなので、天守台の碑にも説明が書かれていましたので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近を「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見的城砦として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。(多摩市教育委員会)』
ということだそうです。
地図で確認してみると、多摩川も武蔵野台地もここからなら北東側を眺めれば一望できた場所だったみたいですね。
まあ、この地の北側にいろは坂があることからも、史実のようですね。

じゃあ、目の前に見えている南東側(多摩川方向とは反対側)に下る階段は?ということになりそうですが、これはおそらく、『、一帯の山を「城山」ともいう』という一文があることからも、このあたりがちょっとした山でもあったことを示す階段なんじゃないですかね。(あくまで仮定の話ですが。)


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道3
写真3

ではまず、階段上から坂下方向を見てみたものなど。(写真3)
こうしてみるとかなり高低差のある階段でした。
坂下あたりの様子も見えないし。。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道4
写真4

こちらは坂上からはまわりの樹木がじゃまして見えなかったので、階段を下り、写真3でもみえていた踊り場のあたりからの街並みですね。(写真4)
なかなかいい感じでしたね。
かつてのほどの高さはないとはいえ、やはりここがちょっとした山だった感じはわかるかもですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道5
写真5

一気に階段下までやってきて坂上方向を見てみました。(写真5)
なかなかの高低差ですね。
見た感じは抜道階段みたいにもみえそうですが、天守台の碑があることからも、けっこう昔からある階段なのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道6
写真6

そして、写真5の右側をみるとなんともいい感じの坂道が。(写真6)
おそらくこの小山を車で上るために後からつくられた道路のようでしたね。
訪れた時期が真冬だったので、こんな感じの見え方ですが、今の時期ならもっと緑にあふれていて、さらにいい感じになっていそうな坂道でしたかね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道7
写真7

坂の途中から見えた街並みなど。(写真7)
この景色もなんかいいですねえ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道8
写真8

そんでもって、写真6からも見えていた、折り返し地点でもある180度カーブのあるところまでやってきて、ぱちりと。(写真8)
ここからの景色もいい感じでした。
正面の木々にY字路のように見えている道、そして180度カーブ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道9
写真9

最後は、写真8の右側に見えていた坂上あたりからの様子など。(写真9)
なので写真は、天守台の碑のあたりから坂下方向を眺めてみたものですね。
なお坂道自体は、今回、180度カーブのあるところからのみ取り上げましたが、このまままっすぐ東方向に下っていく道もあるようでしたね。(要は写真8の背後方向ですね。)

そしてここも今の時期に訪れたら緑でいっぱいの風景っぽいですね。

しかも、ここは階段→坂道→階段→坂道・・・という具合にループで坂道散歩できる場所ということを書いている今、気が付きました。(笑)
そういう意味ではなかなかこういう場所ないかも。(天守台跡でもありますしね。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
東京都多摩市桜ケ丘1-4あたり

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。


→『東京・田町駅すぐ 三田・潮見坂&聖坂界隈はかつての海岸線だった?』
http://guide.travel.co.jp/article/27881/


今回はJR田町駅からすぐの場所にある「潮見坂」と「聖坂」を取り上げてみました。
真夏ということで、単純に海にちなんだ坂道を選んでみたわけですが(笑)、ちょっとだけ時間の概念をいれて、ひと味違った見方できないかなあと考えていたのですよ。
それで、そうだ!アースダイバーがあったなということで、読み返してみたら参考になることがあったので、そこから話を広げる感じで書いてみました。
とはいいつつも、観光ガイド記事のため、あまりつっこまずという感じだったので、なんだかブラタモリ風(もしくは脚本風?)になったかなあと思ってみたり。(笑)

あと、今回は、まだブログでは取り上げていない坂道でしたかね。

そんなわけで、過去記事へのリンクはありませんので、いつものようにおまけ写真をいくつか。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」1
写真1

まずは、潮見坂の坂の碑など。(写真1)
港区の坂道にはこうして坂の碑が設置されているパターンが多いのでありがたいですね。
今回は坂上と坂下にきちんとあるパターンでしたよ。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」2
写真2

潮見坂の坂上にあった学校の案内看板ですね。(写真2)
とにかく、訪れた時は名前に驚いてしまいましたかね。
「普連土=フレンド」だとは思いますが、真相はさだかではないです。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」3-名所図会
画像3

そして、こちらが江戸名所図会に掲載されている潮見坂の絵ですね。
たびねすの記事ではこういう古い絵は掲載不可なので、こちらにて紹介しておきますね。
絵を見るとけっこうデフォルメされてますけど、たしかに遠くには海が描かれていますよね。
田町あたりが海だとこういう景色になるんですかね。
ちなみに、この画像は国立国会図書館デジタルコレクション から拝借したものですが、サイトによるとこの絵も掲載されている江戸名所図会は1893年に出版されたものなので、この景色も100年以上前の景色ということになりますかね。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」4
写真4

次は、聖坂の坂上からのものですね。(写真4)
取材当日は道路工事していて、終わるまでそのあたりで時間つぶして、今回掲載した写真を撮ることができたのですよ。
坂道散歩していると、たまにこういうことがあります。
たぶん階段ではそういうことないと思いますけど、坂道は道路なので地下にいろいろ埋まってますからね。
あと、この角度からなら東京タワーも左側に見えてますね。(さっき気がつきました。汗)
やっぱり坂上からの景色もいい感じの坂道だったんですねえ。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」5
写真5

これは、さっきの写真4のする隣に建っているクウェート大使館ですね。(写真5)
こんなところにも丹下建築があったとは。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」6
写真6

そして、最後は、同じく聖坂の途中にあったアリマストンビルの看板などをぱちりと。(写真6)
けっこう前からあったと思いますけど、今も工事中なのですね。(手作りなのでそうりゃあそうですけど。)

以上です。

ということで、記事のほうよろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてます。
しかも、今回は2つの記事です。
よかったらどうぞ。

→『 数々の作品に登場!江ノ電・鎌倉高校前駅すぐ「日坂」は風光明媚な坂』
http://guide.travel.co.jp/article/27149/

→『ブラタモリにも登場!江ノ電・極楽寺駅すぐ「極楽寺坂」で鎌倉の歴史と景色を楽しむ』
http://guide.travel.co.jp/article/27222/


今回は、鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」というこのブログでもまだ取り上げたことのない鎌倉の坂道2つを取り上げてみました。これまでは、だいたい複数の坂道を織り交ぜて紹介していましたが、どちらも内容が濃い坂道だったので、文が長くなり、結局、2つにわけて公開することになりました。2つの坂道を歩いて思ったのは、鎌倉って山と海が近くていいなあということでしたかね。(笑)

あとは、記事で取り上げた場所以外にもブログで取り上げたらおもしろそうな場所もまわってきましたので、おいおい公開できたらなあと。


では、いつものようにおまけ写真をいくつか。


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」1
写真1

まずは、江ノ電鎌倉高校駅前にてぱちりと。(写真1)
行ったことある方は知っていると思いますが、こんなつくりなのですよ。
江ノ電らしくていいですね。


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」2
写真2

日坂の坂下あたりですね。(写真2)
記事に載せようかなと思いましたけど、見送った写真です。
僕が行った日は平日でしたけど、それでもこの人だかりだったのですよ。しばらく待ってもこの感じは変わらずといった感じでした。


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」3
写真3

お次は、極楽寺坂のほうに移り、極楽寺駅の外観など。(写真3)
こちらもこじんまりしていていい感じでしたね。
関東の駅百選にも選ばれているそうですよ。


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」4
写真4

もちろん、ブラタモリでもタモリさんたちが訪れていた、江ノ電の車両基地も寄り道しました。(写真4)
実は、小学校の時、鉄道クラブの部長さんに誘われて、入部してしまい書記係を任命された経験があり、そんなことからも鉄道マニアまではいきませんけど鉄道には興味があったりします。
そんなわけで、鉄道みるたびにそのことを思い出す今日このごろであります。(笑)


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」5
写真5

極楽寺坂の途中にある成就院の参道ですね。(写真5)
坂下方向からアクセスするとこんな景色のところがあります。
ちなみに、ここはつい最近まで参道工事をしていたらしく、今の時期なら例年、この左側にあじさいが見れるらしいですが、そういう理由から今回は見れなかったみたいですね。


鎌倉の「日坂」と「極楽寺坂」6
写真6

最後は、「力餅家」の外観など。(写真6)
実はちょうどこの日、海外メディアが中で取材していたのに遭遇しました。
どこの会社だったかは忘れましたけど。(笑)


ということで、今回はこんな感じです。
では記事のほうよろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 ヱビスビール発祥の地、東京・恵比寿と縁深いビール坂めぐり 』
http://guide.travel.co.jp/article/26748/


今回は、恵比寿ガーデンプレイスからすぐの場所にあるビール坂を取り上げてみました。ちょうどこれから暑くなり、ビール飲むのもちょうどいい季節ですしね。
とにかくビール坂という名前自体にインパクトもあって、恵比寿といえばビール坂というのも僕の中にあったので、いつか紹介したいなあと思っていた坂道だったのですよ。

では、今回もブログの過去記事ありますので、リンクしておきますね。

ビール坂(NO.155)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51576367.html

ネギ山坂(NO.176)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51744448.html


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


ビール坂の記事1
写真1

まずはビール坂の坂上にあった建築家の平倉直子氏の設計による「渋谷警察署恵比寿四丁目交番」など。(写真1)
たしかに普通の交番の雰囲気からすると一風変わっているかもですね。


ビール坂の記事2
写真2

ビール坂の途中の景色ですね。(写真2)
ちょうど児童遊園地があるあたりです。
前はこの左側あたりにシーラカンスの設計による「SELFISH」という小規模なビルがあったはずなのになあと思い出し、調査前に建築物のことでちょっと調べてみたら、やっぱりなくなったみたいですね。
今は周辺を一体開発したマンションになっていました。


ビール坂の記事3
写真3

一応、調査時には「ヱビスビール記念館」にも寄ってみました。(写真3)
写真は館内に大階段があったので、記念に撮っておいたものです。


ビール坂の記事4
写真4

同じく恵比寿ガーデンプレイス内にある「恵比寿神社」もぱちりと。(写真4)
庭園の奥まったところにひっそりとありました。


ビール坂の記事5
写真5

そして、最後はネギ山坂の坂上で見つけた景色です。
ちょうど方角的に、はたまた地形具合のおかげで、東北寺の墓地の向うに東京タワーが見えていました。


ということで、記事のほうよろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 東京・麻布の狸穴坂に住んでいた狸は有名人?隠れスポット麻布狸穴界隈を歩いてみよう 』
http://guide.travel.co.jp/article/26122/


今回は、東京タワーからほど近いロシア大使館に隣接した狸穴坂に加えて、榎坂についても取り上げてみました。
今回の狸穴坂を調べていて驚いたのは、サッカーのFC東京のマスコットキャラクター「東京ドロンパ」がここの狸の末裔だったということでしたかね。あとは、記事で書ききれなかったこととして、この坂道は、過去にテレビ番組の企画で、木村拓哉さんや乃木坂46のメンバーが全力疾走した坂道でもあるんですよ。なので、ファンの方々からすると聖地としても見られている坂道だったりもするみたいですね。


では、今回もブログの過去記事ありますので、リンクしておきますね。


狸穴坂 (NO.61) /港区麻布台2丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50765988.html

榎坂 (NO.57) /:港区麻布台1丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50725754.html



あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?01
写真1

狸穴坂の坂上にあった石碑ですね。たぶん木碑よりは古そうな感じでしたけど、いつ頃つくられたかは不明でしたかね。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?02
写真2

狸穴坂の坂上でもあり榎坂の坂上でもある場所から東京タワーの景色を眺めていたら、ちょうどあのうわさのマリオカートコスプレ集団に遭遇しました。こんなところも走っているんですね。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?03
写真3

最後は、榎坂の坂下からのノアビルなど。なにげに、はとバスとのコラボです。(笑)

ということで、記事のほうよろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 村上春樹ファンの聖地、東京・千駄ヶ谷の八幡坂界隈を歩いてみよう 』
http://guide.travel.co.jp/article/25675/



今回は、千駄ヶ谷の八幡坂に加えて、界隈の坂道2つも紹介してみました。
なお八幡坂と村上春樹さんをリンクさせることは、今、書店で山積みされている最新刊(騎士団長殺し)がでるとうわさされている頃から、考えていたのですよ。しかも、だいぶ前にこのブログで書いたことありますけど、村上春樹さんは中学校の先輩でもあるし、いろんな意味でも影響受けている人で、そういう意味でもどこかのタイミングでこの八幡坂と村上春樹さんのことはきちんと調べて自分のブログ以外でも書き残しておきたかったので、ちょうどいいタイミング(というかこの機会を逃すといつになるかもわからないですからね)だったかもですね。


では、ブログの過去記事リンクしておきますね。


八幡坂(NO.175)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51739208.html

榎坂(NO.174)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51736671.html


観音坂(NO.173)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51733472.html


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


今回は、千駄ヶ谷の八幡坂などについてです。 1
写真1

八幡坂の坂上風景ですね。JR千駄ヶ谷駅から歩いてくると、この景色に出会えます。(写真1)
しかも、この写真のどこかに、記事でも取り上げたあのビルがあります。
さすがにこれを掲載するのは、ちょっと・・・、ということでここにて紹介。
さてどこでしょう。(笑)


今回は、千駄ヶ谷の八幡坂などについてです。 2
写真2

こちらは、榎坂の坂の碑ですね。(写真2)
坂下にあるんですけど、ちょうど坂道側からみると写真2の奥の電柱で隠れてしまって気が付きにくいので現地では要注意ですよ。
しかも、見ようによっては、鎌倉街道でもある無名坂のほうが、榎坂なのではないかと勘違いしてしまいそうな位置にあるともいえるので、そちらも間違えないようにしてくださいね。


今回は、千駄ヶ谷の八幡坂などについてです。 3
写真3

あと、榎坂の坂の碑のすぐそばにあった街灯が案内看板代わりにもなっていましたね。(写真3)
そのうち、これ参考にしてこのエリア再訪してみようかな。


今回は、千駄ヶ谷の八幡坂などについてです。 4
写真4

場所は変わって、観音坂の坂の碑ですね。(写真4)
やはり、2009年調査時に比べると雨風にやられてかなり劣化していましたかね。


なお、鳩森八幡神社の富士塚については、このブログでさらりとですが、そのうちとりあげるようかなとも考えているので、またそのときにでも。


ということで、記事のほうよろしくです。

なんとなく、自分の中で話が広がってきだしたので、今回はメモをかねての記事です。


ここ数年は、パソコンサイトにてグーグル検索などで「坂道」と検索しただけでは、それほどの変化はあまり感じられないのですけど、SNSで「坂道」と検索するとですね、トップアイドルの動向がわかってしまうという不思議な現象が起こっているのですよ。

まず、SNSで最近、僕が「坂道」検索して見つけた記事がこちらです。
→『ツイート数の多い「坂道AKB」とは?』
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/111200014/032300036/

これを読むとここ最近のヒットチャートに「乃木坂46」やら「欅坂46」などの名前がでているとおりで、これらは坂道グループとよばれるアイドルグループの名前です。
そして、どうやら今時の若者はSNSを利用して、これらの人気グループ名をつぶやきに加えて頻繁にツイートしているみたいなのですよ。
そのおかげで、さきほどのトップアイドルの動向が「坂道」検索でわかってしまうという現象と書きましたが、このような事態につながるということですね。(笑)

なお、記事のタイトルにもあった「坂道AKB」とはこんなグループみたいです。(「坂道」検索で見つけたミュージックビデオがありました。)


坂道AKB


さらに、アイドル動画ばかりで、申し訳ないですが、先日SNSで、同様に「坂道」検索していたら、さらに新たな動画も発見しました。
それがこちらです。↓


欅坂46

さきほどの記事の中のヒットチャートにもでてきた欅坂46の「W-KEYAKIZAKAの詩」という曲のミュージックビデオ(=MV)です。
こちらはさきほどのチャートの曲とは違いますが、最近公開されたばかりの動画みたいですね。
この曲やMVに関する感想はまあいくつかありますけど、やはり、歌詞が坂道の歌(坂道をテーマにした曲とも言えますかね)にもなっているのが一番気になったポイントでしたかね。
あとは、これまでのことやグループの細かい並び順とか上下関係とかそのへんのことはわかりませんけど、各メンバー全体のカメラとの距離のとり方や映像の雰囲気が、個人的には、アニメ映画「耳をすませば」のエンディングロールをちょっと思い出してしまいましたよ。

ちなみに、「欅坂46」については、「鳥居坂46」になったかもしれなかったグループであることもおまけエピソードとしてありますよね。
なお、この「鳥居坂46」については、乃木坂と同様に実存する鳥居坂をモチーフにしていたみたいです。
実存する鳥居坂については、以前にたびねすの記事でも書いておりますよ。そういう意味では、まぼろしの鳥居坂46のエピソードのことも記事に一言いれておけばよかったかなとすこし後悔してみたり。(笑)

そんなわけで、なぜ急にこの記事をと思う人もあるかもですが、やはり坂道マニア(こう書くとまたどっちのこと言ってるかもわからなくなる人もいそうですが・・・。)としては、実存する坂道に加えて、坂道をテーマにした曲や坂道シーンが印象的にでてくる映画についても、ちょくちょく集めているので、このブログでも紹介してみることにしました。


ということで、坂道芸能民俗学的視点をおりまぜつつも(笑)、彼女たちのおかげで、「坂道」なるものが一般的にも楽しいものだというイメージを若者にはじまり色んな人に定着させてくれているかもしれないわけで、そういう意味でもちょっとした感謝もこめてこの記事を書いて残しておくことにしました。
では今回はこんな感じです。

今回は、たびねすで記事を書いていて、いろいろ追記したい事柄がでてきたこともあり、乃木坂 (NO.132)の続編でも書いてみたいと思います。


乃木坂今昔1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
坂の途中で、乃木坂トンネルにもぐる道と左に曲がり新しい部分の乃木坂に向かうところの写真ですね。

トンネルの上の部分は乃木坂陸橋とも呼ばれていて、昭和49年3月に完成したとのことです。
昭和49年?あれ?けっこう最近という感じですよね。


乃木坂今昔2
写真2

そこでこれなのですよ。(写真2)
たびねすの記事では、こういう昔の写真やら浮世絵を説明に使うことがNGなので、載せれなかったのですが、こんな風なかつての乃木坂の写真が、「江戸の坂 東京の坂」という本の中にあり、ちょっと拝借。
おそらく写真2は、写真1と同じ方向で、坂の途中から坂上方向を見てみたものと推測されます。
要はトンネルできる前の乃木坂ですね。
時期的には、「江戸の坂 東京の坂」の巻末に、これらの写真は昭和35年から42年にかけて著者が撮影したものと書かれていますので、だいたいそれくらいの時期のものだと思われます。

また今の乃木坂はかつて、幽霊坂という名前だったことはたびねすの記事でも書きましたが、「江戸の坂 東京の坂」の説明によると、実はそれ以前、行合坂やら膝折坂とも呼ばれていたそうですよ。
なので、本の説明部分を抜粋させてもらうとですね、
『『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記してある。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近吾堂版)には、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』
とありました。

ということは、「幽霊坂」の前の名前が「行合坂」で、別名で「膝折坂」とも呼ばれていたという感じなのですかね。

あとは、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」という本には、『『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。』なんてことも書かれていて、新撰東京名所図会は、明治時代の書物なので、これを加味すると、行合坂→幽霊坂→なだれ坂→乃木坂、という具合の名前変更の歴史があるのかもしれないですね。(汗)


乃木坂今昔3new
古地図1

せっかくなので、古地図も見てみましょうかね。(古地図1)
画像の部分で、赤く塗った部分が乃木坂で、今も昔も変わらない位置にあります。
で、青でうすく塗った部分が、現在の外苑東通りということになりますかね。
古地図を見ると乃木坂の西側つきあたりに「八幡宮」というのがありますよね。これがまさに『竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。』の部分なのではないですかね。


乃木坂今昔4new
古地図2

さっきのは「東都青山絵図」のほうだったのですが、こちらは「赤坂全図」のほうですね。(古地図2)
地図でいえばちょうど端っこのかぶっているエリアに乃木坂はあるみたいで、こちらの地図はどちらかといえば、乃木坂の東側エリアが詳しく記録されているもののようですね。
そして、これをみると赤くぬった部分の乃木坂のちゅうど真ん中あたりに「妙福寺」と書いてあります。なので、これが『この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』の部分で、幽霊坂と命名される元となったお寺もちゃんと地図に残っていて、実際にあったということですよね。


乃木坂今昔5

地図

そんなわけで、現代の地図(Googleさんの地図を拝借)に江戸時代の乃木坂の位置を描いてみるとこんな具合になりそうでした。
ちなみに、ちょうど今のギャラリー間のあるTOTO乃木坂ビルのあるあたりを緑で囲ってみました。古地図1を振り返ってみると、お寺があった位置とかぶりそうですね。
まあだからなんなんだという話でもありますけど、僕としてはギャラリー間に訪れるたびにいつも、ビルの前の道がへんなつくりだなあと思っていたのですが、こうして古地図で振り返ってみると、かつての古道は紫の色で塗った部分であったわけで、そういう意味では、このローターリーみたいになっていた場所(乃木坂駅への入口もありますよね)もそういう歴史があったのだなあとちょっと納得したわけだったのですよ。

あとは、写真2では坂道が二手に分かれていて、かつての乃木坂が、どちらかなのかは今でもわかりかねますし、この風景だって江戸時代の時とは違うのかもしれませんよね。
ただ、なんとなく今の乃木坂のトンネルと右側の階段、左側の坂道のつくりをみるとその名残りもあるのかなあと思いつつも、こればかりはもうちっと調べないとわからないところですかね。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区赤坂8あたり

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 乃木坂46や駅名だけじゃない!アイドルと縁深い乃木坂めぐり』
http://guide.travel.co.jp/article/24883/



乃木坂については、過去にブログでもとりあげていますが、歩いて、いくつか地霊を調べてみて、ブログでは取り上げていなかったこともあわせて書いてみました。


では、ブログの過去記事リンクしておきますね。

乃木坂 (NO.132)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51364948.html


とある街の風景162(乃木神社)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51369013.html


乃木坂 (NO.132)その2
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/52006140.html


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


港区の「乃木坂」についてです。01
写真1

乃木坂の坂名の由来が書かれた石碑ですね。乃木神社の入口横にありました。(写真1)


港区の「乃木坂」についてです。02
写真2

最初に乃木坂を取材した日は、なんと節分の日だったのですよ。(写真2)
取材をしているとわさわさと乃木神社界隈が騒がしくなりだしたので、急遽境内に直行。(笑)
そんなわけで、節分祭の様子も撮っておきました。
そして、当日は豆もゲットしましたよ。

ただ、そのおかげで、当日は乃木坂の坂下界隈が賑わっていたため、いい坂道写真が撮れず、後日写真だけを取りに再訪しましたが。。(笑)


ということで、記事のほうよろしくです。

昨日、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 「踊る大捜査線」ロケ地、お台場海浜公園・展望デッキは夜景もきれい』
 http://guide.travel.co.jp/article/24470/


今回も映画のロケ地散歩となりましたかね。ちょうどお台場シネマメディアージュで再上映された「私をスキーに連れてって」を観に行くことにしたら、「踊る大捜査線」も閉館記念で一日限りで 再上映されることを知ったので、そういえばということで取材して書いてみました。ちなみに映画は2月19日に再上映されるとのこと。

ちなみに、今回とりあげた場所は、昔ブログで登場しているのですよ。

→『とある街の風景106(海にむかう広場)』
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50582563.html

映画が公開されてから3年くらいの時期ですかね。
ただ、ブログ記事では映画のことに触れていないようですが。。


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


お台場展望デッキ1
写真1

展望歩道橋の夜景ですね。(写真1)
階段がライトアップされていてよかったですね。


お台場展望デッキ2
写真2

階段途中からの海の景色です。(写真2)
ここからでもかなりいい感じ。
夏だったら座ってしばらくぼんやりとできそう。


お台場展望デッキ3
写真3

最後は、海にむかう広場の夜景ですね。(写真3)
同じようなアングルを寄稿記事に載せましたが、こちらはさらに海から離れた方向からのものです。
昼間なら間違いなく人ばっかり写るポイントですね。


ということで、記事のほうよろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう』
 http://guide.travel.co.jp/article/24090/


今回は、映画の聖地巡礼と言ってもいいかもしれないですね。とにかく取材していても楽しかったです。映画には坂道以外にも、月島雫が暮らす団地もでてきて、実存する団地もあるようなのですが、今回は坂道中心に話をすすめています。

ちなみに、今回のいろは坂については、ブログ初登場です。
まえにラジオにちょこっと出させていただいた時に、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂をおすすめ坂道として紹介してから、いつかちゃんととりあげねばと思っていたところに、先週金曜に映画が放送されることを知り、ちょうどいいんじゃないということで、行ってきた坂道でもあるんですよ。


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。1
写真1

まずは、京王線聖蹟桜ケ丘駅の西口広場にあった地球屋をモチーフにしたモニュメント「青春のポスト」ですね。(写真1)
どこぞやのテーマパークかというくらいのつくりでした。
いいですねえ、こういうのが駅前にあるのは。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。2
写真2

そして、こちらは高台のロータリーに店を構えている洋菓子店のノアさんの店構えですね。(写真2)


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。3
写真3

さらに、当日は店内にも入りました。(写真3)
許可をもらってぱちりと。
バロン人形がたくさんありましたよ。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。4
写真4

店でおみやげに買った「耳すまロータリークッキー」です。(写真4)
手作り感いっぱいの基本をおさえた味でおいしかったです。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。5
写真5

そして、最後は、うわさの「耳すま思い出ノート」です。
店内でクッキーを買うと、店主の方が奥からだしてきて、記帳させてもらえることに。

もちろん記帳いたしました。(笑)
いやはや、いい記念になりましたかね。


ということで、たびねすの記事のお知らせとあわせて、今回もいろいろ考慮したうえで載せなかった現地写真も含めて紹介してみました。

では、よろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり』
http://guide.travel.co.jp/article/23524/


今回は、記事見てもらってもわかるかもですが、富士見坂沿いにおもしろそうなポイントがいくつかあり、さらに新たにできた散歩スポットもあるなど、盛りだくさんな感じになったのが特徴ですかね。
下手すると、永田町の富士見坂だけでも記事にできてしまうほどでしたが、そこに無理やり諏訪坂をねじこんだという感じです。(笑)

ちなみに今回の記事で紹介した坂道については、富士見坂のみですかね。

富士見坂 (NO.10) /千代田区永田町2丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50058235.html


あとはいつものようにおまけ写真をいくつか。


永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について1
写真1

これは、東京ガーデンテラス紀尾井町敷地内にある赤坂プリンスクラシックハウスですね。(写真1)
東京ガーデンテラス紀尾井町ができるときに、あわせて改修され、写真1のようにきれくなったみたいです。


永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について2
写真2

こちらも同じく、東京ガーデンテラス紀尾井町敷地内にある場所です。(写真2)
「空の広場」と名付けられたまさに広場ですかね。
そして、ここから見るとまったくわからないのですが、記事にも書いた説明のとおりで、赤坂御門の古い石垣をうまく再利用した広場でもあったんですよ。



永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について3
画像1

最後はいきなりですが、たびねすの記事は、オリコンニュースでも転載されているのですが、ちょうど僕がページを開いたときにでてきた画面です。(画像1)
なんともびっくりというか、綾瀬はるかさんのCMに坂道記事が囲まれるという事態に思わず、記念にスクリーンショットしてみたものです。(笑)
とにかく、こんなことに反応してしまうのもどうかと思ったのですが、記事のマニアなタイトルに対しての、このまさに凹凸な感じというか違和感がなんとも面白かったもので。。

ただこの時は、次に開いたとき、普通の画面になっていたので、今でもオリコンニュースのサイトでこれが見れるかは運しだいかもですね。(試す人もいないとは思いますが。笑)


ということで、これ以上脱線してしまわないうちに今回の記事おわります。

では、よろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『隠れ史跡スポット東京「代官山」目切坂で富士山を&上村坂で昭和の大スターを想う 』
http://guide.travel.co.jp/article/23066/


そんなわけで、今回の目切坂界隈あらためて復習してみると、史跡多かったでねえ。
あとは、界隈としているとおりで、どのエリアまで紹介しようというのが、毎回のことですが迷いどころでしたかね。

ちなみに今回の記事で紹介した坂道もブログで取り上げているものが多くありますので、リンクしておきますね。

目切坂(NO.154)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51562039.html

上村坂(NO.157)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51608379.html

代官山の猿楽塚
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50804164.html


これぐらいですかね。

あとはおまけ写真をさらりと。


代官山の「目切坂」界隈1
写真1

これは、上村坂の坂の碑ですね。(写真1)


代官山の「目切坂」界隈2
写真2

そして、これが上村坂の坂の途中からみた「東京目黒 美空ひばり記念館」の外観ですね。(写真2)
まさに坂の途中。
しかも、坂道の途中でもけっこうな勾配具合のあるあたりにありましたよ。

ちなみに、この記念館というか御殿、サンスポの2014年の開館を伝えているネット記事によると、「84年にひばりさん自らが設計した3階建ての自宅」とあるのですが、これは本当なのですかね。もし本当なら、自宅を建てる時にかなり関わってらしたということになるのですかね。
(いちおう、記念館の受付の人にも聞いてみましたが、わからないとのことでしたよ)
→『ひばりさん御殿にキャデラック!28日から公開!!』
http://www.sanspo.com/geino/news/20140505/oth14050505030005-n1.html

あとは、youtubeに動画もありましたよ。
これも開館のニュースを伝えるものですが、館内の様子も一部映っていますね。
→『美空ひばり記念館オープン 目黒の自宅を一部公開』
https://youtu.be/rr_0Z0c_Uoc


代官山の「目切坂」界隈3
写真3

最後は、旧山手通りの様子でも。(写真3)
代官山交番前交差点の上を通る歩道橋からの景色です。
左側に見えている白い建物がヒルサイドテラスですね。


ということで、たびねすの記事のお知らせとあわせて、スペースの関係上載せなかった写真も含めて紹介してみました。
では、よろしくです。

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『東京「裏六本木」鳥居坂とあわせて散策したいおすすめスポット 』
http://guide.travel.co.jp/article/22569/


とりあえず、今回は最初の記事よりも坂道にフォーカスして書いてみました。
当初は、もっと建築物のほうにもつっこんで話をしようかなとも思っていたのですが、やはり坂道探検家と名のっていることもあるし、そういうこまかいことは、このブログで書くくらいにしたほうがいいのかもという気もしてきたので、しばらくはこの流れでいきそうですかね。


ちなみに、今回取り上げた4つの坂道は、すべて過去にブログで取り上げてますよ。
参考がてら、リンクしておきますね。

鳥居坂 (NO.96) 
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50989416.html

潮見坂 (NO.97) 
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51003155.html

於多福坂 (NO.98)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51024067.html

あひる坂(NO.190)
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/51848678.html


以上です。
とりあえず、たびねすの記事の写真は、最近撮った最新版なので、昔の景色と見比べるもの楽しいかもしれないですね。(なんかたびねす風の言葉が侵食してきているような気が。。)


鳥居坂-たびねす

記事にでてきた坂道の碑です。↑

なんとなく日本では幽霊ときくとあまりにもあっち系の想像をするかたも多いとは思いますが、今回は、せっかくのハロウィンということなので、お化けつながりで過去の記事で書いた幽霊坂についてセレクトしてみようという思いつきエントリーです。(笑)
まあ、ハロウィンで日本の幽霊のコスプレする人もいないとは思いますが。(と思ってネットで調べたら、普通にありましたよ。。)


まず過去に取り上げた幽霊坂といえば、御茶ノ水にある「幽霊坂(NO.208)」でしたかね。
まさに名前がドンピシャ。
少し前に行った時は、周りの再開発工事もおわり、すっかり雰囲気の違う坂道となっていましたけど。


次は「ゆ嶺坂 (NO.44) 」ですね。
神楽坂からすぐの場所にある坂道ですよ。
ゆれい→幽霊と想像しがちですが、ブログにも書いてあるとおり、ここの坂名は梅の名所の名からきているのですよ。
ただ、この坂道には別名があり、それが幽霊坂というわけなのです。


ハロウィンということで、幽霊坂セレクト?1
写真1

ちなみに、こちらは今年の8月頃に撮った「ゆ嶺坂 (NO.44)」の様子ですね。(写真1)
見た感じ、2006年とあまり変わってないようですね。(ひと安心。)


あとは、「紅梅坂(NO.207)」。
御茶ノ水にある坂ですが、一説によると、はじめに取り上げた幽霊坂(NO.208)とは昔、ひとつの坂道だったという話もあるため、ここも別名で幽霊坂と呼ばれているのですよ。

そして、最後は、「乃木坂 (NO.132)」です。(乃木坂 (NO.132)その2
メトロの乃木坂駅そばの坂道ですね。
ここは、今でこそ乃木坂と呼ばれていますが、かつて乃木大将が殉死した大正元年9月以降、なぜか幽霊坂という名前だったのが乃木坂と改名されたそうですよ。
しかもあの坂の途中にあるトンネルでもいわゆる都市伝説てきな話がちらほらきかれるので、じつはこの坂道が一番、"らしい"坂道といえるかも。

ということで、都内には幽霊坂とついた坂道はまだありますし、すでに歩いているところも多くあるのですが、記事にしているのはこれのみです。
幽霊と坂道の関係などについては、今回、まったくとりあげませんでしたが、それについては幽霊坂などをまわった都度、気にして調べて書いてみようと思っています。

ちなみに、この幽霊坂については、夏に民俗学的な視点で幽霊坂などをとらえて、おばけや幽霊、妖怪に関係する坂道をまわり、写真も撮っておいたのですが、夏が終わってしまい(汗)、それでも取材した分をブログで取り上げるかどうか、もんもんとしていたのですよ。
なので、とりあえず今年のハロウィンがちょうどいいガス抜きになったかも。(笑)

あと、すでにまわった分をカテゴリー分けしておきましたので、今後はこのブログの幽霊坂カテゴリーをみてもらえれば、幽霊坂などの話は都度まとめて見れると思いますので、よろしくです。

そんなわけで、Trick or Treat 。

「POP UP!」という岡田マリアさんがナビゲーターのJ-WAVEでの朝のラジオ番組が「あるのですが、なんと、この前の10月12日の回で、坂道探検家として出演させていただいたのですよ。

まずは、放送を聴いてくれたみなさん、ありがとうございました。

とにかく、FMラジオへの出演は初めてで、昔からよく聞いていたJ-WAVEの番組に出演させていただくなんて、このブログをはじめた時には、夢にも思っていなかったので、うれしさと緊張が交互にやってくる中、生放送(そうなんです、生放送だったのですよ)にのぞみました。

ちなみに、radikoのタイムフリーなる機能(過去の放送分が放送から一週間以内のものならば、いつでも聞けるサービス)が直近の11日から始まったのですが、それを利用して、昨日、この記事を書くためにも、聞き直す決心をして、やっとこ出演した時の放送を聞いてみたのですよ。
とにかく感想としては、僕のパートの部分はともかく(ただ電話出演だったので、普段よりはすこし声がくぐもり気味になっていたかもですね)、この12日の回は、番組全体に坂道愛があふれていたのが、すごくうれしかったです。
しかも、リスナー回答でマニアックな坂道もけっこう紹介されていましたしね。

あと、当日の放送内容をまとめてくれている番組の公式サイトがありますので、よかったらどうぞ。
→『【J's Research】一度は行きたい!日本の坂は?』
http://www.j-wave.co.jp/original/popup/2016/10/js-research-283.html

まあ、こんな感じだったのですよ。

はじめに依頼がきた時は、東京近郊のおすすめの坂を4つくらい選んでくださいときたので、都内や近郊の坂道をまず10個くらい選び、そこから半分にしぼり、最終的に4つ選んで、ラジオの放送作家さん(でいいのかな?)に、渡したわけなのです。
ただ、今回の放送では、おすすめの坂以外にも自己紹介やら、坂道を楽しむポイントなども話すことになり、これでは時間が足りないのではないか?ということになり、結局、おすすめの坂については2つだけの紹介ということになったのですよ。

なお、聖蹟桜ヶ丘の「いろは坂」については、前から気になっていて昨年くらいですかね、近くを通った時にふらりと寄ってみたらいい感じの坂道だったので、いつか紹介しなくてはと思っていたところだったのでちょうどよかったです。
今回のために映画も復習がてら見直してみたのですが、劇中には坂名などはでてこないのですが、あきらかにそれとわかる描写があり、劇中何度も登場するのですよね。(数えただけでも6回!)
とにかく、坂道自体の情報量も多いことや界隈の坂道も一緒に取材して総合的な視点で坂道を見てみたいこともあって、まだこのブログでは取り上げていませんが、そのうち、ちゃんと取り上げたいとも思っていますよ。
ちなみに、最近話題になっているアニメ映画『君の名は。』で聖地巡礼がブームになっている中、劇中でも実在の坂道が出てくるのですが、映画を見た方はわかってくださると思いますけど、「どこどこの場面ででていた坂道」と紹介するとけっこうなネタバレになりそうですし、ただ「映画の中にでてくる坂道」というのもさびしく、それ以上つこっまれるとこれまたネタバレになるということもあり、今回はタイムリーな坂道よりすこし昔の映画だけれども、ジブリ映画の『耳をすませば』ででてくる聖地巡礼スポットということで「いろは坂」を優先して選んでみたのですよ。
まあ、選択理由はそれだけではないですが、かなり大きな要因のひとつと言ってもいいかもですかね。

あ、そうそう。
最後に、J-WAVEのまとめページには書かれていないのですが、番組中、実は坂道にまつわる曲がオンエアされていたので、メモしておきますよ。

1曲目:
「坂道」/くるり

2曲目:
「陽のあたる坂道 」/DO AS INFINITY

3曲目:
「多摩蘭坂」/RCサクセション(忌野清志郎) 

という感じだったのですよ。
このあたりは、ラジオらしい展開で、感動すらおぼえましたかね。

あ、あと番組を最後まできいていたら、ひきつぎで、岡田マリアさんから次の番組のナビゲーターのサッシャさんにもなにか回答をもとめる感じだったので、もしかして?と思い、ひきつづきタイムフリーでちょこっと聴いてみたら、やはり坂道のことを冒頭で話してして、サッシャさんのおすすめの坂道として「別所坂」をあげておられましたよ。

ということで、気がつけば長くなってしまいましたが、今回の関係者のみなさん、リスナーのみなさん、どうもありがとうございました。

今日はお知らせです。

「トラベルjp(たびねす)」というベンチャーリパブリックさんが運営している旅行ガイドメディアなるwebサイトがあるんですが、そこの運営の方から声をかけていただき、なんと旅行ナビゲーターとして記事の寄稿を始めることになりましたよ。

しばりとしては、旅行記とは一味違う、その道の専門家によるおすすめの観光案内(=旅行ガイド)を書いてほしいということだけで、あとは僕自身が詳しい坂道と建築について好きにテーマを選んで書いてもいいということだったので引き受けさせていただくことにしたのですよ。
しかも、今回は編集の方もいて、変なところがあればアドバイスいただけるので、このブログとは一味ちがった緊張感の中でやれそうですかね。

とりあえず、第一回目の記事がすでにサイトのほうで掲載されてますので、こちらにもリンク張っておきますよ。よかったらどうぞ。

→タイムトラベル気分で歩く!東京タワー下「富士見坂」と「永井坂」
http://guide.travel.co.jp/article/21446/


ということで、今後もこの坂道ブログと並行して、定期的に書くことになりそうですので、よろしくです。


トラベルjp(たびねす)にて記事の寄稿はじめますよ〜。

記事にでてきた坂道の碑です。↑

すこし前(5月頃です)ですが、都庁から新宿駅のほうへ向かう途中に前から気になっていた無名坂があるんですが、ひさびさに調査もかねて歩いてみたら、おもしろい場所(というか聖地)でもあることに気がついたので、忘れないうちにとりあげておこうと思います。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地1n
写真1

都庁の東側、京王プラザホテルの南側にこんな具合に新宿の駅前へと向かう道路があるのですよ。(写真1)
知っている方も多いかもしれないですが、緩やかな勾配、しかも直線で道幅も広くて見渡しのいいのにもかかわらず、なにか雰囲気のある坂道なんですよね。
かつてこのあたりは、淀橋浄水場があった場所で、今立っているあたりは、浄水場の貯水池の底だったため、この坂道はここが池があり、奥の場所と高低差があったことを示す痕跡とも考えられるのですが、今回はそこのところにはふれず(というか調べず、笑)、坂道自体を楽しんでみようというわけだったのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地2
写真2

これは写真1でいえば、奥の信号が見えていたあたりから、坂下方向を眺めてみたものですね。(写真2)
もう写真2のとおりなのですが、坂の途中から、みごとなまでに都庁がみえるのですよ。
しかも、はとバスとのコラボ。(笑)
ただここからだと、道幅が広すぎて、坂道の勾配具合はわかりにくですが。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていたのですが、京王プラザホテルが坂道沿いにあり、ホテル内に入るところの、今回の無名坂との兼ね合いやらホテル敷地内の階段もかなり複雑なつくりになっていて面白かったですね。(写真3)
写真3は、京王プラザホテルの前の歩道から坂下方向を見ているのですが、勾配具合もわかりやすいじゃないですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地4
写真4

さらに、写真3の左側には、こんなものが。(写真4)
なにかのオブジェなのかな?と思ったら、上部から空気をはきだしていて換気塔になっておりましたよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地5
写真5

こちらは、写真3と4の立ち位置から振り向いて、坂上方向を見てみたものです。(写真5)
勾配具合はゆるやかですが、さらに坂道となっていました。
こういう坂道もいいですねえ。
新宿といえば、平坦な場所と思っている人もいるかとは思いますが、実はこんな感じで微勾配の坂道が結構あるのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地6
写真6

さらに坂をのぼり、坂上方向(駅方向)をみると、見慣れた(まあ僕だけのことかもしれないですが)新宿西口の風景が見えていました。(写真6)
ここからずっと駅まで平坦な場所が続くので、このあたりが今回の無名坂の坂上あたりになりそうですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地7
写真7

そして、これですよ。(写真7)
写真6の場所から、奥へ歩き、坂下方向(都庁側)を眺めてみたものですが、実はここ、2003年公開の映画「Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション)」のロケ地としても有名な場所なのですよ。
映画では、最後にでてくる場所で、流行りの言葉でいえば、聖地ですかね。(笑)
映画の該当シーンを見直してみると、合成なのか、長望遠で撮っているのかわかりかねますが、後ろの都庁がありえないくらい近くに映っていて、このままの景色が映画の映像になったというわけではないようですが、それでも写真7の左に映っているヨドバシカメラの時計館の看板は映画でも映っているので、だいたいこのあたりだと思いますよ。


ちなみに、ロスト・イン・トランスレーションでは、渋谷スクランブル交差点でのシーンもでてくるのですよ。一説によると、この映画にてスクランブル交差点が大きく取り上げられたことによりアメリカで話題になり、海外メディアでも多く取り上げられ、そんなこんなであの場所が外国人にもよく知られるスポットになったということらしいですね。


ということで、撮影時間も夕方だったこともあり、都庁から聖地まで歩いてくる間に暗くなってしまい、夜散歩の体になってしまいましたが、ある意味それが坂道さんぽの別の楽しみ方でもあるのかもなあと再認識したところで、今回はこんな感じです。


地図
新宿区西新宿1-22あたり

リオデジャネイロオリンピックの閉会式での2020年の東京大会プレゼンテーションよかったですよ。いろんな意味で。
ただ、今回はその中身についてというより、タイトルにもあるとおり、ドラえもんとマリオが共演したシーンの背景のことですね。

もちろん印象的なシーンで、東京にきたことあるかたならすぐにわかる場所でもある渋谷の交差点がメインだったのですが、実は道玄坂の坂下でもあるのですよね。(笑)
気がついたかたも多いとは思いますが。
(SNSでも坂道マニアではないような方でも坂道ネタとしてとりあげているかた、ちらほら見かけました)

しかもカメラアングルが、渋谷109のほうをむいていたので、まさに坂下から坂上方向をみているアングルとなり、坂道上でのシーンともいえて、そういう視点でみても楽しいですかね。
そして、ドラえもんとマリオと道玄坂のコラボ風景。
たまらんかったです。
まあ、交差点からの109の景色は、あまりにあたり前の渋谷の日常風景すぎてスルーしがちですが。。(汗)

念のため、このブログを訪れて、渋谷の道玄坂を知らないというかたは、少なめだとは思いますが、道玄坂に関する過去の記事もいちおうリンクしていきますので、よかったらどうぞ。
→ 道玄坂(NO.191) その1道玄坂(NO.191)その2


そんなこんなで、今回は、こんなうれしいことというか、坂道史的にもきちんと記録しておく意味でも、このブログに書いておくことにしましたが、最後に、せっかくなので、NHKのyoutubeにて東京大会プレゼンテーションの模様が全編公開されていますので、リンクしておきますね。(見た方多いとは思いますが。)

→『【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショー』
https://youtu.be/sk6uU8gb8PA

なお、ドラえもんとマリオが共演した該当のシーンは、4:45くらいからみれます。
(ただ、このNHKのyoutubeの動画が、いつまで公開されているかは不明なので、もしみれなくなったらそのときはすみません。)



ドラえもん
写真1

こちらはおまけです。(写真1)
最近六本木ヒルズにて撮ったドラえもん(の像)です。
「ドラえもん」て何?という方は少ないと思いたいですが、念のため。(笑)


ということで、今回はさらりとこんな感じです。

このブログは、江戸時代、もしくはそれより昔からある坂道もとりあげているわけですが、よく考えてみたら、昔の殿様や著名人(政治とは縁遠い人も含む)などもこの坂道を歩いたとか、ほにゃららしたとか、よく坂の碑に書かれている割には、大昔の史実とあわせてこの数十年(ひろく見れば戦後)のことについて取り上げている坂道系のブログはほぼないことに気が付きまして、まずはそのきっかけにでもなればなと思い、今回は坂道における芸能史という意味もこめて参考資料がてらということで。
(これは、民俗学者の宮本常一さんが、「日本の民俗学が本当に完成するには、芸能史にも本格的にとりくまなければならない」と生前言っていたことに影響を受けて、坂道についても同じくいくつかの視点でとりあげて記録しておいてもいいんじゃないのかなというところからもきているのですが。。)

とにかく、SMAPの解散報道がでたときに、ふと思いつき、SNSでちらっとSMAPのメンバーが走った東京の坂道についてとりあげてみたのですが、その後、この坂道ブログを見なおしてみたところ、ブラタモリのほうは坂道記録として記事にしていたのですが、さすがにSMAPのほうについてはとりあげている記事がなかったのですよ。

なので、こんな機会に取り上げるのはすこし寂しい気もしますが、逆に言えば、このタイミングでしか書けないような気もしたので、タイトルにもあるように、SMAPさんのメンバーが走った東京の坂道について、さらりとまとめておくことにしましたよ。
(本当は、SMAPさんの番組が放送された頃に、このことに気がついていればよかったんですけどね。ただこれを書いていて、ブラタモリの初期のころとこのSMAPさんの番組の時期がかぶっているのは、今思えばなかなかおもしろいことだなあと思ってみたり。)


そんなわけで、肝心の番組内容については、2009年と2010年に放映されたもので、SMAPさんのメンバーの中で、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが、テレビ朝日の『SMAPがんばりますっ!!』の1コーナーのなかで、2009年に木村拓哉さんが港区の坂50か所を1日で全力で登りきるという企画(第1弾)、そして、2010年には草剛さんが同じく1日で目黒区49の坂を走りきる企画(第2弾)があり、彼らが走ったわけなのですよ。

もともとのきっかけは、全力坂のウィキペディアにも書いてありますが、木村さんが、どうしても理解できない番組と評していた全力坂について、タモリさんから「やればわかると思うよ。今やっておかないとダメ!」と促されて坂道を走ることになったからだそうですよ。
ちなみになぜ50箇所なのかについては、放送当時、テレビ朝日が開局50周年ということで50箇所に決まったみたいですね。
放送されてからだいぶ時間が経っていますし、忘れているかたや知らない人も多いと思いますので、番組自体のこまかい内容について、ウィキペディアのページから抜粋してもいいのですが、長くなりそうですし、それよりなによりこのブログはバラエティー番組の紹介サイトではないので、気になるかたは全力坂のウィキペディアのページもみてもらうとSMAPさんの回のこともくわしく書いてくれてますので、そちらを見てください。

なお本家の全力坂については、今でもやっていますので、番組をみるなりサイトを見るなりしてどんな番組なのかは自身で判断してくださいな。

というわけで、ここでは、せっかくの自分のブログですので、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが実際に走った坂道をリストアップしつつ、あわせてこのブログで取り上げた坂道もリンクしておくことにしますので、気になるかたはよかったらどうぞ。



木村拓哉さんが走った港区の坂50か所
1:霞坂 
2:笄坂
3:牛坂 
4:さくら坂  
5:暗闇坂 
6:七面坂 
7:大黒坂 
8:鳥居坂 
9:一本松坂 
10:内田坂 
11:仙台坂 
12:木下坂 
13:新富士見坂 
14:薬園坂 
15:奴坂 
16:新坂  ※複数あるため調査中。
17:青木坂 
18:狸坂 
19:釣堀坂 
20:愛宕坂(男坂)
21:桂坂 
22:魚籃坂
23:日吉坂 
24:雁木坂
25:三年坂 
26:江戸見坂 
27:スペイン坂 
28:道源寺坂 
29:南部坂  
30:狸穴坂 
31:鼠坂 
32:植木坂 
33:日向坂 
34:綱坂 
35:幽霊坂 
36:いちょう坂  
37:天神坂 
38:柘榴坂 
39:氷川坂 
40:転坂
41:本氷川坂 
42:檜坂 
43:円通寺坂 
44:牛鳴坂 
45:土器坂 
46:永井坂 
47:三分坂 
48:サカス坂 
49:乃木坂 
50:けやき坂



草なぎ剛さんが走ったが目黒区の坂49箇所
1:権之助坂
2:富士見坂  ※複数あるため調査中。
3:三折坂
4:石古坂
5:金毘羅坂
6:十七が坂
7:馬喰坂
8:行人坂
9:小川坂
10:松見坂
11:相ノ坂
12:蛇坂
13:大阪
14:謡坂
15:なべころ坂
16:稲荷坂
17:けこぼ坂
18:鶯坂
19:半兵衛坂
20:鉄飛坂
21:名無し坂
22:名無し坂
23:名無し坂
24:名無し坂
25:谷畑坂
26:しどめ坂
27:太鼓坂
28:化坂
29:天神坂
30:氷川坂
31:どぜむ坂
32:柿の木坂
33:睦坂
34:名無し坂(きゅうり坂)
35:名無し坂(横抜け坂)
36:蜀江坂(しょっこうざか)
37:兵庫坂
38:寺郷の坂
39:名無し坂(ひょうたん坂)
40:名無し坂(出会い坂)
41:名無し坂(たき火坂)
42:名無し坂(水アメ坂) 
43:名無し坂(鈴音坂)
44:茶屋坂
45:新茶屋坂
46:上村坂
47:目切坂
48:新道坂
49:別所坂



いやはや、この作業なかなか疲れましたな。
やっぱりこうしてみるとまだ記事にしてない坂道もたくさんありますねえ。(汗)
もちろん、これらの中には、すでに歩いていたり、調査したけれど記事にしていないだけの坂道もあるんですけどね。

なお、これらの坂道リストは、僕自身、前に坂道リストをつくったような記憶もあるのですが、その肝心なメモがみつからないため、今回は「テンメイのRUN&BIKE」というブログの記事を参考にさせていただきましたので、確実にリストの内容があっているとは言えないところでもありますので、あしからず。



追記:このリストからのリンクは、記事を新しく書いた時は、なるべく更新するようにしたいとも思っていますのでよろしくです。

追記2:坂道リンク追加しました。(20160831)

今回も前回の「多摩川浅間神社の男坂?」に続き、境内の坂道を散歩です。
神社の境内には、男坂とよばれる急な階段があれば、それとともに、ゆるやかな坂道、いわゆる女坂があることは、このブログでもしつこいくらい言ってますし、実際に取り上げてもいますが、この多摩川浅間神社でも、他の神社のように名前はつけられてはいないのですが、明らかにそうだろうと思われる坂道がありましたので、今回はそこについてのことです。


多摩川浅間神社の女坂かも?1
写真1

まずは「多摩川浅間神社の男坂?」の最後に登場した展望台からスタートです。(写真1)
ここは、社務所の屋上がまるまる展望スペースになっていて、人が少ない時にくると、境内のこまごまとしたかんじとは違うその広さにちょっとびっくりするかもですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?2
写真2

そして、再び社殿の前を通ります。(写真2)
このたてものは、昭和48年に建替えられたものだそうで、浅間づくりの社殿だそうです。
ということは、同じ歳ですな。(笑)


多摩川浅間神社の女坂かも?3
写真3

そして、やっと目的の坂道に入ります。(写真3)
場所は社殿の北東側(写真2の右側)にこんな道がありました。


多摩川浅間神社の女坂かも?4
写真4

奥に進むと、右側が坂道に。(写真4)


多摩川浅間神社の女坂かも?5
写真5

写真4の右側をみると、いっきに坂道になっていました。(写真5)
しかもけっこうな勾配具合ですね。
そして坂道は、右側に曲がる形でさらに下っていけるようでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?6
写真6

下りながら、右に曲がると、こんな感じの景色が広がっていました。(写真6)
いい感じですねえ。
ここでは直線的なところがすごくプラスになっていますね。


多摩川浅間神社の女坂かも?7
写真7

写真6の右側をみると、社殿も見えていました。(写真7)
なので、この道は、通常は社殿に荷物を運ぶ車が通るとか祭りがあればここを神輿が通るとかそんな使われ方のするところなのでしょうね。


多摩川浅間神社の女坂かも?8
写真8

すこし下り、坂上方向をみたものです。(写真8)
奥のカーブと左の擁壁、右の手摺がいい味だしているかも。
もちろん勾配具合もです。


多摩川浅間神社の女坂かも?9
写真9

さらに坂道をくだり、再び坂上方向を見てみました。(写真9)
左側の擁壁が、この坂道の高低差具合を視覚的にみせてくれていました。
かなりの高低差ですね。
しかも、正面の道に飛び出している樹もなんかおもしろいですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?10
写真10

写真9とだいたい同じ位置より、坂下方向を見てみたものです。(写真10)
ここからはかなりの急勾配になっておりましたよ。
おそらくこの短い距離に、2階から1階に下る分くらいの高低差がある感じでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?11
写真11

そして、写真10で見えていた坂下の合流地点のあたりまできて、坂上方向を見てみました。(写真11)
ここから見ると、なんていうか勾配具合よりも、この景色に見とれてしまい、ぼんやりと坐ってスケッチしたい気分になりましたかね。


多摩川浅間神社の女坂かも?12
写真12

そんなこんなで、写真11の右側(写真10でいえば左側)のほうへ下っていくと、坂下あたりにやってきました。(写真12)
ここもかなりの急勾配ですね。
しかも、この坂は、「多摩川浅間神社の男坂?」の写真7でも登場していて、男坂の記事のほうでは坂上からの景色だったのに対して、今回は坂下からの景色というわけなのですよ。
そういう意味では、社殿に行く坂道と社務所に行き来できる坂道という、二つの坂道がこの境内にある(外部からではなく)ということで、これまたなかなかめずらしいつくりの神社といえるかもですね。


あ、そうそう。
この記事をかいていて、多摩川浅間神社の公式HPも見てみたのですが、なんとHPの下のほうに、レインブックという歌手さんの「千本桜」という曲がBGMと題してリンクされているのですよ。
これもどういう経緯でそうなったのかわかりませんが、かなりめずらしい事例かもですね。
せっかくなので、アマゾンさんのページをリンクしておきますよ。かなりいい曲ですよ。
→ 千本桜
(ちなみにyoutubeでも ”千本桜 レインブック” で検索すれば非公式で動画でてきますよ。というかそれこっそり見るかぎり、PVのロケ地が、この多摩川浅間神社の展望台みたいですね。それでリンクなのですかね。)



多摩川浅間神社の女坂かも?13
写真13

最後に、写真12の右上のほうに見えていましたが、その桜のアップでも。(写真13)
ちなみに、この桜ですが、なんとなく境内に植えられたというわけではなく、実は意味があるようで、この神社のご祭神が、大山祗神の姫君で「桜の花が咲き匂うような・・」と言われる木花咲耶姫命とのことで、社殿の桜は、このご祭神にちなんでいるそうなのですよ。
そういう意味では、今回の女坂を歩いた時しか境内の桜が見れないというのもなにか意図的につくられたものなのかもしれないですが、そこのところは妄想の域をでない話なのでさらりとふれておくだけということで。。
なお、木花咲耶姫命については、ウィキペディアにも詳しいことが書いてありますので、そちらをどうぞ。 → https://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ
ただ、ウィキペディアの説明を読んでみると、コノハナノサクヤビメ(木花咲耶姫命)と浅間神社は深いつながりがあるようですね。
しかも、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社でも、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとする話は、富士山がもともとは火山であり、ここ最近の地震のこととも関係がありそうな点など、そういうことを再認識するうえでも、なんとも興味深い話だなあと思ったのでした。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

今回は、東急東横線の多摩川駅からすぐの場所にある多摩川浅間神社の境内にある階段を取り上げてみたいと思います。
ただ、ここの境内の階段には名前が正式にはつけられていないようですので、現段階では、あくまで無名坂であり未確認の坂として位置づけていますので、あしからず。


多摩川浅間神社の男坂?1
写真1

いきなりですが、坂下からの様子でも。(写真1)
場所は、東急東横線の多摩川駅の南側にあり、すぐ西側には多摩川が流れていて、写真1
でいえば、左側のほうが多摩川になり、北西に向かって上る階段ということになりますかね。
しかも、住所でいえば、なんとここは田園調布1丁目とのことですよ。
とにかくここは、過去にも何回か来ていて写真を撮ったり、学生時代にもこのあたりをリサーチした場所でもあるので、いつか取り上げなければと思っていたところ、今回は、時期的にも桜のシーズンに散歩したこともあり、ちょうどよい頃かもという気持ちもあったのです。


多摩川浅間神社の男坂?2
写真2

ちなみに、階段の東側(写真1でいえば、右側)には、こんな具合にのんびりしたたたずまいの釣り関係のお店があったりします。(写真2)
なんかいいですねえ。
こういうのはずっと残っていてほしいですなあ。


多摩川浅間神社の男坂?3
写真3

さらに、その東隣りには、今風なつくりにもかかわらず、どこかレトロな感じの飲食店もできておりましたよ。(写真3)


多摩川浅間神社の男坂?4
写真4

階段をのぼり、坂下方向をみてみたものです。(写真4)
まだ階段的には始まったばかりの場所ですが、すでに建物でいえば、2.5階から3階分くらいの高低差がありそうでしたかね。
遠くのほうに多摩川と丸子橋が見えていましたよ。


多摩川浅間神社の男坂?5
写真5

写真4の背後にはもちろん、階段が続いています。(写真5)
ただ、ここの階段は、まちなかでよくみる神社の直線的なつくりの階段とは違い、一風かわったつくりの階段だったのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?6
写真6


写真5の左側は、こんな景色になっていました。(写真6)
この高さレベルに神社の一般駐車場やら社務所への入口があるんですよ。
奥が開けているのは多摩川があるからですね。


多摩川浅間神社の男坂?7
写真7

写真5の右側には、これまたすごい坂道が見えていました。(写真7)
これはもちろん、写真6で見えていた駐車場に入るための道路であり坂道なのですね。
坂道として切り取ってみてもかなりいい感じです。


多摩川浅間神社の男坂?8
写真8

見どころ満載の神社で、ひとつひとつ取り上げていたらきりがなくなってきそうですので、再び階段のほうにもどりまして、写真8はさらに階段を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真8)
このあたりからいっきにごつごつとしたつくりになっていました。
というのも、この階段というか参道は、富士塚のように富士登山を模してつくられているそうで、そのためか途中には、両サイドにちらりと見えているとおり、多数の溶岩が置かれているためなのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?9
写真9

こちらは、写真8で見えていた鳥居のあるあたりまで上り、坂下方向をみてみたものです。(写真9)
階段がカーブして、ちょうど多摩川にむかって下るかたちになり、そのため、奥にはまさに多摩川が見えていました。
ただ軸線方向てきには富士山の方向は向いていませんけどね。


多摩川浅間神社の男坂?10
写真10

同じようなつくりの階段をしばらく上っていくと、坂上あたりが見えるところまでやってきました。(写真10)


多摩川浅間神社の男坂?11
写真11

ちなみに写真10の右側に、このような石碑があり、「勝海舟の直筆 富士講 中興の祖 食行身禄之碑」という案内板がそばに設置されていました。(写真11)
ということは、目の前の石碑にほられている文字が勝海舟の直筆ということなんですかね。
なお、富士講中興の祖である食行身禄については、ウィキペディアに説明がありましたので、気になる方はそちらのほうをどうぞ。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/食行身禄


多摩川浅間神社の男坂?12
写真12

写真10の背後はこんな感じの階段でした。(写真12)
登山道らしく、くねくねしていてかなりの高低差ですねえ。


多摩川浅間神社の男坂?13
写真13

そんなこんなで、やっと坂上にあたる本殿のあるレベルにやってきました。(写真13)

そして、気になるところでもあるこの浅間神社の由来については、境内に大きな案内看板があり、説明が書かれてありましたので、一部を抜粋しておきますよ。
『当浅間神社は、今から八百年前、鎌倉時代の文治年間(1185年〜1190年)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣した時、夫の身を案じ後を追って来た北条政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれずれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、長く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。』

なるほどなるほど。
やはりこれまで歩いてきた登山道のような参道や浅間神社という名前のとおり、富士山に大いに関係している神社だったのですね。
しかも眺望系神社。(いいですねえ。)


多摩川浅間神社の男坂?14
写真14

いちおう、坂上からの景色なども。(写真14)
ただ、こちらの軸線方向は南側なので、遠くに富士山が見えるわけではないのですねえ。
でもすごい高低差ですね。


多摩川浅間神社の男坂?15
写真15

ただですね、この神社のことを知っているかたはあれれ?と思っていたかもしれないですが、実は境内にはこんな展望台があるのですよ。(写真15)
場所的には写真13の左側へいくとあり、写真6で見えていた社務所の屋上に、なんとこんな場所がつくられていたのです。
見てのとおりですが、目の前は多摩川ですね。
これを考えたというか計画したというかつくった人は、おもしろい発想してますよね。
しかもここにくることで、神社の由来ともリンクしていて、過去ともどこかつながれる場所ともいえますかね。


多摩川浅間神社の男坂?16
写真16

手摺ちかくまできて、富士山の方向をみてみました。(写真16)
散歩の日は残念ながら富士山は見えませんでしたが、これなら時期があえば、ちゃんと見えそうですかね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

ぎょうにん坂と呼ぶそうです。
場所は、JR目黒駅からすぐの場所で、駅東側を流れている目黒川のほうへと南西に下る坂道です。


行人坂(NO.266) 1
写真1

まずは、坂下からの様子など。(写真1)
見てのとおりなのですが、かなりの急坂で、道幅も狭めです。
ただ、JR目黒駅からすぐの場所で、後でもでてきますが、この右側に目黒雅叙園などもあるためか、急坂でしかも道幅が狭いという坂道の割には、人通りが多めの場所だったりします。

あとは、写真1の左にもちらりと見えていますが、いつものように坂の碑がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『行人坂の由来は大円寺にまつわるもので、寛永年間(1624)このあたりに巣食う、住民を苦しめている不良のやからを放逐する為に、徳川家は奥州(湯殿山)から高僧行人「大海法師」を勧請して、開山した。その後不良のやからを一掃した功で、家康から「大円寺」の寺号を与えられた。
当時この寺に「行人」が多く住んでいた為、いつとはなしに江戸市中に通じるこの坂道は行人坂と呼ばれるようになった。』
とのこと。

大円寺や行人については、後でもでてくるので、ここでは軽くスルーして、まあこういう具合の坂の碑があったということで、覚えておいてくださいな。


行人坂(NO.266) 2
写真2

こちらは、写真1の左側の様子ですね。(写真2)
正面に見えているビル群が目黒雅叙園ですね。

要は、結婚式場やホテル、レストランなどが入居している施設ですね。
このブログでも前に目黒雅叙園内にある百段階段について取り上げている記事「目黒雅叙園の百段階段をぶらり」も書いてますので、百段階段の様子などを知りたい方はどうぞ。
ちなみに、百段階段のある建物は、写真2でもちらりと写っていてですね、ちょうど正面の瓦屋根の建物がそれで、写真左のほうに建物は続いているというつくりでした。


行人坂(NO.266) 3
写真3

あと、写真2にも実は見えているのですが、「お七の井戸」なるものがあり、以前からここにくるたびに気になっていたので、撮っておくことにしました。(写真3)
こちらも、せっかくなので案内看板の説明を抜粋しておきますよ。
『八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園に架け明治13年頃まであった。この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。』

なるほど。
そういう場所が今は、結婚式場なんですね。
ちなみに明王院というお寺は、明治13年頃まであったと書かれているとおり、この頃に廃寺になったそうです。そして、その際に吉三の墓も含めて大円寺に移され、昭和30年には吉三とお七の共同の墓(比翼塚)も置かれるようになったとのこと。


浮世絵-目黒太鼓橋
名所江戸百景

あとは、これですかね。
広重による名所江戸百景「目黒太鼓橋夕日の岡」ですね。
今回は、この浮世絵の存在を知らずに当日は歩いていたこともあり、写真には撮っていませんが、写真1の後ろ側、写真2の右側のほうを少し歩くと、目黒川があるのですが、そこを渡る橋のかつての様子を描いたものがこの浮世絵ということみたいですね。
なので浮き世絵の左側が小山になっているように見えることから、こちらのほうにいくと行人坂があると思われます。


行人坂(NO.266) 4
写真4

では、坂道に話を戻しまして、こちらは坂をすこし上ったあたりからの、坂下方向の景色です。(写真4)
車が見えているとおり、ここも道幅はかなり狭い坂道でしたかね。
そして、左側に大きな樹々が何本も見えていてかなり印象的ですが、その奥にさきほどから何度も出てきている大円寺があるのですよ。


行人坂(NO.266) 5
写真5

ちなみに、写真4で見えていた大円寺の塀と樹木の兼ね合いがなんともおもしろい感じだったので、近くまで寄りぱちりと。(写真5)
正面の部分は根っこのおかげで浮いておりました。(笑)
ここまでくるのにどれくらいの時間を要したのか想像してしまいましたかね。


行人坂(NO.266) 6
写真6

こちらは、写真4の左側をみたもので、大円寺の立派な門がありました。(写真6)
まずは坂下にあった坂の碑の一文を思い出してもらいながらも、内容は上記の抜粋文を見てもらうとして、ここでは、目黒区のサイトに書かれてある坂の説明文がわかりやすいですので、一部抜糸させていただくとですね、
『行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたという。
また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。明和9年の出来事であったので、だれいうとなく「めいわくの年」だと言い出したので、幕府は年号を「安永」と改めたといわれている。』
とあります。

”行者”については、ネットの辞書で調べてみると、仏教を修行する者のことを言うそうですね。
なので、このお寺は、坂の碑にもあったように、住民を苦しめている不良のやからを放逐する為に、徳川家が、湯殿山(奥州)から高僧行人「大海法師」(=行者(法印大海))を勧請して、開山したことが始まりみたいですね。
そして、しつこいですが、その時に寺の前の坂を切りひらいたことで行人坂ができあがった、ということですかね。


行人坂(NO.266) 7
写真7

境内に入ると、いろいろな仏像が置いてあったのですが、中でも圧巻だったのがこれでした。(写真7)
手前の仏像群に加えて、奥には五百羅漢石仏群なるものが。
あまり詳しく潜ると、別の方向に行ってしまい帰ってこれなさそうな気がするので、ここでは軽く触れるだけにしますが、要は、このお寺が出火元となった大火で犠牲になった方々の供養のために造られたものだそうです。
これは、上記の抜粋文では『「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。』の部分ということになりますかね。
とにかく、ここですべて取り上げていたら違うサイトになりそうなほど、色々な仏像がありました(始めにふれた八百屋お七の話のことも含めて)ので、気になる方は実際に訪れて見てみることをおすすめしますよ。


行人坂(NO.266) 8
写真8

そんなわけで、再び坂道に戻りまして、写真4とだいたい同じ位置より、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真8)
坂上の高層ビルがちょっと気になるところですが、坂道自体は勾配具合といい両サイドの緑の具合といい、なかなかいい感じだったかもです。


行人坂(NO.266) 9
写真9

さらに坂道を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真9)
さきほどの大円寺の門も見えつつも、左には「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」なる説明文が書かれた案内板が設置されたほこら(勢至堂)がありました。
どうやら坂下の太鼓橋に関係する石像を祭っている場所のようでしたね。

あとは、ここにもほこらの説明とあわせて坂の説明が書かれた案内板もありました。
いちおう、抜粋しておくとですね、
『寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。』
とのこと。


行人坂(NO.266) 10
写真10

さらに坂を上り、坂上方向を見てみました。(写真10)
たぶんこのあたりが一番、急勾配な場所のように感じましたが、今回は傾斜具合を調べていないため、あくまで感覚ですので、あしからず。


行人坂(NO.266) 11
写真11

さらに坂を上り、坂下方向の景色でも。(写真11)
もうここからは、坂下あたりははるか下という感じでした。
そして、この右側にも、なにやら「富士見茶屋と夕日の丘」という案内板がありましてですね、
『江戸時代、この辺には「富士見茶屋」があり、大勢の参詣客や旅人がここで一服、秀麗な富士の眺めを楽しんだ。また、坂の周辺は夕日と紅葉が見事で、夕日の岡と呼ばれていた。』
と書いてありましたよ。
なるほどですね。
このブログを前から見てくれているかたやマニアの方なら、わかるかもしれないですが、この目黒-恵比寿駅間は西側の目黒川に下る形の地形になっているので、目黒-恵比寿駅間にある坂道の坂上からならかつてはどこも富士山が見えたということみたいですね。
しかも、ここも茶屋坂(NO.263)の「爺々が茶屋」ほどは有名でなかったのかもしれませんが、富士見茶屋があったというわけですね。


浮世絵-富士見茶屋
江戸名所図会

こちらは、江戸時代の、このあたりの景色を描いている「富士見茶亭」という江戸名所図会です。
夕日と紅葉の感じはちょっとわかりにくいですが、当時の富士見茶屋の栄えぶりについてはわかりやすく描かれていておもしろいですね。
ここは、当時、江戸市中から目黒不動尊に通じる道だったようなので、このような賑わいがみられたようですね。

行人坂(NO.266)12

写真12

ほぼ坂上あたりまできて、坂上方向を見てみたものですね。(写真12)
これだけ急勾配の坂を上がる、さらに奥に高層ビルが見えているというのが、なんとも悲しいやら珍しいなあという気分にさせてくれる場所でもありましたかね。



行人坂(NO.266) 13
写真13

ここもほぼ坂上なのですが、写真12の場所からすこし坂を上ったあたりからのものです。(写真13)
ちょうど正面に、ホリプロのビルが見えていたので、載せてみましたよ。
こんなところにあったのですね。
(余談ですが、たまたま昨日、スーパー銭湯に寄ったついでにひさびさにゴールデンタイムのテレビを見ていたら、TBSで三浦友和さんのお姉さんのペンションに安住さんと佐藤さんが訪れるという番組をやっていて、昨日の今日ということもあってか、あらためてそういう歴史も含めての場所(坂道)というかビルでもあるのだなあと、ふと思ってみたり。笑)

ちなみに富士山の方角は、ちょうどビルとビルの間の抜けている方向みたいでした。


行人坂(NO.266) 14
写真14

そんなこんなで、やっと坂上からの景色でも。(写真14)
とにかく、富士山のことも含めていろいろなエピソードのある坂道だったので、今後も引き続き訪れることにして、さらに歴史研究(汗)、そして時代による変化を楽しんでみたいと思える坂道だったかもですね。


ということで、今回も長くなりましたが、こんな感じです。



地図
目黒区下目黒1および品川区上大崎4あたり

今年も月が変わらないうちに、4月初めに千鳥ヶ淵に桜見物に行った時のことでも。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵1
写真1

千鳥ヶ淵とは書きましたが、こちらは九段坂の中腹あたりからのものです。(写真1)
始めに千鳥ヶ淵に桜見物と書きましたが、実は、こちらのほうをまず見たくて今回は、ここにやってきたのですよ。
とりあえず、このアングルからだと左側のほうに桜が見えているという感じですかね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵2
写真2

次はこのアングルから。(写真2)
本丸や武道館に向かう時に通る場所ですが、実はここも坂道になっていて、奥には九段坂、手前左には、このブログでも過去にの記事(九段坂の標高と燈明台)で取り上げた、常燈明台が見えておりましたよ。(しかも点灯状態!)

それにしても改めて、写真で見直してみるといい感じですね。
またそのうち、明るい時で人が少なめな時にでも来れれば、ここは取材しておきたい場所というか隠れ坂道でもありましたが、今回はそういうわけで軽くスルーです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵3
写真3

こちらは写真2の正面にも見えていた歩道橋からの九段坂の坂上方向の景色です。(写真3)
いい感じですねえ。
いちおう時期的には満開の時だったので、九段坂と桜のコラボ的にも一番良い時だったのかなと。
ただ、もうすこし夜景モードで坂道ばかりでなく桜のことも気にしながら撮ったほうが、両側の夜桜がわかりやすく写ってくれたかなと軽く後悔しつつも、実は、このブログで九段坂の桜を取り上げるのは初めてなので、散歩当日はそんなこともあり、すこし興奮状態で、しかも手持ち撮影でいろんなアングルから桜を見物することばかりに気がいっていたので、カメラまかせの撮影になってしまったかも。(笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵4
写真4

そして、やっと千鳥ヶ淵の夜桜の様子でも。(写真4)
場所的には、写真3の左側の歩道橋を下りたあたりからも、千鳥ヶ淵の桜を見れるポイントがあって、しかもその奥には東京タワーまでもが、ということでパチリと一枚という感じだったのです。
ちなみにこちらも手持ち撮影です。(というか今回の写真すべて、三脚は使っておらず手持ち撮影です。)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵5
写真5

こちらも千鳥ヶ淵で撮ったものです。(写真5)
ちょうどイタリア文化会館(例の赤いファサードで有名な)の裏側あたり(千鳥ヶ淵側)にある高級マンションなのですよ。
ここは、学生時代(ずいぶん前ですが・・・)、このマンションの一室の間取りを提案するコンペがあってですね、このブログでも前に登場してくれた大学時代の後輩のむとう君と組んでコンペに出したというなんとも思い出深いマンションなのですよ。
そんなわけで、マンションをぼんやりと眺めていると、コンペのために周辺状況やらこのマンション自体のことやらいろいろ調べた記憶がよみがえりました。(気分的には場所的なこともあり黄泉・・・。遠い目、笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵6
写真6

散歩当日は、こんな場所からも千鳥ヶ淵の夜桜を撮ってみました。(写真6)
千鳥ヶ淵の南側、首都高速をはさんだ対岸からのものですね。
左上のほうには写真5で取り上げたマンションも見えていたりします。
ちなみに、正面のピンク色にライトアップされた桜ですが、実は時間ごとに色が変わるライトアップになっていたのですよ。
白になったり、写真6のようにピンク色になったりという具合にですね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵7
写真7

そして、これなんですよ。(写真7)
実は(なんか今日の記事は実は・・が多いですが)、散歩当日は、東京駅から千鳥ヶ淵まで歩いて、皇居沿いの夜桜見物もしてしまおうという自分なりの企画を立てて歩いてみたのですが(特に他意もなくただ夜桜見物をしたかったのです)、そのスタート地点である東京駅で、偶然にも出会ってしまったのです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵8
写真8

こちらは綺麗に撮れているものもありましたが、わざとぼけた写真を選んでみました。(写真8)
これ見るとだいたい想像出来るんじゃないですかね。
そうなんですよ。
なんと、天皇皇后両陛下が、東京駅から皇居へ帰られる時に、偶然出くわしてしまったのですよ。
それで、写真7のような公用車の大行列、大勢の人だかり、というわけだったのです。
いやはや、なんとも大興奮でした。
僕自身は天皇陛下万歳とかそういう人ではありませんが、それでもこれだけ近くでお二人を見れたのは初めてだったもので。
ちなみに、今回は、天皇皇后両陛下をうまくおさめることができた写真も撮れましたが、ここではUPしないことにしましたので、あしからず。


ということで、今回はこんな感じです。



住所
千代田区九段南2あたり

べっしょ坂と呼ぶそうです。
場所は、東急の中目黒駅の東側にあり、こまかい場所は説明しにくいのですが、目黒川よりは北にあり、恵比寿駅の南西側にある坂道といえば、だいたいの場所がわかりそうですかね。


別所坂 (NO.265)1
写真1

ではまず、坂下あたりの様子から。(写真1)
このあたりは、ちょっと道幅が狭めで、閑静な住宅街の中の坂道といった感じでした。
ただ勾配具合は、あとでもでてきますが、この坂道は全体的に急坂で、その雰囲気がこのあたりからもでてきているようでした。
ちなみに、この坂道にも、坂の碑があり、写真では写っていませんが、写真1のすぐ左側にあってですね、いつものように抜粋するとですね、
『この辺りの地名であった「別所」が由来といわれる。別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所であった。』
と、ありました。
もうここで、坂名の由来がわかってしまいましたが、どうやらここは地名由来の坂道みたいですね。
なお、新富士については、後でも触れますので、ここでは軽くスルーです。


別所坂 (NO.265)2
写真2

すこし坂を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
ここからだと、勾配具合もすこしわかりやすいかもですね。
しかも、写真1では写っていなかった坂の碑も道の右側のほうにちらりと見えていますかね。


別所坂 (NO.265)3
写真3

写真2とだいたい同じ位置より、今度は坂上方向を見てみました。(写真3)
このあたりから、急坂具合が出てきましたね。
坂道によってこれくらいの勾配でも道路の舗装が滑り止めタイプのものになる場合もありますが、ここではまだ普通のアスファルトタイプでした。
道幅具合もあいかわらず狭いままでしたね。


別所坂 (NO.265)4
写真4

そんでもってこの階段ですよ。(写真4)
この階段は別所坂とは別ものですが、位置的には写真3の右側あたりから、このような急階段がどどんとあるのですよ。
これみるだけでも、これから上る別所坂の高低差具合が想像できそうですかね。(汗)


別所坂 (NO.265)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向を眺めてみたものです。(写真5)
写真4の階段は、道路の左側に黄色のネットが見えていますけど、そのすこしむこうあたりにあるようでした。
(あ、そうそう、それで思い出したのですが、当日は、階段と別所坂を一緒に写そうとすると、あの黄色のゴミ置場があまりにも写るのでやめたのでしたよ。(笑))


別所坂 (NO.265)6
写真6

さらに坂を上ると、今度は右にカーブしていました。(写真6)
勾配具合もかなりすごくなってきました。


265)7
写真7

これは、写真6の正面に見えていたマンションですね。(写真7)
なかなか渋くて、高低差のものすごい階段の先にどうやら入口があるみたいです。
こういう場所に一度は住んでみたいなあと思ってみたり。


別所坂 (NO.265)8
写真8

再び坂道に戻りまして、さらに坂をすこし上り、今度は坂下方向をみてみました。(写真8)
このアングルからの左へのカーブ具合もいいですねえ。
ちなみに、この別所坂、こんな感じで、蛇道といってもいいくらいS字が続いている坂道なのですよ。
なので、坂を歩いている途中は、坂全体を見渡せるこれといったポイントはありませんので、あしからず。


別所坂 (NO.265)9
写真9

こちらは、写真8とだいたい同じ位置からの坂上方向の景色です。(写真9)
歩くたびに景色が変わるのでおもしろいですね。
そして、このくねくね感に、あいかわらずの急勾配具合、いいですね。


別所坂 (NO.265)10
写真10

こちらは、写真9での道路が左に曲がる直前の場所からの坂下方向の景色です。(写真10)
このあたりからやっとドーナッツ型の滑り止め舗装が登場。
遠くには中目黒駅前にある、なんか地震がきたら倒れそうな感じのつくりというか細長くて背の高い形をしていて前から気になっていたアトラスタワーなる高層ビルが見えておりましたよ。


別所坂 (NO.265)11
写真11

道がくねくねカーブしていて、全体が見えないのでちょっとわかりにくいかもですが、今度は、写真10でいえば、写真右側方向を見ると、これまたかなりの急勾配の坂道が続いていました。(写真11)
右側の擁壁と左側の建物に囲まれていて狭苦しい感じがしなくもないですが、道自体がすこし幅が広がっている分、それほどの圧迫感はないのかなと。


別所坂 (NO.265)12
写真12

こちらは、写真11で見えていた坂上の踊り場のような場所まで上り、坂下方向を見てみたものです。
しつこいですが、かなりの急坂でした。(写真12)
ここは坂下側からと坂上側からの景色が全然違った感じに見えるのが、おもしろいところではあります。
ちょっとした高低差マジックとも言えますかね。
ちなみに、ここの部分をスマホのアプリで傾斜具合を計ってみると14.2度でした。
またこれを、よく道路標識などで表示されている%に換算してみると、だいたい25.3%みたいですね。。
どうりできついわけですな。(笑)


別所坂 (NO.265)13
写真13

写真12とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみると、ここからは階段になっていました。(写真13)
どうりで車の通りが散歩中まったくなかったわけな。(と言いつつもこういうつくりになっていることは散歩前から知っていたのですが。。)


別所坂 (NO.265)14
写真14

ちなみに、写真13の左側には、こんな具合に庚申塔がありました。(写真14)
しかも、説明が書かれているプレートもありましたので、こちらもいつものように抜粋しておくとですね、
『「庚申塔」は、庚申を信仰する庚申講の仲間たちが建てたものである。仲間達は60日に一度くる庚申の日に、眠ってしまうと、「三尸」という虫が体から抜け出し、天の神に日頃の悪事を報告され、罪状によって寿命が縮められるので、集まってその夜は眠らずに過ごしたという。
江戸時代には、豊作や長寿、家内安全を祈るとともに新陸や農作業の情報交換の場ともなり盛んに集まりがもたれた。庚申講の仲間たちは3年、18回の集まりを終えると共同で庚申塔を建てた。形や図柄は様々だが多くは病気の悪い鬼を追い払うという青面金剛像、その他に三匹の猿や日月、二羽の鶏が掘られている。
別所坂庚申塔の昭和51年の調査では、紀年銘、寛文五乙巴天〜昭和元年(1665〜1764)である。平成九年七月吉日 設置』
とありました。

なるほど。


別所坂 (NO.265)15
写真15

写真13で見えていた階段の全景はこんな感じでしたよ。(写真15)
また、今回の別所坂の坂上は、この階段上ということにもなります。
これはこれでなかなか良い感じの階段ですかね。
これだけ急勾配の坂道を上ったあとにこの階段というのも、坂道的にも珍しい部類のつくりだと思います。


別所坂 (NO.265)16
写真16

そして、これですよ。(写真16)
写真15の階段右側のほうにちらりと見えていましたが、こんな感じでまたまた案内看板があったのですよ。
始めのほうの坂の碑の説明でもでてきた、新富士についてですね。
まずは、写真16からでも読めるかもしれませんが、こちらもいつものように内容を抜粋しておくとですね、
『この辺りは、昔から富士の眺めが素晴らしい景勝地として知られたところ。江戸後期には、えぞ・千島を探検した幕臣近藤重蔵が、この付近の高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造。目切坂上の目黒”元富士”に対し、こちらは”新富士”の名で呼ばれ、大勢の見物人で賑わった。
平成3年秋、この近くで新富士ゆかりの地下遺構が発見された。遺構の奥からは石の祠や御神体と思われる大日如来なども出土。調査の結果、遺構は富士講の信者たちが新富士を模して地下に造ったとわかり「新富士遺構」と名づけられた。今は再び埋め戻されて、地中に静かに眠る。』
とのこと。

そうなんですよ。
この坂上あたりからは、かつては富士山がよく見えたらしいですね。
近藤重蔵については、「高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造」とありますが、これは、山野さんの大江戸探訪でもさらりとふれられていて、近藤重蔵のwikipediaのページにも書かれていますが、重蔵は、このあたりに広大な土地を所有していて、文政2年(1819年)に富士講の信者たちに頼まれて、富士山を模した富士塚をつくり、目黒新富士、近藤富士、東富士などと呼ばれて参詣客で賑ったそうですよ。
ただ、その賑わいがいろんな意味で災いして文政9年(1826年)にこの場所の管理を任せていた長男の近藤富蔵が、屋敷の利害問題に憤慨して隣家の7名を殺害したという大事件もあったという場所でもあったみたいですね。
近藤重蔵の目黒新富士のあった土地はwikipediaのページによれば、現在の中目黒2-1あたりとのことです。
また、目黒新富士なる富士塚についても、昭和45年(1965)に取り壊されKDDIの研究所となり(これはマルハナバチのつぶやきなるサイトさんの記事「木曽呂富士と安藤広重の「目黒新富士」」の情報です)、今はその研究所も地図で見た限りはなく、マンションになっているようですね。
むむー。
あと、目黒区の解説サイトによれば、「文政二己卯年六月建之」の碑石なるものが今でも残されているとのことが書かれているので、また機会があれば調べてみたいと思います。
ちなみに、屋敷跡がKDDIの研究所となっているいうことは、タモリさんの坂道本にも書かれていて、タモリさんが調査した時は、まだKDDIの研究所だったとも記しているので、今のマンションになったのはけっこう最近のことなのかもしれないですね。

あとは、新富士遺構も気になりますね。
今は、マンションになってしまった場所の地下でひっそりと眠っているんですかね。


目黒新富士
広重の浮世絵

写真16の案内看板の上のほうにも浮世絵が掲載されていますが、ここでは違うほうの浮世絵を紹介してみますよ。
広重による名所江戸百景の「目黒新富士」ですね。
要は、浮世絵の左に描かれているのが、かつて存在した目黒新富士ですね。
人の大きさと比べてみてもかなりの大きさだったようですね。
まあデフォルメされているのか、実際にこれだけの規模だったかどうかは、今のところきちんと調べていないので不明なのですがね。。
あと、別所坂については、いつからここにあったのかは不明ですが〔古地図みてもよくわからんのです)、この浮世絵でいうと、右側の人が歩いている坂道が、今の別所坂の位置と合致するので、そうなのかもしれないですし、そうでないかもしれないです。。


別所坂 (NO.265)17
写真17

そんなわけで、やっとこ、坂上からの景色でも。(写真17)
ちなみにこの左側が、KDDIの研究所の跡地であり、今はマンションになっている場所のようですね。

別所坂 (NO.265)18
写真18

こちらは地図をみながら富士山の方向を調べてみると、だいたいこの位置かなという場所からの景色です。(写真18)
なので、やはりこの感じ(正面の大きな建物があるので)からすると、目黒区の解説サイトに書かれている、「冬から春先にかけての朝のうちなら、今でも坂上から富士が見える」というのは厳しいかなというのが歩いてみての感想になりますかね。
(と言っても、目黒区のサイトの説明は、「月刊めぐろ」という1970年代から80年代に発行されていた雑誌の抜粋らしいので、仕方ないのかもしれないですけどね。)

ただ坂道自体はおもしろい坂道ですし、隠れ富士見坂としても見ることができる坂道であり、おすすめランキングはかなり高い坂道なので、ここに行ったことない坂道好きの人はぜひ歩くように。(笑)


ということで、長くなってしまいましたが、今回はこんな感じです。


地図
目黒区中目黒2-1あたり

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