June 10, 2019

愛の鉄拳に感謝。

この世にいなくなってから、既に30年近くの月日が過ぎても、父の存在は依然大きいと感じる。自身の年齢が父の亡くなった年齢とほぼ変わらなくなっている現在であっても、父を超えたのかどうか正直分からない。
そもそも、何をどうすれば超えたと感じることが出来るのか、また、何がどう超えたのか、更にはそもそも超える必要があるのか。
考えれば考えるほど、訳が分からなくなるので、いつも父のことを思い出しては、この手の堂々巡りを繰り返す。
これ自体、進歩していない証か。

それはさておき。
私の出来が悪かったためであろう、父からは怒られた記憶だけが残っている。
人並以上の努力を日々重ねて来た父だっただけに、特に私の態度等を父が精神的に少しでも前向きでないと感じた時には、烈火のごとく怒られた。
時には、どつかれることも決して珍しいことではなかった。
平手打ちは当たり前、文字通りグーの拳でどつかれるのだ。

「自分で自分を殴る方がはるかに楽だ!怒る俺の辛い気持ちを察しろ!」

激昂した後に何度か聞いた父の言葉が、今も忘れられない。
しかし、自分の子供を私が怒られたように、平手打ちや拳での制裁をすることがなかった私に、もちろん、息子には何度も何度も本気で叱りつけはしたが、拳はあげなかったな、その気持ちを類推することは出来ない。
父も他界していないし、娘も息子も既に成人しているので、確認のしようもないけれど。

そんな父から、私が25歳か26歳の時に一度だけ褒められたことがある。
もしかしたら違う意味で何かを伝えたかったのかもしれないし、そもそも褒められたのではなかったかもしれないが、少なくとも私はそのように感じた。
その時の言葉は未だに記憶に深く残っている。

「お前、エライなぁ。何度(試験に)落ちても結果が出たらすぐに気持ちを切り替えて再挑戦を開始するのは、ホンマにエライなぁ。」

大学を出てから挑戦を決めた、英検2級合格を目指して挑戦していたときのことだと記憶している。

出来の悪い人間が身に付けた、能力の一つなのかもしれないし、悲しい処世術なのかもしれない。
結果がなかなか出ないのは、落ちるのに慣れている私であっても、今でもやっぱり辛いのだけれど。

「結果ではないよ。
努力し続けた経験は、必ず次につながるから、先ずは自分を褒めてあげよう。」

そんな甘っちょろい考えがよぎるのも事実だけれど、結果が出ない状態で諦めてしまっては、次にはきっと繋がらない。
そもそも諦めてしまっては、次に繋げようがないではないか。

本当はね。
すぐに結果に繋げたいのよね。
でもさ。
すぐに結果が出ないのは、確かにカッコ悪いと分かっているのね。
諦めてしまうカッコ悪さは、もっとカッコ悪いとも思うのよ。
カッコ悪くても、何度も何度も挑戦してようやく結果に繋がった、その瞬間に初めて確実に自分の血となり肉となると思うのさ。

昨日。
2019年6月9日。
私が長年願って来た夢に、漸く一歩近付けた。
そう。
結果が、最初の小さなしかも大きな意味のある結果が出た。
やっと出た。
苦しかった。
本当に苦しかった。
何度も心が折れた。
しかし、すぐに気持ちを切り替えて再挑戦し続けた。
その結果が、昨日届いた。
本当にホッとした。
心が喜ぶって、こんな感じなんだ。
久しぶり過ぎて、忘れていた。

それもこれももしかしたら、全て父の愛のある鉄拳制裁のお陰かもしれない。

いつも以上に感謝の気持ちをわすれないように、更に努力を続けることにしよう。



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May 03, 2019

【趣味】

好天に恵まれた祝日。
ウォーキングするか、バイクに乗るか…。

う〜ん…

今日は、バイクで許したろ。
誰に言い訳をするのか不明なれど、そのように決めて、バイクのエンジンに火を入れる。

心地良い風を感じつつ、複数の移動先の一つに立ち寄る。
バイク置き場に、あるバイクを発見。
その隣に、いざなわれるように、バイクを止める。

ヘルメットを脱ぎ、リアケースに収めようとしたまさにその時、背後から声を掛けられた。

「次に買うなら、このバイクかなって思っているんですよ。」

私と同じ世代と思しき方が、にこやかにそう語りかけてきた。

私は瞬時に、隣のあるバイクのオーナーであると理解した。

初めて会ったその人との会話は、途切れることなく続く。
当たり前だ。
絶対に特別な想いがないと、乗りたいと思わないバイクのオーナー同士だからだ。

お名前も聞かない状態で、お話しが延々と続くのが楽しくて楽しくて、アッという間に時間が過ぎる。
不思議な共通点が幾つか見つかったのも興味深い。
特にバイクの選び方に、かなり近しいものがある。
お互いの今のバイクの前に買ったバイクが同じ。
車種や排気量だけでなく、タイプまで同じなのには驚いた。

そのバイクの話しをしている時に、何故かその車種の排気量の小さいバイク(と言っても650cc)が駐輪場に入って来たのにも、驚かされる。

「やっぱり、2発の大きいのに惹かれますね!」

そんな話しをしていた時に、トライアンフの珍しいタイプのバイクが駐輪場に登場したりという、不思議な吸引力が働いたかのような状態に、ますます会話が弾む。

感覚的には10分程の会話だったが(実際にはもっと長時間だったのだろうけれど)、とても興味深く忘れられない会話が出来、最後には私から連絡先の交換を提案して別れた。

さて。
次に会う時には、どんな話しが出来るのだろう。
趣味があって良かった。
心からそう思えた素敵な時間。

ちなみに、その方のバイクはYAMAHA MT-01。
私のバイクは、YAMAHA BT1100。

MT-01は1700ccのVツイン(V型2気筒)の国内製造で、BT1100は1100ccのVツインのイタリアヤマハ製。
水冷・インジェクションと空冷・キャブレター。
チェーンドライブとシャフトドライブ。
乾燥重量は、243キロと233キロ。
2005年に販売開始し、2009年に販売中止と2001年に販売開始し、2006年に製造中止し2008年に販売中止。

趣味性が強過ぎるMT-01もBT1100のような車両は、共におそらくは今後日本のバイクとして製造されることはない。
マーケティング的には失敗と見做されるこの手のバイクだが、我々のような価値観を有するライダーが丁寧に乗りながら、このようなバイクがかつて日本のメーカーが作った痕跡を残し続けたいと感じる。

しばしその場所に滞在した後、我が愛しのバイクの元に戻った時、隣に更に珍しいバイクが止まっていた。
スズキのサベージ650。
販売開始は1986年の空冷650ccのバーチカルシングルエンジン。
当時先端であった、ベルトドライブ。
このタイプのバイクも、今後出ないだろうな。

趣味とは即ち、迎合や協調の対極にある、自由を希求する精神的解放だな。
趣味を堪能する時には、マーケティング脳の活動を停止すべきだな。

趣味があって良かった。
趣味のある人がまだまだたくさんいて良かった。

さて。
天候の良い日には、趣味の活動に勤しむことに躊躇しないようにしよう。


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November 09, 2017

隷属なき道

「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」

ドイツのオットー・フォン・ビスマルク元宰相の言葉。

この言葉がいつの間にか「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言に昇華していったとされているが、他人の経験とは即ち歴史と考えれば、あながち意訳とも言えない。

歴史から、この混沌とした現世をどのように捉えるべきなのか。

人工知能の本格的登板前夜のような現世から、どのような未来を思い描くべきなのか。

一人で悩み、考えていてもラチがあかないのは明白。
書物に導いて貰おうと考えても、さほど筋違いな方法ではないだろう。

そして私は人工知能そのものよりも、人工知能がもたらすであろう社会変革に興味がある。
即ち、近未来の労働のあり方とはどのようなものであり、新時代の一方法論として注目を集めつつある、ベーシックインカムの本質とは何ぞやという事に。

幾つかの書物を手にし、衝撃的な一冊と出会う事になる。

「隷属なき道」
若干29歳のオランダの歴史学者であるルトガー・ブレグマンの著書。

決して難解な内容ではない。
しかし、哲学書を読む時のように、何度も反復しながら内容を飲み込みながら読み込んだ。
それだけ私の心の、深層にまで届く内容だったという事なのだろう。

AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働…がサブタイトル。
文中には他にも国境をなくし移民を受け入れる必要性にも言及している。
実際に導入する事は難しいとは思うが(例えば財源(コスト)の問題等)、私の曇った視野をクリアにするためには、必要な考え方だと逐次痛感しつつワクワクしながら読破した。

書籍の帯に「ピケティにつぐ欧州の新しい知性の誕生」とある。
残念ながらピケティ程の話題にはならなかったようだが、私にはピケティの何倍もの衝撃がそこに認められていると感じた。

やはり歴史には、現在と未来へと続く様々な導線が、無数に存在していて、それをないものと葬るのか希望の道標として刮目する事との間には、大きな違いがあるのだろう。

タル・ベン・シャハー著の「HAPPIER」以来の衝撃。

第10章の終わりに、こんな引用があった。

ユートピアは水平線上にある。わたしが二歩近づくと、それは二歩遠ざかる。もう十歩近づくと、さらに十歩遠ざかる。
どれだけ歩いても、決してたどり着けない。では、ユートピアに何の意味があるのだろう。答えはこうだ。歩き続けよ、とそれは教えてくれるのだ。
――エドゥアルド・ガレアーノ(1940〜2015)

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906577

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November 05, 2017

愛すべき鉄馬。

親の世代では、自動車免許を取得すると、バイクの免許が漏れなく付いて来た。
そんな時代もあったのね…な感じ。
私が免許を取得出来る年齢になる2年前に、バイク免許の区分改正が行われ、400CC以上のバイク免許の取得が、極めて難しくなった。
バイク事故が多発したそうで、大きなバイクには出来るだけ乗せたくないと、厳格化が求められた時代。
400CCを超える排気量のバイクに乗りたければ、限定解除と呼ばれる免許に挑戦しなければならない。
そんな時代が暫く続く。
結局、ハーレー・ダビッドソン社等からの外圧に屈するように、少し前からは教習所でも大型バイクの免許(限定解除)が取得出来るようになり、ハーレー社の思惑通りに、主におじさんライダーの増加へと繋がっていく訳。
私が限定解除に挑戦した時は、合格率が4〜6%程度と言われていた時代。
教習所で免許が取れる筈もなく、いわゆる飛び込みで挑戦する以外の道はない。
しかも、一度受験して不合格になり、再挑戦すべく次回の予約をするも最短で6週間先。
コースすら忘れるに十分な期間。
出来るだけ合格者を出したくない気持ちは分かるけど、辛かった。
結局、季節を5つ過ごして(1年以上かかった)、免許を取得した。
当時、白バイに乗っていた山口さんという凄腕の警察官の方に教えを請いながら、受験に備え鍛え続けた。

苦労の末、合格し、山口さんに早速報告。
山口さんからお祝いの言葉と共に「苦労して取った免許だから、大切に乗らないとね。誇りを持って憧れのライダーを目指して!」と言われたのは、未だに忘れない。
私のライダーとしての、矜持。

バイクに乗り始めて、既に40年(同時にジジイがバレる)。
山口さんから頂いた言葉は常に胸に、誇りを持ってライディングしているつもり。

今のバイクは、ベルガルタ・ヤマハ(現在のイタリー・ヤマハ)製造の、BT1100 ブルドッグという名前の、素敵な鉄馬。

長く製造し続けていた、ホンダのモンキーやヤマハのSRという単気筒のバイクが、新しい排ガス規制に適合出来ないとかで、新時代のバイクに生まれ変わりつつある昨今。
私のバイクは、明らかに旧世代。

何せ、キャブレター仕様。
イモビライザーは搭載しているのに、チョーク付き。

私はVツインバイクが大好き。
しかも、シャフト・ドライブでチューブレス・タイヤでキャブレターなら最高。

今は、既に絶滅してしまった、私の理想のバイク。
大切に乗らないと。

久しく車検切れ状態で保存していたけれど、今日復活させた。
車検を受けて、乗れる状態にした。

明日からがまた楽しみ。

kgiba at 00:40|PermalinkComments(0)

August 29, 2017

風が吹かなくても痛いんだわ。

風が吹いても痛いから「痛風」。

一般的に、そんな認識で「痛風」を捉えていらっしゃる方が殆どだと、勝手ながら推測します。
「痛風」経験者は、絶対にそんな表現はしない。
風が吹こうが吹くまいが、ずっとずっと痛いのが「痛風」です(断言)。

最初に発症したのが、忘れもしない2007年の8月。
寝ている間に、巨大な虫に足の親指の付け根を刺されたのか。
最初は、痛風になった事を想像出来なかったので、そんな風に思っていた。

時間を追うごとに、痛みはどんどん強くなり、結局その夜は一睡も出来ない状態で朝を迎える訳ですが、朝が来たところで痛みは一向にひかない。

動く事が出来ないので、この痛みの原因が何であるのか。
私の足を刺した虫はどんな虫なのか。

心配になったり、諦めたり。
原因が分からぬまま、色々と検索するうちに「痛風」にかかったのだとの結論に至る。

虫ではなかったのだ。

痛風とはどんな病気なのか。
どうすれば治るのか。
それ以前に、この絶望的な痛みはどうすれば緩和されるのか。

何せ、時間はタップリある。
調べてみると、どうやら水分の摂取と弱アルカリ性がキーワードらしいというところまでは、理解出来た。

しかし、動けぬ。
痛みに堪えてよく頑張った…ではないけれど、何とか身体を動かして水分を補給したところで、多少アルカリ性食品を口にしたところで、一向に痛みはひかない。
却ってお手洗いの回数が増えて、苦しむ頻度が増えた。

今から10年前は、プリン体が痛風には良くないとの見解が一般的。
ビールとか内臓とかを忌避すべきとの事。
しかし、お医者さんによってはビールは関係ないという有難い見解もあった。

結果的に、数日もすれば痛みは徐々にひくのだけれど、痛みの記憶は無くならない。

その後の生活もやはり少し変わった。
食べ物に注意するようになった。
ビールは控えないようにした(飲みたかっただけ)。

そろそろお肉ではなくお魚が好ましくなるお年頃。
無理に肉を求めなくなったのは自然な事なのだろうけど、別に極端に避ける理由もない。
カンザス市を訪問した時に、普通にカンザス・ビーフを愛でた。

結果として、帰りの飛行機の中で嫌な感覚が蘇ってきた。
あの激痛を回避するには、水分の摂取だ。
飛行機の中では水とビールをいつも以上に摂取して何とか回避した。

その時からだ。
私が牛肉を食べたくなくなったのは。

最近放映された、NHKのガッテン!によると、プリン体に代表される食べ物が痛風に影響する割合は2割程度との事。
痛風になるのは、プリン体そのものが悪者なのではなく、複合的な原因から。
特に、排泄が悪いから。
その原因は、肥満と体質。

ガーン。

そうか。
そうだったのか。
(わかっているのに、わかっていないフリをするダメな私。)

牛乳を飲用してアルコール類は控えるのが効果的なのだとか。
ビールは多分例外だ(勝手解釈)。
砂糖類が好ましくなく、お野菜は積極的に食し、水分摂取も忘れずに。

夏の時期、特に痛風になり易い季節なので、留意する必要がありそうです。

http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20170104/index.html


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June 24, 2017

「しがらみ」

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今、兵庫県では県知事選挙の真っ只中。

巷間、選挙期間中、頻繁に耳にする「しがらみ」って何だろ??
イメージでしかわかっていない、この言葉に興味がわきます。

「しがらみ」を漢字で書くと「柵」。
本来は、川の中に打ち並べた杭に木の枝や竹などを横に結びつけて、急な水の流れをせき止めるもの…の意味。

社会活動を行う事は即ち、様々なしがらみのなかで生きるという事。
なかなか思うようにはいかないのが、社会。
自分を含めて、様々な立場の方との関係の中にしか、生活はない。
自分だけが唯我独尊、唯一無二の独裁者でもない限り、社会機構や機能の中で不平不満や反感反発を抱えながらも、互いに折り合いをつけて日々を過ごしている。

立場は違えど、誰にとっても世の中、多分そんなもの。

だから故、流れや勢いに任せて一方へ流れてしまわないで済むし、人としての成長もある。
マイクを通じて聞こえて来る「しがらみのない」候補者とは、相反する思想信条をもった人々がいないという事なのだろうけど、一人で戦うには相手が多過ぎて多勢に無勢。
更には、仲良しこよしでは立ち行かないのが政治の本質。
だって、人の数だけ要求はあるだろうからね。

反対勢力を説得し、味方につける力量を持つ政治家に期待したいところです。
「柵のない」政治家より、「柵を味方につける」や「柵を越えて行く」政治家が登場したら良いな。

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October 07, 2014

有難いご提案

熱意はあなたのなかで始まり、
心理的に積極的な姿勢で育ち、
積極的で熱意のある人のまわりで
最もうまく働くものです。
【W・T・ブルックス】

人前でお話しをさせて頂く機会は、比較的多いと思います。
そもそも、それがお仕事でもありますから、当然と言えば当然なのですが。
雑談レベルではなく、改めて人前でお話しする機会は、結局慣れる事はないように感じます。
というより、慣れてはいけないのかもしれません。
その都度、真剣勝負で臨まなければ、聞いて下さる方々に対して失礼ですから。

お話しをさせて頂く事により、より多くの学びがあるのは、一度でもその経験をなさった事のある方には、瞬時にご理解頂けるのではないかと存じます。

人前…と申しましても、相手の属性によって、お話しする内容は千差万別。
例えば、小学校生達を相手にお話しする時と、学会等で専門家の先生方を相手にお話しする時とでは、同じ内容であったとしても(そもそも同じ話題をお話しする事は考え難いですが…)、選ぶ言葉も表現方法や手法も、最終的な結論に至るプロセスも全然違います。
私の個人的な感想ですが、やはり小学校生を相手にお話しさせて頂いた時が、一番大変でした。

小学校の先生って、偉いなぁ…。
本気でそう思いました。

非常勤講師や特別講師、客員研究員や研究会での事例報告や外部組織等へのプレゼンテーション…。

様々な機会で、色々な立場からお話しをさせて頂く事がありますが、そろそろセミナー講師というのをしてみたいと思っていました。
そんな時に、姫路のとってもステキな方からの提案で、中小企業の経営者対象の有料セミナーを試験的に行う企画が持ち上がりました。
私にとっては願ってもないお話し。
物凄く有難い企画提案です。

たとえ僅かな金額とは言え、有料のセミナーです。
無駄金を使ったとは、絶対に思われたくない。

そんな気持ちで、約2ヶ月かけて準備を行いました。
2ヶ月もかけたとしても、やはり最後の最後まで気を抜かずに、仕上げ作業を続けて…いよいよ本番。
たとえ、5人でも集まれば嬉しいな。
そう思って準備を進めていたのですが、何と30人近くの方にお申し込み頂く事が出来て、会場は人でイッパイになりそうです。
有難い事です。
実に幸せな気分仕上げ作業を行う事が出来ました。

ある程度、事前に参加者の属性と、セミナーを通じて学びたい事等をヒアリングしてもらいました。

準備は万端(多分)。

時間をメイッパイ使って頑張ってお話しさせて頂きました。
セミナー後の受講者アンケートでも、苦情はありませんでした。
離陸はどうやら問題なく行えたようです。
とは言え。
これはあくまでもスタート。
これからも、どんどんと自分に課題を課して、もっと努力する事に致します。
この流れを繋いでいくべく、毎月開催する予定です。
せっせと私の知識の棚卸しを行いながら、少しでも内容を充実させ、受講者の方々に満足して頂けるように頑張ります。

次の機会が今から楽しみです。


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July 08, 2014

ノルディックウォーキング

我々が良い習慣をつくると、
今度はその習慣が、
我々をつくるようになる。
【ポール・J・マイヤー】

またまた更新が遅れてしまいました。
余りにも色々な事が一度に押し寄せるように訪れて、全く気持ちに余裕のない日々を送っておりました。
忙しい事は、それ自体は素敵な事だと思うのですが、余裕がなくなるのは余り好ましくはありません。

とっても個人的な事なのですが、毎年健康診断を受けています。
これ自体は特別な事でも何でもありませんが、身体の状態を測定された客観的な数値データを元に、悪いところを改善するように指摘されます。
そのために受診するので、有難い事なのですが、毎年指摘されるポイントが増えているのに気付き、受診自体を避けたくなる今日この頃。
とは言え。
健康診断をパスしても、身体的状況は一向に改善しません。
成人病が一つ…二つ…と増加傾向にあり、いよいよ昨年お医者様から治療を強く求められるに十分な悪い数値を叩き出してしまいました。

さすがの私も、体調の悪さを感じておりましたし、重い腰を上げて治療を開始する事にしました。
それが昨年の夏頃の事でした。

自宅近所に新しく出来た病院に通う事にしたのですが、この病院が実に素敵。
お医者様も素晴らしい。
患者に寄り添い、分かりやすく丁寧な診療を行って下さいます。
さすがの私も、この先生の仰る事には素直に耳を傾けます。
その成果が徐々に現れ、症状は劇的に…かどうかは分かりませんが、かなり良くなって来たように感じます。
しかし、日常生活を改善しなければ根本的な治療には繋がらないのは、これまた当然の事。
日常生活の改善とは即ち、運動量の増加です。
近所の移動も電車か車だったのを、余程の事がない限り自転車を使う事にしました。
これだけで、随分と効果が上がったようです。
ほぼ毎月お世話になる診察時の結果も、順調順調。
ところが、お仕事のストレスが一向に減らず、精神的には回復期手前状態。
身体が健康になろうとしているのに、精神が足を引っ張っている感じでした。
イマイチすっきりしない。

そんな時にある方と出会いました。
その方とは、日本でただ一人のノルディックウォーキングのプロの指導者。
その方に会うまでは、ノルディックウォーキングなるものの存在も知りませんでした。
その存在を先ずはネットで確認しました。

ノルディックウォーキングとは、2本のポール(ストック)を使って歩行運動を補助し、運動効果をより増強するフィットネスエクササイズの一種の事です。
オフシーズンのスキートレーニングとして1930年代にはじまり、1997年にフィンランドで二本のポールを使用したウォーキングをノルディックウォーキングと定義し本格的に普及活動が始まったスポーツだそうです。
現在では1,000万人を越える人達がノルディックウォーキングを楽しんでいると言われており、日本でも近年徐々に愛好者が増えているのだとか。
http://www.satv.co.jp/0600shopping/0010webshop/noldic/index.html

また、ノルディックウォーキングの最大利点は、なんといっても年齢性別を問わず気軽に楽しめ、エクササイズの効率が非常に良いことです。
一般的な歩行運動と異なり、上半身の筋肉もより積極的に使われて、首や肩の血行も促進され鍛えることができ、全身の約90%の筋肉を使用する有酸素運動を、疲れをあまり感じることなくより長い時間行えると言われております。
普通のウォーキングに比べてエネルギー消費量が平均20%ほど高くなり、ウォーキングでは1時間に約280カロリー程度しか消費しませんが、上半身の力を有効に使って歩幅を大きく取って歩けば、約400カロリー程度まで引き上げることが可能となります。
何と言っても、メタボリックシンドローム対策として有効である…そうです。
また足首・膝・腰などへの負担が軽減されたという研究結果が報告されており、足腰に故障を抱える人や心臓病など循環器系の病気のリハビリの運動にも適しています。
ポールを持つことにより歩行姿勢が正されますし、自然環境や街中など、日常生活のなかでどこでも出来る利便性があります。
【以上参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ノルディックウォーキング】

かなりヨサゲ。
何よりも、手軽な感じ。

構える前に体験してみよう。
何故かそう思えました。

最初のレッスンは、知り合いのクラスではなく、別の方のクラスに参加させて頂き、体験いたしました。
場所は、明石市の東の端である、大蔵海岸周辺。
道具は持っていないので、レンタルさせて頂きました。
道具と言ってもストックだけなのですが、これが実に機能的。
準備体操に引き続き、早速ノルディックウォーキング!

意外と直ぐに歩けました。
…当たり前か。

実は私はスキー歴は結構長く、スキーで嫌という程にストックを使って歩いていますので、この経験が見事に(?)生きた訳ですね。
…という程に大袈裟な事ではないのですが。

何れにしましても、ストックを突いて歩く事が、これ程までに気持ちの良い運動になるとは、経験する前には全く想像も出来ませんでした。
そもそも歩くという行為は、人として生活する限りに於いて、特別な行為ではありません。
ところが、ストックを突く事で、あたかも四足歩行をするが如く、何かが覚醒した感じが少しだけしました。
ストックを突く事で、腕の筋肉を使います。
腕を大きく振る事で、肩甲骨の筋肉が動きます。
更に、ストックを突く事で、歩幅が広くなり歩行速度が上がります。
これら一連の作業を行う事により、普段は殆ど使う事のない、体幹の筋肉が使われるそうです。

心拍数は、私の年齢だと1分間に100を目処とします。
従って身体への負荷も然程大きくはありません。
実に爽やかに汗をかく事が出来ます。
特に私が初体験した時期は、新緑が目に眩しい季節でしたので、自然との一体感も得られ、想像以上の感動体験でした。
そして、今やシッカリスッカリ、ノルディックウォーキングにハマっております。
日中はさすがにお仕事がありますので、ポールを持って歩く事はしませんが、夜になって雨が降らない限り、歩きます。
歩く事が楽しくて仕方ない。

すると、確かに徐々に体重も減り、食事の量も減り、更にはストレスもかなり逓減したように感じます。

やはり、適度な運動は必要不可欠なんですね。

これからは健康にも留意して、少しでも長くノルディックウォーキングが出来る状態を維持出来ればと思います。

ポールさえあれば、後は何もいりません。
皆さんもノルディックウォーキングを気軽に始めてみませんか?

一般社団法人 全日本ノルディックウォーキング連盟

NPO法人 日本ノルディックウォーキング協会

NPO法人 日本ノルディックフィットネス協会

国際ノルディックウォーキング協会


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January 23, 2014

ニーズとウォンツと待機児童と。

目標を達成したという事実はもとより嬉しいが、
自分は頑張ったんだ、という実感のほうが
もっと嬉しい。
【アリストテレス】

最近は、色々な事を同時平行して遂行しなければならない状況が続き、日々の生活に追われております。
基本的に、仕事の出来る方にとっては、このような状況はごくごく当たり前の事であり、その上で、どのように一つ一つの仕事の質を高められるか…が、成否を分けるのでしょうが、私は元来、それ程器用な人間ではありません。
同時に物事を考える事が苦手なのと、切り替えが余り上手くないのが原因なのでしょう。
毎回、このような言い訳じみた事を吐露するのは実に情けないのですが、事実ですから仕方ありません。

さて。
新年も明け、皆様におかれましては、どのような年明けでいらっしゃいましたでしょうか。
今年も皆様にとって、ステキな一年でありますように。

さて。
昨年末から年明けにかけて、まさか!…と思うような方が何人もお亡くなりになり、生きる事の意味や生まれる事の意義を考えたりもした私でした。
少し前の話題なのですが、昨年12月10日の新聞記事にとても興味深い事実を見付けました。

以下、日本経済新聞の記事から引用致します。

横浜市、待機児童ゼロから231人に 子育て世帯の転入など増加

 保育所に入れない「待機児童」ゼロを4月に達成した横浜市は10日、待機児童が10月1日時点で計231人に増えたと発表した。
 待機児童ゼロを達成したことで、子育て世帯が市外から転入したほか、子供を預けて働こうとする女性が増えたことなどが原因とみられる。
 横浜市の担当者は「新規申し込みが昨年の2割増のペースと非常に厳しい状況だが、来年4月には何とか再びゼロを達成したい」と話した。
 待機児童数は毎年、4月1日と10月1日時点の2回集計。新年度の入所申し込みの締め切り後に子供が生まれたり、育児休暇が終了したりするケースがあるため、年度途中の待機児童は4月より増える傾向にある。
 横浜市は、年度途中の入所希望者に関して「認可外の保育施設や、幼稚園の預かり保育を紹介するなどして対応したい」としている。
 横浜市の待機児童は2010年4月に全国ワースト1位の1552人だった。民間企業の参入など独自の施策で今年4月にゼロを達成し、安倍政権も「横浜方式」を成長戦略に取り入れた。
2013年12月10日 日本経済新聞より引用
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1004Q_Q3A211C1CC1000/

少子化の現実が当たり前になり、児童に対する保護が従前よりし易くなっているかと思いきや、実は待機児童の問題に、各自治体は頭を悩ませているという奇妙な現象が散見しておりますが、そのような状況の中、横浜市がいち早く待機児童ゼロを実現させて、大きな話題となりました。
ところが、待機児童をゼロにした僅か半年後には待機児童が231人に増えてしまいます。
これは行政の責任というより、文中でも言及しておりますが、当該自治体が社会ニーズを充足した結果、市民の新たなニーズを掘り起こしたのと同時に、それに呼応して人の流入量が増えた結果だというのが興味深いところです。

そもそも保育所というのは、小さなお子様がいらっしゃる方か、そのような対象に興味があり、就業先として選ぶ方や、それらに関与していらっしゃる方々以外には、余り縁の無い存在です。
そして、乳幼児対象となると、幼稚園という存在もあり、その差異が実際にお子様を持つまでは特に気になる事でもないので、余り調べる事もないはずです。
更には、2006年に「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律」 が制定され、幼稚園的機能と保育所的機能を一体化した幼保一体化施設として認定こども園制度が開始されましたので、一体化出来るのなら何故最初から一体化しなかったんだろう…という疑問も生まれて来るというもの。

結論から言いますと、対象は同じなれどそれぞれの目的が違うので、監督省庁も違いますので、一体化に向けて準備期間と労力は相当な者だったと想像致します。

保育所は、親や育児責任者が働いている等の理由によって、保育に欠ける児童を預り保育することを目的とする通所の施設であり、英語ではNursery schoolと言います。

保育所における保育は、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために、保育士等が行う援助や関わりである『養護』と、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための、発達の援助である『教育』とを一体として展開されます。
そして、児童福祉法によってその活動を規定される施設と、そうでない施設があり、前者を「認可保育所(または認可保育園)」、後者を「無認可保育所(または無認可保育園)」と呼び、区別しています。

認可保育所は、厚生労働省児童家庭局が管轄する「児童福祉施設」として、保育所を次の通り規定しています。

何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児を対象として保育を行う(第24条)。
例外的にそれ以上の年齢の児童を保育することもある(第39条第2項)。
社会福祉法では、第二種社会福祉事業として規定されており(第2条第3項)、地方自治体や社会福祉法人による経営が多い。

更に、児童福祉施設最低基準及び保育所保育指針に基づき、年齢や子どもの個人差などを考慮した上で保育を行います。
内容としては、養護に相当する「生命の保持」及び「情緒の安定」、並びに教育に相当する5領域(「健康」、「人間関係」、「環境」、「言語」、「表現」)を根本にしています。
保育所では、子どもの生活や遊びを通してこれらが相互に関連を持ちながら、総合的に展開されます。

保育可能な時間は、保育所や自治体により異なりますが、7時から19時までが一般的。
最近は22時まで開所する例も増えて来ているようです。
社会の多様化というよりも、親のリクエストや社会の都合で一時的な対応を求められる事が多くなった事に呼応して、入所していない児童を一時的に預かる一時保育も実施されているようになっています。

乳飲み子を抱える親の社会進出を、地域社会がどのように包摂するのか。
また、子育て中の親のリクエストと、社会が基本的に具備する受け皿との間で、少しずつ不足するネジレのような接合点のストレスを解消するための安全弁として、保育所が果たすべき役割の大きさが、年々増大しているのかもしれません。

さて。
保育所の待機児童の問題は、各自治体の中でも解決すべき大きなテーマとして存在しておりますが、そもそも親が保育所の利用を希望しても定員超過の為、受け入れてもらえないからこそ、親は児童を保育所に預ける事が出来ません。
単純に言うと、これが待機児童発生のシンプルなメカニズムですが、そもそも日本全国どこにでも発生しているかというと、実はそうではありません。
基本的に都市部で、問題となっていますが、いわゆる地方ではさほど問題にはなっていない様子です。

赤ちゃんが何人生まれたかを示す、厚労省発表の出生数の推移を見ると、第1次ベビーブームの1947年〜49年には約270万人、第2次ベビーブーム期である1971年〜74年には約200万人であったが、1975年に200万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けております。
因みに1947年当時、沖縄が未だ返還前でしたので、カウントされておりませんので、現在と比べると如何にその数字が多いか分かりますね。
更に、2010年の出生数は、107万1,304人と前年の107万35人より1,269人増加したものの、合計特殊出生率をみると、第1次ベビーブーム期には4.3を超えていたが、2005年には過去最低である1.26まで落ち込んでおり、2010年の1.39という数字は、諸外国と比較するとかなり低い水準にとどまっています。
因みに、2010年の都道府県別合計特殊出生率を見ると、最低は東京の1.12で、最高は沖縄県の1.87となっております。
相対的に人口密度の高い都市部ほど、この数字は低い傾向にあるようです。

他方、保育所の状況によると待機児童の多くは1〜2歳児が占めており、現在は全体の63.7%にも及びます。
これはひとえに、保育所の3歳未満児の受入可能定員が少ないためですが、3歳に至るまでの乳児を受け入れるリスクが大変大きく、リスクを回避するためには、施設や設備投資、人的資源の配置等のコストも半端ではないと想像されます。
保育所を利用出来るのは、上記でも触れておりますが、何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児です。
特に女性の社会進出を妨げる事がないように、環境整備を行う必要があるのも事実ですが、親が子供の世話をするのは、当然の義務です。
更に、ある程度成長するまでは、十分な管理の下で生育させていく必要があり、それを他人や他者にどれだけ委ねられるのか…また、どの段階で委ねて良いものか。
その判断は大変難しいと感じます。
因みに保育に欠ける入所要件とは、保護者の居宅外就労(フルタイム労働・パート労働・業としての農林漁業など)、保護者の居宅内労働(自営・内職など)、産前産後、保護者の傷病または心身障害、同居親族の介護、災害の復旧だそうですが、項目以上に色々な事情や都合がありそうです。
3歳になるまでは親が育てたら…という考えは、何らかの事情のある方の事情を知らないが故の、ある種無責任な発言かもしれませんが、その何らかの事情が具体的にはどんな事情なのかを、知りたくもあります。

待機児童は関東の埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県と、近畿の京都府・大阪府・兵庫県の7都府県及びその他の政令市・中核市で全体の77.7%を占めています。
実は、待機児童の多くは認可外保育施設への入所を希望している、みかけの待機児童と推定されているようです。
現在、企業等が積極的に認可外保育施設等の設置に動いており、如何なる保育施設にも入所できない本当の意味での待機児童は少ないと推定されています。
認可外保育施設には、施設の内容にバラつきが大きく、その内容を十分に知らない親御さんが利用に二の足を踏まれているのでしょうか。
内容の自由度やサービスの範囲や考え方が自由な分、多少料金が高くとも認可外保育所を支持する方がたくさんいらっしゃると聞いた事もあります。
また、認可の保育所であっても、市の財政に頼らざるを得ないため、各都市の財務状況や考え方によって、利用状況は違って来るのでしょう。
一律に考える事が出来ない難しさをはらんでいるようです。
乳幼児を保育するのに必要な経費である保育所運営経費は、保護者のみなさまと国及び市がそれぞれ負担することとされています。
大阪市の保育所の平成25年度の予算では、運営経費総額約561億円のうち、大阪市が約62%(約348億円)、国が約21%(約116億円)、保護者が約17%(約97億円)をそれぞれ負担することになっており、20段階もの細かい区分により負担額が決められています。
保育所を管理する市の職員の方々のご苦労が、この事からも窺い知れますね。

都市部に於ける待機児童を解消すべく、横浜市が保育所整備を行いましたが、待機児童がゼロになった途端に、保育所利用を希望する方が増えるという興味深い状況は、実際の潜在的ニーズと見せ掛け上の数字との乖離が常に存在している事を示唆しています。
行政は市民のニーズをしっかりと把握し、そのニーズを充足する事が何よりの住民サービスとなりえます。
しかし、如何に潜在的なニーズがそこに存在しているとしても、潜在的ニーズをとことん追及して施設整備を行うと、いつかは完全に親の潜在的なニーズと受け入れ人数が均衡する瞬間を迎える瞬間が存在します。
現在の日本に於いては少子化が解消され、子供の数が増えている訳ではありませんので、社会的なニーズを満たした瞬間以降は維持管理するコストが市の予算を無駄に消費し始めます。
公立の施設が人気だからと言って、どんどん施設を増やすためには、先ずは予算の確保が必要ですし、時間のかかる作業が続きます。
子供の保育は、教育の領域ではなく福祉の領域です。
更に、現在の日本に於ける福祉の領域の花形は、何と言っても高齢者の方の手厚いサポートが中心となっておりますので、なかなか子供向けの予算の確保が難しいのではないかと考えます。
更には、私立の保育所も多く、公立の施設の増加が私立の経営を圧迫してもいけません。
このようなコンテクストは、実は市民生活の中にイッパイ存在しているのでしょうね。
市民は、どこまでも求め、行政はその結論をなかなか出そうとしない。
言葉だけではなく、本当の意味での市民の顕在化したニーズを、目に見える状態で解決するためには、やはりある種の通常ではない力が働く必要があるのかも。
今回の横浜市の待機児童解消には、市長の公約という特殊な力が働いたからこそ実現できた事。
その手腕には、「強引」という二文字がチラチラと見え隠れしているようですが、通常の手続き等では待機児童解消という課題に対して、解決策をあれ程短期間に実現出来なかったと思われます。
人は、そのような手法を一括りにして「強引」と表現するんでしょうね。

最後に、チョッとだけ違う方向から考えてみたいと思います。
ツラツラと文章を書きながら感じたのですが、この横浜市の待機児童のケース(待機児童を解消した瞬間に、希望者が増えた)から、市民の意識がサービスを受けられないという領域から、制度整備が進んだ段階で、受ける事が出来る領域にスイッチしたと感じました。
更に、当該サービスを授受する対象者を消費者と呼ぶ事に、若干の抵抗はあるものの広義の意味ではそのような呼称になるとチョッとだけ厚かましく定義すると、市民の消費者行動的には、市民のウォンツを対象に考えていた対処を、市民ニーズをくみ上げるところにまで、その情報の拡散と共に対象領域までをも拡大しなければならなくなった、とも考えられます。

何がしかのモノなりサービスなりを求める欲求には、ニーズとウォンツとがあります。
横浜市の今回のケースでは、ニーズのタイプの変化が顕在化した好事例だと思います。
因みにニーズのタイプを、欲求の強いものから順に以下の3つに分けられます。

*顕在化しているニーズ(消費者自身が明示的意識として知っているニーズであり、すでに商品が提供されている)
*潜在的なニーズ(消費者自身が明示的意識として知っているニーズであるが、それを満たそうとする商品の提供がない)
*未知のニーズ(企業はおろか、消費者自身もその存在を充分には意識して知ってはいない)

まさか、保育所の待機児童に関しては未知のニーズはありませんが、顕在化しているニーズから潜在的なニーズに対象者が広がっていったが故の、新たな待機児童の出現がこの分類からも理解出来ますね。

更に、もうチョッとだけ消費者行動に関して、言葉の整理をさせて下さい。

*「ニーズ」とは…切望感、剥奪感(欠乏感)を感じる事
*「ウォンツ」とは…具体的な形を帯びているモノ
*「関与」とは…こだわり。動機付けの代理変数として使われる関心の度合い
*「態度」とは…心の中のある傾向性、反応の対応。いいとか悪いとか→態度を言語化している。
*「選好」…選り好み。複数の中から選択する効用関数
*「満足」…期待に対してどれくらいの経験が合致するのか。また期待にどの位近付けるか

言葉の定義を再確認してみるのもステキな作業だと感じますね。

因みに、幼稚園は学校教育法による幼児教育施設であり、幼稚園教諭が指導する施設の事を言います。
保育所は厚生労働省が管轄し、幼稚園は文部科学省が管轄していますので、基本的な考え方は似て非なるもの。
という訳で、幼稚園は学校の一種であり、3歳未満の子供を対象としませんし、近年は預かり保育が一般的になりつつある現状であっても、基本的には朝の9時頃から夕方の5時頃までとなり、凡そ働いている親御さんを対象にはしておらず、待機児童の問題は殆ど存在しません。
勿論、人気の幼稚園は依然狭き門となっており、過激な“お受験”も未だ存在しているようですが。

最後に、行政のマネジメントに関して、少し調べる機会がありましたので、併せて紹介させて頂きたく存じます。

近年、選挙は当然の事、政治や政策決定等に関しても、マーケティング的視点が不可欠です。
この事自体に、疑う余地はありませんよね。
市民軽視の行政を行っていた時代には、規制が強く、消費者の利益につながりませんでした。
この事を反省材料に、産業振興・育成の重視から消費者利益の重視という方向に政策視点の転換を図るためには、消費者行動を理解する「政策視点の転換」が必要です。
次に、消費者被害の防止、環境保護、消費者の諸権利などに関する啓蒙、教育を行い、消費者行動を理解するための「消費者教育と啓蒙活動」を積極的に行い、「消費者保護政策」の策定へとつなげていく必要がありそうですね。
行政がエライ訳ではなく、また消費者が神様であってもいけません。
持ちつ持たれつの平和な関係性が、これからの時代には強く求められているに違いありません。

ニーズとウォンツと待機児童と。
福祉と教育と消費者行動と。
超少子高齢化社会の日本に於いて、存在しないと勝手に決め付けた「未知のニーズ」が何かを想像してみるのも、楽しい作業になるのかもしれませんね。


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October 31, 2013

憧れのポートピア'81

良い習慣を付ければ、
「普通の老化」という危険な状態から、
私たち共通の目標である「成功加齢」へと、軌道修正できる。
成功加齢とは、健康、体力、活力を維持しながら
年齢を重ねていく過程である。
【ジョン・W・ローウェ】


またまた、ブログの更新が大変遅くなってしまいました。
月に1本のスローペースだけは守ろう!
そう決めたのですが、それすら守る事が出来ない状況が続いていました。

自分自身の作業効率の悪さが故の事なのでしょうが、もともと駄文しか書けない身ながら、気持ちにゆとりが全くなく、更に時間のない中で書く意味を見付ける事が出来ずに、今に至ってしまいました。

私は、神戸市で生まれ神戸市で育ちました。
嘗て、株式会社神戸市といわれた時代に、多感な少年時代を過ごした事から、今もその当時の様子を鮮明に覚えています。
まさにキラキラと輝いていた、日本で一番ステキな都市だと、信じていました。
時まさに高度経済成長の第二期とその後に起こるバブル経済の狭間。
交通インフラも、町中の移動は路面電車とバスがメインで、自家用車もそれ程多くはありませんでした。
私の育った家の直ぐ近くの道路の中央分離帯の辺りに、路面電車の駅があったのを鮮明に記憶しています。
ところが、その駅には横断歩道はおろか、信号すらなかったので、よく事故が起こらなかった…と心配するよりも恐らくは、事故が起こる程には、車の往来が激しくなかったのかもしれません。
神戸まつりの前身である、「みなとの祭」の際に登場した、路面電車をデコレートした花電車の華やかさは、当時の町の景色をその時だけ、一変させるだけの存在感があったように感じました。
そして1971年に神戸まつりが誕生し、1981年に神戸ポートアイランド博覧会(通称:ポートピア'81)が開催されるのです。
明るい未来への期待感しかないような、今となっては幻のような時代でした。

過去を幾ら回顧しても、何もなりませんが、やはり多感な頃に一旦定着したイメージは、大切な記憶としてシッカリと脳裏に刻み込まれているようです。

ところが、近年の神戸市は、地に足の着かない施策を繰り返し、どこのイベントなのか分からない横文字のイベントを連発し、数字合わせばかりを行った結果、行政と市民との間の溝が物凄く深く、そして広くなっているように感じます。
時代の変遷とは言え、時代の先端を走っていたはずの神戸市が、知らない間にどんどんと他都市に追い抜かれていき、その輝きを失ったように感じます。

それが、市長選挙の投票率にも反映されているのか、政令指定都市としては記録的に低い投票率が続いています。

これではいけない。

立ち上がらなければ!

そう思った若き侍たち(大学生ですが)が、幾つモノ投票率向上イベントやキャンペーンを展開しました。
多くの若者と古くからの住民とがタグを組み、神戸市の市政を共に考え推進する、記念すべき一年になる。
そう期待しておりました。

ところが、結果的に殆ど何も変わらない。
僅か5%向上したのみ。
5%も向上した!
そう言いたいところではありますが、実際にはやはり僅か5%。
有権者の3分の2の方は、最後まで投票所に足を運ぶ事はありませんでした。

神戸新聞社の記事によると、投票へ行かなかった人の行動原理は以下の通り。

「誰が市長になっても同じと感じた」
「大きなテーマは市という器ではどうにもならない。今の暮らしをがらりを変えてほしいとも思わず、足が向かなかった」
「目を引く選挙活動もなく、日常の仕事に追われて関心が薄れた。新人ばかりで、当選後の具体像がイメージできなかった」。
「(市政に)それほど大きな期待も、危機感もなかった」。
*以上、神戸新聞2013年10月28日記事より一部引用
https://www.kobe-np.co.jp/news/senkyo/2013/kobesityou/news/201310/0006456362.shtml

神戸新聞には、それぞれ回答者の属性の記載があったのですが、私見ですが年齢や属性によるコメントの差が感じられなかったので、記載しておりません。
記載する意味もありませんし、そもそも誰がコメントしたのかも当然わかりません。
分からないから、好き勝手に想像させて頂き、その意見の先にある本音を類推させて頂く事にします。

「誰が市長になっても同じと感じた」から投票に行かない。
この理屈ならその逆の、「〇〇さんが市長になったら違うと感じた」ら投票に行く…のか。
もしそうだとしたら、何を以って、違いを感じ得るのか。
知名度なのか、職歴なのか、実績なのか、それとも人間性なのか。
そのどれも優れた人しか、立候補していないと感じるのだが、私の見方が穿っているのか。

「大きなテーマは市という器ではどうにもならない。」とはどういう事を求めていらっしゃるのか。
大きなテーマの前に、物凄くたくさんある小さなテーマはどうでも良いのか。
更には、大きなテーマとは、具体的にどんなテーマの事を意味するのか。
経済なのか福祉なのか法令なのかそれとも教育なのか。
具体的には例えば、景気対策や雇用対策なのか。
これらの多くは、小さな行政区である政令指定都市では、独自で解決出来る問題が殆どだと感じているのですが、それも私の勘違いだろうか。
国があって、市があるのか。
それとも、市の集まりが国なのか。
今の時代は、後者の認識で全ての物事を考えていく必要があると思う。
更にコメントは続いています。
「今の暮らしをがらりを変えてほしいとも思わず、足が向かなかった」
市長が変わると、がらりと変えてもらえると考えているとしたら、それは余りにも市民として無責任。
行政があって市民が存在しているのか。
それとも市民があっての行政なのか。
明らかに後者の市民が主役で始めて市の行政が機能すると考えなければなりません。
今の暮らしを変えるのは、市長ではなく市民である我々だという自覚が必要だと思います。
更には、変えなくて良いから投票に行かないというのも、余りにも自己中心的です。
投票権をどれだけの思いで先人達は勝ち得たか。
それを想像し、祖先への敬意を込めて投票には何をさて置いても行くべきでしょう。

段々疲れて来ましたが、ここまで来て止めるのもシャクなので、続けます。
「目を引く選挙活動もなく、日常の仕事に追われて関心が薄れた。新人ばかりで、当選後の具体像がイメージできなかった」。
そもそも目を引く選挙活動とはどんな活動を想像していらっしゃるのか。
テレビに出たりする事なのか。
それともライブ活動のようなイメージか。
公職選挙法というメチャクチャ分かり難い法律に則って活動すると、今以上に人目を引く選挙活動がなかなか出来ないのが現実。
例えば、今年7月の参議院選挙の比例区に立候補した、みどりの党の三宅洋平氏のような活動をイメージしているのだろうか。
いわゆる首長選挙で、若者にフォーカスした選挙活動は効果が上がらないように感じるのですが、それは私の感性が鈍ったからでしょうか。
候補者と政治団体と2台までしか街宣車は持てず、マイクの使用にも時間的な制約があり、候補者が市の各所を隈なく回るには、時間が足りない。
幹線道路を運行していると、他の車両の邪魔になるので、スピードを落とすにも限界があり、お家の中で家事でもしていたら候補者からの声は耳に届かない。
実際の地上戦といわれる選挙戦は、どう頑張ったところで限界があります。
こと選挙に関しては、情報を与えられる事が前提になっているようですが、与えられた情報はこれまた記憶に留まり難く、つい避けていやしませんかね。
日常の仕事に追われて、社会活動にまで配慮する余裕がないのが正直なところなのでしょう。
それならお仕事のあり方を含めた見直しが必要だと感じるのですが、今のこの厳しい時代を生きる企業戦士に、そんな余裕を求める方が酷なのでしょうか。
それが現実なのだとすると、何だか物凄く息苦しい現状ですね。

最後です。
「(市政に)それほど大きな期待も、危機感もなかった」のは、立派というか何と言うか。
2兆3000億円の借金、外郭団体の赤字、倒産、職員の不正や不祥事、職員の8割が外郭団体や周辺事業へ天下りをする現状をご存知ではないのでしょうが、危機感がないとは何とも平和なお話しだこと。
まさにゆで蛙状態。
自分たちの孫子の代に、どのような神戸市にしておくべきなのかは、行政だけの責任ではありません。
市民の責任でもあります。

全てのコメントを通じて感じる事は、行かなかった積極的な理由を述べているのではなく、行かなかった消極的言い訳をしているにすぎないという事。
投票もせずに、今の政治を非難する権利はない…と言うと言い過ぎでしょうか。

九州の佐賀県に、武雄市という人口僅か5万人の小さな市があります。
しかし、その小さな市が今は全国的に物凄く話題になっています。
例えば、TSUTAYAと共同で市立の図書館の運営を日本で初めて行ったり、市のホームページをFACEBOOKに日本で初めて切り替えたりした事が話題になり、市の視察も全国一となったそうです。
この小さな地方都市が話題になり、住民の満足度と地域愛が増加したのは、偏に樋渡啓祐さんという方が市長に就任し、武雄市の行政改革を行ったからです。
民間人初の公立学校の校長先生になった事で有名な、教育実践家の藤原和博先生から伺ったのですが、今の教育界で、日本の先端を行っているのが、この佐賀県武雄市なのだそうです。
神戸市や兵庫県の噂は、ただの一度も聞いた事がないそうです。
日本全国どこであれ、教育業界で先端的な取り組みをしていたら、必ず耳に入るように情報収集を怠っていらっしゃらないそうなので、やはり何の取り組みもしていないのでしょう。

さて、話しを樋渡啓祐市長に戻します。
元々は総務省にいらっしゃったそうですが、総務省内での言動が問題となり、地方へ左遷としか思えない転勤を命じられます。
普通はそこで拗ねたり妬んだりするのでしょうが、彼はひたすら住民と話し合いを行い、その地域の活性化に多大なる貢献を結果的にする事になるのです。
それが回り回って中央に届き、高槻市役所の要職に抜擢され、その後武雄市から乞われて武雄市長に立候補し、現在に至っております。
全く官僚であった事を感じさせないその潔さには、清々しい感じすらします。

樋渡さんの戦略は、極めて明確です。
常に話題を提供し、九州には佐賀県があり、佐賀県には武雄市がある…という事を発信し続けています。
そして、その情報のインパクトの大きさから、日本全国の注目を集め続けているのです。
しかし、これは口で言うほど簡単な事ではありません。
神戸市の31分の1しか人口のない武雄市に、常に全国に発信し続ける情報があるのかと言えば、なさそうにも感じます。
ところが、常に話題に上りメディアで目にする機会も多い。

樋渡啓祐市長自身が市民の先頭に立ち、話題の渦を作っているから、衆目を集める事が出来ているのです。
日本フェイスブック学会や日本ツイッター学会を勝手に立ち上げたり、FACEBOOKでは職員間の情報交換を円滑に機能させたりして、どんどん今の時代に相応しい方法で、市役所内を改革していらっしゃいます。
ところが、問題もあるそうです。
特にツイッターでの発言が、過激で炎上する事も珍しくないのだとか。
おそらく、樋渡さんは、この事も想定済みでいらっしゃるのでしょう。
全く動じる気配もありません。
炎上する事事態も、話題の一部として組み込んでいらっしゃるようにすら感じます。

樋渡啓祐市長には、熱狂的なファンと、毛嫌いする人との両方がいらっしゃいます。
私は個人的に、何度も直接お話しさせて頂いていますし、その人となりに共感している熱狂的なファンの一人です。
佐賀県武雄市を、今をトキメク先端シティ(陳腐な言い方で恐縮ですが)にしたのは、間違いなく樋渡啓祐市長と市民の方の力です。
町が、その輝きを取り戻すために必要なのは、公共事業でもなければ、設備投資でもない。
将来に夢を描ける具体的施策の提示と、実行実現力なのだと思います。
そして、それはきっと樋渡啓祐市長が示して下さったように、市民と市政を担う人との交流の中からしか生まれる事はない。
今はソーシャルネットワークサービス全盛期。
どのようなメディアをどのように使うのか、そのリテラシーが最重要視されなければならないと、日頃より感じております。
今回、若者が頑張って何とか神戸市長選挙の投票率を向上させようと努力しましたが、結果的には有権者の3分の2の方に、その気持ちは届きませんでした。
無関心がカッコ良いはずもなく、実にカッコ悪い大人たちばかりになってしまっていますが、それには全く気付かない。
いや、人が自分たちをどう見ているのか。
自分が人にどう見られているのか、という事に関する感受性がなくなってしまったのでしょうか。
恥ずかしい事ですね。
神戸市民が自分の事にしか興味がなく、社会の中での自分を意識する事がメッキリと少なくなってしまったのではないか。
物凄く強引な結論を申しますと、神戸市民のリテラシーが極端に低下したと言えるのかもしれないと思いました。

やはり全ての事象の最後は、教育へと還元して行くのでしょうね。
この結論が最も強引なのかもしれませんけど。


kgiba at 22:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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