東京坂道さんぽ

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多摩川浅間神社の女坂かも?
多摩川浅間神社の男坂?
馬込城と湯殿神社の階段
大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂
南坂(NO.239)
給水塔の見える西馬込の坂道
馬込坂(NO.238)
二本木坂(NO.236)
花抜坂(NO.235)
東海道新幹線がゆっくり見える階段
大田区相生坂の坂上の坂道
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子安八幡神社の急階段
とある街の風景194(給水塔のある坂道風景)
大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂
六郎坂(NO.234)
みちくさ学会に記事掲載されてまーす。
大田区仲池上2丁目の眺望坂
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大田区山王の厳島神社へ下る階段
大田区山王3丁目の眺望階段
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もう人は通れない地形階段と詩人の坂道
右近坂(NO.232)
大田区南馬込4丁目のごつごつ坂道と文豪
大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂
臼田坂(NO.231)

今回も前回の「多摩川浅間神社の男坂?」に続き、境内の坂道を散歩です。
神社の境内には、男坂とよばれる急な階段があれば、それとともに、ゆるやかな坂道、いわゆる女坂があることは、このブログでもしつこいくらい言ってますし、実際に取り上げてもいますが、この多摩川浅間神社でも、他の神社のように名前はつけられてはいないのですが、明らかにそうだろうと思われる坂道がありましたので、今回はそこについてのことです。


多摩川浅間神社の女坂かも?1
写真1

まずは「多摩川浅間神社の男坂?」の最後に登場した展望台からスタートです。(写真1)
ここは、社務所の屋上がまるまる展望スペースになっていて、人が少ない時にくると、境内のこまごまとしたかんじとは違うその広さにちょっとびっくりするかもですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?2
写真2

そして、再び社殿の前を通ります。(写真2)
このたてものは、昭和48年に建替えられたものだそうで、浅間づくりの社殿だそうです。
ということは、同じ歳ですな。(笑)


多摩川浅間神社の女坂かも?3
写真3

そして、やっと目的の坂道に入ります。(写真3)
場所は社殿の北東側(写真2の右側)にこんな道がありました。


多摩川浅間神社の女坂かも?4
写真4

奥に進むと、右側が坂道に。(写真4)


多摩川浅間神社の女坂かも?5
写真5

写真4の右側をみると、いっきに坂道になっていました。(写真5)
しかもけっこうな勾配具合ですね。
そして坂道は、右側に曲がる形でさらに下っていけるようでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?6
写真6

下りながら、右に曲がると、こんな感じの景色が広がっていました。(写真6)
いい感じですねえ。
ここでは直線的なところがすごくプラスになっていますね。


多摩川浅間神社の女坂かも?7
写真7

写真6の右側をみると、社殿も見えていました。(写真7)
なので、この道は、通常は社殿に荷物を運ぶ車が通るとか祭りがあればここを神輿が通るとかそんな使われ方のするところなのでしょうね。


多摩川浅間神社の女坂かも?8
写真8

すこし下り、坂上方向をみたものです。(写真8)
奥のカーブと左の擁壁、右の手摺がいい味だしているかも。
もちろん勾配具合もです。


多摩川浅間神社の女坂かも?9
写真9

さらに坂道をくだり、再び坂上方向を見てみました。(写真9)
左側の擁壁が、この坂道の高低差具合を視覚的にみせてくれていました。
かなりの高低差ですね。
しかも、正面の道に飛び出している樹もなんかおもしろいですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?10
写真10

写真9とだいたい同じ位置より、坂下方向を見てみたものです。(写真10)
ここからはかなりの急勾配になっておりましたよ。
おそらくこの短い距離に、2階から1階に下る分くらいの高低差がある感じでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?11
写真11

そして、写真10で見えていた坂下の合流地点のあたりまできて、坂上方向を見てみました。(写真11)
ここから見ると、なんていうか勾配具合よりも、この景色に見とれてしまい、ぼんやりと坐ってスケッチしたい気分になりましたかね。


多摩川浅間神社の女坂かも?12
写真12

そんなこんなで、写真11の右側(写真10でいえば左側)のほうへ下っていくと、坂下あたりにやってきました。(写真12)
ここもかなりの急勾配ですね。
しかも、この坂は、「多摩川浅間神社の男坂?」の写真7でも登場していて、男坂の記事のほうでは坂上からの景色だったのに対して、今回は坂下からの景色というわけなのですよ。
そういう意味では、社殿に行く坂道と社務所に行き来できる坂道という、二つの坂道がこの境内にある(外部からではなく)ということで、これまたなかなかめずらしいつくりの神社といえるかもですね。


あ、そうそう。
この記事をかいていて、多摩川浅間神社の公式HPも見てみたのですが、なんとHPの下のほうに、レインブックという歌手さんの「千本桜」という曲がBGMと題してリンクされているのですよ。
これもどういう経緯でそうなったのかわかりませんが、かなりめずらしい事例かもですね。
せっかくなので、アマゾンさんのページをリンクしておきますよ。かなりいい曲ですよ。
→ 千本桜
(ちなみにyoutubeでも ”千本桜 レインブック” で検索すれば非公式で動画でてきますよ。というかそれこっそり見るかぎり、PVのロケ地が、この多摩川浅間神社の展望台みたいですね。それでリンクなのですかね。)



多摩川浅間神社の女坂かも?13
写真13

最後に、写真12の右上のほうに見えていましたが、その桜のアップでも。(写真13)
ちなみに、この桜ですが、なんとなく境内に植えられたというわけではなく、実は意味があるようで、この神社のご祭神が、大山祗神の姫君で「桜の花が咲き匂うような・・」と言われる木花咲耶姫命とのことで、社殿の桜は、このご祭神にちなんでいるそうなのですよ。
そういう意味では、今回の女坂を歩いた時しか境内の桜が見れないというのもなにか意図的につくられたものなのかもしれないですが、そこのところは妄想の域をでない話なのでさらりとふれておくだけということで。。
なお、木花咲耶姫命については、ウィキペディアにも詳しいことが書いてありますので、そちらをどうぞ。 → https://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ
ただ、ウィキペディアの説明を読んでみると、コノハナノサクヤビメ(木花咲耶姫命)と浅間神社は深いつながりがあるようですね。
しかも、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社でも、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとする話は、富士山がもともとは火山であり、ここ最近の地震のこととも関係がありそうな点など、そういうことを再認識するうえでも、なんとも興味深い話だなあと思ったのでした。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

今回は、東急東横線の多摩川駅からすぐの場所にある多摩川浅間神社の境内にある階段を取り上げてみたいと思います。
ただ、ここの境内の階段には名前が正式にはつけられていないようですので、現段階では、あくまで無名坂であり未確認の坂として位置づけていますので、あしからず。


多摩川浅間神社の男坂?1
写真1

いきなりですが、坂下からの様子でも。(写真1)
場所は、東急東横線の多摩川駅の南側にあり、すぐ西側には多摩川が流れていて、写真1
でいえば、左側のほうが多摩川になり、北西に向かって上る階段ということになりますかね。
しかも、住所でいえば、なんとここは田園調布1丁目とのことですよ。
とにかくここは、過去にも何回か来ていて写真を撮ったり、学生時代にもこのあたりをリサーチした場所でもあるので、いつか取り上げなければと思っていたところ、今回は、時期的にも桜のシーズンに散歩したこともあり、ちょうどよい頃かもという気持ちもあったのです。


多摩川浅間神社の男坂?2
写真2

ちなみに、階段の東側(写真1でいえば、右側)には、こんな具合にのんびりしたたたずまいの釣り関係のお店があったりします。(写真2)
なんかいいですねえ。
こういうのはずっと残っていてほしいですなあ。


多摩川浅間神社の男坂?3
写真3

さらに、その東隣りには、今風なつくりにもかかわらず、どこかレトロな感じの飲食店もできておりましたよ。(写真3)


多摩川浅間神社の男坂?4
写真4

階段をのぼり、坂下方向をみてみたものです。(写真4)
まだ階段的には始まったばかりの場所ですが、すでに建物でいえば、2.5階から3階分くらいの高低差がありそうでしたかね。
遠くのほうに多摩川と丸子橋が見えていましたよ。


多摩川浅間神社の男坂?5
写真5

写真4の背後にはもちろん、階段が続いています。(写真5)
ただ、ここの階段は、まちなかでよくみる神社の直線的なつくりの階段とは違い、一風かわったつくりの階段だったのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?6
写真6


写真5の左側は、こんな景色になっていました。(写真6)
この高さレベルに神社の一般駐車場やら社務所への入口があるんですよ。
奥が開けているのは多摩川があるからですね。


多摩川浅間神社の男坂?7
写真7

写真5の右側には、これまたすごい坂道が見えていました。(写真7)
これはもちろん、写真6で見えていた駐車場に入るための道路であり坂道なのですね。
坂道として切り取ってみてもかなりいい感じです。


多摩川浅間神社の男坂?8
写真8

見どころ満載の神社で、ひとつひとつ取り上げていたらきりがなくなってきそうですので、再び階段のほうにもどりまして、写真8はさらに階段を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真8)
このあたりからいっきにごつごつとしたつくりになっていました。
というのも、この階段というか参道は、富士塚のように富士登山を模してつくられているそうで、そのためか途中には、両サイドにちらりと見えているとおり、多数の溶岩が置かれているためなのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?9
写真9

こちらは、写真8で見えていた鳥居のあるあたりまで上り、坂下方向をみてみたものです。(写真9)
階段がカーブして、ちょうど多摩川にむかって下るかたちになり、そのため、奥にはまさに多摩川が見えていました。
ただ軸線方向てきには富士山の方向は向いていませんけどね。


多摩川浅間神社の男坂?10
写真10

同じようなつくりの階段をしばらく上っていくと、坂上あたりが見えるところまでやってきました。(写真10)


多摩川浅間神社の男坂?11
写真11

ちなみに写真10の右側に、このような石碑があり、「勝海舟の直筆 富士講 中興の祖 食行身禄之碑」という案内板がそばに設置されていました。(写真11)
ということは、目の前の石碑にほられている文字が勝海舟の直筆ということなんですかね。
なお、富士講中興の祖である食行身禄については、ウィキペディアに説明がありましたので、気になる方はそちらのほうをどうぞ。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/食行身禄


多摩川浅間神社の男坂?12
写真12

写真10の背後はこんな感じの階段でした。(写真12)
登山道らしく、くねくねしていてかなりの高低差ですねえ。


多摩川浅間神社の男坂?13
写真13

そんなこんなで、やっと坂上にあたる本殿のあるレベルにやってきました。(写真13)

そして、気になるところでもあるこの浅間神社の由来については、境内に大きな案内看板があり、説明が書かれてありましたので、一部を抜粋しておきますよ。
『当浅間神社は、今から八百年前、鎌倉時代の文治年間(1185年〜1190年)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣した時、夫の身を案じ後を追って来た北条政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれずれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、長く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。』

なるほどなるほど。
やはりこれまで歩いてきた登山道のような参道や浅間神社という名前のとおり、富士山に大いに関係している神社だったのですね。
しかも眺望系神社。(いいですねえ。)


多摩川浅間神社の男坂?14
写真14

いちおう、坂上からの景色なども。(写真14)
ただ、こちらの軸線方向は南側なので、遠くに富士山が見えるわけではないのですねえ。
でもすごい高低差ですね。


多摩川浅間神社の男坂?15
写真15

ただですね、この神社のことを知っているかたはあれれ?と思っていたかもしれないですが、実は境内にはこんな展望台があるのですよ。(写真15)
場所的には写真13の左側へいくとあり、写真6で見えていた社務所の屋上に、なんとこんな場所がつくられていたのです。
見てのとおりですが、目の前は多摩川ですね。
これを考えたというか計画したというかつくった人は、おもしろい発想してますよね。
しかもここにくることで、神社の由来ともリンクしていて、過去ともどこかつながれる場所ともいえますかね。


多摩川浅間神社の男坂?16
写真16

手摺ちかくまできて、富士山の方向をみてみました。(写真16)
散歩の日は残念ながら富士山は見えませんでしたが、これなら時期があえば、ちゃんと見えそうですかね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

しかしまああれですね。
今回は神社内の階段が現地ではかっこいいなあと思い歩いていたのですが、帰ってから軽く調べていたら現地では気がつかなかったけっこうおもしろい史実がでてきたのでそのあたりのこともまじえながら。

場所は前回取り上げた「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」の坂の途中の道を南にすこし下ると湯殿神社なる神社があるんですが、今回はそこの境内の無名階段です。


馬込城と湯殿神社の階段1
写真1

まずは「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」から歩いてくると道沿いからこうま児童公園なる小さな公園が見えてきて、ふと奥をみると写真1のような感じで湯殿神社の本殿が見えていました。


馬込城と湯殿神社の階段2
写真2

気になり境内に入ってみると途中には写真2のような味のある階段もありつつ。


馬込城と湯殿神社の階段3
写真3

本殿の前には写真3のような階段もありました。
右の大木の育ち具合といい階段との関係といいなかなか良い感じでしたよ。


馬込城と湯殿神社の階段4
写真4

また写真4はすこし位置はもどりますが、本殿のそばから坂下のほうを眺めたものです。
こうみると坂下まではけっこうな高低差具合で、右側の社務所の屋根がいい感じのつくりでこちらも気になるところでした。


馬込城と湯殿神社の階段5
写真5

そして、一気に坂下の神社の入り口までやってきて坂上のほうを見てみました。
手前の階段のなんとも古そうなつくりと鳥居の奥のうっそうとした緑と大木がこれまた良い感じの風景つくっていたかもです。

そしてそして、実は湯殿神社の史実を軽く検索していたら、なんとこのあたりにはかつてお城があったそうなんですよ。
それがタイトル名にも加えたように馬込城というそうで、大田区のHPにも馬込城跡として説明があったのでそのまま抜粋するとですね、
『戦国時代の後北条氏の家臣である梶原助五郎(三河守)の所領で、東は北野神社(南馬込二丁目)、西は湯殿神社(南馬込五丁目)、南は臼田坂下(中央一丁目、中央四丁目)、北は大田区立馬込図書館(中馬込二丁目)までに及ぶ中世城郭でした。城の構えは周囲が急な崖で、周辺の谷に沼を配し、敵の侵攻に備えていました。特に西側の部分はかつて根古屋ねごやと呼ばれ、このあたりが城主の館の跡と伝えられています。写真は湯殿神社に隣接する湯殿公園の様子です。城の遺構は残されていません。』
とのこと。

そこで、湯殿神社と前にとりあげた臼田坂(NO.231)以外の北野神社、大田区立馬込図書館の場所はどこだろうと思い、地図におとしこんでみたものが次の地図です。


馬込城と湯殿神社
馬込界隈の地図


おそらく紫の点線で囲んだあたりがかつての馬込城の城郭だったエリアのようですね。
それで、肝心の馬込城のほうは、もちろん今はないのですが、こちらの東京都の城というサイトの説明によると今回の湯殿神社のすぐ東隣、しかも前回とりあげた「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」も含めた場所にあったみたいなんです。
なのでこの無名坂の坂上からの風景は、かつてあった馬込城からの眺めとかぶっているところはあるかもですね。

というわけで、よくよく考えてみるとかつての馬込城は、「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」とその北側にある南坂(NO.239)の間にあったということになりますかね。
むむー、現地ではまったく気がつきませんでしたよ。南坂(NO.239)の坂の碑にこれ書いててくれたら気がついたんですけどね。(笑)


地図
大田区南馬込5-18

また期間が空いてしまいましたが、また馬込界隈の坂道の話にもどりまして、今回は南坂(NO.239)の坂上あたりから南へ少し歩いたあたりに坂の途中から富士山が見えるという場所があるということで、ついでに寄ってみました。


大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂1
写真1

いきなりですが、こちらが坂上からの様子です。
坂上あたりはかなり平坦でした。


大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂2
写真2

ただ写真1の左側はちょっとした高低差のある場所になっていて、たまたま駐車場だったこともあり、景色が開けていました。
歩いていた時は、おお!この向こうに富士山が見えるのかもと思ったのですが、地図で方向を確認するとどうやら違う方向を見ていたようでした。。
ちなみにタイトルにでてきた大田区立郷土博物館は写真でいえば左側の緑でいっぱいのあたりにあるようでした。


大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂3
写真3

さらに坂下の方へすこし歩くとやっと坂らしく勾配がすこしでてきました。
そして、ネット情報などによると、むこうに見えている屋根と空の境界線あたりにどうやら富士山が見えるらしいのですが、今回は見えずじまいでした。
でもこのあたりは両サイドが住宅街しかも背の高いマンションもなかったので歩いていて気持ちよかったです。


大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂4
写真4

そんなわけで、坂道は写真3の場所からまだまだ下っていたので、とりあえず坂下のほうまできてみて坂上のほうを見てみたものがこちらです。
このあたりまでくると高低差感もわかりやすくなっていたかもです。

というわけで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
大田区南馬込5-9あたり

所在地:大田区南馬込5-6あたり


みなみ坂と呼ぶそうです。
場所は馬込坂(NO.238)の坂下あたりから東の方向に上っている坂道です。


南坂(NO.239)1
写真1

まずは坂下より。
この背後が馬込坂(NO.238)であり第二京浜なのですが、そこからこんな感じで上り坂となっていました。
道幅はけっこう狭めで車同士がまともにすれ違うのはけっこう厳しいかなという感じ。


南坂(NO.239)2
写真2

さらに坂をすこし上って坂下あたりの様子も見てみました。
さすがに坂下に面している道路は第二京浜ということもあり車がバンバン走っていましたが、この坂道に入るとかなりひっそりとした雰囲気に変わるのがなんとも興味深かったです。

あと正面の信号を抜けてそのまま直進すると、これまた前にブログでとりあげた二本木坂(NO.236)の坂下あたりに行けるという場所でもあります。

ちなみにここにも、写真2にも見えているとおり、坂の碑がありましたのでそのまま抜粋しておくとですね、
『馬込の中心にある八幡神社からみて、南側にあるので南坂といわれている。昔の坂は、道幅も狭く急な坂で、今の第ニ京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り、池上の根方に通じた古い道である。』
とありました。

また大田区のHPにも、坂の碑よりすこし詳しい解説ありましたので、こちらも載せておきますね。
『南馬込五丁目2番の八幡神社脇を西へ行き、すぐ南へ下る坂道。坂名の由来は、馬込の氏神である八幡神社から見て南にあるため、この名となったといわれています。昔の南坂は、道幅も狭く急な坂道で、今の第2京浜国道の中央あたりまでありました。そこから西へ下って二本木(西馬込一丁目付近)を通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。』

軽く補足しておくとですね、ここででてくる八幡神社とはちょうど坂上あたりにある馬込八幡神社のことを言っているようです。
あと「耕地整理で新しい坂道」がなんちゃらというところは、馬込坂(NO.238)なのかこの南坂のことなのか、ちょっと迷うところですね。
まあ変に周りをまわったからもしれませんが・・・。
でもこの一文だけで想像してみるとやはりこの南坂のことのような気がします。


南坂(NO.239)3
写真3

そしてもうすこし坂を上り、道がきゅっと曲がるあたりから坂上のほうを眺めたものがこちらです。
歩いているときは結構な勾配具合に感じたのですが、地面の舗装をみるとアスファルトタイプなので、実はそれほどきつくないのかもしれないですね。
でも右側の古そうな擁壁みるとその上にある家とはかなり高低差あるみたいなので、なんともいえないところはあるのですが。。


南坂(NO.239)4
写真4

いちおう写真3とだいたい同じ位置より坂下のほうも見てみました。
ここからだとすでに坂下の第ニ京浜も見えなくなっていたので坂のカーブ具合がけっこう急なこともわかりやすいかもですね。


南坂(NO.239)5
写真5

さらに坂を上り、坂上のほうを見たものが写真5です。
このあたりまでくるとアスファルト舗装のタイプらしいゆるやかな勾配具合になってきているようでした。


南坂(NO.239)6
写真6

そして、一気に坂上あたりまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。
右側にマンションがあるのでわかりにくいですけど、けっこう坂道自体はうねうねしていて、さらにここから坂道は坂上にある馬込八幡神社を避けるように写真6の左側に大きくカーブしていくのですよ。


南坂(NO.239)7
写真7

そいでもって最後は、写真6のすぐ右側にあった無名階段です。
もちろん階段下は馬込坂(NO.238)でもある第二京浜ですね。

なので、坂の碑の説明にもあった「その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。」という一文から、これを写真6を見ながらかつての南坂の風景を想像してみると、写真6の左側に雑木が繁り、右側には竹やぶがひろがっていたということになりますかね。
そして、この写真7の階段、かつてはこのような崖のような勾配ではなくもしかしたらもっとゆるやかで、実はこの高低差分くらい耕地整理のため土地が削られ、今の勾配が比較的ゆるやかな馬込坂(NO.238)ができたのかもしれないと予想してみたのですが、その事実やいかに。。



地図
大田区南馬込5-6あたり

今回も無名坂ですが、また馬込界隈の話にもどります。
場所は前に取り上げた二本木坂(NO.236)の途中にあり、そこから下る形になっている坂道です。


給水塔の見える西馬込の坂道1
写真1

まずは坂上からの風景など。
短い距離で一気に下る形の坂なので勾配はけっこう急でした。
坂下のマンションと高さ比べしてみるとわかりやすいかもですが、4階分くらいの高低差はありそうですかね。

しかも遠くには、とある街の風景194(給水塔のある坂道風景)でもとりあげた給水塔がふたつ並んでみえていて、なかなか良い感じ。
なんかもうこの景色だけで(気がついた人もいるかもしれないですが)、このあたりのうねうね感というか高低差の具合にバリエーションがあることもわかったりするのですが、気がついてもらいましたかね?


給水塔の見える西馬込の坂道2
写真2

次は、一気に坂下までやってきて坂上の方を見てみました。
この坂については、坂上からもそうだったのですが、坂下からの景色からも急勾配の坂道ということがわかりやすいかもですね。
そして、この坂道の舗装は写真2のとおりジャノメ(ドーナツ)型のものなのですが、個人的にはこれくらいの傾斜にこの舗装というのが正統なのかなと思っていたりするのですよ。
あとは舗装のコンクリートの色に新色が。。(笑)


住所
大田区西馬込1-16あたり

所在地:大田区南馬込5-2あたり


ひさびさな感じですが、また大田区は馬込界隈の坂道話の続きなど。

坂名はまごめ坂と呼ぶそうです。
場所は、第二京浜と東海道新幹線が交わっているあたりから東京メトロの西馬込駅の手前あたりまであり、距離も長めの坂道です。


馬込坂(NO.238)1
写真1

まずは坂下あたりからの様子など。
もう見た感じからもそうなんですが、この道路は第二京浜ということもあり道幅も広くいかにも幹線道路といった感じでした。
でもここには坂の名があるんですよね。


馬込坂(NO.238)2
写真2

もうすこし坂を上り、さらに坂上のほうを見てみました。
あいかわらずの幹線道路の風景ですが、ちょっと気になったのは、右側にちらりと見えている長遠寺というお寺の建物とその境内の立派な樹々ですかね。
擁壁の高さもかなりありそうでした。



馬込坂(NO.238)3
写真3

次は、もう少し坂を上り今度は坂下の方を眺めてみたものです。
こうしてみると距離が長い緩やかな勾配なのでわかりにくいのですけど、実は高低差はけっこうありそうです。

いちおう(あまりネタがないので)、軽くですが、海抜測れるマピオンで調べてみると、坂上は海抜20m、坂下は海抜10mでした。
ということは高低差10m。
なのでけっこうありますね。

また、写真3の左に見えている長遠寺の擁壁のところに、いつものように坂の碑がありまして、
『坂名は、第二京浜国道が建設され、昭和二十四年頃より五反田から多摩川際までのバスが通るようになり、馬込坂下、馬込橋のバス停ができると自然に馬込坂と呼ばれるようになった。第二京浜国道ができる前のこの付近一帯は小高い丘や水田で、坂下には内川の清流が流れていた。』
とありました。

また大田区のHPにもすこし詳しい説明がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『馬込橋陸橋あたりから、都営地下鉄西馬込駅方面へ下る第2京浜国道(国道1号線)の坂道。坂名は、第2京浜国道が建設され、昭和24年ごろより五反田から多摩川際間のバスが通るようになり、馬込橋、馬込坂下のバス停ができると自然と馬込坂と呼ばれるようになりました。第2京浜国道は、昭和11年に6か年計画で工事に着手しましたが、日中戦争により中止となり、戦後工事を再開、全面舗装が終わったのは昭和34年でした。第2京浜国道ができる前のこの付近一帯は、小高い丘や水田で、坂下には内川の清流が流れていました。』
ということでした。

なんというか、とにかくこの第2京浜自体が新しい道路のようですので、坂名はもっと新しいということになるんでしょうかね。


馬込坂(NO.238)4
写真4

そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきました。
写真4はさらに坂上のほうを見たものです。
なので、正面に見えている陸橋が、坂の説明にもでてきた馬込橋陸橋であり、東海道や新幹線がここを通過しているというわけなんですよ。


馬込坂(NO.238)5
写真5

そして、こちらは写真4からも見えていた陸橋の手前に見えていた歩道橋からのもので、写真5は西方向を眺めていたりします。
ということは、ここも二本木坂(NO.236)でもふれたと思いますが、この東海道線の軸方向に富士山が見えるという場所柄なはずなので、昔なら富士山見えたんですかね。
でもよく考えてみれば二本木坂(NO.236)の時は、坂上がこの横の線路と同じ高さまであったのに対して、こちらは歩道橋から見てもこの感じなので、やはり現在はもちろん昔も、ここから富士山が見えたとは考えにくそうなんですけど、どうなんでしょうかね。


地図
大田区南馬込5-2あたり

所在地:大田区西馬込1-11あたり


にほんぎ坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会でとりあげた相生坂の坂上からJRの線路わきの高低差がうねうねしている道をてくてくと東方向にすこし歩くと、今回の坂道の坂上あたりにやってきます。


二本木坂(NO.236)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
なんてことない普通の住宅街を抜ける道が坂だったという感じの坂道でした。
道幅も広めで、勾配具合も適度な感じで、てくてく歩くにはちょうどよい距離感と勾配ですかね。

あと、写真でも見えているので、ここで書いてしまいますけど、ここにもいつもの坂の碑があり、
『この坂道は、馬込の八幡神社付近の南坂を通り、旧池上村根方方面に向かう古い道である。坂名は、旧馬込村の小字二本木に由来する。』
とありました。

また大田区のHPにもこの坂の記載があったので、そのまま抜粋しておくとですね、
『第2京浜国道(国道1号線)から、西馬込一丁目4番と19番の間の道を西へ入り、しばらくすると折れ曲がり勾配も変化する坂道が現れます。この坂道が二本木坂です。この付近一帯は、馬込村小字二本木と呼ばれていましたが、坂名はその地名に由来するのだろうと思われます。この坂道は、八幡神社の南の南坂からここを通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。付近の新幹線にかかる橋は、二本木橋と名づけられました。』
とのこと。

とりあえず坂名は地名由来のものみたいですね。


二本木坂(NO.236)2
写真2

次はもうすこし坂を上り、坂下のほうをみたものです。
坂の説明にもあったとおり、このあたりからだと、坂道自体が徐々に折れ曲がりながらもなにか不安定にうねうねしている感じもわかりやすいんじゃないでしょうかね。


二本木坂(NO.236)3
写真3

もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てみました。
このあたりは坂下の勾配具合にくらべると、かなり緩やかな勾配になっていました。


二本木坂(NO.236)4
写真4

だいたい同じ場所より坂下のほうを見てみると勾配具合の差が一目瞭然ですね。
でも坂道はまだ続きます。


二本木坂(NO.236)5
写真5

さらに写真3の奥のほうに見えていたあたりまで上り、坂上のほうをみてみると、どうやらこの坂の頂上あたりが見え出していました。
このあたりになるとまた傾斜具合が急になっているようでした。


二本木坂(NO.236)6
写真6

ちなみに写真5の左のほうには、遠くにこのブログでも前にとりあげた丸い給水塔がちらちらと見えていましたよ。


二本木坂(NO.236)7
写真7

で、もうすこし坂を上ると、坂上あたりの様子もはっきり見えてきました。
いちおう道の両サイドに背の高いフェンスが見えてますけど、あのあたりに坂の説明でもでてきた二本木橋があり、その下を東海道新幹線やら東海道線の線路があるというわけですよ。


二本木坂(NO.236)8
写真8

そんなこんなでやっと坂上までやってきたので、いちおう坂上からの景色なども。
坂道自体がくねくねしていたので、現地ではもうここからはどの方向に坂下の場所があるのかということさえ地図みないと確認できないほどだったかもです。


二本木坂(NO.236)9
写真9

そして、最後は坂上の二本木橋のところで今回の二本木坂と直行する形で東海道線が走っている線路の様子など。
いちおう写真9は西方向(写真8でいえば右側)を見ていたりします。
なので、この向こうにある相生坂一連の無名坂の記事を読んでもらった方ならもうおわかりかもしれないですが、ちょうどこの線路の向こう、写真9でいえば線路を渡る歩道橋の上あたりに時期があえば富士山が見えるそうですよ。

まあ、ある意味、隠れ富士見坂っていうやつですかね。
富士見坂という名前はどこにもでてきませんけどね・・・。


地図
大田区西馬込1-11あたり

所在地:大田区東雪谷5-12あたり


はなぬき坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会で取り上げた八幡坂の坂下から西へ途中JR線路の下をぬけたあたりに今回の花抜坂があります。
徒歩で言えば八幡坂から10分もかからないくらいの場所にある坂道です。


花抜坂(NO.235)1
写真1

ではまず坂下からの様子など。
見た感じではすごくきつくはないけどなにげに勾配のキツイ坂道かなという雰囲気の坂道ですが、ここも見てのとおり道路の舗装にドーナツリング型の滑り留め加工がされていることもあり、他の坂道にくらべるとやはり勾配はきついということなんでしょうね。
まわりは落ち着いった住宅街といった雰囲気でした。

あと、このすぐそばにはいつものように坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですが、今回は大田区のHPにも同様に坂の説明があり、そちらのほうがすこし内容が詳しいのでHPのほうを抜粋しておくとですね、
『東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪小学校脇に向けて上る坂道が花抜坂です。坂名は、日蓮が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道でした。昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであったようです。』
ということだそうですよ。


花抜坂(NO.235)2
写真2

そんなわけで、すこし長めに歩いて坂の勾配がゆるやかになるところまで上り、さらに坂上のほうを見てみました。
このあたりまでくると説明かぶりますけど坂の勾配も一段落して、坂上の頂上のほうもちらりとですが見えてだしていました。


花抜坂(NO.235)3
写真3

今度はもうすこしばかり坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。
たしかに高低差のある坂道ですが(道自体が長めなのでそれほどの高低差感はないのですが・・・)、坂下にある住宅の窓の位置からだいたい推測してみるこのあたりは建物3階床ぐらいの高さの場所のようですかね。
でも遠くのほうをよくみると坂下には背の高いマンションがちょうどないためかなにげに景色が抜けているのはいいかもですね。


花抜坂(NO.235)4
写真4

そして、坂の途中にはこんな場所もありました。
位置的には写真3のちょうど左側に写ってるんですけどね。
地形というか地面というかそんなものがむき出しになっていましたよ。
今時、ありそうでない感じがすごく気になりました。
そんでもって坂名の説明にもあったとおり、ここは大昔からあった古道でかつて日蓮さんも通ったことがあるという坂道ということからも、この土というか石というかこの赤茶けたものはいつの時代のものなんだろうと、ちょっといろんな意味で妄想してしまう自分がいたりしますですよ(笑)。


花抜坂(NO.235)5

写真5

そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。
このあたりまでくると遠くのほうの景色もけっこうひらけてますかね。
しかも・・・。


花抜坂(NO.235)6
写真6

こちらは、写真5の位置よりカメラの望遠で遠くのほうを見たものですけど、なんとちょうど坂道の軸線上に池上本門寺の大堂と五重塔がちらりと見えていましたよ。
なんというかこれだけ本門寺が今でもはっきり見えるのだから、大昔ならもっと大きくはっきり見えただろうし、加えてまわりに野花が美しく咲いていたらそりゃあ日蓮さんも記念に花でも摘みたくなるだろうなあと思ってしまったのでした。。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区東雪谷5-12あたり

前回の続きといえばそうかもという話です。


東海道新幹線がゆっくり見える階段1
写真1

まずは、前回の「大田区相生坂の坂上の坂道」のエントリーの写真1の坂下の向こうに見えていた側の坂と橋からの景色など。
こうしてみると坂下と坂上の部分でけっこう高低差あるように見えてました。

あとは手前の坂のほうでは、右側に橋があるんですが、気になってしかたがないのが、ガードレールが上下に2つあったんですよ。
これなんでしょうかね?
昔はこの道や橋の道路レベルがもっと低い位置にあったのかもと予想もできますけど、ようわからんです。


東海道新幹線がゆっくり見える階段2
写真2

そして、写真1の背後は、なんと階段になっていました。
しかも隣のJRの線路レベルまで高低差を一気に下るという形。
ほんとこの線路沿いの坂道の高低差はほんとうねうねとしていたんですね。


東海道新幹線がゆっくり見える階段3
写真3

いちおう坂下からも見てみました。
かなりの急勾配な階段ですが、これぐらいの急坂なら見たこともなくはないので、ここでわざわざ階段にしているということは、いろいろ想像してみると、もしかしたらここは(線路を通すのにあわせてあたらしくつくられたものではなく)昔から階段のあった場所なのかなあと。


ということで今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区西馬込2-10あたり

意味不明なタイトルですけど(笑)、今回もまたまた無名坂ネタです。


大田区相生坂の坂上の坂道1
写真1

いきなりですが、線路の見える坂道風景など。
隣の線路は新幹線が見えているとおり東海道ラインです。

場所的には、みちくさ学会でとりあげた相生坂から東へ徒歩1,2分といった場所でしょうかね。
なんというか不思議な高低差の線路沿いの坂道だったので思わずぱちりと。
とりあえず坂下の向こうはまた上りになっているところはすこし気にかけておいてください。


大田区相生坂の坂上の坂道2
写真2

ちなみに写真1の背後はこんな風景でした。
なんとなく見覚えのある風景だなーと思ったかたもいるかもしれないですが、実はここ、相生坂の坂上とつながっているんですよ。
なので、ここも相生坂の坂上といってもおかしくない場所なので、もしうまくいけば富士山がむこうのほうに見えるかもというわけなんです。

そんなこんなで、この道が不思議な高低差をしているということがわかってもらえましたか。
要は、高低差がすごいうねうねしてるんですよ。


大田区相生坂の坂上の坂道3
写真3

で、お次は写真1で見えていた坂下のほうまで降りて坂上のほうを見てみたものです。
ほんと、この高低差はなんでしょうかね。
はじめは橋を通すために無理やりここだけ高くしたのかなと思ってみたのですけど、それならばこの坂の坂上は相生坂の坂上とは標高がほぼ同レベルとなっているというわけでして。。
そう考えると昔からこの場所はこんな具合にくねくねした高低差になっていたのかな?と思ってもしまうわけなんですよ。
うーん、どうなんでしょうかね。


大田区相生坂の坂上の坂道4
写真4

あ、そうそう。
こちらは現地でたまたま写真3の右側の線路と道路との高低差具合を記録しておこうと思って撮っておいたものなんですけど、最近トンネルの例の大事故などもあったこともあり、写真整理していたら、なんだか左の高低差よりも右側の鉄骨のいたみ具合の激しさに目がいってしまいましたよ。
これ大丈夫なんですかね。。(汗)

ということで今回はこんな感じです。



住所
大田区仲池上1-1あたり

さてさて前に子安八幡神社の急階段の記事掲載した日からちょっと時間が空いてしまいましたが、今回は同じく子安八幡神社内に本殿に向かうためのスロープ(他の神社仏閣でいえば女坂にあたる坂道ですね。もちろんここは無名坂ですけど。)があったのでそちら話でも。


子安八幡神社のスロープ1
写真1

で、まず写真1は坂下からのものです。
位置てきには、この左側が男坂にあたる階段があります。


子安八幡神社のスロープ2
写真2

とりあえず坂をすこし上り、せっかくなので急階段(男坂)の右側にあった擁壁をスロープ(女坂)側からみてみました。
枠の中に石がいっぱい詰められている感じが渋いです。
どこかでみたよなーという既視感はあるものの、実際どこで見たっけと思い直すと、あれれ?という具合の擁壁のつくりともいえるかもですね。
またよくみると擁壁の上のほうでは、壁から生えでてきたように大木が・・・。


子安八幡神社のスロープ3
写真3

スロープは写真2の右側へとこんな具合に続いておりました。
とりあえず正面のあたりまではあまり高低差もないもよう。


子安八幡神社のスロープ4
写真4

で、写真3で奥に見えていた突き当りのところまで歩き、坂下のほうを眺めてみました。
なんかうまく説明できないですけど良い感じ。


子安八幡神社のスロープ5
写真5

そして、写真4と同じ位置より坂上のほうをみてみると、この女坂自体は左にくいっと曲がる形をしているのですが、現地ではそのむこうにも別の場所へと向かう階段があり、それがまたなんともいいつくりというか雰囲気というかかんというか。


子安八幡神社のスロープ6
写真6

そして、写真5の坂を左に曲がるとこんな景色になってました。
坂の途中になにやら気になるつくりの神社の施設が見えていたり、この勾配具合といい、たまに通る車や人のための道としてだけ使うにはなんかもったいないつくりだなーと思ってしまったんでけど、どうでしょ。


子安八幡神社のスロープ7
写真7

また写真6の位置より坂下のほうをみてみると、こんな感じでした。
これは車で通るのもなかなか一苦労しそうな高低差のあるヘアピンカーブですかね。


子安八幡神社のスロープ8
写真8

次は一気に坂を上り、坂上近くの場所までやってきて坂下のほうを眺めてみました。
かなりの急坂でしたよ。
ふつうに建物3階ぶんくらいの高低差はあるんじゃないですかね。


子安八幡神社のスロープ9
写真9

そして、写真8の左には基礎のつくりがそのまま見えている神社のとある施設がありました。
なかなかしぶいつくりですね。


子安八幡神社のスロープ10
写真10

ちょうどこの写真10の左右を男坂が横切っているという場所なのですが、女坂はまだ続いているようでした。


子安八幡神社のスロープ11
写真11

道(女坂)がちょうど上空からみるとs字の形をしていて、そのため写真の枚数も多くなっていてなんですけど、こちらは写真10の場所からさらに坂を上ったところから坂下方向を見たものです。

そしてそして、写真11の正面方向はちょうど南西方向に向いていたりします。
なので、ここからも男坂と同様、まわりの樹々が枝だけになるころなら、もしかしたら富士山がここからも見えるかもしれないんですよ。(ただし、ここから富士山見えた!という情報はネットなどを見た限りでは今のところありませんが・・・。)


子安八幡神社のスロープ12
写真12

で、写真11の背後にはこんな具合に子安八幡神社の本殿が見えているというわけですね。
というわけでやっと坂上の頂上に到着です。



住所
大田区仲池上1-14


大田区仲池上の富士見坂?


そういえば、1週間ほどまえに、みちくさ学会に寄稿した坂道記事がアップされましたよ。

→「大田区仲池上の富士見坂?

ちなみにここは坂の歴史的にはかなりあたらしい坂なのですが、坂上からの景色のひらけ具合やらがかなり気持ちよく、電車(新幹線もです!)もみれて、時期があえば富士山もかなりはっきり見える場所なのですよ。

ということでよろしくなりです。


※おまけ
今回の坂(相生坂)の地図→大田区仲池上1-15あたり

今回もいちおう無名坂の話なのですが、もしかししたら名前あるかも?という坂道を取り上げてみたいと思います。

場所てきには、前にみちくさ学会の「大田区仲池上の神社の名前に由来する眺望坂」で取り上げた八幡坂のすぐ隣にある子安八幡神社の境内にあります。
また境内にある階段なので男坂と呼んでもいいのかもしれないですが、今のところ、この階段には名前はついていないようでした。


子安八幡神社の急階段1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの様子です。
どちらかといえば、まち中でよくみかける小さな神社なのかなあと思っていたのですけど、なんともこの坂下と本堂のある坂上をつなぐ階段の高低差具合が半端なくて、おもわずびっくりという感じでした。
でもよく考えてみえれば、八幡坂の坂名の由来にもなった神社ですし、歴史もありそうなので、こまかく調べてみるとおもしそうな史実もでてくるのかもしれないですが、そのあたりのことはまた別の機会にということで。。


子安八幡神社の急階段2
写真2

次は坂下からひとつ目の鳥居のところまできて、坂上のほうを眺めたものです。
このあたりから急に勾配がきつくなるつくりになっていました。
赤い手摺も気になりますが、このあたりは誰がきめたんでしょうかね?


子安八幡神社の急階段3
写真3

すこし階段を上り、今度は坂下のほうを見てみました。
まあ、ここからの眺めはどこにでもある神社の景色という感じですかね。


子安八幡神社の急階段4
写真4

ただ、写真3の左側をみると、変わったつくりの擁壁になっていました。(写真2でも見えてましたけど。。)
それにしても急勾配ですね。
でもここまですらりと奥にのびている感じはかっこいいかもです。



子安八幡神社の急階段5
写真5

で、次は坂下から2つ目の鳥居のところまで上り、坂下方向を見てみました。
もう坂下からはかなりの高低差ですね。


子安八幡神社の急階段6
写真6

そして、同じ位置から坂上のほうを見てみると、やっと本殿がしっかりと見えてきました。


子安八幡神社の急階段7
写真7

そんでもってやっと、本殿のある坂上までやってきました。
いちおう坂下の様子もうかがえますけど、怖くてあまりみたくなくなるほどの高低差ですね。


子安八幡神社の急階段8
写真8

そしてそして、ちょっとした発見として、同じく坂の頂上からすこし右のほうを見てみたものがこちらです。
なぜこの方向をみたかというとですね、実はこの方向に富士山があるからなんですよ。
地図で再確認したときはちょっと愕然としたというか。
こんなひっそりとした神社の階段なんですけど、実はこの隠れ男坂、南西方向に下るかたちをしていて、しかもこの高低差やここからのこの見え具合からすると、時期があえばおそらく富士山が見えると思うんですよ。(ただ今のところ、ネットなどの情報ではここからの富士見情報はありません。)

なので、もしここから富士山が見えるということがわかれば、都内でもかなりめずらしい存在の場所にもなりそうなので、この階段にもなにか名前がつくとおもしろいかもですね。(期待をこめて、笑)。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
大田区仲池上1-14

今回はちょっと寄り道です。


給水塔のある坂道風景1
写真1

こちらは前回、「大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂」として取り上げた無名坂の坂上には給水塔があると書いたのですが、今回はその無名坂と坂上でつながっていて給水塔の隣を通っている坂道(こちらも無名坂です)があったので、おもわず寄り道がてら歩いてみた時に撮ったものです。

給水塔のスケールと坂道のスケールがなんだかちょうど良い感じかなーと。
ちなみに写真1でいえば、坂上の信号があるあたりが、「大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂」の写真3の坂上あたりということになります。


給水塔のある坂道風景2
写真2

いちおう同じ位置より、坂下のほうを眺めてみるとこんな感じでした。
けっこう坂上と坂下の高低差ありそうですかね。


給水塔のある坂道風景3
写真3

あと、せっかくなので、もうすこしひいた位置より、給水塔を見てみると、手前の新しいものに加えて坂とは離れた奥の位置に古い給水塔もありましたよ。


給水塔のある坂道風景4
写真4

で、こちらはその古い方の給水塔の敷地内の写真です。
とにかく、なんか青々と茂った芝生の上でのこの打ち捨てられた感が印象的だったので、おもわずパチリと一枚。

位置的には写真奥のほうが、今回とりあげている坂道の方向なので、写真3でいえば、奥からこちらを見た方向ということになりますかね。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
大田区西馬込2-16あたり

今回はこのあたりはどうも多くなっている感のある無名坂の話です。
そしてここも坂の途中から富士山が見えるとの報告がある坂道でもあるんですよ。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂1

写真1

というわけで、いきなりですが坂下からの様子など。
場所てきには、前にとりあげた六郎坂(NO.234)の坂上から北東方向に道を曲がるとこのあたりにやってきます。
なので、ここは坂下といっても六郎坂(NO.234)の坂下から見えればけっこうな高低差になっているというわけなんですよ。

で、坂道自体に目を向けると見てのとおり勾配具合もゆるやかで、閑静な住宅街にある坂道といった感じでした。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂2
写真2

お次は、さらにゆるやかな坂を淡々と上っていくと、どうやらもうこの坂の頂上あたりが見えてきだしました。
また、その向こうにはなかなか渋いつくりの給水塔なんかもちらりと見えていました。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂3
写真3

そして、一気に坂上までやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
左側にはテニスコートもあり、この近くには他にも前にもブログで取り上げた坂の途中にテニスコートがあったとおり、こういうテニスクラブがつぶれないできちんと運営できていることからも、このあたりはそういう趣味を持っている方々がけっこう住んでいるんだなーとちょっと坂道歩きながら思ってみたり。

そしてそして、肝心の富士山の話ですが、こちらはネット情報(坂学会さんとその他の方々)によれば、どうやらこの道の軸線上というよりはちょっと左にずれていて、写真3の手前から電柱が3本見えているあたりの樹木との境界線あたりに時期があえばぽっこりと見えるみたいです。

ちなみにこの坂の高低差をマピオンで調べてみたらなんと1m(坂下20m、坂上21m)という結果がでましたよ。
どうりでゆるやかな坂道だったんですね。


住所
大田区仲池上1-9あたり

所在地:大田区仲池上1-13あたり


ろくろう坂と呼ぶそうです。
場所はこの前とりあげた無名坂(大田区仲池上2丁目の眺望坂)の坂下の道を北に徒歩1分くらいの場所にあり、そこから北に向かって上っている坂道です。


六郎坂(NO.234)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
写真1でいえば左側の道が六郎坂です。とりあえず、正面に懐かしいというか古いつくりの家があったので、思わずそれメインで撮ってみたので、こんな具合になったわけですよ。

あとは写真にも写っていますけど、ここにもいつものように坂の碑があり、
『坂名は、江戸時代後期、この村のために尽した海老沢六郎左衛門の屋敷が坂にそってあったことに由来する。坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。』
とありました。
なので江戸時代後期の人物の名前が坂名の由来になっていることから、この坂もけっこう昔からあったようですね。


六郎坂(NO.234)2
写真2

次は坂をすこし上り、坂上のほうを見てみたものです。
坂道自体はいい感じで左にカーブしながら上っていっているようで、勾配具合もきつくもなく緩くもなくといった感じの道でした。
でもやっぱり坂の雰囲気が最近取り上げたこの近くにある無名坂や大尽坂(NO.233)など耕地整理によりできた坂道と比べるとなにか違う感じがしてしまうのは気のせいでしょうかね。


六郎坂(NO.234)3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていた土むき出しの場所があったので、思わず近くによってぱちりと。
今時の都内の閑静な住宅街に、こんな具合に忽然と土の風景が現れる感じがなんだかおもしろいなーと、意味も無く見入ってしまいましたよ。。
この土はいつの時代のものなんだろーとか・・・。(笑)


六郎坂(NO.234)4
写真4

さらに坂をのぼると道路自体も直線になり、坂上のほうも見えてきました。


六郎坂(NO.234)5
写真5

そして、坂上までやってきたので、坂下のほうを眺めてみました。
写真4までのものだとちょっと勾配具合がわかりにくかったかもしれないですけど、ここからだとわかりやすいんじゃないですかね。
ちなみに、あまりネタがないので(笑)、前にも登場したマピオンで高低差を調べてみると、なんと高低差は11m(坂上は海抜20m、坂下は海抜9m)もあるみたいなんですよ。
建物でいえば3階半くらいですかね。
これはちょっと驚きだったかもです。



地図
大田区仲池上1-13あたり

みちくさ学会に記事掲載されてまーす。

さて最近、急に思いついたんですが(汗)、せっかくなので今回の分からいつもお世話になっているみちくさ学会で掲載された坂道記事のお知らせを軽くこちらでもエントリーしておくことにしますね。
いままではなんかのついでにお知らせという感じが多かったとお思いますが、数もそれほど多くないので今回からは独立エントリーという具合ですかね。

というわけで、今回のみちくさ学会での最新記事は、
大田区仲池上の神社の名前に由来する眺望坂
を取り上げてみました。
よかったらどうぞ。


あっ、そうそう今日は台風で各地が大変なことになりそうですが、みなさんお気をつけください。
では。

今回はこの前とりあげた大尽坂(NO.233)から北に徒歩1、2分のところにある無名坂を取り上げてみます。

場所的には大尽坂(NO.233)の北側に位置し、ほぼ平行に同じく東に向かって上る坂道です。


大田区仲池上2丁目の眺望坂1
写真1

まずは坂下からの様子など。
なんとなく雰囲気が新しい感じというかそんな風な坂道ですが、勾配具合はけっこう急でした。


大田区仲池上2丁目の眺望坂2
写真2

写真1で見えていたカーブするあたりまで坂を上り、さらに坂上のほうを見てみました。
ここも距離的には短い坂道なので、もうこのあたりから坂上の頂上のほうも見えていました。
まわりは落ち着いた住宅街といった雰囲気だったかもです。


大田区仲池上2丁目の眺望坂3
写真3

あと、坂をもうすこし上ると、途中にこんな具合にけっこうな高低差というか急勾配の階段がありましたよ。
方角的には南方向に上っています。
おそらく階段の頂上あたりが、この坂の頂上の高さと同じくらいだと思われますが、こうしてばっと見るとかなりの高低差あるんですね。


大田区仲池上2丁目の眺望坂4
写真4

そして、一気に坂上までやってきて坂下方向を眺めてみたのがこちらです。
やはりここまでくると坂下との高低差もかなりのためか景色ひらけてましたよ。
しかも写真4の右側はテニスコートというなかなか優雅な感じの場所でもあります。
あと、ネット情報(坂学会などその他)によれば、この坂からもこの頂上からか坂の途中からか、時期があえば富士山が見えるそうですよ。
ただ、細かい場所については、写真4でいえばひらけている場所の右側よりに見えるはずなのですが、ネットに流れている富士山写真を見る限りではちょっと特定できなかったので、これはまたのちほどの宿題ということでお願いします。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区仲池上2-1あたり

所在地:大田区仲池上2-5あたり


だいじん坂と呼ぶそうです。
場所は西馬込駅から西へ5分から10分くらいの間の場所にあり、坂上あたりにある馬込中学校のほうから坂下の大森第10中学校へ東に下る坂道となっていました。



大尽坂(NO.233)1
写真1

まずは、坂下からの様子など。
勾配具合もなかなかきつく、道幅も車2台くらいがちょうど通れそうなくらいの道幅の坂道でした。


大尽坂(NO.233)2
写真2

次は坂をすこし上り、坂下のほうを見たものです。
とにかく舗装具合やら歩道のブルーのペンキ舗装などけっこう坂道的には丁寧に整備されているようで、その具合は坂下のほうの道路の整備具合と比べてみても一目瞭然といった感じでした。

またここからも見えていますが、ここにもいつものように坂の碑があり、『昔、大尽(財産をたくさん持っている人)が、このあたりに住んでいたということで名付けられたという。』と書かれてありました。

あと、大田区のHPにも坂名の由来についての説明があり、
『仲池上二丁目2番と5番の間を東へ上がるかなりの急坂。昭和初期に行われた耕地整理によってできた坂道であるといわれています。坂名は、その昔大尽(財産をたくさん持っている人のこと)がこのあたりに住んでいたということで名づけられたと伝えられています。この大尽が誰であったかについては、諸説があり明らかではありません。』とありました。
ですので、ここは江戸からの坂ではなく昭和初期にできた坂道ということのようで、そんなことからも道幅なども住宅街の中の坂道の割に広めなのかもしれないですね。


大尽坂(NO.233)3
写真3

さらに坂を上り、坂の中腹あたりまできてみると、ここからも坂上の頂上あたりが見えていました。
もうこのあたりまでくると、まわりは閑静な住宅街といった感じでした。


大尽坂(NO.233)4
写真4

そして、最後は坂上からの景色など。
坂下からかなりの高低差になっているためか、まわりの景色もけっこうな具合で見えていました。
またこの坂上からの軸線は地図でみた感じでは東に向いていることもあり、ネット情報ではこの坂から富士山が見えたという情報はなかったのですが、やはりここの地形具合や高低差などから想像してみても、もしかしたら写真左側のレンガ色の建物が2階建てくらいのものだったならば、ちょうど屋根のむこうあたりに富士山見えたかもしれないんですよね。
ですので、確定ではないですがこの大尽坂も隠れ富士見坂としてメモくらいはしておいてもいいような気もしますので、この坂もいちおう富士見坂カテゴリーとして扱っておくことにしますので、あしからず。


地図
大田区仲池上2-5あたり

今回も無名坂です。
そして、やっと坂道です。


大田区山王4丁目のひっそりとした坂道1
写真1

まずは坂上からの様子など。
見た感じはなんてことない抜け道ですが、まさにそのとおりの坂道でした。
ただ散歩当日はなんとなく山道ぽくもあり、このひっそり感と緑率の多さなどその他諸々のことが気になり思わずぱちりと。
なんというか現地ではなにかすごく引き込まれる感じだったんですよね。

あっ、あと場所ですが、ここは前回とりあげた「大田区山王の厳島神社へ下る階段」の坂上から南東に徒歩1分くらいの場所にあり、写真1の坂上の場所から東に向かって下っている坂道でした。
(ただ、写真だけでは下っている感じがちょっとわかりにくいのでなんですが。。)


大田区山王4丁目のひっそりとした坂道2
写真2

そして、こちらは一気に坂下までやってきて、坂上のほうを眺めてみたものです。
右側はちょっとした崖になっていて前の記事(大田区山王の厳島神社へ下る階段)でもとりあげた厳島神社と一体になった公園の敷地もすぐそばの場所のようでした。
そのためかここは左から右に下る崖地を削ってつくられた道のようで、右はフェンス、左側もこれまた擁壁という具合に、まわりが住宅街にもかかわらず坂上から坂下にかけて家の出入り口とまったく接していない具合がなんともめずらしい坂道なのかもなあなんて思ったりもしたわけなんですよ。

ちなみに写真ではけっこうな勾配具合に見えていますが、おなじみのマピオンで高低差を計ってみたところおよそ3m(坂上16m、坂下13m)という具合でした。(なんかこの数値もちょっと違うような気もしますが・・。)

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区山王4-23あたり

またもや無名坂です。
で、場所ですが、今回の坂は前にとりあげた「大田区山王3丁目の眺望階段」の坂上から北に向かう道をすこし歩くとあり、そこから北に下り、坂下には厳島神社という公園と一帯になった神社があるというこじんまりとした抜け道的な階段坂道です。


大田区山王の厳島神社へ下る階段1
写真1

まずは坂上からの様子など。
もう坂上からいかにも抜け道ですよーという匂いのぷんぷんする階段坂道でした。
また遠目に見えている街の景色というか見え具合もなんか良い感じでしたよ。


大田区山王の厳島神社へ下る階段2
写真2

すこし坂を下り、坂下のほうを見てみました。
家と家のあいだを無理やりに階段にしてみたという感じもなくはないですが、この階段の痛み具合や左側の擁壁の経年劣化具合からするとけっこうこの階段古いかもですね。
ただ、その割には階段右側の銀色の手摺がぴかぴかしていて新しい感じなのが気になるところですが。。


大田区山王の厳島神社へ下る階段3
写真3

さらに階段を下り、今度は坂上方向を眺めてみました。
このカクっと曲がる感じとか、正面の緑の無造作な管理具合とかが、けっこう良い感じで混ざってて特徴的な坂道風景つくってました。


大田区山王の厳島神社へ下る階段4
写真4

で、一気に坂下あたりまでやってきました。
ここでも手摺が、気になってしまいました。
左の立派な銀のものに対して、右側の無骨なパイプ手摺のコラボがこれまたなんともいえないというかなんというか。


大田区山王の厳島神社へ下る階段5
写真5

そして、すぐそばには、厳島神社なる神社と公園があり、実はここ、厳島神社の本堂部分が写真5のような感じで、島になっていて、そのまわりに公園があるという名前もさることながら、神社のつくり自体も一風変わったものになっていました。


大田区山王の厳島神社へ下る階段6
写真6

またその近くにはこんな案内看板もありました。
室伏高信なる方がこの近くに住んでいらしたようですね。
なので、このあたりも馬込文士村の一郭として捉えてもいいのかもしれないですね。


大田区山王の厳島神社へ下る階段7
写真7

最後は、今回の神社のまわりの池を弁天池というそうなのですが、そこでまさに甲羅干しならぬ日光浴していた亀がけっこうな数いたので思わずぱちりと。


住所
大田区山王4-21あたり

またまた無名坂です。
でも今回のは前回に比べてちょっと有名かもという階段坂道の話です。

場所は、前回の「いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂」の道ひとつ向こうのすぐ北隣にあり、西に向かって上っている階段坂道です。


大田区山王3丁目の眺望階段1
写真1

まずは坂下からの様子です。
前回の「いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂」とは坂下でつながっていて、ここからなら徒歩1分くらいで行き来できてしまうくらい近い場所にあります。
坂道というか階段自体も前とは違い、ほぼ一直線で見てのとおり勾配はかなりきつめの坂でした。


大田区山王3丁目の眺望階段2
写真2

次は階段を踊り場2つ分くらい上がって坂下のほうを眺めてみました。
おそらくこのあたりまでで、高低差は建物3階分くらいはありそうでしたよ。
あとは手摺が地面にでなく壁に取り付けられているのが、なんか外の手摺っぽくないのかなあとか思ってみたり。


大田区山王3丁目の眺望階段3
写真3

で、写真2と同じ位置よりちょっと視線を上げて遠くのほうもみてみました。
もうすでにこのあたりから良い感じで景色ひらけていましたよ。


大田区山王3丁目の眺望階段4
写真4

こちらは写真3の場所より上にもう一段踊り場があったので、そこまで上り、同じく坂下方向を見てみたものです。
もうすでに坂下あたりからはものすごい高低差になっていましたよ。

ちなみにこの階段風景、ちょっと見覚えある人いないでしょうか?
実はここ、雑誌、東京人の2012年8月号特集の地形散歩・大森山王のページでもなにげに取り上げられているんですよ。(写真では著者の方も写っていますけど。)
なので、この階段、無名坂とはいえ、実は知る人ぞ知る坂というか階段だったりするわけなんですよ。


大田区山王3丁目の眺望階段5
写真5

いちおう写真4と同じ位置より、さっきと同じく遠目の景色を眺めてみました。
なんだかどこぞやのマンションの上層階からの風景のように見えてますが、こちらはれっきとした地面からのものなんですよ。


大田区山王3丁目の眺望階段6
写真6

そして、最後は、坂上からの景色など。
坂下のほうははるか彼方といった感じでしたよ。
もう高低差も測るのも恐いくらいです。
でも念のためというか興味本位で、前に登場したマピオンで標高差をはかってみると、なんと13m(坂下10m、坂上23m)とのこと。
ということは建物でいえば4階分くらいですか?
うーん。
なんかそれ以上ある感じですけどね。
まあ、とりあえずそのことはさておき、もうひとつここのおもしろいところは、ネット情報(坂学会など)によれば、ここからも時期があえば富士山見えるそうですよ。
位置的には、正面の電柱の左に斜線制限のため斜めに壁が削られた形をしているマンションが見えていると思うのですが、富士山はちょうどそのマンションのむこうに見えるはずなんですよ。
なのでじっくりと見ると写っていませんかね。(冗談です、笑。でもなんかそれらしき影が見えなくもないような感じも。。)

ということで、今回はこんな感じです。


住所
大田区山王4-29あたり

今回も無名坂です。
このあたり、無名坂で気になる坂多すぎです。〈笑〉


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂1
写真1

というわけで、まずは坂下あたりの様子など。
場所は、前回のエントリーで取り上げた「馬込文士村散策コース道中で見つけた無名坂」の写真3の坂をつらつらと上っていくと、この風景に出会うことになります。
なので、坂下とはいえ、環七あたりの場所からするとすでにけっこうな高低差の場所のはずなのですが、今回の坂はさらにそこからこのように、さらに急勾配で上っていく坂道となっていました。

しかも左右の階段やら手摺やらも意味不明な位置につくられていて、どちらかといえば左右の家の入口に向かうための専用階段といったほうがいいかもしれないぐらいだったかもです。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂2
写真2

すこし坂を上り、坂下のほうを見てみました。
こうしてみるとこの坂の急勾配具合がわかりやすいんじゃないですかね。
正面の建物と高さ比べをしてみても、どうやら3階床分くらいの高さはありそうな感じです。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂3
写真3

さらに坂を上ったところからの坂道風景です。
なんか景色もすこしひらけてきた感じですかね。
また高低差具合も坂下からなら建物四階分くらいという普通に考えれば恐いくらいの高さになっていました。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂4
写真4

でも坂上のほうを見ると坂は勾配具合は緩くなったとはいえまだ上がり続けていました。
しかも右側には車見えてますね。
ということは、これまでのこの急坂にもかかわらず車で上り降りされている方いるんですね。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂5
写真5

こちらはさらに坂を上り、坂下のほうを見てみたものですが、坂は途中でくねりと曲がっていたため、もうすでにここからは坂下の様子を確認することはできませんでした。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂6
写真6

写真5とだいたい同じ位置よりさらに坂上のほうを見てみると上のほうにやっと頂上あたりの様子が見えてきました。
しかもここで写真手前のような6段のちいさな階段が存在している感じがなんともいえない雰囲気だしてました。


いろんなバリエーションが楽しめる眺望坂7
写真7

そして、最後は坂上からの風景です。
かなりひらけていて遠くのほうまでかなり見えていました。
またこちらは、ネット情報(坂学会など)によれば、写真7の正面左の電柱の左か右のどちらかあたりに、時期があえば富士山が見えるそうですよ。


住所
大田区山王4-32あたり

この坂を取り上げてしまうと、この界隈の無名坂のほとんどを取り上げてしまいかねないことになる可能性もありますが、今回はあえてあまりに普通な感じだけれどちょっと気になった階段坂をリストアップしてみました。


馬込文士村散策コース道中で見つけた無名坂1
写真1

いきなりですが、こちらが今回の坂を坂下から眺めてみたものです。
場所的には、右近坂(NO.232)の坂下あたりから西にすこし歩くと環状7号線にでてくるのですが、今回の坂は環7からほんのすこし西へ歩いたあたりにあります。
そして、なぜこの坂を選んでみたかといえば、まず馬込文士村のサイトに“馬込文士村散策マップ”の散策コースのメインコースとしてこの道を通ってみてくださいと書いてあり、実は散歩当日はこの散策コースのことは知らずに適当に歩いていたわけですが、こういうのは偶然というかなんというかちょっと街並み道の雰囲気を気にしながら歩いていると以外とわるくない方向を選んでいるというか、そんな具合にたまたま散策コースどおりに歩いていて、そこにこの階段があったことがかなりの理由です。

で、坂自体に話をもどすと、この階段で見た目的に気になるのはやっぱりきらりんと光っている手摺ですかね。
古めかしい階段(しかも傾斜が途中で変わっています)に新しい手摺。
もうそれだけで、なにやらここが地霊的にもなんか気にしてみてねと言われているような場所なのかもと思ってしまうわけなんですよ。
また、ちょっとまわりの家と比べてみても、この階段の道幅、どうやら家の敷地を削ってつくりましたという感じではなく、昔からある道ぽい雰囲気ですよね。
まあ、そんなこんなで思わずパチリとしてみたわけなんです。


馬込文士村散策コース道中で見つけた無名坂2
写真2

今度は一気に坂上からの眺めなど。
あえていえば、両サイドの塀がなんか良い感じですかね。
しかもよくみると、左側の塀は段々になるように塀がつくられたあとにブロックをはずしたみたいで、針金みえてますよね。
こういうダンダンをつくろうというこころくばりはなんかうれしいです。


馬込文士村散策コース道中で見つけた無名坂3
写真3

そして、写真2の右側は、こんな具合に急坂でした。
道幅も狭くなんとなく古めかしい感じがちょっと不思議な雰囲気だったかもです。

というわけで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区山王4-20あたり

またもや今回も無名坂の話です。
しつこいようですが、このあたり、ふらりと歩いていると、けっこう気になる名も無き坂や階段があるんですよ。
もともと高低差のある場所だからそうなのかもしれないですけど、なんとなくスケッチしてみたい階段というか坂道というかそんな感じの坂道風景に出会う確率が多いエリアみたいですね。

それで、この坂の場所なのですが、このまえ取り上げた右近坂(NO.232)とほぼ並行に走り、道ひとつ北側に位置していました。


もう人は通れない地形階段と詩人の坂道1
写真1

そんなわけで、写真1が今回の無名坂の様子です。
いちおう右も坂になっていますが、まずは左の階段です。
階段上は駐車場になっていて、この階段はそこへ行くためのものだったようです。
いちおうまわりをみても人工的に高低差をつくった感じはなく(もちろん道をつくるための造成は別として)地形的な影響からできたものみたいでした。
とにかくすごいことになっていますねえ。
しかも階段左側の擁壁にもびっしりと自然発生したと思われる蔦がはりついていました。
なんか良い感じですね。


もう人は通れない地形階段と詩人の坂道2
写真2

いちおう別角度からも階段をみてみました。
こっちからみるとすこし普通な感じがしますけど、やはりじっとみてるとどこか変な雰囲気。
とりあえず上に行きたい人はこの左側がスロープになっているようなので、そちら側からアクセスしているようですね。


そしてそして、実はこれ以外にも、現地をぶらついていた時はまったく気がつかなくて、帰ってから臼田坂(NO.231)あたりの記事を書いているときに気がついたのですが、実は写真1に写っていた右側の坂道。
臼田坂(NO.231)の記事で坂上あたりに萩原朔太郎の旧宅があると書いたと思いますが、なんと偶然に、写真1の右側の坂をすこし上ったあたりに(「馬込文士村」のサイトによれば)、まさに萩原朔太郎が大正15年〜昭和4年のあいだに住んでいた家があったみたいなんですよ。(驚)
なので、写真1でもおじさんらしき人が自転車おしながら坂道上ってますが、実はそのむこうにちらりと写っているのかもしれないのですよ!(まあ建て替えられている可能性大ですが・・・。)
なので、あきらかにこの坂をかつては萩原朔太郎も上り下りしていたはずなので、この坂道も(この階段ではなく坂道のほうですが)、もしかしたらなにか名前つけてみると以外とおもしろいかもしれないですね。(しかもこの坂下のほうには感じのいい公園もありますしね。)


住所
大田区南馬込3-22あたり

所在地:大田区南馬込3-28あたり


うこん坂と呼ぶそうです。
場所は臼田坂(NO.231)の坂上から西へと向かう道があるのですが、そこをすこし歩くと、今回の右近坂の坂上あたりにやってきます。


右近坂(NO.232)1
写真1

まずこちらが坂上あたりの様子です。
住宅街の狭い抜け道といった感じで、道幅も見てのとおり車一台通れればいいかもといった坂道でした。
あとは、交通看板に12%とあるように、勾配具合は見た目よりはすこし緩やかなかなあと思いましたけど、道路の舗装が例のドーナツリング型の滑り留めになっていることからも、雨の日や雪が降った時なんかは注意を要する坂になるのかもしれないですね。


右近坂(NO.232)2
写真2

坂をすこし下り、いちおう坂上のほうも見てみました。
左側は団地の敷地ということもあって、けっこう立派な樹々が植えてあり道までせり出していました。


右近坂(NO.232)3
写真3

さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
坂道自体は、なんとなく古びた佇まいというかなんというかちょっとなにかがづれているような不思議な雰囲気の坂道風景だったかもです。


右近坂(NO.232)4
写真4

で、写真3よりもうすこし坂を下ったあたりから、坂上のほうをみてみると、なかなか気になる風景がひろがっていました。
個人的には、この坂でスケッチするならこの場所かなと。
まあそんな思いを持ちながらカメラのシャッターをきってみました。


右近坂(NO.232)5
写真5

最後は坂下あたりの様子など。
坂道自体はもう平坦になりこれといったものはなかったです。
ただ、正面に見えている坂の碑のすぐ後ろに橋の手摺のようなものが見えていますが、こちら、この下は川ではないみたいでしたよ。
なので変わった形をしたガードレールなのかもしれないですが、真相は定かではないです。

そして、やっとここにも坂の碑があることがわかったということで、とりあえず坂の由来を抜粋しておくとですね、
『この坂名の由来については、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたからとか、いろいろな伝説があり、明らかでない。』
とありました。
そうですか。
諸説いろいろあるんですね。
でも”右近”とはちょっと風変わりな不思議なネーミングですよね。
ちなみにこの坂は右曲がりで下ってますが、上るときには左曲がりになるので関係ないかもです。。

また大田区のHPにも説明があり、実はこちらのほうがすこし詳しいので抜粋しておきますね。
『臼田坂を上がりきった南馬込三丁目31番を東に曲ったところにある坂は右近坂と呼ばれています。この坂は江戸末期にできたものといわれています。この坂名の由来については、いろいろな説があります。臼田坂の右近くから谷中におりる坂道であるから右近坂と呼ばれるようになったとか、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたという話、うこん色の着物を着た娘がよくこの坂を通ったことによるなどさまざま。今でこそ住宅街の中の坂道となっていますが、大正期から昭和初年頃は辺鄙な人通りのない寂しい所でした。また、坂道の両側は椎の木などの林で、雨の日はどろんこの道になったそうです。』

ということで、この坂、けっこう古くからあったんですね。
どうりで坂の途中のなんともいえない古めかしさというか、そんな感じの新旧入り交じったような場所があったと思うんですが、それもこれも、この坂道自体の歴史の古さに関係していたのかもしれないですね。


地図
大田区南馬込3-28あたり

今回も無名坂です。
このあたりはほんと気になる無名坂多いですが、今回は特に事前に狙ったものではなく、前にとりあげた大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂を歩いていた時に見つけた坂道です。


ごつごつ坂道と文豪1
写真1

まずこちらですが、「大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂」(長い・・)の坂下あたりからふと北側方向をみるとなんだか気になる坂道が目に飛び込んできたので、思わずぱちりと。


ごつごつ坂道と文豪2
写真2

で、そのままテクテク歩き、坂下あたりまでやってきてしまいました。
なんかプラモデルのジオラマのようなつくりの坂道にちょっと感動。
坂の右側の斜面部分のなんともいえない荒々しさに加えて、左側の擁壁は斜めに傾いていたりして、なんかいちいち気になってしまいましたよ。
本来ならこういう感じの路地坂道はありがちなのですが、今回のはそのディテールがおもしろくて、いろんな表情が見える感じ。


ごつごつ坂道と文豪3
写真3

そして、坂道右側の斜面部分をアップで見てみると。
荒々しいですねー。
丹精につくられた擁壁のうえには溶岩がんそのまま固まったようなごつごつとした斜面のコンクリート。
しかも、かつては危険防止の柵がわりにもなっていたであろう石の車止め支柱も6本のうち4本が折れていて良い感じ♪♪。


ごつごつ坂道と文豪4
写真4

そしてそして、こちらは写真2で見えていた坂上あたりから左に折れるとさらにゆるやかな坂道となっていました。
ただここ、坂道的には普通な感じなのですが、実は家帰ってからわかった事実として、この坂上の青のトラックのさらに上のほう右側にかつて、あの三島由紀夫が住んでいた家があるそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
時期てきには昭和34年から亡くなるまでのころみたいです。

これにはちょっとびっくりという感じでした。
この事実を知っていればちゃんと奥まで歩いたのにですね。(といっても僕の場合、村上春樹さんの影響もあって三島由紀夫氏の作品はまだ2作くらいしか読んでなくてあまりよい読者ではないんですよ。ただ実家には母が好きみたいで全集あるようですが。)

しかも、それ調べていたら、なんと写真1の道をさらに奥、徒歩でいうと1分くらいの場所に、あの稲垣足穂が大正12〜昭和5年のあいだ住んでいた家もあったそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
ただこちらは三島由紀夫の自邸と比べると、自邸ではないみたいで、馬込文士村のサイトには『神戸時代の同級生だった衣巻省三の家に転がり込んで以来酒浸りの人生。馬込のモダンボーイ。』なんてことが書かれていましたよ。
いやはや。

なんというか、とりあえず意味なくひかれる坂道というのも調べてみておくものですね。


ごつごつ坂道と文豪5
写真5

で、こちらが写真2で見えていた坂上あたりから坂下のほうを眺めてみました。
まあここからの風景だけみればいたって普通な感じですかね。


ごつごつ坂道と文豪6
写真6

でも坂の左側(写真5の)みると、こんな崖のような荒々しい斜面になっているというわけですよ。

なので、生前の三島由紀夫もこの坂道の風景みながら、よく上り降りしたのかもしれないですね。



住所
東京都大田区南馬込4-33あたり

このあたりはどうも多いのですが、今回も名前のない坂道をとりあげてみたいと思います。

もうタイトルだけでほとんど伝えること書いちゃってますが、前にとりあげた臼田坂(NO.231)の坂上あたりに西の方に折れる道(臼田坂(NO.231)のページで言えば、写真4の右側)があるのですが、そこがちょうど良い感じの坂道になっていて、しかも(ネット情報によれば)そこから時期があえば富士山も見えるということで、歩いてみたわけですよ。


南馬込4丁目の臼田坂そば1
写真1

で、こちらが、坂上からみたものです。
距離は短いので、すでにここからも坂下の様子が伺いしれてますけど、高低差具合はけっこうあるみたいなので、なかなか良い感じの風景がひろがっていました。
位置的には今立っている場所が臼田坂(NO.231)の坂道上ということになります。
おそらく臼田坂(NO.231)を歩いていて、風景を気にしながら歩いていれば、おお!という感じでなにげに立ち止まってしまう場所でもありそうでしたよ。

そして、肝心の富士見坂の話ですが、富士山の方角は坂の軸線からは写真1でいえば、左にずれているみたいなので、ここからだと建物がじゃまで見えなさそうなので、どうやら坂をもうすこし下ったあたりからなら時期があえば富士山見えるかもですね。(ネットで見かけた写真と見比べてもですね。)

あとは、写真1の左側に勾配16%という標識があるのもみものですかね。
なんとなくこれあると、こっそりと大田区の関係者の方々が実はここおすすすめの坂なんですよ〜、とかなんとか言ってるような気がするんですよ。(笑)

また、写真では写ってないですが、写真1の左側にはマンションがあって、その名前が「ふじグレースマンション」という名で、はじめに“ふじ”とつけられていることも、興味深い事実になりそうですかね。
おそらく建てられるまえなら、坂上からも富士山見えた可能性あるわけですから。


南馬込4丁目の臼田坂そば2
写真2

そして、一気に坂下までやってきて坂上のほうを眺めてみました。
まあとりたてていうことありませんが、あえていえば、(馬込文士村のサイトによれば)この坂の途中に臼田甚五郎なる文学者のかたが住んでいたそうですよ。


住所
大田区南馬込4-43あたり

所在地:大田区南馬込4-46あたり


うすだ坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた汐見坂(NO.223)の坂下から西へ徒歩数分の場所に龍子記念館なる施設があるのですが、今回の坂はそこから東へ徒歩2,3分のところにある坂道です。


臼田坂(NO.231)1
写真1

まずは、坂上あたりの様子です。
閑静な住宅街にある坂道で、このあたりはそれほど勾配はなくなだらかな傾斜道でした。
ただ坂道自体はけっこう長めのつくりなので、坂下のほうまでは見えていませんでした。


臼田坂(NO.231)2
写真2

また写真1の左側をみるとちいさな稲荷らしきものがありました。
ただこの場所については現地でもメモしていなくて写真だけ撮っただけなので詳しいことはわかりませんが、どうやら、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によれば、この稲荷の敷地内かこの写真の左側のほうに磨墨塚なるけっこう有名な塚があるらしいですよ。
詳しくはウィキペディアにも説明ありましたので、気になるかたいればそちらのほうをどうぞ。
→ 磨墨塚

あと写真2でも見えているのですが、ここにもいつもように坂の碑があり、『坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起つたといわれている。』と書かれてありました。

これ以外に、大田区の公式HPにも坂の説明があり、実はこちらのほうがかなり詳しく坂の由来などが書かれていたので、こちらのほうも抜粋するとですね、
『大田文化の森前から北西に曲って荏原町へ抜けるバス通りの坂道です。昔から馬込より大森へ出るには、この坂と闇坂が主な道でした。このバス通りを昔は田無街道と呼んでいました。馬込を抜け、荏原町から三軒茶屋を経て田無へ通じる街道でした。明治4年に東京府制が施行されてからもこの道路は府道第56号大森田無線と呼ばれています。臼田坂の坂名については、坂のあたりに臼田姓の家が多かったので、この名が起ったといわれています。また、坂周辺には大正末期から昭和初期にかけ、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住み、「馬込文士村」という言葉も生まれました。文士村のメインストリートであったこの坂も、当時は今日と異なり赤土の急坂でした。萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。』
と、ありました。

そうなんですよ。
現地歩いている時は、すっかり忘れていたんですけど、このあたりはかつて「馬込文士村」と呼ばれていた地域で、説明にもあるとおり萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住んでいたそうですよ。
しかもこの坂が文士村のメインストリートだったんですね。
そして、説明には「萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。」なんてことも書かれているので、ちょっと調べてみたんですが、ありましたよ!
かの有名な青空文庫のサイトにですね。→「」(青空文庫のサイトです)
ただこの「坂」という作品。
坂の説明に臼田坂あたりを魅力的に描写していますとあるのですが、この散文詩を読む限りでは直接的に臼田坂とわかる表現はしていませんが、「馬込文士村」のサイトによれば、萩原朔太郎はこの坂のそばに大正15年〜昭和4年のあいだ住んでいたらしく、この散文詩は昭和2年に発表されたものらしいので、おそらくかなりの確率でこの坂を意識した風景描写がされていただろうと思われます。
なので、とりあえずぱっと読んだだけではわかりにくですが、この散文詩を何度もよめば当時の雰囲気もかなり浮かんでくるのかもしれないですね。


臼田坂(NO.231)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみたものです。
風景自体はなんてことないのですが、実はこの写真3の中央右あたりに見えている黄土色ぽい外観のマンションの右奥あたりに、「馬込文士村」のサイトの情報によれば、かつて萩原朔太郎が住んでいた家があったそうですよ。(確認はしていませんので、もしかしたら今もあるのかもしれませんが・・・。)


臼田坂(NO.231)4
写真4

そして、さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
このあたりから傾斜具合もすこしあがってきているようでした。
またそれほど背の高いマンションもないためか空もひろく見えていました。

またこの坂の軸線方向も実は海方向(南東ですね)に下るかたちでむかっているので、ここも別名で潮見坂と行ってもいいのかもしれませんが、実はこの近くの汐見坂(NO.223)が東方向に向かって下っているのにもかかわらず汐見と坂名ついていますので、潮見(汐見)の指すかつての“江戸の海”の定義がほんとうにわからなくなってきているのが現状ですので、こちらもまた保留ということでお願いします。。


臼田坂(NO.231)5
写真5

途中には良い感じで古くなっている階段もありました。
実はこれ、写真4でも道路左側に見えていたりするんですよ。


臼田坂(NO.231)6
写真6

さらに坂を下ると、これまた良い感じで道がすこし左にカーブしはじめていました。
あとは、道左側に樹々と間違えそうなくらいたくさん蔦のはえた緑の家が見えていて、これまたなんともかんとも。。


臼田坂(NO.231)7
写真7

いちおう写真6とだいたい同じ場所から坂上のほうも見てみました。
風景的にはこれといったものないですけど、高低差具合はわかりやすいんじゃないですかね。


臼田坂(NO.231)8
写真8

で、さらに坂を下ると、やっと坂下あたりもちらりと見えてきました。
また、写真8の左に立派な石垣とその上に大きな松の木などが見えているあたりなのですが、どうやらこのあたりに(「馬込文士村」のサイトによると)川端康成が昭和3年から4年のあいだ、住んでいたらしいですよ。


臼田坂(NO.231)9
写真9

さらに坂を下り、坂上のほうを眺めてみました。
道もゆるやかにカーブしていて、このあたりは勾配具合もけっこうあったのでなかなか良い感じで坂道風景ひろがっていたかもです。


臼田坂(NO.231)10
写真10

最後は坂下あたりの様子です。
このあたりまでくると道も平坦になっていました。
また、写真10の左側あたりに、(これまた「馬込文士村」のサイトによると)石坂洋次郎が大正13年から14年のあいだ住んでいたとのことですよ。

というわけで、散歩当日、ここがかつての文士村のメインストリートであったことを知っていればもうすこしつぶさに調査したんですが、いかんせん今回はこんな具合です。
(なので、そのうちこの史実もあわせてまた調べに行ってみたいと思っている今日この頃ですなり。。)


地図
大田区南馬込4-46あたり

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