東京坂道さんぽ

タグ:新宿区
とある街の風景258(東京オペラシティーのクリスマスツリーイルミと階段)
都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地
西新宿、策の井と水
とある街の風景239(新宿中央公園の夜桜)
とある街の風景238(新宿の目、再び)
とある街の風景234(雪の日の富士見台)
とある街の風景227(ひさしぶりの新宿都庁からの東京タワー)
明治公園と国立に挟まれた無名坂
国立競技場横にある明治公園と遺跡
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浄瑠璃坂 (NO.49) /新宿区市谷田町2丁目
鰻坂 (NO.47) /新宿区市谷砂土原町3
歌坂 (NO.46) /新宿区市谷砂土原町3丁目
逢坂 (NO.45) /新宿区市谷船河原町
ゆ嶺坂 (NO.44) /新宿区若宮町
新坂 (NO.43) /新宿区若宮町
瓢箪坂 (NO.42) /新宿区白銀町
朝日坂 (NO.41) /新宿区横寺町
弁天坂 (NO.40) /新宿区箪笥町
袖摺坂 (NO.39) /新宿区箪笥町
地蔵坂 (NO.38) /新宿区袋町
三年坂 (NO.37) /新宿区神楽坂3丁目
富士見坂 (NO.12) /新宿区市ヶ谷本村町

いはやは。
前回からすこし更新に間があいてしまいましたね。
そんなわけで今回は、先日、東京オペラシティーに立ち寄った時に、クリスマスらしい写真も撮れたので、急遽、直近ネタでも。


operacity1
写真1

いきなりですが、クリスマスツリーです。(写真1)
しかも、夜の。(笑)
新宿というか初台駅に直結した東京オペラシティーのサンクンガーデンなる広場に、どーんとこのように大きなクリスマスツリーが置かれていました。
知っている人も多いとは思いますが、例年ここにはツリーが飾ってあり、このブログでも2005年に一度だけ軽く取り上げていたみたいです。(ほんとさらりとした記事ですが・・・。)

そして、いつものように軽くネット調べてみたら、どうやら、これはオペラシティー全体のイルミイベントのひとつのようですね。(これだけの規模ならあたりまえなのですが。。)


operacity2
写真2

違う角度からもぱちりと。(写真2)
見てのとおりですが、階段とのコラボです。(笑)

でも、ここからだと、東京オペラシティーのサンクンガーデンと建物の関係もわかって、なかなかいい感じだったかも。



動画1

そして、これですね。(動画1)
初動画です。(クリスマスらしく、ちょっといつもとは趣向を変えて。笑)
なので、音も出ますよ。
(初なので未調整ということもあり、もしかしたら、開くのが重くなっているかもしないですのであしからず。。)

なんと、このイベントでは、サンクンガーデン内の階段部分にてプロジェクションマッピングによる空間演出までやっていたのですよ。
今回は、ちょうど帰ろうとした時に突然はじまったので、一眼カメラをリュックから取り出す時間もなく、スマホで急いで撮った動画ですが、ちょうど階段下のところにいたので、階段とのコラボの雰囲気、わかってもらえますかね。

ちなみに、このプロジェクションマッピング、今日(25日)の23時半までのイベントだそうですよ。

ということで、今回は、さらりとこんな感じです。


住所
新宿区西新宿3-20-2

すこし前(5月頃です)ですが、都庁から新宿駅のほうへ向かう途中に前から気になっていた無名坂があるんですが、ひさびさに調査もかねて歩いてみたら、おもしろい場所(というか聖地)でもあることに気がついたので、忘れないうちにとりあげておこうと思います。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地1n
写真1

都庁の東側、京王プラザホテルの南側にこんな具合に新宿の駅前へと向かう道路があるのですよ。(写真1)
知っている方も多いかもしれないですが、緩やかな勾配、しかも直線で道幅も広くて見渡しのいいのにもかかわらず、なにか雰囲気のある坂道なんですよね。
かつてこのあたりは、淀橋浄水場があった場所で、今立っているあたりは、浄水場の貯水池の底だったため、この坂道はここが池があり、奥の場所と高低差があったことを示す痕跡とも考えられるのですが、今回はそこのところにはふれず(というか調べず、笑)、坂道自体を楽しんでみようというわけだったのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地2
写真2

これは写真1でいえば、奥の信号が見えていたあたりから、坂下方向を眺めてみたものですね。(写真2)
もう写真2のとおりなのですが、坂の途中から、みごとなまでに都庁がみえるのですよ。
しかも、はとバスとのコラボ。(笑)
ただここからだと、道幅が広すぎて、坂道の勾配具合はわかりにくですが。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていたのですが、京王プラザホテルが坂道沿いにあり、ホテル内に入るところの、今回の無名坂との兼ね合いやらホテル敷地内の階段もかなり複雑なつくりになっていて面白かったですね。(写真3)
写真3は、京王プラザホテルの前の歩道から坂下方向を見ているのですが、勾配具合もわかりやすいじゃないですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地4
写真4

さらに、写真3の左側には、こんなものが。(写真4)
なにかのオブジェなのかな?と思ったら、上部から空気をはきだしていて換気塔になっておりましたよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地5
写真5

こちらは、写真3と4の立ち位置から振り向いて、坂上方向を見てみたものです。(写真5)
勾配具合はゆるやかですが、さらに坂道となっていました。
こういう坂道もいいですねえ。
新宿といえば、平坦な場所と思っている人もいるかとは思いますが、実はこんな感じで微勾配の坂道が結構あるのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地6
写真6

さらに坂をのぼり、坂上方向(駅方向)をみると、見慣れた(まあ僕だけのことかもしれないですが)新宿西口の風景が見えていました。(写真6)
ここからずっと駅まで平坦な場所が続くので、このあたりが今回の無名坂の坂上あたりになりそうですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地7
写真7

そして、これですよ。(写真7)
写真6の場所から、奥へ歩き、坂下方向(都庁側)を眺めてみたものですが、実はここ、2003年公開の映画「Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション)」のロケ地としても有名な場所なのですよ。
映画では、最後にでてくる場所で、流行りの言葉でいえば、聖地ですかね。(笑)
映画の該当シーンを見直してみると、合成なのか、長望遠で撮っているのかわかりかねますが、後ろの都庁がありえないくらい近くに映っていて、このままの景色が映画の映像になったというわけではないようですが、それでも写真7の左に映っているヨドバシカメラの時計館の看板は映画でも映っているので、だいたいこのあたりだと思いますよ。


ちなみに、ロスト・イン・トランスレーションでは、渋谷スクランブル交差点でのシーンもでてくるのですよ。一説によると、この映画にてスクランブル交差点が大きく取り上げられたことによりアメリカで話題になり、海外メディアでも多く取り上げられ、そんなこんなであの場所が外国人にもよく知られるスポットになったということらしいですね。


ということで、撮影時間も夕方だったこともあり、都庁から聖地まで歩いてくる間に暗くなってしまい、夜散歩の体になってしまいましたが、ある意味それが坂道さんぽの別の楽しみ方でもあるのかもなあと再認識したところで、今回はこんな感じです。


地図
新宿区西新宿1-22あたり

西新宿を歩いていて前から気になっていた場所なのですが、すこし前にやっとミラーレスカメラをかかえながら、このあたりをぶらぶらする機会があり、撮影もできたので、せっかくなのでとりあげておきたいと思います。


西新宿、策の井1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
なにやらピラミッド形のオブジェと案内板が見えていますが、ここはなんと西新宿の新宿エルタワーの敷地内であり、そばには東京モード学園のあの高層の包帯ビルのそばに、こんなものがぽつねんとあったのですよ。
これに気がついたのはずいぶんまえだったのですが、今回はカメラをかかえていたので、記事にするためにもぱちりと一枚、というわけだったのです。


西新宿、策の井2
写真2

遠目からのものです。(写真2)
これなら位置関係もわかりやすいかもですね。
新宿エルタワーの敷地内の西側あたりから新宿駅方向に撮っているものです。
こうしてバックに東京モード学園の高層ビルが見えているとなんか不思議な感じがして気になっていたのですよ。

あ、そうそう。
肝心のこの場所は、「策の井(むちのい)」と呼ばれているそうです。


西新宿、策の井3
写真3

こちらが、案内板のアップですね。(写真3)
せっかくなので、内容を抜粋させていただくとですね、
『当敷地内に存した「策の井」は江戸時代より名井として知られ、天和年間(一六八一〜一六八三)に出版された戸田茂睡の「紫の一本」(むらさきのひともと)に「策の井は四谷伊賀の先にあり、いま尾張摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成らせられし時、ここに名水あるよしきこし召し、おたづねなされ、水を召し上られ、御鷹の策のよごれをお洗われたる故、この名ありという」と書かれている。この地は尾張摂津下屋敷であった所であり、また、享保年間(一七一六〜一七三五)に出版された「江戸砂子」(えどすなご)という本にも同主旨の文章が見られ「策の井」が名水とうたわれた。』
とのこと。

いろいろ書かれていますが、どうやらこのあたりから、いまでいうおいしい水が湧き出ていたみたいですね。
なんか信じられない感じですねえ。

なお、一般社団法人新宿観光振興協会のサイトにも策の井が取り上げられていまして、それによると、ここの井戸が『策の井』といわれるようになったのは、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた「策」を洗ったという伝承からの説が有力みたいですね。

鷹狩りといえば、目黒区の茶屋坂(NO.263)のことが思い浮かびますかね。
なので、はじめは、将軍が、鷹狩りをした後に、茶屋坂(NO.263)のお茶屋で休憩して、ここで策を洗ったかもということで、実は話がつながっていたのです!・・・という予想をたてたわけですが、どうやら茶屋坂(NO.263)については、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りをするときによく通った場所であり、今回の策の井のほうは家康なので、時代が違うようですね。

ただ、この西新宿がかつて、淀橋浄水場であったり(いまは給水場もあったかな、たしかブラタモリでも取り上げられていたと思います)、このすぐ西側(西新宿の西端)には、十二社熊野神社(ブログでも過去にとりあげています)があり、浮世絵にも描かれているような池や滝があったり、今回のおいしい水がでていたという策の井なる井戸の痕跡があるなど、今となっては目に見える形としてはわかりにくいものが多いですが、なにかと水にまつわる場所が多い場所だったのだなあということを再確認できた今回の散歩だったかもです。


地図
新宿区西新宿1-6-1

今回もタイムリーネタですが、ここ数年とは、たまには違う場所でもということで、前回に続いての新宿で、今回は駅からけっこう近い場所にある新宿中央公園に寄り道して夜桜見物してきました。


新宿中央公園の夜桜


夜桜とはいいつつも、ライトアップもなにもされてない場所にて、ぱちりと一枚。
なので、見た目てきには暗めな感じですが、しいていえば、月明かりの中、桜があるなあと見上げているとちょうど正面に、パークタワーが見える場所にきたので、気になってという感じですかね。。
というか、桜咲く時期にこの公園にきたのは、いつだったのか覚えていませんし、もしかしたらはじめてだったのかも。。

ちなみに、「新宿中央公園お花見マップ」なるPDF資料が新宿区の公式HPからリンクしてあったので、それを見てみると、今回のは地図にはマッピングされていない場所〔写真の場所はちびっこ広場と多目的運動広場の間)の桜を撮ったみたいです。

あとこれ以上ネタもないので(汗)、写真のほうで言えば、ミニ三脚(クネクネ動かせるやつですね)を使って、シャッター時間もかなり遅めにして撮ったので(記録では15秒となっとります・・・)、その間に、桜がゆれたため、ぼけている感じに見えていますが、これはミスというわけありませんので、まあそのあたりは、「ああ当日は風がけっこう吹いていたのだな」(たしかに吹いていましたが、笑)とか適当に想像していただければと。

ということで、今回の新宿中央公園の夜桜編は、撮っておいた写真も少ないので、さらりとこんな感じです。


住所
新宿区西新宿2−11

そういえば、先月の9日から、再び新宿西口のスバルビル地下にある「新宿の目」が3.11のあの時以来、消灯していたのが再び光りだしたということを知り、ちょっと寄ってきましたよ。
(ということで、草津編はひと休みです。。)


新宿の目、再び1
写真1

現地では人通りの多い時間帯に取材してしまったこともありましたが、なんとかパチリと一枚。(写真1)
目が光ってる感じわかりますかね?
ただこのオブジェ、実は普段から近くの本屋に行くついでにこの前を通ることも多いのですが、僕自身、「ここ光り出しましたよ」というニュースを見ていなかったら、なにげに素通りしていた可能性もあるかもなあと、ちょっと思ってしまいました。(汗)

あと、このオブジェ、彫刻家の宮下芳子さんが1969年に制作したものだそうで、実はけっこう長くこの場所に存在していたわけですが、今回の再点灯にあたって、内部の照明もLEDに変えたそうですよ。


新宿の目、再び2
写真2

いちおう、もうすこし横から見たものでも。(写真2)
このあたりから見ると、手前の目頭を想像させる部分の内部でくるくると何かが動いている様子とか、その他のけっこう凝ったつくりとか、そういう感じのこともわかりやすいかもですね。

ちなみに、このブログでは2006年にも、同じ場所で記事にしていたようです。
もちろん3.11前なので、今回と同じく光っているバージョンのものですが、LED版ではないものなので、そのあたりを比較してみるとちょっとおもしろいかもですね。


住所
新宿区西新宿1あたり

この数日は結局、都内に関して言えば、雪は積もらなかったわけですが、とりあえず、また大雪になるまえに(いつかはわかりませんが)、記事にしておこうかなということで、先週、雪がすこし積もった時に、ふと思いついて新宿中央公園の富士見台に行ったときのことでも。



雪の日の富士見台1
写真1

まずは、富士見台からの富士山方向の景色など。(写真1)
ここに到着した頃には、雨交じりの雪という中での撮影でした。
雪景色といえばそうなのですが、やはりなにか物足りないなにかを感じながら、ぱちりと一枚。
正面には、見てのとおりビルが建ち並び、富士山どころの話ではないのは、もうこのブログを始めた頃から変わらずという感じですかね。
でもいちおうこのあたりは、公園内で最高地点の場所だったりするので、ビルがなかった当時はよく見えたとのこと。
ちなみに、ずいぶん前にここを訪れた時にも、雪だったらしく「とある街の風景159(新宿雪見散歩)」、当日の様子を取り上げていたりしますよ。
しかも日付が2月8日ということで、このブログで雪の話題を取り上げる時は、たいていタイムリーなネタなので、やはり都内でそれなりに雪が積もる時期というのは限られているんでしょうね。


雪の日の富士見台2
写真2

せっかくなので、近くにあった飛び石通路もぱちりと。(写真2)
雪というか水に濡れて普段とは違う色合いなのもまた不思議な感じですかね。
こちらは、9年前の記事「新宿中央公園の富士見台」などでも説明してますけど、もう一度軽く説明しておくとですね、このあたりはかつて淀橋浄水場なる場所だったらしく、そこの浄水池の壁の石をそのまま再利用してこういうものがつくられたのですよ。


雪の日の富士見台3
写真3

そして、階段と頂上の富士見台をあわせたアングルをまだこのブログで載せてなかったことを思い出し、ぱちりと。(写真3)
写真ではわかりにくいですが、この富士見台の場所だけ、丘になっていて、そこへと上る階段もそれにあわせるようにいい感じでカーブしていました。


雪の日の富士見台4
写真4

また、富士見台のふもとに、写真3でもちらりと見えていた頂上付近の六角堂とよばれる休憩処というか東屋について説明が書かれている案内板がありました。(写真4)
要約すると、この六角堂が作られたのは、明治39年から昭和2年の間とのことで、新宿中央公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残して、浄水場時代の記念物として保存したということが書かれてありましたよ。
あと、案内板の下のほうには、浄水場時代の六角堂のある築山(今の富士見台ですね)があった位置も説明してくれていました。
なるほどー。


ということで、雪の日の富士見台をまわったついでに、過去にまわった時には気がつかなった案内板をみつけて、また新しい気づきを得たところで、今回はこんな感じです。


住所
新宿区西新宿2−11

今回は、”ひさしぶり”と書いてみましたが、過去記事を探してみると、どうやら2006年に書いた「とある街の風景104(都庁からの夜景)」の記事で同じ場所を取り上げて以来ということになりそうですが、やはり今回もpenの実験撮影もかねて再訪してみました。


そんなわけで、つい最近、都庁の展望台にひさびさに登ったわけですが、やはり前と比べて圧倒的に海外からの旅行客の方々が増えていましたよ。
しかも前は、アジア系の人が多かったように思いますが、今回はいろんな地域の方々がいらしていました。


ひさしぶりの新宿都庁からの東京タワー1

写真1

そんな中、ぱちりと撮ってみたのがこちらですね。(写真1)
これはまさに、2006年の記事「とある街の風景104(都庁からの夜景)」の2枚目と同じ場所からのものなのですよ。
ただ今回のほうが時間帯が遅めなので、まわりのビルの窓の明かりが明るく光っている違いはあるかもです。(というか、カメラの性能の違いでたくさん光を拾っているという可能性もありますし、照明器具自体がLEDになっているところも前よりは多くなっているはずなので、その違いもあるかもしれませんし、カメラの設定に慣れていないというのもありますし。。)

そして、なにより今回は、前回の「とある街の風景226(ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道)」でも取り上げたピンクリボンライトアップがこの都庁でもおこなわれていて(たぶん12日まで)、右側の都庁の壁を見てもらえれば一目瞭然ですが、僕がここを訪れた時もピンク色にライトアップされていました。
その関係で、おそらくこの窓にもライトアップのライトが照射されていたためかなんとなく外の景色までピンク色っぽくなってしまっているのかなあと。


ひさしぶりの新宿都庁からの東京タワー2
地図1

そして、こちらは、今回、ただ景色というか夜景を眺めているだけというのもなんですので、写真1でも遠くにちらりと見えていて、前回の記事「とある街の風景226(ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道)」でも登場した東京タワーとの位置関係を記した地図(元地図はグーグルマップさんです)をつくってみました。
それが地図1なのですが、この地図では都庁のところからピンク色の線がぴーんと延びていますが、この行き着く先が東京タワーということなのですよ。(いうなれば都庁とタワーの軸線です。)
そして、その軸線をじっと追っていくとですね、なんとこちらも最近の記事「明治公園と国立に挟まれた無名坂」でとりあげた国立競技場の敷地も通っていたのですよ。
ただ写真1では、正面の背の高めのKDDIビル(おそらく)のおかげで見えていませんけどね。


ひさしぶりの新宿都庁からの東京タワー3
地図2

あと、ついでなので、都庁とタワーの軸線とあわせて、この前の記事「とある街の風景225(代々木体育館の坂道と東京タワー)」でも登場した代々木体育館と東京タワ−も、同じように二つの場所を結んでみて、それを黄緑色の線でメモしてみました。
すると、とある街の風景225(代々木体育館の坂道と東京タワー)」の2枚目と3枚目にも写っているとおり、この場所からも東京タワーがうまく見えたわけなのですが、この地図2で確認してみると(線の左端が体育館で、右端がタワーです)なんというか、軸線上には、公園やら墓地やら学校、大使館など高層でない建物の割合が多かったという偶然も重なっていて、かなり奇跡的に代々木体育館(しかも地面からですよ)からタワーが見えていたことがわかってしまいましたよ。
とにかく地図2を見てみても、そういう公共性のある場所に加えて、軸線上に明治通りや青山通り、首都高なども横切っているのですが、どうやら通り沿いの高層ビルにはぶつからずに、視線が抜けていたのはやはり驚きだったかもです。



住所
新宿区西新宿2-8

今回も、国立競技場に隣接した明治公園界隈の話です。


明治公園と国立に挟まれた無名坂1
写真1
まず、いきなりですが、坂道の写真など。(写真1)
左側に国立競技場がちらりと見えていることからも、ここはちょうど国立と右側に隣接している明治公園に挟まれた道路というか無名の坂道だったりします。

ただ、この場所。
今、話題になっている国立競技場の建替話の中で、ネットなどで公開されている渦中の計画案を調べてみると(図面みただけですが・・)、この坂道は、建替にしても改修されるにしても、どうやら存続があやしいようなんですよ。
そんなことから、そのような場所に都内で出くわすのはなかなか珍しいことからも、すこし前にここを通った時にぶらりと取材してみたわけなのです。
なので、前回前々回の記事も、実はこの無名坂の途中にあった”埋蔵文化財発掘調査工事”という案内板も見かけたことから、ついでにあたりをうろうろしてみると、前から気になっていたこととあわせていろいろな発見があったので、話を広げてしまったというわけなのですよ。


明治公園と国立に挟まれた無名坂2
写真2

そんなわけで、話を坂道のほうに戻しまして、写真1の場所の右側を眺めてみると、写真2のように明治公園内の広場と名付けられた場所が見えていました。
明治公園といえば、この場所を思い浮かべる人が多いのではないですかね。(僕もすこし前まではそうだったんですが・・・。)


明治公園と国立に挟まれた無名坂3
写真3

そして、一気に無名坂の坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
坂下から見た感じより、高低差感があるかもですね。
ちなみに、表参道原宿エリアの情報「おもてサンド」なるサイトさんの記事によると、前回の記事の最後のほうでもふれたとおり、坂下の外苑西通りはかつては川だったという話につながるのですが、現在の坂下にある観音橋交差点(写真3では信号が見えている場所)のあたりに、交差点と同じ名前の「観音橋」なる橋がかつて架かっていたそうです。
なぜ観音橋かというと、この無名坂の東側に「聖林寺」なるお寺が、いまもあるのですが、そのお寺に由緒正しい観音様が祀られていたことから、この名が付けられたそうです。
(なので、この坂に名前をつけるとしたら、”観音坂”というのがいいかもしれないですね。)
しかも坂の途中に新宿区と渋谷区の区界が横切っているという割と珍しい事例もおまけについていたり。


明治公園と国立に挟まれた無名坂4
写真4

こちらは、さっきと同じく、坂上あたりから明治公園のほうを見てみるとこんな感じでした。(写真4)
これだけでも、なんかこのあたりが高低差のある場所だということが想像できそうなつくりかもです。


明治公園と国立に挟まれた無名坂5
写真5

あと、公園内にはものすごく斜めってる木が数本ありました。。(写真5)
なんでこうなったんですかね・・・。
実は、この木々、写真4でもちらりと見えていますので、興味あるかたは探してみてくださいな。


明治公園と国立に挟まれた無名坂6
写真6

いちおう、公園側から、さっきの無名坂の坂上あたりを見てみました。(写真6)
正面の立派な木に目が行きますが、右側の階段も、階段上と下が膨らんでいるちょっと変わったつくりをしていて、手すりの湾曲具合もかなりのもののようでした。


明治公園と国立に挟まれた無名坂7
写真7

最後は、写真2で登場した明治公園の広場側から、写真5ででてきた傾き樹木のほうを見てみました。(笑)(写真7)
とりあえず、ここから観察してみても、あの樹木がなぜあんなに傾いていたかは謎のままですが、こうしてみると、坂上と坂下で、正面の階段と写真6の階段をあわせた、けっこうな高低差(1階半くらい?)があったことはわかりやすいかもですね。

あと余談で、実は最近、再びこのあたりを通る機会があったのですが、そのときはすでに公園内の一部に囲いがつくられていたりと、取材したときとは違った雰囲気になっていましたよ。
(あれは遺跡の調査のためなのか、はたまた・・・。)

ということで、今回はこんな感じです。


地図
新宿区霞ヶ丘町6あたり

前の記事で、国立競技場のことをすこし取り上げたので、今度はすこしまえに、実際に国立競技場周辺をぶらりとしたときに気になった場所(および高低差のある場所=階段)があったので、ちょっとその話でも。


国立競技場横にある明治公園の遺跡1
写真1

国立競技場の近くの明治公園をぶらぶらしていると、公園に隣接した国立競技場の柵に、写真1のような掲示物が張ってあるのを見つけたのですよ。
掲示物には、「国立競技場地区埋蔵文化財発掘調査工事のお知らせ」と書いてありました。
なんだなんだと、遺跡でもあるのか?と詳しく読んでみるもあまりわからず。
(ただ後ですこし調べてみたらすこしは分かったんですがそのことはのちほど。)

そんなわけで、現地ではわけがわからないので、まずは遺跡の近くに行ってみるかと思い、そばまできてみると周辺案内地図があったので見てみるとですね。


国立競技場横にある明治公園の遺跡2
写真2

こんな案内地図だったのですよ。(写真2)
あれ?
明治公園て、あの国立競技場の南側に隣接しているだだっ広いあの、フリマなんかがよく開催されている公園のことだけだと思っていたんですが、なんと国立競技場の西側のちょっと不思議な雰囲気の公園と東京体育館がある敷地も、実はこの案合図をみる限りでは同じ明治公園ということみたいなのですよ。
(それで帰ってから、気になったので軽く調べてみたら、東京都建設局の案内サイトにもきちんと公園案内図が書かれたサイトがありました。ということは、この明治公園も世田谷の駒沢公園と同じようなコンセプトで公園内に競技場がつくられたと考えていいのですかね。)
いやはや、なんともびっくりというか鈍感というか(汗)、今頃こんなことを知りましたよ。。
なんかそうみると明治公園て奇妙な敷地の形していたんですね。


国立競技場横にある明治公園の遺跡3
写真3

ちなみに写真1ででてきた遺跡の場所は、東京体育館から国立競技場へ歩道橋が延びているあたりの西側にあるみたいで、写真3でいえば、ちょうど正面の階段(歩道橋の人工的なものに見えますがいちおう地形を生かした階段のようでした)の向こうあたりにあるようです。


国立競技場横にある明治公園の遺跡4
写真4

写真3の背後には、地図のとおり東京体育館が、外苑西通りの向こうに見えていました。(写真4)
なので、むこうの場所も明治公園ということになるので、このような立派な歩道橋でつながっていると考えてよさそうですね。


国立競技場横にある明治公園の遺跡5
写真5

また公園内には、写真5のように柵に囲われた謎の巨石が唐突にいくつも置いてあったのですが、これはやはり始めに出てきた遺跡と関係あるかないのか。。

ちなみに、この遺跡の話、帰ってから軽く調べてみたところ、「旧街道をロードバイクで!ゼロからの挑戦」さんのブログで、現地の様子を写真もまじえてあげてくれていましたよ。
見た感じではけっこう本格的でした。
これどうするんでしょうかね。。

あとは、発掘調査をしている施工会社のサイトにもちょこっと、このことに触れているページがありましたよ。
とにかくサイトに書いてあった一文、「調査エリアには、明治神宮外苑競技場造営に伴い移転した立法寺(杉並区和田)や江戸幕府家臣の屋敷があった場所も含まれており、当時のものとみられる埋蔵物等が発掘されています。埋蔵文化財は地域の歴史や文化の成り立ちを理解する上で、欠くことの出来ない重要な歴史的遺産です。」という言葉は重いかもですね。

ということで、予定ではここから階段の話をしようかと思っていたのですが、前置きだけでけっこう長くなってしまいましたので、今回はとりあえずこんな感じです。


地図
新宿区霞ヶ丘町10-1

知ってました?
新宿駅から徒歩5分もかからない場所にある新宿三越アルコットというビル(ジュンク堂が入っているビルです)の屋上に神社があることを。

というわけで、このまえ新宿をぶらりとしたときにふと気になる場所をみつけてしまいました。


新宿三越アルコットの神社1

このビルの屋上にはフットサルコートもあります。
というかこっちのほうを知ってる方多いかもですね。

でも実は、その向こうにちらりと見えているのですけど、なんとビルの屋上に小さな鳥居が見えています。
なのであそこが三圍神社ということみたいです。
僕もそういえばあったかなあというぐらいの感覚で、ここにきてみてなんとなく思い出したくらいの神社だったかもです。


新宿三越アルコットの神社2

とりあえず近寄ってみました。
いちおう正面のが本殿ということになるんですかね。。
かなりこじんまりとしてます。


新宿三越アルコットの神社3

社務所らしき建物も隣にありました。
しかも本殿より大きいなつくりかも。。
ということは僕が立っている場所は境内ということですか・・・・。(汗)


新宿三越アルコットの神社4

そして、左隣にはおみくじを結ぶ場所がありました。
ということは(しつこい・・・)、隣の社務所に人がいる時があるということですかね。


新宿三越アルコットの神社5
それはさておき、さらにその後ろには、木製の案内板もありました。
でもあまりに傷んでいて読めません・・・。(汗)
屋根が上に架かっているのにもかかわらず。。
(これはせめて直しておいてほしかったかも。運気下がりそうですもんね。)

でも、検索してみると・・・・。
今回は情報ありませんでした。(泣)

ただ日本橋三越のほうのHPに「三圍神社(みめぐりじんじゃ)」という記述を見つけました。
それで、HPの説明文を新宿の案内板と見比べてみるとすこしだけ解読できました。
『今から六二五年前の文和年間(1352年〜1356年)の頃、近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中、墨田川牛島のほとりの弘法大師建立になる、荒れはてた小堂に立ち寄った際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ、壷の中の宇迦之御魂命の神像のまわりを、三度めぐっていずこともなく消え去ったので、爾今この社を「みめぐり」(三圍)とよばれるようになったと伝えられております。(あとの文は解読不能) 』
という感じで、ここの案内板は下のほうがかなりかすれていたので、幾分推測入ってますけど、こんな具合の内容でした。
案内板のほうはさらに説明が続いているんですけど、さすがにこれ以上はちょっと判別不能でした。

そんなわけで、案内板のはじめにある「今から六二五年前」という記述から想像するに、この案内板はおそらく1980年前後に作成されたもので、それ以来ほとんど修理されてないものなのかもしれないですね。


新宿三越アルコットの神社6

最後はなんとなく屋上からの包帯ビルの眺めなど。

というわけで、なぜこんなところに神社があるのかはわからずじまいだったので、またそのうち調べるという宿題にしておくこととして、今日はさらりとこんな感じです。


住所
新宿区新宿3-29

まずはみちくさ学会にて、最近寄稿したものがアップされましたのでよかったらどうぞ。
そして今回も坂道話はお休みして、みちくさ学会の記事では渋谷の坂道界隈の話をしたのですが、ここでは震災後の新宿(今回のは渋谷と違い10日ほど前の休日です)をぶらりとした時のことでもさらりと書いてみたいと思います。



新宿夜1

さて上の写真は、なんだか真夜中のような雰囲気ですけど、新宿西口のビックカメラ横の通りの時間で言えばまだ夕方の6時半ごろの様子です。
建物でいえば2階以上の部分のネオンやらが節電自粛のため消されているのでちょっと暗く感じますけど、道路レベルのほうに目を移せば人通りはけっこう見られますし、店の照明もそれなりについているので、そのあたりでわかる人もいるかもですね。
おそらく今週あたりから、もうすこしお店の営業時間をおそくするところもでてくるかもしれないですけど、この写真を撮った日は多くの店が6時ごろになると店じまいするところも多くて、それに呼応するかのように人通りも減っていくという感じでした。



新宿夜2

次はちょっと写真がピンぼけ気味でなんですけど、こちらは東口側のアルタ前あたりのものです。
こちらも夕方の6時半すぎのものですよ。
さすがに一週間以上前の写真なので今はもうすこし様子は変わっているかもしれませんけど、このときは見てのとおりビルの2階以上の部分のネオンや照明などは西口同様に節電自粛されていて(アルタの大型ビジョンも真っ暗ですよね)、震災前の様子と比べるとこのあたりが一番落差を感じる場所でした。

あとは、さすがに震災から2週間以上経ってしまうと以前の景色の記憶も薄れてきますけど、前に書いた「とある街の風景26 (新宿アルタ前)」の写真なんかを見て比べてもらうと、今のこの場所の暗さ具合がどれくらいのものなのか想像できるかもですよ。

ただこういっちゃなんですけど、さすがにこのアルタ前あたりはもうすこし明るくてもいいのかもしれませんけど、僕が20代前半だったひと昔前でもたしかもっと街も灯りがそれほど多くなくて暗かったような気もしますし、今なら駅からすこし離れた場所なんかを歩いていると今の暗さ具合が、だいぶ前ですけどヨーロッパあたりの街をぶらりとした時に体験したあの夜の暗さ具合に近くなっているような気もして、それはそれでちょっとありかもなあなんてすこし思ってしまいました。
でもそういうなんともいえない雰囲気になっていくのと反比例して最近の都内では散歩している外国人さんの姿がめっきりみえなくなってしまったのもこれまた事実なんですけどね。。

住所
新宿駅前あたり

気がつけば、今日は大晦日ですね。
今年はブラタモリの第2シーズンがはじまり、例にもれず見ていた中で新宿(西新宿ですね)は水の記憶にめぐまれているという話があったことが気になっていたこともあり、今回はひさしぶりにまとまった時間をとってぶらりとしてみました。



水の記憶とともに1

なぜ西新宿には地上レベルに橋がいっぱい架かっているのか。
なぜレンガの壁がいたるところにあるのか。
そういうもろもろのことがブラタモリを見ていてひとつにつながったのはおもしろかったかもです。(番組を見ていないかたにはもうしわけないのですけど。要は、今僕がいるところはかつては貯水場の水の中だったということですね。)
この場所を計画した方々がどこまでここいらの歴史をていねいに洗い出して計画に反映させたかは不明ですけど、そういう土地の記憶みたいなものもこんな高層ビルばかりが建ち並ぶ場所にもちゃんと残していたんですね。
なのでそういう視点(ようは魚になった気分。、僕はどちらかといえば亀的な視点で・・・(笑))でぶらりとしてみると、なるほど〜という場所も多かったですよ。
とりあえず、上の写真でいえば、階段を上り、さらにもうひとつ階段をあがるあたりまである、ちょうどレンガがとぎれているところが今の地上部分で、かつてはそのあたりちかくまで水面があったみたいですね。
そしてこの界隈にやたらめったら橋があるのはかつての貯水池を管理するために使用された地上部分の通路の記憶(のはず)。
とまあそんな感じです。



水の記憶とともに2

そんな中、ちょっとおもしろいものを発見しました。
これは低い場所から高い場所にある橋の部分にいくための階段の途中にあったもので、なんだか気になりぱちりと一枚。
どこだかわかります?
答えは・・・・。



水の記憶とともに3

そしてもう一枚。
ここは都庁からすぐの場所です。
こちらは言っちゃいますけど、手前の花壇に取り付けられているシルバーの手摺がなんだか変な感じですかね。
はっきりいってなんのためにあるのかまったく不明です。(わかるかた、教えてください。。)
もしかして、これをもって力一杯引っ張るとががが〜と花壇が動いたり、なぞの地下室へと行くことのできる入口がでてきたりして・・・。(笑)

ちなみに奥にみえているのが例の橋(バスが上にいますね)で、なんとも頑丈そうで壮大な感じの橋ですけど、こんなのがそのあたりにばんばんと空中を横切っていたりするんですよ。


というわけで、今回は例年とちがいいつもの散歩話でおわりにしてみましたのであしからず。
それではよいお年を〜。


住所
新宿区西新宿2

電車と車と緑と・・・

ちょっと前に信濃町駅付近をぶらりとしたときのものです。
「これどこの風景?」と、いわなくてもだいたいわかってしまう風景(たぶん)をたまたま見つけてしまったので、思わずぱちりと。

すぐ目の前には首都高が走り、右側にはJRの線路。
左側に見える大きな木々のあるあたりが神宮外苑。
そして、遠くに見えるのが特徴的なシルエットのビルがふたつ見えているとおり新宿のビル群ですね。

それにしても手前の首都高のつくりがアクロバティックですね。
地図で確認してみると、どうやらこのあたりに出入口があるらしく、一番上の左側の擁壁に突き刺さっている感じに見えているのが出口方面へと向かう道で、その下にあるのがこれから首都高に入るための道のようです。
なんかすごく地形と一体化しているというか、気をつかっているというか、ぼんやりとみているとそんな気分がしてくるほどです。
それに対して、遠くに見えるビルは地形におかまいなく、しかもただぽこぽこと同じ平面をほとんどコピペしてつみあげているだけなのに、できてみるとすごく目立つものになっていたりして。。
なんだか意味のない不公平感を感じてみたり。(笑)
そして、高層ビルは空中という場所を占拠してしまっているということにもっと意識的になっていいのかもと思ってみたり・・・。
おかげでこっちはカビだらけだよ。。(と、住むなら低層住宅派の僕は、道の視点からつぶやいてみたり。)

ちなみに首都高の左にある建物で言うと2、3階くらいの高さはある擁壁の地下あたりには、都営大江戸線なんかも走っていたりしますよ。


住所
新宿区霞ヶ丘町1あたり

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東京のおすすめスポット に参加中!
このまえ、突然思い立ち、都庁の展望台に行こう!というか行きたくなり、新宿に立ち寄ったついでに、ふらりと。
しかも、今までは、都庁の第一展望台(地図でいえば北側ですね)ばかりを訪れていたこともあり、今回は、このブログでは初登場の第二庁舎(南側)のほうから、東京を眺めてみました。



新宿の南側の眺め1

まずは、明治神宮の広大な森が、正面に見える場所でぱちりと。
まあ、なんというかこれだけだと、ちょっとわかりづらいですけど、森のむこうに見える代々木体育館の特徴的な屋根の具合が、明らかに、ああ、あそこは代々木公園だねといえる場所といえますかね。
なので、そのむこうが渋谷ということになりますよ。
でも、ここからだと、街の地形のへこみ具合は、あまりわかりませんね。(あたりまえですけどね。。)
でも、森の手前というかオレンジいろっぽい色の建物(ユースホステルだと思います)周辺はなんとなくですけど、高低差の具合が見えていますかね。(しかも、以前歩いた場所ですし。。)



新宿の南側の眺め2

次に、今回はだめでしたけれど、うまくいけば、この視界内に富士山がみえるはずの場所からもう一枚。
光の加減で、真ん中やや左にバックの展望室内までがぼんやりと映ってしまってますが、これは幽霊現象ではありませんので、あしからず。。(笑)



新宿の南側の眺め3

今度は、新宿駅方面を見つつ、左側にモード学園のビルも見えているなあと、キョロキョロしていると、なんと、その向こうに、東京スカイツリーがぼんやりと見えていましたよ。



新宿の南側の眺め4

それで、そのスカイツリーがぼんやり小さく見えている場所を、僕のカメラの貧弱な望遠機能で、アップしてパチリと。
そういえば、今日のネットニュースなんかで、今の時点で、高さ338メートルに到達して東京タワーをこえて国内で最も高い建築物となったとの記事が満載でしたよね。
(いちおう付け加えておきますけど、なんだか、ねらったように今日、このエントリーでスカイツリーの話ができてしまったのは、別に、わざとじゃないですよ。。本当に偶然です・・・。(笑)しかも最近こういう展開が多いんですよ。。本当はあざとく、それくらいの時期あわせは当然ですよ、ふん。と、鼻で笑うくらい計画的にやれればいいのかもしれないですけどね。(汗))



新宿の南側の眺め5

そして、最後は、おとなりの第一庁舎の展望台を眺めていたら、向こうの人もこちらに気づいているようでしたよ(おそらく外国人の観光客です)。
なので、たまたまむこうもこっちを見ている時にぱちりと。(笑)



住所
新宿区西新宿2

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所在地:新宿区市谷八幡町


場所は市ヶ谷駅からすぐの場所で、外堀通りと靖国通りがぶつかるあたりのそばの市谷亀ヶ岡八幡宮の境内にあります。

おとこ坂、おんな坂といって、街の神社によくみられる組合せの坂ですね。

前回の左内坂のすぐとなりに位置し、だいぶ前に書いた、市ヶ谷の防衛庁・陸上自衛隊駐屯地内にある富士見坂もすぐ近くにあったりします。
ということで、今回は、男坂のほうです。


市谷八幡の男坂1
坂下より

まさによくある神社へののぼり階段ですね。
この階段の坂のことを一般的に男坂とよぶことはご存知のかたも多いとは思います。

かなり急な坂というか階段ですね。(汗)


市谷八幡の男坂2
市谷亀ヶ岡八幡宮

神社のようすです。
ここは、文明年間(1487年くらい)に江戸城を築く際に、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請して創建された神社のようですね。

ちなみにここには、坂の碑はありませんでした。


市谷八幡の男坂3
坂上より

坂上からのものですが、ほんと高低差がすごいですね〜。
ちょっと奥まったところにあるので、両サイドのビルが気になる点ではありますが・・・。

なので正面にみえている道路が靖国通りで、そのむこうが外濠ということになりますね。



地図
新宿区市谷八幡町

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所在地:新宿区市谷左内町


さない坂と呼びます。
市ヶ谷駅からすぐの場所で、前回の長延寺坂のとなりにある坂です。
坂下は外堀通りにめんしているので、なんとなく、ああ、あの坂〜と記憶している方もいるかもしれませんね。


左内坂1
坂下より

見ての通りかなり急な坂です。
勾配といい道の幅といい、いい感じでした。


左内坂2
坂の途中より

正面にみえている道路が外堀通りですね。

ここにも坂の碑があり、
『この坂は、江戸時代初期に周辺の土地とともに開発されたもので、開発名主島田左内の名に因み左内坂と呼ばれるようになった。島田家はその後明治時代まで名主をつとめ、代々島田左内を名乗ったという。』
とありました。

かわった名前の坂だなと思っていたら、人名が由来だったんですね。


左内坂3
坂上より

これなら、かなりこの坂が急勾配だということがわかるんじゃないですかね。
でも、坂下に信号があることからもわかるかもしれませんが、ここは以外と車の通行も多かったです。

それにしても、2枚目の写真右側に見えていたキリンビールの看板がはるか下にみえていますね。(汗)



地図
新宿区市谷左内町

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所在地:新宿区市谷田町2



ちょうえんじ坂とよびます。
場所は、前回の浄瑠璃坂のすぐとなりで、坂下のすぐ近くにはJR市谷駅があります。


長延寺坂1
坂下あたり

写真のように、正面には、外濠と外堀通りがみえていますね。
現在は工事中でした。

ただ、写真の撮ったあたりから外堀通りまでの、この写真にある道は、実のところ長延寺坂と呼ぶかどうかは、はっきりしません。(汗)


長延寺坂2
坂の途中より

一枚目の写真の右側にあたる場所です。
ここから上は、長延寺坂と正式によんでもだいじょうぶみたいですよ。

また、ここにも坂の碑があり、
『昔、この坂の上に長延寺という寺があった。そこに参詣する人々が、この坂を通ったことから自然にそうよばれるようになったという。』
とありました。


長延寺坂3
坂上より

まわりの雰囲気は、市ヶ谷駅から近い場所のわりには普通な感じでしたが、坂下あたりの工事がおわったあとに、また見ると違った印象になるのかもしれませんね。

あとは、この長延寺坂の坂下がどこまでなのかということがわかればよかったのですけどね。




地図
新宿区市谷田町2

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所在地:新宿区市谷田町2



じょうるり坂とよびます。
前回の芥坂の坂上をつらつらと外堀方向へ歩いていくと、この坂の坂上とつながっています。


浄瑠璃坂1
坂上より

写真のように閑静な住宅街のなかにあり、ほぼまっすぐな坂道ですね。
道の幅も適度な感じで、勾配も良い感じでした。


浄瑠璃坂2
坂の途中より

ここにも坂の碑があり、
『坂名の由来については、あやつり浄瑠璃が行われたため(「紫の一本」)、かって近くにあった光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主であるため(「再校江戸砂子」)、などの諸説がある。江戸時代、坂周辺は武家地であった。この一帯で寛文十二年(一六七二)に「浄瑠璃坂の仇討」が行われ、江戸時代の三大仇討の一つとして有名である。』
とありました。

また、坂碑の最後の一文にあるように、このあたりで宇都宮藩士たちによる“浄瑠璃坂の仇討”と呼ばれた事件があったそうで、“新宿区商店会連合会”さんのHPによると「かつて元宇都宮藩奥平家の家老奥平隼人の屋敷も、この坂の途中にあった。寛文12年(1672)2月2日の明け方、総大将奥平源八(15才)は、41名を引きつれて屋敷になだれ入り、ついに牛込土橋付近で隼人(42才)を討ちとる。子が父の恨みを晴らしたわけであるが、父とは、やはり元宇都宮奥藩奥平家の家老であった内蔵充で、隼人とはいとこ同士である。およそ30年後の赤穂浪士の事件がおこるまでは、源八の美少年ぶりもあって、仇討ちといえば「浄瑠璃坂の仇討ち」を指すほど有名な事件であったという。(そのまま抜粋させていただきました。)」
とあり、かなり驚きの歴史を知ってしまいました。

あと、実はこの「浄瑠璃坂の仇討ち」という本までありましたよ。


浄瑠璃坂3
坂下あたりより

そして、坂下あたりの風景ですが、なかなかいい感じですね。
ここをもう少し下ると、外堀通りにでることができる場所ですね。




地図
新宿区市谷田町2

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所在地:新宿区市谷砂土原町3丁目



うなぎ坂とよびます。
前回の歌坂とは、坂下を牛込中央通りをつらつらとすこし歩くとあるというかなり近い場所にあります。
住所は、新宿区市谷砂土原町3丁目あたりで、これまた歌坂と同じですね。


鰻坂1
坂下あたり

写真のように普通な感じですね。

ここにも坂の碑があり、
『坂が曲がりくねっているから鰻のような坂だ、という意味から鰻坂とよばれた。「御府内備考」の払方町の項に「里俗鰻坂と唱候、坂道入曲り登り云々・・・」と記されている。』
とありました。

この写真の正面あたりはわかりにくいですが、S字にクランクしておりそのあたりのことが由来となっているようですね。

ただ、そこのクランクの写真は、今回は撮っていませんです・・・。

実は、この坂にあった新しい坂の碑が、上の写真の左側に写っていますが、行ったときは撮った側も坂になっており、道路をへだてたこちら側が本当の鰻坂か、はたまた向こう側が本当なのかわからずクランクのある場所(写真でいう正面奥のことです。)までいかなかったためですね。

でも、写真をよくみると本当の鰻坂側の道の両サイドは、どうやら立地的に坂の碑がたてにくそうな感じですね。
そんなことから、今の位置に坂の碑ができることになったんでしょうかね。(わかりませんが・・。)



地図
新宿区市谷砂土原町3

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所在地:新宿区市谷砂土原町3



うた坂とよびます。
場所は、東京メトロの市ヶ谷駅から外堀通りを歩き、牛込中央通りにはいりしばらく歩いたところにあります。
住所は、新宿区市谷砂土原町3丁目あたりです。


歌坂1
坂下より

坂下に隣接して、写真のように写真右側に法政大学62年館の校舎があります。
見た感じはいたってふつうな感じで、ここが名のある坂と感じれるのは、坂の碑がわかりやすいところにあるというくらいでしょうかね。

ということで、ここにも坂の碑があり
『雅楽坂ともいう。一説には「善告鳥(うとう)(海鳥の一種)」の口ばしに似た地形であることからともいう。つまり「うとう」が「うた」になり、歌坂に転じたものであろう。』
とありました。

かなり地形的な要素からいろいろ発展して名前があてられたというわけですかね。


歌坂2
坂の途中より

このあたりは、坂下のなんとなく業務ビルらしきものが多く閑散としている感じと住宅街がまざったような雰囲気をもつ場所で、坂上にいくほど純粋な住宅街になっていくといった感じでした。

まあしいていえば、大学の校舎へとつづく通路と一体になって坂道がつかわれている感じがあり、ふつうの道にある坂とは一味ちがって、学生のときにもどった気分でふらりと歩ける坂道かもしれませんね。




地図
新宿区市谷砂土原町3

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所在地:新宿区市谷船河原町



おお坂とよぶそうです。
別名として、大坂、美男坂という名もあるそうですね。

この坂は、前回のゆれい坂からすぐ近くの場所で、坂下は、外堀通りに面している坂です。

また、坂上をつらつらと歩いていくと、これまた前に記事にした新坂の坂上にいくこともできます。


逢坂1
坂上より

この坂の坂上あたりの写真ですが、ここはみてもわかりますが、かなり高級な住宅が道の両サイドにならんでいたりします。
左側の立派な塀の奥には、地図でみるかぎりは、最高裁長官の公邸らしくお屋敷住宅でした。

まあこのあたりは、ほんとの高級住宅街といえるかもしれませんね。


逢坂2
坂の途中より

もうすこし坂をくだると突然急な坂となってきます。
そして、いい感じでカーブしていますね。(喜)

あと、この右手には、東京理科大学薬学部の校舎が見えています。


逢坂3
坂の途中より坂上をみる

写真の右手(2枚目の写真でいうと左手になります)には、日仏学院がありました。
このあたりから坂上にかけては、ほんとうに美坂といっていいくらい感じのよい坂でしたよ。

ここにも坂の碑があり、
『昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになったという。』
とありました。


逢坂4
坂下あたり

外堀通りから入ったあたりのものですが、坂下あたりはどちらかといえば普通な感じで、すぐ左にはガソリンスタンドがあります。
ただ、道すがら日仏学院へとむかう人たちがけっこういてなんとなく、あたりの雰囲気もそれっぽくなっているような感じがしました。

また写真中央のちいさな神社あたりから、坂上へと向かうあたりから雰囲気はかなりよくなってきます。

ということで、東京の坂道らしい坂のひとつに出会えたという気持ちにさせてもらえた坂でした。




地図
新宿区市谷船河原町

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所在地:新宿区若宮町



ゆれい坂と呼びます。

(「ゆ」という漢字がブログでは、文字ばけしてしまうためひらがなにしています。)

前回の新坂とは坂上でつながっている坂です。
坂上には、若宮八幡神社があり、坂下は外堀通りとつながっています。

また、地図をみて気づいたのですが、すぐとなりには、東京理科大学の校舎があったりします。


ゆれい坂1
坂上あたりより

このあたりは、いたってふつうな感じですが、このすぐ左側に若宮八幡神社があります。


ゆれい坂2
若宮八幡神社

住宅街のすきまにあるのですが、けっこう立派なつくりをしていました。

また、この神社は、鎌倉幕府の将軍源頼朝が平泉の藤原氏を平定して凱旋する途中に建立したと伝えられているそうで、なかなか有名な神社らしいですよ。


ゆれい坂3
坂の途中より

写真のようにこのあたりより、いきなり坂道の勾配が急になってきており、このあたりから坂道としてもいい感じになってきますよ。


ゆれい坂4
坂下より

この写真のとおり、坂下の外堀通りから坂にはいるとこんな感じにみえていて、道もカーブしていて坂下あたりはかなりいい感じの坂道といえるのかもしれませんね。

またここにも坂の碑があり、
『江戸初期この坂のあたりが美しい梅林があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(「御府内備考」)。別名「行人坂」「唯念坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。』
とありました。


ゆれい坂5
坂下あたりのようす

正面にみえているのが、外堀通りで、そのむこうが外堀、そのまたむこうにビルがみえて、なんだかこのあたりらしい風景だなあと感じたりしました。



地図
新宿区若宮町

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所在地:新宿区若宮町


前にとりあげた、地蔵坂の坂上からすぐの場所で、住所は、新宿区若宮町ということになります。


新坂1
坂上より

この坂道は、住宅街の間になにげにある感じでした。
しかし、場所が場所だけに閑静な住宅街でしたよ。

ただ日本の住宅街のさがで、写真だけではそれが感じれないかなしさはあったりしますが・・・。

でもまあ歩いてみるとわかるんですけどね。(汗)

あと、この坂上のすぐ近所に宮城道雄記念館があったりします。


新坂2
坂の途中より

ここにも坂の碑があり、
『「御府内沿革図書」によると、享保十六年(一七三一)四月に諏訪安芸守(戸田左門)の屋敷地の中に新しく道路が造られた。新坂は新しく開通した坂として命名されたと伝えられる。』
とありました。


新坂3
坂下あたりより

坂下あたりは、地図をみてもわかりますが、くねっとS字の道になっており、けっこうな勾配の坂でした。

このまま坂下のほうへ歩くと若宮八幡神社があり、しかもまたまた庾嶺坂という坂道の坂上とぶつかるということで、なんとも2つあわせればかなりの坂道といえるかもしれまんね。




地図
新宿区若宮町

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所在地:新宿区白銀町



ひょうたん坂と呼びます。
場所は、東西線神楽坂駅近くの、新宿区白銀町あたりで、白銀公園に面している坂道です。
また、坂道を坂下方面へつらつらと歩くと、大久保通りにつながっていたりします。


瓢簟坂1
坂上より

坂上あたりは、写真のようにすこし幅がせまめで、公園と閑静な住宅街にはさまれた感じでありました。


瓢簟坂2
坂の途中より

とりたててエピソードはない坂のようですが、坂の途中あたりからけっこう坂道の勾配がきつくなり坂道としてみるとなかなか悪くなかったです。

ここにも、坂の碑があり、
『坂の途中がくびれているため、その形から瓢箪坂とよばれるようになったという。』
とありました。


瓢簟坂3
坂下あたりより

それと、坂の雰囲気も以外と悪くなく、住宅街に自然とある感じで、道の幅も写真でもわかるかもしれませんが、ちょうどいいあんばいだったように思います。



地図
新宿区白銀町

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所在地:新宿区横寺町



この坂は、前にとりあげた袖摺坂の坂上をすこし歩くと、この坂の坂上あたりとぶつかります。
住所は、新宿区横寺町あたりです。

坂下のすぐそばに、東西線神楽坂駅があったりします。

朝日坂01
坂上あたり

ここにも現地に行ったときは、気づかなかったのですが、(“東京23区の坂道”さんのサイトによると)坂碑があるらしく、
『この坂の近くに泉蔵院という寺があり、その境内に朝日天神があったため、このあたりは朝日町とよばれていた。坂名はそれらに因むものである。』
とあるそうです。


朝日坂02
坂の途中より坂下をみる

この坂もいたってふつうの道で、閑静な住宅街にあります。

しかも、地図をみて気づいたのですが、この坂周辺には神社が多く点在していますね。

数えただけでも、7つもありました。
(この最後に周辺地図へリンクしているので確かめてみてください。)

またこの朝日坂は、かつて尾崎紅葉泉鏡花正宗白鳥らの近代作家が通った歴史をいまにとどめる坂でもあるそうです。(“神楽坂まちの手帖”さんのHPから参考させていただきました。)
 
 
朝日坂03
坂下より

ちょっと写真では、わかりにくいかもしれませんが、坂上は閑静な住宅街ですが、坂下にいくほど神楽坂駅に近いこともあってか道の両サイドにお店が多くでていましたよ。

なのでこの坂は、坂上と坂下でけっこう様子のかわる坂なのかもしれませんね。



地図
新宿区横寺町

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所在地:新宿区箪笥町



べんてん坂と呼びます。

この坂は、前回の袖摺坂の坂下に接している場所にあり、大久保通り上にあるという坂道です。
通り沿いにには、都営大江戸線牛込神楽坂駅の入り口があり、この通りの真下を都営大江戸線が走っているようですね。(地図をみたかぎりですが。)


弁天坂01
坂上あたりより

写真の正面やや左に、前回の袖摺坂の坂下への入り口があったりします。
また坂下をずんずんいくと神楽坂の坂上ともぶつかります。

ご覧通りこの坂は、大久保通り上にあるという以外は、見ため的にはとりたててめずらしい感じはしませんが、よく考えてみると大久保通りと一体となっている坂道っておもしろいかも。

なんでこんな風に通りと坂道が一体となってしまったか?なんて考えてみると以外と想像が膨らみそうです。

現地に行ったときは気づかなかったのですが、(“東京23区の坂道”さんのサイトによると)ここにも坂碑のようなものがあり、
『坂名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には南蔵院門前にあまざけやおでんを売る屋台が立ち、人通りも多い様子が描かれている。坂上近くの横寺町四十七番地には尾崎紅葉が明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。門弟泉鏡花、小栗風葉らが玄関番として住み、のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、誌星堂または紅葉塾と称した。』
とあるそうです。


弁天坂02

一枚目の写真より、さらに坂上に行き撮ってみた大久保通りの様子です。
ほんと普通の通りですよね。

でも以前中野に住んでいた時は、ここをたまに通ることもあったのですが、そのときはいい感じの街だなあという印象がありました。

なんとなく車やスクーターでこの大久保通りを新宿方面からぬけてくると、この牛込神楽坂駅付近ではなんか違った印象(いい意味で)を感じる場所でしたよ。





地図
新宿区箪笥町

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所在地:新宿区箪笥町



そですり坂とよぶそうです。

都営大江戸線の牛込神楽坂駅からすぐの場所で、坂下は大久保通りに面しています。


袖摺坂01
坂下より。

写真を見る限りはなんだかいい感じですよね。
たしかに雰囲気は悪くない感じでしたよ。


袖摺坂02
坂下あたり。

まあ実際にいってみると、大久保通りを歩いていると、突然写真のようにひょっこりと坂というか階段への入り口があったりします。

ここにも、例のごとく坂の碑があり、
『狭い坂道でお互いに袖を摺り合わせるほどだったという。そんなことから、誰いうとなく袖摺坂というようになったという。』
とありました。


また、“歩いてみたい東京の坂”によると、「新撰東京名図会」にも「(略)崖地に雁木を設け、折廻したる急峻の坂なり。しかも坂路は狭隘往来の人互ひに袖を摺り合わす故に名づく」と書いてあり、「府内備考」の箪笥町の町方書上や「続江戸砂子」にも、その名が記されているそうです。


袖摺坂03
坂上より。

坂上からみれば、なにげにわかりますが、かなり強引(笑)に残された感じのする坂道のようであり、階段としてみればよくありがちなぬけみち階段といった感じにも見えてしまいます。
しかし、よく見ると階段部分もきちんと整備されているのが見れますよね。

ただ、左側のトタン板のような目隠しがどうもいただけませんが・・・。(笑)


袖摺坂04
坂上あたり。

でも実際に坂というか階段をあがると、坂上はふつうの道で、住宅街なんですが、そこも袖摺坂かなと思っていちおう写真も撮っておいたのですが、すこし調べてみると階段の部分のことを袖摺坂と呼んでいるみたいですね。




地図
新宿区箪笥町

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所在地:新宿区袋町


この坂も、前回の坂とはすぐ近くで、坂下で、神楽坂の坂上あたりと合流している坂道でもあります。


地蔵坂1
坂下より

坂下あたりの雰囲気は、わるくはなく坂の勾配具合もちょうどいい感じかのように思いました。

道じたいもゆるやかにカーブしているなあと思い、坂下から歩いていくと、なにげにどんどんと曲がっていく感じで、坂をのぼっていて、楽しい感じでした。


地蔵坂2
坂の途中あたり

ここには、例のごとく坂の碑があり、

『この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。』

と、ありました。


地蔵坂3
坂上より

坂下から坂上にいくにしたがって住宅街になっていくという感じで、坂上あたりは、閑静な住宅街となっていました。



地図
新宿区袋町

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所在地:新宿区神楽坂3



前回とりあげた、軽子坂とは、ちょうど坂の途中あたりでクロスしていて、坂上では、神楽坂とつながっている坂でもあります。


三年坂1
坂上あたり

ここには、坂の碑らしいものは見当たりませんでした。

三年坂という名前ですが、これは、べつに京都にある有名な三年坂とは、関係なくですね、23区の坂道さんのサイトで知ったのですが、『江戸の坂東京の坂』という本において、ここらあたりには、寺や墓地の近くにあり、「その坂で転んだものはすぐにその土を三度なめないと三年以内に死ぬ」という迷信があったとされていたことに由来することからきているとのことです。

なんだかすごい迷信ですね。(汗)


坂上あたりは、本多横町というと通りになっていて、飲食店が建ちならんでいる通りになっています。

写真では、ふつうな感じの飲食店街という感じですが、実際はもうすこし赴きがあり、通りから路地などをみると、神楽坂らしい路地がちらりとみえたりしていました。


三年坂2
坂下あたりより



地図
新宿区神楽坂3

富士見坂12


富士見坂/ 新宿区市ヶ谷本村町


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旧尾張藩邸にもとあったという坂であり、旧尾張藩邸は明治になってからは陸軍用地として使われ、士官学校、幼年学校などができると、その門から上がる坂を地獄坂と呼ばれたそうです。
終戦後は米国占領軍に使用され、のち返還されて陸上自衛隊東部管区本部になりました。

 この富士見坂は旧尾張藩邸が市ヶ谷に移されたとき、その敷地に囲いこまれ、現在はその自衛隊市ヶ谷駐屯地内にあり、かって坂があったあたりにはおおきな施設のビルがあり、坂の所在は不明です。 



地図
新宿区市ヶ谷本村町

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