2016年03月

NO.834.シフォンケーキ

chiffon cake


バレンタインのお返しにシフォンケーキを焼いた。
シフォン(chiffon=絹やレーヨンのような薄い織物のことだそうだ。)ケーキについてGoogleしてみると、そもそもは1927年、アメリカのロスアンジェルスに始まったものだそうだ。今では一般にもレシピも公開されていて、わたくしでも曲がりなりにも焼くことができる。
1927年から20年間そのレシピは非公開だったそうだ。ふわふわの柔らかいケーキとして人気を博していたが、
その作り方を大勢の人が知ろうと必死になったらしい。
1947年、そのレシピをある会社に売却し、製法が明らかになったそうだ。
ケーキはふつうバターを使うが、このケーキはサラダ油、ふわふわの秘密は卵の白身のメレンゲ、ベーキングパウダー。(BPなしのレシピもあるようだ)

今回はそこそこうまく焼けたように見えた。
外観がそのように見えても、そうは問屋が卸さない。
焼いてから数時間冷やしてから、器から抜いて、切り分けて食べる。
その段階で、中に空洞があったり、少し焼不足だったりすることがある。
メレンゲの泡立ち具合や、ペーキングパウダーの混ざり具合、器に流し込むときの流れ方、オーブンの温度、訳時間などなど、機械で作るわけではないので、うまくいったりいかなかったり。

今回は今まででまあ、一番うまくいったかな。

NO.833  高野山へ  町石道-2

紀伊細川駅から1時間くらいで矢立に到着。国道370号線に出る。ここでようやくふもとの九度山の慈尊院から続いてきた町石道に入ることができる。

矢立は昔の人が旅の時に持ち歩く筆記具である。この地名が付いたのは、空海が九度山などへの往きかえりなどに、ここで休みを取り矢立から筆を取り出し旅の記録などを記したことに所以するとのことである。
小さな茶屋があり、女性が一人で店番をしていた。草餅のような色をした焼餅が名物らしく、名古屋へ土産に買った。




DSC08180



茶屋のわきの道が町石道である。茶屋わきの町石が高野山から数えて60番目の町石だそうだ。
ということは6.5kmを歩かないと高野山へはつけないことになある。

DSC08187



登りの6劼世らちょっと大変だが、ここから引き返すわけにはゆかず、とにかく高野山まで行ってそこから電車で帰るしかないと決意して登り始める。今ある石塔は鎌倉時代に建立されたものとのこと。通半分以上土中にうずもれたものも見られた。

DSC08243

DSC08239
中伝説になっている岩がいくつかあった。
下の写真は「袈裟掛けの岩」。空海が袈裟を掛けたといわれる岩。下が空洞になって、ここを通り抜けると長生きするという言い伝えがあるそうだリュックをわきに置き、背広姿になって潜りかけたが途中で思いとどまった。
途中まで潜ってつっかえて動けなくなった姿を想像した。誰も通らない山道で、動けないまま夜になったら・・・・

DSC08189


1町、109mごとに立っているはずがところどころでは2本が接して立っている。一つは町石、もう一つは里石で、こちらは36町(1里)ごとに建てられているそうだ。

DSC08197


道から少し離れた位置に立つものも見られた。石が動いたわけでなく、道が長年の間に変わったのだろうと推測する。

前方に何か黒いものが見えて一瞬ドキッとした。何か鼻先が白い動物がこちらをにらんでいる風に見えた。
カメラを構えても少しも動く様子もなかった。よくよくみると、

DSC08204


なんのことはない、ただの朽ちた木の株であった。

道脇にこんな看板もあって気にしていたせいもあろう。

DSC08219



こんな山道を歩くもの好きな人はいないだろうと思って登っていたが、矢立の茶店で見かけた3人組が追い付いてきて追い越していった。

しばらくして白装束に身を固めた中年くらいの男の人が足早に追いついてきた。行者さんらしかった。挨拶だけしてものすごいスピードで登って行った。よたよた歩く小生の数倍の速さと思われた。

小さな流れがあったので、そこで岩に腰かけ小休止。空海の昔から流れていたのだろうか。

DSC08232


3時過ぎ、風も冷たくなり、影も長くなってきた。町石のナンバーも若くなりあと少しだから頑張ろうと気合を入れて登る

DSC08242




こんな道を登り


DSC08248

ついに目的地大門に到着

DSC08254



紀伊細川の駅を出たのが11:30頃、矢立を出たのが13:10、大門着が15:50、延べ4時間半くらい、18800歩
歩いた。


NO.832 高野山へ  町石道-1

今年のNHKTVの大河ドラマ「真田丸」で一躍有名になったのが和歌山県九度山町。その九度山町からから高野山への道標(道しるべ)として、1(約109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられている。高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。慈尊院から数えて36町(1)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。

町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。

かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登ったと言われているが、現在では道も整備され気軽に歩けるハイキングコースともなっている。(WIKIPEDIA参照した。)

一度歩いてみたいと思ったが、一度に22劼郎の脚力では平たんな道でも無理なので、途中まで南海鉄道高野線に乗り、途中下車して歩こうと考えた。インターネットで子供が出力してくれた地図をもとに出かけた。地図によれば高野線と町石道が一番近いのは上古沢駅らしい。
上古沢の駅は山の中腹(高野線自体がほとんど山の中腹を走る)にある。11時前に下車した。駅員がいたので地図をだしてはなしかけてみた。

DSC08156

DSC08157



考えていたルートはとんでもないルートらしい。上の写真は駅舎から対面の山の方を映したものであるが、駅舎から下の集落まで下り、そこから鉄塔が見える方へ上り、嶺を越えていかないと町石道につくことができず、そこまで行くのに3時間はかかるでしょうとのこと、その案はやめてもう一つ高野山へ近い紀伊細川駅まで行った方が良いとのアドバイスをくれた。


30分待てば次の列車が来るのでそれを待つこととした。
暦の上では春。駅舎の近くはまだ霜が降りていたが、鶯の初鳴きが聞こえた。プラットホームから手が届くところに蕗の薹が出ていた。

DSC08158

DSC08161



DSC08162
これは下りの電車


紀伊細川駅で下車。ここでも若い駅員さん一人。生き方もわからなかったのでルートを教えてもらう。登り路は嫌だったので九度山へ下山するつもりだったが、今からでは日が暮れます、3時間も歩けば高野山へ到着できるので上った方がいいよとのアドバイス。
自信はなかったがここまで来てあきらめるのも嫌だったのでアドバイスに従うこととした。
紀伊細川駅から「矢立」までやく4km行き、そこから町石道に入るルート。矢立までは整備された道路だった。途中、橋本駅で買い求めた助六で昼飯。ここでも蕗の薹に出会った。

DSC08174


登り路が続く細川駅から矢立までの道。

DSC08173


途中、日当たりの悪い曲り角に、コケに滴る水が氷柱になっていた。久しぶりに見る光景であった。


歩くこと1時間ほどで矢立に到着。




楽天市場
記事検索
プロフィール

kfrt6869

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
livedoor × FLO:Q
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ