東京坂道さんぽ

タグ:文京区
菊坂(NO.288)、一葉坂(NO.289)、金魚坂(NO.290)/ 文京区
とある街の風景248(文京シビックセンターから富士見)
坂道ぶんきょう展
とある街の風景185(シビックセンターからの富士山)
旧中山道をふらりと
切通坂(NO.189)
夫婦坂(NO.188)
天神女坂(NO.187)
天神石坂(NO.186)
中坂(NO.185)
実盛坂(NO.184)
ガイ坂(NO.183)
とある街の風景(謎の階段抜け道)
三組坂(NO.182)
芥坂(NO.181)
立爪坂(文京区湯島3)
樹木谷坂(NO.167)
新妻恋坂(NO.166)
明神坂(NO.163)
相生坂(NO.161)
カテドラル
三百坂 (NO.34) /文京区小石川3丁目
今井坂 (NO.33) /文京区春日2丁目
荒木坂 (NO.32) /文京区小日向1丁目
藤坂 (NO.20) /文京区小日向4丁目
御殿坂 (NO.17) /文京区白山2丁目
横見坂 (NO.15) /文京区湯島2丁目
富士見坂 (NO.13) /文京区本郷2丁目

またまた変なタイトルとなってしまいましたが、つい最近、たびねすの記事にて『樋口一葉に宮沢賢治など文学者とも縁深い東京・本郷の菊坂めぐり』と題して、3つの坂道(プラス無名坂)を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。


菊坂1
写真1

これらの坂道、これまではブログに載せる場合、ある程度地域の坂道をまとめてまわることが多かったこともあり、取り上げるタイミングがなかなか難しかったのですが、ようやくウェブ上(ブログではありませんが)にて公開することができましたかね。

あとはたびねすでは紹介しませんでしたが、界隈にはおもしろそうな無名坂もいくつかありましたので、そのあたりはこのブログでそのうち紹介できればなと思っています。
ただ、今回の坂道以外にも、過去にブログにのせるためにまわった坂道(無名坂含む)や取材ついでに歩いた坂道の写真もまだまだたくさんあるのでどのタイミングになるかはこれから考えます。(汗)

また、たびねすの記事では旅行喚起も大事な一面もあると思うのであまり深掘りしてませんが、取材しているとやはりこの菊坂界隈は歴史的なことや地形的なことについてもそれなりにネタがありますし、今回、取材したことで新たに気がついたこともありますので、そのあたりのこともどこかのタイミングで書ければなと。


菊坂2
写真2

しかし、今回の菊坂。都営大江戸線・本郷三丁目駅側というか東大側から歩いてくるとほんと写真2のようなような場所に出くわすわけですが、この風景見ると、いつも「え?ここ坂道?」と思ってしまいますよね。


菊坂3
写真3

でも、坂下の旧伊勢谷質店の建物あたりまでくると、視覚的にもけっこうな具合の勾配具合になりますし、さらに坂下のほうにいくと「菊坂下」なる交差点もあるので、ああここが坂下なんだと実感できるかもですね。
ちなみに写真3は、旧伊勢谷質店の外観を撮ったものですね。
京都なんかを歩いているとよく見かけるタイプの町屋ですが、やはり戦災や地震が多発した東京でこのタイプが残っているのは珍しいかもですね。


菊坂4
写真4

こちらは菊坂と平行して走っている菊坂下道ですね。場所的には宮沢賢治旧居跡のある坂下あたりです。取材時に古地図を確認してみたら、古地図にも当時の菊坂と並行して道らしきものが南側に描かれているので、この道も江戸時代からあった可能性はありそうですかね。
とりあえず僕の語れる部分はここくらいで、あとの詳しいことは暗渠マニアの方々におまかせします。(笑)


ということで、この界隈は歩いたところをくまなく取り上げていると長くなりそうなので、今回はさらりとこんな感じです。

気がつけば、けっこう時間が経ってしまいましたが、年末に、ひさびさに東京ドームそばの文京シビックセンターの展望台に行って、定点観測してきた時のことでも。


文京シビックセンターから富士見1
写真1

いきなりドドンと。(写真1)
富士山ですね。
見てのとおりですが、ここは文京シビックセンターの25階というけっこう高い場所にある展望ラウンジからのものです。

しかも、過去にも(2012年2006年)ブログで取り上げていたわけですが、今回が一番よく見えていて、冬らしく頂上には雪もしっかり、という感じだったのです。
もしかしたら、カメラの性能の違いかも?とも思いましたが、たぶんそれよりは、時期はもちろん、行った時間がよかったからなのかなと。(2012年のほうは、逆行気味ですしね。)


文京シビックセンターから富士見2
写真2

今度は、引き気味の視点で。(写真1)
これだとちょっとわかりにくいですかね。
この写真2の感じだと、すこし富士山が遠目にみえているかなと。
現地で見た感じでは、これと、写真1の真ん中あたりの距離感で見えていました。


毎回こういう場所で富士山が見えるたびにブログの記事にしていてなんですが、やはりこのような高層階で見る富士山は、地上でみる富士山とはまた違った感じで見てしまいますかね。
ただ、その感じが、どいうものなのかは、好き嫌いも含めて、まだいろんな要素がありすぎるので、おいおい気持ちの整理でもしていきたいとは思っていますけど。


ちなみに記事の内容とは関係ないですが、今日(2月29日)は4年に1回というめずらしい日なのですよね。
ということは、2012年にシビックセンターでの定点観測記事を書いた年も2月29日があった年ということになるんですかね。(そういう意味ではちょっとだけつながりましたかね。。)

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
文京区春日1‐16‐21

なるイベントがこのまえ文京ふるさと歴史館なる場所でやっていたので行ってきました。


坂道ぶんきょう展1

場所的には東京ドームの北側、メトロ本郷三丁目駅が一番近い駅となる場所でまわりにはまだこのブログで取り上げてない坂道もたくさんあったのでそちらに足が向きつつも気持ちでなんとかおさえて(笑)こちらの展覧会に訪れてみることにしたわけですな。
そしてエントランスあたりには、写真のようにけっこう本格的なポスタ―が設置されていて、ふーむふーむ。


坂道ぶんきょう展2

また会場入口あたりにはおそらく記念撮影用のパネルらしきものもありました。
ここ来る前はもっと閑散としたものかなあと予測していただけに、会場もきちんとしていて図録もあったりと、けっこうな力の入れようだったのでちょっとびっくりという感じでした。

また展覧会の内容も文京区の坂道をこのブログでとりあげたのはおそらく半分いったかいってないくらいだったので、なんだかんだとといってまだ歩いていなくて名前だけしかしらない坂もけっこうあり、かつての坂道浮世絵なんかでも知らないものもあったりとなかなか参考になったかもです。
あとは会場内で黙々と黙って展示物を見る若者に対してご年配の方々(団体客や夫婦)が口々に昔歩いた坂のコーナで立ち止まり長々と思い出話を語り合っていたのはなかなか印象的でしたよ。

なんていうかとにかく学術的に坂道を調査して、その成果を展覧会でみせるとこんな感じになるのかなあと思いつつ、僕ならここはこうするかなと思うところも多々ありましたし、30代の今しか見えない風景やものことだってあるはずなので、そのあたりは今後のブログの記事をお楽しみにということでお願いします。

あっ、あと展覧会の内容に感動してしまっておもわず会場のスタッフのかたにこの坂道ブログのことをお知らせしてしまったんですけど、そういうのってまずかったですかねえ(笑)。
とりあえず見てくれてるとうれしいなあ。

ということで、今日はさらりとこんな感じです。


住所
文京区本郷4

まずは、あけましておめでとうございます。


文京シビックセンターからの富士山1

で、いきなりの写真ですが、こちらはタイトルにもあるとおりちょっと前にメトロ後楽園駅近くにある文京シビックセンターに立ち寄ったときに、撮ったものです。
とりあえずこの施設はだいぶ前にも登場したことありますし観光スポットでもあるので知っている方も多いとは思いますけど、ここの25階に展望ラウンジなる場所があってさらに無料でぶらりとできるというなかなかありがたい場所だったりします。

そして今回は前の時と違って、偶然にも富士山を遠くにみることができました。
写真ではちょっとわかりにくいかもしれないですけど手前の高層ビルと奥の新宿にある都庁とのあいだに見えていたりします。


文京シビックセンターからの富士山2

いちおうわかりやすくするため、同じ写真にちょっとした処理をしてみました。
とにかく富士山を見ようと狙ってきたわけでなかったので、かなりのお得感あったかもです。


文京シビックセンターからの富士山3

また展望ラウンジをぐるりとすると、今度は富士山の方向とは反対方向にスカイツリーも見えていました。
まわりのビル群とのコントラストもものすごく、かなりの近距離感でした。
(あとは上空に月も写ってるんですよ。)
とにかくここからのスカイツリーの眺めはおすすめだと思いますので、まだ見てないかたは訪れてみるといいかもですよ。

というわけで、今年もぼちぼちとぶらり坂道散歩を続けていきたいと思っていますので、気楽にお付き合いください。


住所
文京区春日1

ヒルズの話ばかり続いたので今回はひとやすみです。

でも散歩の話、です。


旧中山道をふらりと1

神田の古本まつりのついでに寄ってみた神田明神でのことです。
ちょうど境内に入るための大きな鳥居の横に「旧中山道」なる案内板を発見。
(中山道については今回説明する気力ありませんので、wikipediaのページ見てください。
中山道 )


旧中山道をふらりと2

それで矢印に従って歩いてみると、路地に入りました。
おそらく、中山道は今の日本橋から埼玉方面へぬける道なので、この道がかつての中山道みたいですね。

それはさておき。

正面の古めかしい記号のような文字で書かれた看板に目をとられているかたも多いかとは思います。
でも、今回はそちらではないんですよ。

なので、念のためもう一度、2枚目のじっと写真みておいてください。


旧中山道をふらりと3

じゃーん。(書いてて虚しいですけど・・・。)

というわけで、2枚目の写真の右の壁のほうにもちらりと見えていたんですけど、なんとこんな具合に、おそらく瓦でつくられた鍾馗の人形が、微妙なセキュリティーのもと、設置されてました。

(ちなみにこちらも、鍾馗って何?というかた、「鍾馗」で検索するか、いつもお世話になぅている、みちくさ学会の鍾馗さんの記事などをいくつか見てみるとちょっと理解できるかもです。)

とりあえず、鍾馗の人形と中山道がどう関係しているかは不明ですけど、こういう古い神社のまわりをふらりと歩いてみると以外な発見もできるかもしれないので、今後も気が向いたときには歩いてみたいと思います。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
文京区湯島1-3

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所在地:文京区湯島4あたり


きりどおし坂と呼ぶそうです。
場所は湯島天神の北側を走っている春日通りの道が今回の坂道ということになり、神社北側あたりからメトロ湯島駅まで下っているあたりを切通坂というみたいです。



切通坂(NO.189)1
坂上より

坂上からの景色です。
さすがに春日通りという地下には大江戸線も走っている大通りということもあり、道幅も広く、車の行き来もかなり多かったです。
右側には湯島天神の建物がいい感じで見えているなあと思いつつ、その左側には湯島ハイタウンなるバカでかい高層アパートがアイストップに見えていたりと、なかなかありそうでない感じの風景がひろがっていておもしろい感じでした。



切通坂(NO.189)2
湯島天神

坂から見える湯島天神はこんな感じでしたよ。
よくみると銀色のサッシがとりつけてある部分もあったりと新旧の建物がまざっているのかもなあと。



切通坂(NO.189)3
坂の途中より

今度は、すこし坂道を下り、坂上のほうをみてみました。
いつものことですけど、坂上のほうを眺めると、その坂道の勾配具合がわかりやすいかもですね。
そんな感じで、ここもけっこうな高低差はありそうですよ。



切通坂(NO.189)4
坂の途中より2

さらに下り、坂下のほうを眺めてみました。
見てのとおり、このあたりからグッとカーブしながら下っているようで、なかなかいい感じの曲がり具合と勾配具合だったかもです。



切通坂(NO.189)5
湯島ハイタウン

そして、4枚目の写真の左側にそびえ建っていた湯島ハイタウンをパチリと一枚。
なんだか各部屋の室外機のとりつけられかたが実に異様な感じがして、台風なんかきたら落ちてくるんじゃないかと心配してしまうくらいでしたが、まあ大丈夫なんでしょうね(笑)。



切通坂(NO.189)6
坂下より

最後は、坂下からの風景です。
もうちょっと坂上の方がすこしみえそうなアングルもあったんですけど、今回は湯島ハイタウンと坂道の関係がわかりやすい角度を選んでみました。
さすがに道幅のひろい切通坂ですけど、建物がここまで背が高くてのっぺらりんとしていると、さすがにスケール感もずれている感じがするんですけど、どうでしょうかね。。


ちなみにここにはいつものような坂の案内板が坂の途中にあり、

「御府内備考」には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を聞きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。
また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った道である。

二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな   
     石川啄木  』
とありました。

そして、この近くには、坂道案内板にも書かれている石川啄木の歌にまつわるエピソードがかかれた案内板もあったのですけど、あまり立ち止まってよんでいる人もいなさそうだったので、せっかくなのでここにのせておきますね。
『この歌は、石川啄木(一八八六 ― 一九一二)の明治四三年(一九一〇)の作で「悲しき玩具」に収められている。文字は、原稿ノートの自筆を刻んだ。
当時啄木は、旧弓町の喜之床(現本郷二ノ三八ノ九・新井理髪店)の二階に間借りしていた。そして、一家五人を養うため、朝日新聞社に校正係として勤務し、二晩おきに夜勤もした。
夜勤の晩には、終電車で上野の広小路まで来たが、本郷三丁目行きの電車はもう終わっている。湯島神社の石垣をまさぐりながら、暗い切通坂を、いろいろな思いを抱いて上がったことであろう。
喜之床での二年二ヶ月の特に後半は、啄木文学が最高に燃焼した時代である。この歌は当時の啄木の切実な生活の実感を伝えている。
文京区内で、最後に残っていた啄木ゆかりの家”喜之床”が、この三月一八日に、犬山市の博物館「明治村」に移築、公開された。』
※移築されたのは昭和五五年三月一八日ですね。


あと、その他にも、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」には、この坂は江戸時代よりまえからあったとか、島崎藤村の「春」や山本有三の「路傍の石」なんかにも、この切通坂やこのちかくあたりの描写なんかが書かれているという一文もあったんですけど、さすがにここまでのせてしまうときりがなさそうですので、とりあえず気になる方は各自で調べてみてくださいね。


地図
文京区湯島4あたり

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所在地:文京区湯島3


めおと坂とよぶそうで、別名、新坂ともいうそうです。
場所は湯島天神内にあり、境内から神社北側にある春日通りへと下る階段坂道です。



夫婦坂(NO.188)1

坂上からの様子です。
見てのとおりの神社やお寺にありそうな立派なつくりの階段となっていました。
しかもここだけ、階段以上に目立っている超立派なつくりの門が坂の途中につくられていました。
階段自体はなかなかの高低差の場所ということもあって、ちょっと足腰に不安がある高齢の方なら横の手摺をつかわないと苦しい感じの急勾配な階段かもしれないですよ。



夫婦坂(NO.188)2

今度は、もうすこし階段をおりて、坂の途中にある門のあたりから坂上のほうを見てみました。
なんとなく人工的なにおいのする階段ですけど、夫婦坂と名前をつけているくらいですから、やっぱり自然の地形になんとか階段をそわせていったものなんでしょうかね。



夫婦坂(NO.188)3

さらに階段をおりて、坂下から坂上のほうを眺めてみました。
それにしても立派なつくりの門ですね。(しつこいですけど・・・。)
ただこの門が坂の途中にあるから、坂上坂下からくる人をこばまない雰囲気が階段に漂っている感じですけど、これが坂下やら坂上に門があると、なんとなくそういうバランスは悪くなるのかもなあと。



夫婦坂(NO.188)4

最後は、ちょっと遠目の位置から、坂全体を眺めてみました。
こうしてみると階段の高低差具合(おそらく3階分くらいの)もさることながら、神社各建物の屋根の勾配具合がそれぞれ坂上にある本殿の位置からするするとちょっとした滑り台のようになんとなくそろえられていたり(これで例えば坂の途中の門がぽんととびでていたら、それはそれで見た目になんか違和感がでてくるかもしれないですけど、ここではそうしてないですよね)と、建物の配置計画やら高さ計画まできちんと考えてやっていたんだろうなあと、この神社を当時建てた人(今風でいえばデザインした人(汗))もなかなかそのあたりのことは頭を悩ましたんだろうなあなんて、ちょっと関心してみたり。
まあ、なんていうかこういう気持ちみたいなものがそれぞれの道路沿いでもいかされていたら、これまた気持ちのよい景色が日本でもひろがるのかもなあ、なんてえらそうに思ってみたり。。(汗)


ちなみにここにはいつものような坂の牌はありませんでしたが、境内案内図にここの階段のことを夫婦坂とよぶということが書いてありましたよ。



地図
文京区湯島3

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てんじんおんな坂とよぶそうです。場所は、女坂という名前がついているとおり、湯島天神に出入するための坂道で、天神石坂(NO.186)の坂上から北に下っている坂道です。



天神女坂(NO.187)1
坂上より

坂上からの景色です。
なんとなく女坂というとスロープ坂のイメージがありますけど、ここでは見てのとおりの階段坂でした。
この右側に男坂があり、左側は湯島天神の境内ということになります。
高低差具合や道幅のちょうどよさに加え、灯篭やら梅園なんかも一望できてなかなかハイレベルな坂道かもですよ。(笑)



天神女坂(NO.187)2
坂の途中より

すこし坂を下り、坂上のほうを眺めたものです。
手入れされた階段坂道とその右側に見えている石垣、そしてその上に建つ授与所(境内案内図によればです)の建築などがうまくまざりあって、かなりいい感じに見えていましたよ。



天神女坂(NO.187)3
坂下より

そして、一気に坂下まできてみました。
いやいあなかなかのものですね。
左側の梅園に加えて、右側の立派な石垣もいいですけど、さらにその上からも、なにやら生き物のように梅の木がせりだしているのも、なんだかおもしろいですかね。
そういえば、一番手前にすこしだけ見えてますけど、占い師さんがでんと座っていましたよ(いちおう、不思議そうな目で僕を見られていたので「坂道の写真撮ってます」なんて一言を占い師さんにつげながら、なるべく占い師は写らないように今回は写真撮りました)。なにやら机にはられた張り紙にテレビなんかでも取り上げられたとかなんとか書かれていたので、有名なかたかどうかはともかく、この場所でずっと占いをやっているかたなのかもしれないなあと。



天神女坂(NO.187)4

最後は坂下あたりより、梅園を眺めてみました。
ちなみに、この女坂には男坂のような案内看板はなかったのですけど、写真にもうつっている梅園はけっこう有名らしく、江戸東京坂道事典の一文を抜粋すると、『境内の梅樹は湯島の白梅といわれ、いまも樹木の数は多く、泉鏡花の原作を劇化した新派の「婦系図」の濡れ場の舞台として知られる。その舞台は湯島天神の白梅をバックにお蔦と主税がベンチに並んで悲しい恋の涙を流すくだりで、これが映画化されると、「湯島の白梅」なる歌謡曲が流行したりした。元来、小説「婦系図」には湯島天神は出てこないのだが、鏡花の好みで芝居ではこれを登場させたものである。鏡花は一八歳で文学の夢を抱いて故郷の金沢から上京したが、尊敬する尾崎紅葉の門を訪れる勇気がなく、故郷の家での下宿人だった医学生の福山という男を唯一のたよりに、その転居にしたがってあちらこちらと移り住んだ時期、しばらく湯島天神下に暮らしたことがあった。』
と書かれてありましたよ。



天神女坂(NO.187)5
湯島天神本殿


地図
文京区湯島3

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てんじんいし坂と呼ぶそうで、別名で天神男坂、またはただたんに、石坂とよぶこともあるそうです。
場所は、前に取り上げた中坂(NO.185)の北側に位置し、湯島天神内にある階段坂道です。



天神石坂(NO.186)1
坂下より

坂下からの風景です。
すでにここから小さな鳥居が見えているとおり、坂上は湯島天神の境内ということになります。
階段自体かなりの急勾配で短い階段坂といった感じで、それに加えて階段右側には灯篭が並び、左側には一面の緑という(現地ではちゃんと確認していなかったのでなんともいえないですけど、写真を拡大してみた感じでは、おそらく壁かなにかに緑がはりついているという具合ですかね)なんともいえないつくりになっていたかもです。

そして写真でも見えてますけど、ここにはいつもの坂の案内板があり、
『三十八段の石段坂である。別名は天神男坂。すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。
江戸時代の書物"御府内備考"によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。』
とありました。



天神石坂(NO.186)2
坂上より

坂下からではまわりに比較する建物などがなかったので、わかりにくかったんですけど、こうして坂上からみると、かなりの高低差(おそらく建物3階分くらい)を一気に短い距離で降りている様子がわかりやすいんじゃないですかね。
なので、ここでは特に高齢者の方なんかにとっては、階段中央のしゃれたデザインの手摺は必須アイテムかもですね。

ちなみに、写真左の灯篭のむこうに見えているのは梅の木らしいですよ。


地図
文京区湯島3

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なか坂と言うそうで、別名、仲坂とも書くそうです。
場所は、実盛坂(NO.184) の北側に位置し、この坂上から道沿いにてくてくとすこしあるくと、中坂の坂上あたりにやってきて、同じく東西にのびている道を東へと下っていく坂道です。



中坂(NO.185)1
坂上より

坂上からの風景です。
ちょっとこの写真ではわかりにくいですけど、けっこうな急坂で、道自体もなんとなくカーブしている具合が、なかなかいい感じでした。
また、すぐ北側には湯島天神もあるためか、坂上はそれなりに落ち着いた雰囲気で、坂上の横断歩道を横切る時は、「おお!」という感じで、ふと立ち止まって坂上からの景色を眺める人も、僕が坂道散歩しているあいだにも、何人かいましたよ。



中坂(NO.185)2
坂の途中より

すこし、坂を下り、坂上のほうを見てみました。
新旧の建物がほどよくブレンドされた風景というかなんというか、たしかに両サイドの背の高めのビルもたしかに気になる存在ではありましたけど、以外と、圧迫感は感じなかったかもです。



中坂(NO.185)3
坂の案内板

ちなみに、今回は、二枚目の写真の場所から程近いところにあった、坂の案内板の写真をのせてみたのですが、これは、道路側から撮ったものです。
なので、この案内板の後ろは、擁壁らしき壁だったり家の壁が見えているとおり、人がはいるにはあまりにせますぎる隙間しかないんですけど、実は、この後ろ側に、坂の案内説明の文が書かれてあったんですよ。。(笑)
そんなこんなで、裏側にまわって説明をよんでいる時は、みちゆく人々にかなりあやしい目つきでみられましたけどね。。(汗)

それで、その説明によると、
『「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼名とすといふ」とある。
 江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた。したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
 また、「新撰東京名所図会」には、「中坂は、天神町1丁目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
 このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
  まゐり来てとみにあかるき世なりけり
       町屋の人のその人の顔かお   (釈 迢空)』
とありました。

妻恋坂と天神石坂とのあいだだから、中坂ですか。
妻恋坂というのは、このブログでもすでにとりあげた妻恋坂(NO.170)のことだと思いますので、じゃあ、これまでとりあげた中坂と妻恋坂(NO.170)のあいだにある坂道は、どれも新しめの坂道ということになるんですかね。
でも、実盛坂(NO.184)なんて、けっこう昔からありそうですけどね。。



中坂(NO.185)4
坂下より

そして、一気に坂下までおりてみました。
なんとなく、カーブしていて、道も長めなので、ちょっとわかりにくいですけど、坂上と坂下の高低差はかなりのものなんじゃないですかね。
ただ、こうしてじっくりとこの風景をみていると、やっぱり電線がやたらと空中を横切っていて、ちょっと落ち着きない感じですかね。。

また、この坂下あたりのことが、「江戸東京坂道事典」に、ちらりと書かれてあり、『中坂下は里俗天神神芸妓とよんだ湯島の花柳街で、江戸時代にも山の手ではいちばん早くひらけた門前町であったが、いまでもこのあたりは古い東京のおもかげをどことなくしのばせる。』とありましたよ。


地図
文京区湯島3

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さねもり坂と呼ぶそうです。
場所は、ガイ坂(NO.183)のすぐ北側に位置し、坂道沿いにさらに北へてくてくと歩くと、実盛坂の坂下あたりにやってきます。



実盛坂(NO.184)1
坂上より

坂上からの風景です。
かなりの急勾配の階段坂道ですかね。
高低差も、ものすごく、ここから見るぶんには景色も以外とひらけている感じでしたよ。
それで、ふと写真をじっと眺めていて、気がついたんですけど、あまりの急勾配具合のためか、電柱が両サイドになく、なんだかすっきりした印象がありつつ、坂下の家々も低層で、ちょっと懐かしい感じというかよくありがちな、まちなかの住宅街といった雰囲気でなんだかおもしろいなあ思いつつも、もうひとつの自身の視点というか、建築を学んだ身としての目線(ちょっと冷めてるというか冷たい目線ですかね)としては、なんだかひとつひとつの家々の形も違うし、上からみるとそのごちゃごちゃ感がさらに際立ち、こりゃあ一体どうなってんだろう?なんて、思う自分もいたりして、なんだか分裂病になりそうな気分になってしまいましたよ。。(笑)



実盛坂(NO.184)2
坂の途中より

そして、階段の中腹あたりにきて、坂上のほうを眺めてみました。
この短いあいだに、おそらく一階半くらいの高低差を下りてきたと思われますよ。
しかも、この高低差と両サイドのビルのおかげで、なんとなく狭苦しくて、薄暗く、ちょっと寂しい感じがただよっているなあと思ってしまったんですけど、どうなんでしょうかね。



実盛坂(NO.184)3
坂下より

最後は、一気に坂下まで下りて、坂上のほうを見てみました。
こうして、あらためてみると、三階半か四階分くらいの高低差がありそうですね。
なんていうか、手摺だけピカピカ光っていて、階段自体がどこか古めかしい感じというかただ古いだけなのかわかりませんが、なんともいえないあじわいをだしているような、ないような・・・・。

ちなみに、ここには、いつものような坂の案内板があり、
『「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。
 実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現・埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183年)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれた。
 斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。この話は「平家物語」や「源平盛衰記」に詳しく記されている。
 湯島の”実盛塚”や”首洗いの井戸”の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。』
とありました。
「”首洗いの井戸”の伝説」なんてのは、ちょっと気になったので、調べてみたんですけど、あまりうまいのがでてこなかったなか、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に、『坂下の南側一八番あたりに、むかし斉藤別当実盛の首塚があったと伝えられ、その塚をあばいた人々は祟りをうけていずれも怪死したという話までがつけ加えられている。』と書いてあったので、おそらくこのことなんでしょうかね。
ということは、今も残っているということなんですかね?それとも建物の下になってしまったのか(汗)。
ということは(←しつこい・・・)、その土地をならした人たちもしくは工事した人たちは、祟られたんですかね?

と、余計なことを妄想してしましたよ(汗)。。


地図
文京区湯島3

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なぜかカタカナで、ガイ坂と言うみたいで、別名で芥坂(ごみさか)というそうです。
場所は、三組坂(NO.182)の中腹あたりから、北へと下る坂道です。



ガイ坂(NO.183)1
坂上より

坂上からの風景です。
いちおう、これは、三組坂(NO.182)からの景色でもあり、ここからでも坂下の様子が見えるので、かなり短い坂道みたいですよ。
両サイドには、それなりに高層なビルが建ちならび、いまどきのよくありがちな、道の景色という感じでした。
坂道自体も、勾配具合はなかなかいい感じですけど、カーブの手前で、すでに平地になっているようなので、まあそのあたりが、残念といえば、残念ですかね。。



ガイ坂(NO.183)2
坂下より

なので、一気に坂下まできてみました。
こうしてみると、けっこうな高低差具合の坂道みたいですよ。

ちなみにここには、いつもの坂の碑はなかったですけど、「歩いてみたい東京の坂(上)」に、この坂道のことが書いてあり、
『江戸時代、三組坂の付近が御家人衆の拝領地で、その崖下が芥捨場であったため、この名がついたとされている。ガイは芥の音読み。』
とありました。
ただ、この「歩いてみたい東京の坂」の地図は、たまに見当違いな場所の道を選んでいることもたまにあるので、もうすこし手持ちの坂道本で探してみると、「江戸の坂」にも、この坂道のことが書いてあり、同じ場所で、だいたい同じことが書いてありましたよ。

あと、余談ですけど、ガイ坂でネット検索してたら、なにやら、「ガイじゃのう!」という言葉がひっかかってきて、これはなんぞね?と思ったら、あの「坂の上の雲」のドラマでよくでてくるセリフというか言葉というか方言みたいで、“たいしたもんじゃのう”、とかそういう意味みたいです。
なので、今回のガイ坂のガイとはまったく関係ないと思われますので、あしからず。。



地図
文京区湯島3

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三組坂(NO.182)を歩いていると、ちょうど坂道から見えていた階段なんですけど、ちょっと不思議なつくりというか配置になっていたので、さらりと取り上げてみることにしてみますよ。



謎の階段抜け道1

ということで、三組坂(NO.182)の途中から、南側に抜けることができる階段です。
ちょっとした高低差具合の階段で、幅もなかなかいい具合で、ちょっと気になりパチリと。
そして、地図で確認してみると、やはりというべきか、階段上の道をさらに南に道沿いに(写真で言えば、正面のマンションのほうですかね)歩くと、どうやら芥坂(NO.181)にぶつかる道のようですよ。



謎の階段抜け道2

同じ階段を、階段上から三組坂(NO.182)のほうを眺めたものです。
このような抜け道階段にも立派な手すりがついていることに、ちょっと驚いてしまいましたよ。



謎の階段抜け道3

そして、2枚目の写真の立ち位置から右側を見ると、これまた細幅の道がすらりと見えていました。



謎の階段抜け道4

てくてくと歩き、さらに奥に行き着くと、かなりの高低差具合の階段がありましたよ。
ちなみにこの階段を下り、道沿いに左側へ折れると、また三組坂(NO.182)と出会うことになります。



謎の階段抜け道5

最後は、階段下からの眺めです。
おそらく、建物一階分くらいの高低差はあるんじゃないですかね。
しかも、この階段も完璧な裏道なのに、手摺がきちんとあり、左側にも鉄製らしき手摺や木製らしき柵があったりと、なんだか立派なつくりですね。

さらに、地図でみると、右側に見えているホテルを囲むように、抜け道があり、さらにその道には、それぞれ立派な階段があったりと、なかなか想像力をかきたてられる階段であり、抜け道かもですよ。

ということは、やっぱり、ここもかなり昔からあった道ということになるのですかね。
じゃないと、わざわざこんな近距離に、二つも立派なつくりの階段抜け道なんてつくらないと思うんですけど。。
どうでしょうかね。(笑)
(余談ですけど、実は、江戸東京坂道事典の地図では、この階段抜け道が、前にとりあげた芥坂(NO.181)らしき感じで書かれていて、てっきり僕も、この階段のことがそうなんだあと勘違いして、当日は坂道散歩していたんですよ。。汗)



地図
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所在地:文京区湯島3


みくみ坂と呼ぶそうです。場所は、前回の芥坂(NO.181)の坂上をさらに北側へすこしばかり道沿いに歩くと、出くわします。
坂道自体は、東西に長く、西から東へと下っている坂道です。



三組坂(NO.182)1
坂上より

坂上からの風景です。
なんというか、これでもかあ、といういうくらいまっすぐな坂道ですね。
そして、平坦なところになってもですよ。
しかも、遠くのほうにビルが見えてますけど、かなり遠い場所にあるようなので、最近ありがちな、近くの高層ビルのおかげで遠景の眺めがよくないなんてこともなく、ひさびさに遠くまで視線がぬけている坂道に出会ったという感じですかね。
そして、近くをみれば、両サイドに、ホテルもたちならびつつ。。(笑)



三組坂(NO.182)2
坂の途中より

もうすこし坂を下り、坂上のほうをみたものです。
両サイドは、旅館(ホテルですけどね)ということもあってか、やはり訪れる人をあまり不快な気分にさせないようにしているためか、道沿いはそれなりに清掃されていて、建物自体もそれなり(個人差はあると思いますけどね)に秩序を保っているような気がしましたよ。
あとは、このアングルからだと、坂道のこう配具合もわかりやすいんじゃないですかね。
ちなみに、このあたり(特に坂上あたり)には、昔から旅館が多くたち並んでいたそうですよ。(江戸東京坂道事典によるとですけどね。)




三組坂(NO.182)3
坂の途中より2

そして、坂道の中腹あたりまで下りてきて、さらに坂下のほうを眺めてみました。
このあたりまでくると、両側のビルもいろんな姿かたちをみせだしていて、ちょっとごちゃごちゃ感はありますけど、坂道自体は、あいかわらず勾配具合といい道幅といい、なかなかいい感じでしたよ。
(勾配具合については、まわりのビルを見るのもいいですけど、坂下の道を偶然横切っているシルバー系の色の車の姿をみると、おお〜、と感じるかもですよ。)



三組坂(NO.182)4
坂下より

最後は、坂下からの眺めです。
こうしてあらためてみると、やっぱり、坂上と坂下の風景はちょっと違っているかなということが、実感できたかもです。
あと、手前の道路に記された矢印から判断すると、この坂道、坂上から坂下への一方通行の道みたいですね。

そして、この坂道には、いつものように坂の案内標識があり、
『 元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お附きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷地を賜った。駿河から帰ったので、里俗にこのあたり一帯を駿河町と呼んだ。
 その後、元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改めた。
 この町内の坂であるところから「三組坂」と名づけられた。
 元禄以来、呼びなれた三組町は昭和40年(1965)4月以降、今の湯島三丁目となった。』
とありました。



地図
文京区湯島3

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今回は、文京区の坂道散歩を最近再開してわかったことです。

実は、「江戸東京坂道事典」や「江戸の坂東京の坂 」に、今回の芥坂のことが書かれているのですが、その中で、なんと、芥坂の別名が「立爪坂」ということみたいなんですよ。
(この立爪坂は、以前に書いた、"とある街の風景(立爪坂)"でとりあげた坂道のことなんです。)

とりあえず、江戸東京坂道辞典には、
『妻恋坂の中腹を北へ折れて上る湯島三丁目の坂で、立爪坂の別名があるのでもとは険しい坂だったのであろう。「府内備考」の湯島三組町の条に「芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂なり、その辺芥を捨てる処なれば里俗呼名とせりとあり、(略)』
と書かれてありました。

なので、昔は立爪坂という坂名よりも「芥坂」という名のほうが、一般的だったようですね。
そんな具合に芥坂の別名として、立爪坂という感じで本には書かれていたので、ぜんぜん気がつきませんでした。
しかも、江戸の坂にも、ちらりと書いてありましたよ。(汗)

ただ、その地図上の場所については、江戸東京坂道事典でも、芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂道というくらいにしか書かれていないこともあり、本当に正確な場所はわかりませんでしたけど、とりあえず、以前に書いた”とある街の風景(立爪坂)”と今回の芥坂(NO.181)”とは、同じ坂道として扱ってもいいのかもなあということで、今回メモがわりに書いておくことにしました。

ちなみに、芥坂について、「江戸の坂東京の坂」の本には、ここ以外にも東京には七カ所ほど残っているとのことで、本文には、
『こんなわけで、江戸時代の芥坂は、衛生的なところとは言えなかった。しかし、その芥捨場に簡単な施設をしたり、溜った芥を車に積んで、河岸についている芥船運んで行き、その船に芥を移して、指定された埋立予定地まで、芥を捨てに行く、その一切の費用は、その町内でまかなっていたのである。勝手に坂の下へ芥を溜めていたわけではなかったのである』
とあり、芥坂だからといって、その道周辺に、ゴミが散乱していたという感じでもなく、ましてや、ゴミの不法投棄の場所ということでもなかったみたいですね。
要は、東京に七カ所しかなかったということからも、ちょうど坂道の勾配のおかげで道のわきにゴミをおいても、ふつうの道のわきにおくよりはそれほど目につかないだろうし、昔は、そういう芥坂と名のついた坂がゴミ置き場というか保管場所的な役割の場所だったのかもしれないですね。(かなりいいかげんな予測ですけどね。。)

ということで、詳しい坂道の写真や状況などについては、以前書いたものでなんですけど、とある街の風景(立爪坂)のほうに書いてますので、よかったら見てくださいね。
とある街の風景(立爪坂)


地図
文京区湯島3

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立爪(たてつめ)坂とよばれる坂だそうで、この前取り上げた妻恋坂(NO.170)の途中から北側へと上っていく抜け道的な坂道を今回はぶらりと。



立爪坂1
坂下より

ちょうど妻恋坂(NO.170)のほうから、坂上のほうを眺めたものです。
ほんとうに抜け道てきというか、階段なので、人しか通れない道だったのですが、高低差は(見てのとおりですけど)けっこうあるようでした。

あと、いつもお世話になっている「東京23区の坂道」サイトの写真をみると、左側のマンションの奥の急な階段になっているあたりは、昔は石垣になっていたようですが、いまはすこし違うつくりになっているみたいです。



立爪坂2
坂上より

そして、坂下から坂上がすでに見えていたこともあり、一気に坂上まできてみました。
なんというか、左側に見える赤い屋根のある家のあたりからなんとなく昔の風景を想像できそうな感じですが、それ以外は、新旧のビルが建ちならんでいる普通の階段抜け道という具合でした。
ただ、かつて石垣があったであろう右側の壁にはりつくように植えられている植物がせまい路地にもかかわらず、青々としていて異色をはなっていたという感じですかね。。



立爪坂3

最後は、2枚目の写真の立ち位置あたりから、後ろを振り向くと、こんな感じでした。
ちょっとした丘ですね。。

ということで、今回はこんな感じですが、この坂道については、いつものような坂の碑もなく、ネット情報のみで、その他の情報源がわからないので、とりあえず、このカテゴリーにしてみましたよ。


※追伸
ブラタモリで、この坂道も取り上げていたこともあり、ひさしぶりにその他もろもろもかねて再確認してみると、なんと、最近、図書館で再び借りてきた(前も図書館で借りて読んだのですが・・・)「江戸の坂-東京・歴史散歩ガイド」の中でメインではないんですが、ちらりとこの坂道のことが一文ともに、地図にも記載されているのを発見してしまいましたよ。
なので、とりあえず、すこし訂正しました。。



地図(今回からカテゴリーに迷った坂道だけ変更してみました。)
文京区湯島3

所在地:文京区湯島1


じゅもくだに坂と呼ぶそうで、別名、地獄谷坂ともいうそうです。
場所は、東京医科歯科大学の北側にあり、坂上は本郷通りに、坂下はこの前からたびたび登場している蔵前橋通りに面しており、さらにこの通りをはさんで、ずいぶん前にとりあげた横見坂 (NO.15)の坂下もみえていたりする坂道です。



樹木谷坂(NO.167)1
坂下より

まずは蔵前橋通り側の坂下より坂上のほうを眺めたものです。
見てのとおりすでにここからも坂上の様子がみえるほど、距離の短い坂道でした。
ただそのぶん高低差もそれなりにあり、道幅もそんなに広くないためか、坂道らしい坂道というかなんというか、それらしい雰囲気は歩きながら感じられたかなと。



樹木谷坂(NO.167)2
坂上より

そして、いっきに坂上まできてみました。
これといって思いつくことはありませんが、なんとなく落ち着いた雰囲気の坂道だったかなあ
というのが、歩いたときの印象だったかもです。

ちなみにここには、いつものように坂の案内標識があり、
『地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下る坂である。そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。
尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・並びに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武藏のゝ遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。』
とありました。

また、Wikipediaには、本郷通りのことを「本郷通りは江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、徳川将軍家が日光東照宮へ社参する際に利用された街道である。」なんてことが書いており、このことと重ね合わせると、樹木谷という名の由来もすこし納得という感じです。



樹木谷坂(NO.167)3

最後は、おまけがてらです。
これは本郷通り側から撮ったもので、実は今回の坂道の坂上のすぐ真横にでーんと建っており、坂下からの写真でも右側になにげに見えていた「東京ガーデンパレス」というホテルで、見てのとおり正面の見た目(ファサード)が、けっこう凝ったつくりになっていたことから、現地でちょっと気になりぱちりと。(いちおう帰ってからしらべてみると、詳細についてはよくわからなかったですが、やっぱり有名な建築みたいでしたよ。)



地図
文京区湯島1

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所在地:文京区湯島3あたり

しんつまごい坂とよぶそうです。
場所は神田明神の北側にあり、この前取り上げた神田明神裏参道からも見えていた蔵前橋通り沿いにある坂道です。



新妻恋坂(NO.166)1
坂下より

坂下あたりより坂上のほうを眺めたものです。
道の両サイドには10階建てくらいのビルがずらりと軒をつらねていて、坂道自体もそれほどの勾配具合ではないため、なんだかふつうの幹線道路といった感じの坂道でした。
ただ、ちょっとわかりにくいのですが、写真の左側の消火栓とかかれた赤い標識の向こうあたりに神田明神裏参道の坂下あたりが見えていたりするんですよ。
(写真がかぶるので、今回は載せないですけどね。。)



新妻恋坂(NO.166)2
坂上より

そして、一気に坂上あたりにきてみました。
坂上から見るとなおさら勾配具合がわかりにくいですね。。
そんなこともあり、坂道周辺に目をむけてみると、なんというか、よくもまあビルごとに色がまったくちがうもんだなあと思いつつも(まあこれはそういうルールみたいなものはないはずなので、つくる側の自由選択(わるくいえばやりたい放題)になるので仕方がないのですけどね・・)、よくよくじっとみると、現地ではほとんど気にしなかったと言ってもいいかもしれないですが、街路樹もきちんと植えられていたんですね。
なので、すこしばかりの統一感みたいなものが感じられる道なのかもなあなんて思ってみたりしましたよ。

ちなみに、この坂道の通り名でもある蔵前橋通りは、ひさしぶりに登場の「歩いてみたい東京の坂/上」によると、
『関東大震災ののち、当時の東京市長後藤新平が、帝都復興院土木局長太田圓二に計画させた新道の一つであり、昭和四年に開通したものである。』
ということらしく、昭和四年といえば、1929年だからこの道はできてから今年でちょうど80年ということになるんですかね。
まあ、新しめの道といえば、そうなりますが、なかなかにきりがいいですな。。

ということで、今回は写真が少ないですが、こんな感じです。


地図
文京区湯島3あたり

所在地:文京区湯島1


みょうじん坂と呼ぶそうで、別名、湯島坂、本郷坂とも言うそうです。
場所は、神田明神と湯島聖堂の間を通り、坂の中腹あたりで昌平坂(NO.162)の坂上と合流しつつ、東へと下っていく坂道です。


明神坂(NO.163)1
坂上あたりより

坂上からの風景です。
道幅もひろくかなりゆったりとした感じに見えますが、実際はけっこうな勾配具合の坂道でした。



明神坂(NO.163)2
神田明神

1枚目の写真を見て、あれ?と思ったかたもいたかもしれませんけど、あれはわざとあの位置から撮ってみたんですよ。。
はじめに“神田明神と湯島聖堂の間を通り”なんてことを書いているとおり、1枚目の写真の立ち位置のすぐ左側を見ると、見てのとおり神田明神と参道が見えていました。
まあ、なんていうのか、いまでこそ、この神田明神の歴史の深みのようなものを知りつつあるので(かも?)、“おお”と思ったりもしますけど、以前(かなり前です、このブログを書くかはるか前、学生時代に近くの母校のメイン校舎に用事で訪れたついでに、ぶらりとこのあたりも散歩したことがあったんですけど、当時は、ぱっと見た時“おっ、奥になんかあるなあ、中華街でもあるのかな・・・”なんてことを恐れ多くも想像してしまったことを思い出してしまいましたよ。(汗)



明神坂(NO.163)3

今度はその道路向かいに、湯島聖堂(の裏側)が見えていましたよ。
こうみると意外と大きい建物だったんですね。



明神坂(NO.163)4
坂の途中より

また坂道のほうに話をもどしまして、これは坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
道幅がひろくて左側の湯島聖堂の塀が立派なため、あまり目だっていませんけど、まるで、ジオラマ模型かなにかに飾られているつくりものの木のように、均等に規則ただしく植えられている街路樹も意外と気になったというかいい味だしているなあと。
しかも、電柱もないので、樹ものびのびしているような。。


明神坂(NO.163)5
坂下より

そいで、最後は坂下からの風景です。
ここから見ると坂上からみたときより、さらにゆるやかな勾配具合の坂道に見えてしまっているような気がしますけど、気のせいですよね。。
おそらく建物の3、4層分くらいの高低差はあるはずなんですけどよ・・・。(かなり適当でもうしわけないです。)

ちなみに、この明神坂、今回は人も少なくてゆっくりと歩けましたが、これが神田祭がある時などはすごい人手(身動きできない状態)になるんですよ。
(その祭りの日の様子なんかも神田明神のサイト見えるみたいなので、よかったらどうぞ。→神田明神 )

あっ、あとこの坂道にはいつもの坂の碑などはありませんでしたよ。


地図
文京区湯島1


おまけ


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所在地:文京区湯島1


あいおい坂と呼ぶそうで、別名で昌平坂や団子坂とも言うそうです。
場所は、御茶ノ水駅そばにあり、駅からも実は見える坂道で、聖橋(このブログでも何度か登場していますが)のあたりがちょうど坂上になっている坂道です。



相生坂(NO.161) 1w
坂上より

坂上からの景色です。
見た感じはなだらかな坂という感じですが、実際歩いている時は、もうすこし体に感じるくらいの勾配具合だったかもです。
坂道自体は道幅も広く、整備も行き届いているかんじで、すぐよこにはJRや神田川が並行に走っています。
あと、坂道の途中から街路樹がなくなっているのが、なんでかなあと、ちょっと疑問に思ったりもしましたけどね。。



相生坂(NO.161) 2w
坂の途中より

今度は坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
なので正面に見えているのが聖橋です。
坂と橋が一緒に楽しめるなんてなかなか、いままでの坂道散歩でも数少ない場所だったような気が・・・。
しかも、電柱がないので空が広く見えますね。



相生坂(NO.161) 3w


そいで、せっかくなので、JR御茶ノ水駅のほうもちらりと。
なんだか後ろの高層ビルがなければ、ここはどこ?というくらいレトロな雰囲気が漂っているような気がしてしまいましたよ。
ただ現地では、高層ビルの左側あたりにニコライ堂の建物がチラリと見えるはずなんですけど、この写真では緑で隠れてしまっていて見えていませんね。




相生坂(NO.161) 4w

坂下あたり

そうこうしているあいだに、あっというまに坂下あたりまできてしまいました。
この写真はさらに坂下のほうへと続く道を眺めているものですが、ちょうどこれをそのまま道沿いに行くと秋葉原へと行けたりします。
またこのちょうど左側には湯島聖堂への入口もありましたよ。
(湯島聖堂については、また機会があれば散歩するかもしれませんが、今回は最後のほうでちょこっとふれるのみにしておきますよ。)

ちなみにこの坂道にはいつもの坂の碑みたいなものはありませんでしたが、坂の由来がかかれた案内板があり、

神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。
「東京案内」に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛政中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
 昌平とは聖堂に祭られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。

  これやこの孔子の聖堂あるからに
     幾日湯島にい往きけむはや   法月歌客  

とありましたよ。

また、はじめにちょこっとでてきた団子坂という別名は、ここが悪路で転ぶと団子のように泥まみれになる(江戸東京坂道事典より)という意味から名付けられたらしいです。

あっ、そうそう、そういえば広重さんの名所江戸百景の「昌平橋聖堂神田川」に、かつての相生坂(昌平坂)や湯島聖堂も描かれていたみたいなので、ウィキペディアのページもリンクしておきますね。
→「昌平橋聖堂神田川


地図
文京区湯島1


おまけ

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去年に引き続き、クリスマスに教会に行ってしまいましたよ。


カテドラル01

写真を見てわかったかたもいるかもしれませんが、東京カテドラル聖マリア大聖堂という文京区にある教会です。

今回は、クリスマスの日をわざわざねらって行ってみましたが(汗)、いざ行ってみると思ってたより人がいましたよ。(当たり前ですね・・。)
去年、同じように行ったことで、今年はかなり気分てきに楽に足を運ぶことができましたが、やはり聖堂内に入ると、まわりのクリスマスモードの楽しげな雰囲気とは、一味ちがい、厳粛な気持ちとともに安堵感と世の中の平和を祈りたい気持ちがふつふつとわいてきてしまいました。。(汗)
ただ、この大聖堂のすぐ横に、かの有名なフォーシーズンズホテル椿山荘があるためか、地元の方以外にも、僕のようにクリスチャンではない方々でなんとなく足を運んできてみたという感じのかたやアジア系の観光旅行者の方たちもけっこうみられましたよ。


カテドラル02

なんとなく、建物の写真を見て変わった概観であることからも、うすうす気づいたかたもいるとは思いますが、今回も、実はこの教会の建物自体にも興味があり、今回のような家から遠めの場所にある教会にもかかわらず来てみたというわけなんですよ。
なので、なにげに言ってしまうとですね、一枚目の写真で、これを上からグーグルアースで見るように(あとで航空写真でみてもらえるとわかるかもしれませんが)上からみると、この建物は十字架のような形をしていて、ものすごく変わった建物であり、専門家の方がみても「斬新なデザインだ〜」と言わせてしまうほどの建物だったりするんですよ。。
(それがいいか悪いかは別としてですね・・。(笑))

そして、なんといってもこの建物を設計したのが、東京都庁や代々木体育館、お台場のフジテレビの建物などを設計した丹下健三氏というのも、なかなか知るひとぞ知る建物であり教会だったりします。
また、そんなこともあり、内部の聖堂部分もかなり変わったデザインというかいろんな意味で考えさせられるつくりになっているのですが、今回は聖堂内での撮影が禁止されていたので撮れませんでした。(残念・・ただ、HPに聖堂内をQuiktimeプレイヤーでバーチャル見学できるページがありましたよ。)
でも、今回のようなクリスマスミサのおかげで、ふつうでは考えられないような人数のなかでのオルガン演奏や合唱を聴けたのはすごくよかったかもです。

あと、最後にこの教会なのですが、来年1月から大規模な改修工事がはじまるらしいです。
どうも、この教会は、1964年にできた建物であるため老朽化のせいもあるらしいのですが、それとあわせて、あまりにも斬新なデザインだったため、当時の技術者の方々でも対応できなかったためか初期のころから雨漏りなどの問題があったためらしいですよ。
そのため、屋根の部分も今の形とはすこしかわるらしいです。
(場内にあったパンフレットに書いてありました。)

ということで、場内をぶらりとした後、かなり満足して帰ってしまい、ふと帰ってから気づいたのですがこの時期らしい写真を撮り忘れてしまいましたが、そのあたりはご勘弁くださいね。。



地図
文京区関口3

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所在地:文京区小石川3


さんびゃく坂と呼びます。


三百坂1_坂上



名前は、ものすごい壮大なかんじですが、坂自体は、ほんとふつうの住宅街の道といった感じでした。(笑)



ただ、この坂にも、坂碑というか標識があり、

『 『江戸志』によると、松平播磨守の屋敷から少し離れた所にある坂である。松平家では、新しく召抱えた「徒の者」を屋敷のしきたりで、早く、しかも正確に、役に立つ者かどうかをためすのにこの坂を利用したという。
 主君が登城のとき、玄関で目見えさせ、後衣服を改め、この坂で供の列に加わらせた。もし坂を過ぎるまでに追いつけなかったときは、遅刻の罰金として三百文を出させた。このことから、家人たちは「三貊坂」を「三百坂」と唱え、世人もこの坂名を通称とするようになった。』
とありました。




すぐとなりには、高校や中学があったりしますが、特に文京区の坂の標識がないと、ほんとわからないような坂でした。


三百坂2_坂下あたりより





でも、いろいろ調べてみると、近くには、「伝通院」という徳川将軍家の菩提寺として有名なお寺があり、しかも、この坂、手塚治虫の『陽だまりの樹 (1)』でも、とりあげられている坂だったんですね。




地図
文京区小石川3

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所在地:文京区春日2


この前の坂とは、坂下を通っている巻石通りでつながっているというか、歩いてすぐの場所にあります。

また、坂上からつらつらと歩くと、春日通りへとつながっていました。



今井坂1_sakaue


まわりは、閑静な住宅街なのですが、坂下あたりには、小学校が隣接していたり、坂上のほうには、あとででてくる財務省の宿舎があったりします。



この坂にも、坂碑というか標識があり、
『 『改選江戸志』には, 「新坂は金剛寺坂の西なり、案に 此坂は新に開けし坂なればとてかかる名あるならん、別に子細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711〜16) 開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。
 今井坂のおこりは、『続江戸砂子』に、「坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより 今井坂と呼ぶようになった。」とある。
 この坂の上、西側一帯は, 現在財務省の宿舎になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜が明治34年(1901)以後住んだところである。慶喜は自分が生れた,、小石川水戸屋敷に近いこの地を愛した。慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913)に没した。現在、その面影を残すものは、入口に繁る大公孫樹のみである。 』
とありました。



今井坂2_sakasita





あと、坂の途中に、写真のように丸の内線が、道の下を通っていましたよ。



今井坂3




今井坂4



地図
文京区春日2

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歩いた感じは、閑静な住宅街にある坂だなあという感じでした。


荒木坂1
坂上より



坂上をつらつらと歩くと、切支丹坂にぶつかります。

ここにも坂碑というか標識があり、
『称名寺の東横を、小日向台地に上がる坂である。
 『江戸砂子』によれば「前方坂のうへに荒木志摩守殿屋敷あり。今は他所へかはる」とある。坂の規模は「高さ凡五丈程(約15m)、幅弐軒弐尺程(約4m)(『御府内備考』)と記されている。この坂下、小日向台地のすそを江戸で最初に造られた神田上水が通っていたことから、地域の人々は、上水に沿った通りを”水道通り”とか”巻石通り”と呼んでいる。
 神田上水は、井の頭池を源流とし、目白台下の大洗堰(大滝橋付近)で水位を上げ、これを開渠で水を導き、水戸屋敷(後楽園)へ入れた。そこからは暗渠で神田、日本橋方面へ配水した。明治11年頃、水質を保つため、開渠に石蓋をかけた。その石蓋を”巻石蓋”と呼んだ。その後、神田上水は鉄管に変わり、飲料水としての使用は明治34年(1901)までで、以後は、水戸屋敷跡地に設けられた兵器工場(陸軍砲兵工廠)の工業用水として利用された。』
とありました。

後半は長いですが、簡単に言うとですね、この坂下、小日向台地のすそあたりを日本最古の水道、神田上水路(かんだじょうすいろ)が通っていたということですよ。


この“巻石通り”は、地図みてもわかりますが、今もあるようですね。



荒木坂2
坂下あたりより



地図
文京区小日向1

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富士見坂20


藤坂(富士坂、禿坂) / 文京区小日向4丁目3と4の間 
 
国道254小石川5丁目交差点から西へ下る坂です。


富士見坂20_sakaue
坂上より


坂の標識には
『「藤坂は箪笥(たんす)町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
 「東京名所図会」には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
 昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
 『続江戸砂子』に、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。』
と書かれています。
 
現在は、かなり短く急な坂で道幅もせまいのですが、車はよく通る道のようですね。


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坂の途中より

富士見坂20_sakatyu2


周辺は住宅街ですが、坂に隣接する住宅の半分くらいは古びており、坂道自体の雰囲気を良くしているとはいいがたいかも。

新築のマンションもありますが、とくに雰囲気をよくしている感じはなかったです。

また、ここからも富士山はみえず、そのかわりにかって見えた方向には地下鉄丸の内線の車庫がみえるのみです。


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(データ:傾斜10.8°、道幅3.9m)


地図
文京区小日向4

富士見坂17



御殿坂/ 文京区白山2丁目と小石川植物園の間 
 

文京区の小石川植物園のわきを通る坂です。


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坂上より


坂下に坂の碑があり、
『御殿坂(大坂・富士見坂) 「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり、この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(改撰江戸誌)「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見へし故に、富士見坂ともいへり」(「江戸誌」)白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林侯時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。綱吉の将軍就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に“赤ひげで有名な小石川養成所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。明治になってからは東京大学の付属植物園になった。』
とあります。
 
現在は閑静な住宅街と小石川植物園に挟まれていて、坂の途中はすこしうす暗い印象もあります。しかも、植物園の塀がさらに圧迫感を強めていました。しかし、植物園の木が生い茂っていなければ、けっこう視界はひらけていそうで、印象はいっぺんしそうな感じはありました。

しかし、ここもやっぱり、坂途中から富士山を眺めることはできません。



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坂の途中より


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坂下より


(データ:傾斜4.5°、道幅4.1m)




地図
文京区白山2丁目

富士見坂15



横見坂/ 文京区湯島2丁目9と10の間 

 
御茶ノ水駅を北へしばらく歩き、さらに本郷通りをすこし北上して、湯島一丁目交差点から蔵前通りへ、清水坂下の1本手前から上がる坂です。


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坂上より


ここにも坂下に坂の碑があり、
『横見坂  「御府内備考」(ごふないびこう)に、「右坂は町内より湯島三組町え上がり侯坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・里浴に横根坂と相唱申侯」とある。坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かって樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台にあがるこの坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は、西横に富士山が良く見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の講師として移っていった。その作品「春」の中に、「湯島の家は俗に大根畠と称されるところに在った。・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で「文政書上」には、百数十軒の麹屋が数えられている。』
とあります。

 現在は、静かな問屋街といった感じで、かって富士山が見えた方向には、やはりビルが建ちならびその面影はありません。


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坂の途中より


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坂下より


(データ:傾斜7°、道幅8.8m)



地図
文京区湯島2

富士見坂13


富士見坂/ 文京区本郷2丁目3
 
本郷二丁目の坂で油坂の西を掘端に下る坂です。坂下は外堀通りに面しており、御茶ノ水駅からも歩いていける場所で、すぐ近くには順天堂大学などがあります。


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坂上より


坂上東側に東京都水道局の水道給水場があり、坂下の角にはイギリスの建築家ノーマンフォスター設計のセンチュリータワーがあります。

この坂について「新撰東京名所図会」は
“富士見坂 油坂の北にありて東に上るを富士見坂といふ。富士山の眺望に適す”
と記しています。
 
現在は水道橋交差点の工芸高校手側に地区案内図があり富士見坂の表記がありますが、その表記がなければわからないぐらい、小さな坂であり、ここでも今は富士山は見えません。

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坂下より



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センチュリータワー


(データ:傾斜3.5°、道幅6.4m)


地図
文京区本郷2

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