東京坂道さんぽ

タグ:文京区小日向
切支丹坂 (NO.30) /文京区小日向1丁目
茗荷坂 (NO.29) /文京区小日向4丁目
蛙坂 (NO.28) /文京区小日向1丁目
釈迦坂 (NO.27) /文京区小日向4丁目

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前にとりあげた蛙坂から、とは、ちょっと歩けば、坂上どうしでつながっている坂です。

きりしたん坂とよびます。

切支丹坂1_sakaue
坂上より


ここが切支丹坂と呼ばれたのは、江戸時代に坂上あたりに、切支丹(キリシタン)屋敷があったことから名づけられたようですね。

また、切支丹(キリシタン)屋敷は、徳川幕府による鎖国令により、大半の宣教師はこの屋敷内に幽閉されていたという悲しい記憶を持った場所でもあります。


そして、その屋敷の名前をそのままつけた坂のためか、道標らしいものもありませんでした。

切支丹坂2_sakanotyuu
坂の途中より

あと、ちょっと調べてみると、志賀直哉の小説「自転車」にもこの坂は登場するようですね。

意識して歩いてみないと通り過ぎてしまうような坂で、ほんと普通の住宅街にある感じでした。

切支丹坂3_sakasita
坂下をみる

坂上からみると、写真のように坂下あたりの丸の内線がよく見えます。




地図
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またまたこの前の記事の坂のすぐ近くにある坂です。
みょうが坂と読みます。


茗荷坂1_坂上
坂上より

例のごとく坂には看板というか坂碑があり、
『「茗荷坂は、茗荷谷より小日向の台へのぼるさかなり 云々。」と改撰江戸志にはある。
これによると拓殖大学正門前から南西に上る坂をさすことになるが、今日では地下鉄茗荷谷駅方面へ上る坂をもいっている。
茗荷谷をはさんでのことであるので両者とも共通して理解してよいであろう。
さて、茗荷谷の地名については御府内備考に「・・・むかし,、この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々。」とある。
自然景観と生活環境にちなんだ坂名の一つといえよう。』

とありました。


茗荷坂2_坂の途中
坂の途中より



茗荷坂3_坂下
坂下あたり

またこの坂は、拓殖大学と、となりあっていて、坂下あたりに学校への入り口がありました。


茗荷坂4



あとちょっとびっくりしたのは、坂下のあたりに深光寺という小さなお寺らしきものがあったのですが、そこに、あの「南総里見発見伝」を書いたことでも有名な滝沢馬琴(さん?)のお墓がありましたよ。


茗荷坂5



茗荷坂6

さすがにお墓の写真は恐くて載せれませんが・・・。


あと地図みてもらってもわかりますが、坂上を北へすこし歩くと丸ノ内線の茗荷谷駅があったりします。


地図
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「かえるざか」と読みます。


蛙坂_坂上
坂上より

かなりの急坂です。前回の坂とは、またまた近くにあり、坂下の道をつらつらと歩くと丸の内線の線路下あたりに合流して、つながっている感じです。
別名を「復坂(かえるざか)」というらしいですね。


ここにも坂道の由来が書かれた看板というか道標があり、

『「蛙坂は 七間屋敷より 清水谷へ下る坂なり, 或は 復坂ともかけり, そのゆへ詳にせず」 (改撰江戸誌)
「御府内備考」には, 坂の東の方は ひどい湿地帯で 蛙が池に集まり, また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって, ここにも蛙がいた。むかし, この坂で 左右の蛙の合戦があったので里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。
なお, 七間屋敷とは, 切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり, この坂道は切支丹坂へ通じている。 』

とありました。


蛙坂_坂の途中
坂の途中

坂の途中から坂下あたりを見ると写真のとおり、丸の内線の電車が走っている様子が見えたりします。
まあ住宅街の中にぽつんとあるのですが、坂の勾配具合とまわりの雰囲気がけっこう悪くない感じで、歩いていると、あ!ここかな、と感じる坂でしたかな。

蛙坂_坂下
坂下あたり



地図
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「しゃかざか」と読みます。

釈迦坂_坂上
坂上あたり

この坂は、前にとりあげた富士見坂のすぐ近くというかとなりと言っていい場所にあります。
名前がすごいたいそうですね。(笑)

このあたりの道は入りくんでいるみたいで、道の高低差もいろいろあったり、丸ノ内の線路で分断されていたりと、坂の看板がなかったらわからなかったかもしれませんでしたよ。

ということで、坂の看板というか由来が記された看板には、

『春日通りから, 徳雲寺の脇を 茗荷谷に下る坂である。
「御府内備考」によれば, 「坂の高さ, およそ1丈5尺(約4m50cm)ほど, 幅6尺(約1m80cm)ほど, 里俗に 釈迦坂 と唱申候。 是れ徳雲寺に釈迦の石像ありて, ここより見ゆるに因り, 坂名とするなり。」
徳雲寺は 臨済宗円覚寺派で, 寛永7年(1630)に開山された。『新撰江戸志』に寺伝に関する記事がある。
境内に 大木の椎の木があった。 元禄年間(1688〜1704) 5代将軍綱吉が, このあたりへ御成のとき, 椎木寺なり と台命があった。そこで, この寺を 椎木寺 と呼ぶようになった。後, この椎の木は火災で焼けてしまったが, 根株から芽が出て, 大木に成長した。
明治時代になり, その椎の木は枯れてしまった。椎木寺が椎の木を失ったことは 惜しいことである。徳雲寺の境内には六角堂があり, 弁財天が祀られ, 近年小石川七福神の一寺になっている。 』

とありました。

釈迦坂_坂途中
坂の途中

なにも知らずに歩くとただの勾配のある抜け道みたいに感じてしまうほど普通でした。(笑)

ただ丸ノ内線やお寺が坂上の高さにあるためか坂下から坂の途中までは、崖(自然の塀とでもいいますか・・・)のようなものに囲われた感のある坂道だなあという感じでしたかな。

釈迦坂_坂下
坂下より




地図
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