橘玲さんの新刊、『もっと言ってはいけない』を読んだ。
『もっと言ってはいけない』は前作の『言ってはいけない ~ 残酷すぎる真実 ~』から、3年のときが経って出版された。
『言ってはいけない』では、人間の知能は遺伝的に決まる割合がかなり高いことを明らかにした。
その前作では、
「子供がどう成長していくかは、生まれたときにすでに決まっている遺伝的な資質と、親が関与することができない子供の友だちとの人間関係でほとんど決まってしまう」
という内容が、特に印象に残った。
自分自身の遺伝的な資質について考えると、父親からの遺伝については考えたくもないが、母親や祖父母からの遺伝については、幸いにも悪くはないのではないかと思っている。
人間の成長に関して、遺伝ともう1つの大きな要因、「親が関与することができない子供の友だちとの人間関係」、つまり、学校の環境についてはどうだったのだろうか。
自分は中学受験とは無縁で、公立のしょぼい中学校に進んだ。
いま振り返ると、「ボンタン」* という今では死語になっていると思われる、変形したズボンを履いたヤンキーが幅を利かす、あまりにイマイチすぎる環境だった。
(*「ボンタン」とは、2018年の冬に放映されたテレビドラマ、『今日から俺は!』の伊藤が履いているようなズボンのことを言う。
自分が卒業した中学校は、伊藤のようなボンタンを履いたヤンキーがいるような学校だった。三橋のような金髪こそいなかったが。)
自分の身体は大きくなかったため、そんなヤンキー(彼らはたいていガタイがよかった)にはできるだけ近づかないようにしながら、ひっそりと日々を過ごしていた。
部活はサッカー部に入っていたが、悲しいかな、今も大好きなサッカーの才能には恵まれなかったため、まったく上手くなかった。
ヤンキーでもなくスポーツができるわけでもない中学生は当然にしてモテるはずもなく(ヤンキーはモテていた。いま彼らは何をしてるだろうか)、自分が何か能力を発揮できるのは、勉強だけだった。
この頃から英語は苦手だったものの、数学と理科はよくできた。
サッカー部の顧問が数学の先生で、部活のときは褒められないけど(今では信じられないかもしれないが、試合に負けて殴られたことさえある)、数学のテストでいい点を取ると褒めてくれるから、それが嬉しくてよく勉強した。
「このイマイチすぎる環境から抜け出すためにはとにかく勉強して、いい高校に入るんだ!」
みたいな気持ちで根性を出しながら勉強して、そこそこの進学校の高校に入学した。
これもおそらく、置かれた環境で最大限に自分の遺伝的な能力(根性があり数学ができた)を活かした結果なのだと思う。
(ちなみに、親は教育熱心ではまったくなく、親から「勉強しろ」と言われたことは一度もなかった。)
自分自身のことはただの1つの事例でしかないが、『言ってはいけない』で説明されている、
「子供がどう成長していくかは、生まれたときにすでに決まっている遺伝的な資質と、親が関与することができない子供の友だちとの人間関係でほとんど決まってしまう」
ということは、自分自身を振り返っても、よくあてはまっているように感じた。
さて、前作の話が長くなったが、新刊の『もっと言ってはいけない』では知能について、男女の違いや人種間の違いについて論じている。
『もっと言ってはいけない』を読んでいた日に、アジア系アメリカ人で弁護士をしている女友達と会う機会が会った。
彼女に『もっと言ってはいけない』で知ったこの「図表5」のことを、
実際に図を書いて、「標準偏差」* を英語でどう言うか調べながら説明してみたところ、
ほとんど感情的になることがない、普段の聡明な彼女からは想像できない、感情的な反発があった。
(* 標準偏差とは、データや確率変数の散らばり具合(ばらつき)を表す数値の一つ。例えばある試験でクラス全員が同じ点数、すなわち全員が平均値の場合、データにはばらつきがないので、標準偏差は 0 になる。英語では、「standard diviation」という)
自分が彼女に説明したこととは、
・
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスク、マーク • ザッガーバーグのような世の中を変える起業家のほとんどが男であると同時に、連続殺人を起こすような凶悪な犯罪者もほとんどが男であること(IQが極端に高いのも極端に低いのも、どちらも男)、
・
平均的な知能を持つのは女性の方が多く、そもそも男と比べて言語をつかさどる知能が高いことから、難関大学では(得点の調整をしなければ)男より女性の方が合格者が多いこと
の2点だけなのだが、とても感情的な反論にあってしまった。
弁護士ゆえに女性の凶悪犯罪も見ているし、彼女いわく、男でも賢くて言葉を話すのがうまい人たちはたくさんいる、というものだった。
自分としては具体的な事例の有無ではなく、男女の知能のばらつきの割合について論じたつもりだったが、いまいちうまく伝わらなかった。
やはり、このことは本のタイトル通り、言ってはいけなかったのだ。
彼女とのせっかくの楽しいひとときのムードを悪くしてしまった、自分の安易な行動をとても後悔した(前作にも、「この本の内容を気安く口外しないで下さい」と書いてあったのに)。
しかしながら一方で、ハーバード大学などの入学試験においてアジア系の受験生たちが逆差別* を受けていること、人種によるIQの違いはとても興味深く聞いてもらえた。
(* 学生の人種のバランスを保つために、アジア系の人たちはアフリカ系アメリカ人(いわゆる黒人)はもとより、白人よりも高い点数を取らなければ難関大学に入学できなくなっている。)
『もっと言ってはいけない』に掲載されている、国別のIQはこうなっている。
(「データ数」とは、IQを測定するために行った試験の数。知能指数を測るためのテストを受けた被験者は子供から学生、成人まで多岐にわたる。)
『もっと言ってはいけない』の中でも人種に基づくIQの違いは、 「言ってもよかった」 のだ。
なぜなら、自分と彼女は同じアジア系の人種だから。
やはり、女子と話すときは常に、共感を得られる話をしなければならない。
ここで今さらだがあらためて思ったことは、女性は「共感」をとても大切にするということだ。
それは人類の歴史を振り返ると、メスはもし共感を大切にしなければ石器時代にオスが狩りに出かけているあいだ、
他のメスたちとうまくやりながら、子供たちを守れなかったからだ。
他のメスたちとうまく共感し合えないと、オスがいないあいだ、赤ん坊をかかえたまま他のメスたちから村八分にされてしまう。
そうするとメス自身も赤ん坊も、生きていくことができない。
石器時代にメス同士で共感しあいながら子供たちを守ってきた、偉大なメスという性が持つ「共感」という本能があるから、そこから何万年ものときが経った現代に今の自分がいて、親愛なる読者の皆さまもいる。
そんな人類の歴史の真実に思いを馳せながら『もっと言ってはいけない』を読んでみると、楽しめると思う。
最後に、個人的には前作の『言ってはいけない』に記載されていた、「女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか」という部分も、進化生物学の観点からとても興味深かった。
本の中ではその理由として、「いちどに複数の男と効率的に性交し、多数の精子を膣内で競争させること 」だという仮説が提唱されている。
関心がある人はぜひ実際に手にとって、本書を読んでもらえればと思う。
『もっと言ってはいけない』
『言ってはいけない』~ 残酷すぎる真実 ~
ケーゴ
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