東京坂道さんぽ

タグ:御茶ノ水
明神女坂(NO.165)
昌平坂(NO.162)
相生坂(NO.161)
御茶ノ水聖橋より

所在地:千代田区外神田2

みょうじんおんな坂と呼ぶそうです。(写真データ復活しました。。)
場所は、明神男坂(NO.164)の南側にあり、東へと下っている階段坂です。
今までこのブログでとりあげた女坂と名のつく坂は、すべてスロープになっていたと思いますが、今回はなんと階段なのに女坂となっているようでしたよ。


明神女坂(NO.165)1
坂下より

坂下から眺めたものです。
見てのとおり狭い路地に坂道もあるという感じで、両サイドの建物がすぐ横までせまり、ぱっとみただけで高低差もわかるので、なんだかえらいきつい勾配の階段だなあというのが、第一印象だったかもです。


明神女坂(NO.165)2
坂の途中より

階段をすこし上り、坂下のほうを見たものです。
すこし階段を上ったとはいっても、実は建物でいうと3階くらいの高さからみたものなんですけどね。。


明神女坂(NO.165)3

そいで、ちょっと同じ位置から、右側を見てみると、こんな光景が・・・。
シートがかけられているのにもかかわらず、雑草が元気よく生えていましたよ。
まあそれだけなんですけどね。(笑)


明神女坂(NO.165)4
坂の途中より2

さらに階段を上ると、こんな感じでした。
さすがに、このあたりにくると、階段の両サイドに建物がキチンと建っていて、道幅は狭いけれど、坂下のほうとは違い、すこし落ち着いてきている印象でした。
あと気になったことといえば、右側にぽつねんと見えている木、しかもけっこう元気よく青々としている樹木ですかね。
こんな狭い路地階段でも見れるんだあという感じでした。


明神女坂(NO.165)5

坂上より

そして、最後はやっとこ坂上まできて、ぱちりと。
もうこのあたりまでくると、階段坂もいちおう途中で曲がっているため、ここから坂下の様子を伺うことはできませんでした。
しかも、ここから昔は明神男坂(NO.164)同様、海も見えたであろう場所だったはずで、そういう意味では階段歩きも楽しいものだったかもしれませんが、いまは大小のビルが建ちならび、どこに視点をもっていっていいやらわからない感じになってしまっていて、なんというか、これほどの高低差のある場所にもかかわらず、結局、階段ばかり見て歩くという感じで、そういう点でいえば、ここは坂下から坂上コースで歩くほうが楽しい坂道なのかもしれませんね。

ちなみにここには、いつものような坂の碑はありませんでした。


地図
千代田区外神田2

ブログネタ
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所在地:文京区湯島1あたり


しょうへい坂と呼ぶそうです。
場所は相生坂(NO.161)の坂下あたりから北へと上っていく坂道で、地図で確認すると坂下から坂の半分くらいまでは千代田区外神田2で、そこから坂上までは文京区湯島1という具合になっているようです。



昌平坂(NO.162)1
坂下より

坂下からの風景です。
見てのとおりここからも坂上の様子がうかがえるほど短い坂道でした。
ただ、なんとなくゆるやかに見える坂道ですが、右側の建物の位置を坂上と坂下で見比べて見ると建物一層分くらいの高低差はありそうなので、おそらく2mから3mくらい(かなりおおざっぱですけど・・)あるんじゃないですかね。
こうやって写真でみると、やっぱり左側の樹々が印象的なのですが、実際歩いている時は、そこまで上空を見上げて歩かないからかもしれませんが、それほど気になる感じではなかったかもです。



昌平坂(NO.162)2
坂上より

そして、あっというまに坂上まできてしまいました。
なんかここから風景をじっくりとみていると、けっこういろんなものが見えていますね。
あえてあげてみると、正面のとてつもなく大きな塀のようにそびえたっている工事中のビルやら坂下には電柱があるのに、坂上には電柱がないとか(これはあとで地図で確認したところ、坂上の文京区の部分には電柱がないみたいですね)、右側の塀がやたらとレトロというか風情があるというのかわかりませんが、そんなものが見えていたりと、なかなかおもしろい景色だったかなあと。。

ちなみに、ここの昌平坂については、相生坂(NO.161)のほうでも若干ふれていたりしますが、さらに、写真でもちらりと見えているとおり、坂の案内板があり、

湯島聖堂と東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂をひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。
 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次のような和歌に詠んだ。

   萬代の秋もかぎらじ諸ともに
      まうでヽ祈る道ぞかしこき

とありました。
(しかも案内板には、昌平坂の所在地は湯島1丁目1と4の間であると書かれていましたよ。。でも坂下の千代田区内にあるであろう部分に昌平坂と彫られた石の小さな標識らしきものもあったんですよね・・・。うーん。まあ余計なおせっかいですけどね。(笑))



昌平坂(NO.162)3


昌平坂(NO.162)4

最後は、おまけがてら。
2枚目の写真の右側に見えていた立派な塀の石垣のすきまからたくましくというべきかなんというかわかりませんが、ぺんぺん草(おそらく)なんかも含めた名無し草が数種ほど生えていてなんだか気になりぱちぱちと。。



地図
文京区湯島1あたり

所在地:文京区湯島1


あいおい坂と呼ぶそうで、別名で昌平坂や団子坂とも言うそうです。
場所は、御茶ノ水駅そばにあり、駅からも実は見える坂道で、聖橋(このブログでも何度か登場していますが)のあたりがちょうど坂上になっている坂道です。



相生坂(NO.161) 1w
坂上より

坂上からの景色です。
見た感じはなだらかな坂という感じですが、実際歩いている時は、もうすこし体に感じるくらいの勾配具合だったかもです。
坂道自体は道幅も広く、整備も行き届いているかんじで、すぐよこにはJRや神田川が並行に走っています。
あと、坂道の途中から街路樹がなくなっているのが、なんでかなあと、ちょっと疑問に思ったりもしましたけどね。。



相生坂(NO.161) 2w
坂の途中より

今度は坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
なので正面に見えているのが聖橋です。
坂と橋が一緒に楽しめるなんてなかなか、いままでの坂道散歩でも数少ない場所だったような気が・・・。
しかも、電柱がないので空が広く見えますね。



相生坂(NO.161) 3w


そいで、せっかくなので、JR御茶ノ水駅のほうもちらりと。
なんだか後ろの高層ビルがなければ、ここはどこ?というくらいレトロな雰囲気が漂っているような気がしてしまいましたよ。
ただ現地では、高層ビルの左側あたりにニコライ堂の建物がチラリと見えるはずなんですけど、この写真では緑で隠れてしまっていて見えていませんね。




相生坂(NO.161) 4w

坂下あたり

そうこうしているあいだに、あっというまに坂下あたりまできてしまいました。
この写真はさらに坂下のほうへと続く道を眺めているものですが、ちょうどこれをそのまま道沿いに行くと秋葉原へと行けたりします。
またこのちょうど左側には湯島聖堂への入口もありましたよ。
(湯島聖堂については、また機会があれば散歩するかもしれませんが、今回は最後のほうでちょこっとふれるのみにしておきますよ。)

ちなみにこの坂道にはいつもの坂の碑みたいなものはありませんでしたが、坂の由来がかかれた案内板があり、

神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。
「東京案内」に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛政中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
 昌平とは聖堂に祭られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。

  これやこの孔子の聖堂あるからに
     幾日湯島にい往きけむはや   法月歌客  

とありましたよ。

また、はじめにちょこっとでてきた団子坂という別名は、ここが悪路で転ぶと団子のように泥まみれになる(江戸東京坂道事典より)という意味から名付けられたらしいです。

あっ、そうそう、そういえば広重さんの名所江戸百景の「昌平橋聖堂神田川」に、かつての相生坂(昌平坂)や湯島聖堂も描かれていたみたいなので、ウィキペディアのページもリンクしておきますね。
→「昌平橋聖堂神田川


地図
文京区湯島1


おまけ

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今回はひさしぶりに御茶ノ水あたりをぶらりと。


聖橋よりw


タイトルにあるとおり御茶ノ水駅そばの聖橋を渡っているときに、あまりに気持ちよく川横の大きな樹たちがふさふさと風になびかれていたので、おもわずぱちりと。
なんというか文学的でもあり政治的でもある景色というか、ちょっと最近都心なんかに増えつつある工学的景色とはなにかが違う場所なのかなあと、かなり感覚的ですが、そんな気がしてしまいましたよ。(わかりにくい適当な表現ですいません・・・。)

また、この風景、以前このブログでもとりあげたかもなあと思って過去のエントリーをたどってみると“駿河台渓谷”というタイトルで約4年前にJRのホームから撮った写真がありましたよ(とりあえず、過去の写真と比べてみても、現在の風景と四年前の風景とはあんまり変わっていないようですね)。
それで、このあたりのことは駿河台渓谷って言うだったなあと、「駿河台渓谷」でさらに検索してみると、今度は“とある街の風景138(駿河台渓谷) ”なんていうエントリーもちょうど、検索結果としてひっかかってきて、これも過去にこのブログで書いたものだったよなあと思いだしたりしたわけなのですけどね(完全にこの記事書いたこと忘れていました・・・)。
なので気がつけば、この数年でいろんな視点からこの渓谷を撮っていたんですね。。

ちなみに橋のたもとには、聖橋の由来と書かれたプレートがあり、
『聖橋は、東京市により関東大震災の復興橋りょうとして、総工費72万4807円で2年8ヶ月の歳月を要して昭和2年7月に完成した。
神田川の美しい景観の中にあってこの橋のデザインには、とくに気を使い、橋長92.47m、幅員22mのモダンなアーチ橋が架けられた。
橋名の由来は、北側にある国指定の史跡で江戸幕府の官学所「湯島聖堂」と、南側にある国指定の重要文化財でビザンチン風の建物「日本ハリストス正教会堂復活大聖堂」(通称ニコライ堂)の両聖堂にちなんでいる。
聖橋は、近くの鋼ラーメンの御茶ノ水橋、アーチの昌平橋、万世橋とともに「東京の著名橋」に選定され、神田川の名所となっている。』
とありましたよ。
なるほどなるほど、橋の両サイドにある各聖堂を結んでいるから聖橋ですか。。

ということで、この聖橋とその周辺のことを調べていくときりがなさそうなので、今回はこのあたりでとどめておくとして、実はそのついでに坂道散歩もしていたこともありまして、とりあえず渋谷界隈の坂道散歩は中断して、次回からこの近くの坂道話でもしようと思っていますのでよろしくです。



地図
聖橋(地図ではこのあたりは文京区と千代田区の間なもので・・・。)

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