2007年12月30日

神仏混淆:神仏習合

多くの辞書で「神仏混淆」と「神仏習合」とは同じと解説されているが、この二つの言葉の内容は決して同じではないと思う。

聖徳太子時代以降、仏教と神道は平和的に共存するようになり、奈良時代になって日本の神も仏教を信仰し、仏道修行をされるという考え方が始まり、神社の中に寺院が建設され、これらが神宮寺(又は別当寺)と呼ばれた。

神宮寺では、神前読経が行われ神様に仏法を教え聞かせるということだった。

この時代の仏教と神道の平和共存を「神仏混淆」と呼ぶべきだろう。

対して「神仏習合」は神と仏が全く一つに融合した形であり、「本地垂迹説」となってくる。

本地垂迹説では、本地(真実者)である仏が迹(あと)を垂れて、わが国の(神祇)となって現れるという考えである。

明治維新までは、仏教は「国教」の地位にあったのである。

明治元年太政官が「神仏判然令」、さらに明治三年「大教宣布の詔」を出して神道が「大教」の名で全国民に布教される事になり、これに便乗した神職や国学者、儒者などの指導で全国的に(廃仏毀釈運動)が広まった。

然し 一般国民に深く浸透していた仏教を認めざるを得ず、明治五、六年に沈静化したものである。

一見曖昧な日本人の宗教観はこのような歴史的経緯に起因すると思われる。

(本稿は参考書に基づく愚老の思想、表現である)

参考書:「仏教と神道」 ひろ さちや氏著 新潮社 昭和62年発行

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kgh77araki at 05:47│Comments(0)TrackBack(0)折々の記 

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