東京坂道さんぽ

タグ:港区
とある街の風景264(アートナイト2017の夜に六本木の坂道をぶらりと)
今回は、田町駅すぐにある「潮見坂」と「聖坂」の2つを取り上げました。 /たびねす記事掲載お知らせ。
東京タワーそばの金地院をぶらり
東京・麻布の狸穴坂に住んでいた狸は有名人?隠れスポット麻布狸穴界隈を歩いてみよう / たびねす記事掲載お知らせ
乃木坂 (NO.132)その3  / 乃木坂今昔
とある街の風景259(あの解散報道直前の乃木坂)
SMAPのメンバーが走った東京の坂道
とある街の風景254(品川・柘榴坂の夜散歩)
とある街の風景250(六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド)
とある街の風景246(芝公園の階段の夜をぶらり)
とある街の風景244(芝丸山古墳界隈の高低差)
とある街の風景243(東京タワーと平和の灯)
ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる
とある街の風景241(夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと)
六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔
とある街の風景226(ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道)
国立新美術館前の坂道
とある街の風景222(すっかり変わった青木坂)
とある街の風景220(お台場の海にむかう広場と階段)
とある街の風景218(長垂坂 、今昔)
道源寺坂 (NO.67) 2014年版 /港区六本木1丁目
スペイン坂 (NO.66) その2 /港区六本木1丁目
とある街の風景217(桜坂の桜見物)
東禅寺今昔
洞坂(NO.247)
さくら坂(NO.246)
柘榴坂(NO.245)
いちょう坂(NO.244)
青山スパイラルができる前の話
ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂

一昨日から昨日にかけて開催された六本木アートナイト2017なのですが、実は僕もちょっと見てきました。
実はここ数年は毎年見にいっているわりにはブログでとりあげることも少なくなっていたのですが、今回は、坂道とコラボした写真がけっこう撮れたので、時事ネタとして時間が経たないうちに公開しておこうかなと思い、記事にしておくことにしました。


アートナイト2017の夜1
写真1

まずはメトロ乃木坂駅の入口にて。(写真1)
これは、アートナイトとは関係ないですけど、例のかわった坂道というか橋の下の部分ですね。
当日は、ライトアップされた階段と月が見えていたので思わずぱちりと。


アートナイト2017の夜2
写真2

こちらは国立新美術館の中にある坂道ですね。(写真2)
以前にも取り上げましたけど、すこし違うのは、国立新美術館の建物の中でアートナイト関連の上映会をやっている様子も見えていたことですかね。


アートナイト2017の夜3
写真3

あと、写真2と同じ場所なのですが、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
ちょうど正面に蜷川実花さんによる「Tokyo Followers 1」なる作品が見えていました。
しかも、その奥には東京タワーも見えていたのですよ。
なので、この写真2の敷地内の坂道というか道のほう、実は東京タワーがみえる軸線で計画されたのではという考えを歩いていてふと思いついたのですが、どうでしょうかね。


アートナイト2017の夜4
写真4

こちらはミッドタウンの地下にあったもので、山根英治さんによる「四つの階段」なる作品ですね。(写真4)
まさにタイトルにひかれてぱちりと。
現地でははしご?と一瞬思ってしまったわけですが、よく見るとタイトルどおり急階段が4つありますね。


アートナイト2017の夜5
写真5

お馴染みのけやき坂ですね。(写真5)
今回のアートナイトでは坂道上になにかあるわけではなかったのですが、なんとなく気になったもので。
まあ普段の夜のけやき坂という感じでしたかね。


アートナイト2017の夜6
写真6

そいでもって、こちらは見たままですが、芋洗坂坂上あたりのものですね。(写真6)
世間的には六本木の有名なアマンドがある交差点でも知られている場所ですよね。
そして、ここにも山本洋子さんによる「アジアの花」なるカラフルな作品がありました。


アートナイト2017の夜7
写真7

写真6だけではわかりにくいかもなので、近くから見てみたものなども。(写真7)


アートナイト2017の夜8
写真8

こちらも同じく芋洗坂なのですが、坂の途中にアートナイト関連の作品があったので、坂道風景とあわせて撮ってみました。(写真8)
左側の駐車場隣のビルに投影されているのがそれで、リム・ソクチャンリナ、ナット・スワディーさんの映像作品が流れている「アジア映像集」というプログラムとのことみたいでした。
まあ、事前に知ってないとちょっとわかりにくいので、そのまま素通りしている人も多々いるみたいでしたね。


アートナイト2017の夜9
写真9

最後は、アートナイトとは関係ないのですが、芋洗坂の途中と合流している饂飩坂の坂下からの様子でも。(なので写真9は芋洗坂からのものともいえますかね。)
坂上はタクシーが列をなして渋滞状態になっていましたね。
まさに夜独特の景色という感じだったので、こちらも載せておくことにしました。


ということで、気がつけばけっこうな写真の量となってしまいましたが、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。


→『東京・田町駅すぐ 三田・潮見坂&聖坂界隈はかつての海岸線だった?』
http://guide.travel.co.jp/article/27881/


今回はJR田町駅からすぐの場所にある「潮見坂」と「聖坂」を取り上げてみました。
真夏ということで、単純に海にちなんだ坂道を選んでみたわけですが(笑)、ちょっとだけ時間の概念をいれて、ひと味違った見方できないかなあと考えていたのですよ。
それで、そうだ!アースダイバーがあったなということで、読み返してみたら参考になることがあったので、そこから話を広げる感じで書いてみました。
とはいいつつも、観光ガイド記事のため、あまりつっこまずという感じだったので、なんだかブラタモリ風(もしくは脚本風?)になったかなあと思ってみたり。(笑)

あと、今回は、まだブログでは取り上げていない坂道でしたかね。

そんなわけで、過去記事へのリンクはありませんので、いつものようにおまけ写真をいくつか。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」1
写真1

まずは、潮見坂の坂の碑など。(写真1)
港区の坂道にはこうして坂の碑が設置されているパターンが多いのでありがたいですね。
今回は坂上と坂下にきちんとあるパターンでしたよ。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」2
写真2

潮見坂の坂上にあった学校の案内看板ですね。(写真2)
とにかく、訪れた時は名前に驚いてしまいましたかね。
「普連土=フレンド」だとは思いますが、真相はさだかではないです。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」3-名所図会
画像3

そして、こちらが江戸名所図会に掲載されている潮見坂の絵ですね。
たびねすの記事ではこういう古い絵は掲載不可なので、こちらにて紹介しておきますね。
絵を見るとけっこうデフォルメされてますけど、たしかに遠くには海が描かれていますよね。
田町あたりが海だとこういう景色になるんですかね。
ちなみに、この画像は国立国会図書館デジタルコレクション から拝借したものですが、サイトによるとこの絵も掲載されている江戸名所図会は1893年に出版されたものなので、この景色も100年以上前の景色ということになりますかね。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」4
写真4

次は、聖坂の坂上からのものですね。(写真4)
取材当日は道路工事していて、終わるまでそのあたりで時間つぶして、今回掲載した写真を撮ることができたのですよ。
坂道散歩していると、たまにこういうことがあります。
たぶん階段ではそういうことないと思いますけど、坂道は道路なので地下にいろいろ埋まってますからね。
あと、この角度からなら東京タワーも左側に見えてますね。(さっき気がつきました。汗)
やっぱり坂上からの景色もいい感じの坂道だったんですねえ。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」5
写真5

これは、さっきの写真4のする隣に建っているクウェート大使館ですね。(写真5)
こんなところにも丹下建築があったとは。


田町駅すくにある「潮見坂」と「聖坂」6
写真6

そして、最後は、同じく聖坂の途中にあったアリマストンビルの看板などをぱちりと。(写真6)
けっこう前からあったと思いますけど、今も工事中なのですね。(手作りなのでそうりゃあそうですけど。)

以上です。

ということで、記事のほうよろしくです。

たびねすの東京タワー界隈の坂道を取り上げた時(昨年の9月の記事)にあわせて東京タワー界隈もまわったのですが、そのときにちょっと気になる建築物を見つけたことを写真を見直していて思い出したので、今回はメモもかねてです。


金地院をぶらり1
写真1

東京タワーの真向かいに金地院というお寺があるのですが、その本堂がなんとも現代的なつくりだったので、写真に納めておいたというわけなのです。(写真1)
ふつう、お寺の本堂といえば、木造のあのつくりのパターンが多いわけですが、ここはちょっと違う感じでしたね。
こういう現代的なつくりの寺院といえば、築地本願寺をまず思いだしますし、もしかしてと思って設計者も調べてみると、伊東忠太ではありませんでしたが(笑)、坂本鹿名夫という建築家の方が設計したもののようでしたね。(検索してみたら興味深い記事がでてきたのでリンクしておきますね。)
つくりてきには、上からみると六角形になっていて、屋根にはなにやら不思議なオブジェもみられますね。


金地院をぶらり2
写真2

別角度(写真1の左側)からみるとこんな感じでした。(写真2)
ちなみに、この本堂は、昭和20年の東京大空襲によって以前あった本堂は消失してしまい、昭和29年(1954年)に再建されたもののようですね。(調べてみると、1956年新築という説もありますけど、とりあえず。)
なので築63年くらいですかね。
見た目は、さすがにお寺ということもあってメンテなどもそれなりにされているのか、つくりがシンプルなためなのか、それほど古さは感じないかもですね。
ただふつうの神社仏閣でこれくらいの築年数だとあまり驚かないのですが、つくりがまさにコンクリの現代風な建物だったので、これ知った時は、ちょっとだけ「え!」という気持ちになりましたけど。


金地院をぶらり3
写真3

そんなこんなで最後は、境内から東京タワーも見えていたのでぱちりと。(写真3)
まあ、こんな立地の場所だったのですよ。
なお、このお寺の公式HPのようなものはなかったですが、「霊場紹介」というサイトさんが、詳しい感じですので、お寺の史実などを知りたい方はそちらをどうぞ。

あ、あと、このお寺は、前にこのブログでもとりあげた、東京タワーの坂にも面しているんですよ。当時の記事ではこのお寺やら本堂の建物のことはスルーしてますけど。(笑)


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
港区芝公園3-5

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『 東京・麻布の狸穴坂に住んでいた狸は有名人?隠れスポット麻布狸穴界隈を歩いてみよう 』
http://guide.travel.co.jp/article/26122/


今回は、東京タワーからほど近いロシア大使館に隣接した狸穴坂に加えて、榎坂についても取り上げてみました。
今回の狸穴坂を調べていて驚いたのは、サッカーのFC東京のマスコットキャラクター「東京ドロンパ」がここの狸の末裔だったということでしたかね。あとは、記事で書ききれなかったこととして、この坂道は、過去にテレビ番組の企画で、木村拓哉さんや乃木坂46のメンバーが全力疾走した坂道でもあるんですよ。なので、ファンの方々からすると聖地としても見られている坂道だったりもするみたいですね。


では、今回もブログの過去記事ありますので、リンクしておきますね。


狸穴坂 (NO.61) /港区麻布台2丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50765988.html

榎坂 (NO.57) /:港区麻布台1丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50725754.html



あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?01
写真1

狸穴坂の坂上にあった石碑ですね。たぶん木碑よりは古そうな感じでしたけど、いつ頃つくられたかは不明でしたかね。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?02
写真2

狸穴坂の坂上でもあり榎坂の坂上でもある場所から東京タワーの景色を眺めていたら、ちょうどあのうわさのマリオカートコスプレ集団に遭遇しました。こんなところも走っているんですね。


狸穴坂に住んでいた狸は有名人?03
写真3

最後は、榎坂の坂下からのノアビルなど。なにげに、はとバスとのコラボです。(笑)

ということで、記事のほうよろしくです。

今回は、たびねすで記事を書いていて、いろいろ追記したい事柄がでてきたこともあり、乃木坂 (NO.132)の続編でも書いてみたいと思います。


乃木坂今昔1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
坂の途中で、乃木坂トンネルにもぐる道と左に曲がり新しい部分の乃木坂に向かうところの写真ですね。

トンネルの上の部分は乃木坂陸橋とも呼ばれていて、昭和49年3月に完成したとのことです。
昭和49年?あれ?けっこう最近という感じですよね。


乃木坂今昔2
写真2

そこでこれなのですよ。(写真2)
たびねすの記事では、こういう昔の写真やら浮世絵を説明に使うことがNGなので、載せれなかったのですが、こんな風なかつての乃木坂の写真が、「江戸の坂 東京の坂」という本の中にあり、ちょっと拝借。
おそらく写真2は、写真1と同じ方向で、坂の途中から坂上方向を見てみたものと推測されます。
要はトンネルできる前の乃木坂ですね。
時期的には、「江戸の坂 東京の坂」の巻末に、これらの写真は昭和35年から42年にかけて著者が撮影したものと書かれていますので、だいたいそれくらいの時期のものだと思われます。

また今の乃木坂はかつて、幽霊坂という名前だったことはたびねすの記事でも書きましたが、「江戸の坂 東京の坂」の説明によると、実はそれ以前、行合坂やら膝折坂とも呼ばれていたそうですよ。
なので、本の説明部分を抜粋させてもらうとですね、
『『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記してある。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近吾堂版)には、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』
とありました。

ということは、「幽霊坂」の前の名前が「行合坂」で、別名で「膝折坂」とも呼ばれていたという感じなのですかね。

あとは、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」という本には、『『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。』なんてことも書かれていて、新撰東京名所図会は、明治時代の書物なので、これを加味すると、行合坂→幽霊坂→なだれ坂→乃木坂、という具合の名前変更の歴史があるのかもしれないですね。(汗)


乃木坂今昔3new
古地図1

せっかくなので、古地図も見てみましょうかね。(古地図1)
画像の部分で、赤く塗った部分が乃木坂で、今も昔も変わらない位置にあります。
で、青でうすく塗った部分が、現在の外苑東通りということになりますかね。
古地図を見ると乃木坂の西側つきあたりに「八幡宮」というのがありますよね。これがまさに『竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。』の部分なのではないですかね。


乃木坂今昔4new
古地図2

さっきのは「東都青山絵図」のほうだったのですが、こちらは「赤坂全図」のほうですね。(古地図2)
地図でいえばちょうど端っこのかぶっているエリアに乃木坂はあるみたいで、こちらの地図はどちらかといえば、乃木坂の東側エリアが詳しく記録されているもののようですね。
そして、これをみると赤くぬった部分の乃木坂のちゅうど真ん中あたりに「妙福寺」と書いてあります。なので、これが『この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』の部分で、幽霊坂と命名される元となったお寺もちゃんと地図に残っていて、実際にあったということですよね。


乃木坂今昔5

地図

そんなわけで、現代の地図(Googleさんの地図を拝借)に江戸時代の乃木坂の位置を描いてみるとこんな具合になりそうでした。
ちなみに、ちょうど今のギャラリー間のあるTOTO乃木坂ビルのあるあたりを緑で囲ってみました。古地図1を振り返ってみると、お寺があった位置とかぶりそうですね。
まあだからなんなんだという話でもありますけど、僕としてはギャラリー間に訪れるたびにいつも、ビルの前の道がへんなつくりだなあと思っていたのですが、こうして古地図で振り返ってみると、かつての古道は紫の色で塗った部分であったわけで、そういう意味では、このローターリーみたいになっていた場所(乃木坂駅への入口もありますよね)もそういう歴史があったのだなあとちょっと納得したわけだったのですよ。

あとは、写真2では坂道が二手に分かれていて、かつての乃木坂が、どちらかなのかは今でもわかりかねますし、この風景だって江戸時代の時とは違うのかもしれませんよね。
ただ、なんとなく今の乃木坂のトンネルと右側の階段、左側の坂道のつくりをみるとその名残りもあるのかなあと思いつつも、こればかりはもうちっと調べないとわからないところですかね。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区赤坂8あたり

たびねすの記事で乃木坂を取り上げたついでと言ったらなんですが、それとあわせてちょうど元SMAPのメンバーさん(超ぼかしてます、笑)のニュースも流れてきたということで、今回はこのネタつながりの話でも。

昨年の8月13日にSMAPが解散するという大きなニュースが流れたのはご存知の方も多いとは思いますが、実はその報道が流れる同日直前にたまたま乃木坂をぶらぶらと歩いて夜景撮影していたのですよ。

なので、今回は、目に見える景色だけがすべてじゃないという感じで、撮影してからだいぶ時間が経ってしまいましたが、記録もかねてその時の乃木坂の景色を振り返ってみたいと思います。


あの解散報道直前の乃木坂1
写真1

まずは、坂の途中にある乃木坂トンネルのところから坂下方向を見てみたものなど。(写真1)
時間的には20時前という写真記録が残っています。(もちろん日付は2016年8月13日。)
この日は土曜日で、しかもこの時間帯ということで車も少なかったですね。

しかも今あらためてじっくり見てみると、夜のほうが高低差具合もわかりやすいですね。


あの解散報道直前の乃木坂2
写真2

次は坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
知っている方はわかると思いますが、このすぐそばには、あのニュースの中心となったジャニーズ事務所があるのですよ。
まあ、見てのとおりですが、この時は解散報道があるという雰囲気は微塵も感じられなかったですね。


あの解散報道直前の乃木坂3
写真3

そして・・・。(こっそり見えないアングルより。汗)(写真3)
当日はほんとひっそりしていて、報道陣がいたわけでもなく、全然わかりませんでしたかね。


あの解散報道直前の乃木坂4
写真4

そんなわけで、最後は乃木坂の新しい部分というか、坂の途中から坂上方向を眺めてみたものですね。(写真4)
こうしてみると、乃木坂って夜景でみるほうがなんか坂道景色的には楽しいかもなんて思ってしまったのですが、どうでしょうかね。


ということで、どうだったでしょうか。(笑)
とりあえず、写真だけみると、いつもの乃木坂の夜景にしか見えませんが、ほんと目に見える景色だけがすべてじゃないのですよ。
僕自身、これを書いていて、当日の雰囲気をすこし思い出しましたかね。
そして、なにより世間のなにかが変わる前の乃木坂の景色が記録できたのはよかったですし、ある意味、かつての乃木将軍以来の社会にインパクトを与える震源地としての乃木坂の存在が確認できたのもよかったかもです。


住所
港区赤坂8あたり

このブログは、江戸時代、もしくはそれより昔からある坂道もとりあげているわけですが、よく考えてみたら、昔の殿様や著名人(政治とは縁遠い人も含む)などもこの坂道を歩いたとか、ほにゃららしたとか、よく坂の碑に書かれている割には、大昔の史実とあわせてこの数十年(ひろく見れば戦後)のことについて取り上げている坂道系のブログはほぼないことに気が付きまして、まずはそのきっかけにでもなればなと思い、今回は坂道における芸能史という意味もこめて参考資料がてらということで。
(これは、民俗学者の宮本常一さんが、「日本の民俗学が本当に完成するには、芸能史にも本格的にとりくまなければならない」と生前言っていたことに影響を受けて、坂道についても同じくいくつかの視点でとりあげて記録しておいてもいいんじゃないのかなというところからもきているのですが。。)

とにかく、SMAPの解散報道がでたときに、ふと思いつき、SNSでちらっとSMAPのメンバーが走った東京の坂道についてとりあげてみたのですが、その後、この坂道ブログを見なおしてみたところ、ブラタモリのほうは坂道記録として記事にしていたのですが、さすがにSMAPのほうについてはとりあげている記事がなかったのですよ。

なので、こんな機会に取り上げるのはすこし寂しい気もしますが、逆に言えば、このタイミングでしか書けないような気もしたので、タイトルにもあるように、SMAPさんのメンバーが走った東京の坂道について、さらりとまとめておくことにしましたよ。
(本当は、SMAPさんの番組が放送された頃に、このことに気がついていればよかったんですけどね。ただこれを書いていて、ブラタモリの初期のころとこのSMAPさんの番組の時期がかぶっているのは、今思えばなかなかおもしろいことだなあと思ってみたり。)


そんなわけで、肝心の番組内容については、2009年と2010年に放映されたもので、SMAPさんのメンバーの中で、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが、テレビ朝日の『SMAPがんばりますっ!!』の1コーナーのなかで、2009年に木村拓哉さんが港区の坂50か所を1日で全力で登りきるという企画(第1弾)、そして、2010年には草剛さんが同じく1日で目黒区49の坂を走りきる企画(第2弾)があり、彼らが走ったわけなのですよ。

もともとのきっかけは、全力坂のウィキペディアにも書いてありますが、木村さんが、どうしても理解できない番組と評していた全力坂について、タモリさんから「やればわかると思うよ。今やっておかないとダメ!」と促されて坂道を走ることになったからだそうですよ。
ちなみになぜ50箇所なのかについては、放送当時、テレビ朝日が開局50周年ということで50箇所に決まったみたいですね。
放送されてからだいぶ時間が経っていますし、忘れているかたや知らない人も多いと思いますので、番組自体のこまかい内容について、ウィキペディアのページから抜粋してもいいのですが、長くなりそうですし、それよりなによりこのブログはバラエティー番組の紹介サイトではないので、気になるかたは全力坂のウィキペディアのページもみてもらうとSMAPさんの回のこともくわしく書いてくれてますので、そちらを見てください。

なお本家の全力坂については、今でもやっていますので、番組をみるなりサイトを見るなりしてどんな番組なのかは自身で判断してくださいな。

というわけで、ここでは、せっかくの自分のブログですので、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが実際に走った坂道をリストアップしつつ、あわせてこのブログで取り上げた坂道もリンクしておくことにしますので、気になるかたはよかったらどうぞ。



木村拓哉さんが走った港区の坂50か所
1:霞坂 
2:笄坂
3:牛坂 
4:さくら坂  
5:暗闇坂 
6:七面坂 
7:大黒坂 
8:鳥居坂 
9:一本松坂 
10:内田坂 
11:仙台坂 
12:木下坂 
13:新富士見坂 
14:薬園坂 
15:奴坂 
16:新坂  ※複数あるため調査中。
17:青木坂 
18:狸坂 
19:釣堀坂 
20:愛宕坂(男坂)
21:桂坂 
22:魚籃坂
23:日吉坂 
24:雁木坂
25:三年坂 
26:江戸見坂 
27:スペイン坂 
28:道源寺坂 
29:南部坂  
30:狸穴坂 
31:鼠坂 
32:植木坂 
33:日向坂 
34:綱坂 
35:幽霊坂 
36:いちょう坂  
37:天神坂 
38:柘榴坂 
39:氷川坂 
40:転坂
41:本氷川坂 
42:檜坂 
43:円通寺坂 
44:牛鳴坂 
45:土器坂 
46:永井坂 
47:三分坂 
48:サカス坂 
49:乃木坂 
50:けやき坂



草なぎ剛さんが走ったが目黒区の坂49箇所
1:権之助坂
2:富士見坂  ※複数あるため調査中。
3:三折坂
4:石古坂
5:金毘羅坂
6:十七が坂
7:馬喰坂
8:行人坂
9:小川坂
10:松見坂
11:相ノ坂
12:蛇坂
13:大阪
14:謡坂
15:なべころ坂
16:稲荷坂
17:けこぼ坂
18:鶯坂
19:半兵衛坂
20:鉄飛坂
21:名無し坂
22:名無し坂
23:名無し坂
24:名無し坂
25:谷畑坂
26:しどめ坂
27:太鼓坂
28:化坂
29:天神坂
30:氷川坂
31:どぜむ坂
32:柿の木坂
33:睦坂
34:名無し坂(きゅうり坂)
35:名無し坂(横抜け坂)
36:蜀江坂(しょっこうざか)
37:兵庫坂
38:寺郷の坂
39:名無し坂(ひょうたん坂)
40:名無し坂(出会い坂)
41:名無し坂(たき火坂)
42:名無し坂(水アメ坂) 
43:名無し坂(鈴音坂)
44:茶屋坂
45:新茶屋坂
46:上村坂
47:目切坂
48:新道坂
49:別所坂



いやはや、この作業なかなか疲れましたな。
やっぱりこうしてみるとまだ記事にしてない坂道もたくさんありますねえ。(汗)
もちろん、これらの中には、すでに歩いていたり、調査したけれど記事にしていないだけの坂道もあるんですけどね。

なお、これらの坂道リストは、僕自身、前に坂道リストをつくったような記憶もあるのですが、その肝心なメモがみつからないため、今回は「テンメイのRUN&BIKE」というブログの記事を参考にさせていただきましたので、確実にリストの内容があっているとは言えないところでもありますので、あしからず。



追記:このリストからのリンクは、記事を新しく書いた時は、なるべく更新するようにしたいとも思っていますのでよろしくです。

追記2:坂道リンク追加しました。(20160831)

今回は、ひと休み。
以前、取り上げた品川駅そばの柘榴坂(NO.245)を暗くなってから歩く機会があったので、その時のことでも。


品川・柘榴坂の夜散歩1
写真1

時期としては、3ヶ月ほど前にぶらりとしたのですが、この柘榴坂(NO.245)、通り沿いにホテルやらレストランが点在していて、暗い時間帯にあるいても、昼とは違った感じがでていて、楽しかったので今回取り上げてみることにしてみました。(写真1)
坂道と周辺の施設については、以前の柘榴坂(NO.245)の記事をみていただくとして、写真1は柘榴坂(NO.245)の坂上あたり、グランドプリンスホテル新高輪のレストラン棟が見えるポイントから坂上方向を見てみたものです。
昼の写真と比べてかなり雰囲気の違う場所でした。
せっかくなので、ふつうの坂道記事では、史実や風景をとりあげるだけでいっぱいっぱいなので、今回はいち風景をじっくりみてみるとですね。
まず、電柱ないんですよねこの坂道。
おかげで、レストラン棟が道路側からもきれいに見えるかもですね。
そして、道の舗装面の左側に青の矢印が見えていますが、これは自転車が通れるところですよということを示しているものだと思われます。東京以外ではどうなのかわかりませんが、都内ではこんな感じで、自転車が走るスペースが次々につくられていて、まえには自転車雑誌にもとりあげていただいたこともあり、やはり自転車を使う人は応援したいところでもありますので、坂道でこういう場所をみかけるとうれしい気分になりますかね。
しかも東京の場合(市内は除く)、大通りばかりではなく、なんてことないふつうの道でもこういう措置がとられているところも多く、僕自身自転車で、例えば神奈川県などを自転車で走った時のことを思い出してみても、やはり車がとおるだけでいっぱいいっぱいだったり、電柱をさけて通っていると、そういう時にかぎって後ろから車がきて危険な目にあったりと、なにかと気持よく走る環境に欠けていることが多いのが実情だなあと思うこともしばしばだったのです。(汗)


品川・柘榴坂の夜散歩2
写真2

ちなみにこの写真(というか今回の写真すべて)は、三脚など使わず手持ちで撮りました。(写真2)
ほんと最近のカメラはそういう面では優秀なので、これからの昼の暑い時期には、気楽で涼しい夜散歩というのも楽しいものですよ。
それはさておき、この際なので、レストラン棟のファサード部分もじっくりとみてみますかね。
いろんな要素がまざってますね。
でも最近のガラスだらけのファサードの商業ビルにみられるような明るすぎる感じでもないし、窓のバリエーションが多い割に、配置の妙というかなんかバランスがいい感じのように思いました。
なんというか、ガラス(もしくかコンクリ)張ってあとは各部のディテールみたいなたてものものよりは、通りを歩くものに対してもなにかをうったえかけてくる、そしてそのなにかをきちんと考えてくれているようなたてものがもっとあってもいいのになあと思ってみたり。
しかも坂道の傾斜具合も視覚化されていて楽しい感じ。
それで、ここの設計者はだれだったかなと復習してみると、やはりというべきか、建築家の村野藤吾さんだったのですねえ。しかもこのグランドプリンスホテル新高輪は、村野藤吾さんの晩年の代表作であり、傑作の1つとされているそうですね。
なるほどー。

そういう意味では、この柘榴坂、坂下の坂倉建築研究所が設計した高輪プリンスホテルなど、建築家の事務所が設計した大規模施設が点在している坂道でもあるのですね。


品川・柘榴坂の夜散歩3
写真3

こちらはすこし坂をのぼり、坂下方向を見たものです。(写真3)
なぜか街路樹が一本だけライトアップしていて、それが逆に印象的な感じを与えているような気もして、そこをみえるようにしてぱちりと。
こちら側からのほうが建物と坂道の高低差具合のなじませ方がわかりやすいかもですね。
しかもこの暗さのおかげで、坂下の品川駅の灯りまで見えておりましたよ。(駅名の文字看板も見えているのですが、この編集後の小さい写真では見にくいかもしれないですね。)


品川・柘榴坂の夜散歩4
写真4

場所はかわり、柘榴坂(NO.245)のすぐ南隣にあるいちょう坂(NO.244)の夜景です。(写真4)
ここもブログですでに取り上げている坂道なので、くわしいことはそちらをどうぞ。
ただ写真4のアングルは、以前のいちょう坂(NO.244)の記事ではのせていなかったのですが、夜景写真的にはなんともいい感じだったので、今回はのせてみることにしました。
ここは左側のアクアパークという水族館のあるたてもののライトアップが照明代わりにもなっていたのが印象的でした。
とにかく、夜は照明のおかげで水平垂直が強調されるので、そのあたりと坂道の対比が撮っていて歩いていておもしろいところでしたかね。

あ、そうそう、それでさっき、この坂道のことがふと気になり調べてみたら、この撮影した日は工事中だったわけですが、この数日後にリニューアルオープンと題してオープンニングセレモニーがおこなわれたみたいですね。
→『いちょう坂リニューアルオープン!』
http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/event/160328ichousaka.html/

ということは、またすこし景色が変わっているとか。。


品川・柘榴坂の夜散歩5
写真5

最後は、いちょう坂(NO.244)の途中にアクアパークへの入口もあったのでぱちりと一枚。(写真5)
いやあ、このミラーレス一眼、手ブレも少なく、よく風景をうつしてくれてうれしいですよ。(笑、ちなみにこのブログではミラーレス一眼と手ブレしやすいコンデジで撮影していることが多いです。)
それはさておき、ここは、奥の水族館へのエントランスのためか、凝ったつくりになっていて、よくみると手前と奥で高低差があり、坂道になっていたのですよ。
しかもライトアップのおかげで遠近画法のような見え方をしておりましたよ。(笑)
そういう意味ではここも変わった坂道のひとつとして記録しておきたいところではありますが、それはまた別の機会ということで。


ということで、今回はこんな感じです。

住所
港区高輪4-10あたり

今回は、六本木ヒルズけやき坂の坂下にある美術家の宮島達男さんが手がけた「カウンター・ヴォイド」なるパブリックアートが、あの東日本大震災以来5年ぶりに3.11に点灯するという話を聞き、それを見にヒルズに行ってきた時のことでも。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド1
写真1

いきなりですが、恒例の場所からぱちりと。(写真1)
六本木ヒルズけやき坂の坂下からの風景です。
しかも夜ですね。

そして、右側に白く輝いて見えているのが、「カウンター・ヴォイド」なるパブリックアートですよ。
なお、六本木ヒルズけやき坂については、日常風景や、ここの坂道がなぜできたかということも含めて取り上げている記事をいくつか書いていますので、興味あるかたはどうぞ。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド2
写真2

こちらが、「カウンター・ヴォイド」を近くで撮ってみたものです。(写真2)
ヒルズのHPに「ガラススクリーンに浮かぶデジタル数字が、人々のイマジネーションを呼び起こします。」なんてことが書かれているとおりで、なんだかこれをぼんやりと見ているだけで、いろんなことを考えてしまいました。
もちろん、あの3.11直後に消灯されてしまったことも含めて。

ちなみに、この「カウンター・ヴォイド」、あの東日本大震災以来5年ぶりに点灯ということで、写真2のように大勢の方々がこのパブリックアートを見物にきていましたよ。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド3
写真3

じゃあ、なぜ東日本大震災以来5年ぶりに点灯なのかとかそういうことは、今回のイベントの公式サイトの説明にまかせるとして、次はすこし離れた位置、坂道のほうでいえば、すこし坂を上ったあたりから、カウンター・ヴォイドを見てみました。(写真3)
こうしてみると、3.11前にもここを訪れて目の前のアート作品を見ていたとは思うのですが、ひさしぶりに、点灯されたのをみると、とにかく明るく感じてしまいましたかね。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド4
写真4

せっかくなので、もうすこし坂道を上ったあたりからです。(写真4)
恒例の東京タワーが坂の向こうに見えているポイントで、左側にはわずかにカウンター・ヴォイドも見えていたりします。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド5
写真5

そして、ここからはいつもの坂道風景ですかね(笑)。(写真5)
この時期は、桜の開花までには時間もあり、ライトアップイベントも終わった後なのでほんとうになんてことないけやき坂の夜の日常風景という感じでした。


六本木ヒルズけやき坂のカウンター・ヴォイド6
写真6

そんなこんなで、最後も恒例の六本木ヒルズけやき坂の鑑賞ポイントにてぱちりと(笑)。(写真6)
さすがにここからだと、写真でもそう見えていますけど、カウンター・ヴォイドはほとんど見えなかったですね。。
ただ、坂道上のけやきが枝だけなので、緑が多い時よりは見通しはよかったですが。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
港区六本木6

ちょっと最近、更新が遅れていたので、今回はさらりとです。

気がつけば1ヶ月ちょっと前になってしまったのですが、増上寺にてデザインイベントがやっていたので、そのついでに散歩した時のことです。


芝公園の階段の夜をぶらり1
写真1

まずはこちらから。(写真1)
写真1は、増上寺境内で撮ったものです。
よくみると奥のほうの階段に挟まれた場所がかなり明るいですが、その奥で「Any Tokyo」なるイベントがやっていたのですよ。
ただここまで書いておいて、デザインイベントのことについては、触れませんけど(汗)、今回のポイントはこの風景なのですよ。
なかなかインパクトあっておもしろいですよね。
たしか昨年も、ここからpen君で写真撮っておいたと思うんですが、ブログにはあげてなかったようなので、今回あらためてです。


芝公園の階段の夜をぶらり2
写真2

次ですが、こちらは芝公園内にあった階段です。(写真2)
最近、このブログでもとりあげた芝公園ですが、例の平和の灯のあたりからのタワーを眺めようと思い、芝公園のほうに歩いていたら、あったのですよ。(汗)
これまではたいてい、増上寺に訪れたら、次は東京タワー→六本木(界隈の坂道)という感じで歩くことが多かったので、まったくのノーマークでした。。
写真2は、手持ち撮影のため、ちょっとぶれていますけど(というか三脚立てて撮ってたら怒られそうな場所かもですが)、丁寧にライトアップされた階段に東京タワーと、ここにもし椅子があったらけっこうな時間ぼんやりできそうな風景が広がっていました。
ちなみにこの階段、地形的には人工物なのか自然発生ものなのかは、わかりませんでしたが、階段のあるエリアの南西側には、これまた前に取り上げた芝丸山古墳があるので、それとの関わり次第の判断ということで、今回はスルーしておくことにしますね。


芝公園の階段の夜をぶらり3
写真3

実はですね。写真2の背後には、こんな感じで立派な門があったのですよ。(写真3)
有章院霊廟二天門なるものらしく、有章院霊廟の総門とのこと。
この門、現在は手入れされていてきれいなので気がつきにくいですが、けっこう古くからあるみたいで、有章院(7代将軍、徳川家継[宝永6 年(1709年)〜享保元年(1716年)])の有章院霊廟に8代将軍徳川吉宗が享保 2年(1717年)に建立したものだそうですよ。(参考HP:http://4travel.jp/travelogue/10618751
(とりあえず、いつか機会ができたら昼に再度訪問して、きちんと写真も撮っておきたいと思いますが、今回は階段メインということで、このアングルでご勘弁を。)

ということは、この奥を今回歩いた感じでは、芝公園の公園らしい広場があるだけでしたので、かつてこの奥に有章院霊廟があったということでいいんですかね。(というか、これ書いてからリンクしたHPをしっかり読んでみると、どうやら有章院霊廟は、今の東京プリンスホテルの大きな駐車場あたりにあったとありますね。なのであとは広さとの関係になりますかね。)
そうすると、この階段は霊廟にいくための階段を復元したものとか(これもHP見るとそんな感じのものは見当たらないので、妄想ですが・・・)。
なので、このことについてもきちんと調べればわかることだと思いますので、こちらも今後の宿題ということで。。

ちなみに、左右に怖そうにたっている方々は、仏法守護の役目を持つ広目天と多聞天だそうです。(参考HP:http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col091004.htm


芝公園の階段の夜をぶらり4
写真4

そして、最後は階段上からの夜景でも。(写真4)
なかなかの高低差でありましたよ。
しかも奥の明るくひかるビルとのコントラストもすごいですね。。
こうしてみると、やはりこの階段は坂下の門に敬意をはらったつくりをしているようにみえるのですがどうでしょうかね。



ということで、今回も軽く流そうと書き始めたのですが、思いのほか歴史にあふれた場所だったこともあり、いつもの感じになってしまいましたが、今回はこんな感じです。


地図
東京都港区芝公園4-8

前回の記事(とある街の風景243(東京タワーと平和の灯))で取り上げた芝公園を歩いた時には、他のところもまわったので、その時のことでも。


芝丸山古墳界隈の高低差1
写真1

芝公園内の南側には、こんな場所もあったのですよ。(写真1)
いかにも公園という場所からすこし奥のほうに階段があったので、そこを上っていくと、ここにくるのですが、この奥にはなんと写真1の石碑にも記してあるとおり芝丸山古墳という名の古墳があったのですよ。
とにかく行った時は人もいなくて静かな場所というほかなく、ここが東京タワーの近くの場所いうのが信じられないくらいでした。
しかも、この山道のような荒々しい雰囲気にもかなりびっくり。
ただ、これは、これまでの過去の散歩途中に出会った古墳についても、とりたてて整備などが施されてないパターンが多かったので、ここも昔からある古墳を大事にして、そのままの状態で残した結果が、目の前にあるものなのかもしれないですね。
そういう意味では、ここの古墳はかなり規模の大きいものなのかもしれないですが、古墳についてはあまり詳しくないので、ここでは、wikipediaの芝丸山古墳のページでもリンクしておきますので、そちらで確認でもしてくださいな。(と書きつつひとこと加えておくとですね、写真1に写っている案内板には、都内最大級の規模で標高約16mとありましたので、やっぱりかなりの規模の古墳なのですよ。)


芝丸山古墳界隈の高低差2
写真2

そして、こちらが、写真1の真ん中あたりに見えていた階段ですね。(写真2)
ここから古墳の頂部に向かってかなりの高低差具合の階段になっていました。
こうしてみると、場所柄なんか色々と想像をかき立てられる階段だったかもです。


芝丸山古墳界隈の高低差3
写真3

階段をのぼり、うんたらよっこいしょという感じで、歩いていると、古墳の頂部にやってくるのですが、こちらは、そこにあったものですね。(写真3)
近づいて調べてみると、伊能忠敬記念碑なるものでしたよ。
なぜこんなところに?という感じでしたし、帰ってから軽くネットで調べてみてもよくわからなかったので、またそのうち詳しく調べるということで、今回は軽くスルーです。(汗)


芝丸山古墳界隈の高低差4
写真4

ちなみに、写真3の石碑からの眺めがこちらです。(写真4)
まわりはちょっとした広場になっていて、写真4は南側(写真3の背後)を眺めているものなので、奥のほうに行くと、さっきでてきた階段の坂上あたりとぶつかるという感じですかね。
あとは、手前の小さな石に囲まれた大石も見えていますが、これがなにかは不明です。(笑)


芝丸山古墳界隈の高低差5
写真5

せっかくなので、気になったものでも。(写真5)
写真2の階段を上りきったあたりにあったのですよ。
なかなか珍しい形をしていて、しかもなぜこんなところに感があったので、思わずぱちりと。(笑)


芝丸山古墳界隈の高低差6
写真6

こちらは、古墳の南側エリアにも階段があったので、試しに歩いてみたときに、坂下方向を見たものです。(写真6)
ちょっとわかりにくいですが、奥のほうの道路(車が見えているあたりです)とかなりの高低差があったんですよ。
しかも坂道的にもなかなか良い感じ。


芝丸山古墳界隈の高低差7
写真7

そして、最後は芝丸山古墳と東京タワーが一緒にみえるポイントでぱちりと。(写真7)
こちらもわかりにくいですが(それもそのはずで、これは古墳に行く前に撮ったものですので、かなり偶然なアングルなのですよ)、左側の奥のほうに樹々に覆われた小山が見えていますが、それが古墳部分ですね。
なので、これを見ると、さきほど、案内板に、都内最大級の規模で標高約16m(建物でいえば5階分くらいの高低差)とあると書きましたが、なんとなく大きさ具合が実感できるのではないですかね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
東京都港区芝公園4-8-25

最近は、記事のボリュームが多くなってきていて、更新が遅れがちだったこともあり、今回はさらりとです。


東京タワーと平和の灯1
写真1

いきなりですが、ひさびさの東京タワーの写真でも。
場所は、すこし想像できるかもしれませんが、増上寺の南側にある芝公園からのタワーです。
写真のとおりですが、ここからなら、かなりいいアングルで、しかもじっくりと東京タワーを眺めることができたのですよ。(汗)
ちょっと家からは遠いですが、代々木公園と同じく、これからはタイミングがあえば、定点観測でもできればなあと思いながら当日は歩いておりましたよ。
ただ、ひとつ問題なのは、この公園の場所とタワーの関係が、ちょうど太陽光線の方向にカメラを向ける感じになりそうなので、これ撮ったのは夕方だったのですが、昼間の撮影は逆光でけっこう厳しいのかなあと思ってみたり。(これもやってみないとわからないですが。。)

ちなみに、この芝公園、当日はなんか新しい感じだなあと思ったのですが、今書きながら調べてみると、1873年(明治6年)にできた公園らしく、都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園とのことみたいですね。
しかもwikipediaによると、かつてこの地は飯倉御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園だったそうですよ。


東京タワーと平和の灯2
写真2

こちらは、園内をぶらぶらしていたら、「平和の灯」なる場所があったので、そこからタワーとあわせてぱちりと一枚。
実は、散歩したのは7月のおわりだったこともあり、本当は8月中のタイムリーな時期に、記事を書いておけばよかったのかもしれませんが、ここは「平和の灯」という名前のとおり、下のほうに写っているランプシェードのような容器の中では火が灯っていて、この火は、港区の公式HPによると、『広島市の「平和の灯(ともしび)」、福岡県八女市の「平和の火」、長崎市の「ナガサキ誓いの火」をあわせたもの』だそうです。
なんだか唐突にあってびっくりしたのですが、この場所は港区が「港区平和都市宣言」を行ってから20年後が経ったということを記念して2005年8月15日にできたそうですよ。
しかも、この場所の説明が記された案内版が、ちょうどタワーを眺めながら見れる位置(要は写真2の立っている場所のそば)にあり、そういう意味では、これを考えた人(設置した人)も、目の前に見えている東京タワーについても平和のシンボルとしてみていたのかなあと、深読みをしてしまったのですが、どうなんでしょうかね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
港区芝公園4-8

タイトルそのままですね。
今回は、2015年8月31日をもって建て替えのために閉館してしまったホテルオークラ東京の本館についてのことについて取り上げてみたいと思っています。
ただこのブログではやはり、建物自体というよりは、せっかくまわりに著名な坂道たちに囲まれた場所でもあるとおり、高低差にめぐまれた立地にあることから、他の方とはちょっと違った視点でもあり、このブログでは定番の視点で振り返ってみたいと思います。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる1
写真1

まずはこちらから。(写真1)
ホテルの北側にはこんな具合に広々とした場所があるのですよ。
撮影した時期は、ホテルの建て替えのニュースが流れ始めた頃に、直前になるとマークが厳くなるかもと思い、昨年の11月のなかばに散歩してきたものでありまして、この時点では、ホテルが閉館になったらブログにアップしようと思いながら歩き、こっそり撮影していました。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる2
写真2

写真1のうしろには、若干傾斜しているように見える道路が接しているのですが、実はここ、汐見坂なんですよ。(写真2)
ちなみにこの坂は、前にこのブログでも取り上げてますのでよかったらどうぞ。
→ 汐見坂 (NO.118) 


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる3
写真3

そして、肝心の坂道がここですよ。(写真3)
場所的には、写真1の右側のスロープを奥へすこし歩くとここにやってきます。
要は、写真1の側から入る側とは別の場所から入ってきた車が通る場所なのですが、現地で歩いていると、目の前の高低差具合と左に見えているオークラの外観が一緒に鑑賞できてかなり楽しかったです。
しかも、手前と奥の高低差具合もオークラの外観をみると、一発でわかりますよね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる4
写真4

すこし坂を上ってみて、坂上方向を見てみました。(写真4)
坂は右に曲がる形で、まだ上っているようでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる5
写真5

いちおう、写真4とだいたい同じ位置より、坂下方向も見てみました。(写真5)
まだまだ坂下あたりという感じですかね。
ただ奥の道もスロープになっていることから、写真1の場所と比べると建物1階分くらいの高低差はある場所ということになります。



ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる6
写真6

あと、写真5の左側には、こんな場所がありました。(写真6)
通常は、こういうところまでは気にして撮影しないのですが、さすがに見納めかもと思うと、やはり撮らずにはいられませんでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる7
写真7

奥を覗くと、これまたかなりの高低差の階段が。。(写真7)
見た感じ建物1階分以上の高低差がありそうですね。
この道路の下にも、オークラのなんらかの施設があるということですかね。
ということは、取り壊しの際は、やはり今回取り上げた坂道も無くなってしまう可能性が高いということなのかも。。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる8
写真8

坂道にもどりまして、さらに坂を上り、坂上方向をみてみました。(写真8)
この位置から坂道をみると、カーブしながら上る感じとか建物の関係とかが面白いですね。
やはりこの写真も通常なら、写真4でまとめて説明をすませてしまうところなのですが、見納めということで今回は載せてみたのですが、坂道の曲がり具合とか坂道と建物の関係部分なども含めてあらためてじっくりと写真で見るとかなり良い感じですね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる9
写真9

せっかくなので、写真8の位置からの坂下方向の景色なども。(写真9)
こうしてみると、坂道はもちろん、右側のオークラの外観の庇の飛び出し具合が比べられて、これはこれでまた楽しい写真なのかも。(そして、そういう視点で、写真3とか写真4を見直してみると、これまた感慨深いですね。)


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる10
写真10

そして、もうすこし坂を上り、坂下方向を眺めてみたものです。(写真10)
もうこれは、個人的には絵はがきにしたいくらいのものかもですよ。(今、思えば、三脚たててきちんとここから撮っておいてもよかったかもと後悔しておりますが。。)
こうしてみるとオークラの外観ておもしろいですね。(もちろん坂道との関係もです。)


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる11
写真11

次は、写真10とだいたい同じ位置より、坂上方向を見てみたものです。(写真11)
さっきまでと同じくかなりの急勾配の坂道でした。
ここからのも坂道景色的にはおもしろいかもですね。
ちなみに奥に見えている高層ビルは、ANAインターコンチネンタルホテルのようですね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる12
写真12

さらに坂を上り、坂下方向を見てみました。(写真12)
こうしてみると右側の擁壁のようにみえていたものもオークラの施設の一部だったということがわかりやすいかもですし、高低差具合もしかりという感じ。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる13
写真13

こちらは、写真12の左のほうに見えていた車が止まっていた砂利の駐車場からのホテルオークラの外観です。(写真13)
今回の坂道散歩では、坂道景色と同様に、いかにオークラの建物もいい位置で見れる(撮れる)かも気にしながら歩いていたのですよ。
ただこの位置からだと、太陽光のおかげで、ファサードがこれまで見てきたような色とりどりな変化のある感じとは違い、あまり変化のない(のっぺりとした)ように見えていたのはおもしろい発見だったかも。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる14
写真14

再び坂道にもどりまして、さらに坂を上ってみました。(写真14)
こんなところで車が駐車するのかとも思いましたが、地面には「駐停車禁止」という表示が書いてありました。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる15
写真15

そんなこんなで、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみました。(写真15)
もうここまでくると、途中、いろいろと景色的にも楽しめるポイントが多くあったためか、坂下ははるか下という感じでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる16
写真16

ちなみに写真15の右側にはこんな景色が広がっていたのいたのですよ。(写真16)
坂道好きなら知っている方も多いとは思いますが、右に見えている道路は霊南坂の坂上あたりなのです。
こちらも過去にブログなどで、坂道を取り上げてますので、気になる方はどうぞ。
→ 霊南坂 (NO.117) 
→ アメリカ大使館と霊南坂
なので、今回の無名坂(そう、ここでいきなり登場しましたが、ここは名前のない坂道なのです)も実は霊南坂と同じ高低差具合のはずなので、そのあたりのことも想像しながら歩ければ最高ですが、そうもいかなそうなので、過去のブログ記事を見ながら、今回の無名坂と比べてもらえれば、違った感覚が味わえるかもですね。


ということで、これから取り壊されてしまうであろうホテルオークラ本館(特に内部)についてはいろんな方々が独自の視点で書かれているものも多々ありますので、そちらをみていただくことにして、今回の坂道散歩は長々となってしまいましたがこんな感じです。



住所
東京都港区虎ノ門2-10-1

時間があまりに過ぎてしまうのもなんですので、今回は、六本木アートナイトというアート系のイベントが六本木界隈で先月開催された時に、あわせて散歩してみた坂道の話でも。


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと1
写真1

いきなりですが、こちらから。(写真1)
右側に、国立新美術館の外観がちらりと見えているとおり、国立新美術館の施設内で撮ったものです。
なんとなく平坦なイメージのある場所なのですが、実は写真1のとおり、正門側から西門側に向かう途中は坂道になっているのですよ。
しかも、国立新美術館は通常は18時までで、週末に20時まで開いていることもあるみたいですけど、今回、撮影した時間は23時を超えていたので、こんな時間にこの坂道を撮影できることはまずないので、とりあえずきてみたわけなのです。(なので右側の本館の灯りも見えていますよね。普通ならこんなに明るくないはずなので。)
そして、今回は、その坂道の途中にTim van Cromvoirt + Marleen Maathuisさんらによる「Bloom」という機械彫刻作品が、街なかインスタレーションとして展示されていました。
作品については、詳しく解説しませんけど、坂の途中にぽつねんと人工の花が自然の樹々と共演しているという感じだったかもです。


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと2
写真2

次はもうすこし坂を下り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
実はこの時間でも人がけっこう、この坂道を歩いていたのですが、なんとかすき間をみて、ぱちりと。(でも人はいましたけど。。)
ちなみに、この写真だけ、手持ちで撮影していますのであしからず。(他の写真はすべてミニ三脚をこっそり使っていたりしますが。。)


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと3
写真3

そして、坂下までやってきてですね・・・。(写真3)
地面にミニ三脚置いて撮影してみたのがこちらです。
すぐそばは出入口で近くに警備員の人もいたのですけど、今回はアートナイト期間中で、しかも坂の途中に作品があるということで、こんな時間にこんなところで怪しげにカメラを地面に置いて撮影していても怒られませんでしたよ。
なので、これこそ、アートナイトのおかげで撮影できた坂道夜景写真かもですな。(笑)


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと4
写真4

あと、国立新美術館の正門近くの場所からヒルズが見え、しかも、おそらくイングレス関連の空に延びるライトアップが見えたのでぱちりと一枚。(写真4)
ただ僕自身はイングレスをまだやったことないので、詳しい意味はよくわかりませんでしたが。。(汗)


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと5
写真5

それから、場所を変えてもう一枚。(写真5)
ここは、六本木ヒルズ内にあるさくら坂で、坂の途中にさくら坂公園(またはロボロボ公園)があるのですが、そこでも中崎透さんによる「Sign for public art」という作品がインスタレーションとして展示されていました。
まあこちらも遠目からだとわかりにくいですが、人が集まっているあたりがさくら坂公園で、しかもこれが夜中の24時前の坂道風景だといえば、まあ明らかに変だなくらいはわかるんじゃないでしょうかね。


夜中の国立新美術館とさくら坂をぶらりと6
写真6

最後は、「Sign for public art」の近くによって、みたものです。(写真6)
写真5ではぴかぴか光っていてわかりにくかったですが、こんな感じで展示されていたのですよ。


ということで、六本木アートナイト開催中には他にもたくさん写真を撮ったのですが、それをしてるときりがないですし、説明もたいへんですので、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木あたり(ざっくりです)

気がつけば、すこし前のことになりましたが、六本木ヒルズのさくら坂をぶらりとしてきましたので、ひさしぶりにさくら坂界隈の話でも。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔1
写真1

いきなりですが、そのときに坂の様子を撮ってみたのがこちらです。(写真1)
坂上あたりから、坂下方向を眺めてみたものですよ。
さすがに、もうこのあたりは六本木ヒルズがなくならない限りは、今の坂道景色が続いていくのだろうなあと思いつつ。
ちなみにこのさくら坂は、2007年に「さくら坂 (NO.77) /港区六本木6丁目」の記事で取り上げていまして、今みると、撮影した時間が夕方だったこともあり、カメラのISOの感度との兼ね合いもあってか微妙なノイズが混ざっていて、なんとも昔のいい思い出といった感じですが(汗)、やはり7年経った今でもほとんど坂道景色に変化がないことだけは確認できるかもですね。

また、この坂のあったあたりは、実は埋め立て地でもあるのですよ。
とりあえず、こちらも7年前に書いた「玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) /港区六本木6丁目」の記事をみてもらうとすこしくらいはわかるかもですが、今のさくら坂の下にかつて街があり、そこに玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) という坂道もあったという話です。

あと、その後の調査で、「六本木六丁目残影」という本にも、当時の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の写真が載っていたことがわかったのですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔2
画像1(「六本木六丁目残景」より拝借)

それがこちらですね。(画像1)
図書館で該当ページだけコピーしたので白黒画像ですが、当時の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂の途中からの様子を記録したもののようでした。
いまは、写真1で紹介したさくら坂 (NO.77)の道路の下にこの風景がそのまま埋まっているのかもしれないですね。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔3
画像2(「六本木六丁目残景」より拝借)

あと、本には数枚ほどの坂の写真がありましたが、その中で気になった画像をもう一枚。(画像2)
なんかこの画像だけみると白黒なのでおどろおどろしい感じですけど、こちらも玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂下あたりの写真らしいです。
また坂を上った上(画像2でいえば、左上に上がっていく坂の上)にさくら坂 (NO.77) の記事でもでてきた妙経寺なるお寺があるとのことが本に書かれてありました。
ただ、この当時の妙経寺の場所は、今のお寺のある場所とはすこし違っているのですけどね。
そして、これも同じく、この風景というか地形がいまのさくら坂 (NO.77)の道路の下にそのまま埋まっているのかもしれないのですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔4
写真2

と、そんなことをこの日、さくら坂 (NO.77) を歩いていて、思い出したので、かつての玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)界隈の地形の痕跡がそのまま残っている場所にも来てみました。(写真2)
この場所は、2011年に書いた「六本木ヒルズの消えた階段」や「六本木ヒルズの階段から古地図見比べ」のブログ記事でも登場した場所です。
これらの記事は、2007年に「玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) /港区六本木6丁目」の記事のため歩いた時に、当時、なんとなくもやもやとしていたことが、その数年後に放送されたブラタモリでこの場所が取り上げられて、一気に解消したのを機に取材してみたものでもあるのですよ。
詳しいことは「六本木ヒルズの消えた階段」と「六本木ヒルズの階段から古地図見比べ」の記事を読んでもらうとして、とにかく、写真2の中央に見えている階段が、ずんずんと続いていて、今は埋まってしまってみえないですけど、玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂下あたりまで下り、合流しているというわけだったのです。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔5
1999年の地図

こちらは、1999年の今の六本木ヒルズのある場所と同じ位置を記録しているゼンリンの住宅地図(要はヒルズができる前の地図です)が図書館にあったので拝借してみました。
前に玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)や写真2の階段を取り上げた時は、航空写真だけでしたけど、こうして詳細な住宅地図を眺めてみると、地図には玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)という記載もあるし、写真2に写っている階段とその左に写っているビルもそのまま地図に記載されていましたよ。(地図の水色に塗っているところが該当箇所です。ニッカ池は違いますけど。)
ちなみに水色でマークした現在の消えてしまった階段の左側には、さきほどふれた開発前の妙経寺の記載もあり(この地図ではわかりにくいですが、お寺のマークが見えていますよね。というかわざと粗くしてみにくくしているのですが・・)、この地図と画像2を比べてみてもなんとなく、画像2がどの位置で撮られたものかが想像できるかもですね。
また同じく、古地図(1999年ですが・・)と画像1と2を見比べてみると、画像1についてもなんとなく撮影場所が想像できてしまい、僕の予想では画像2の坂上側(画像2の右上あたり)からすこし坂を上ったあたりから坂上方向に撮ってみたのが画像1ではないかと思っているのですが、どうでしょうかね。

あとは、江戸東京坂道事典の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂の説明を再度抜粋させていただきまして、
『藪下に下りる坂なので藪下坂ともいった。六本木六丁目四番と十五番の間をテレビ朝日通り桜田神社前から南東、日々窪へ下る狭い急坂で、坂の南側に日蓮宗妙経寺がある。』
という、この文と1999年の地図と見比べながら、地図を追っていくとかなり興味深いですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔6
写真3

最後は余談ですが、同日、さくら坂 (NO.77)をそんなセンチな気分で歩いた後に、ヒルズのイベント広場にいくと、なんとあのパトレイバーにでてきたイングラム立像が持ち込まれておりましたよ。(写真3)
いやはや。(二重のセンチ。)

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木6-16あたり

一昨日の10月1日に東京タワー付近を歩いていると、なにやらタワーがピンク色にライトアップされていたので、近くまで行って見てきましたよ。
(そして今回もpenを鞄にいれていたので、そちらで撮影してみました。というか今後アップする写真は、ひとこと無い限りはpenでの撮影になりますのであしからず。)


ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道1
写真1

まず地図ではタワー下と記されている場所から、ぱちりと一枚。(写真1)
見てのとおりですが、この日の東京タワーはピンク色になっていました。
ただこのライトアップ、どうやらピンクリボンキャンペーンの一環としておこなわれたものらしく、期間限定のライトアップとのことみたいです。
ちなみに、ピンクリボンキャンペーンとは、乳がんの知識啓発活動の一環として毎年行われているキャンペーンとのこと。
(こちらのニュースにて当日のキャンペーンの簡単な説明がありましたので、気になる方はどうぞ
→『東京タワー、都庁などがピンク色に〜「ピンクリボン」イルミネーション各地で』
http://www.oricon.co.jp/news/2042833/full/ 

また、この場所ですが、見ての通り、タワーに向かって坂道になっている場所で、このブログでも「富士見坂 (NO.2)」としてとりあげた坂道だったりしますので、昼間の様子と比べてみるのもなかなかおもしろいかもです。
あと、この坂道はあとで出てくる「富士見坂 (NO.2)その2」での話のとおり、富士見坂と呼んでいいのかは、さらに詳しい調査が必要になりそうですかね。


ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道2
写真2

さらにタワー下まできてみました。(写真2)
実はここも、「富士見坂 (NO.2)その2」で取り上げた場所で、写真2は「富士見坂 (NO.2)その2」の写真でも記録した坂上のお堂の横で静粛な気持ちのもと(汗)、撮影したものなのですよ。。
だからというわけではないですが、タワーのまわりになにやらオーラのようなものが。。
(というのは半分冗談ですが、なぜこんな現象がおきたのかは、このカメラ(pen)の機能や特性のことについてはまだ不慣れなのでよくわかりませんので、知ってる方いたら教えてください。)


ピンクリボンライトアップ@東京タワーと坂道3
写真3

最後は、タワーの西側(桜田通り側)までやってきて、坂道とともにピンク色にライトアップされた東京タワーを眺めてみました。(写真3)
そして、ここも前にブログで取り上げており、「永井坂(榎坂?) (NO.55)」という坂名がつけられている場所なのですよ。


住所
港区芝公園4-3(および3-5)あたり。

以前から、国立新美術館を訪れるたびに撮らねば、歩かねばと思っていた坂道をやっと取材してきましたので、そのときのことでも。


国立新美術館前の坂道1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
ちょっと前になりますが、行ってきましたよ。
もちろんこの坂道は、無名坂なのですが、写真にも遠目に六本木ヒルズのあの銀の高層棟が見えているとおり、国立新美術館から六本木ヒルズへ向かう際に、ここを通ればかなりの近道となる坂道だったりします。
坂道自体も、ここから見ると、けっこうな高低差のある場所に加えて道路自体もいい感じでカーブしているので、ふらりと歩く分にはなかなか気分の良い場所です。


国立新美術館前の坂道2
写真2

写真1の右側をちらりとみると、写真2のように、国立新美術館が見えていました。
国立新美術館については、このブログでもたまに取り上げてますので、気になるかたは、サイドバーの東京坂道さんぽ内検索で”国立新美術館”と入力でもしてみて見てくださいな。


国立新美術館前の坂道3
写真3

坂を下り、道がちょうどカーブしているあたりまでやってきて、坂下のほうを見てみました。(写真3)
けっこうなカーブ具合でしたよ。
あと、左側の雑居ビルと駐車場という風景が都心部のどこにでもありそうな感じですが、ちょっと右側を見てみるとですね。


国立新美術館前の坂道4
写真4

こんな具合に、研究政策大学院大学なる学校の立派な校舎が見えていました。(写真4)


国立新美術館前の坂道5
写真5

さらに坂を下り、今度は坂上のほうを見てみました。(写真5)
同じ坂道上とは思えないほど、目の前に見える建物が新しいものだらけでした。
それにしても、この写真3といい5といい、道の上空にだらんとぶら下がる電線を見ているとですね、アニメのパトレイバーなんかにでてくるそれなりに大きいロボットが作中ではふつうに街を歩いているシーンが描かれてますけど、実は都内にもこういう電線が上空を無造作に横切っている場所がけっこうあって、今のままで将来そういうロボットの世界になったとすれば、けっこう大変なことになるのではと、意味も無く妄想してみたり。。


国立新美術館前の坂道6
写真6

最後は、坂下あたりの風景です。
このあたりまでくると、道の傾斜もほとんどなくなっていました。
ちなみに道路の奥のほうにみえている橋は、このあたりの地形の凹凸の場所に高低差のほとんどない道路を通すために造られた橋のようですね。
なので、写真6でいえば、左右がすこし高くて、この道路部分だけ下がっている地形という感じになるのですかね。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
港区六本木7丁目あたり

気がつけばすこし前のことになってしまいましたが、FUNRIDEというスポーツ自転車専門誌の「自転車でめぐる 知りたがりツアーズ」という巻末のコーナーにて、僕が都内の坂道を紹介するガイド役として登場したことは、前にブログでお知らせしましたが、その取材日に、この坂道ブログでもすでにまわっている港区は広尾駅近くにある青木坂 (NO.8)に訪れてみるとですね、まったく景色が変わっていたんですよ。
このことは、雑誌の記事のほうでも取り上げられてはいますけど。


すっかり変わった青木坂1
写真1

取材の合間に、僕のほうでも坂道風景を撮っておいたのがこちらです。(写真1)
天気もよかったので、実にさわやかな感じでしたよ。
ただ、この坂道、はじめにふれたとおり2005年に「青木坂 (NO.8)」でとりあげていまして、その3枚目の坂上からの写真と比べてもらうと、その景色の変わり具合がわかりやすいかもです。
ちなみこの青木坂(NO.8)、昔の記事でも触れているとおり、別名で富士見坂と呼ばれているとおり、かつては坂の途中から富士山が見えたようです。
ただ、2005年当時のこの坂道の様子からすると、両側の立派な擁壁と狭めの道幅もあってかなんとなく薄暗く、その雰囲気がまったくなかったのですが、現在の青木坂(NO.8)は、明るく健康的な感じで、これなら今でも見えそうじゃないのかな?と勘違いしそうなほどに変化してしまったのかもと思ってみたり。


すっかり変わった青木坂2
グーグルのストリートビュー

いちおう、この坂道は、グーグルのストリートビューでも確認できるわけですが、なんと現在のバージョンでは、写真1の左側(フランス大使館側)がまだ昔の擁壁のままなんですよ。
撮影時期も記載されていて、2009年11月頃とありますね。
なので、このあと、青木坂 (NO.8)は、左側の擁壁は壊され、道も舗装も含めてきれいに直されて(余談ですがストリートビューの道の舗装具合をみると昔のは工事のつぎたしがすさまじいですね)いったようですね。
あと、右側の工事案内の看板に、みえにくいかもですが『青木坂にて11月24日通行止めにて工事を行います。』と、青木坂 (NO.8)のことをちゃんと記載してくれていて、それがなんか嬉しいというか新鮮というか。


すっかり変わった青木坂3
写真2

そして、最後は、こちらもどうやら新しくなったようにみえる坂の碑をぱちりと一枚。(写真2)

ということで、今回は取材の合間だったこともあり、写真をちゃんと撮れなかったので、さらりとこんな感じですが、またそのうち青木坂 (NO.8)をきちんと取材できたらなあとも考えていますし、この坂道のようにまわりの建物のあまりのかわりようからも、いつも記事の最後に載せている地図のほうもグーグルへのリンクだけではなく、スクリーンショットで地図自体を残すことも考える時期なのかなあと思ったりもしました。


住所
港区南麻布4-10

引き続きお台場の話です。

2006年に、とある街の風景106(海にむかう広場)の記事で、フジテレビのすぐそばにある海にむかう広場のことを取り上げたのですが、この時は広場からの景色に注目していたみたいですね。
なので今回は、ブログで取り上げるのは8年ぶりということになりますが、すこし視点を変えて見てみたいと思います。


お台場の海にむかう広場と階段1
写真1

海にむかう広場から、お台場海浜公園(要は砂浜ですね)に降りる階段をこの角度から見ると、すっぽりといい感じで階段上の展望歩道橋の抜けスペースにフジテレビの建物が入ってしまいましたよ。(写真1)
しかも、この階段のまわりにも地面の土が見えてますね。(地形ですね。)
ということは、階段上にある海にむかう広場も、これ見るまでは人工地盤の上につくられた場所かと思っていたんですけど、実は違うのかもしれないですね。


お台場の海にむかう広場と階段2
写真2

いちおう、階段下からも見てみました。(写真2)
こんな季節になってきたこともあり、上り下りする女性もスカート(しかも短い!)はいている人も多くて、さらにこの勾配具合ということで、撮影にはかなりの注意を要しましたよ。(汗)


お台場の海にむかう広場と階段3
写真3

あとは、近くの砂浜のほうも歩いてみたのですが、前からあったのか、船のあの大きなイカリが、オブジェのように置かれていました。(写真3)
ていうか、このイカリの数は、尋常じゃないので事故とこかではなくオブジェ扱いだとは思いますけどね。


お台場の海にむかう広場と階段4
写真4

今度は階段上からの景色など。(写真4)
まさにお台場の風景を象徴するものが、たくさんまわりに広がっているといえばいいんですかね。
でもやっぱり、これだけお台場のまわりのものをいろいろ見てから再びここにくると、昔とはなにか違う風景に感じてしまいました。


お台場の海にむかう広場と階段5
写真5

おまけですが、写真4の階段上から、海とは逆方向に歩き、ゆりかもめの線路の下を抜けると、道のむこうにこれまた意味ありげに門のようなつくりの高層ビルが建っていましたよ。(写真5)
こんなのあったんですねえ。
いちおうさらりと検索してみると、正面のビルはテレコムセンターというビルらしく、1995年竣工とのこと。
ということは2006年にブログで取り上げたときにはすでにあったということなので、当時も今と同じように見ていたのにスルーしていたのか、それとも前はこんな感じでは見えていなかったのか。。
どちらなんでしょうかね。


お台場の海にむかう広場と階段6
写真6

あと、すぐ横には、フジテレビのあの大階段がちょうど見えていましたよ。(写真6)
ちなみに、この大階段のことは、過去記事の、とある街の風景183(フジテレビの大階段)でも取り上げてますので、興味あるかたはどうぞ。



住所
港区台場1-8-1

そうそう、4月のことですけど、前のアークヒルズの桜見物のついでにここにも寄ったんですよ。
ブログでは、長垂坂 (NO.113)として2007年に取り上げた坂をですね。


長垂坂 、今昔1
写真1

とにかく、桜見物のあと、六本木通りをふらりと歩いていたら、あ、そういえばと思い出して、この坂にきてみたら、なんとこんな景色が広がっていたんですよ。(写真1)
坂の左側の家々がきれいになくなっとりました。。
(ただもう2ヶ月前の写真ですので、今はもうすこしなんか建設されているかもですが。)


長垂坂 、今昔2
写真2

せっかくなので、坂の碑をアップに、パチリと一枚。
しかも、このアングルからだと、東京タワーの上のほうが、なにげにちらりと見えていたりもしました。


長垂坂 、今昔3
写真3

そして、坂の途中から、北東側(アークヒルズ方向ですね)をみると、うわさどおり、かつての六本木プリンスホテル(なくなる直前はヴィラフォンテーヌでしたかね。設計は黒川記章さんだったのですよ。要は、前の長垂坂 (NO.113)の記事の2枚目に写っている建物ですね。)もなくなっていましたよ。。(写真3)
なんていうか、こういう隠れた名品をいとも簡単に壊してしまう感覚にちょっと不安を覚えてしまっている今日この頃なので、この場所でもちょっと寂しい気持ちになってしまいましたかね。


長垂坂 、今昔4
写真4

そして、再び長垂坂に戻りまして、坂をかなりのポイントまで一望できる場所から坂上方向をみてみました。(写真4)
2007年の工事前の風景と比べると、別世界のようですね。
そして、新しい施設ができたら、道路と敷地の境界の雰囲気も、外構などの関係で再び変わってしまうんでしょうね。


長垂坂 、今昔5
写真5

さらに坂を上り、坂上あたりまでやってきてみると、なにか坂の風景を威圧(もしくは監視)するかのように、仮設なのに畏怖堂々としたなんかすごいつくりの工事司令室(現場事務所ですね)が、建っておりましたよ。。

ということで、今回はさらりとこんな感じですが、ほんとこの坂道は今後、どういう方向に行ってしまうのか、歩いていてちょっと心配になってしまった坂道散歩だったかもです。


住所
港区六本木3

今回は、2006年に初散歩して、その後、隣接した場所が工事中だった頃のことも「とある街の風景(道源寺坂&行合坂)」にて取り上げたりした道源寺坂 (NO.67) なのですが、こちらのほう隣接していた大規模ビル、アークヒルズサウスタワーが昨年ついに完成したようで、今回、桜見物のついでに歩いてみると坂の景色にもかなり影響があったようなので、今回は「道源寺坂 (NO.67) 2014版」と題して、再び取り上げてみたいと思います。


道源寺坂 (NO.67)2014年版1
写真1

まずは坂下からの景色など。(写真1)
過去にブログでとりあげた坂道風景と比べてみると(アークヒルズサウスタワーは写真右側です)、ビル自体は外観が変わっただけかもというくらいなにが変わったのかわからない感じだったのですが、よく見てみると、坂の碑の位置がなんかちがうんですよね。
というか以前は坂道だった場所にまで浸食してないですかね?


道源寺坂 (NO.67)2014年版2
写真2

でもこのあたりまで坂を上ってくると、さすがに坂道とビルの敷地の関係は変わっていないようで、街灯も昔のままのようでしたが、やはりビル側の擁壁は新しくなっていました。(写真2)

ちなみに写真に写っている桜は、西光寺というお寺の境内にあったもので、写真1にお寺への入口がちらりと写っていたりします。


道源寺坂 (NO.67)2014年版3
写真3

せっかくなの上空を見上げてみると、アークヒルズサウスタワーがででんとそびえ立っていました。(写真3)


道源寺坂 (NO.67) 2014年版4
写真4

さらに坂を上ると、正面に見覚えのある大木が見えてきました。(写真4)
しかも地面のドーナツ型の滑り止め舗装もよくみると新しくなっていましたよ。


道源寺坂 (NO.67) 2014年版5
写真5

すこし坂を上り、今度は坂下方向を眺めてみました。(写真5)
ここは、ちょうど道源寺坂 (NO.67)の写真「坂の途中その4」とほぼ同じ位置のようでしたよ。
こうしてみると、その違いは明らかで、前は左側にビルがかなり坂道に隣接して建っていたようですけど、現在はこんな感じで車も出入りして止めれるくらいの広い場所になっていました。


道源寺坂 (NO.67)2014年版6
写真6

そして、最後は坂上ではないですけど、今回の坂道の変化を一望できるあたりから、坂下のほうを見てみました。(写真6)
見ての通りなんですが、前と比べてみると、ここからの景色は、明らかに変わっていて新しいビルが高層化して微妙な圧迫感はありましたけど、実はビル自体がすこし左側にずれたため遠くの景色は前より開けていましたよ。


ということで、写真6にも写っている隣の再開発ビルの新築にあわせて道源寺坂 (NO.67)自体もなんかリニューアルされていて、すこしびっくりした坂道散歩でしたが、今回はさらりとこんな感じです。


住所
港区六本木1

気がついたら桜シーズンも終わってしまったわけですが、ここでは今回も桜見物の続きです。

前回取り上げた桜坂 (NO.114)からすぐの場所に、2006年に取り上げたスペイン坂 (NO.66)があるわけですが、実はここも街路樹に桜が選ばれていたんですよ。
しかも、2006年で取り上げた時は、ブログ始めて間もない時だったこともあり、物珍しかったのか途中からアークヒルズの話になっているみたいだったので、今回はきっちり坂道散歩も兼ねてということで、タイトルのほうも”その2”ということにしてみました。


スペイン坂 (NO.66)その2_1
写真1

ということで、まずは坂上からの景色など。
見た感じでもけっこう勾配ありそうですけど、正面にみえている傾斜を示す黄色の案内板には11%という表示が記されていたので、9%の桜坂 (NO.114)よりもきつく、やはりそれなりの勾配具合のようですね。 


スペイン坂 (NO.66)その2_2
写真2

すこし坂を下り、さらに坂下のほうを見てみたものです。
このあたりは2006年にも撮影しているので比較がしやすいかもですね。
ちなみにアークヒルズは写真の右側にありますので、あしからず。


スペイン坂 (NO.66)その2_3
写真3

さらに坂を下り、坂上のほうを見てみました。
前はたしか、このあたりから東京タワーが坂上のほうに見えたと思うんですけど、その後、正面の高層ビルが新たにできたみたいで、今回は見えませんでした。。


スペイン坂 (NO.66)その2_4
写真4

次は、一気に坂下あたりまでやってきて、坂道を一望できるあたりで同じく坂上のほうを見たものです。
こうしてみるとけっこう距離の長い坂道だったんですね。


スペイン坂 (NO.66)その2_5
写真5

そして、さらに坂下方向にすこし歩くと、今度は前はなかった歩道橋(って言っていいのかな?)が、坂の上空を横切っていましたよ。


スペイン坂 (NO.66)その2_6
写真6

せっかくなので、その歩道橋をじっくり観察してみると、柱がえらいことになっていました。
なんだか樹木の枝のようですね。
しかもメタリックぽい赤。。

ちなみにこの歩道橋は、このブログでも2年ほど前に泉ガーデン界隈を取り上げた時に(とある街の風景(道源寺坂&行合坂))登場した建設中だったビルとアークヒルズをつなぐものみたいですね。
(実はこの歩道橋、とある街の風景(道源寺坂&行合坂)の写真2になにげに写っていたりします。)


ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木1

やはり今年もこの時期、桜見物がてら坂道散歩してきましたよ〜ということで今回は、ここ数年、気がつけば訪れていなかった六本木の桜坂 (NO.114)をぶらりと歩いてみました。


桜坂の桜見物1
写真1

まずは坂下からの様子でも。
天気はいまいちでしたけど、ちょうど満開の時期にこれたので、なかなかの景色が広がっていましたよ。
とにかく過去記事見てみたら、このブログで取り上げるのは2007年以来ということみたいですね。
しかも、桜坂の名前のとおり桜咲く時期にこの坂道を訪れたのは、ブログ始まって以来。。


桜坂の桜見物2
写真2

坂の途中には、勾配標識もありましたよ。
でもこんな標識前からあったのか記憶にないですけど、まあそこは軽くスルーということで。


桜坂の桜見物3
写真3

さらに坂を上ると、以前と変わらず坂の碑が見えてきました。
ただし、この碑、よく読むと平成22年版らしいので、前にブログで取り上げた2007年当時のものとは別のもののようですね。
ちなみに奥の左に曲がる道も坂道になっていて、そこは新榎坂 (NO.120)だったりします。
それにしてもまわりの桜も見事ですね。


桜坂の桜見物4
写真4

せっかくなので、変わったデザイン(黄色の外観というのはなかなかめずらしいかも)の高層ビルとあわせてぱちりと一枚。



桜坂の桜見物5
写真5

そして、坂下のほうを見ると、ちょうど坂の景色が一望できました。


桜坂の桜見物6
写真6

ちなみに、この桜坂 (NO.114)は、前に説明したとおり、アークヒルズに隣接した場所にあり、アークヒルズ内にあった周辺案内図をみると、ANAインターコンチネンタルホテル東京の左側の道がそれなのですよ。
でも、地図にはさらにANAホテルの上側の道も桜坂と表記してありました。
むむむ。


桜坂の桜見物7
写真7

そんなわけで、写真5とだいたい同じ位置より、写真6の地図でいう右側方向の道の景色もぱちりと。
2007年の記事では、ここもおそらく・・・、という感じで写真に納めておいたわけですが、写真6の地図によればどうやらここもあわせて桜坂とのことみたいですね。
なので、もしそれが事実ならば、港区の場合、坂の碑がある場所が坂上であり坂下であるという事実に根拠がなくなってしまうわけですが、どうなんでしょうかね。。


桜坂の桜見物8
写真8

最後は、写真7の位置よりさらに坂を上り、坂下方向を眺めてみたものです。
やはり桜がいい感じで植えられていますかね。
でもこの景色見ていてふと思ったのは、この坂をまっすぐ下ると、黄色のビル(赤坂インターシティ)に隣接した道につながり、そうなればそこは新榎坂 (NO.120)になるわけで、これはこれで、もしかしたらいま歩いている坂道は、桜坂 (NO.114)ではなく新榎坂 (NO.120)なのではないかという疑問もでてきてしまうのですが(桜坂は車のすこし向こうで左に曲がるのです)、これはどう捉えたらいいんですかね。。

ということで、桜見物にきたのに、なんかまたいろいろと疑問点が噴出してしまった散歩にもなってしまいましたが、とにかく桜はきれいでしたよ。(笑)

洞坂(NO.247)で、ちらりとでてきた東禅寺なるお寺、実は「東禅寺事件」と呼ばれているたいへんな事件がおきた場所だったんですね。
でもこのブログでは、そういう史実のある場所のそばを今までもたくさん歩いてきたわけで、今回も軽くスルーしようかなと思っていたんですけど、ふと気になることがありましてですね。
というのも、今の慶応大学そばの綱坂の幕末の写真を撮ったことでも知られているフリーチェ・ベアトさんというこれまた幕末に活躍した写真家の方がいたんですけど、その方が当時の東禅寺の写真をいっぱい残されているみたいなのですよ。
それで、ちょっとその紹介がてら、今回はめずらしくお寺の話などもまじえながら。


01_東禅寺今昔
写真1(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

まずは、ベアトさんが撮った幕末の東禅寺の山門の様子を撮ったものです。(写真1)
門のまえに武士が3人いるのがなにやらぶっそうな感じですかね。



02_東禅寺今昔

写真2

ちなみに今の山門のまえには、こんな感じで「最初のイギリス公使宿館跡」と書かれた石碑が設置されていましたよ。(写真2)
(今回は、門の全景をおさめた写真はないので、後ろにちらりと見えている門の様子で想像してもらうしかないですのであしからず。)
あと、せっかくなので、このすぐ横に(写真2にもちらりと見えてますけど)こういう場所によくある案内板があったので一部を抜粋するとですね、
『東禅寺は、幕末の安政六年(1859)、最初の英国公使館が置かれた場所です。
幕末の開国に伴い、安政六年六月、初代英国公使館(着任寺は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(1865)六月まで七年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(1861)五月には尊王攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが著した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。
幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝える唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。』
と、いくつか省いてますが、こんな感じで書かれていました。
なるほどー。



03_東禅寺今昔
写真3(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

だからこそ東禅寺事件の現場を写したという、”東禅寺事件の現場”というタイトルの写真をベアトさんは残してしておいたんですね。(写真3)


04_東禅寺今昔
古地図(goo古地図より拝借)

こちらは見ての通り、東禅寺界隈の江戸時代の古地図です。
この地図をみてみると一目瞭然、右の大通りから東禅寺と書かれた場所に向かう道の途中に、写真1のような景色が広がっていたと思われます。


05_東禅寺今昔
写真4(wikipediaより)

またベアトさんはこんな写真も残していました。(写真4)
東禅寺の庭を撮ったもののようですね。
写真3のアングルと似てますけど、こちらは休日のひとときという感じがすごく伝わってくるもののようでした。
でもなぜこの視点で撮影できたんですかね


06_東禅寺今昔
写真5

あと東禅寺の境内には、なんと今も三重塔が残っており、おそらく幕末当時もあったものと思われますが、ベアトさんの写真には写っていないようですね。(写真5)


07_東禅寺今昔
写真6(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

そして、こんな写真もありましたよ。(写真6)
”外国人の江戸散策”と呼ばれている写真で、どこで撮られたものかは諸説あるようなのですが、いくつかのネット情報によると、どうやらこの写真も東禅寺境内で撮られた可能性が高いということでした。
であれば、写真の外国人はイギリスの人ということになるんですかね。


08_東禅寺今昔
写真7

ちなみに現在の東禅寺境内の写真はこちらで、おそらく写真6と見比べてみても、やはり同じ場所である可能性が高いかなと。(写真7)
(断定はしませんけど。。)


09_東禅寺今昔
地図(グーグルマップより)

最後に現在の東禅寺界隈の地図なども。
今の山門の場所は、”港区役所高輪保育園”と地図の下のほうに書かれている場所あたりになるので、そのあたりから過去の写真と古地図を見ながら想像してもらえればなあということで、ここでは多くを語らず。

でも、最後にもうひとつ。
実は、この東禅寺、だいぶ前にこのブログで取り上げた霊南坂 (NO.117)と深い関係がありまして、霊南坂のページの最後のほうでもすこしふれているとおり、この東禅寺は元々、霊南坂の名前の由来にもなった嶺南和尚が開山した霊南庵が元々の起源で、場所も江戸時代のはじめは今の霊南坂のそばにあったものが、その後この地に移って東禅寺になったということみたいですね。



地図
東京都港区高輪3-16



追記2014/3/21:
写真5の東禅寺の三重塔のことですが、こちら、ある方にメールでご指摘いただいて(そのあと自分でも軽く調べてみたところ)、この三重塔は昭和になってからできた新しいもののようでした。失礼いたしました。(汗)またさらりと訂正してなにもなかったかのように更新というのもなんでしたので、修正前の文も残しておくことにしましたのであしからず。

所在地:港区高輪3-16あたり


ほら坂と呼ぶそうで、別名で「法螺(ぼら)坂」や「鱣(ぼら)坂」と書く場合もあったそうです。
場所は、前に取り上げたさくら坂(NO.246)の北側エリアに東禅寺というお寺があるのですが、今回の洞坂はその敷地のすぐ東側にある坂道です。


洞坂(NO.247)1
写真1

まずは坂下あたりの様子から。(写真1)
東禅寺の正門から細めの路地をすこし北側に歩くとこのあたりにやってきます。
坂道自体は、正面の壁のところを左にくいっと曲がる形になっていました。
ちなみに東禅寺は、現地の案内板にもあったのですが、幕末にイギリス公使館が置かれていたところとして有名な場所なんだそうですよ


洞坂(NO.247)2
写真2

次は、坂をすこしのぼり、坂下方向を眺めてみたものです。(写真2)
車1台がやっと通れるかなという道幅がこの坂の急勾配具合を際立たせていたかもです。
奥の地面にマンホールの見えるあたりで一度、道が曲がっているので、すでにここからは坂下の様子を見ることはできませんでした。


洞坂(NO.247)3
写真3

すこし坂を上り、今度は、坂上方向を見てみました。(写真3)
いちおう正面に見えている場所が、この坂の頂上あたりになるみたいでした。
とにかく高低差はけっこうある感じでしたよ。
また見ての通りの立派な塀が右側にあるのですが、地図で確認してみると東芝山口記念会館なる施設があるみたいですね。


洞坂(NO.247)4
写真4

そして、坂上までやってきて、今回の坂道的には今さっき歩いてきた方向とは反対にあたる道をみてみると、今度は下り坂になっていましたよ。(写真4)


洞坂(NO.247)5
写真5

いちおう俯瞰てきに、坂上あたりを眺めてみました。(写真5)
写真左側に行く道がさっきまで歩いてきた坂になりますかね。
しかもよく見ると、写真右上には防犯カメラもあったりして、なんか物々しいというかなんというか。

そして、見てのとおりですが、ここにもいつものように坂の碑がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから、洞という等様々な説がある。』
とありました。

あと、興味深い史実として、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に『(略)、途中また凸地になってさらに石段坂を上がると桂坂の途中に出る。』という説明がこの洞坂の項にあったのですよ。
ここにでてくる桂坂は、写真4の奥(北側)に道が見えていると思いますけど、実はそこが桂坂なのですね。
だから、この江戸東京坂道事典の記述では、写真5の場所から北側にある桂坂へ行くには”階段を上る”と書いてあるわけですが、現在は写真4をみてもらえれば一目瞭然、下り坂になっているのですよ・・・。
しかも古地図と見比べてみても、どの道が洞坂かどうかわかりませんでした。
いちおうネットで見れる昭和22年の航空写真を見てみてもあまり今と変わらない感じなので、この地形の変わり具合についてのことは、どこら辺でどう変わったかということも含めて今後の宿題ということにするしかないみたいですね。


地図
港区高輪3-16あたり

所在地:港区高輪3-23あたり


読み方はそのままですので、まずは場所ですが、ここもJR品川駅から西へすぐの場所にあり、位置的には前回取り上げた柘榴坂(NO.245)のすぐ北側を、ホテル群の敷地の境界線上をたどるように西側へと上っている坂道です。


246)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
品川駅方面から第一京浜を超えてすこし歩いてくるとこの場所にやってきます。
このみちは、坂の途中に、sinagawagoos(このすぐ左側にあります)やザ・プリンスさくらタワー東京、グランドプリンスホテル高輪が坂道の途中にあり、各ホテルに車で向かおうとするとこの道を通るのが一番早いためか、道幅も広く樹々に囲まれ落ち着いた雰囲気でした。


246)2
写真2

写真1と同じ位置より、坂下方向もちらりと見てみました。(写真2)
正面のが第一京浜なのですが、歩いていると平らな感覚しかなかったので、じっくり観察してみると国道から微妙に傾斜しているみたいでしたよ。
また両サイドの立派な石垣も気になってみたり。
やはりこの坂道はすでにここから各高級ホテルへの入口という感覚で計画されたものなのかもしれないですね。


246)3
写真3

すこし坂を上ると道が急カーブしてました。(写真3)
正面に見えている建物は、ザ・プリンスさくらタワー東京というホテルみたいでした。


246)4
写真4

写真3のすぐ左側には、ホテルの車寄せのロータリーがありました。(写真4)
気になったのは、やはり雨よけオブジェでしたよ。
なのでぱちりと一枚。
どうやら、このザ・プリンスさくらタワー東京、軽く検索してみると、敷地自体やら建築物的にもインテリア的にも興味深いことが多いみたいですけど、それとりあげていると長くなりそうですので、ここでは軽くスルーしてまた機会があればということで。


246)5
写真5

また坂道にもどりまして、さらに坂を上ると、さきほどもちらりとみえていた急カーブの場所にやってきました。(写真5)
見方によっては高級ホテルが並ぶ場所そのものの雰囲気といえるかもしれないですし、自然にあふれた気持ちのいい景色がひろがっている場所ともいえるかもしれないですけど、僕自身は、隣接するホテルが高級ホテル群だということをすっかり忘れていて気持ちのいい場所だなーと現地ではのんびり歩いていましたよ。。

ちなみにこの坂道には、いつものような坂の碑はありませんでした。


246)6
写真6

写真5と同じ場所でちらりと後ろを振り返ってみると、坂道の向こうに品川駅の東側エリアに建ち並んでいる高層ビルもしっかり見えていました。(写真6)


246)7
写真7

さらに坂を上り、坂上方向を見てみました。(写真7)
写真では勾配具合がわかりにくいですけど、けっこうな傾斜具合でした。
まわりの雰囲気も、軽井沢か箱根あたりの山道を歩いている気分というかなんというか。とにかくここが品川駅からすぐの場所ということを忘れてしまうくらいの感覚だったかもです。


246)8
写真8

再び、後ろをふり返ってみました。(写真8)
正面の建物がザ・プリンスさくらタワー東京ですね。
こうしてみると高低差具合もわかりやすいかもですね。


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写真9

さらに坂を上っていくと、今度はものすごい急カーブの場所が現れました。(写真9)
あとは左にみえている街灯のデザインが気になってみたり。


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写真10

そして、急カーブの坂道を上りきると、やっと坂上あたりまでやってきました。(写真10)
なので正面に見えるのが、グランドプリンスホテル高輪ということになりますかね。


246)11
写真11

いちおう、近くまでよってみてパチリと一枚。(写真11)
むむむ。
ちなみに、グランドプリンスホテル高輪は1982年に営業を開始したそうですよ。


246)12
写真12

さらに写真11の左側に、なんともしゃれた洋館がありましたよ。(写真12)
こちらはかつての旧竹田宮邸とのことで、1911年竣工、1972年に建築家の村野藤吾によって改修・復元されたらしく、現在はグランドプリンスホテル高輪の貴賓館として使われているみたいでした。

ということで、この坂道、あまり下調べせずに現地を歩いたこともあり、帰ってからいろいろ調べているとなんかいろいろとおもしろそうな史実の場所もでてきたので、またそのうち再訪問できればなあと思いつつも、今回はこんな感じです。


地図
港区高輪3-23あたり

所在地:港区高輪4-10あたり


ざくろ坂と呼ぶそうで、別名で新坂ともよぶそうです。

場所は前に取り上げた「いちょう坂(NO.244)」のすぐ北側にあり、JR品川駅から第一京浜を渡り、大規模なホテルが建ち並ぶ間を通って、メトロ高輪台駅のある西側に抜けることができる道路があるのですが、その道が今回の坂道となります。


柘榴坂(NO.245)1
写真1

まずは坂上からの景色でも。(写真1)
さっき、この道は大規模なホテルのあいだをぬってふぬふぬと書きましたけど、ここから見る分には、坂の両側にちょうどいい高さの街路樹が植えられ、両側のホテルも建物部分においては坂に対してセットバックしている形になっているようで、地図で見る感じよりは圧迫感はないようでした。


柘榴坂(NO.245)2
写真2

すこし坂を下り、さらに坂下を見てみました。(写真2)
左側に坂に沿って長く隣接している建物が見えてますけど、こちらはグランドプリンスホテル新高輪のレストラン棟のようですね。
けっこうできてから時間が経過しているのか手前の街路樹ともけっこうなじんでいるような雰囲気かもですね。
あとは、坂道自体は見た感じは緩やかな傾斜具合ですけど、左のレストラン棟の地面部分を見てもらうとわかりやすいのですけど、実は坂上と坂下でけっこうな高低差具合だったりするみたいでした。

また、この写真の左側に坂の碑もちらりと見えていたりします。
なので、そのまま坂の碑の文を抜粋させてもらうとですね『坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲り、明治に直通して新坂と呼んだ。』とのこと。
とりあえず、「江戸時代はカギ形に曲り」というのが気になったので、古地図で確認してみると、たしかにカクカクと曲がっていましたよ。
坂上から坂下に歩いた場合、下りながら坂道はいったん右にほぼ直角に曲がり、ほんのすこし歩くと、今度は左に直角にまがるとまた長い坂道が現れるというつくりだったようですよ。


図1:古地図との比較(柘榴坂)
図1

そこで、今回の柘榴坂(NO.245)と前回とりあげた、いちょう坂(NO.244)の位置関係をわかりやすくするため、グーグルマップに絵を描いてみました。(図1)
図のオレンジと赤の点線が、現在の柘榴坂(NO.245)といちょう坂(NO.244)です。
そして、赤線で描いたものが古地図を見ながらだいたい現在の地図にあわせるとこんなかんじだろうなと予測しながら描いてみたものです。
そうすると、みごとに位置関係があてはまるんですよ。
どう説明したらいいかわかりませんけど、とにかく、いちょう坂(NO.244)がかつての柘榴坂の場所の痕跡みたいなもの(記憶)を残した坂道の可能性が高くなったかもですよ。
そんなわけで、いちょう坂(NO.244)の記事の中で、「このすぐ北側にあるかつての柘榴坂が今のいちょう坂の場所にあったという説もあったりするのですが」と書いたのですが、どうやら古地図と見比べてみると、その説もあながち仮説というだけではとどまらないものなのかもしれないですね。


柘榴坂(NO.245)3
写真3

また坂道にもどりまして、今度は坂をすこしくだり坂上方向を眺めてみたものです。(写真2)
右はちょっと懐かしい感じのつくりレストラン棟に対して、左側にガラス張りの無機質な感じの建物があるのが、人によって善し悪しの意見が別れるところかもしれないですが、とにかく東京らしいかなと思ってみたり。


柘榴坂(NO.245)4
写真4

さらに坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真4)
このあたりから今の品川駅前っぽい大規模なホテル棟が視界に入ってきだしました。

ちなみに、このあたりの昔のことが、いつもお世話になっている本「江戸東京坂道事典」に書かれてまりましたので、すこし抜粋させてもらうとですね、
『このあたりは旧高輪南町で、「東京府志科」の同町の条に「明治二年仲町を合せ五年又もと鹿児島久留米其他三四藩の邸地を併す」とあり、この坂道については無名坂としている。坂の北側はむかしの鹿児島(薩摩)藩下屋敷で当時は薩摩藩の高輪屋敷とよばれていた。明治維新後は官収され宮内省の用地となり、北白川宮、竹田宮、東久邇宮の三宮の御殿がつくられた。戦後、北白川宮邸宅は衆院議員宿舎、竹田宮邸は高輪プリンスホテルとなり、さらに東久邇宮邸跡は阪急系の高層ホテル「ホテルパシフィック」が建っている。』
とのこと。
なお、ここででた「高輪プリンスホテル」はグランドプリンスホテル高輪に名称変更、「ホテルパシフィック」は今はなくなり(でも建物は残っているようです。設計は坂倉建築研究所とのこと。wikipediaによるとですが。)、SHINAGAWA GOOSなる複合商業施設になっているみたいですね。
なので、写真4で左側に見えている大きなビルがSHINAGAWA GOOSということみたいです。


柘榴坂(NO.245)5

写真5

いちおう、写真4とだいた同じ位置より、坂上のほう見てみました。(写真5)
坂上あたりのほうも遙かかなたといった感じでしたよ。


柘榴坂(NO.245)6
写真6

そして、やっと坂下あたりまでやってきました。(写真6)
正面を横切っている道路が第一京浜で、その奥が品川駅ということになりますかね。


柘榴坂(NO.245)7
写真7

最後は、写真6でも見えていた歩道橋から坂上方向を眺めてみたものです。
こうしてみると、高低差具合もわかりやすいかもですね。
しかも昔とは違い、ほんとまっすぐな坂道ですね。


地図
港区高輪4-10あたり

所在地:港区高輪4-9-16あたり


名前はそのままなので、まずは場所なのですが、品川駅から西へ徒歩数分の場所に品川プリンスホテルがあるのですが、今回の坂道はなんとそのホテル内にある坂道です。


いちょう坂(NO.244)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
品川の駅前からビルの合間をぬけてくるとここにやってきます。
坂道自体は、ホテルの敷地内ということもあり、このあたりは基本的に車が通ることはほとんどないようで、ほぼ歩行者専用の抜け道という感じでした。
あとは勾配具合もなかなかいい感じでしたよ。
またこのすぐ左側に、いつものように坂の碑があるにはあったのですが、「いちょう坂」と大きく書かれてあるだけで、坂名の由来などは書かれてありませんでした。
うわさでは、このすぐ北側にあるかつての柘榴坂が今のいちょう坂の場所にあったという説もあったりするのですが、とにかくこの説とあわせて、この”いちょう”という名がどこからでてきたのかは不明です。


いちょう坂(NO.244)2
写真2

坂をすこし上り、坂下方向を見てみたものです。
こうして見ると、ホテル内にある坂道というのがわかりやすいかもといいたいところなのですが、実は坂下にあるのは商業施設だったりするので、どこまでがホテルなのかというのがわかりにくい場所でもあるんですけどね。


いちょう坂(NO.244)3
写真3

さらに坂を上り、坂下方向を再び見てみました。
まわりの凝った意匠の手すりやら右側の品川プリンスホテルの窓群などがとにかく坂道におもしろい影響を与えていたかもです。


いちょう坂(NO.244)4
写真4

今度は、写真3とだいたい同じ位置より、坂上方向を眺めてみたものです。
このあたりから景色がぐっと開けてきていましたよ。
どうやら坂上に駐車場があるためか、ここからは車が通るために舗装もよくみるタイプのものになり、道幅も車が楽にすれ違えるくらいの大きな幅の道になり、勾配具合もすこし急になっているようでした。


いちょう坂(NO.244)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向を見てみました。
勾配具合が急なためか、このあたりからでも坂下あたりとはけっこうな高低差具合になっていました。
あとは、あらためて道幅を確認してみるとかなり広いですね。(車、3台分くらいはありそうかも。)
とにかく坂下あたりの様子とはまったく違う風景が楽しめるのはおもしろいですね。


いちょう坂(NO.244)6
写真6

そして最後は、坂上からの景色など。
坂下のほうをみると、なんかはるか彼方という感じでしたよ。
高低差も坂下のビルで確認してみるとわかるのですけど、6階か7階くらいの高さにはなっている模様。
いやはや、なんともおもしろい坂道を残していただいて、僕はうれしい限りでしたよ。(笑)


いちょう坂(NO.244)7

ということで、新年初の坂道話でした。
では今年もよろしくお願いします。


地図
港区高輪4-9-16あたり

ちょっと今回は気分を変えて、坂道以外のことでも。
(考えてみれば、このブログは今まで坂道とあわせてその他もろもろの散歩話のことも時々取り上げてきたわけでして、たまにはそちらの話題でもというわけなのです。)


青山スパイラルができる前の話1
写真1


この前、ひさしぶりに青山のスパイラルに行ってきたわけなんですが、実はスパイラルの入り口あたりに写真1のような石碑がちょこんとあったりするんですよ。
とにかく前から取り上げようと思って写真には撮っておいたものだったのですが、この機会にふと思い出したのでちょっと調べてみることにしました。

この石碑には「高野長英先生隠れ家」と書かれてあり、
『ここは昔の青山百人町幕臣幕臣 与力小島持ち家で質屋伊勢屋の離れ屋先生の隠れ家又最後の処である時は嘉永嘉永三年(一八五〇)十月卅(30)日夜であつたこの度青山善光寺の碑の再建に際しここを表彰する 千九百六十四年(1964年)』
という説明文が加えられていました。


青山スパイラルができる前の話2
写真2

石碑のアップはこんな感じですね。

この石碑にでてくる高野長英さんは1804年生まれの江戸時代後期の医者・蘭学者だそうです。
その他の詳しいことはWikipediaのページでも見てくださいな。
→ 高野長英 ; Wikipedia


ちなみに、この地に今のスパイラルができたのが1985年とのこと。
ということは、先の石碑が設置されたのが、1964年ということみたいなので、このスパイラルができるまえから石碑はあったということになりますかね。(でも今の石碑自体なんだか新しめな感じので、もしかしたら説明だけは昔のものという可能性もありますけど。)
ちなみにちなみに、このスパイラルという名前は建物内の1階奥の吹抜けに螺旋スロープがあり、これがこの建物の名前の由来となっているそうでよ。
なので、建物自体は高野長英さんとはほとんど関係ないことはわかってしまったわけなのですが、それとは別にこのスパイラル、名前の由来からすると実は坂道つながりの施設なのでは?と強引に思ってみたりしてるんですが、どうでしょ。。


青山スパイラルができる前の話3
写真3
坂下方向


青山スパイラルができる前の話4
写真4
坂上方向

そして、この写真3と4だけ、最近のやつです。
もちろんさっきでてきた施設内の吹き抜け部分の螺旋スロープを撮ったものですよ。
またこの時は吹き抜け部分でアートイベントやっていたので、なんかワイワイした感じではありますかね。
(ていうかスルーしてもなんですので、これは大山さんも出展していたアートイベント開催中に、イベント見学とあわせて、とにかく気になってしまったので、あわせてスロープを撮ってみたものなんですよ。)


青山スパイラルができる前の話5
写真5

最後は、せっかくなのでスパイラルの外観なども。
ただしこちらは、最初の2枚同様、一年くらい前の写真ですけどね。


住所:港区南青山5-6-23

気がつけば、すこし前のことになってしまいましたが、このブログでも前にとりあげた六本木のミッドタウン裏にある檜坂 (NO.131)の坂上と「大使館の宿舎を眺めながら」の記事で取り上げた無名坂の坂上をつなぐ坂道があるんですけど、今回はそこで見つけた奇妙な階段の話でも。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂1
写真1

まずは、肝心の檜坂 (NO.131)と無名坂をつないでいる道がたまたま廻りの高低差により坂道になっていたわけなんですが、写真1はその坂の坂上あたりの様子です。
この坂の坂上のほうから右に曲がると檜坂 (NO.131)の坂上につながっているという場所です。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂2
写真2

もうすこし坂を下り坂上のほうを見てみたものが写真2です。
閑静な住宅街の向こうに忽然と六本木ヒルズのあのビルが見える風景はいつきても不思議な感じがしてしまいます。
それはさておき、右側の立派な塀、この向こうは実は建物はなく(僕が歩いた時は)駐車場になっていたんですよ。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂3
写真3

で、写真2の塀のオレンジ(というか橙色)のドアのようなものがあるちょっと坂上側に入口らしきものが見えていたんですけど、それを正面から見たものがこちらです。
なんとこの坂道から駐車場へと入れる階段となっていたのですよ。
ただこれ、よく見てみるとどうやら前に建っていた家の出入口を改良してこのようなつくりになっていたようでした。
いやはやなんとも珍しいつくりというか。
ふつうなら敷地内にあるものすべて取り壊してしまいがちなんですけど、ここではこんな感じでなんともいえない再利用されていましたよ。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂4
写真4

階段上の駐車場側からみるとこんな感じでした。
ほほ〜♪という感じでしたよ。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂5
写真5

また隣を見てみるとこんな感じでした。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂6
写真6

そして、逆方向を見るとけっこうな規模の駐車場のようでした。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂7
写真7

あと、写真3と4にも写っていたのですが、例の階段の坂との入口あたりには謎の頑丈そうなドアがありました。
もちろん中には鍵がかかっていてはいれませんでしたけど。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂8
写真8

また階段のある場所からすこし離れた駐車場内の北側にはこれまた過去の遺産とも言える謎の地下室への階段も残っていました。
ちなみにここから下へは柵があって入れないようになっていますのであしからず。


ミッドタウン裏の檜坂の坂上にある謎の駐車場と無名坂9
写真9

そして、最後は再び外の坂に戻り、坂下の方を眺めてみました。
この坂下から右側に行くと、今度は「大使館の宿舎を眺めながら」で取り上げた無名坂の坂上へとつながっていくわけなんですよ。


住所
港区赤坂6-19あたり

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