NO.860 芍薬

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庭の芍薬が咲きました。。冬の間すこしまめに肥料などやったのですが、2株は咲きませんでした。
それでも15個の花が咲きます。

NO.859 新玉ねぎレシピ

新玉ねぎのシーズンです。わが家庭菜園でも収穫時期なのですが、どうした訳か今年は不作。
350本近く苗を植えました。うち200本はまあまあの出来ですが、残り150本は通常の2/3〜1/2の大きさ。
ゴルフボール位の玉ねぎの需要もあり、それを専門に作る農家もあるようです。苗の間隔を短くすれば出来ると聞いたので、30本やってみたのですが、そこはうまくいかず、普通の大きさに。普通の大きさにと思って植えた苗のうち4割が普通の大きさにならず、ゴルフボール大の大きさのも50個くらい。これは丸のまま野菜スープなどに使えそうですのでまず良しとしましょう。。

新玉ねぎで簡単に、10分足らずでできるレシピ。
皮をむき、上下を切り取ります。

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菜箸2本の間に新玉ねぎを置きます。8等分にするのですが、下まで切ってしまわないように、、割りばしで包丁を止めます。

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皿に載せ、サランラップで覆います。この時、出来上がりの時にきれいに開くために、サランラップはおおきめのものを、ゆったりと掛けます。

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このまま、電子レンジで2〜3分温めます。玉ねぎの大きさ、電子レンジの出力W数、お好みの柔らかさで温める時間数を変えます。

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あまりきれいに開きませんでした。8等分にするときに、きちんとすればもっときれいに開きます。
味付けは、マヨネーズと醤油。玉ねぎの甘さがとてもおいしいです。


NO.858 故郷散策

小中学校の同窓会があり故郷へ。学校のあった村の二軒の旅館も廃業となり、そこでの同窓会は出来ず美濃太田に集まることとなった。

小中学校は一学年一クラス21名という小さな学校で、大分前に廃校になり、建物そのものも2016年に取り壊されてしまったというので、その様子を見ておこうと、翌日、故郷へ足を延ばした。

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美濃太田駅から高山線で4つ目の駅、上麻生。駅から4卮騨川沿いに行ったところ生まれ故郷である。

高山線は岐阜駅から富山駅までの225kmを走る鉄道で、1920年から10年余をかけて完成した鉄道である。
沿線の観光地としては下呂温泉や飛騨の小京都と言われる高山などがある。

観光用の列車は結構走っているが、地元の人が利用できる普通列車は一時間に1本という寂しさである。
上記の旅館は2軒とも看板は上がっていた。
上麻生駅で下車、歩いて20分ほど遠回りして、若葉の山に囲まれたお寺さんにある父母の墓に参る。

上麻生発電所のところで国道41号線への橋があるのだが、歩道もない国道なので、結構多い自動車の事故も怖く、橋は渡らず線路沿いの道路を歩くこととする。

上麻生発電所は大正15年に運用開始というから、90年以上も稼働していることになる。

http://www.suiryoku.com/gallery/gifu/kamiasou/kamiasou.html

原発で40年以上の稼働している炉は廃止の対象になっている。その倍以上の年月、27000kwという小規模ながら、事故も起こさず、稼働し続けていることは、自然エネルギーの優位さを証明するものと思う。

発電所から20分くらいで故郷の観光名所、ロックガーデンにつく。ここには甌穴群で有名になった。甌穴(おうけつ)は全国のあちこちにも見られるポットホールともよばれる。岩の割れ目にひっかかた小石が水流の力で岩を削る。長い時間をかけて岩を穿ち、穴を形成する。大きいサイズでは大人がすっぽり入るくらいのものもある。
悠久の時代を超えて、今もなお小石たちはころころと岩を穿っている。写真のポットは川の流れから高い位置にあり、洪水の時しか水が来ない。

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もう一つ岩関連で有名なものが、ロックガーデンの下流で発見された「日本最古の岩石」である。

http://chishitsu-100kei.world.coocan.jp/page036.html

読んでもよくわかりませんがとにかく日本一古いそうです。
岩石というからにはでっかいものを想像したのですが実際は100円玉10個分くらいが大きな岩の一部として露出しているものでした。

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川岸の岩は古代の地球の動きを思わせる褶曲が見える。
こうした渓谷はここから少し下流で終わり、あとは普通の平坦な川となり、木曽川を通って伊勢湾にそそぐ。

6月になると岩躑躅が咲き始める。岩チドリと言う花も昔は岩を彩っていたが、国道41号線がコンクリート舗装された影響もあって今は絶滅したようである。

ロックガーデンからしばらく行ったところで、小さな耕運機を山からの水で洗っているご夫婦がいたので声をかけてみた。昨日の同窓会の幹事役のI君の知り合いで毎日のように会っているとのこと。僕の生まれた家の川向こうから移ってきた人で、なくなっった同級生のこともよく知っていた。

道路わきはイノシシが掘り返した跡がどこまでも続いていた。古老の話では、人は減るばかり、増えるのはイノシシ、鹿、猿、カモシカとのことだった。
昔は鹿やカモシカなどという動物はいなかったのに。

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二つ目の橋を渡って41号線に出たところに、人手に渡っているが生家が残っている。橋の上から上流を望むとこの写真のように見える。家の近辺の瀬には固有名詞がついている。この瀬は「薮下」と読んでいて、真夏は瀬頭がお風呂替わりで、石鹸をもっておやじたちと「入浴」行ったものだった。川や瀬の様子はここから見る限り昔と変わっていない。瀬下の向かって左の白波が切れたあたりで、兄貴が夜釣りで大きなウナギを釣ったことを覚えている。

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生家の前は旧国道41号線である。今は家の裏手を41号線が走っている。
旧国道は狭く、通過するトラックが寄りすぎて家の軒先の瓦に引っかかるトラブルもよくあった。

家から1000mくらいのところに学校があった。畑の石垣下を通る数十センチ幅の道が残っていたので歩いてみたが途中でなくなってしまって、人様の家の前に出てしまった。

そこで、農作業を休んで春の陽を浴びいる老爺がいた。畑の上に紅白のハナモモを咲かせていたので声をかけてみた。

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お年を聞いたら92才と言われる。ということは長兄と同じ年なので、兄の名前を言ったらやっぱり同級生だった。
あくせくせず、広くはない畑を耕し、疲れたら畦の椅子に座ってあたたかな春の陽を浴びる。
豊かさとは、幸せとは、人生とは・・・・・

ハナモモの上が山となっている。杉の木が植えられ、もう十分に伐採して建築材料に使える大きさになっているが、今は採算が合わず、切り出すこともないと古老は嘆く。山が20m高くなっただけという。杉の木が20mになり、お陰で日の暮れるのが昔より早くなってしまったという。

学校跡に到着。昔の面影は全くなくなってしまって、ぺんぺん草の原っぱとなっていた。
小中学校が同じところにあり、校庭も共用だった。
中学校の校舎は運動場から石段を少し上がったところにあったが、その石段も工事の時の壊されかかっていた。
そこに座り込んで、姉の手作りのちらし寿司で昼飯とし、記念に自撮りをした。
座ったところに昔、石楠花の花が植わっていたが、今は何もなかった。
中学2年か3年の時、校内の俳句大会があり、石楠花に降る雨を「石楠花の 咲いて静かに 雨が降る」と詠んで賞をもらった。今も楽しんでいる私の俳句の原点の場所である。
写真の左端に石楠花が植わっていた。

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学校の数百メートル先に「イワイ谷」と呼んでいた幅数mの谷があり、ここで大きなアマゴを釣った記憶がある。この谷に沿って、中学校の頃、焼いた鮎を背負って山の上にある宿屋へ届けたものだった。
今はその道も消滅している。谷は荒れて、水量も少なく昔のアマゴの谷の面影は全くなく寂しい思いだった。

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故郷散策もここを折り返し点と決めていた。駅行きのバスがあると思い込んでUターンしたところで声をかけられた。「あんたはカズイチ(親父の名前)さんとこの子やろう、寄っていきゃあ」と言われる。
半世紀も前に故郷を離れたおやじだが、それにそっくりの人がカメラをぶら下げてきたのでびっくりしたとのこと。
自分ではわからないのだが、おやじによく似ているのかと驚いた。
その人は土建業の社長さんということで、資材置き場の応接室に案内される。
齢を聞くと、夕べ泊まった姉の同級生でこれまたびっくり。電話で姉を呼び出し、電話を替わった。
何年振りかの御喋りだったみたいで思い出話や、同級生の音沙汰などをしゃべっていた。

この社長さんはずっと土木の仕事をされてきたそうだ。国道41号線が建設される頃は仕事も多かったようだが今は、だいぶ仕事も少なくなっているとのことだった。

限界集落という言葉は昔はなかったが、今は切実な問題になりかけているとのことだった。

僕らが子供のころ、決して豊かではなかったが、集落がなくなるなどということは夢想だにしなかった。
たまたま最近読んだ「里山資本主義」という本のことを話題にした。中国地方の町でその地域の林業の在り方の改革で、地域経済が活性化した事例など面白く読んだ。捨てていた木材チップを化石燃料の代わりに活用し、企業だけでなく地域全体をも元気にしたという。

社長も少しこの話は聞いたことがるとのことだた。しかしなあ、この町では希望がないよ、という。
人口も岐阜県下では一番少ないし、だんだん減っている。あんたが子供のころは、50軒あったのが今はものすごい勢いでへっていると言う。
同窓会に来ていた友人の集落(もともと数軒だった)は誰もいなくなったといっていた。

故郷がなくなるということは寂しいことである。僕の故郷に限らず、北海道から沖縄まで、同じような状況が日本中に広がっている。福島では原発事故で、帰ることのできない故郷になってしまっている。
これでは日本そのものはどうなってしまうのか。国のあり方を根本的に考える時期になっているのではなかろうか。

バスで帰るつもりだったが、基本的にスクールバスなので、土曜日の今日はないから、駅まで送るよと言っていただき、駅までの数キロメートルを軽トラックで送ってくれた。
田舎の人の温かい人情に触れて心が洗われるような旅となった。

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NO.857 チュ―リップ

一緒に家庭菜園を楽しんでいる知人が、畑の法面にチューリップを植えられた。
赤一色で、数えると120株くらいである。この方は庭に1,000株のチューリップを咲かせているとのこと。

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NO.856 定光寺の桜



瀬戸物で有名な愛知県瀬戸市にある定光寺の山へ出かけた。山頂であるが、山桜ではなくソメイヨシノ。
例年なら鶯が大勢で歓迎した啼きかわしてくれるが、今年は時期が少し早すぎたようで、一羽だけが、
すぐ近くで啼いてくれた。

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