最近、ピッチ上のアーティストことゴッホ君が
Voicyというオンラインラジオのようなものを始めた。毎日音声を配信しており、オレはとてもよく聞いている。なかなか面白いので、まだ聞いていない方はぜひ聞いてみてほしい。

ゴッホのモテラジオ


いつも聞いている方達からたくさんの質問が届いている。中には、「えと、ゴッホ君に聞く前にググればいいんじゃないの?」と言う質問もある。それを受けたゴッホ君は、


「えと、ググってほしいんですけど~」


という言葉を「えと、グ~」あたりで必死に飲みこみながら、彼も知らないことを彼なりに回答している。それは、彼の誠実な人柄が感じられる微笑ましい一瞬(ひととき)だった。


さて、そのゴッホ君が Voicyの中で『ぼく愛』のラストについて言及していて、「ケーゴさんとも話したことがなかった。今度話してみたい」と言っていた。


話す機会がなかなかないのが残念だが、今さらなながら、オレが『ぼく愛』のラストについて思うことをまとめたいと思う。


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このブログの親愛なる読者の多くの方たちは『ぼく愛』について知っていると思うのだが、一応とても簡単に説明しよう。


『ぼく愛』とは非モテだった主人公のわたなべ君が恋愛工学を学ぶことにより恋愛プレイヤーとなる過程を描いた、純度 200%のラブストーリーである。


非モテ時代のわたなべ君の"掃きだめのような人生"をオレはリアルに経験したことがあるので、わたなべ君に感情移入せずにはいられなかった。


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『ぼく愛』の単行本が発売される前はオンライン上で連載されていたのだが、 毎週木曜日の更新を心待ちにしていたものだった。


その『ぼく愛』の単行本の発売日にオレはレビューを書いた。出張中だったので発売日には買えなかったんだけど、一番乗りしたかったのだ ()


"ぼく愛"を読んで人生を変えるんだーー



さて、前置きが長くなった。このエントリーは『ぼく愛』ラストについてだ。ここから先はネタバレがあるので(というか結末について書いている)、まだ本を読んでいない方はぜひ先に『ぼく愛』を読んでもらいたいと思う。


『ぼくは愛を証明しようと思う。』



『ぼく愛』では『アルジャーノンに花束を』という本の存在がラストにつながる伏線として引かれているので、まず、『アルジャーノンに花束を』のストーリーを説明したい。


『アルジャーノンに花束を』の主人公のチャーリーの知能はずっと 6歳児のまま、大人になった。 子供の心を持ったまま32歳になった彼はパン屋で働いている。


彼は子供の心を持つおとなしい性格の青年だったのだが、知能を高める手術の実験台になった。


その実験は、ネズミのアルジャーノンを天才にしていた。ネズミのアルジャーノンを天才にした手術を人間として初めて受ける。いわば人体実験だ。


その手術が成功して彼の頭はすごくよくなり、彼は天才になった。でもその結果、彼は今まで気が付かなかった悲しいことが色々と分かり、主人公のチャーリーはとても苦しんでしまう。


時を同じくして、ネズミのアルジャーノンに異常な行動が増えてくる。手術によって上がった知能の向上は実は一時的なものだったのだ。そして、悲しいかな、ネズミのアルジャーノンは亡くなってしまう。


チャーリーはアルジャーノンの姿を見て、天才としての自分の残り時間が短いことを悟る。その後、チャーリーの知能は再び6歳児に戻っていく。そして彼は最後に、この手紙を残す。


「ついしん。どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてあげてください」と。


『アルジャーノンに花束を』


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この本を読むと、人体実験と言える脳の手術を受けて天才になるが(そのときは彼女もできた)、その後、その知能は失われ元に戻っていった主人公のチャーリーと、恋愛工学を学びモデルと付き合うようにまでなるがその後、モデルの彼女も他の女子達も仕事さえも、全てを失ったわたなべ君とがメタファー(隠喩・暗喩)になっていることが分かるだろう。



『アルジャーノンに花束を』のあらすじを理解したところでようやく、『ぼく愛』の最後について考えたい。


『ぼく愛』を読んだ人たちなら知っての通り、わたなべ君は非モテの頃に品川のカフェで直子と偶然に出会い、アルジャーノンに花束を』のあらすじを彼女に説明する。


そして、わたなべ君が仕事や付き合っていた女子達の全てを失ったあと偶然に直子と再会し、
2人は一晩を共に過ごす。その翌朝、彼女はこう言う。


「こんなところで、また、あたなに出会えてうれしかった」

「前に、品川のカフェで働いてた?」

「わたなべ君は、チャーリィにはならないと思うよ。」



その後しばらくしてわたなべ君は恋愛工学を教えてくれた永沢さんとカフェで再会し、直子のことをこう説明する。


「でも、今度の彼女のことは、昔のように、かつての非モテだったときの僕のように、ずっと愛することができると思うんです。そして、愛されることも。今回だけは違う気がするんです。」(そう、ぼくは直子と、『愛を証明しようと思う。』んです。)


そんな風に思える直子と出会えたのも永沢さんのおかげだと言うわたなべ君に、永沢さんはこう言う。


「礼なんていらない。オレは、お前がどこまでやれるか、見てみたくなったんだ。そして、これは恋愛工学がどれほどの力を秘めているかを証明するための実証実験でもあった」



このときわたなべ君は永沢さんからモデルの女子達が参加するパーティーに誘われていたのだが、直子にコミットしているわたなべ君はそれを断る。

わたなべ君の仕事(弁理士)のクライアントでもある永沢さんと、2人はこんなやりとりをする。


「せっかくパーティーに誘っていただいたのに、すいません、、、。」

「いや、いいんだ。仕事でがんばってくれ」

「わかりました」

「もうひとつのほうもリサーチも頼む」

「はい!」


とわたなべ君は力強く答える。


そして永沢さんはオフィスに戻り、わたなべ君はカフェで仕事を続ける。



しばらく仕事をしていると、わたなべ君の隣の席に素敵な女性が座る。


わたなべ君はクライアントに電話をしながらグーグルマップを開けて、電話が終わったあと彼女にこう声を掛ける。


「すいません。ちょっと確認したいんですけど、いま僕たちがいるカフェって、ここで合ってますか?」


ここで『ぼく愛』は終わる。



この終わり方はちょっとよく分からない。なにか含みを残したまま終えているように思う。

直子にコミットして永沢さんからのモデルのパーティーのお誘いも断ったわたなべ君が、"スタナン"をしている(ちなみに"スタナン"とは、もう4年近く前にオレが作った言葉だ笑)。


"スタナン"!



ここから先はどこまでいっても想像の域を出ないのだが、こういうことを考えるのも小説の楽しみの1つだろう。


この結末には、オレは2つの可能性があると思った。


1つは、永沢さんが言った「もうひとつのほうもリサーチも頼む」の"もうひとつのリサーチ"が、実はカフェナンパのオープナーの実証実験ではないかという可能性だ。


これなら、モデルが参加するパーティーを断ったわたなべ君がスタバで女子に声を掛ける理由も納得できる。直子にフルコミットはしているが、カフェで女子に声を掛けるのはあくまで、永沢さんに依頼された"仕事"としての、オープナーの実証実験だからだ。


ただ、永沢さんとわたなべ君の会話の文脈からは、 "もうひとつのリサーチ"は仕事のことを指しているのではないかとも思う。



そうすると、もう1つの可能性だ。それは、一度恋愛プレイヤーになると、愛に目覚めて「今回だけは違う。オレは1人の女にコミットする」と口では言ったところで結局、素敵な女子を見かけると身体が勝手に動いて声をかけてしまう、というものだ。


永沢さんは前述のわたなべ君の直子への熱い思いを聞いた後、


「今回だけは違う? "This Time Is Different." は金融の世界では最も危険な4つの単語だと言われているのを、お前は知っているのか?」


と少しわたなべ君をバカにしたような口調で答えている。

 

その "This Time Is Different."(今回だけは違う)の言葉の正しさを、スタバで隣に座った女性に対していつものルーティーンでいつの間にか自然に声を掛けてしまう、わたなべ君みずから証明してしまっているという可能性だ。


オレは後者だと思っているのだが、親愛なる読者の皆さんはどのようにこのラストを解釈しただろうか?

ぜひ教えてもらいたいと思う。



最後に、もし所長が、いや、著者の藤沢数希氏がこのエントリーを読んでいたら、一読者からのリクエストを伝えたいと思う。それは、ぜひ「『ぼく愛』の続編を書いて頂きたいです!」、というお願いだ。

わたなべ君が結婚し、その後、既婚プレイヤーとして活躍する彼の姿を読みたいと思っているのはオレだけではないはずだ。


そんな『ぼく愛』の続編は、きっとこんな風に始まるだろう。



『続 ぼくは愛を証明しようと思う。』


「今回だけは違う」と思った直子。僕は伊豆で再会した彼女とその後、めでたく結婚した。永沢さんは、「結婚とは『所得連動型の債券』という金融商品だ」と言っていたけれど、僕には何を言っているのかいまいちよく意味が分からなかった。「結婚とは愛し合う2人が一生の愛を誓い合うもの」だと僕は思っていたからだ。

結婚した直子と一緒に暮らし始めた。一緒に暮らし始めて初めて分かったが、恋人関係と結婚して一緒に住むということは、まったく別のことだ。


ささいなことから直子とケンカをすることが多くなった。ケンカをするとセックスをする気も起きなくなる。結婚する前はあれだけ愛し合っていたのに、結婚してからはすっかりセックスレスだ。

その後、直子に男の影を感じた。ときどき不自然に帰って来る時間が遅いのだ。それを彼女に問い詰めたら、またケンカをしてしまった。僕の言い方もよくなかったのかもしれない。

しばらくしたら、彼女は荷物をまとめて出て行ってしまった。たとえケンカをしても、直子がいなくなると寂しく感じる。彼女に連絡をとろうとしても、なかなか返信がない。また僕は独りぼっちになってしまった。


彼女は出て行ったきり帰ってこないから、僕は離婚をすることを決意した。それを直子に伝えたら、なぜか彼女は「離婚はしない」と言い始めた。いったいなぜだろうか。


僕たちはいま別々に暮らしていて、僕は直子がいまどこに住んでいるのかさえ分からない。
まだ離婚はしていないから法律上の婚姻関係こそ継続しているものの、明らかに夫婦関係は破たんしている。

そんな直子はその後すぐに、僕に対してお金を請求してきた。「わたなべ君、婚姻費用を払ってほしい」と彼女は言ってきたのだ。


僕からの連絡はほとんど返信せずどこに住んでいるかも教えてくれなかったくせに、お金を請求してくるなんて。僕たちの結婚生活は実質的に破たんしているのだ。僕が彼女にお金を払う義務なんてない。

僕はそう思い、彼女からの連絡を無視していた。でもある日、家庭裁判所から連絡があった。婚姻費用の支払い命令だ。


フリーランスの弁理士となり成功していた僕の年収はこのとき1,500万円になっていたが、結婚したときに本屋のアルバイトをやめて専業主婦だった直子に、ぼくは毎月30万円近くのお金を払わなくてはならないらしい。このお金は一般的にコンピと呼ばれているようだ。


どこに住んでいるかも分からない形式上だけの妻に毎月30万円近くも払うなんて、めちゃくちゃな話だ。でも、これが日本の法律というものらしい。


僕は何度も直子に離婚することを求めたが、彼女は決して応じてくれない。もうこうなったら、離婚裁判をするしかない。僕は彼女と離婚裁判をすることを決めた。

僕は法律上は結婚しているけれど、それでも新しい恋人がほしいと思うようになってきた。結婚している男が他の女性と付き合うのは悪いことなのだろうか? 結婚にも様々な形がある。僕たちはただ一方的に破棄することができない、紙切れ1枚だけでつながっているだけなのだから。「恋人がほしい」という僕の気持ちは太陽が東から昇るのと同じぐらい、男として当然のことだと僕は思った。

給料はだいぶ稼げるようになってきたけれど、コンピでかなりの額を持っていかれる。女子とのアポ代も楽じゃない。まるで筋肉養成ギブスをつけているようだ。僕は『巨人の星』の大リーグボール養成ギブスを思い出した。

でも僕は決めたんだ。長期にわたる厳しい離婚裁判を戦いながら、コンピという名の筋肉養成ギブスをまとい、既婚プレイヤーとして再び恋愛市場という名の海原(うなばら)へ旅立つことをーー




ケーゴ