東京坂道さんぽ

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とある街の風景264(アートナイト2017の夜に六本木の坂道をぶらりと)
とある街の風景263(聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段)
山の上ホテルに行ってきました。
とある街の風景263(ひさびさに新宿高島屋からの国立)
聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道
聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道
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一昨日から昨日にかけて開催された六本木アートナイト2017なのですが、実は僕もちょっと見てきました。
実はここ数年は毎年見にいっているわりにはブログでとりあげることも少なくなっていたのですが、今回は、坂道とコラボした写真がけっこう撮れたので、時事ネタとして時間が経たないうちに公開しておこうかなと思い、記事にしておくことにしました。


アートナイト2017の夜1
写真1

まずはメトロ乃木坂駅の入口にて。(写真1)
これは、アートナイトとは関係ないですけど、例のかわった坂道というか橋の下の部分ですね。
当日は、ライトアップされた階段と月が見えていたので思わずぱちりと。


アートナイト2017の夜2
写真2

こちらは国立新美術館の中にある坂道ですね。(写真2)
以前にも取り上げましたけど、すこし違うのは、国立新美術館の建物の中でアートナイト関連の上映会をやっている様子も見えていたことですかね。


アートナイト2017の夜3
写真3

あと、写真2と同じ場所なのですが、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
ちょうど正面に蜷川実花さんによる「Tokyo Followers 1」なる作品が見えていました。
しかも、その奥には東京タワーも見えていたのですよ。
なので、この写真2の敷地内の坂道というか道のほう、実は東京タワーがみえる軸線で計画されたのではという考えを歩いていてふと思いついたのですが、どうでしょうかね。


アートナイト2017の夜4
写真4

こちらはミッドタウンの地下にあったもので、山根英治さんによる「四つの階段」なる作品ですね。(写真4)
まさにタイトルにひかれてぱちりと。
現地でははしご?と一瞬思ってしまったわけですが、よく見るとタイトルどおり急階段が4つありますね。


アートナイト2017の夜5
写真5

お馴染みのけやき坂ですね。(写真5)
今回のアートナイトでは坂道上になにかあるわけではなかったのですが、なんとなく気になったもので。
まあ普段の夜のけやき坂という感じでしたかね。


アートナイト2017の夜6
写真6

そいでもって、こちらは見たままですが、芋洗坂坂上あたりのものですね。(写真6)
世間的には六本木の有名なアマンドがある交差点でも知られている場所ですよね。
そして、ここにも山本洋子さんによる「アジアの花」なるカラフルな作品がありました。


アートナイト2017の夜7
写真7

写真6だけではわかりにくいかもなので、近くから見てみたものなども。(写真7)


アートナイト2017の夜8
写真8

こちらも同じく芋洗坂なのですが、坂の途中にアートナイト関連の作品があったので、坂道風景とあわせて撮ってみました。(写真8)
左側の駐車場隣のビルに投影されているのがそれで、リム・ソクチャンリナ、ナット・スワディーさんの映像作品が流れている「アジア映像集」というプログラムとのことみたいでした。
まあ、事前に知ってないとちょっとわかりにくいので、そのまま素通りしている人も多々いるみたいでしたね。


アートナイト2017の夜9
写真9

最後は、アートナイトとは関係ないのですが、芋洗坂の途中と合流している饂飩坂の坂下からの様子でも。(なので写真9は芋洗坂からのものともいえますかね。)
坂上はタクシーが列をなして渋滞状態になっていましたね。
まさに夜独特の景色という感じだったので、こちらも載せておくことにしました。


ということで、気がつけばけっこうな写真の量となってしまいましたが、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木

今回も、「ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう」の記事で同じ日にまわった時にみつけたよさげな階段をみつけたのでその時のことです。


聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段1
写真1

前に書いた記事「聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道」の坂道からほぼ坂上でつながっているところにあり、いろは坂からローターリーのある場所にいく途中の道(たぶん、いろは坂通りという名前がついていたと思います)からでも見える場所にありましたよ。(写真1)

さすがに写真に納めておいたのに、この階段と景色を紹介しないのは今までの流れから言ってもありえないなということで、今回取り上げておくことにしました。
ただ、この時は階段下まで行くことはしなかったので(汗)、とある街の風景カテゴリーにてとりあえず紹介ということにしてみたのですよ。

地図で方向を確認してみると、南東側に景色が開けているようで、多摩市や川崎市、横浜市(の山エリア)のあたりが見えていたみたいですね。
ただこのあたりは丘陵地帯なので、横浜市の街並みまで見えているかは要確認なのですが。。

でもまあ、これだけ階段上から景色が開けているところはなかなか珍しいので、一見の価値はあるかもですね。
あとは、前に取り上げた記事「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道」にて登場した天守台がこのすぐ北東側にあることから、ここも丘陵地帯の一部というより、かつての武蔵野台地を一望できたという城山の一部のため、このような街並みが一望できる景色が堪能できるのかもしれないのかなと思ってみたり。


聖蹟桜ケ丘の眺めのいい階段2
写真2

こちらも同じく、坂上からのものですが、見てのとおりもうすこし引き気味で撮ってみたものですね。(写真2)
この背後を通っている通り(いろは坂通り?)からみる感じはだいたいこのアングルと同じですかね。
こういう風に景色が広がっていれば、たいていの人は「お!」という風になるんじゃないですかね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
多摩市桜ケ丘1-3あたり

つい最近、御茶ノ水の山の上ホテルで「山の上ホテル作家展2017 ヴォーリズ建築としての山の上ホテル」という展覧会がやっていたので見てきましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。1
写真1

会場内にはこんな具合に、ヴォーリズ建築事務所所蔵の山の上ホテルの設計図の原図やら当時の写真をはじめ貴重な資料が展示されていました。(写真1)
要は、このホテルの建物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に焦点をあてた展覧会ということみたいでしたね。


山の上ホテルに行ってきました。2
写真2

あと帰りには山の上ホテル特製の栞と鉛筆までおみやげにいただきました。(^o^) (写真2)
写真は、その鉛筆です。
「山の上ホテル」という文字にちょっと感動すら覚えましたかね。

なお展覧会自体は、最初に公式HPにリンクしておいたように、8月31日までやっているみたいなので、山の上ホテル(=ヴォーリズ建築)とあわせて体験できる貴重な機会だと思いますし、無料なので気になる方はおすすめですよ。


山の上ホテルに行ってきました。3

写真3

あとはなんといっても山の上ホテルの一室(宴会会場とのことですが)が会場の展覧会ということで、(しかも)写真撮影もOKということだったので、あわせて階段の写真も記念に撮っておきましたよ。(写真3)
写真では細かなディテールがみえにくいですが、かなり工夫こらされていましたよ。


山の上ホテルに行ってきました。4
写真4

階段以外にも何枚か撮らせてもらいましたが、今回はこの一枚だけ公開してみます。(写真4)
受付横にもラウンジがありましたが、こちらは階段を隔てて受付とは遠い側にあったラウンジのほうをパチリと。
このクラシックな感じ、たまらんですね。
公式HPのによると川端康成、三島由紀夫、池波正太郎をはじめ数多くの作家の定宿になっているとのことで、そういう意味では僕の好きな作家の一人でもある川端康成も生前ここでくつろいでいたのかなと思うとドキドキしてしまいましたかね。
あとは、このブログでも過去にホテルのことをふれている記事があったので読み直してみたら、村上春樹さんも以前はよく仕事で使っていたとのことみたいですね。


山の上ホテルに行ってきました。5
写真5

いろいろ書き留めたいこともありますが、今回はこれくらいにして、帰りにホテルの外観も一枚、記念に。(写真5)
雨模様の中に佇むホテルもいいですねえ。
行った時期は、梅雨明けしたのにもかかわらず、雨が降り続いた時期でしたかね。
ちなみにこのホテルは、1954年(昭和29年)の開業とのこと。
ちゃんと手入れして使っていれば、全然問題ないんですよね。というかこのホテル独特の空気感もちゃんとあって、いつかここに泊まることを夢見て頑張ろうという気になりました。(^o^)


山の上ホテルに行ってきました。6
写真6

そして、最後は、山の上ホテルから明大リバティ前の大通り(明大通り、というらしいですが)へと下る坂道が、前にも記事にしたことがある吉郎坂だったので、忘れずに一枚。(笑)(写真6)
太陽の位置と勾配具合がほどよいためか、雨のため路面が光っている具合が印象的でしたね。


ただこのあと、ひさびさに母校でもある明治のリバティー内にある図書館やら展望食堂なんかもついでに寄ろうと思ったんですが、盆休みで中に入れませんでした。。
できれば、展望食堂あたりからの山の上ホテルの風景も見れたらなあと思っていたんですけどね。
でもまあ、この時期らしいエピソードといえば、そうなのですが。(^o^)


ということで、今回は気がつけば、近くて遠い場所だった山の上ホテルの中に初めて入ることができたこともあり、ここにてさらりと書いておくことにしました。

ではまた。


地図
千代田区神田駿河台1-1

今回は、ひさびさに、少し前に新宿高島屋の屋上が開いている時間に行けたので、定点観測もかねての話でも。


ひさびさに新宿高島屋の屋上からの国立1
写真1

新宿高島屋の屋上から、現在建設中の国立競技場方面を撮ってみたものです。(写真1)
いちおう知らない方のために説明を追加しておくとですね、場所はちょうど写真正面あたり、赤と白のクレーンがたくさん見えているところが、国立競技場の建設現場ですね。(東京タワーもなにげにみえているんですけどね。)

時期的には、7月半ばに訪れた時の写真ですね。
7月半ばといえば、まだ晴れ間が続いて暑い時期でしたよね。

そして、今日(8月20日ですね)の時点で、東京では20日連続で雨が続き、40年ぶりの出来事になったという天気ニュースを読んで、ちょっと懐かしくなり、スカッと晴れていた時の青空写真を上げたくなったというのが、この記事書きたくなった動機ですかね。(笑)

しかも、昨日は世田谷でも雷雨になって花火大会も中止になったり。。
(せっかくなので、昨日の様子を伝えている動画ニュースにリンクしておきますよ。ちなみに選んだ動画は、長いことyoutube上に残っているANN系さんの動画ニュースにしてみました。)
たしか、世田谷以外にも、要は写真1でも写っている国立界隈でも雨降ったみたいですし、そういう意味では、この連日の雨模様、40年ぶりということは、競技場工事の進捗にも影響しているのかなあと思ってみたり。
大丈夫なのですかねえ。(汗)


ひさびさに新宿高島屋の屋上からの国立2
写真2

こちらは、おまけです。(写真2)
同じく屋上テラスにあった神社ですね。
なんかまわりの樹木にあたっている太陽の日差しが懐かしいような気もしますかね。(笑)
現地では由来を示す看板もなく、ただ熊鷹社と小さな鳥居に書かれていただけだったので、帰ってから調べてみると、ここは京都伏見稲荷大社の末社として鎮座しているとのこと。
簡単に言うと商売繁盛の神様みたいですね。
まあ、やはりという感じでした。

あとは、前から言ってますけど(汗)、今回のようなデパートやら商業施設ビルの屋上にある神社めぐりしたいなあと思っているんですけど、いつになることやら。(笑)
ただ、こうしてちょくちょく書くことで、思い出しますし、別に一気に回らなくても気がついた時(出会った時)に、写真撮っておいて、今日みたいに記事にしておくというのもありなのかなと思ってみたり。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区千駄ヶ谷5-24-2 (いつもここが渋谷区ということに違和感がぬけないのは僕だけですかね。)

今回も、「ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう」の記事で取材した時に一緒にまわった時の話です。
名前はついていないようでしたが、なかなかの坂道だったので、取り上げておくことにしましたよ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道1
写真1

ではいきなりですが。(写真1)
ここは、いろは坂の坂上にあたる場所(さらに前回の天守台(関戸城跡)よりすこしだけ坂上)でもあり、道の左側には桜ヶ丘浄水所がある場所です。
写真でも見えているとおり、左側には浄水所の給水塔が見えていて、奥の方に向かって下っている坂道です。
なんといっても給水塔とのコラボですかね。
なかなかいい感じだと思います。
さらに遠くのほうを眺めると、この地独特の高低差具合からくる景色もいい感じでした。
地図で見ると北東側に下っているので日野市あたりの街なみが見えていたのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道2
写真2

さらに坂を下り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
ここからもさらに下っているようで、遠景の街並みを確認すれば、その高低差具合もすこしばかりですが想像でそうでしたかね。
なお、この道路は坂上あたりの場所から「桜ヶ丘西通り」という通り名もついているため、ここからさらに坂下のほうへと道路は続いているようでした。

ちなみにこの浄水所、映画「耳をすませば」のラストシーンで、二人が景色を眺めていた場所なのかもしれないなどと、アニメの検証サイトで唱えている人も実はいたのですよ。たしかに雰囲気といい、いちおう多摩川の方向も向いているし、写真2の左の擁壁の上からならばそれっぽいところもあるのですが、僕の調べた限りではちょっと違う場所なのかなというのが正直な感想です。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道3
写真3

それはさておき、こちらは坂の途中から給水塔を見てみたものです。(写真3)
よく見ると、給水塔の壁面になにやら壁画が見えていますよね。
実はこれ、僕も現地ではほほーと思っていながら、どこにも説明らしきものがなかったので、帰ってから調べてみたら、多摩市のHPに説明があってですね、どうやら「輪華」という作品名で木版画家、河内成幸氏デザインのものらしいですよ。HPの説明によると『太陽を表す大きな円に、花弁が流れ飛ぶ様子が描かれています』とのこと。
ふむふむ。


聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘浄水所横の坂道4
写真4

そして、これですよ。(写真4)
ここは坂上からの景気もいいですが、この坂下からの勾配具合やら途中から道が分かれてY字路になっている真ん中に、例の給水塔があるという具合がなんともよかったです。
給水塔と左側の坂道だけでもなかなかですが、加えてのこのアングルからの景色も印象的で、無名坂にしておくのはもったいない坂道だなあなんて思ってみたり。


ということで、今回はこんな感じです。



地図
多摩市桜ケ丘4-10あたり

今回は、けっこう前のことですが、たびねすの記事『ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう』の取材とあわせてまわった階段の話でも。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道1
写真1

いきなりですがばばんと。(写真1)
たびねすの記事でもすこし取り上げましたが、京王の聖蹟桜ケ丘駅からいろは坂をのぼった高台のところに「天守台(関戸城跡)」なる案内板というか天守台の碑(標柱?)があり、その奥がかなりの高低差のある階段になっている場所があるんですよ。
そんなわけで、耳をすませばとの関連についてはたびねすのほうを見てもらうとしてですね、今回は階段自体についてクローズアップしてみたいと思うのです。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道2
写真2

天守台の碑のアップ写真など。(写真2)
せっかくなので、天守台の碑にも説明が書かれていましたので、いつものように抜粋させていただくとですね、
『桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近を「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見的城砦として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。(多摩市教育委員会)』
ということだそうです。
地図で確認してみると、多摩川も武蔵野台地もここからなら北東側を眺めれば一望できた場所だったみたいですね。
まあ、この地の北側にいろは坂があることからも、史実のようですね。

じゃあ、目の前に見えている南東側(多摩川方向とは反対側)に下る階段は?ということになりそうですが、これはおそらく、『、一帯の山を「城山」ともいう』という一文があることからも、このあたりがちょっとした山でもあったことを示す階段なんじゃないですかね。(あくまで仮定の話ですが。)


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道3
写真3

ではまず、階段上から坂下方向を見てみたものなど。(写真3)
こうしてみるとかなり高低差のある階段でした。
坂下あたりの様子も見えないし。。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道4
写真4

こちらは坂上からはまわりの樹木がじゃまして見えなかったので、階段を下り、写真3でもみえていた踊り場のあたりからの街並みですね。(写真4)
なかなかいい感じでしたね。
かつてのほどの高さはないとはいえ、やはりここがちょっとした山だった感じはわかるかもですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道5
写真5

一気に階段下までやってきて坂上方向を見てみました。(写真5)
なかなかの高低差ですね。
見た感じは抜道階段みたいにもみえそうですが、天守台の碑があることからも、けっこう昔からある階段なのかもしれないですね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道6
写真6

そして、写真5の右側をみるとなんともいい感じの坂道が。(写真6)
おそらくこの小山を車で上るために後からつくられた道路のようでしたね。
訪れた時期が真冬だったので、こんな感じの見え方ですが、今の時期ならもっと緑にあふれていて、さらにいい感じになっていそうな坂道でしたかね。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道7
写真7

坂の途中から見えた街並みなど。(写真7)
この景色もなんかいいですねえ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道8
写真8

そんでもって、写真6からも見えていた、折り返し地点でもある180度カーブのあるところまでやってきて、ぱちりと。(写真8)
ここからの景色もいい感じでした。
正面の木々にY字路のように見えている道、そして180度カーブ。


聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道9
写真9

最後は、写真8の右側に見えていた坂上あたりからの様子など。(写真9)
なので写真は、天守台の碑のあたりから坂下方向を眺めてみたものですね。
なお坂道自体は、今回、180度カーブのあるところからのみ取り上げましたが、このまままっすぐ東方向に下っていく道もあるようでしたね。(要は写真8の背後方向ですね。)

そしてここも今の時期に訪れたら緑でいっぱいの風景っぽいですね。

しかも、ここは階段→坂道→階段→坂道・・・という具合にループで坂道散歩できる場所ということを書いている今、気が付きました。(笑)
そういう意味ではなかなかこういう場所ないかも。(天守台跡でもありますしね。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
東京都多摩市桜ケ丘1-4あたり

ひさびさに定点観測ネタでも。
前は、2016年8月に書いたので一年ぶりですかね。
ただ、写真撮ったのは6月も終わりの時期ですのであしからず。


代々木公園定期観測2017-1
写真1

ではいつもの歩道橋の展望デッキと名付けられた場所からの夜景でも。(写真1)
今回はこれだけ正方形アングルで。
風景的には特に変わった様子はないですね。(ほ、笑)


代々木公園定期観測2017-2
写真2

写真1からもちらりと見えている噴水のある場所にてぱちりと。(写真2)
こちらも特に変わった感じもなく、当日はぼんやりと噴水の色が変わるのを眺めていましたかね。しかも、まだ蚊がいないぎりぎりの時期だったので、ここを離れるときも快適でした。(笑)


代々木公園定期観測2017-3
写真3

ただですね、公園を訪れた日は、さっきの場所から南側(渋谷駅側)にあるイベント広場にて、アイドルグループのライブやっていたのですよ。(写真3)
グループ名はちょっと忘れましたけど、けっこう盛り上がってて、人もけっこういましたかね。
写真3はちょっと離れた歩道橋からのものです。
おかげで、当日は噴水のある場所にいるときもライブの音が聞こえてきていましたよ。

しかも、ここ最近不穏な情報が流れてきていて、この場所にスタジアムができるかもとかなんとかいううわさがあり今後どうなるかわからない場所でもあるんですよね。



動画

そして、今回は定点観測初の動画なども公開してみようと思います。
場所は写真1と同じところですね。
このあたりだと、すぐ背後にイベント広場があるのでかなりライブの音が聞こえていて、おかげで動画でもけっこう音拾うことできましたよ。
(画質面ではちと物足りないところもあるかなとは思いますが、それはおいおい勉強していくということでご勘弁を。)
とりあえず公園の日常と非日常をちょうど記録できたかもですね。


ということで、今回は音にも着目して定点観測してみました。
ではまた。


追記:20170913
記事を書いた時は、失念していたのですが、記事公開後に気になりちょっと調べてみたら、動画で流れているグループは、BISHというグループだということがわかったんですよ。ただ、そうは言っても、記事を修正するわけでもなくそのままにしていたのですが、今日ちょっとしたきっかけがあり、忘れないうちにこちらに追記しておくことにしました。
また、僕が偶然出くわしたフリーライブの様子も記事になっていましたね。これも今、調べてみたら見つかったのでリンクがてらです。
それにしても3000人もいたんですね。



住所
渋谷区代々木神園町2



さんべ坂と呼ぶそうです。
場所は、東京メトロ永田町駅からすぐの場所にあり、坂上は国道246号と接しており、そこから衆参の議員会館の方へと下っている坂道です。


三べ坂(NO.281)1
写真1

まずは坂上からのものなど。(写真1)
ちょうどこの後ろが、東京メトロ永田町駅が地下にある国道246号という場所ですね。
このあたりは比較的ゆるやかに下っている感じでしたかね。


三べ坂(NO.281)2
写真2

ちょうど写真1の右側には参議院議長公邸が隣接しているのですが、そこの出入り口あたりに、こんな感じで「華族女学校跡」なる石碑もありました。(写真2)
これは、かつて華族女学校がこの地にあったことからということみたいですね。
ちなみに、この碑、ちょっと調べてみたら戦時中の昭和18年に建てられた碑とのことみたいです。なので、戦災で燃えたり壊れたりしないように、こんな大きな石を削って、石碑にしたのかなあと思ってみたり。


三べ坂(NO.281)3
写真3

一気に坂を下り、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみたものです。(写真3)
この坂道のビューポイントはこのあたりですかね。
これまでにも何回かここを通っていますけど、議員会館が整然と並んでいる様やらこの高低差感、ヌケ感にいつも「ほほー」と思ってしまう感じですね。


三べ坂(NO.281)4
写真4

ほぼ同じ位置ですが、すこしばかり下って、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真4)
こちら側は、両側の立派な擁壁が印象的でしたかね。
こっちからだと意外と高低差感あるように見えていました。

あと、写真4の右側にちらりと見えていますけど、ここにも坂の碑があったのですが、雨風にさらされて文字が見えなかったのですよ。。
なので、坂の碑に書かれていたことを抜粋してくれている東京23区の坂道さんのサイトを参考にさせていただくとですね(平成5年くらいの内容ですが)、
『この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂という。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三邸ありし故に名づくといふ」とあります。また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました。』
とのこと。

「水坂」なんて別名もあったんですね。
なるほど。



三べ坂(NO.281)5
写真5

もうすこし、坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからだと、衆参の議員会館もかなり近いですね。
あと、昔はこの坂の左側、今はフェンスになっているところは、いい感じのかつての大蔵大臣公邸の名残りの赤レンガの塀が残っていたんですが、なくなってしまいましたね。。
なんというか大臣公邸のものなので、かなり気合い入れてつくられたはずの塀なので、ちょっともったいなかったかなあと今さらながら思っているのですが。


三べ坂(NO.281)6
写真6

写真5の位置からほんの少し下って、坂上方向を見てみたものです。(写真6)
こちら側から見るとここも高低差感ありますね。

あとはこの右側に赤レンガがあればさぞかし印象的な景色だったろうなあと思ってみたりもしますが、それはさておき、ここからは、坂道の風景とともに、遠くに見える坂上のいろんなビル群が印象的だったので、写真に残しておくことにしたのですよ。


ということで今回はこんな感じです。


(ひとこと)
今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃(2016年12月)の写真です。


地図
千代田区永田町2-17あたり

(とりあえず、昨年のたびねすの取材ついでにまわった坂道の写真もたまってきたので、しばらくはそのあたりの坂道を記事にしてみようかなと思っていますよ。)


すわ坂と呼ぶそうです。
場所は、メトロ永田町駅の出口とも直結していて、東京ガーデンテラス紀尾井町にも隣接している坂道です。


諏訪坂(NO.280)1
写真1

ではまず、坂下からの景色でも。(写真1)
比較的緩やかな勾配具合でしたかね。
しかもここからでも坂上あたりが見えているほど距離の短い坂道でした。

左側には、東京ガーデンテラス紀尾井町の高層ビルがあるんですが、ここは赤プリがかつてあった場所でもあるので、今のビル名よりも、赤プリ跡地と言ったほうが分かる人も多いかもですね。

ちなみに、このすぐそばには、いつものように坂の碑がありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『この坂を諏訪坂といいます。「新撰東京名所図会」には「北白川宮御門より赤坂門の方へ下る坂を名づく。もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり。」と記されています。道路の向かい都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。また、別名を達磨坂ともいいますが、旧北白川宮邸が紀州藩であった頃、その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と人々は呼ばれたためです。』
とありました。

坂の碑に書かれていたことも含めて、ちょっとした史実なんかについては、たびねすの記事の諏訪坂の項で書いてますのでそちらを見てくださいな。


諏訪坂(NO.280)2
写真2

前からだったのかは忘れましたが、東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地内に「空の広場」という広場があるんですが、これがちょうど今回の坂下あたりと隣り合っていたのですよね。(写真2)
写真2は、広場側から坂道を見た写真ですけど、こんな感じになっていたのですよ。

ちなみにちなみに、東京ガーデンテラス紀尾井町のHPにも「空の広場」の記載があったので、抜粋しておきますよ。
『赤坂御門の歴史的遺構を保存しつつデザインに取り込んだ「空の広場」は、開放的でフラットな空間。東京メトロ永田町駅の出入口に近くアクセスしやすい位置にあり、イベントの開催など様々な用途に最適です。また、広場の高台からは、弁慶濠が見下ろすことができるなど、気持ちの良い眺望が広がります。』
まあ、赤坂御門のことはほぼ触れず見た目のことをそのまま書いているみたいですね。


諏訪坂(NO.280)3
写真3

そんなわけで、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみました。(写真3)
左側は都道府県会館の敷地みたいなのですが、そこの空地と歩道が一帯になっていたので道路部分とあわせると道幅自体がけっこう広く見えていましたかね。
しかも遠くに見えるビルもちょっと雰囲気が一味違う外観のビルなので、やはり目がいってしまいますね。


諏訪坂(NO.280)4
写真4

そして、坂上あたりからさらに坂上方向を見ると、左側には、赤坂プリンスクラシックハウスが見えていましたよ。(写真4)
これは赤プリ時代からあった建物ですよね。
まあ東京ガーデンテラス紀尾井町ができるのにあわせてある程度はお化粧直しもされたみたいですけど。


諏訪坂(NO.280)5
写真5

最後は赤坂プリンスクラシックハウスのそばにあった「煉瓦基礎遺構」ですね。(写真5)
近くに案内看板があったので、一部を抜粋するとですね、
『2011年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より北白川宮邸洋館の煉瓦基礎が発見された。(略)洋館は煉瓦造2階建の壮麗なゴシック建築で、設計者はジョサイア・コンドルであった。』
ということだそうです。
そして、北白川宮邸洋館の跡地に今の赤坂プリンスクラシックハウスがあるというわけですよね。
(なお、案内看板に書かれていたことをかなり省いてしまいましたので、気になる方は現地でどうぞ。(笑))


なお、今回撮った写真は、たびねすの記事「メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり」の回で取材した時のものばかりです。なので、時期的にはその頃の写真です。
とりあえず記事では2枚しか掲載できなかったので、こちらでも書いておくことにしました。
ということで、今回は、こんな感じです。

地図
千代田区平河町2あたり

たびねすの東京タワー界隈の坂道を取り上げた時(昨年の9月の記事)にあわせて東京タワー界隈もまわったのですが、そのときにちょっと気になる建築物を見つけたことを写真を見直していて思い出したので、今回はメモもかねてです。


金地院をぶらり1
写真1

東京タワーの真向かいに金地院というお寺があるのですが、その本堂がなんとも現代的なつくりだったので、写真に納めておいたというわけなのです。(写真1)
ふつう、お寺の本堂といえば、木造のあのつくりのパターンが多いわけですが、ここはちょっと違う感じでしたね。
こういう現代的なつくりの寺院といえば、築地本願寺をまず思いだしますし、もしかしてと思って設計者も調べてみると、伊東忠太ではありませんでしたが(笑)、坂本鹿名夫という建築家の方が設計したもののようでしたね。(検索してみたら興味深い記事がでてきたのでリンクしておきますね。)
つくりてきには、上からみると六角形になっていて、屋根にはなにやら不思議なオブジェもみられますね。


金地院をぶらり2
写真2

別角度(写真1の左側)からみるとこんな感じでした。(写真2)
ちなみに、この本堂は、昭和20年の東京大空襲によって以前あった本堂は消失してしまい、昭和29年(1954年)に再建されたもののようですね。(調べてみると、1956年新築という説もありますけど、とりあえず。)
なので築63年くらいですかね。
見た目は、さすがにお寺ということもあってメンテなどもそれなりにされているのか、つくりがシンプルなためなのか、それほど古さは感じないかもですね。
ただふつうの神社仏閣でこれくらいの築年数だとあまり驚かないのですが、つくりがまさにコンクリの現代風な建物だったので、これ知った時は、ちょっとだけ「え!」という気持ちになりましたけど。


金地院をぶらり3
写真3

そんなこんなで最後は、境内から東京タワーも見えていたのでぱちりと。(写真3)
まあ、こんな立地の場所だったのですよ。
なお、このお寺の公式HPのようなものはなかったですが、「霊場紹介」というサイトさんが、詳しい感じですので、お寺の史実などを知りたい方はそちらをどうぞ。

あ、あと、このお寺は、前にこのブログでもとりあげた、東京タワーの坂にも面しているんですよ。当時の記事ではこのお寺やら本堂の建物のことはスルーしてますけど。(笑)


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
港区芝公園3-5

今回は、先日、たびねすのミーティングイベントに参加した後に、東京駅グランルーフに立ち寄ってみたら、クリスマスまで開催中というライトアップイベントがやっていたのですよ。
なので、このままいつものようにほっておくと、クリスマスも過ぎてイベントもおわってしまいそうなので、今回は忘れないうちにさっそくということで。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
いつものように階段とともに。(笑)
グランルーフにもこんな大階段があったのですねえ。
すこし前にここを通ったことあるはずですが、その時は素通りでした。(汗)
でも今回は、見てのとおり天井部分が印象的にライトアップされていて、思わずぱちりと一枚という感じだったのです。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション2
写真2

もうすこし天井部分にフォーカスしてみるとこんな感じでした。(写真2)
なお、このライトアップイベントは、「東京駅グランルーフ light on train」というそうですよ。
公式サイトみたいなものもありました。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
http://www.tokyostationcity.com/special/lightontrain/index.html

しかも、
公式動画まで。
→『東京駅グランルーフ Light on Train』
https://youtu.be/0b7338rv5po

なのでこの動画みたら、だいたいここでどんなことやっているかわかりやすいかもですし、詳しいことは公式サイトのほうをどうぞ。(笑)

それはともかく、どうやら公式サイトの説明を読むと、「体験型インスタレーション」とあるので、制作した方々はアート作品的にみてほしいのですかね。
そういう意味では、このインスタレーション、公式サイトによればWOWというスタジオがクリエイティブディレクション(この言葉だとどこまで関わっているのかわかりにくいですが、まあそういうことだそうですよ。。)やら映像制作されているそうです。
(余談ですが、WOWさんの作品といえば、ニコンの動画「TOKYO DENSE FOG by WOW」が僕の中ではかなり印象に残っていますよ。)

そんなこんなで、現地での説明でも「インスタレーション」とあったので、著名なクリエーターさんがかかわっているのかな?と思ってはいたのですが、やはりそういうことだったのですね。


東京駅グランルーフの大階段とインスタレーション3i
写真3

最後は、遠目からのものでも。(こちらだけスマホですが)(写真3)
動画にも近いアングルでてきましたが、あくまでこれは僕の視点という意味もこめてです。(笑)
とにかく、現地ではこの位置からでもなにをやっているか一目瞭然という感じでしたかね。




あ、そうそう。
せっかくなので、当日の日記がてらのこともちょこっと書いておきますが、このインスタレーションを見る前に、最近、寄稿記事を書かせてもらっているたびねすさんのミーティングイベントに参加してきたのですよ。
どうやら毎年開催されている行事のようで、僕のように人見知りするライターさんも過去に多くこられていたみたいで、いろいろと参加した方々が交流しやすいような工夫が随所にみられて、かなり助かったかもです。
とにかく、当日はどうもありがとうございました。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区丸の内1-9-1

以前に書いた「閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター」の続きといえばそうなのかもですが、閉店前の渋谷パルコの様子を撮った写真、まだあるのですよ。

すこし時間が経ってしまいましたが、今回は周辺の坂道とからめながらの話です。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
奥には渋谷パルコパート3の建物が見えていた場所ですね。
ここを歩いたことある方ならわかると思いますが、渋谷パルコ側から背後のほうへと下る結構な勾配具合の坂道になっているのですよ。
パルコ以外にも特徴的なお店がいっぱいある場所ですが、今回は目の前の渋谷パルコがなくなってしまう(建替ですが・・・)ということで、一時閉店になる前のパルコに絞って撮っておいたものなのです。
しかも、パルコの照明やらライトアップもわかりやすいということで、夜のものです。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道2
写真2

すこし坂をくだって坂下方向を見るとこんな感じの場所もあります。(写真2)
奥を横切っている道路が井ノ頭通りで、まさに渋谷の繁華街のど真ん中ともいえる場所ですね。
この通りのひと街区東側(写真2でいえば左側)にスペイン坂がある場所といえば、この勾配具合もすこし理解できそうですかね。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道3
写真3

そして、これですよ。(写真3)
写真2でも左の自販機の手前にちらりと見えていますが、いつもここを通るたびにゴミにまみれてある「山路愛山終えんの地」と書かれた木製の碑が気になっていたのですよ。
そんなこともあり、今回、ちょうどいい機会なので、写真にも撮っておいて、あんまり見ていて気持のいいものではないかもですが、あえて載せておくことにしました。

ちなみに、この碑には場所の説明も書かれてありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『史論家として知られる山路愛山は、元治元年(1864)浅草に生まれました。明治29年から大正6年、54歳で没するまでここに住み、多くの作品を発表しました。代表的な著書に 「豊太閤」「西郷隆盛」「足利尊氏」などがあります。』
とのこと。
なるほど。
いちおう、抜粋文に人物リンクも張ってますので、そちらもよかったらどうぞ。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道4
写真4

気になっていたことを片付けた後は、再びパルコ前にきてぱちりと。(写真4)
特に今回は建物のこまかいことにはふれませんが、こうしてみるとやはり懐かしいですねえ。
つい最近このあたりを通った時は真暗でしたからね。
それにしてもここからみると、やはり手前と奥でけっこうな高低差になっていますね。
そんな高低差具合を写真でみながら、このあたりの地形とのかねあいも実はパルコの建物に影響していたことを突然思い出してみたり。
そして、坂上あたりでスペイン坂と合流しているというのも、ここらあたりの地形の特徴ともいえるかもですね。


渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道5
写真5

最後はエントランスのアップでも。(写真5)
ここでも手前と奥に結構な段のある階段があったんですよねえ。
あらためて、こういう今はなくなってしまったエントランスをみていると、まだまだ使えそうな立派な壁や地面のタイルとかガラスとか照明とかあるのに、これはどうなってしまうのか考えてしまいますね。
このあたりのことは全然くわしくないので、また知人にでもそのうちきいてみますかね(まあ、プラモデルみたいにがちゃがちゃと取り外したりできないことぐらいはわかってますけど、それでもやはりですね)。。
(え〜、そんなことも知らないのーと馬鹿にされるかもしれませんが・・・。汗、笑)

ということで、今回はこんな感じです。


地図
渋谷区宇田川町14あたり

所在地:目黒区八雲2-11あたり


ひかわ坂と呼ぶそうです。
場所は、これまたわかりにくいのですが、坂上は目黒通りに面していて、以前とりあげた宮前坂(NO.276)の西側を同じように並行して北に下っている坂道です。


氷川坂(NO.277)1
写真1

ではまず坂上から。(写真1)
写真では、途中でかくっと道が曲がっていて勾配具合がわかりにくいですが、こんな感じだったのです。
この背後に、目黒通りがある場所ともいえますかね。
とりあえず、ここからだと正面のマンションと道路の兼ね合いの部分をみると勾配具合がわかりやすいかもですね。


氷川坂(NO.277)2
写真2

写真1ではちょっとわかりにくいので、すこし坂を下り、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
奥の横断歩道があるあたりが目黒通りですね。
こうしてみると勾配具合わかりやすいですね。
道幅的にも狭めで、それもあるのか手前から奥の方向にしかいけない一方通行の道になっていました。


氷川坂(NO.277)3
写真3

さらに坂道を下り、坂上方向を見てみました。(写真3)
だんだんと住宅街らしくなってきましたかね。
坂道自体もカーブしていていい感じ。


氷川坂(NO.277)4
写真4

さらに下り、坂下方向が見渡せるあたりがこれですね。(写真4)
もうこのあたりから平坦な道となっていました。

ちなみに、写真4でも見えているとおり、ここにもいつものような坂の碑がありましたので、抜粋しておくとですね、
『近くに氷川神社があるので氷川坂と呼ぶようになり、この坂下のあたりを坂口といった。坂のあるこの道から氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である。』
とありました。

氷川神社があるので氷川坂。
わかりやすいですね。
氷川神社については、後でもふれますが、今回の坂下をさらに歩くとあり、写真4でも実は奥のほうにちらりと見えていたりするのですよ。


氷川坂(NO.277)5
写真5

そんなわけで、坂下あたりまできて、坂上方向を眺めてみました。(写真5)
ここからすでにカーブして上っているので、見た目てきにも楽しいですかね。
しかも左側の坂の碑とあいまって、この奥になんかありそうな雰囲気を感じてしまうわけですが、坂道自体はこれまで歩いてきたような景色だったというわけなのですよ。


氷川坂(NO.277)6
写真6

そして、せっかくなので氷川神社もあわせてぱちりと。(写真6)
位置的には、写真4のときにも言ったように、今回の坂道の坂下方向(地図で言えば北側)へ歩くと、この場所にやってきます。
とにかく、境内の大きな樹木が印象でしたかね。
神社の成り立ちなどこまかいことは、ウィキペディアのほうをみてもらうとしてもですね、この神社、どうやらかなり古い歴史があるらしく、創建年代は不明であるものの、文化文政期(江戸時代末期の文化〜文政年間 (1804〜30) ごろ)成立の「新編武蔵風土記稿」にも境内の様子が書かれていることから、その頃にはすでに神社はあったとみてよいと思われるのですよね。
なので、そうであれば、坂の碑にも書いてあった「氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である」というのも、要は写真6の左右を横切っている道が「二子道」ということになりそうなので、必然的にここも古道になると考えていいかもしれないですね。


氷川坂(NO.277)7
写真7

そんなわけで、最後はおまけがてらの氷川神社の境内の様子でも。(写真7)
敷地は地図でみてもらうとわかりやすいですが、かなり縦長な形をしています。
なので、ここからだとかなり奥に本殿がある感じでしたね。(地図で距離を測ってみたら150mほどありました。。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区八雲2-11あたり



(追記:この坂も草なぎさんが走った坂道なので、リストに追加しました。)

所在地:目黒区八雲1-12あたり


みやまえ坂と呼ぶそうです。
場所は、ちょっと説明しにくいのですが、わかりやすいところでいえば、東横線都立大学駅から目黒通り沿いに西へすこしあるくと今回の坂道の坂上あたりにやってきます。


宮前坂(NO.276)1
写真1

ではまず、坂上からの景色でも。(写真1)
道幅も車2台ぶんくらいで、比較的広く、坂下まで見渡せる短めの坂道でしたよ。
この後ろが、目黒通りということもあり、坂上側に背の高めのマンションが建っていますが、奥は戸建てが並ぶ住宅街という場所でしたかね。


宮前坂(NO.276)2
写真2

坂を下り、中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。(写真2)
ここからだと建物1階分くらいの高低差はありそうですかね。
あとは左側の手前のビルの窓のというかベランダというか、なかなかおもしろいつくりしていましたよ。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はないのですが、「歩いてみたい東京の坂」という本にその由来が書かれてあり、抜粋させていただくとですね、
『八雲十中通りと呼ばれる古い道で、地番改正以前に、このあたり一帯が宮前町だったことからの坂名であろう』
とありました。
ただ別の本では、ここは無名坂で、となりの氷川坂を別名で宮前坂と呼んでいる場合もあるのですが、まわりを歩いてみた限りではこの近くに宮前坂という名の坂道はありませんし、「歩いてみたい東京の坂」ではここだと書かれてありますし(ただ今までにも、なにかと坂道の場所が違うということが散見される坂道本ではありますが)、このブログでは、名前がついている坂道は多くあればうれしいということもありますので(笑)、ここを宮前坂ととらえて、散歩してみることにしましたので、あしからず。


宮前坂(NO.276)3
写真3

そして、一気に坂下あたりまでやってきて坂上方向を見てみました。(写真3)
もうこのあたりはまっ平らな場所でしたかね。
ちなみに、この左右を横切っている緑道が、「しどめ坂 (NO.273)」の話の時にもでてきた、「呑川」で、今は暗渠になっているところですね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区八雲1-12あたり

実は、渋谷パルコPart1(地下に本屋があった棟)の地下へと向かう階段が、いい感じで、しかも公園通りのあの坂道から歩いてきて、そのまま入れることもあって、前からお気に入りの階段だったのですよ。
そんな中、渋谷パルコ全体が建物の老朽化のため、2016年8月7日をもって一時閉店に入るという話を聞き、建物が取り壊しになる前に写真を撮っておいたのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター1
写真1

まずはこちらから。(写真1)
公園通りの勤労福祉会館前交差点側から、今回の階段の出入口を見てみたものですね。
ここなのですよ。
非常階段と一体で計画されていつつも、ちゃんと出入り口としての役割も果たしているということに好感がもてたのですよね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター2
写真2

次は階段上からです。(写真2)
実際の階段は、上の階にもつながっていたのですが、今回はここから地下までを散歩対象としたので、今回の記事ではここを坂上ということにして、話を勧めますので、あしからず。

それはさておき、いろんなつくりの階段が楽しめて、ここからの景色はいつもながらいい感じですね。(笑)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター3
写真3

次は踊り場を一望できるポイントにてぱちりと。(写真3)
床のタイルのデザインがなんとも楽しい場所でしたかね。
しかも、両サイドの手摺も、ちょっと変わったつくりになっていますよね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター4
写真4

こちらは、写真3で見えていた踊り場までやってきて、階段上のほうを見てみたものです。(写真4)
ここからだと、手前の2種類の階段とともに、写真ではわざと人を写していませんが、通常なら公園通りを歩く大勢の人たちがちらちらと奥に見えてなにげに楽しい鑑賞スポットだったのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター5
写真5

写真4と同じ位置より、階段下を眺めてみたものです。(写真5)
このあたりは普通な階段といった感じですが、やはり両サイドの手摺が気になる場所でもありましたかね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター6
写真6

記念に、階段下にあった案内板でも。(写真6)
地下にはこんな感じで、店があったのですなあ。
art・book・culture・designでABCDですか。
なにげない案内板にもにくい演出があって楽しいですね。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター7
写真7

こちらも記念に。(笑)(写真7)
地下店舗部分への出入口ですね。
なんかこの秘密の入口感がたまらなかったですね。
なんどここを通ったかも忘れたくらいお世話になりました。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター8
写真8

最後は、階段下からの景色でも。(写真8)

そして、ここからはおまけです。
これまであえて写真に写っていたのに取り上げなかったのですが、階段の壁面には、写真でも見えているとおり、「Last Dance」と書かれた著名な芸能人の方々のポスターが数点設置されていたのですよ。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター9
写真9

そんなわけで、記念に、設置されていたポスターすべて紹介しておきますね。(写真9)
まずは、階段上側にあったポスターには森山未來さんが写っていました。


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター10
写真10

次は、写真8の踊り場のあたりにもみえていたポスターには、木村カエラさんが。(写真10)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター11
写真11

同じく踊り場の別の壁面のポスターには、中谷美紀さんが。(写真11)


閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター12
写真12

そして、最後の階段下側のポスターには、エリイさん(Chim↑Pom)が写っていたのですよ。(写真12)
なんとも豪華ですねえ。


ちなみに、この記事を書いている時に気になったので、軽く調べてみたら、なんと、このパルコのポスターに登場した方々へのインタビュー動画がyoutubeにありましたよ。
しかも、このポスター企画についての詳細情報を載せてくれている公式HPまでありました。
(とりあえず、それぞれについてリンクつけときますので、よかったらどうぞ。)

→『【パルコ】渋谷パルコ Last Dance_ SPECIAL MOVIE 2』
https://youtu.be/P0jlnE6rYE0


→『LastDance_|渋谷パルコ8.7sun一度さよなら。/advertising』
http://shibuya.parco.jp/lastdance_/advertising/


いやはや。
こんな動画やHPがあったとは。
たかが階段、されど階段。(笑)
歩いてみるものですね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
渋谷区宇田川町15-1

すこし前(5月頃です)ですが、都庁から新宿駅のほうへ向かう途中に前から気になっていた無名坂があるんですが、ひさびさに調査もかねて歩いてみたら、おもしろい場所(というか聖地)でもあることに気がついたので、忘れないうちにとりあげておこうと思います。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地1n
写真1

都庁の東側、京王プラザホテルの南側にこんな具合に新宿の駅前へと向かう道路があるのですよ。(写真1)
知っている方も多いかもしれないですが、緩やかな勾配、しかも直線で道幅も広くて見渡しのいいのにもかかわらず、なにか雰囲気のある坂道なんですよね。
かつてこのあたりは、淀橋浄水場があった場所で、今立っているあたりは、浄水場の貯水池の底だったため、この坂道はここが池があり、奥の場所と高低差があったことを示す痕跡とも考えられるのですが、今回はそこのところにはふれず(というか調べず、笑)、坂道自体を楽しんでみようというわけだったのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地2
写真2

これは写真1でいえば、奥の信号が見えていたあたりから、坂下方向を眺めてみたものですね。(写真2)
もう写真2のとおりなのですが、坂の途中から、みごとなまでに都庁がみえるのですよ。
しかも、はとバスとのコラボ。(笑)
ただここからだと、道幅が広すぎて、坂道の勾配具合はわかりにくですが。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていたのですが、京王プラザホテルが坂道沿いにあり、ホテル内に入るところの、今回の無名坂との兼ね合いやらホテル敷地内の階段もかなり複雑なつくりになっていて面白かったですね。(写真3)
写真3は、京王プラザホテルの前の歩道から坂下方向を見ているのですが、勾配具合もわかりやすいじゃないですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地4
写真4

さらに、写真3の左側には、こんなものが。(写真4)
なにかのオブジェなのかな?と思ったら、上部から空気をはきだしていて換気塔になっておりましたよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地5
写真5

こちらは、写真3と4の立ち位置から振り向いて、坂上方向を見てみたものです。(写真5)
勾配具合はゆるやかですが、さらに坂道となっていました。
こういう坂道もいいですねえ。
新宿といえば、平坦な場所と思っている人もいるかとは思いますが、実はこんな感じで微勾配の坂道が結構あるのですよ。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地6
写真6

さらに坂をのぼり、坂上方向(駅方向)をみると、見慣れた(まあ僕だけのことかもしれないですが)新宿西口の風景が見えていました。(写真6)
ここからずっと駅まで平坦な場所が続くので、このあたりが今回の無名坂の坂上あたりになりそうですかね。


都庁が見える坂道とロスト・イン・トランスレーションの聖地7
写真7

そして、これですよ。(写真7)
写真6の場所から、奥へ歩き、坂下方向(都庁側)を眺めてみたものですが、実はここ、2003年公開の映画「Lost in Translation(ロスト・イン・トランスレーション)」のロケ地としても有名な場所なのですよ。
映画では、最後にでてくる場所で、流行りの言葉でいえば、聖地ですかね。(笑)
映画の該当シーンを見直してみると、合成なのか、長望遠で撮っているのかわかりかねますが、後ろの都庁がありえないくらい近くに映っていて、このままの景色が映画の映像になったというわけではないようですが、それでも写真7の左に映っているヨドバシカメラの時計館の看板は映画でも映っているので、だいたいこのあたりだと思いますよ。


ちなみに、ロスト・イン・トランスレーションでは、渋谷スクランブル交差点でのシーンもでてくるのですよ。一説によると、この映画にてスクランブル交差点が大きく取り上げられたことによりアメリカで話題になり、海外メディアでも多く取り上げられ、そんなこんなであの場所が外国人にもよく知られるスポットになったということらしいですね。


ということで、撮影時間も夕方だったこともあり、都庁から聖地まで歩いてくる間に暗くなってしまい、夜散歩の体になってしまいましたが、ある意味それが坂道さんぽの別の楽しみ方でもあるのかもなあと再認識したところで、今回はこんな感じです。


地図
新宿区西新宿1-22あたり

所在地:目黒区八雲3-4あたり


(引き続き、目黒区の個別の坂道の話です。)


ばけ坂と呼ぶそうです。
場所は、八雲の住宅街の中にあり、目立った施設がないので説明しづらいのですが、前に取り上げた「しどめ坂(NO.273)」の坂下の道をそのまま北に数分ほど歩くと、今回の化坂の坂上あたりにやってきます。


化坂 (NO.275)1
写真1

では、まず坂上からの景色でも。(写真1)
見てのとおりなのですが、ここからではかなりわかりにくいほどの緩い傾斜の坂道だったのですよ。しかも、まわりは住宅街で坂下までまっすぐな道ということで、坂道景色的には閑静な住宅街によくみられるまちの風景という感じでした。

ただ、そうは言っても写真1の左側にも見えているとおり、ここには都内の坂道によくみられる坂の碑が設置してあったので、やはりここは昔からある坂道なのですよ。
そんなわけで、いつものように坂の碑の内容を抜粋するとですね、
『元の化坂は耕地整理のため消滅している。武蔵野台地の斜面に多い赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出る所を「はけ」といった。それが転じて化坂となったといわれる。またこの坂が、衾と深沢の境を分けるので「分け坂」とも呼んだという。』
とありました。

なるほど、このあたりはやはり耕地整理されていたのですね。
どうりでまっすぐな道だったわけですね。
ということは、この道は、昔の坂道とはすこし場所が違うということでもあるわけですね。(汗)

坂の名前については、「武蔵野台地の斜面に多い赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出る所を「はけ」といった」とあるとおり、地形由来だったのですね。
しかも、このあたりから湧水が湧き出ていたとは。
なお、「衾と深沢の境を分ける」とある、この”衾(ふすま)”は、目黒区のHPによると、碑文谷とともに、目黒の歴史を語るとき欠かすことのできない、目黒の代表的な地名の一つだったそうです。そして、昭和39年に新住居表示が実施され、衾という町名も姿を消すことになったそうですよ。

あと、いつもお世話になっている「東京の坂道」という本には、「目黒大観はこれを(略)化坂の称呼は何に因由するものか、文字通り怪異があったと云ふせつが最も多い。」とも書かれてありましたよ。
たしかに、「化」→ばける、と想像しがちで、本の説明にも怪異とあるとおり、怪異は化け物や妖怪などを意味する言葉なので、そういう怪奇話がでてきてもおかしくないかもですね。
どろどろどろ〜。ひゅー。とんとんとん。きゃー。(夏らしく、笑)
(ちなみに、目黒大観とは、昭和のはじめに刊行された書物です。)


化坂 (NO.275)2
写真2

すこし坂をくだったあたりから、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
ここからだと、勾配具合がわかりやすいんじゃないですかね。


化坂 (NO.275)3
写真3

そして、一気に坂下あたりまできて、坂上方向を眺めてみました。(写真3)
写真的な見た目は、はじめにもいいましたがよくある落ち着いた住宅街という感じでしたかね。


化坂 (NO.275)4
写真4

ただですね、写真3の右側に、こんな感じの風情のある入口の茶屋があったのですよ。(写真4)
なんでも、看板をみると「八雲茶屋」というそうです。
散歩当日は、店が休みだったので、中には入れませんでしたが、かなりいい雰囲気の休憩処という感じでした。
帰ってから調べてみると、HPもありましたよ。
ただそれを見る限りでは、服装規定があるなどなかなか敷居高そうな感じにも思えましたが、今回の坂道沿いにぽつねんとあることや小規模な展覧会もやっているようですので、応援がてらHPをリンクしておきますので、気になる方はどうぞ。
→『八雲茶寮


あ、あとですね、これも「東京の坂道」の情報なのですが、この坂下あたりで、都立大の調査班により加曾利式土器が発掘されたそうですよ。
そのため、このすぐ東側を、呑川駒沢支流が流れていることからも、呑川沿いに先住民が生活したことがわかったそうですね。
なお、なぜ調査したのが都立大学だったかというのは、諸説あると思いますが、やはりこの坂の最寄り駅が都立大学とあるとおり、かつてこのあたりに都立大学があった(1991年に敷地が狭くなったことなどから、現在の多摩ニュータウンへ移転したのです)ことから、地域調査としておこなわれたのかなと予想しているのですが、どうでしょうかね。


ということで、今回は、こんな感じです。

地図:
目黒区八雲3-4あたり



(追記:この坂も草なぎさんが走った坂道なので、リストに追加しました。)

所在地:目黒区八雲3あたり

(ではいつもように坂道をとりあげます。)


たいこ坂と呼ぶそうです。
場所は前回取り上げた「しどめ坂(NO.273)」の西隣を平行して走っていて、目黒通り側から下っている坂道です。


太鼓坂 (NO.274)1
写真1

まずは坂下からの様子です。(写真1)
左側がしどめ坂(NO.273)にもでてきた宮前小学校で、今回はこの学校の西側に面している坂道を取り上げていることになりますかね。
なのでこの学校に接している東西の道が名前のついている坂道になっているという、なかなかたのしいつくりの小学校みたいでうらやましいです。
勾配具合などはしどめ坂(NO.273)とそれほど変わらないのですが、ここは両サイドが壁に囲まれたような感じになっているのが印象的でした。


太鼓坂 (NO.274)2
写真2

すこし坂をのぼり、坂下方向をみてみました。(写真2)
ここから見ると、さらに両サイドの擁壁のような建物の壁が際立っていましたかね。

しかも地図をみると、この左側はおしゃれな文房具をつくっていることでも知られるデルフォニックスの本社のようですね。
ただ、現地では、まわりは住宅街ということもあり、なにかお店があるとかそういう感じにも見えなかったので、地図で再確認してやっと気がつくという雰囲気の外観だったかもです。
というか、坂道側から見ると、白い壁には窓も見られるので、擁壁と一体になったかのようなつくりの建物でもあるようなので、その点でみてもなかなかおもしろかったですよ。

あとは、写真2の右側にもちらりと見えているとおり、ここにはいつものような坂の碑はなかったのですが、坂の説明が書かれた銀色のプレートが小学校の坂道側の壁にありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『昔、この坂の斜面が太鼓のような形をしていたので、または、急坂のため太鼓を転がすように人が転げ落ちたので、太鼓坂と呼ばれるようになったといわれています。
また、目黒には多くの坂があり、この付近だけでも他に5つの坂があります。
_什筺´△靴匹畉筺´I浩邵筺´っ畑坂 ニ唳筺
とありました。

「太鼓を転がすように人が転げ落ちた」というのはなんとなくわかりますが、「斜面が太鼓のような形をしていた」というのは、ちょっとわかりにくいですね。。
太鼓の木枠の部分のことを言っているんですかね?
もしそうならば、なかなかの急坂といえるかもですが。
とにかく、なぜいきなり太鼓がでてくるかは不明ですが、そういう名前がつけられているのですよ。


太鼓坂 (NO.274)3
写真3

もうすこし坂をのぼると、両側が壁だった部分が一望できました。(写真3)
まわりが住宅街ということもあり、やはりこの両サイドの白い壁は印象に残りましたよ。


太鼓坂 (NO.274)4
写真4

今度は写真3とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみました。(写真4)
見た感じはなんてことない坂道ともいえますかね。
ただ、場所柄か、左側のマンションが打ち放しでおしゃれな雰囲気のつくりになっていたところは、やはりなあと思ってみたり。


太鼓坂 (NO.274)5
写真5

最後は、坂上あたりからの景色です。(写真5)
道が一直線のためか坂下まで一望でき、さらにその向うまで道が続いているのは、このあたりの特徴でもあるかもですね。
ちなみにこの坂道も、しどめ坂(NO.273)と同じく、坂下を呑川の暗渠が横切っているので、別名で「しどめ坂」と読んでもいいかもしれないですね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区八雲3あたり


(追記:この坂も草なぎさんが走った坂道なので、リストに追加しました。)

再びの目黒区にて、今回は3ヶ月ほど前に歩いた時に記録しておいたもので、界隈の坂道を数件ほどまわってみた時のことでも。


場所は、東横線の都立大学から西へ目黒通り沿いにすこし歩くと、今回の坂道の坂上あたりにやってきます。


しどめ坂(NO.273)
写真1

まずは坂上からの景色でも。(写真1)
見てのとおりなのですが、ここからも坂下の様子が見えているとおり、直線の坂道です。
ただ、まわりが閑静な住宅街ということもあり、背の高いビルなどがないためか高低差具合がわかりやすく、空もひらけていました。


しどめ坂(NO.273)2
写真2

写真1の背後を見てみると、目黒通りが見えていました。(写真2)


しどめ坂(NO.273)3
写真3

すこし、坂を下り、同じく坂上方向をみてみたものです。(写真3)
もうこのあたりから、写真でもわかるくらいの勾配具合になっていましたかね。


しどめ坂(NO.273)4
写真4

さらに坂を下り、今度は坂下方向を見てみました。(写真4)
このアングルからの景色、なかなかいい感じでしたよ。
左側は宮前小学校の敷地ということで、建物もないためこんな景色が見られるというわけですね。
ちなみに、写真でもちらりと見えているのですが、ここにもいつものような坂の碑がありましたので、いつものように抜粋するとですね、
『「しどめ」とはバラ科の草ぼけ(しどみ)のことで、赤い花の咲くとげのある木である。昔はこのしどめが、呑川の岸辺に群生していたので坂名になったといわれる。』
とのこと。

なるほど。
碑の説明にある「呑川」というのは、今回のしどめ坂の坂下を流れている川で、今は暗渠になっているようですね。
なお、クサボケ(草ぼけ)については、リンク先のサイトが詳しいので、そちらのほうを参考にしていただきたいのですが、ひとつ気になったのは、文化的背景として『平安時代の「倭名類聚抄」や、江戸時代の「本草綱目啓蒙」などの本草書に「木瓜」の名が現れています。万葉集に2首で詠われている「馬酔木」は、通常「アセビ」とされますが、「ボケ」であるとする説もあります。 』とあるとおり、草ぼけはかなり古くから日本にあったようですね。

また、目黒区の公式HPにも、しどめ坂のことが取り上げられており、呑川のことをふれているので、そちらも抜粋しておくとですね、
『戦前、この辺りは雑木林で、畑も多かった。畑では小麦やさつまいもが作られていた。しどめ坂はもっと急勾配で、坂道を下ると、今の八雲保育園のすぐ向こうに曲がりくねった呑川が流れ、周りには田んぼが広がっていた。耕地整理、暗きょ化で呑川も姿を消し、周りもすっかり住宅地になってしまった。』
とのこと。

なんとなく、このあたりの昔の雰囲気がわかって、ありがたいです。


しどめ坂(NO.273)5
写真5

すこし坂を下り、坂上方向を撮ってみたものです。(写真5)
おそらく、この坂道はさっきの写真4あたりの場所も含めて、このあたりが坂道風景的にはいい感じかもですね。
高低差具合もけっこうありますしね。

しどめ坂(NO.273)6
写真6

そんなわけで、一気に坂下あたりまでやってきました。(写真6)
こうしてみると、坂上あたりからの高低差もけっこうためか、坂上のほうから坂下のほうは見えたのですが、ここからは坂上あたりの様子は見えませんでした。

あ、そうそう。
この「しどめ坂」ですが、今日のネットやテレビなどでもかなり話題になったSMAPの解散ニュースを聞いて、突然思い出しのですよ。
SMAPさんのメンバーである草なぎさんが、2010年に目黒の坂道を番組内で走ったことをですね。
そして、復習してみたら、やっぱりこの坂も走っていたようですね。
なので、これまでにも草なぎさんが走った坂道で、すでに記事にしてしまっているところも多々あるようですので、このことに言及するのは今回限りにしますが(もしくは別記事に書くなど)、とにかく、そういう視点(坂道芸能史てきに??)で見ても、なかなかおもしろいことになりそうだなあということがわかった今回の散歩でした。


ということで、今回はこんな感じです。

地図
目黒区八雲3-12あたり

ひさびさに代々木公園の定点観測してきましたよ。
しかも、昨日の明るい時間帯にです。

まえにここを観測したのは、2015年11月なので、気がつけば9ヶ月も経ってしまったという感じですかね。


代々木公園定期観測2016-1
写真1

ではいきなりです。(写真1)
写真は渋谷門の近くにある展望デッキと名付けられた場所(歩道橋ですが)から代々木公園の広い方の北側エリアの噴水があるあたりを見たものですね。
この時期に代々木公園ときけば、ぴんとくるかたも多いかもですが、見てのとおりでこんな具合だったのですよ。
土曜の夕方とはいえ、さすがにまだ日差しも強くて暑いので、そんなにいないのではと考えていたのですが、やはりというべきか人の数が多かったです。
特にこの噴水のそばでイベントがやっているというわけでもなかったので、やっぱり今話題になっているポケモンGOの影響によるものだと思われますかね。
実際、このあと地上におりて、スマホ見ながら立ち止まっている人の画面をちらりとみると、予想通りポケモンGOやっている人ばかりでしたね。
いやはや。(笑)


代々木公園定期観測2016-2
写真2

そんなわけで、僕もスマホ片手にポケモンGOをやってみたわけですが、かなりの遭遇率でしたよ。
写真2はそんななかからの一枚です。
マダツボミというポケモンとのコラボです。
場所は、公園内のステージがある側にて撮ったもの(格闘中のもの、笑)ですね。
いちおう奥に歩道橋が見えているとおり、僕的にはナイスポイントで出会うことができましたかね。

ちなみに、この日はこのすぐ左横でネパール展なるイベントがやっていましたよ。
聞き慣れないインド系の雰囲気と言葉を話す方々が大勢参加していて、近くのステージではネパールに関係する歌手が歌っていたりと、なかなかにぎやかでしたよ。


代々木公園定期観測2016-3
写真3

写真2の場所から公園内の広い方の北エリアとステージのある南エリアをつなぐ歩道橋の上でも、遭遇しましたよ。(写真3)
ここではニドランとのコラボでしたね。
なんかこのアングルだと、地上の道路部分に巨大ポケモンがいる感じに写ってしまいました。



代々木公園定期観測2016-4
写真4

そして、最後は、写真1の撮影場所の真下を通っている歩道橋の階段で遭遇した時のものでも。(写真4)
プリンなるポケモンらしいです。
まだレベルが低いので出てくるポケモンもこんな感じでしたかね。
でもとりあえず、今回の散歩では、この階段とのコラボが撮れただけで、大満足です。(笑)


ということで、ブームが過ぎ去ってしまうまえに、定点観測と今のポケモンに対する気分も残しておきたいと思い、昨日の今日という、このブログではかなりめずらしい直近記事にしてみましたが、今回はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区代々木神園町2

今回も夜散歩した時のことでも。
といっても今回はすこし前の写真を交えながら。


神田明神男坂の夜散歩1
写真1

いきなりですが、階段の夜景写真です。(写真1)
ちょっと暗くて階段部分が見にくいですね。。
それはさておき、場所はタイトルにもあるとおり、JR御茶ノ水駅からほど近い神田明神の男坂ですね。
神田明神の男坂のこまかいことについては、過去記事をみてくださいな。
ただ前に訪れた時は、階段の両サイドで建物が工事中だったため、あまり風情のない感じになっていましたが、今回はさすがにそれらの工事もおわっていたようですね。

とにかく、この時間帯の景色は坂上と坂下の灯りの明暗の差が印象的で、よりこの階段の高低差具合がわかりやすくなっていたかもです。
そして、この坂の脇には昔、大きな銀杏があったらしく、安房上総辺(今のと千葉県あたり)から江戸へやってくる漁船の目標となったという話(坂の碑にも書いてありましたが)からも、昔は海からここの木がみえたということは、ここからもやはり海が見えたんでしょうかね。
そんな史実もあったこともあり、夜ならもうすこし、遠くの灯りもみえるかもと期待していたのですが、ちょっとまわりに高層のビルが多すぎて観測は難しかったです。


神田明神男坂の夜散歩2
写真2

せっかくなので、坂下からもぱちりと。(写真2)
やはり、坂下のほうがかなり明るいですね。
今回は、階段の途中にみえていた工事中の仮囲いもなくて、階段と建物の関係もきちんと見えていますし、前回仮囲いされていた階段上のマンションも完成したのかばっちりと見えていました。
なんというか、こういうのをみると、法律的には問題ないのかもしれないですが、個人的にはこういう地形も考慮した土地関連の法律も新しくできないものかなあとか思ってみたり。(まあ、こういう場所は多いので、いまさらなのですが。。)


神田明神男坂の夜散歩3
写真3

ちなみに当日は、神田明神境内の夜桜も撮っておいたのですよ。(もちろん手持ち撮影です。)(写真3)
なので、時期的には4ヶ月ほど前のことになりますかね。


神田明神男坂の夜散歩4
写真4

境内の南西側にある随神門をくぐり神社をでると、なにげに坂道になっていたので、ぱちりと一枚。(写真4)
明るい時間帯は人通りも多いため、あまり気にかけなかったのですが、こうしてみるとけっこうな高低差だったのですよ。


神田明神男坂の夜散歩5
写真5

最後はもう御茶ノ水というエリアつながりとしかいいようがありませんが、聖橋からのJR御茶ノ水駅の夜景など。(写真5)
ここも現在、大規模な工事中なのですよねえ。
なんか最近は、街に大きなものができそうなたびに(大工事現場をみると)せつなくなることが多いのですが、ここもそのうちのひとつになりそうですかね。(批判もうけそうですが、今の気持ちだから隠してもしかたがないので書いてしまいました。だからといってこういう開発が絶対だめだとか思っているわけでもないところがなかなか難しいところなのですよね。)
要は、ひと昔前は単純にこういう現場をみると楽しみでしかたがなかったことも多かったですが、今は、もうすこし既存の施設もうまく使ってよというところに考えがシフトしているだけなのかもしれないですが。
これが歳をとったからなのか、時代の流れの中での気持ちの変化なのかはわからないところではありますけど。。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区外神田2あたり

ちょっと前に知ったのですが、宮益坂の坂下にあるビックカメラの前を歩いているとですね、明治通り沿いの歩道になにやら気になるものが。



宮益坂下のホープくん1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
ふくろうの銅像です。
な、なぜこんなところに。(笑)

この銅像、名前もちゃんとつけられていて「ホープくん」というそうです。
どうしてこのような名前がつけられたのかについてはわかりませんでしたが、この銅像は彫刻家の佐藤賢太郎氏によるものだそうですよ。

ちなみに、当日はなにげなく撮ったので、はしっこできれていますけど、写真下のほうに薄緑の文字で「パティオ宮益」と書かれているのですよ。
これはなんじゃらほい?と思い、調べてみるとですね。
なんと、JR渋谷駅の東口に、「パティオ宮益」という広場があるそうなのですよ。。
そんなのあったかなと記憶をたどってみると、まさにJR渋谷駅の東側、最近できた渋谷ヒカリエと渋谷駅の間にある明治通りに面している駅側のバスロータリーに隣接する広場がそう呼ばれているそうなのですよ。
そこにこの銅像はあったらしいため、「パティオ宮益」という文字が刻まれていたみたいですね。

ただ、今は知っている方も多いとは思いますが、JR渋谷駅の東側は現在、おおがかりな再開発の工事がどんどん進んでいるため、パティオ宮益も広場としての機能はほとんどはたしてないため(もしくは失くなってしまう?)、今の場所に移設されたようですね。
この銅像自体が2001年11月につくられたものなのでまだ新しいもののためか、以前の地ではハチ公のようには待ち合わせスポットとしては有名にならなかった中、再開発の波をうけてひっそりとこの地にうつってきたというわけですね。

なお、以前の地でのホープくんの様子を記録してくれているサイトがありましたので、リンクしておきますよ。
→ http://www.enjoytokyo.jp/kuchikomi/127572/

いやあ、あんなところにあったとは知りませんでした。(汗)
今の地と同様、宮益坂の坂下のほうを向いていたみたいなので、渋谷駅側から歩いてきたときは気がつかない場所だったのですね。
しかも宮益坂から歩いてきた時は、坂のほうばかり見ていた記憶があるので当時はまったく気がついていませんでした。。
それにしてもこの時は東急東横線の改札もこのすぐ近くにあったのですなあ。(遠い目、写真みながら)


宮益坂下のホープくん2
写真2

つい最近、特に記事に載せようとかは思わず散歩中なにげに記録がてら撮っておいたものですが、そういえばということで。(写真2)
ちょうどヒカリエの展望スペースからさきほどでてきたJR渋谷駅の東口、かつての「パティオ宮益」広場の現在の様子が見えていましたよ。
ふたつの線路が交差するあたりのちょっと右下、写真でいえば、ちょうど真ん中あたりに見えてますかね。
まさに大工事中です。
広場なんてあったの?という感じですね。(汗)


宮益坂下のホープくん3
写真3

最後は、宮益坂とホープくんとのコラボでも。(写真3)
今後もがんばって宮益坂を見守ってくださいな。(笑)

あ、そういえば22日に公開されたポケモンGOでも、このふくろうはポケストップになっているのですかねえ。
また近くを通った時にでも確かめてみますかね、今度は一眼カメラも持って。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
渋谷区渋谷1-24-12あたり

今回は、ひと休み。
以前、取り上げた品川駅そばの柘榴坂(NO.245)を暗くなってから歩く機会があったので、その時のことでも。


品川・柘榴坂の夜散歩1
写真1

時期としては、3ヶ月ほど前にぶらりとしたのですが、この柘榴坂(NO.245)、通り沿いにホテルやらレストランが点在していて、暗い時間帯にあるいても、昼とは違った感じがでていて、楽しかったので今回取り上げてみることにしてみました。(写真1)
坂道と周辺の施設については、以前の柘榴坂(NO.245)の記事をみていただくとして、写真1は柘榴坂(NO.245)の坂上あたり、グランドプリンスホテル新高輪のレストラン棟が見えるポイントから坂上方向を見てみたものです。
昼の写真と比べてかなり雰囲気の違う場所でした。
せっかくなので、ふつうの坂道記事では、史実や風景をとりあげるだけでいっぱいっぱいなので、今回はいち風景をじっくりみてみるとですね。
まず、電柱ないんですよねこの坂道。
おかげで、レストラン棟が道路側からもきれいに見えるかもですね。
そして、道の舗装面の左側に青の矢印が見えていますが、これは自転車が通れるところですよということを示しているものだと思われます。東京以外ではどうなのかわかりませんが、都内ではこんな感じで、自転車が走るスペースが次々につくられていて、まえには自転車雑誌にもとりあげていただいたこともあり、やはり自転車を使う人は応援したいところでもありますので、坂道でこういう場所をみかけるとうれしい気分になりますかね。
しかも東京の場合(市内は除く)、大通りばかりではなく、なんてことないふつうの道でもこういう措置がとられているところも多く、僕自身自転車で、例えば神奈川県などを自転車で走った時のことを思い出してみても、やはり車がとおるだけでいっぱいいっぱいだったり、電柱をさけて通っていると、そういう時にかぎって後ろから車がきて危険な目にあったりと、なにかと気持よく走る環境に欠けていることが多いのが実情だなあと思うこともしばしばだったのです。(汗)


品川・柘榴坂の夜散歩2
写真2

ちなみにこの写真(というか今回の写真すべて)は、三脚など使わず手持ちで撮りました。(写真2)
ほんと最近のカメラはそういう面では優秀なので、これからの昼の暑い時期には、気楽で涼しい夜散歩というのも楽しいものですよ。
それはさておき、この際なので、レストラン棟のファサード部分もじっくりとみてみますかね。
いろんな要素がまざってますね。
でも最近のガラスだらけのファサードの商業ビルにみられるような明るすぎる感じでもないし、窓のバリエーションが多い割に、配置の妙というかなんかバランスがいい感じのように思いました。
なんというか、ガラス(もしくかコンクリ)張ってあとは各部のディテールみたいなたてものものよりは、通りを歩くものに対してもなにかをうったえかけてくる、そしてそのなにかをきちんと考えてくれているようなたてものがもっとあってもいいのになあと思ってみたり。
しかも坂道の傾斜具合も視覚化されていて楽しい感じ。
それで、ここの設計者はだれだったかなと復習してみると、やはりというべきか、建築家の村野藤吾さんだったのですねえ。しかもこのグランドプリンスホテル新高輪は、村野藤吾さんの晩年の代表作であり、傑作の1つとされているそうですね。
なるほどー。

そういう意味では、この柘榴坂、坂下の坂倉建築研究所が設計した高輪プリンスホテルなど、建築家の事務所が設計した大規模施設が点在している坂道でもあるのですね。


品川・柘榴坂の夜散歩3
写真3

こちらはすこし坂をのぼり、坂下方向を見たものです。(写真3)
なぜか街路樹が一本だけライトアップしていて、それが逆に印象的な感じを与えているような気もして、そこをみえるようにしてぱちりと。
こちら側からのほうが建物と坂道の高低差具合のなじませ方がわかりやすいかもですね。
しかもこの暗さのおかげで、坂下の品川駅の灯りまで見えておりましたよ。(駅名の文字看板も見えているのですが、この編集後の小さい写真では見にくいかもしれないですね。)


品川・柘榴坂の夜散歩4
写真4

場所はかわり、柘榴坂(NO.245)のすぐ南隣にあるいちょう坂(NO.244)の夜景です。(写真4)
ここもブログですでに取り上げている坂道なので、くわしいことはそちらをどうぞ。
ただ写真4のアングルは、以前のいちょう坂(NO.244)の記事ではのせていなかったのですが、夜景写真的にはなんともいい感じだったので、今回はのせてみることにしました。
ここは左側のアクアパークという水族館のあるたてもののライトアップが照明代わりにもなっていたのが印象的でした。
とにかく、夜は照明のおかげで水平垂直が強調されるので、そのあたりと坂道の対比が撮っていて歩いていておもしろいところでしたかね。

あ、そうそう、それでさっき、この坂道のことがふと気になり調べてみたら、この撮影した日は工事中だったわけですが、この数日後にリニューアルオープンと題してオープンニングセレモニーがおこなわれたみたいですね。
→『いちょう坂リニューアルオープン!』
http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/event/160328ichousaka.html/

ということは、またすこし景色が変わっているとか。。


品川・柘榴坂の夜散歩5
写真5

最後は、いちょう坂(NO.244)の途中にアクアパークへの入口もあったのでぱちりと一枚。(写真5)
いやあ、このミラーレス一眼、手ブレも少なく、よく風景をうつしてくれてうれしいですよ。(笑、ちなみにこのブログではミラーレス一眼と手ブレしやすいコンデジで撮影していることが多いです。)
それはさておき、ここは、奥の水族館へのエントランスのためか、凝ったつくりになっていて、よくみると手前と奥で高低差があり、坂道になっていたのですよ。
しかもライトアップのおかげで遠近画法のような見え方をしておりましたよ。(笑)
そういう意味ではここも変わった坂道のひとつとして記録しておきたいところではありますが、それはまた別の機会ということで。


ということで、今回はこんな感じです。

住所
港区高輪4-10あたり

今回も前回の「多摩川浅間神社の男坂?」に続き、境内の坂道を散歩です。
神社の境内には、男坂とよばれる急な階段があれば、それとともに、ゆるやかな坂道、いわゆる女坂があることは、このブログでもしつこいくらい言ってますし、実際に取り上げてもいますが、この多摩川浅間神社でも、他の神社のように名前はつけられてはいないのですが、明らかにそうだろうと思われる坂道がありましたので、今回はそこについてのことです。


多摩川浅間神社の女坂かも?1
写真1

まずは「多摩川浅間神社の男坂?」の最後に登場した展望台からスタートです。(写真1)
ここは、社務所の屋上がまるまる展望スペースになっていて、人が少ない時にくると、境内のこまごまとしたかんじとは違うその広さにちょっとびっくりするかもですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?2
写真2

そして、再び社殿の前を通ります。(写真2)
このたてものは、昭和48年に建替えられたものだそうで、浅間づくりの社殿だそうです。
ということは、同じ歳ですな。(笑)


多摩川浅間神社の女坂かも?3
写真3

そして、やっと目的の坂道に入ります。(写真3)
場所は社殿の北東側(写真2の右側)にこんな道がありました。


多摩川浅間神社の女坂かも?4
写真4

奥に進むと、右側が坂道に。(写真4)


多摩川浅間神社の女坂かも?5
写真5

写真4の右側をみると、いっきに坂道になっていました。(写真5)
しかもけっこうな勾配具合ですね。
そして坂道は、右側に曲がる形でさらに下っていけるようでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?6
写真6

下りながら、右に曲がると、こんな感じの景色が広がっていました。(写真6)
いい感じですねえ。
ここでは直線的なところがすごくプラスになっていますね。


多摩川浅間神社の女坂かも?7
写真7

写真6の右側をみると、社殿も見えていました。(写真7)
なので、この道は、通常は社殿に荷物を運ぶ車が通るとか祭りがあればここを神輿が通るとかそんな使われ方のするところなのでしょうね。


多摩川浅間神社の女坂かも?8
写真8

すこし下り、坂上方向をみたものです。(写真8)
奥のカーブと左の擁壁、右の手摺がいい味だしているかも。
もちろん勾配具合もです。


多摩川浅間神社の女坂かも?9
写真9

さらに坂道をくだり、再び坂上方向を見てみました。(写真9)
左側の擁壁が、この坂道の高低差具合を視覚的にみせてくれていました。
かなりの高低差ですね。
しかも、正面の道に飛び出している樹もなんかおもしろいですね。


多摩川浅間神社の女坂かも?10
写真10

写真9とだいたい同じ位置より、坂下方向を見てみたものです。(写真10)
ここからはかなりの急勾配になっておりましたよ。
おそらくこの短い距離に、2階から1階に下る分くらいの高低差がある感じでした。


多摩川浅間神社の女坂かも?11
写真11

そして、写真10で見えていた坂下の合流地点のあたりまできて、坂上方向を見てみました。(写真11)
ここから見ると、なんていうか勾配具合よりも、この景色に見とれてしまい、ぼんやりと坐ってスケッチしたい気分になりましたかね。


多摩川浅間神社の女坂かも?12
写真12

そんなこんなで、写真11の右側(写真10でいえば左側)のほうへ下っていくと、坂下あたりにやってきました。(写真12)
ここもかなりの急勾配ですね。
しかも、この坂は、「多摩川浅間神社の男坂?」の写真7でも登場していて、男坂の記事のほうでは坂上からの景色だったのに対して、今回は坂下からの景色というわけなのですよ。
そういう意味では、社殿に行く坂道と社務所に行き来できる坂道という、二つの坂道がこの境内にある(外部からではなく)ということで、これまたなかなかめずらしいつくりの神社といえるかもですね。


あ、そうそう。
この記事をかいていて、多摩川浅間神社の公式HPも見てみたのですが、なんとHPの下のほうに、レインブックという歌手さんの「千本桜」という曲がBGMと題してリンクされているのですよ。
これもどういう経緯でそうなったのかわかりませんが、かなりめずらしい事例かもですね。
せっかくなので、アマゾンさんのページをリンクしておきますよ。かなりいい曲ですよ。
→ 千本桜
(ちなみにyoutubeでも ”千本桜 レインブック” で検索すれば非公式で動画でてきますよ。というかそれこっそり見るかぎり、PVのロケ地が、この多摩川浅間神社の展望台みたいですね。それでリンクなのですかね。)



多摩川浅間神社の女坂かも?13
写真13

最後に、写真12の右上のほうに見えていましたが、その桜のアップでも。(写真13)
ちなみに、この桜ですが、なんとなく境内に植えられたというわけではなく、実は意味があるようで、この神社のご祭神が、大山祗神の姫君で「桜の花が咲き匂うような・・」と言われる木花咲耶姫命とのことで、社殿の桜は、このご祭神にちなんでいるそうなのですよ。
そういう意味では、今回の女坂を歩いた時しか境内の桜が見れないというのもなにか意図的につくられたものなのかもしれないですが、そこのところは妄想の域をでない話なのでさらりとふれておくだけということで。。
なお、木花咲耶姫命については、ウィキペディアにも詳しいことが書いてありますので、そちらをどうぞ。 → https://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ
ただ、ウィキペディアの説明を読んでみると、コノハナノサクヤビメ(木花咲耶姫命)と浅間神社は深いつながりがあるようですね。
しかも、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社でも、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとする話は、富士山がもともとは火山であり、ここ最近の地震のこととも関係がありそうな点など、そういうことを再認識するうえでも、なんとも興味深い話だなあと思ったのでした。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

今回は、東急東横線の多摩川駅からすぐの場所にある多摩川浅間神社の境内にある階段を取り上げてみたいと思います。
ただ、ここの境内の階段には名前が正式にはつけられていないようですので、現段階では、あくまで無名坂であり未確認の坂として位置づけていますので、あしからず。


多摩川浅間神社の男坂?1
写真1

いきなりですが、坂下からの様子でも。(写真1)
場所は、東急東横線の多摩川駅の南側にあり、すぐ西側には多摩川が流れていて、写真1
でいえば、左側のほうが多摩川になり、北西に向かって上る階段ということになりますかね。
しかも、住所でいえば、なんとここは田園調布1丁目とのことですよ。
とにかくここは、過去にも何回か来ていて写真を撮ったり、学生時代にもこのあたりをリサーチした場所でもあるので、いつか取り上げなければと思っていたところ、今回は、時期的にも桜のシーズンに散歩したこともあり、ちょうどよい頃かもという気持ちもあったのです。


多摩川浅間神社の男坂?2
写真2

ちなみに、階段の東側(写真1でいえば、右側)には、こんな具合にのんびりしたたたずまいの釣り関係のお店があったりします。(写真2)
なんかいいですねえ。
こういうのはずっと残っていてほしいですなあ。


多摩川浅間神社の男坂?3
写真3

さらに、その東隣りには、今風なつくりにもかかわらず、どこかレトロな感じの飲食店もできておりましたよ。(写真3)


多摩川浅間神社の男坂?4
写真4

階段をのぼり、坂下方向をみてみたものです。(写真4)
まだ階段的には始まったばかりの場所ですが、すでに建物でいえば、2.5階から3階分くらいの高低差がありそうでしたかね。
遠くのほうに多摩川と丸子橋が見えていましたよ。


多摩川浅間神社の男坂?5
写真5

写真4の背後にはもちろん、階段が続いています。(写真5)
ただ、ここの階段は、まちなかでよくみる神社の直線的なつくりの階段とは違い、一風かわったつくりの階段だったのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?6
写真6


写真5の左側は、こんな景色になっていました。(写真6)
この高さレベルに神社の一般駐車場やら社務所への入口があるんですよ。
奥が開けているのは多摩川があるからですね。


多摩川浅間神社の男坂?7
写真7

写真5の右側には、これまたすごい坂道が見えていました。(写真7)
これはもちろん、写真6で見えていた駐車場に入るための道路であり坂道なのですね。
坂道として切り取ってみてもかなりいい感じです。


多摩川浅間神社の男坂?8
写真8

見どころ満載の神社で、ひとつひとつ取り上げていたらきりがなくなってきそうですので、再び階段のほうにもどりまして、写真8はさらに階段を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真8)
このあたりからいっきにごつごつとしたつくりになっていました。
というのも、この階段というか参道は、富士塚のように富士登山を模してつくられているそうで、そのためか途中には、両サイドにちらりと見えているとおり、多数の溶岩が置かれているためなのですよ。


多摩川浅間神社の男坂?9
写真9

こちらは、写真8で見えていた鳥居のあるあたりまで上り、坂下方向をみてみたものです。(写真9)
階段がカーブして、ちょうど多摩川にむかって下るかたちになり、そのため、奥にはまさに多摩川が見えていました。
ただ軸線方向てきには富士山の方向は向いていませんけどね。


多摩川浅間神社の男坂?10
写真10

同じようなつくりの階段をしばらく上っていくと、坂上あたりが見えるところまでやってきました。(写真10)


多摩川浅間神社の男坂?11
写真11

ちなみに写真10の右側に、このような石碑があり、「勝海舟の直筆 富士講 中興の祖 食行身禄之碑」という案内板がそばに設置されていました。(写真11)
ということは、目の前の石碑にほられている文字が勝海舟の直筆ということなんですかね。
なお、富士講中興の祖である食行身禄については、ウィキペディアに説明がありましたので、気になる方はそちらのほうをどうぞ。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/食行身禄


多摩川浅間神社の男坂?12
写真12

写真10の背後はこんな感じの階段でした。(写真12)
登山道らしく、くねくねしていてかなりの高低差ですねえ。


多摩川浅間神社の男坂?13
写真13

そんなこんなで、やっと坂上にあたる本殿のあるレベルにやってきました。(写真13)

そして、気になるところでもあるこの浅間神社の由来については、境内に大きな案内看板があり、説明が書かれてありましたので、一部を抜粋しておきますよ。
『当浅間神社は、今から八百年前、鎌倉時代の文治年間(1185年〜1190年)の創建と伝えられます。右大将源頼朝が豊島郡滝野川に出陣した時、夫の身を案じ後を追って来た北条政子は、わらじの傷が痛み出し、やむなくここで傷の治療をすることになりました。
逗留のつれずれに亀甲山へ登ってみると、富士山が鮮やかに見えました。富士吉田には守り本尊の「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、長く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。』

なるほどなるほど。
やはりこれまで歩いてきた登山道のような参道や浅間神社という名前のとおり、富士山に大いに関係している神社だったのですね。
しかも眺望系神社。(いいですねえ。)


多摩川浅間神社の男坂?14
写真14

いちおう、坂上からの景色なども。(写真14)
ただ、こちらの軸線方向は南側なので、遠くに富士山が見えるわけではないのですねえ。
でもすごい高低差ですね。


多摩川浅間神社の男坂?15
写真15

ただですね、この神社のことを知っているかたはあれれ?と思っていたかもしれないですが、実は境内にはこんな展望台があるのですよ。(写真15)
場所的には写真13の左側へいくとあり、写真6で見えていた社務所の屋上に、なんとこんな場所がつくられていたのです。
見てのとおりですが、目の前は多摩川ですね。
これを考えたというか計画したというかつくった人は、おもしろい発想してますよね。
しかもここにくることで、神社の由来ともリンクしていて、過去ともどこかつながれる場所ともいえますかね。


多摩川浅間神社の男坂?16
写真16

手摺ちかくまできて、富士山の方向をみてみました。(写真16)
散歩の日は残念ながら富士山は見えませんでしたが、これなら時期があえば、ちゃんと見えそうですかね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区田園調布1-55-12

西新宿を歩いていて前から気になっていた場所なのですが、すこし前にやっとミラーレスカメラをかかえながら、このあたりをぶらぶらする機会があり、撮影もできたので、せっかくなのでとりあげておきたいと思います。


西新宿、策の井1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
なにやらピラミッド形のオブジェと案内板が見えていますが、ここはなんと西新宿の新宿エルタワーの敷地内であり、そばには東京モード学園のあの高層の包帯ビルのそばに、こんなものがぽつねんとあったのですよ。
これに気がついたのはずいぶんまえだったのですが、今回はカメラをかかえていたので、記事にするためにもぱちりと一枚、というわけだったのです。


西新宿、策の井2
写真2

遠目からのものです。(写真2)
これなら位置関係もわかりやすいかもですね。
新宿エルタワーの敷地内の西側あたりから新宿駅方向に撮っているものです。
こうしてバックに東京モード学園の高層ビルが見えているとなんか不思議な感じがして気になっていたのですよ。

あ、そうそう。
肝心のこの場所は、「策の井(むちのい)」と呼ばれているそうです。


西新宿、策の井3
写真3

こちらが、案内板のアップですね。(写真3)
せっかくなので、内容を抜粋させていただくとですね、
『当敷地内に存した「策の井」は江戸時代より名井として知られ、天和年間(一六八一〜一六八三)に出版された戸田茂睡の「紫の一本」(むらさきのひともと)に「策の井は四谷伊賀の先にあり、いま尾張摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成らせられし時、ここに名水あるよしきこし召し、おたづねなされ、水を召し上られ、御鷹の策のよごれをお洗われたる故、この名ありという」と書かれている。この地は尾張摂津下屋敷であった所であり、また、享保年間(一七一六〜一七三五)に出版された「江戸砂子」(えどすなご)という本にも同主旨の文章が見られ「策の井」が名水とうたわれた。』
とのこと。

いろいろ書かれていますが、どうやらこのあたりから、いまでいうおいしい水が湧き出ていたみたいですね。
なんか信じられない感じですねえ。

なお、一般社団法人新宿観光振興協会のサイトにも策の井が取り上げられていまして、それによると、ここの井戸が『策の井』といわれるようになったのは、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた「策」を洗ったという伝承からの説が有力みたいですね。

鷹狩りといえば、目黒区の茶屋坂(NO.263)のことが思い浮かびますかね。
なので、はじめは、将軍が、鷹狩りをした後に、茶屋坂(NO.263)のお茶屋で休憩して、ここで策を洗ったかもということで、実は話がつながっていたのです!・・・という予想をたてたわけですが、どうやら茶屋坂(NO.263)については、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りをするときによく通った場所であり、今回の策の井のほうは家康なので、時代が違うようですね。

ただ、この西新宿がかつて、淀橋浄水場であったり(いまは給水場もあったかな、たしかブラタモリでも取り上げられていたと思います)、このすぐ西側(西新宿の西端)には、十二社熊野神社(ブログでも過去にとりあげています)があり、浮世絵にも描かれているような池や滝があったり、今回のおいしい水がでていたという策の井なる井戸の痕跡があるなど、今となっては目に見える形としてはわかりにくいものが多いですが、なにかと水にまつわる場所が多い場所だったのだなあということを再確認できた今回の散歩だったかもです。


地図
新宿区西新宿1-6-1

今回も、前回のハナミ坂(NO.271)に続いて、東京スカイツリー内にある坂道です。
場所は、ハナミ坂(NO.271)が、東京ソラマチ内の南西側にあったのに対して、今回のソラミ坂は、敷地北東側にあります。


ソラミ坂(NO.272)1
写真1

めずらしく、坂名が記された案内板からでも。(写真1)
ソラミ坂についての由来とかは書かれておらず、こんな感じでババンと坂道の名前が案内されておりました。
ちなみに訪れた時期が年末だったので、みなさんの服装も厚めです。


ソラミ坂(NO.272)2
写真2

まずは坂下からの景色でも。(写真2)
ソラミ(→空見)という坂の名前からしても、この場所がこの坂道のメインディッシュなのだろうなあと思えるくらいわかりやすいつくりというか階段になっていました。
(写真は撮り忘れましたが、このそばに撮影ポイントと書かれた場所もありますしね。)
ここも東京ソラマチという商業施設の各階に入るための階段に名前がつけられたようですが、こちらはハナミ坂(NO.271)と違い、タワー高層部分が階段のあらゆる場所で、坂名のとおり見上げればしっかりと見えるのがポイントかもですね。

そして、階段アートもここからならしっかりと見えていました。
最近は、こういう階段アートをよく見かけますが、商業施設のはやりなんですかね(よく知りませんが)。


ソラミ坂(NO.272)3
写真3

階段を上り、坂下方向を見てみました。(写真3)
階下の人がいるあたりが、写真1での撮影ポイントというか坂下あたりの場所になりますし、写真3ではわかりにくいですが、この右奥側がメトロ押上駅うえのバスロータリー(地上1Fレベル)とつながっている場所ということになりますかね。


ソラミ坂(NO.272)4
写真4

写真3からすこし横移動して、今度は坂上方向を見上げてみました。(写真4)
さらに階段になっていました。
しかもなんかいい感じでカーブしています。
もちろん、その上にはスカイツリー。


ソラミ坂(NO.272)5
写真5

さらに階段を上り、坂下方向をみてみました。(写真5)
人がいるあたりが、写真4でいた場所ですかね。
奥には、なぜかジブリのグッズを扱うショップがありました。


ソラミ坂(NO.272)6
写真6

すこし階段をあがり、踊り場のあたりにきて、再び坂下方向の景色など。(写真6)
このあたりは景色が開けていました。
左側がタリーズなので、東京ソラマチのフロアガイドを見ると、ここが3階ということになりますかね。


ソラミ坂(NO.272)7
写真7

すこし坂を上るとこんな感じ。(写真7)
手前の人がいるあたりが、写真6の場所ですかね。


ソラミ坂(NO.272)8
写真8

そして、写真7の位置から背後を振り返ると、やっと坂上あたりが見えていました。(写真8)
東京ソラマチのフロアガイドでは、ここは4階にあたり、ここからソラミ坂と書かれていますので、ここがソラミ坂の坂上というのは正しいみたいですね。

しかも、スカイツリーの展望台への入口もこの階にあるようでした。


ソラミ坂(NO.272)9
写真9

そして、最後は、せっかくなのでツリーの最上部まで見えるポイントでぱちりと一枚。(写真9)
でも、ここまで来ていながらツリーにはのぼらず。(笑)
なお、スカイツリーの詳しいことについては、ウィキペディアでも詳しく書かれていますので、気になる方はそちらでもどうぞ。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/東京スカイツリー


ということで、前回、今回と連続して、東京ソラマチという人工物(構造物)の上にある名前がつけられた坂道というか階段を歩いたわけですが、これで、以前カルカルのイベントで登壇した時に、人工物の階段は坂道なのか?という(当時の想定では京都駅の大階段でしたが)提起をしたことに対するひとつの答えがでてきたかもしれないですね。


地図
墨田区押上1-1

今回の坂道は最近できた新しい坂道です。
場所は、東京スカイツリーのある東京ソラマチ内にあり、ハナミ坂という名前ではありますが、階段になっている坂道です。


ハナミ坂(NO.271)1
写真1

まずは階段下あたりより。(写真1)
もう見てのとおりですが、東京ソラマチという商業施設の中に入るための階段ですね。
そこに名前をつけてみましたという具合の坂道でした。
ただ、左にカーブしながらの階段ということで、見た目というかつくりはかなりかっこいいかもです。

とりあえず、当日は人のいないタイミングで写真を撮るのに手間取りましたかね。(笑)


ハナミ坂(NO.271)2
写真2

今回は、坂名が書かれた案内板ものせてみますよ。(写真2)
ちなみに、ここには坂名の由来などは書かれておらず、東京ソラマチのサイトや区のサイトでも説明などは書かれていないようでした。
ただ、東京ソラマチ自体は、2012年開業なので、この坂道も同年にできたということだけはわかるかもですね。
あとは、商店建築さんのサイトに、東京ソラマチの建設に関わった方々の名前が書かれているので、このあたりの方々か、運営側の方がつくろうと!と決めたのだとは思いますが。。


ハナミ坂(NO.271)3
写真3

すこし階段をのぼり、坂下方向をみてみたものです。(写真3)
坂下は比較的広々としていましたかね。
ハナミ坂ひろばという名前がつけられていました。


ハナミ坂(NO.271)4
写真4

さらに階段を上り、今度は坂上方向を見てみました。(写真4)
坂下からはわからなかったですが、かなり距離のあるというか高低差が大きい階段だったのですね。
階段自体はここから直線形態になっていました。


ハナミ坂(NO.271)5
写真5

写真4でも見えていたのですが、カメラの画角の問題で入りきらなかったので、ちょっと上のほうにもカメラを向けてぱちりと。(写真5)
お決まり事のようにスカイツリーのタワー部分が見えていましたよ。
ちなみに、あらかじめ言っておきますが、今回の散歩では、タワー上部の展望台には行っていませんので、あしからず。


ハナミ坂(NO.271)6
写真6

写真4とだいたい同じ位置より、再び坂下方向でも。(写真6)
こうしてみてみると、地上部分から施設内に入る階段を、実は大階段にしたかったけど、スペース的に無理っぽいので、こんな風な建物の外回りをくねってまわる印象的な階段のつくりにしてみたのでは?、とこの景色みながら深読みしてしまいましたよ。(汗)


ハナミ坂(NO.271)7
写真7

さらに階段をのぼると、やっと東京ソラマチの施設内に入れるフロアにやってきました。(写真7)
おそらくハナミ坂てきにはこのあたりが坂上なのかなと。
でも、正面の階段アートまで描かれている階段がさらに続いているので、これらのこまかいことは、またそのうち分かり次第、追記の形でお知らせしますので、少々お待ちを。


ハナミ坂(NO.271)8
写真8

そんなこんなで、坂上あたりの様子も含めた景色など。(写真8)
左は川になっていて、北十間川というそうですが、そのおかげでここからの景色も開けていていい感じでしたよ。
しかも、方角的にちょうど、写真8でみている奥のほうに富士山もあるはずなので、この高低差具合からすると時期があえばもしかしたらビルの隙間から見えるかもですね。


ちなみに、北十間川で調べていたらいろいろ未来についてや過去についての面白いことがでてきたので、メモがてら残しておきますけど、まずこの北十間川はスカイツリーと隣接していることから、墨田区は「北十間川水辺活用構想」なんて計画を策定していたんですねえ。
ちょうど、この左側の景色とリンクしている場所ですね。
詳しい案などについて、リンク先にPDFにてどうぞ。
→ https://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_matidukuri/matizukuri/kasen_kyouryou/kitajikken_kousou.files/4.pdf
https://www.city.sumida.lg.jp/smph/sangyo_matidukuri/matizukuri/kasen_kyouryou/kitajikken_kousou.html

はてさてどうなることやら。


ハナミ坂(NO.271)10
柳しま

過去の話のほうでは、スカイツリーの東側(800mくらいの場所)の北十間川沿いに架かる十間橋のあたりの過去の景色を描いた広重による浮世絵もあったんですよ。
「柳しま」という絵ですね。
左右に流れているのが、北十間川で、左下に見えているのが、今も地図には記載のある(いったことがないので)、法性寺というお寺ということになりそうですかね。
あとは、この絵でいえば、左上のほうに、もし当時スカイツリーがあれば(汗)、見えているかもという場所とも言えるかもです。
とにかく、当時は浮世絵にするくらいだから、雰囲気よかったんですかね。


ハナミ坂(NO.271)9
写真9

最後はおまけです。(写真9)
写真7でも見えていた、奥の階段を上り、最上段部あたりから、坂下方向を眺めてみたものです。
なるほどー、そうきましたか。(笑)
それにしても、かなりの高低差ですね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
墨田区押上1-1

ごんのすけ坂とよぶそうです。
今回の坂も目黒通りそのものが坂道で、場所は、金毘羅坂(NO.269)の坂下から東へすこし移動したところにあります。


権之助坂(NO.270)1
写真1

まずは坂下からの様子でも。(写真1)
すぐ背後には、目黒川が横切っているあたりですね。
同じ目黒通りでも、すぐ西側にある金毘羅坂(NO.269)の広い道幅に比べると普通の道幅の坂道となっていましたかね。
ただここも目黒通りということもあり、両側のビルは背が高めのため独特な坂道風景をつくっている印象でした。


権之助坂(NO.270)2
写真2

写真1のすぐ右側の景色です。(写真2)
ここは見ての通りで、橋の上からの景色でもあるとおりで、名前は目黒新橋というそうです。
そして、奥には行人坂(NO.266)の坂下のほうでも登場した目黒雅叙園のタワー部分も見えていましたよ。


権之助坂(NO.270)3
写真3

さらに坂を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真3)
ちょっときつめの勾配具合が坂下から同じように続き、ここで、目黒通りは二手に分かれていました。
右側の道が、今回の権之助坂になります。
なので、車で今回の坂道を通るなら坂上からしか行けないことになりますかね。
左側の道は、放射3号支線という別名もあるみたいですね。
あとは、左側にもアーケードがちらりと見えているとおり、この権之助坂の沿道は、権之助坂商店街と呼ばれているそうで、ちょっと懐かしい雰囲気のお店なども含めて、沿道には256店ものお店が軒を連ねているそうですよ。


権之助坂(NO.270)4
写真4

あ、そうそう。(写真4)
このすぐそば(左側)には、崖のようになっているようで、こんな風ないい感じの階段になっていました。
かなりの高低差ですねえ。
今回は、階段上からの写真しか撮っていませんが、またそのうち再訪して記録しておきたい階段かもですね。


権之助坂(NO.270)5
写真5

では、道が二手に分かれるところを右に行き、坂上方向を見てみました。(写真5)
三車線ということで、こうみると広いですねえ。
あとは、舗装が茶色になっているのも気になるところです。


権之助坂(NO.270)6
写真6

写真5とだいたい同じ位置より、今度は坂下方向を見てみたものです。(写真6)
右側のほうにちらりと「権之助坂」と書かれた標識がでていますよね。
僕の知るかぎり、こんな具合に標識の形で坂名が書かれているのは、地名と連動している以外の坂道ではかなり珍しい事例だと思いますね。
ちなみに、今回の坂道には、いつものような坂の名前が書かれた坂の碑はありませんでしたが、目黒区のサイトに説明が書かれていましたので、一部抜粋させていただくとですね、
『昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていた。この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、権之助が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいた。』
とありました。
まあ、これだけでは、新坂なのでは?と思う方もいると思いますので、補足事項として、さらに抜粋させていただくとですね、
『江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。
 馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。
 村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。
 また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。』
とのこと。

ちなみに、タモリさんや山野勝さんの坂道本では、「許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われた」という説を強調されておりましたよ。
なお、菅沼権之助が許可なく新坂を切り開いたというのは、行人坂(NO.266)があまりにも急坂で当時のひとたちが往来時にあまりに苦労しているのを見かねて、新しい坂をすぐそばに切り開いたわけですが、その際に事前に許可なくつくってしまったからだそうですよ。
ではなぜ、許可が必要だったかというのは、(ブラタモリを継続的に見ているかたならピンとくるかもですし)、タモリさんの坂道本でも書かれていますが、ようは防衛のため主要道以外に道をつくることは当時禁止されていたためなのですよ。
なので、処刑される前に、菅沼権之助が、坂上から自分の家を望み、処刑されるのも忘れて喜んだというエピソードだけで、その坂道が権之助坂と呼ばれるようになったというのもわかりますが、やはり新しい坂道を当時つくるとなればかなりの大事業だったはずで、つくっている過程から幕府だって気がつかないわけはないと思われるわけなので、できる前から相当な圧力を受けながらの造営だったのだろうことを思うと、やはり坂道ファンとしては、地域の人のために許可なく新坂を切り開いたために、罪に問われてしまった説を有力説としてみたいところではありますかね。


権之助坂(NO.270)7
写真7

こちらは、写真5でも見えていた歩道橋からの景色です。(写真7)
ちょうど目黒通りが二手にわかれている場所がきれいに見えていたので、ぱちりと一枚。


権之助坂(NO.270)8
写真8

さらに坂を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真8)
このあたりから勾配具合もゆるくなり、両サイドもオフィスビルっぽい建物が一気に目立つようになってきました。


権之助坂(NO.270)9
写真9

そんなこんなで、坂上あたりにやってきて坂下方向を見てみました。(写真9)
勾配具合はかなり緩めですが、史実を知ってから、この景色を見ると、この勾配がまた違った風景に見えてくるんじゃないですかね。


権之助坂(NO.270)10
写真10

最後は、写真9の背後の様子でも。(写真10)
JR目黒駅前の風景が広がっていましたよ。

『昭和42年11月、ターミナルビル、ステーションビルが次々に完成し、中央から有名店、老舗が進出してくると、地元商店街の様子も一変し、それまでビルができれば人が集まるという期待とは裏腹にさっぱり客が流れなくなったという。(略)、ここにも激しい時代の移り変わりを見る思いがする。
 坂の方も、権之助坂のわき腹をけずるように、放射3号支線一が開通し、権之助坂は下りの一方通行にされてしまったが、それでも朝夕は車の洪水をさばき切れずにあえいでいる。権之助も土の下で苦笑していることだろう。』
(目黒区のサイトより抜粋)


ということで、今回はこんな感じです。



地図
目黒区目黒1-4or品川区上大崎2-27あたり

こんぴら坂とよぶそうです。
場所については、前回取り上げた、十七が坂(NO.268)の南側を目黒通りが走っているのですが、今回の坂道は、なんと目黒通り自体が坂道であり、その坂道に名前がついているという場所なのです。


金毘羅坂(NO.269)1
写真1

まずは坂下あたりより。(写真1)
奥のすこしカーブしながら上っている坂道が、今回の坂道ですね。
ここは、ちょうど左右に山手通りが横切っていて、目黒通りと山手通りが交差する場所でもありました。
なので、こんなに広々としているのですね。


金毘羅坂(NO.269)2
写真2

坂をすこし上り、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
幅の広い、ゆったりとした坂道でした。
ちなみに、ちょうど右側にもそれらしきお店が見えていますが、ちょうどこの坂道の坂下あたりから西側あたりの目黒通り沿いに個性的なインテリアショップが点在していることから、このあたりのことをいつしか、目黒インテリアストリートと呼ばれるようになったみたいですね。
目黒インテリアストリートについては、以前からその存在は知っていたのですが、今回、改めて調べてみると、「MISC」なる、目黒インテリアストリートを紹介している公式サイトがありましたので、気になるかたはそちらでも見てくださいな。
→ http://misc.co.jp/?page_id=11233


金毘羅坂(NO.269)3
写真3

そして、写真2の左側には、こんな感じで、大島神社の境内が見えていました。(写真3)
写真1の左側にもちらりと見えていた神社ですね。
こちらの神社の詳しいことについては、「御朱印・神社メモ」さんのサイトが詳しく、江戸名所図会などものせていらしたので、そちらのほうをリンクしておきますね。
→ http://jinjamemo.com/archives/27004170.html


金毘羅坂(NO.269)4
写真4

さらに坂を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真4)
こっち側の景色はほぼまったいらですね。


金毘羅坂(NO.269)5
写真5

写真4とだいたい同じ位置より、今度は坂上方向を見てみました。(写真5)
広々としていますねえ。
ただ、この広い道幅になったのは、昭和のはじめ頃らしく、それまではこの道幅も8mくらいしかなかったらしいですよ。


金毘羅坂(NO.269)6
写真6

もうすこし坂をのぼり、坂下方向を見てみたものです。(写真6)
広い道幅やまわりの背の高めのビルのおかげで、わかりにくいですけど、実は高低差のほうはけっこうある感じでしたよ。

ちなみにここにも、いつものような坂名の由来が書かれている案内板が途中にあったようなのですが、今回は気がつかなかったので(またそのうち調べておきます)、とりあえず、目黒区のサイトにも坂の説明が書かれたページがありますので、かわりに一部抜粋させていただくとですね、
『目黒通りを大鳥神社から多摩大学目黒高等学校あたりまで上る坂道を金毘羅坂(こんぴらざか)という。明治の中ごろまで、この坂の付近に金毘羅社こんぴらしゃ(目黒三丁目)があったところから、この名がついたという。
明治40年、坂上に目黒競馬場ができてから、昭和8年に府中へ移転する間、坂には競馬場へ向かう人びとが、あふれていた。』
とのこと。

まず、この金毘羅坂の由来となったという金毘羅社ですが、古地図で調べてみると、ちゃんと記録されていましたよ。
「金毘羅大権現」という名称でのっていました。
場所的には、ちょうど写真6の左側あたりにあったようですね。
ちょっと調べてみると、なんと、あのクリナップのサイトに江戸散策「太鼓橋の向こうには”目黒三社”の目黒不動」なるページがあり、今回の金毘羅社についてのこともふれられていましたので、一部抜粋させていただくとですね、
『「金昆羅」はかなり広大な土地を有した寺なのに、跡形もなくなっている。寺というのは「高幢寺(こうどうじ)」のなかに「金昆羅」があったからで、こちらの方が有名だった。江戸切絵図では「金昆羅大権現」と書かれている。廃寺になったのは明治の初め、新政府の「神仏分離令」と「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動によるものである。 
寺社の多くは“神仏分離”に何とか対応して現在に続いているわけだが、それができなかったのはなぜか。明治新政府の中枢となった雄藩の一つ、薩摩藩の庇護のもとに「金昆羅」があったためと推測する。立場として自ら厳しく対処せざるを得なかったのだろう。』
とのこと。

たしかに、古地図を見てもかなり大きな敷地だったので、なぜなんだろう?と思ったわけですが、これで納得という感じですかね。

あと、目黒競馬場については後ですこしふれます。


金毘羅坂(NO.269)7
写真7

写真6の右側には、写真7のとおりで「目黒寄生虫館」なる公共施設もあったのですよ。(写真7)
「寄生虫」を専門に扱った世界でも唯一の研究博物館とのことで、規模は小さいながら、展示物を見ていると、月並みな言い方ですが、いろいろと生物について人間について考えさせられてしまいましたよ。(笑)
あとは時期的にも、北里大学の大村智博士がノーベル生理学医学賞を受賞した直後にこの施設を訪れたことも、興味をひかれたというか、かなり影響あったかもですね。



金毘羅坂(NO.269)8
写真8

さらに坂をのぼり、坂上方向を見てみました。(写真8)
このあたりから坂道の勾配具合もゆるやかになってきました。


金毘羅坂(NO.269)9
写真9

あと、気になったのがこれでしたかね。(写真9)
実は写真8の左上のほうにもちらりと見えていたのですが、多摩大学目黒中学校・高等学校の校舎への入口がこんな風なつくりになっていたのですよ。
かなりびっくりなつくりだったので、おもわずぱちりと。


金毘羅坂(NO.269)10
写真10

そんなわけで、やっと坂上あたりにやってきました。(写真10)
ただ坂道風景的には、なんてことない目黒通りの景色ともいえますかね。
あとは、さきほどでてきた、この近くにあったという目黒競馬場についてですが、実は散歩当日はこのことをすっかり忘れており、調べてくるのを忘れていたのですよ。。
しかも、このすぐ西側には、「元競馬場」なる交差点まであったのです。(泣)
要は、この写真10の右側うしろあたりに、かつて目黒競馬場があったということみたいなのですよ。。


金毘羅坂(NO.269)11
目黒競馬場

仕方ないので、まえにこのブログの本カテゴリーでも紹介した「東京現代遺跡発掘の旅」に目黒競馬場の当時の写真が掲載されていたので、ちょっと拝借してのせておきたいと思いますよ。
僕自身は競馬については全然くわしくないというかよくよく思い出してみると競馬場自体に行ったことがないのですが、それでも、写真をみるだけで、この近くにこんな広々とした場所があったことだけはわかりますし、意味もなく感慨深くなってしまいますかね。
あと、目黒競馬場については、僕に知る限り、この「現代遺跡発掘の旅」の本にて当時の様子、大山さんのデイリーのネット記事にて現地写真などが詳しく取り上げられていますので、気になる方はそちらのほうでも見てもうらうと、いくつかの史実がわかると思いますよ。


富嶽三十六景・下目黒
富嶽三十六景・下目黒

いろいろ調べていたら、どうやらこのあたり(下目黒)の、江戸時代の様子を描いている葛飾北斎による富嶽三十六景・下目黒なる浮世絵が、あることがわかりましたので、せっかくなので最後にのせておきますよ。
なんとなく絵の色つかいや雰囲気が今ぽいですが、大昔の絵なんですよね。

やはりこの坂上あたりからも富士山がみえたんですかねえ。(わかりませんが・・・)


ということで今回はこんな感じです。


地図
目黒区下目黒3-24あたり

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