被災地

2011年05月12日

“東北関東大震災・現地視察報告会@阪大”報告(2011.5.12)

大阪大学・箕面キャンパスにて表題の企画を行いました。

参加者は10名。
Actionという大規模なボランティア派遣を企画している阪大生の組織や、阪大チャリティという大阪でチャリティイベントをやって義援金を送ろうという趣旨の阪大生の団体からの参加者、教員の参加もありました。
メンバーとして活動したいと残ってくれたのは一年生3名でした。このメンバーと一緒にこれから活動を行っていきます。

【報告会の様子】


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2011年04月21日

“東北関東大震災現地視察報告!!@同志社大”報告(2011.4.21)

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18:00より同志社大学新町キャンパス臨光館R208にて、 宮城・岩手の被災現地へ視察に行った仲間からの緊急報告会を行いました。参加者は約30名で、報告の後にネットワークへの趣旨説明と参加を呼びかけ、参加者同士での意見交換などを行いました。

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UNN関西学生報道連盟の東日本大震災関連ニュース特設ページでこの取り組みが紹介されました。

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2011年04月15日

被災地の現状視察(2011.4.10~14)報告

今回3.11関西学生ネットの立ち上げに向けて、被災地の現状視察を行いました。

以下その報告をします。

 

●日程

4月9日 夜行バスで大阪発

4月10日 朝仙台着、名取市沿岸部津波被災地視察

4月11日 東北全労協訪問、岩手県北上市に移動、共生ユニオンいわて訪問

4月12日 共生ユニオンいわての案内で釜石市津波被災地視察、遠野市ボランティアセンター訪問

4月13日 大阪から来た整体師の方と共に大槌町大槌高校訪問、一日整体の手伝い、ボラセン泊

4月14日 電車で盛岡へ移動、高速バスで仙台へ移動、仙台から大阪行きの夜行バスに乗車

4月15日 大阪着

 

●報告

 今回の現地視察は東北全労協、共生ユニオンいわて、被災地NGO協働センターとの接触、被災地の状況把握、ボランティアの体験を任務として行いました。以下時系列で報告します。

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 4月10日は宮城県名取市の沿岸部を訪れました。津波被害のあった地域の手前でバスの路線が切れていたので歩いて回りました。海岸へ近づくにつれて周囲に物が散乱し始め、高速道路をくぐった地点から急に景色が変わり、車や瓦礫が辺り一面に散乱している状況となっていました。南北に走っている高速道路が堤防代わりとなり、それより海側に津波が押しとどめられたため、高速道路の東西で被害の明暗が分かれたようです。その高速道路から海側へ入る道には警察が規制をしており、業者のトラックや行政、行政の許可を得たボランティア、メディア関係者以外は入れなくなっていました。道にはトラックがひっきりなしに走っていました。もう行方不明者の捜索という段階ではなく、復旧・復興の段階に入っているようです。

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 僕は歩きだったので道の端っこの方からススッとお邪魔しました。海岸方向へ歩いて向かいました。集落(であったであろう場所)に入っていくと津波の威力をまざまざと見せ付けられます。住宅の一階部分は半壊から全壊。家に巨木や車が突っ込んでいる。墓地のお墓の上に車が乗っかっている。足元はヘドロまみれ。避難所から日中だけ戻ってきている被災者の方やボランティアが破壊された一階部分の片付けをしている家屋もありました。さらに沿岸へと歩いていくと、一人の被災した男性と遭遇。一階部分が破壊された家を指差し「あれが俺の家だ。俺は仕事に行っていて助かった。家の物がそこらじゅうに散らばっているから探しにきた。今は避難所にいる。向こうの方も何軒か家があったけど、一軒しかもう残ってねえなぁ」とおっしゃっていました。

 津波被害の現場に行ってまず圧倒されるのはその規模の大きさです。そこらじゅうに車がひっくり返って、家という家がすべて破壊されている様子。瓦礫の中何かを探している人々。宮城県の沿岸部は平野が続いており、そのため遠くまで見渡すことができます。どちらの方向を向いても、視界の先まで同じ有様。自分が歩いて回ったほんの一部だけでもこの被害かと思うと被害の実際の大きさ、広さに絶句します。ようやく今回の震災の被害を実感できたように思います。

 4月11日には東北全労協と共生ユニオンいわての事務所を訪問しました。東北全労協の皆さんはこちらの突然の訪問にも関わらず、東北全労協で行っている一泊二日の被災地視察ツアーへの学生の受け入れを快諾してくれました。「この歴史的な被害を多くの若い人に見てほしい。そして復興のアイデアを出してほしい」とのことです。宮城県沿岸部にはまだ行方不明者の数すら分かっていないところもある。沿岸部の田畑は海水・砂・ヘドロに覆われており、再び作物ができるまで3年はかかる。港の復旧にも時間がかかる。また仕事ができるようになるまでの間は政府に雇わせなければいけない。今被災者にとっての一番の問題は現金がないこと。現金があればモノも買えるし家も借りれる。でも現金がなければそれもできない。命に格差があってはならない、など話をしていただきました。

 夕方には岩手県北上市にある共生ユニオンいわてを訪問。書記長のYさんと面談し、共生ユニオンいわてでの学生ボランティアの受け入れを快諾していただきました。人数は5人~10人のグループで一週間くらいのまとまった期間で来てほしい、寝床・食事は共生ユニオンいわてで手配するとのことです。

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   4月12日は共生ユニオンいわての書記長Yさんの案内で津波被災地の釜石市と、自衛隊・警察・ボランティア・メディアの拠点となっている遠野市を訪問しました。釜石市は702人が死亡、610人が行方不明となっている地域です。釜石の被害を実際見てみたらそれは宮城の沿岸部で見たものとは全く違っていました。宮城の沿岸部は平野であり、津波の高さは最大でも6~7mだったそうですが、リアス式海岸である岩手県沿岸部では入り江に入り込んだ津波が圧縮されて20mとも30mとも言われる大津波となって街を襲ったそうです。釜石市中心部ではまだ海が見えないうちから道路の両脇に瓦礫が山積。商店街は一階部分が全て壊滅状態(まだ海は見えていない!)で、その多くが修復不可能。港へと向かう道の一本は中型の漁船が横たわっていて行き止まりとなっていました。釜石港に着くと、その周辺の家屋は2階部分までも破壊されており、2階を越える規模の津波が街を飲み込んでいった様子が分かりました。そして釜石港で目に飛び込んできたのは巨大な船舶が陸に打ち上げられている様子。唖然とする以外にありませんでした。港では自衛隊が瓦礫の撤去作業を進めており、とにかく港の復旧を第一に活動しているようでした。

 釜石市からの帰りに遠野市を訪問。遠野市ボランティアセンターで共生ユニオンいわての副委員長Tさんと合流し、ボラセンと宿泊拠点の交渉。結果ボラセンから徒歩一分の公民館を共生ユニオンいわてで借り上げ、受け入れたボランティアの宿泊先とすることに決定しました。広さ30畳、男女部屋別、男女トイレ別、炊事場あり。費用は共生ユニオンいわてが負担し、ボランティアは無料で宿泊できます。ボランティアは遠野市ボランティアセンターの指揮下に入ることになるので、朝ボラセンに集合することになるのですが、この公民館は徒歩一分なのでその点でも便利です。スーパーも近くにあります。

 遠野市で一番驚くのは自衛隊の多さ。何箇所かの小学校、市営グラウンドなどに自衛隊が駐屯しており、そこら中自衛隊の車両が走っています。被災地市民と自衛隊の関係は良好なように感じました。

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 4月13日は共生ユニオンいわての受け入れで来た整体師の方と共に大槌町(死亡者585人行方不明者1068人)で避難所になっている大槌高校を訪れ、整体ボランティアのお手伝いをしました。大槌町も酷い有様で、まるで絨毯爆撃を受けた後のようでした。この高校には現在400人ほどの被災者の方が暮らしています。校内の放送で整体のボランティアを行う旨をアナウンスしてもらってからすぐに何人もの方が訪ねてこられました。特にお年寄りの女性。みんな口をそろえて言うのが「ここに来てから体の調子がおかしくなった」ということ。やはり長期間の避難所生活は心身共にこたえるようです。他にも「家の瓦礫の片付けをしていて腰を痛めた」「余震が起こって避難するときに走ったら足を痛めた」など、被災に関連する理由で体を痛めている方が多くいらっしゃいました。また校舎が破壊されて職員室がこの高校に移転してきている麓の小学校の先生もおり、「20日から小学校が始まるけども、教材が流されてしまってひとつもない」と困っていました。やはり行政のサポートは細かい現場のニーズまではカバーできていないのが実情のようです。ちなみにこの日の避難所の夕食はご飯、みそ汁、りんごサラダ、イチゴ2個でした。宿泊はボラセンにくっついている体育館で。各地から集まってきているボランティアの宿泊施設となっていました。

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 4月14日は朝に被災地NGO協働センターの拠点を訪ねました。立派なタコ部屋ができていました。基本的には静岡ボランティア協会と日本財団からのボランティアでいっぱいだそうです。空いていたら宿泊可能だそうです。その後仙台に移動して夜行バスに乗車。帰宅。

●捕捉

 今回はたまたま整体師の助手としてボランティアをしたので避難所の方々と話をできましたが、学生のボランティアグループで行くときはおそらく被災家屋の泥の除去作業などをすることになります。 

 とにかく今回の震災の規模の大きさをまざまざと見せつけられた視察でした。そして今回の震災による被害のほとんどが津波による被害だということが分かりました。地震そのもので建物がペシャっといったというようなことはあまり多くないようです。とにかく津波です。南北400キロ、海岸から内陸へ5キロの範囲が文字通り壊滅している。「復興はこれから先10年の話」ということを実感させられました。

 今回の視察で学生ボランティアを送り込む準備は整いました。僕達も積極的にボランティアを組織し、現地被災者の生活の立ち直りを支援していきましょう。ボランティアに必要な物は長靴、作業用手袋、防塵マスク、寝袋などです。また、ボランティアの偏在という問題もあるようです。テレビで報道されるよく名前の知れた被災地には大量のボランティアが集まるが、名も知られていないところには全然こないといった状況があるようです。必要なところに必要な支援が行えるように模索していきましょう。



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