東京坂道さんぽ

タグ:観察記
とある街の風景267(西郷山公園で富士山)
山の婆坂(NO.291)/ 多摩市
とある街の風景266(ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩)
とある街の風景265(赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース)
菊坂(NO.288)、一葉坂(NO.289)、金魚坂(NO.290)/ 文京区
須賀神社男坂(NO.284)、東福院坂(NO.285)、円通寺坂(NO.286)、鉄砲坂(NO.287) / 新宿区
女坂(NO.283) / 千代田区
とある街の風景264(アートナイト2017の夜に六本木の坂道をぶらりと)
とある街の風景263(聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段)
山の上ホテルに行ってきました。
とある街の風景263(ひさびさに新宿高島屋からの国立)
聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道
聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道
とある街の風景262(代々木公園定期観測2017)
とある街の風景261(七夕さんぽ)
三べ坂(NO.281) /千代田区
諏訪坂(NO.280) /千代田区
東京タワーそばの金地院をぶらり
とある街の風景260(横浜のぷかりさん橋が見える階段)
欅坂46の坂道の歌(=W-KEYAKIZAKAの詩)を聴いてみて。
乃木坂 (NO.132)その3  / 乃木坂今昔
とある街の風景259(あの解散報道直前の乃木坂)
知恩院の女坂(NO.279) / 京都府京都市東山区
知恩院の男坂(NO.278) / 京都府京都市東山区
とある街の風景258(東京オペラシティーのクリスマスツリーイルミと階段)
とある街の風景257(東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション)
渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道
氷川坂(NO.277) / 目黒区
宮前坂(NO.276) / 目黒区
閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター

数日前のことですが、代官山からもほど近い西郷山公園にふらりと寄ってみたらなんと園内から富士山が見えたので、今回は忘れないうちにここにて記録がてらです。


西郷山公園で富士山1
写真1

西郷山公園内には、富士山がうまくいけば見えると書かれた看板もあるのですが、まさにそこから富士山が見えましたよ。(写真1)
僕自身、この公園で富士山が見れたのは初のことです。
いつもは、ここにくると富士山が見えるかもと、看板のある位置から今は見えないけど富士山のあるだろう方向(と思っていた)に向かってシャッターを切っていたのですが、実際の富士山は、もうちょい右側にあったみたいですね。(汗)


西郷山公園で富士山2
写真2

もうすこし引き気味の場所から。(写真2)
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、写真中央に見えていますよね。
このあたりは丘のようなつくりになっていて、さらに写真1の場所より高い位置にあり、さっきの場所(ちょうど写真左側に見えるゴミ箱があるあたり)よりは富士山が大きく見えていましたね。
ただそうは言っても手前のマンションでかなり削られてはいますけど。

ちなみにさっき書いた富士山が見えるだろうと思っていた方向とは、写真2でいえば左側のゴミ箱のある場所の向うに見えているマンションの向こうにあると思っていたんですよね。。
いやはや。


ということで、今回は最近、富士山ネタが少なかったこともあったので、さらりとですが取り上げてみました。


地図
目黒区青葉台2-10-7あたり

今回はたびねすの取材ついでに行った坂道なのですが、そろそろ公開しないと歩いてから1年が過ぎてしまいそうですので、かなり前(今年の1月頃です)のこと(=写真)でなんですが、聖蹟桜ヶ丘界隈の坂道を取り上げておこうと思います。


やまのばば坂というそうで、別名で「おばけ坂」や「グミの坂」ともいうそうです。
場所的には、いろは坂(そういえばナンバリングしていませんね。またそのうちリンク記事でも書きますかね)の東側を大栗川沿いにすこし歩いたところに今回の山の婆坂の坂下があります。


山の婆坂(NO.291)1
写真1

まずは坂下からの風景など。(写真1)
左側が背の高い擁壁になっている通り、崖地になっているのですが、これは駅側からみると山のような高台になっているため、ここからいきなり急勾配で左手には崖地がひろがっているんですよ。(あとでわかりやすい写真でてきますけど。)


山の婆坂(NO.291)2
写真2

さらに坂上方向に行くと、傾斜具合がきつくなってきました。(写真2)
坂下のほうでもわかりましたが、道もなにやらくねくねしている感じ。


山の婆坂(NO.291)3
写真3

写真2とだいた同じ場所から坂下方向を見てみたものです。(写真3)
こうしてみると、坂の右側はかなりの崖地ということがわかりやすいかもですね。

そこで、この坂道の名前の由来についてなのですが、ここには坂名を記すいつものような坂の碑はありませんでした。
しかも、多摩市の坂道については、本でまとめているものは今のところほとんどない状況なのですよ。
ただいろいろ調べてみるといくつかのサイトさんの情報で、多摩市の資料「子どものための歴史のさんぽみち」に、坂の由来が書かれているそうで、要約すると以下のような内容になるみたいです。
写真3でいえば、右側は山になっており、左側には今の大栗川が流れていて一面竹藪だったため、この坂道は昼間でも薄暗い道だったそうです。そして右側の山の中には老女が住んでいて、その姿は歯を真っ黒に染め、口は耳まで裂けていて、身の丈六尺(約2m)近くもあり、なんとも不気味な姿をしていた。しかも、その老女はいつもざるに小豆をいれて磨いており、人が通るとその大きなざるを頭からかぶせ捕らえては食べてしまったという。そんなこともあり部落の人たちは「山の婆坂」と呼んで怖がったという。
まあ、こんな具合の話らしいですね。


山の婆坂(NO.291)4
写真4

あと、写真3の右中央あたりに階段が見えてますけど、全景を写すとこんな感じでした。(写真4)
まさに崖地の階段で、長い。
しかもこの時は上りませんでしたが(汗)、地図で確認してみると階段はさらに続いていて階段上の住宅地にも行けるみたいですね。


山の婆坂(NO.291)5
写真5

もうすこし坂を上り、写真2で坂上に見えていた住宅のあるあたりまでやってきて、坂上方向を眺めてみたものなど。(写真5)
なかなかな急勾配具合ですかね。
なんというか風景的になにか気持ちいい感じ。


山の婆坂(NO.291)6
写真6

だいたい同じ場所からの坂下方向の風景など。(写真6)
ここから見ると道のうねり具合もよくわかりますかね。
左側もそれなりに崖地になっていて、その向うが小学校なので、景色もすこし開けているのですが、この位置からだとわかりにくいですね。


山の婆坂(NO.291)7
写真7

ちなみに写真5の左側には、またもや崖地を上る階段がありました。(写真7)
普通の抜道階段ぽいですが、途中に物置があったり、手摺の形状があまりみたことないタイプのものでしたかね。


山の婆坂(NO.291)8
写真8

そんなこんなで、坂上あたりまでやってきて坂下方向を見てみました。(写真8)
坂下中央左側の樹木がなければもうすこし遠景の景色も見える開けた感じの風景になりそうな場所でしたかね。


山の婆坂(NO.291)9
写真9

あとは、写真8の左側に宝泉院なるお寺が隣接しとりましたよ。(写真9)
写真9はちょうど入口前の様子です。
入口右側には地蔵さまがたくさん見えてますけど、これはまとめて「地蔵菩薩」と呼んでいるみたいですね。またこれらは通称「百地蔵」と呼ばれ、、横の案内板には、『旅の道中安全・子育て・足の痛みを直すためお百度参りをする人が沢山有ります。』と書かれてありました。
また、この奥にある宝泉院は、公式HPによると江戸時代初期に 開創されたとのことで、弘法大師多摩の札所九十四番所、多摩十三仏第三番札所にもなっているそうですよ。


最後に、宝泉院のこともでたので、「おばけ坂」という別名についてもふれておくとですね、どうやら多摩市史の民俗編の項によると、この坂はもともと大きなグミの木があったから「グミの坂」と呼ばれていたそうですが、宝泉院の下の坂はおばけがでるといううわさがでるようになり、そのことからおばけ坂と呼ばれるようにもなったということです。
なので、これだけ読むと、この坂道は「おばけ坂」でいいんじゃないかという気もするんですが、いろいろ資料(特に参考になったサイト:失なわれゆく風景)を追っていくと、はじめにでてきた老女が、おっかない坂だといいふらしたことで「おばけ坂」と呼ばれるようにもなったようにもとれるので、それならばやはり老女の名前をもじった「山の婆坂」のほうがこの坂道らしい名前だろうということにしてみたのですよ。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
多摩市東寺方495あたり

今月は、あまりに更新ペースが少ないので、はたまたちょっと前(とはいってもまだ1ヶ月も経ってないのですが)の定点観測した時のことでも。

とりあえず、タイトルにもあるとおり、先月終わりのハロウィンの日に渋谷をうろうろしたんですけど、当日はやはりここは坂道に絞ってまわってみようと思い、今回はその時にであった坂道風景などについて紹介してみたいと思います。


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩1
写真1

まずは、渋谷の駅前ともいえる道玄坂の坂下の様子ですね。(写真1)
ニュースでも取り上げられていましたけど、ハロウィンということで完全に歩行者天国となっていました。
ただ、この日というか時間帯は歩行者天国になってからまだ時間が経っていなくて、さらに平日でもあったので、ハロウィンのコスプレしている人はかなり少なかったかもですね。


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩2
写真2

こちらは、道玄坂の中腹あたりから坂下方向を見たものですね。(写真2)
時間軸的にはすこし前のものですが、ちょうど道路が歩行者天国になった直後のものです。なかなかのレア風景かも。


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩3
写真3

場所は変わり、スペイン坂の坂上あたりの風景ですね。(写真3)
道玄坂のあとに行ったのですが、ここもまだ時間帯が早いのか、道玄坂のほうに人が集まっているのか、人通りだけ見ればいつもの夜の渋谷スペイン坂といった感じでした。


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩4
写真4

ただですね、2回目にスペイン坂を訪れると、坂の途中にあるムラサキスポーツの前になにやら人だかりが。(写真4)


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩5
写真5

輪に入ってみてみると、なんとサンバダンスをしている女性3人が。(笑)(写真5)
なぜに?という感じもありましたが、見ている観客はみな楽しそうな感じ。
まあ、それが答えかもしれないですね。
なので、こちらもなかなかのレア風景ということで、取り上げてみました。


ハロウィンの日に渋谷で坂道散歩6
写真6

最後は、井の頭通りから現在、建替え中のパルコへと上る無名坂の様子です。(写真6)
こちらはけっこう後の時間帯に寄ったと思うのですが、ご覧のとおりでしたね。
以前までの雰囲気を知っているものとしては寂しい限りですが、完全な抜道といった感じでした。

ということで、今回はハロウィン当日に定点観測するという、このブログでは初(個人的にはたまにブラブラしていたはずですが、記事にするのは、という意味で)の試みになり、はたまた僕自身やはりこのブログでなんてことない日常のことも含めてさらりと書くことは気分転換にもなり、やはりもうちっと更新頻度をあげたいなあと再確認した記事でもありましたかね。



住所
渋谷区道玄坂+宇田川町など

先月に赤坂サカスで「RED BULL BOX CART RACE TOKYO 2017」なるイベントが行われたのですが、なんと会場が、サカス内のさくら坂で開催されるということで、ふらりとみてきましたよ。
なんというか、坂道の日常風景を定点観測的に記録するというのも、このブログのコンセプトのひとつということは開始当初から変わっていないので、これまでの経緯を知らない方にとっては単にイベント日記みたいな感じに(まあ、実際そうなのですが、笑)見えてしまうかもですが、当日はカメラをぱちぱちと撮っておいたこともあり、今回、記事にしておくことにしました。(長い、笑)


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース1
写真1

ではまず、会場で見つけたイベントの案内看板など。(写真1)
当日は雨がけっこう降っていて、人くるのかなと思っていましたけど、やはりそこはレッドブル。けっこうなひとだかりでしたかね。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース2
写真2

コースの地図です。(写真2)
こちらも看板形式で会場内にありました。
わかる人はわかるかもですが、まさに赤坂サカス内のさくら坂がコースになっていますね。ちなみにさくら坂については、前にこのブログでも取り上げています。(→さくら坂(NO.149)

なので、コースは坂道になっているのでだいてい予想はつきそうですが、当日は坂道をいわゆるコスプレした人と動力はなにもつけられていないカートが、坂上から坂下に下り、そのタイムを競うというのがこのレースの表向きの内容みたいでしたね。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース3
写真3

そんなわけで、コースというかさくら坂の様子など。(写真3)
写真3は、ちょうど坂上あたりにあるスタート地点のものですね。
人だかりもできていて、けっこう本格的なコースでしたよ。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース4
写真4

こちらは写真3でもちらりと見えていたスタート地点のアップですね。(写真4)
ちょっとわかりにくいですが、コスプレした参加者やカートも見えてますね。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース5
写真5

コースの途中で撮ってみたものなど。(写真5)
見てのとおり、ちょうどカートがコース上につくられた段差を走り抜けようとする瞬間ですね。
こんな感じの段差にも写真1で登場した看板の絵が描かれているあたりは、海外のセンス(いい意味で)なのかなと思ってみたり。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース6
写真6

こちらは橋ですかね。(写真6)
写真5の段差の橋バージョンといったところでしょうかね。
なかなかおちゃめなつくりでしたかね。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース7
写真7

坂下あたりには、コース横に大型スクリーンもあったりとかなり本格的。(写真7)


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース8
写真8

そして、ここがゴール地点でもありさくら坂の坂下でもある場所ですね。(写真8)
こちらは意外とあっさりという感じ。
まあ、このさくら坂の場所柄からみてもこっちに人が大勢いるのは問題ありそうなのと、実際見た感じでもスタートこそこのレースは見どころなので、これは正解かもしれないですね。


赤坂サカスのさくら坂でRED BULLのカートレース9
写真9

そんなわけで最後は、レース中の写真はたくさん撮ったのですが、これ以上あげていてもきりがないので、同じく赤坂サカス内にあるsacas坂など。(→Sacas坂(NO.150))(写真9)
同じ坂道でもこの状況。(笑)
人も歩ける道なのですが、当日はレース関連のお客はほとんど歩いておらず、なぜか写真9左側にある赤坂ブリッツ(今は名前変わったはずですが)前の階段ばかり使っていましたかね。
まあ、sacas坂横のsacas広場でもレース関連のブースやイベントがあったからかもしれませんが。(笑)

ということで、当日のような都内での坂道レースは今後、なかなかお目にかかれることも少ないのではということで、書き始めたらなんだか絞れなくてけっこう写真の枚数が多くなってしまいましたが、今回はこんな感じです。


住所
港区赤坂5

またまた変なタイトルとなってしまいましたが、つい最近、たびねすの記事にて『樋口一葉に宮沢賢治など文学者とも縁深い東京・本郷の菊坂めぐり』と題して、3つの坂道(プラス無名坂)を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。


菊坂1
写真1

これらの坂道、これまではブログに載せる場合、ある程度地域の坂道をまとめてまわることが多かったこともあり、取り上げるタイミングがなかなか難しかったのですが、ようやくウェブ上(ブログではありませんが)にて公開することができましたかね。

あとはたびねすでは紹介しませんでしたが、界隈にはおもしろそうな無名坂もいくつかありましたので、そのあたりはこのブログでそのうち紹介できればなと思っています。
ただ、今回の坂道以外にも、過去にブログにのせるためにまわった坂道(無名坂含む)や取材ついでに歩いた坂道の写真もまだまだたくさんあるのでどのタイミングになるかはこれから考えます。(汗)

また、たびねすの記事では旅行喚起も大事な一面もあると思うのであまり深掘りしてませんが、取材しているとやはりこの菊坂界隈は歴史的なことや地形的なことについてもそれなりにネタがありますし、今回、取材したことで新たに気がついたこともありますので、そのあたりのこともどこかのタイミングで書ければなと。


菊坂2
写真2

しかし、今回の菊坂。都営大江戸線・本郷三丁目駅側というか東大側から歩いてくるとほんと写真2のようなような場所に出くわすわけですが、この風景見ると、いつも「え?ここ坂道?」と思ってしまいますよね。


菊坂3
写真3

でも、坂下の旧伊勢谷質店の建物あたりまでくると、視覚的にもけっこうな具合の勾配具合になりますし、さらに坂下のほうにいくと「菊坂下」なる交差点もあるので、ああここが坂下なんだと実感できるかもですね。
ちなみに写真3は、旧伊勢谷質店の外観を撮ったものですね。
京都なんかを歩いているとよく見かけるタイプの町屋ですが、やはり戦災や地震が多発した東京でこのタイプが残っているのは珍しいかもですね。


菊坂4
写真4

こちらは菊坂と平行して走っている菊坂下道ですね。場所的には宮沢賢治旧居跡のある坂下あたりです。取材時に古地図を確認してみたら、古地図にも当時の菊坂と並行して道らしきものが南側に描かれているので、この道も江戸時代からあった可能性はありそうですかね。
とりあえず僕の語れる部分はここくらいで、あとの詳しいことは暗渠マニアの方々におまかせします。(笑)


ということで、この界隈は歩いたところをくまなく取り上げていると長くなりそうなので、今回はさらりとこんな感じです。

なんだか変なタイトルとなってしまいましたが、まず始めに、つい最近、たびねすの記事にて『映画「君の名は。」の聖地、東京・四谷の須賀神社階段と界隈の坂道めぐり』と題して、タイトルに上げた4つの坂道を含めた「君の名は。」の聖地を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。


須賀神社男坂(NO.284)など1
写真1

ちなみに、記事では映画のキービジュアルと似た景色の須賀神社男坂(NO.284)の坂上からの写真もあげようかなと思いましたが、いろいろ考えた末にやめたので、こちらにてちらりと。(写真1)
ただこうしてじっくり見ると、キービジュアルのほうは遠景が現実とはけっこう違っていて、監督さんも含む映画スタッフさんのこうなったらいいなあという願望みたいなものがかなり入っている風景に変わっているかもなあと思ってみたり。
あとは、写真みると、東福院坂(NO.285)の坂上からの景色より須賀神社男坂(NO.284)の坂上からの景色のほうが高低差具合の関係がわかりやすいかもですね。


須賀神社男坂(NO.284)など2
写真2

あと、ここにきていつもびっくりするのは、須賀神社境内に「須賀の社hare terrace」なるなんとも現代的な集合住宅が建っていることですかね。(写真2)
写真2は須賀神社男坂(NO.284)の坂上あたりから境内方向をみているものです。


須賀神社男坂(NO.284)など3
写真3

「須賀の社hare terrace」を崖下から見るとこんな感じ。(写真3)
どうみても境内にある建物ですよね。


須賀神社男坂(NO.284)など4
写真4

あとはこれですかね。(写真4)
東福院坂(NO.285)の坂下あたりから須賀神社のほうを見ているものですが、たびねすの記事では須賀神社男坂(NO.284)の写真とアングルがかぶるので載せなかった写真ですね。
実は、映画で登場する東福院坂(NO.285)はまさにこのアングルからのもので、三葉がこの坂下から走ってくるシーンとして描かれていましたね。


そんなわけで、たびねすの記事では、4つの坂道を一気に紹介してみたわけですが、これらの坂道については、いずれもまだブログでは取り上げていない坂道ばかりなので、そのうち映画の聖地視点だけでなく、いつもの感じでも紹介できればなあと考えていますので、少々お待ちを。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。

つい最近、たびねすの記事にて「都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂」と題して、御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂を取り上げたわけなのですが、なんとこれまでにブログでは男坂(NO.218)は取り上げていたのですが、女坂のほうについてはすでにみちくさ学会の記事にて取り上げていたこともあり、ブログで取り上げておらず、坂道カウントもしていなかったのですよ。(長い、笑)
そんなわけで、今回は坂道ナンバリングとお知らせもかねて書いておくことにします。

以前から、このブログを読んでくださってる方には、またあそこかなどと思われるかたもいたかもしれませんが、やはりたびねすのフォーマットの中では初めての場所ですし、今後もなにか別の場所で書くことでもあれば、同じように紹介するかもです。

それにしても、なぜ神社の境内でもない場所にあんな男坂&女坂が存在するのか。
謎ですね。
僕の予想はたびねすの記事でもちらりとふれてますけど、やはりオマージュみたいなものなのかなと。
ただそれはあくまで僕の推測なので、もっとなにかの理由があったかもしれないですよね。
なのでそういうことを、これまでもそしてこれからも訪れるであろう坂道調査の結果や経験の中から予測していけるかもしれないと思うことはやはり楽しみのひとつかもですね。


そんなわけで、ここからは取材時に撮った気になる場所の写真をいくつかあげておきますね。


女坂(NO.283)1
写真1

すぐ隣に坂の碑があるのですが、こちらはあえて古そうな坂の名前が書かれた石碑のほうをぱちりと。


女坂(NO.283)2
写真2

こちらは女坂の途中にあった隣接するビルの非常階段ですね。
意外といい感じだったもので。


女坂(NO.283)3
写真3

こちらは女坂の坂上すぐの場所にあるアテネ・フランセの外観ですね。


女坂(NO.283)4
写真4

そしてこちらが、同じアテネ・フランセなのですが、坂下側の崖下から撮ってみたものです。
アテネ・フランセの写真はよくみかけるのですが、こちら側からの写真はなかなか珍しいんじゃないですかね。


女坂(NO.283)5
写真5

最後は、たびねすの記事では取り上げませんでしたけど、女坂の坂下側からほんのすこし歩いた場所にある住友不動産猿楽町ビルですね。いちおう芦原建築設計研究所が設計した高層ビルとのことです。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区神田駿河台2あたり

一昨日から昨日にかけて開催された六本木アートナイト2017なのですが、実は僕もちょっと見てきました。
実はここ数年は毎年見にいっているわりにはブログでとりあげることも少なくなっていたのですが、今回は、坂道とコラボした写真がけっこう撮れたので、時事ネタとして時間が経たないうちに公開しておこうかなと思い、記事にしておくことにしました。


アートナイト2017の夜1
写真1

まずはメトロ乃木坂駅の入口にて。(写真1)
これは、アートナイトとは関係ないですけど、例のかわった坂道というか橋の下の部分ですね。
当日は、ライトアップされた階段と月が見えていたので思わずぱちりと。


アートナイト2017の夜2
写真2

こちらは国立新美術館の中にある坂道ですね。(写真2)
以前にも取り上げましたけど、すこし違うのは、国立新美術館の建物の中でアートナイト関連の上映会をやっている様子も見えていたことですかね。


アートナイト2017の夜3
写真3

あと、写真2と同じ場所なのですが、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
ちょうど正面に蜷川実花さんによる「Tokyo Followers 1」なる作品が見えていました。
しかも、その奥には東京タワーも見えていたのですよ。
なので、この写真2の敷地内の坂道というか道のほう、実は東京タワーがみえる軸線で計画されたのではという考えを歩いていてふと思いついたのですが、どうでしょうかね。


アートナイト2017の夜4
写真4

こちらはミッドタウンの地下にあったもので、山根英治さんによる「四つの階段」なる作品ですね。(写真4)
まさにタイトルにひかれてぱちりと。
現地でははしご?と一瞬思ってしまったわけですが、よく見るとタイトルどおり急階段が4つありますね。


アートナイト2017の夜5
写真5

お馴染みのけやき坂ですね。(写真5)
今回のアートナイトでは坂道上になにかあるわけではなかったのですが、なんとなく気になったもので。
まあ普段の夜のけやき坂という感じでしたかね。


アートナイト2017の夜6
写真6

そいでもって、こちらは見たままですが、芋洗坂坂上あたりのものですね。(写真6)
世間的には六本木の有名なアマンドがある交差点でも知られている場所ですよね。
そして、ここにも山本洋子さんによる「アジアの花」なるカラフルな作品がありました。


アートナイト2017の夜7
写真7

写真6だけではわかりにくいかもなので、近くから見てみたものなども。(写真7)


アートナイト2017の夜8
写真8

こちらも同じく芋洗坂なのですが、坂の途中にアートナイト関連の作品があったので、坂道風景とあわせて撮ってみました。(写真8)
左側の駐車場隣のビルに投影されているのがそれで、リム・ソクチャンリナ、ナット・スワディーさんの映像作品が流れている「アジア映像集」というプログラムとのことみたいでした。
まあ、事前に知ってないとちょっとわかりにくいので、そのまま素通りしている人も多々いるみたいでしたね。


アートナイト2017の夜9
写真9

最後は、アートナイトとは関係ないのですが、芋洗坂の途中と合流している饂飩坂の坂下からの様子でも。(なので写真9は芋洗坂からのものともいえますかね。)
坂上はタクシーが列をなして渋滞状態になっていましたね。
まさに夜独特の景色という感じだったので、こちらも載せておくことにしました。


ということで、気がつけばけっこうな写真の量となってしまいましたが、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木

今回も、「ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう」の記事で同じ日にまわった時にみつけたよさげな階段をみつけたのでその時のことです。


聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段1
写真1

前に書いた記事「聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道」の坂道からほぼ坂上でつながっているところにあり、いろは坂からローターリーのある場所にいく途中の道(たぶん、いろは坂通りという名前がついていたと思います)からでも見える場所にありましたよ。(写真1)

さすがに写真に納めておいたのに、この階段と景色を紹介しないのは今までの流れから言ってもありえないなということで、今回取り上げておくことにしました。
ただ、この時は階段下まで行くことはしなかったので(汗)、とある街の風景カテゴリーにてとりあえず紹介ということにしてみたのですよ。

地図で方向を確認してみると、南東側に景色が開けているようで、多摩市や川崎市、横浜市(の山エリア)のあたりが見えていたみたいですね。
ただこのあたりは丘陵地帯なので、横浜市の街並みまで見えているかは要確認なのですが。。

でもまあ、これだけ階段上から景色が開けているところはなかなか珍しいので、一見の価値はあるかもですね。
あとは、前に取り上げた記事「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道」にて登場した天守台がこのすぐ北東側にあることから、ここも丘陵地帯の一部というより、かつての武蔵野台地を一望できたという城山の一部のため、このような街並みが一望できる景色が堪能できるのかもしれないのかなと思ってみたり。


聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段2
写真2

こちらも同じく、坂上からのものですが、見てのとおりもうすこし引き気味で撮ってみたものですね。(写真2)
この背後を通っている通り(いろは坂通り?)からみる感じはだいたいこのアングルと同じですかね。
こういう風に景色が広がっていれば、たいていの人は「お!」という風になるんじゃないですかね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
多摩市桜ケ丘1-3あたり

つい最近、御茶ノ水の山の上ホテルで「山の上ホテル作家展2017 ヴォーリズ建築としての山の上ホテル」という展覧会がやっていたので見てきましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。1
写真1

会場内にはこんな具合に、ヴォーリズ建築事務所所蔵の山の上ホテルの設計図の原図やら当時の写真をはじめ貴重な資料が展示されていました。(写真1)
要は、このホテルの建物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に焦点をあてた展覧会ということみたいでしたね。


山の上ホテルに行ってきました。2
写真2

あと帰りには山の上ホテル特製の栞と鉛筆までおみやげにいただきました。(^o^) (写真2)
写真は、その鉛筆です。
「山の上ホテル」という文字にちょっと感動すら覚えましたかね。

なお展覧会自体は、最初に公式HPにリンクしておいたように、8月31日までやっているみたいなので、山の上ホテル(=ヴォーリズ建築)とあわせて体験できる貴重な機会だと思いますし、無料なので気になる方はおすすめですよ。


山の上ホテルに行ってきました。3

写真3

あとはなんといっても山の上ホテルの一室(宴会会場とのことですが)が会場の展覧会ということで、(しかも)写真撮影もOKということだったので、あわせて階段の写真も記念に撮っておきましたよ。(写真3)
写真では細かなディテールがみえにくいですが、かなり工夫こらされていましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。4
写真4

階段以外にも何枚か撮らせてもらいましたが、今回はこの一枚だけ公開してみます。(写真4)
受付横にもラウンジがありましたが、こちらは階段を隔てて受付とは遠い側にあったラウンジのほうをパチリと。
このクラシックな感じ、たまらんですね。
公式HPのによると川端康成、三島由紀夫、池波正太郎をはじめ数多くの作家の定宿になっているとのことで、そういう意味では僕の好きな作家の一人でもある川端康成も生前ここでくつろいでいたのかなと思うとドキドキしてしまいましたかね。
あとは、このブログでも過去にホテルのことをふれている記事があったので読み直してみたら、村上春樹さんも以前はよく仕事で使っていたとのことみたいですね。


山の上ホテルに行ってきました。5
写真5

いろいろ書き留めたいこともありますが、今回はこれくらいにして、帰りにホテルの外観も一枚、記念に。(写真5)
雨模様の中に佇むホテルもいいですねえ。
行った時期は、梅雨明けしたのにもかかわらず、雨が降り続いた時期でしたかね。
ちなみにこのホテルは、1954年(昭和29年)の開業とのこと。
ちゃんと手入れして使っていれば、全然問題ないんですよね。というかこのホテル独特の空気感もちゃんとあって、いつかここに泊まることを夢見て頑張ろうという気になりました。(^o^)


山の上ホテルに行ってきました。6
写真6

そして、最後は、山の上ホテルから明大リバティ前の大通り(明大通り、というらしいですが)へと下る坂道が、前にも記事にしたことがある吉郎坂だったので、忘れずに一枚。(笑)(写真6)
太陽の位置と勾配具合がほどよいためか、雨のため路面が光っている具合が印象的でしたね。


ただこのあと、ひさびさに母校でもある明治のリバティー内にある図書館やら展望食堂なんかもついでに寄ろうと思ったんですが、盆休みで中に入れませんでした。。
できれば、展望食堂あたりからの山の上ホテルの風景も見れたらなあと思っていたんですけどね。
でもまあ、この時期らしいエピソードといえば、そうなのですが。(^o^)


ということで、今回は気がつけば、近くて遠い場所だった山の上ホテルの中に初めて入ることができたこともあり、ここにてさらりと書いておくことにしました。

ではまた。


地図
千代田区神田駿河台1-1

今回は、ひさびさに、少し前に新宿高島屋の屋上が開いている時間に行けたので、定点観測もかねての話でも。


ひさびさに新宿高島屋の屋上からの国立1
写真1

新宿高島屋の屋上から、現在建設中の国立競技場方面を撮ってみたものです。(写真1)
いちおう知らない方のために説明を追加しておくとですね、場所はちょうど写真正面あたり、赤と白のクレーンがたくさん見えているところが、国立競技場の建設現場ですね。(東京タワーもなにげにみえているんですけどね。)

時期的には、7月半ばに訪れた時の写真ですね。
7月半ばといえば、まだ晴れ間が続いて暑い時期でしたよね。

そして、今日(8月20日ですね)の時点で、東京では20日連続で雨が続き、40年ぶりの出来事になったという天気ニュースを読んで、ちょっと懐かしくなり、スカッと晴れていた時の青空写真を上げたくなったというのが、この記事書きたくなった動機ですかね。(笑)

しかも、昨日は世田谷でも雷雨になって花火大会も中止になったり。。
(せっかくなので、昨日の様子を伝えている動画ニュースにリンクしておきますよ。ちなみに選んだ動画は、長いことyoutube上に残っているANN系さんの動画ニュースにしてみました。)
たしか、世田谷以外にも、要は写真1でも写っている国立界隈でも雨降ったみたいですし、そういう意味では、この連日の雨模様、40年ぶりということは、競技場工事の進捗にも影響しているのかなあと思ってみたり。
大丈夫なのですかねえ。(汗)


ひさびさに新宿高島屋の屋上からの国立2
写真2

こちらは、おまけです。(写真2)
同じく屋上テラスにあった神社ですね。
なんかまわりの樹木にあたっている太陽の日差しが懐かしいような気もしますかね。(笑)
現地では由来を示す看板もなく、ただ熊鷹社と小さな鳥居に書かれていただけだったので、帰ってから調べてみると、ここは京都伏見稲荷大社の末社として鎮座しているとのこと。
簡単に言うと商売繁盛の神様みたいですね。
まあ、やはりという感じでした。

あとは、前から言ってますけど(汗)、今回のようなデパートやら商業施設ビルの屋上にある神社めぐりしたいなあと思っているんですけど、いつになることやら。(笑)
ただ、こうしてちょくちょく書くことで、思い出しますし、別に一気に回らなくても気がついた時(出会った時)に、写真撮っておいて、今日みたいに記事にしておくというのもありなのかなと思ってみたり。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区千駄ヶ谷5-24-2 (いつもここが渋谷区ということに違和感がぬけないのは僕だけですかね。)

今回も、「ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう」の記事で取材した時に一緒にまわった時の話です。
名前はついていないようでしたが、なかなかの坂道だったので、取り上げておくことにしましたよ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道1
写真1

ではいきなりですが。(写真1)
ここは、いろは坂の坂上にあたる場所(さらに前回の天守台(関戸城跡)よりすこしだけ坂上)でもあり、道の左側には桜ヶ丘浄水所がある場所です。
写真でも見えているとおり、左側には浄水所の給水塔が見えていて、奥の方に向かって下っている坂道です。
なんといっても給水塔とのコラボですかね。
なかなかいい感じだと思います。
さらに遠くのほうを眺めると、この地独特の高低差具合からくる景色もいい感じでした。
地図で見ると北東側に下っているので日野市あたりの街なみが見えていたのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道2
写真2

さらに坂を下り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
ここからもさらに下っているようで、遠景の街並みを確認すれば、その高低差具合もすこしばかりですが想像でそうでしたかね。
なお、この道路は坂上あたりの場所から「桜ヶ丘西通り」という通り名もついているため、ここからさらに坂下のほうへと道路は続いているようでした。

ちなみにこの浄水所、映画「耳をすませば」のラストシーンで、二人が景色を眺めていた場所なのかもしれないなどと、アニメの検証サイトで唱えている人も実はいたのですよ。たしかに雰囲気といい、いちおう多摩川の方向も向いているし、写真2の左の擁壁の上からならばそれっぽいところもあるのですが、僕の調べた限りではちょっと違う場所なのかなというのが正直な感想です。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道3
写真3

それはさておき、こちらは坂の途中から給水塔を見てみたものです。(写真3)
よく見ると、給水塔の壁面になにやら壁画が見えていますよね。
実はこれ、僕も現地ではほほーと思っていながら、どこにも説明らしきものがなかったので、帰ってから調べてみたら、多摩市のHPに説明があってですね、どうやら「輪華」という作品名で木版画家、河内成幸氏デザインのものらしいですよ。HPの説明によると『太陽を表す大きな円に、花弁が流れ飛ぶ様子が描かれています』とのこと。
ふむふむ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道4
写真4

そして、これですよ。(写真4)
ここは坂上からの景気もいいですが、この坂下からの勾配具合やら途中から道が分かれてY字路になっている真ん中に、例の給水塔があるという具合がなんともよかったです。
給水塔と左側の坂道だけでもなかなかですが、加えてのこのアングルからの景色も印象的で、無名坂にしておくのはもったいない坂道だなあなんて思ってみたり。


ということで、今回はこんな感じです。



地図
多摩市桜ケ丘4-10あたり

今回は、けっこう前のことですが、たびねすの記事『ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう』の取材とあわせてまわった階段の話でも。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道1
写真1

いきなりですがばばんと。(写真1)
たびねすの記事でもすこし取り上げましたが、京王の聖蹟桜ケ丘駅からいろは坂をのぼった高台のところに「天守台(関戸城跡)」なる案内板というか天守台の碑(標柱?)があり、その奥がかなりの高低差のある階段になっている場所があるんですよ。
そんなわけで、耳をすませばとの関連についてはたびねすのほうを見てもらうとしてですね、今回は階段自体についてクローズアップしてみたいと思うのです。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道2
写真2

天守台の碑のアップ写真など。(写真2)
せっかくなので、天守台の碑にも説明が書かれていましたので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近を「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見的城砦として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。(多摩市教育委員会)』
ということだそうです。
地図で確認してみると、多摩川も武蔵野台地もここからなら北東側を眺めれば一望できた場所だったみたいですね。
まあ、この地の北側にいろは坂があることからも、史実のようですね。

じゃあ、目の前に見えている南東側(多摩川方向とは反対側)に下る階段は?ということになりそうですが、これはおそらく、『、一帯の山を「城山」ともいう』という一文があることからも、このあたりがちょっとした山でもあったことを示す階段なんじゃないですかね。(あくまで仮定の話ですが。)


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道3
写真3

ではまず、階段上から坂下方向を見てみたものなど。(写真3)
こうしてみるとかなり高低差のある階段でした。
坂下あたりの様子も見えないし。。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道4
写真4

こちらは坂上からはまわりの樹木がじゃまして見えなかったので、階段を下り、写真3でもみえていた踊り場のあたりからの街並みですね。(写真4)
なかなかいい感じでしたね。
かつてのほどの高さはないとはいえ、やはりここがちょっとした山だった感じはわかるかもですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道5
写真5

一気に階段下までやってきて坂上方向を見てみました。(写真5)
なかなかの高低差ですね。
見た感じは抜道階段みたいにもみえそうですが、天守台の碑があることからも、けっこう昔からある階段なのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道6
写真6

そして、写真5の右側をみるとなんともいい感じの坂道が。(写真6)
おそらくこの小山を車で上るために後からつくられた道路のようでしたね。
訪れた時期が真冬だったので、こんな感じの見え方ですが、今の時期ならもっと緑にあふれていて、さらにいい感じになっていそうな坂道でしたかね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道7
写真7

坂の途中から見えた街並みなど。(写真7)
この景色もなんかいいですねえ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道8
写真8

そんでもって、写真6からも見えていた、折り返し地点でもある180度カーブのあるところまでやってきて、ぱちりと。(写真8)
ここからの景色もいい感じでした。
正面の木々にY字路のように見えている道、そして180度カーブ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道9
写真9

最後は、写真8の右側に見えていた坂上あたりからの様子など。(写真9)
なので写真は、天守台の碑のあたりから坂下方向を眺めてみたものですね。
なお坂道自体は、今回、180度カーブのあるところからのみ取り上げましたが、このまままっすぐ東方向に下っていく道もあるようでしたね。(要は写真8の背後方向ですね。)

そしてここも今の時期に訪れたら緑でいっぱいの風景っぽいですね。

しかも、ここは階段→坂道→階段→坂道・・・という具合にループで坂道散歩できる場所ということを書いている今、気が付きました。(笑)
そういう意味ではなかなかこういう場所ないかも。(天守台跡でもありますしね。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
東京都多摩市桜ケ丘1-4あたり

ひさびさに定点観測ネタでも。
前は、2016年8月に書いたので一年ぶりですかね。
ただ、写真撮ったのは6月も終わりの時期ですのであしからず。


代々木公園定期観測2017-1
写真1

ではいつもの歩道橋の展望デッキと名付けられた場所からの夜景でも。(写真1)
今回はこれだけ正方形アングルで。
風景的には特に変わった様子はないですね。(ほ、笑)


代々木公園定期観測2017-2
写真2

写真1からもちらりと見えている噴水のある場所にてぱちりと。(写真2)
こちらも特に変わった感じもなく、当日はぼんやりと噴水の色が変わるのを眺めていましたかね。しかも、まだ蚊がいないぎりぎりの時期だったので、ここを離れるときも快適でした。(笑)


代々木公園定期観測2017-3
写真3

ただですね、公園を訪れた日は、さっきの場所から南側(渋谷駅側)にあるイベント広場にて、アイドルグループのライブやっていたのですよ。(写真3)
グループ名はちょっと忘れましたけど、けっこう盛り上がってて、人もけっこういましたかね。
写真3はちょっと離れた歩道橋からのものです。
おかげで、当日は噴水のある場所にいるときもライブの音が聞こえてきていましたよ。

しかも、ここ最近不穏な情報が流れてきていて、この場所にスタジアムができるかもとかなんとかいううわさがあり今後どうなるかわからない場所でもあるんですよね。



動画

そして、今回は定点観測初の動画なども公開してみようと思います。
場所は写真1と同じところですね。
このあたりだと、すぐ背後にイベント広場があるのでかなりライブの音が聞こえていて、おかげで動画でもけっこう音拾うことできましたよ。
(画質面ではちと物足りないところもあるかなとは思いますが、それはおいおい勉強していくということでご勘弁を。)
とりあえず公園の日常と非日常をちょうど記録できたかもですね。


ということで、今回は音にも着目して定点観測してみました。
ではまた。


追記:20170913
記事を書いた時は、失念していたのですが、記事公開後に気になりちょっと調べてみたら、動画で流れているグループは、BISHというグループだということがわかったんですよ。ただ、そうは言っても、記事を修正するわけでもなくそのままにしていたのですが、今日ちょっとしたきっかけがあり、忘れないうちにこちらに追記しておくことにしました。
また、僕が偶然出くわしたフリーライブの様子も記事になっていましたね。これも今、調べてみたら見つかったのでリンクがてらです。
それにしても3000人もいたんですね。



住所
渋谷区代々木神園町2



今日は、ひさびさに七夕にちなんだ時事さんぽしてきました。

以前はよく七夕の時期には、都内をさんぽして時事イベントでもやっていないかなあと歩いたものですが、ここ数年はごぶさただったのですよね。
そんなわけで、ひさびさに7月7日の今日、原宿から渋谷方面にてくてくと歩いてみると、いくつかそれらしきものを見つけたので、今回は日記がてらのエントリーです。
(なので、写真も今日撮ったものばかりですよ。)


ひさびさの七夕さんぽ01
写真1

まずは、青山通り(246号通り)でみつけたものですね。(写真1)
七夕まつりというほどではなかったですが、なぜか青山学院大学前あたりのコーヒーショップ前に短冊がいっぱいつけられた笹竹がありました。

ちょうど階段途中に設けられていることもあり思わずぱちりと。(笑)
とりあえず、周りには人がたくさんいたので、なるべく写らないように、かつ階段もそれなりにいい感じで見えるアングル探しに苦労しましたかね。


ひさびさの七夕さんぽ02
写真2

あと、表参道ヒルズ内にもありましたね。(写真2)
ひさびさに中の階段でも見に行こうと(笑)、寄り道してみたらあったというわけなのです。
どうやら表参道ヒルズでは「占いフェス 2017 SUMMER」なるイベントがやっていて、そのイベント関連の笹竹と短冊のようでした。
ちなみに、今日は地下のイベントスペースで占いフェスのメインイベントもやっていたのですが、けっこう並んでいたので入りませんでした。(汗)

それはさておき、なんとも豪華な七夕らしい笹竹と短冊が見れたのはよかったかもですね。


ひさびさの七夕さんぽ03
写真3

せっかくなので笹竹と短冊をちょっと違った角度からもぱちりと。(写真3)
なんというか、このブログらしく階段とのコラボ写真にしてみました。(笑)


ひさびさの七夕さんぽ04
画像

最後は写真ではないですが、歌川広重の浮世絵シリーズ名所江戸百景のひとつ『市中繁栄七夕祭』などでも。
ここ数年は、七夕の時期に都内を歩いていても、なかなか笹竹と短冊の姿を見る機会が少なくなったような気がしますけど、江戸時代はこの浮世絵のようにそこらじゅうに、風物詩的な景色が広がっていたのですかねえ。

最近ではハロウィンの時のほうがこんな感じの勢いを感じる今日このごろですが、やっぱり七夕のほうももうすこしこういう風物詩的な景色を身近に体験してみたいものですなあと今日、渋谷界隈を歩いてみてしみじみと思ったのでした。


ということで、気がつけば、階段(坂道)とのコラボ写真ばかりとなり、めでたしめでたしという感じで、今回はこんな感じです。

さんべ坂と呼ぶそうです。
場所は、東京メトロ永田町駅からすぐの場所にあり、坂上は国道246号と接しており、そこから衆参の議員会館の方へと下っている坂道です。


三べ坂(NO.281)1
写真1

まずは坂上からのものなど。(写真1)
ちょうどこの後ろが、東京メトロ永田町駅が地下にある国道246号という場所ですね。
このあたりは比較的ゆるやかに下っている感じでしたかね。


三べ坂(NO.281)2
写真2

ちょうど写真1の右側には参議院議長公邸が隣接しているのですが、そこの出入り口あたりに、こんな感じで「華族女学校跡」なる石碑もありました。(写真2)
これは、かつて華族女学校がこの地にあったことからということみたいですね。
ちなみに、この碑、ちょっと調べてみたら戦時中の昭和18年に建てられた碑とのことみたいです。なので、戦災で燃えたり壊れたりしないように、こんな大きな石を削って、石碑にしたのかなあと思ってみたり。


三べ坂(NO.281)3
写真3

一気に坂を下り、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみたものです。(写真3)
この坂道のビューポイントはこのあたりですかね。
これまでにも何回かここを通っていますけど、議員会館が整然と並んでいる様やらこの高低差感、ヌケ感にいつも「ほほー」と思ってしまう感じですね。


三べ坂(NO.281)4
写真4

ほぼ同じ位置ですが、すこしばかり下って、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真4)
こちら側は、両側の立派な擁壁が印象的でしたかね。
こっちからだと意外と高低差感あるように見えていました。

あと、写真4の右側にちらりと見えていますけど、ここにも坂の碑があったのですが、雨風にさらされて文字が見えなかったのですよ。。
なので、坂の碑に書かれていたことを抜粋してくれている東京23区の坂道さんのサイトを参考にさせていただくとですね(平成5年くらいの内容ですが)、
『この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂という。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三邸ありし故に名づくといふ」とあります。また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました。』
とのこと。

「水坂」なんて別名もあったんですね。
なるほど。



三べ坂(NO.281)5
写真5

もうすこし、坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからだと、衆参の議員会館もかなり近いですね。
あと、昔はこの坂の左側、今はフェンスになっているところは、いい感じのかつての大蔵大臣公邸の名残りの赤レンガの塀が残っていたんですが、なくなってしまいましたね。。
なんというか大臣公邸のものなので、かなり気合い入れてつくられたはずの塀なので、ちょっともったいなかったかなあと今さらながら思っているのですが。


三べ坂(NO.281)6
写真6

写真5の位置からほんの少し下って、坂上方向を見てみたものです。(写真6)
こちら側から見るとここも高低差感ありますね。

あとはこの右側に赤レンガがあればさぞかし印象的な景色だったろうなあと思ってみたりもしますが、それはさておき、ここからは、坂道の風景とともに、遠くに見える坂上のいろんなビル群が印象的だったので、写真に残しておくことにしたのですよ。


ということで今回はこんな感じです。


(ひとこと)
今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃(2016年12月)の写真です。


地図
千代田区永田町2-17あたり

(とりあえず、昨年のたびねすの取材ついでにまわった坂道の写真もたまってきたので、しばらくはそのあたりの坂道を記事にしてみようかなと思っていますよ。)


すわ坂と呼ぶそうです。
場所は、メトロ永田町駅の出口とも直結していて、東京ガーデンテラス紀尾井町にも隣接している坂道です。


諏訪坂(NO.280)1
写真1

ではまず、坂下からの景色でも。(写真1)
比較的緩やかな勾配具合でしたかね。
しかもここからでも坂上あたりが見えているほど距離の短い坂道でした。

左側には、東京ガーデンテラス紀尾井町の高層ビルがあるんですが、ここは赤プリがかつてあった場所でもあるので、今のビル名よりも、赤プリ跡地と言ったほうが分かる人も多いかもですね。

ちなみに、このすぐそばには、いつものように坂の碑がありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『この坂を諏訪坂といいます。「新撰東京名所図会」には「北白川宮御門より赤坂門の方へ下る坂を名づく。もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり。」と記されています。道路の向かい都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。また、別名を達磨坂ともいいますが、旧北白川宮邸が紀州藩であった頃、その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と人々は呼ばれたためです。』
とありました。

坂の碑に書かれていたことも含めて、ちょっとした史実なんかについては、たびねすの記事の諏訪坂の項で書いてますのでそちらを見てくださいな。


諏訪坂(NO.280)2
写真2

前からだったのかは忘れましたが、東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地内に「空の広場」という広場があるんですが、これがちょうど今回の坂下あたりと隣り合っていたのですよね。(写真2)
写真2は、広場側から坂道を見た写真ですけど、こんな感じになっていたのですよ。

ちなみにちなみに、東京ガーデンテラス紀尾井町のHPにも「空の広場」の記載があったので、抜粋しておきますよ。
『赤坂御門の歴史的遺構を保存しつつデザインに取り込んだ「空の広場」は、開放的でフラットな空間。東京メトロ永田町駅の出入口に近くアクセスしやすい位置にあり、イベントの開催など様々な用途に最適です。また、広場の高台からは、弁慶濠が見下ろすことができるなど、気持ちの良い眺望が広がります。』
まあ、赤坂御門のことはほぼ触れず見た目のことをそのまま書いているみたいですね。


諏訪坂(NO.280)3
写真3

そんなわけで、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみました。(写真3)
左側は都道府県会館の敷地みたいなのですが、そこの空地と歩道が一帯になっていたので道路部分とあわせると道幅自体がけっこう広く見えていましたかね。
しかも遠くに見えるビルもちょっと雰囲気が一味違う外観のビルなので、やはり目がいってしまいますね。


諏訪坂(NO.280)4
写真4

そして、坂上あたりからさらに坂上方向を見ると、左側には、赤坂プリンスクラシックハウスが見えていましたよ。(写真4)
これは赤プリ時代からあった建物ですよね。
まあ東京ガーデンテラス紀尾井町ができるのにあわせてある程度はお化粧直しもされたみたいですけど。


諏訪坂(NO.280)5
写真5

最後は赤坂プリンスクラシックハウスのそばにあった「煉瓦基礎遺構」ですね。(写真5)
近くに案内看板があったので、一部を抜粋するとですね、
『2011年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より北白川宮邸洋館の煉瓦基礎が発見された。(略)洋館は煉瓦造2階建の壮麗なゴシック建築で、設計者はジョサイア・コンドルであった。』
ということだそうです。
そして、北白川宮邸洋館の跡地に今の赤坂プリンスクラシックハウスがあるというわけですよね。
(なお、案内看板に書かれていたことをかなり省いてしまいましたので、気になる方は現地でどうぞ。(笑))


なお、今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃の写真です。
とりあえず記事では2枚しか掲載できなかったので、こちらでも書いておくことにしました。
ということで、今回は、こんな感じです。

地図
千代田区平河町2あたり

たびねすの東京タワー界隈の坂道を取り上げた時(昨年の9月の記事)にあわせて東京タワー界隈もまわったのですが、そのときにちょっと気になる建築物を見つけたことを写真を見直していて思い出したので、今回はメモもかねてです。


金地院をぶらり1
写真1

東京タワーの真向かいに金地院というお寺があるのですが、その本堂がなんとも現代的なつくりだったので、写真に納めておいたというわけなのです。(写真1)
ふつう、お寺の本堂といえば、木造のあのつくりのパターンが多いわけですが、ここはちょっと違う感じでしたね。
こういう現代的なつくりの寺院といえば、築地本願寺をまず思いだしますし、もしかしてと思って設計者も調べてみると、伊東忠太ではありませんでしたが(笑)、坂本鹿名夫という建築家の方が設計したもののようでしたね。(検索してみたら興味深い記事がでてきたのでリンクしておきますね。)
つくりてきには、上からみると六角形になっていて、屋根にはなにやら不思議なオブジェもみられますね。


金地院をぶらり2
写真2

別角度(写真1の左側)からみるとこんな感じでした。(写真2)
ちなみに、この本堂は、昭和20年の東京大空襲によって以前あった本堂は消失してしまい、昭和29年(1954年)に再建されたもののようですね。(調べてみると、1956年新築という説もありますけど、とりあえず。)
なので築63年くらいですかね。
見た目は、さすがにお寺ということもあってメンテなどもそれなりにされているのか、つくりがシンプルなためなのか、それほど古さは感じないかもですね。
ただふつうの神社仏閣でこれくらいの築年数だとあまり驚かないのですが、つくりがまさにコンクリの現代風な建物だったので、これ知った時は、ちょっとだけ「え!」という気持ちになりましたけど。


金地院をぶらり3
写真3

そんなこんなで最後は、境内から東京タワーも見えていたのでぱちりと。(写真3)
まあ、こんな立地の場所だったのですよ。
なお、このお寺の公式HPのようなものはなかったですが、「霊場紹介」というサイトさんが、詳しい感じですので、お寺の史実などを知りたい方はそちらをどうぞ。

あ、あと、このお寺は、前にこのブログでもとりあげた、東京タワーの坂にも面しているんですよ。当時の記事ではこのお寺やら本堂の建物のことはスルーしてますけど。(笑)


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
港区芝公園3-5

今月はかなり更新頻度が落ちてしまってますね。(汗)

それはさておき、今回は2月のおわりに横浜のみなとみらいで行われたカメライベントに行ったときに、会場の近くで楽しい階段に出会ったので、忘れないうちに書いておくことにしますよ。


横浜のぷかりさん橋が見える階段1
写真1

いきなりですが、こちらの階段が、それだったのですよ。(写真1)
みなとみらいのパシフィコ横浜とつながっている国立大ホールからぷかりさん橋のほうに降りれる階段があったのですが、そこの景色がかなりよかったのです。
ぷかりさん橋の建物が印象的ですが、実は遠くに横浜ベイブリッジも見えたりして。
おそらく計画段階からこれは狙ってつくられたものでしょうね。
とにかく今思えば、2月の寒い時だったので、空気もすんでいてベイブリッジもよく見える時期だったのかなと。


横浜のぷかりさん橋が見える階段2
写真2

階段下から見るとこんな感じでした。(写真2)
踊り場が3つとゆったりなつくりのうえに、階段ライトアップもなかなか気合入ってますね。(笑)
ただ右側には、階段側からみると謎の方向むいている街灯があったりしてそこは気になってしまいましたかね。(まあ照らしている側に階段の踊場とつながっている通路があるのでそのためなのですが、階段上から景色みるときはすこし気になってしまうかなとも思ってみたり。)


横浜のぷかりさん橋が見える階段3
写真3

そして、最後は階段上からよく見えていた、ぷかりさん橋の建物などもぱちりと。(写真3)
なんか楽しいつくりですね。
ちなみにウィキペディアの解説によると、ぷかりさん橋は名前の通り、浮桟橋で、さらにこの建物も海に浮いているそうですよ。
なので、この建物は船扱いとのこと。
現地では気がつかなかったのでびっくりという感じでしたかね。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
神奈川県横浜市西区みなとみらい1

なんとなく、自分の中で話が広がってきだしたので、今回はメモをかねての記事です。


ここ数年は、パソコンサイトにてグーグル検索などで「坂道」と検索しただけでは、それほどの変化はあまり感じられないのですけど、SNSで「坂道」と検索するとですね、トップアイドルの動向がわかってしまうという不思議な現象が起こっているのですよ。

まず、SNSで最近、僕が「坂道」検索して見つけた記事がこちらです。
→『ツイート数の多い「坂道AKB」とは?』
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/111200014/032300036/

これを読むとここ最近のヒットチャートに「乃木坂46」やら「欅坂46」などの名前がでているとおりで、これらは坂道グループとよばれるアイドルグループの名前です。
そして、どうやら今時の若者はSNSを利用して、これらの人気グループ名をつぶやきに加えて頻繁にツイートしているみたいなのですよ。
そのおかげで、さきほどのトップアイドルの動向が「坂道」検索でわかってしまうという現象と書きましたが、このような事態につながるということですね。(笑)

なお、記事のタイトルにもあった「坂道AKB」とはこんなグループみたいです。(「坂道」検索で見つけたミュージックビデオがありました。)


坂道AKB


さらに、アイドル動画ばかりで、申し訳ないですが、先日SNSで、同様に「坂道」検索していたら、さらに新たな動画も発見しました。
それがこちらです。↓


欅坂46

さきほどの記事の中のヒットチャートにもでてきた欅坂46の「W-KEYAKIZAKAの詩」という曲のミュージックビデオ(=MV)です。
こちらはさきほどのチャートの曲とは違いますが、最近公開されたばかりの動画みたいですね。
この曲やMVに関する感想はまあいくつかありますけど、やはり、歌詞が坂道の歌(坂道をテーマにした曲とも言えますかね)にもなっているのが一番気になったポイントでしたかね。
あとは、これまでのことやグループの細かい並び順とか上下関係とかそのへんのことはわかりませんけど、各メンバー全体のカメラとの距離のとり方や映像の雰囲気が、個人的には、アニメ映画「耳をすませば」のエンディングロールをちょっと思い出してしまいましたよ。

ちなみに、「欅坂46」については、「鳥居坂46」になったかもしれなかったグループであることもおまけエピソードとしてありますよね。
なお、この「鳥居坂46」については、乃木坂と同様に実存する鳥居坂をモチーフにしていたみたいです。
実存する鳥居坂については、以前にたびねすの記事でも書いておりますよ。そういう意味では、まぼろしの鳥居坂46のエピソードのことも記事に一言いれておけばよかったかなとすこし後悔してみたり。(笑)

そんなわけで、なぜ急にこの記事をと思う人もあるかもですが、やはり坂道マニア(こう書くとまたどっちのこと言ってるかもわからなくなる人もいそうですが・・・。)としては、実存する坂道に加えて、坂道をテーマにした曲や坂道シーンが印象的にでてくる映画についても、ちょくちょく集めているので、このブログでも紹介してみることにしました。


ということで、坂道芸能民俗学的視点をおりまぜつつも(笑)、彼女たちのおかげで、「坂道」なるものが一般的にも楽しいものだというイメージを若者にはじまり色んな人に定着させてくれているかもしれないわけで、そういう意味でもちょっとした感謝もこめてこの記事を書いて残しておくことにしました。
では今回はこんな感じです。

今回は、たびねすで記事を書いていて、いろいろ追記したい事柄がでてきたこともあり、乃木坂 (NO.132)の続編でも書いてみたいと思います。


乃木坂今昔1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
坂の途中で、乃木坂トンネルにもぐる道と左に曲がり新しい部分の乃木坂に向かうところの写真ですね。

トンネルの上の部分は乃木坂陸橋とも呼ばれていて、昭和49年3月に完成したとのことです。
昭和49年?あれ?けっこう最近という感じですよね。


乃木坂今昔2
写真2

そこでこれなのですよ。(写真2)
たびねすの記事では、こういう昔の写真やら浮世絵を説明に使うことがNGなので、載せれなかったのですが、こんな風なかつての乃木坂の写真が、「江戸の坂 東京の坂」という本の中にあり、ちょっと拝借。
おそらく写真2は、写真1と同じ方向で、坂の途中から坂上方向を見てみたものと推測されます。
要はトンネルできる前の乃木坂ですね。
時期的には、「江戸の坂 東京の坂」の巻末に、これらの写真は昭和35年から42年にかけて著者が撮影したものと書かれていますので、だいたいそれくらいの時期のものだと思われます。

また今の乃木坂はかつて、幽霊坂という名前だったことはたびねすの記事でも書きましたが、「江戸の坂 東京の坂」の説明によると、実はそれ以前、行合坂やら膝折坂とも呼ばれていたそうですよ。
なので、本の説明部分を抜粋させてもらうとですね、
『『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記してある。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近吾堂版)には、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』
とありました。

ということは、「幽霊坂」の前の名前が「行合坂」で、別名で「膝折坂」とも呼ばれていたという感じなのですかね。

あとは、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」という本には、『『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。』なんてことも書かれていて、新撰東京名所図会は、明治時代の書物なので、これを加味すると、行合坂→幽霊坂→なだれ坂→乃木坂、という具合の名前変更の歴史があるのかもしれないですね。(汗)


乃木坂今昔3new
古地図1

せっかくなので、古地図も見てみましょうかね。(古地図1)
画像の部分で、赤く塗った部分が乃木坂で、今も昔も変わらない位置にあります。
で、青でうすく塗った部分が、現在の外苑東通りということになりますかね。
古地図を見ると乃木坂の西側つきあたりに「八幡宮」というのがありますよね。これがまさに『竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。』の部分なのではないですかね。


乃木坂今昔4new
古地図2

さっきのは「東都青山絵図」のほうだったのですが、こちらは「赤坂全図」のほうですね。(古地図2)
地図でいえばちょうど端っこのかぶっているエリアに乃木坂はあるみたいで、こちらの地図はどちらかといえば、乃木坂の東側エリアが詳しく記録されているもののようですね。
そして、これをみると赤くぬった部分の乃木坂のちゅうど真ん中あたりに「妙福寺」と書いてあります。なので、これが『この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』の部分で、幽霊坂と命名される元となったお寺もちゃんと地図に残っていて、実際にあったということですよね。


乃木坂今昔5

地図

そんなわけで、現代の地図(Googleさんの地図を拝借)に江戸時代の乃木坂の位置を描いてみるとこんな具合になりそうでした。
ちなみに、ちょうど今のギャラリー間のあるTOTO乃木坂ビルのあるあたりを緑で囲ってみました。古地図1を振り返ってみると、お寺があった位置とかぶりそうですね。
まあだからなんなんだという話でもありますけど、僕としてはギャラリー間に訪れるたびにいつも、ビルの前の道がへんなつくりだなあと思っていたのですが、こうして古地図で振り返ってみると、かつての古道は紫の色で塗った部分であったわけで、そういう意味では、このローターリーみたいになっていた場所(乃木坂駅への入口もありますよね)もそういう歴史があったのだなあとちょっと納得したわけだったのですよ。

あとは、写真2では坂道が二手に分かれていて、かつての乃木坂が、どちらかなのかは今でもわかりかねますし、この風景だって江戸時代の時とは違うのかもしれませんよね。
ただ、なんとなく今の乃木坂のトンネルと右側の階段、左側の坂道のつくりをみるとその名残りもあるのかなあと思いつつも、こればかりはもうちっと調べないとわからないところですかね。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区赤坂8あたり

たびねすの記事で乃木坂を取り上げたついでと言ったらなんですが、それとあわせてちょうど元SMAPのメンバーさん(超ぼかしてます、笑)のニュースも流れてきたということで、今回はこのネタつながりの話でも。

昨年の8月13日にSMAPが解散するという大きなニュースが流れたのはご存知の方も多いとは思いますが、実はその報道が流れる同日直前にたまたま乃木坂をぶらぶらと歩いて夜景撮影していたのですよ。

なので、今回は、目に見える景色だけがすべてじゃないという感じで、撮影してからだいぶ時間が経ってしまいましたが、記録もかねてその時の乃木坂の景色を振り返ってみたいと思います。


あの解散報道直前の乃木坂1
写真1

まずは、坂の途中にある乃木坂トンネルのところから坂下方向を見てみたものなど。(写真1)
時間的には20時前という写真記録が残っています。(もちろん日付は2016年8月13日。)
この日は土曜日で、しかもこの時間帯ということで車も少なかったですね。

しかも今あらためてじっくり見てみると、夜のほうが高低差具合もわかりやすいですね。


あの解散報道直前の乃木坂2
写真2

次は坂下あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
知っている方はわかると思いますが、このすぐそばには、あのニュースの中心となったジャニーズ事務所があるのですよ。
まあ、見てのとおりですが、この時は解散報道があるという雰囲気は微塵も感じられなかったですね。


あの解散報道直前の乃木坂3
写真3

そして・・・。(こっそり見えないアングルより。汗)(写真3)
当日はほんとひっそりしていて、報道陣がいたわけでもなく、全然わかりませんでしたかね。


あの解散報道直前の乃木坂4
写真4

そんなわけで、最後は乃木坂の新しい部分というか、坂の途中から坂上方向を眺めてみたものですね。(写真4)
こうしてみると、乃木坂って夜景でみるほうがなんか坂道景色的には楽しいかもなんて思ってしまったのですが、どうでしょうかね。


ということで、どうだったでしょうか。(笑)
とりあえず、写真だけみると、いつもの乃木坂の夜景にしか見えませんが、ほんと目に見える景色だけがすべてじゃないのですよ。
僕自身、これを書いていて、当日の雰囲気をすこし思い出しましたかね。
そして、なにより世間のなにかが変わる前の乃木坂の景色が記録できたのはよかったですし、ある意味、かつての乃木将軍以来の社会にインパクトを与える震源地としての乃木坂の存在が確認できたのもよかったかもです。


住所
港区赤坂8あたり

前に知恩院の男坂を取り上げましたが、やはり男坂があれば、女坂もあるのは全国共通ということですね。

場所は、同じく京都の知恩院の境内にあります。


知恩院の女坂(NO.279)1
写真1

では坂下からの景色でも。(写真1)
明らかに男坂と比べても緩やかですね。
ただ、ここは女坂によく見られるスロープではなく、階段でした。
ここから見るとなかなかかっこいいですし、まわりの緑との調和具合もいい感じです。


知恩院の女坂(NO.279)2
写真2

写真1の場所から左のほうをみると、ドーンとみえます。(写真2)
国宝の三門ですね。
三門についてのことは、男坂のほうで解説していますので、気になる方はそちらをどうぞ。


知恩院の女坂(NO.279)3
写真3

すこし階段を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真3)
坂下から見たときより、ここからのほうが高低差感ありましたかね。
それにしても三門と女坂、いいですねえ。


知恩院の女坂(NO.279)4
写真4

さらに階段を上ると、カクンとカーブするところがあり、そのあたりからの坂上方向を見たものです。(写真4)
もうここからなら坂上あたりが見えていました。
坂上の御影堂が仮囲いされてなければ、もうちっと京都っぽい景色になっていたのですが、残念。(笑)

あ、そうそう。
今仮囲されていて見えない御影堂ですが、実はこれも国宝なのですよね。
公式HPによると、『寛永10年(1633)の火災により焼失しましたが、寛永16年(1639)に徳川家光によって再建され、平成14年には国宝に指定されました。』
とあるので、僕が過去に見たものは、1639年に再建されたものということみたいですね。
なお、この御影堂の修理がおわり竣工するのは、2019年らしいです。


知恩院の女坂(NO.279)5
写真5

さらに階段を上り、坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからのカーブ具合いい感じでしたね。
そして、なにやら左側にも古そうな建物があったのですが、名前については調べるの忘れましたので(汗)、またそのうち再訪した時にでも調べておきますよ。


知恩院の女坂(NO.279)6
写真6

そんなわけで、やっと坂上あたりまでやってきました。(写真6)
なんかこう見ると、坂道の雰囲気、新しい感じがしなくもなかったですかね。
ちなみに、左下の「総本山 知恩院」と書かれた手摺の石柱が見えてますが、その裏には、平成23年2月建立と書かれてありましたよ。
むむむ。
ということは、この女坂も新しめの坂道なのですかね。
でも前からここはあったような。。
まあ、これもそのうち再訪した時に調べておきますよ。(汗)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
京都府京都市東山区林下町400

今年の正月は、関西の坂道もかなり散歩して写真も撮ったこともあり、名前のついた関西の坂道では、このブログ初となる場所を取り上げてみたいと思います。(みちくさ学会の記事ではダイジェストで書いていますけど、今回の坂道は取り上げていませんよ。)


場所は、京都市内にある八坂神社近くの知恩院の境内にあります。
三門から御影堂の方へと上る急階段で、坂名は男坂と名付けられています。


知恩院の男坂1
写真1

では、いきなりですが、坂下からの様子でも。(写真1)
知恩院に行ったことあるかたならわかると思いますが、大抵の人はここを歩くんじゃないですかね。
手前に2段、それから普通な感じの石段に踊り場。そしてその奥に急階段。
とにかく写真だけだと、わかりにくいですが、いい階段でしたよ。


知恩院の男坂2
写真2

次は階段を上り、踊り場まできて後ろを振り返ってみました。(写真2)
これみれば、あ!ここかあ、と思う人もでてきそうですかね。
奥に見えているのは、知恩院の三門で、公式HPによると「元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。」とのこと。
国宝ですよ。国宝。
よく考えてみたらすごいですね。
しかも現存の木造建築としては最大級の二重門だそうですよ。

ちなみに、この門は徳川時代につくられたもののようですが、知恩院自体は(公式HPみてもわかりにくいので、ウィキペディアのほうを参考にしてみると)承安5年(1175年)創建らしいです。
なので、この坂道というか階段については、すこし現地などで詳しく調べなおしてみないと、江戸時代にできたものなのか、それより昔のものなのかちょっと判断しかねますかね。
でもまあ、この階段はおそらく三門がつくられたときよりは整備されていなかったとはいえ、江戸時代より前にはすでにあった可能性は高いとは思いますけどね。(ほんとは江戸時代よりずっと昔にあった坂道なのですよねー、ほほー。と、きっぱり言いたいところなのですが。笑)


知恩院の男坂3
写真3

写真2と同じ位置より、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
かなりの急階段ですねえ。
一段一段の段差もけっこう大きいですね。

しかも、左右の擁壁も歴史感じますねー。


知恩院の男坂4
写真4

さらに階段を上り、急階段の途中からです。(写真4)
急勾配すぎて坂上のほうは見えませんね。


知恩院の男坂5
写真5

いちおう、階段の勾配具合もぱちりと。(写真5)
なんかこうしてみるとそんな感じはしないですが、現地ではかなりの急勾配感があったのですよ。


知恩院の男坂6
写真6

そんなわけで、坂上までやってきて坂下方向を見てみました。(写真6)
これだと急勾配具合わかりやすいんじゃないですかね。(汗)
そして、高低差具合もすごいです。


知恩院の男坂7
写真7

ちなみに、坂上そばには「七百五十万霊塔」なる立派な建造物も見えていましたよ。(写真7)
公式HPの年表を見ると、1959年落成とあるので、こちらは新しいもののようですね。


知恩院の男坂8
写真8

あと、奥にはだいぶ前にきたときは中に入った記憶もある御影堂ですが、現在は写真8のように大改修中でありましたよ。(写真8)
なんかすごい囲いですね。


知恩院の男坂9
写真9

ここからはおまけです。(写真9)
写真2でも登場した三門を、階段でいえば坂下方向側の知恩院の敷地外から見てみたものです。
僕自身、知恩院といえば、この風景を思い浮かべていたわけですが。
ちなみに、門手前の階段は、境内の案内看板によれば男坂ではないみたいですね。


知恩院の男坂10
写真10

最後は、三門にある賽銭箱のあたりから、坂下方向を見てみました。(写真10)
門の向こうには、知恩院道なる広々とした道路があり、なんか軸線概念ぽかったので、思わずぱちりと。


ということで、京都市内の坂道については、今回の男坂をみてもらっただけでもわかるとは思いますが、周辺の歴史的レイヤーがありすぎますし、写真についても空いている時期に坂道を歩くのもなかなか難しそうなので、一気に調査という感じにせず、今後ぼちぼちと定点観測していければなあと思っていますのでよろしくです。



地図
京都府京都市東山区林下町400

いはやは。
前回からすこし更新に間があいてしまいましたね。
そんなわけで今回は、先日、東京オペラシティーに立ち寄った時に、クリスマスらしい写真も撮れたので、急遽、直近ネタでも。


operacity1
写真1

いきなりですが、クリスマスツリーです。(写真1)
しかも、夜の。(笑)
新宿というか初台駅に直結した東京オペラシティーのサンクンガーデンなる広場に、どーんとこのように大きなクリスマスツリーが置かれていました。
知っている人も多いとは思いますが、例年ここにはツリーが飾ってあり、このブログでも2005年に一度だけ軽く取り上げていたみたいです。(ほんとさらりとした記事ですが・・・。)

そして、いつものように軽くネット調べてみたら、どうやら、これはオペラシティー全体のイルミイベントのひとつのようですね。(これだけの規模ならあたりまえなのですが。。)


operacity2
写真2

違う角度からもぱちりと。(写真2)
見てのとおりですが、階段とのコラボです。(笑)

でも、ここからだと、東京オペラシティーのサンクンガーデンと建物の関係もわかって、なかなかいい感じだったかも。



動画1

そして、これですね。(動画1)
初動画です。(クリスマスらしく、ちょっといつもとは趣向を変えて。笑)
なので、音も出ますよ。
(初なので未調整ということもあり、もしかしたら、開くのが重くなっているかもしないですのであしからず。。)

なんと、このイベントでは、サンクンガーデン内の階段部分にてプロジェクションマッピングによる空間演出までやっていたのですよ。
今回は、ちょうど帰ろうとした時に突然はじまったので、一眼カメラをリュックから取り出す時間もなく、スマホで急いで撮った動画ですが、ちょうど階段下のところにいたので、階段とのコラボの雰囲気、わかってもらえますかね。

ちなみに、このプロジェクションマッピング、今日(25日)の23時半までのイベントだそうですよ。

ということで、今回は、さらりとこんな感じです。


住所
新宿区西新宿3-20-2

今回は、先日、たびねすのミーティングイベントに参加した後に、東京駅グランルーフに立ち寄ってみたら、クリスマスまで開催中というライトアップイベントがやっていたのですよ。
なので、このままいつものようにほっておくと、クリスマスも過ぎてイベントもおわってしまいそうなので、今回は忘れないうちにさっそくということで。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
いつものように階段とともに。(笑)
グランルーフにもこんな大階段があったのですねえ。
すこし前にここを通ったことあるはずですが、その時は素通りでした。(汗)
でも今回は、見てのとおり天井部分が印象的にライトアップされていて、思わずぱちりと一枚という感じだったのです。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション2
写真2

もうすこし天井部分にフォーカスしてみるとこんな感じでした。(写真2)
なお、このライトアップイベントは、「東京駅グランルーフ light on train」というそうですよ。
公式サイトみたいなものもありました。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
http://www.tokyostationcity.com/special/lightontrain/index.html

しかも、
公式動画まで。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
https://youtu.be/0b7338rv5po

なのでこの動画みたら、だいたいここでどんなことやっているかわかりやすいかもですし、詳しいことは公式サイトのほうをどうぞ。(笑)

それはともかく、どうやら公式サイトの説明を読むと、「体験型インスタレーション」とあるので、制作した方々はアート作品的にみてほしいのですかね。
そういう意味では、このインスタレーション、公式サイトによればWOWというスタジオがクリエイティブディレクション(この言葉だとどこまで関わっているのかわかりにくいですが、まあそういうことだそうですよ。。)やら映像制作されているそうです。
(余談ですが、WOWさんの作品といえば、ニコンの動画「TOKYO DENSE FOG by WOW」が僕の中ではかなり印象に残っていますよ。)

そんなこんなで、現地での説明でも「インスタレーション」とあったので、著名なクリエーターさんがかかわっているのかな?と思ってはいたのですが、やはりそういうことだったのですね。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション3i
写真3

最後は、遠目からのものでも。(こちらだけスマホですが)(写真3)
動画にも近いアングルでてきましたが、あくまでこれは僕の視点という意味もこめてです。(笑)
とにかく、現地ではこの位置からでもなにをやっているか一目瞭然という感じでしたかね。




あ、そうそう。
せっかくなので、当日の日記がてらのこともちょこっと書いておきますが、このインスタレーションを見る前に、最近、寄稿記事を書かせてもらっているたびねすさんのミーティングイベントに参加してきたのですよ。
どうやら毎年開催されている行事のようで、僕のように人見知りするライターさんも過去に多くこられていたみたいで、いろいろと参加した方々が交流しやすいような工夫が随所にみられて、かなり助かったかもです。
とにかく、当日はどうもありがとうございました。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区丸の内1-9-1

以前に書いた「閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター」の続きといえばそうなのかもですが、閉店前の渋谷パルコの様子を撮った写真、まだあるのですよ。

すこし時間が経ってしまいましたが、今回は周辺の坂道とからめながらの話です。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
奥には渋谷パルコパート3の建物が見えていた場所ですね。
ここを歩いたことある方ならわかると思いますが、渋谷パルコ側から背後のほうへと下る結構な勾配具合の坂道になっているのですよ。
パルコ以外にも特徴的なお店がいっぱいある場所ですが、今回は目の前の渋谷パルコがなくなってしまう(建替ですが・・・)ということで、一時閉店になる前のパルコに絞って撮っておいたものなのです。
しかも、パルコの照明やらライトアップもわかりやすいということで、夜のものです。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道2
写真2

すこし坂をくだって坂下方向を見るとこんな感じの場所もあります。(写真2)
奥を横切っている道路が井ノ頭通りで、まさに渋谷の繁華街のど真ん中ともいえる場所ですね。
この通りのひと街区東側(写真2でいえば左側)にスペイン坂がある場所といえば、この勾配具合もすこし理解できそうですかね。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道3
写真3

そして、これですよ。(写真3)
写真2でも左の自販機の手前にちらりと見えていますが、いつもここを通るたびにゴミにまみれてある「山路愛山終えんの地」と書かれた木製の碑が気になっていたのですよ。
そんなこともあり、今回、ちょうどいい機会なので、写真にも撮っておいて、あんまり見ていて気持のいいものではないかもですが、あえて載せておくことにしました。

ちなみに、この碑には場所の説明も書かれてありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『史論家として知られる山路愛山は、元治元年(1864)浅草に生まれました。明治29年から大正6年、54歳で没するまでここに住み、多くの作品を発表しました。代表的な著書に 「豊太閤」「西郷隆盛」「足利尊氏」などがあります。』
とのこと。
なるほど。
いちおう、抜粋文に人物リンクも張ってますので、そちらもよかったらどうぞ。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道4
写真4

気になっていたことを片付けた後は、再びパルコ前にきてぱちりと。(写真4)
特に今回は建物のこまかいことにはふれませんが、こうしてみるとやはり懐かしいですねえ。
つい最近このあたりを通った時は真暗でしたからね。
それにしてもここからみると、やはり手前と奥でけっこうな高低差になっていますね。
そんな高低差具合を写真でみながら、このあたりの地形とのかねあいも実はパルコの建物に影響していたことを突然思い出してみたり。
そして、坂上あたりでスペイン坂と合流しているというのも、ここらあたりの地形の特徴ともいえるかもですね。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道5
写真5

最後はエントランスのアップでも。(写真5)
ここでも手前と奥に結構な段のある階段があったんですよねえ。
あらためて、こういう今はなくなってしまったエントランスをみていると、まだまだ使えそうな立派な壁や地面のタイルとかガラスとか照明とかあるのに、これはどうなってしまうのか考えてしまいますね。
このあたりのことは全然くわしくないので、また知人にでもそのうちきいてみますかね(まあ、プラモデルみたいにがちゃがちゃと取り外したりできないことぐらいはわかってますけど、それでもやはりですね)。。
(え〜、そんなことも知らないのーと馬鹿にされるかもしれませんが・・・。汗、笑)

ということで、今回はこんな感じです。


地図
渋谷区宇田川町14あたり

所在地:目黒区八雲2-11あたり


ひかわ坂と呼ぶそうです。
場所は、これまたわかりにくいのですが、坂上は目黒通りに面していて、以前とりあげた宮前坂(NO.276)の西側を同じように並行して北に下っている坂道です。


氷川坂(NO.277)1
写真1

ではまず坂上から。(写真1)
写真では、途中でかくっと道が曲がっていて勾配具合がわかりにくいですが、こんな感じだったのです。
この背後に、目黒通りがある場所ともいえますかね。
とりあえず、ここからだと正面のマンションと道路の兼ね合いの部分をみると勾配具合がわかりやすいかもですね。


氷川坂(NO.277)2
写真2

写真1ではちょっとわかりにくいので、すこし坂を下り、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
奥の横断歩道があるあたりが目黒通りですね。
こうしてみると勾配具合わかりやすいですね。
道幅的にも狭めで、それもあるのか手前から奥の方向にしかいけない一方通行の道になっていました。


氷川坂(NO.277)3
写真3

さらに坂道を下り、坂上方向を見てみました。(写真3)
だんだんと住宅街らしくなってきましたかね。
坂道自体もカーブしていていい感じ。


氷川坂(NO.277)4
写真4

さらに下り、坂下方向が見渡せるあたりがこれですね。(写真4)
もうこのあたりから平坦な道となっていました。

ちなみに、写真4でも見えているとおり、ここにもいつものような坂の碑がありましたので、抜粋しておくとですね、
『近くに氷川神社があるので氷川坂と呼ぶようになり、この坂下のあたりを坂口といった。坂のあるこの道から氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である。』
とありました。

氷川神社があるので氷川坂。
わかりやすいですね。
氷川神社については、後でもふれますが、今回の坂下をさらに歩くとあり、写真4でも実は奥のほうにちらりと見えていたりするのですよ。


氷川坂(NO.277)5
写真5

そんなわけで、坂下あたりまできて、坂上方向を眺めてみました。(写真5)
ここからすでにカーブして上っているので、見た目てきにも楽しいですかね。
しかも左側の坂の碑とあいまって、この奥になんかありそうな雰囲気を感じてしまうわけですが、坂道自体はこれまで歩いてきたような景色だったというわけなのですよ。


氷川坂(NO.277)6
写真6

そして、せっかくなので氷川神社もあわせてぱちりと。(写真6)
位置的には、写真4のときにも言ったように、今回の坂道の坂下方向(地図で言えば北側)へ歩くと、この場所にやってきます。
とにかく、境内の大きな樹木が印象でしたかね。
神社の成り立ちなどこまかいことは、ウィキペディアのほうをみてもらうとしてもですね、この神社、どうやらかなり古い歴史があるらしく、創建年代は不明であるものの、文化文政期(江戸時代末期の文化〜文政年間 (1804〜30) ごろ)成立の「新編武蔵風土記稿」にも境内の様子が書かれていることから、その頃にはすでに神社はあったとみてよいと思われるのですよね。
なので、そうであれば、坂の碑にも書いてあった「氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である」というのも、要は写真6の左右を横切っている道が「二子道」ということになりそうなので、必然的にここも古道になると考えていいかもしれないですね。


氷川坂(NO.277)7
写真7

そんなわけで、最後はおまけがてらの氷川神社の境内の様子でも。(写真7)
敷地は地図でみてもらうとわかりやすいですが、かなり縦長な形をしています。
なので、ここからだとかなり奥に本殿がある感じでしたね。(地図で距離を測ってみたら150mほどありました。。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区八雲2-11あたり



(追記:この坂も草なぎさんが走った坂道なので、リストに追加しました。)

所在地:目黒区八雲1-12あたり


みやまえ坂と呼ぶそうです。
場所は、ちょっと説明しにくいのですが、わかりやすいところでいえば、東横線都立大学駅から目黒通り沿いに西へすこしあるくと今回の坂道の坂上あたりにやってきます。


宮前坂(NO.276)1
写真1

ではまず、坂上からの景色でも。(写真1)
道幅も車2台ぶんくらいで、比較的広く、坂下まで見渡せる短めの坂道でしたよ。
この後ろが、目黒通りということもあり、坂上側に背の高めのマンションが建っていますが、奥は戸建てが並ぶ住宅街という場所でしたかね。


宮前坂(NO.276)2
写真2

坂を下り、中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
ここからだと建物1階分くらいの高低差はありそうですかね。
あとは左側の手前のビルの窓のというかベランダというか、なかなかおもしろいつくりしていましたよ。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はないのですが、「歩いてみたい東京の坂」という本にその由来が書かれてあり、抜粋させていただくとですね、
『八雲十中通りと呼ばれる古い道で、地番改正以前に、このあたり一帯が宮前町だったことからの坂名であろう』
とありました。
ただ別の本では、ここは無名坂で、となりの氷川坂を別名で宮前坂と呼んでいる場合もあるのですが、まわりを歩いてみた限りではこの近くに宮前坂という名の坂道はありませんし、「歩いてみたい東京の坂」ではここだと書かれてありますし(ただ今までにも、なにかと坂道の場所が違うということが散見される坂道本ではありますが)、このブログでは、名前がついている坂道は多くあればうれしいということもありますので(笑)、ここを宮前坂ととらえて、散歩してみることにしましたので、あしからず。


宮前坂(NO.276)3
写真3

そして、一気に坂下あたりまでやってきて坂上方向を見てみました。(写真3)
もうこのあたりはまっ平らな場所でしたかね。
ちなみに、この左右を横切っている緑道が、「しどめ坂 (NO.273)」の話の時にもでてきた、「呑川」で、今は暗渠になっているところですね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区八雲1-12あたり

実は、渋谷パルコPart1(地下に本屋があった棟)の地下へと向かう階段が、いい感じで、しかも公園通りのあの坂道から歩いてきて、そのまま入れることもあって、前からお気に入りの階段だったのですよ。
そんな中、渋谷パルコ全体が建物の老朽化のため、2016年8月7日をもって一時閉店に入るという話を聞き、建物が取り壊しになる前に写真を撮っておいたのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター1
写真1

まずはこちらから。(写真1)
公園通りの勤労福祉会館前交差点側から、今回の階段の出入口を見てみたものですね。
ここなのですよ。
非常階段と一体で計画されていつつも、ちゃんと出入り口としての役割も果たしているということに好感がもてたのですよね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター2
写真2

次は階段上からです。(写真2)
実際の階段は、上の階にもつながっていたのですが、今回はここから地下までを散歩対象としたので、今回の記事ではここを坂上ということにして、話を勧めますので、あしからず。

それはさておき、いろんなつくりの階段が楽しめて、ここからの景色はいつもながらいい感じですね。(笑)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター3
写真3

次は踊り場を一望できるポイントにてぱちりと。(写真3)
床のタイルのデザインがなんとも楽しい場所でしたかね。
しかも、両サイドの手摺も、ちょっと変わったつくりになっていますよね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター4
写真4

こちらは、写真3で見えていた踊り場までやってきて、階段上のほうを見てみたものです。(写真4)
ここからだと、手前の2種類の階段とともに、写真ではわざと人を写していませんが、通常なら公園通りを歩く大勢の人たちがちらちらと奥に見えてなにげに楽しい鑑賞スポットだったのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター5
写真5

写真4と同じ位置より、階段下を眺めてみたものです。(写真5)
このあたりは普通な階段といった感じですが、やはり両サイドの手摺が気になる場所でもありましたかね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター6
写真6

記念に、階段下にあった案内板でも。(写真6)
地下にはこんな感じで、店があったのですなあ。
art・book・culture・designでABCDですか。
なにげない案内板にもにくい演出があって楽しいですね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター7
写真7

こちらも記念に。(笑)(写真7)
地下店舗部分への出入口ですね。
なんかこの秘密の入口感がたまらなかったですね。
なんどここを通ったかも忘れたくらいお世話になりました。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター8
写真8

最後は、階段下からの景色でも。(写真8)

そして、ここからはおまけです。
これまであえて写真に写っていたのに取り上げなかったのですが、階段の壁面には、写真でも見えているとおり、「Last Dance」と書かれた著名な芸能人の方々のポスターが数点設置されていたのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター9
写真9

そんなわけで、記念に、設置されていたポスターすべて紹介しておきますね。(写真9)
まずは、階段上側にあったポスターには森山未來さんが写っていました。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター10
写真10

次は、写真8の踊り場のあたりにもみえていたポスターには、木村カエラさんが。(写真10)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター11
写真11

同じく踊り場の別の壁面のポスターには、中谷美紀さんが。(写真11)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター12
写真12

そして、最後の階段下側のポスターには、エリイさん(Chim↑Pom)が写っていたのですよ。(写真12)
なんとも豪華ですねえ。


ちなみに、この記事を書いている時に気になったので、軽く調べてみたら、なんと、このパルコのポスターに登場した方々へのインタビュー動画がyoutubeにありましたよ。
しかも、このポスター企画についての詳細情報を載せてくれている公式HPまでありました。
(とりあえず、それぞれについてリンクつけときますので、よかったらどうぞ。)

→『【パルコ】渋谷パルコ Last Dance_ SPECIAL MOVIE 2』
https://youtu.be/P0jlnE6rYE0


→『LastDance_|渋谷パルコ8.7sun一度さよなら。/advertising』
http://shibuya.parco.jp/lastdance_/advertising/


いやはや。
こんな動画やHPがあったとは。
たかが階段、されど階段。(笑)
歩いてみるものですね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
渋谷区宇田川町15-1

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