関西学院大学 政治・経済と文化研究会(旧社会再生学会)のブログ

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会(旧社会再生学会)の会員相互の意見交換の場です。会員のみなさんの近況、日ごろ感じていること、本学会への提言など、どんなテーマでも結構です。積極的に投稿してください。

関西学院大学 政治・経済と文化研究会第10回研究会 のご案内

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会第10回研究会を3月11日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。1年以上ブランクをあけてしまい、会員の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。今回は西村正美さんが、「日本未来への提言 -少子高齢化と雇用-」というテーマでご報告くださいます。
 西村さんのテーマは、私のゼミ生の多くが冬休みのレポートに選んだテーマと一致しており、大変興味があります。少子・高齢化問題をキーワードに、日本社会が抱える様々な課題を明快に指摘し、政治哲学の研究成果も踏まえて説得力ある解決策を示してくださっています。
  国会は財務省による学校法人「森友学園」に関する決裁文書の書き換え問題で紛糾しています。もし『朝日新聞』の指摘が事実なら、これほどいい加減な政府や役人に日本を任せられるのかと不安になります。西村さんの資料の冒頭に「為政者」を特徴づける言葉が書かれていますので、引用させていただきます。
① 「経世済民」:世を治め、民の苦しみを救う、尊敬されるべき立派な政治と政治家である。
② 「君子不器」:尊敬される人間は、一方向の技能や手腕に秀でるだけでなく、全人格的な志しと修養を身に付けている。
 今回の研究会では、日本経済・社会が抱える難問を洗い出し、それを解決できる為政者の条件は何か、みなさんと議論したいと思います。

【プログラム】

13:30~17:00   西村正美氏 「日本未来への提言 -少子高齢化と雇用-」
総合討論

※ 途中適宜休憩をはさみます

関西学院大学 政治・経済と文化研究会第9回研究会 のご案内

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会第9回研究会を12月11日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。すでに10月31日の記事で予告しましたように、今回は牧瀬充幸さんが「我が国における観光立国の役割」と題して話題提供してくださいます。
  牧瀬さんは2015年10月17日に実施された第2回の本研究会において、「本当のゆたかさ」について ~私たちの未来からみえるもの~」と題し、「足ることの大切さ」を力説されました。今回も牧瀬さんの「豊かさ追求」研究の続編として、観光振興について述べてくださいます。
 さて牧瀬さんは、地域活性化こそが日本経済再生 に最も有効な手段というお考えで、「観光立国化」をいかに進めるかについて様々な角度から検討していただきます。図表や事例を多用しながら、綿密に議論を進めてくださる予定です。また後半では、観光立国の必要性を牧瀬さんが各地へ出向いて感じられた体験をもとに語っていただけるそうです。
 なお議論の視点として次の3点を提示してくださっています。
①  「観光立国」の必要性はあるか?或は観光立国と同等に日本の経済を成長させる施策は他にあるか?
②  私達に、外国人を受け入れる態勢(感情面を含む)はあると思われるか?またそのために、インフラの充実や国民の語学力向上などのほか何が必要か?
③  来日観光客についての直すべき行動・問題点は何か?
 以上に関し、参加者のみなさんのご意見をいただきたいと思います。さらに時間に余裕があれば、観光にこだわらず、より広範な見地から、日本経済の活性化策についてご議論いただきたいということです。今回も実り多い研究会になりそうです。

【プログラム】

13:30~17:00   牧瀬充幸氏 「我が国における観光立国の役割」 
総合討論

※ 途中適宜休憩をはさみます。

関西学院大学 政治・経済と文化研究会第8回研究会 のご案内 

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会第8回研究会を10月16日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。
 今回は私が2つ話題提供を行います。まずひとつめは、外交・国際政治に関してです。中国の海洋進出や北朝鮮の核開発に象徴されるように、アジアを取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。
 こうした中安倍政権は2015年4月、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定し、今年(2016年)3月29日より、従来の憲法解釈を変えて安全保障法制が施行されました。
 本日の報告では、中国の岩礁埋め立てや中国船の尖閣周辺海域への侵入、国際社会の制裁を無視して核実験を行う北朝鮮の実態をみます。またそれに対抗する形で、自衛隊の米軍への協力が質量ともに大きく拡大していることを述べます。
 その上で、中国や北朝鮮に国際ルールを守らせるにはどうすればよいのか、国際社会において自衛隊はどこまでの任務を果たすべきか、参加者のみなさんと一緒に考えます。
 時間に余裕があれば、歴史教育のあり方についても話し合いたいと思います。『日本経済新聞』を注意深く読んでいると、2020年より必修化される「歴史総合」に関する記事がしばしば目にとまります。日本経済史の講義の際にも配付した新聞記事を手がかりに、年と事項を結びつけるだけの単調な歴史教育を脱し、思考力・判断力を育成するためのテーマ設定や学習法はどうあるべきか、意見交換を行います。

【プログラム】

13:30~17:00  寺本益英氏(関西学院大学経済学部) 
 
テーマ1:「アジアを取り巻く安全保障環境と日米同盟」
テーマ2:「歴史教育のあり方について考える」
総合討論

※ 途中適宜休憩をはさみます。

(寺本益英)

関西学院大学 政治・経済と文化研究会第7回研究会 のご案内

  関西学院大学 政治・経済と文化研究会第7回研究会を8月21日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。
 本研究会、8月より政治・経済と文化研究会としては2年目に入りますが、ネーミングを変更する前の社会再生学会は2012年より活動を始めていますので、5年目を迎えることになります。会員10名あまりの小さなグループですが、全会員が原則年1回、関心ある政治。経済、文化にまつわるテーマについて話題提供し、活発な意見交換が行われています。
 会の目的は、高い専門性やオリジナル性を追求することではありません。市民の目線で、個々人と社会全体の幸福度を高めるためのアイディアを出し合うのが基本コンセプトです。
 さて今回の報告者は、元京都府立茶業研究所・所長の杉本則雄先生で、「お茶と女性」をテーマにお話しくださいます。先生が京都府茶生産協議会の参与として情報誌に執筆・掲載された論稿と、先生が論文指導された台湾出身の留学生が執筆したお茶に関する論文の紹介、さらに岡本かよ子氏の「第九回紫式部市民文化賞受賞作品」を再編し、大正期から最近に至るまでの経済・社会の変貌と関連付けながら、お茶の位置づけがどのように移り変わっていったかについて、分析していただく予定です。
 なお今回杉本先生は長編の原稿を準備してくださっています。1コマ(90分)では時間不足になりそうですので、例外的に2コマ使って、十分な意見交換も行いたいと思います。
 それから、新しいメンバーも募集しています。関心ある方は下記までご連絡ください。

 【プログラム】

13:30~17:00  杉本則雄氏(元京都府立茶業研究所・所長) 
「お茶と女性」 

【関西学院大学 政治・経済と文化研究会 お問い合わせ】

〒662-8501 西宮市上ヶ原一番町 1-155
関西学院大学 寺本益英研究室
E-mail: teramoto★@kwansei.ac.jp  ← ★をカットしてください。

関西学院大学 政治・経済と文化研究会第6回研究会 のご案内

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会第6回研究会を6月12日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。ちょうど1年前、「政治・経済と文化研究会」と改称して再出発した私たちの学会ですが、当初からの目標どおり、年6回の勉強会を開催することができました。偏に会員のみなさんのご協力のおかげです。
 さて今回のご報告は、濵名伸さん大西和明さんにお引き受けいただきました。濵名さんは昨年より経済学部のオープンカレッジコースにおいて私のゼミで日本経済史を学ばれ、今春見事に大学院の入試を突破し、現在、経済学研究科(修士課程)で熱心に研究に取り組んでおられます。当面の研究テーマは「百貨店の経済史」で、私は今から修士論文の完成を楽しみにしています。このたびの研究会では、バブル期まで日本経済の強さの源泉と言われた「日本的雇用慣行」の特徴を分析し、今後どのような変革が必要か、多岐にわたって提言していただきます。
 後半の報告者の大西さんには、ご在職中総合教育研究室という部署で格別のお世話になり、本研究会も、設立以来のメンバーとして、活動にご尽力いただいてきました。今回のご報告内容は、壮大なヨーロッパ史、宗教史といえます。十字軍、カノッサの屈辱、ドイツ農民戦争など、歴史の綿密な検証をふまえ、宗教と社会の関係や、人間の本質に迫っていただく予定です。

【プログラム】

13:30~15:00  濵名伸氏(関西学院大学大学院・経済学研究科) 
「日本的雇用慣行に関する考察」  
15:00~15:30  ティータイム
15:30~17:00  大西和明氏(元関西学院大学職員)) 
「キリスト教の光と影」

新学会第2回研究会のご案内

 関西学院大学 政治・経済と文化研究会第2回研究会を10月18日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。今回は村上義隆さん牧瀬充幸さんがご報告を快諾してくださいました。
 今回も充実度の高いお話をお聞きできそうです。村上さんは地元養父市出身の行政家北垣国道の生涯を詳細にたどってくださいます。とりわけ、京都府知事時代に手がけた琵琶湖疎水の建設が有名で、蹴上にあるインクライン(傾斜鉄道)跡は、観光で訪れた方も多いでしょう。
 村上さんは単に北垣の功績の追跡にとどまらず、激動の時代であった幕末・明治期の重要な出来事とうまく重ね合わせて分析してくださっている点に特長があります。本格的な近代史研究のお仕事であり、参加者全員で、議論を深めてゆきたいと思います。
 牧瀬さんには「豊かさ」について、興味深いご報告を準備していただいています。折しも安倍政権は、「新三本の矢」の一本目の矢として、「強い経済」をスローガンに掲げ、GDP600兆円を目指すそうですが、多くの経済学者は達成は難しいとみています。仮に達成できたとしても、日本のような成熟国において、所得水準の上昇がより一層の豊かさにつながるか、議論の余地がありそうです。
 牧瀬さんは卓抜の構想力で、実に多くの図表やデータを用いながら、豊かさの本質について、話題提供してくださることになっています。「無制限一本勝負 終了時刻未定」というのは冗談ですが、いくら時間をかけても論点が尽きないテーマです。活発な意見交換をお願いします。

【プログラム】
第1部  村上義隆氏(関西学院大学・社会人聴講生)
京都の復興と近代化を推進した北垣国道 ~幕末から明治を駆け抜けた行政家~  
第2部  ティータイム
第3部  牧瀬充幸氏(関西学院大学・社会人聴講生)
「本当のゆたかさ」について ~私たちの未来からみえるもの~

茶事雑感108号

茶事雑感108号(27-10)

無慈悲な南からの大気が北関東を中心に広い地域に豪雨被害をもたらした。被災地の一刻も早い復興を願うばかりである。

現在、奈良の天理大学との交換で来日され歴史を研究されている台湾台北市にある中国文化大学の許賢瑤先生から高山茶が贈られてきた。許先生は台湾包種茶の研究者でもある。

春から飲み続けてきた山城産の煎茶を包種茶に切り替えようと思っている。香りが魅力的なのである。茶は香りが命である。「暗香残留」の言葉が私には極めて意味の深いものになっている。今では日本で求められなくなった心に残る香りの茶である。

阪急沿線の踏切の傍で彼岸花が群れて咲いていた。鮮明に夏の終わり、秋の訪れを記していた。夏の間だけ変更していた散歩コースを元に戻して久しぶりに松尾、浄住寺の境内に足を踏み入れた。一瞬目を疑った。本堂に登る参道の両側に植えられていた古木の茶の樹がなくなっていたのである。切り株が無残に残り脇から芽生えた茶の緑芽が茶の木が植えられていた証を残していた。かつて、葉室と言われた茶の産地で茶に係わり深かった叡尊ゆかりの寺だけに無念と言うほかなかった。帰り際、寺の管理をしている人に訳を質したが答えにはならなかった。

嫌な予感がする中、次の日念願であった花園、法金剛院に茶の古木を訪ねた。桂から歩いて一時間程の近い処にも拘らず今まで訪れる事はなかった。ところが、受付で数百年の茶の古木の所在を寺の古老に聞いて見ると、既に茶の木は切り取られ今は無いとの事であった。茶の古木については大正八年瀧井国平氏主筆のもと発刊された「京都茶業界」という冊子の第2巻3号に、一つに国鉄花園駅の直ぐ西方にある、故法皇金剛院(御室の墓地)の境内に位し、小山太次郎氏の茶園に200年を経たる老木と、二つに奈良街道木幡停留場の南に樹齢300年(昭和4年当時)を超える老園「西浦茶園」の二つの記事が掲載されていた。西浦茶園は既に無く、地名だけが残り宇治茶の老舗が居を構えている。

歴史と伝統ある宇治茶、その証しとしての老樹は既に土に帰してしまったのである。平成18年の秋、中国武夷山の大紅袍を視察した帰り、廈門に向かう飛行機の中で見た新聞「閩北日報」が「大紅袍母樹申報国家級古樹名木」というタイトルの記事を掲載していたのを思い出したのである。

9月29~30日、都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきた石清水八幡宮で、献茶講として近畿一円から献納された茶の審査が文化体育研修センターで行われ参加した。審査会には30年程前から参加しているが、始めて参加した当時は雄徳山の麓、八幡宮の頓宮で行われていた。当時、多くの優れた茶が献上され、各地域の茶の香味を経験できる数少ない場であった。その場で、お茶について多くの事を先輩審査員から教わったのである。今では、献茶される点数も少なくなってきたが、伝統ある行事が今も続いているのである。

男山山頂、八幡宮研修センター近くに茶園が作られ、毎年新茶が手摘み手揉みされ宮内庁に献上されている。茶園の近くに茶室が在り、庭に一本のベニバナ茶が植えられているが、聞くと生育が悪いとの事であった。

ベニバナチャとは、赤い花を咲かせる茶の総称で、京都茶研第4代所長、丸尾氏が海外(中国)から種子を導入し京都茶研で栽培したのが始まりで、現在国内にあるベニバナチャは京都から伝播していったと言われている。見栄えはしないが紅花として珍重されている。                         (杉本 則雄)

 

 

 

 

茶事雑感107号(27-9)

茶事雑感107号(27-9)

猛暑と雨に明け暮れた八月が終わりを告げた。亜熱帯の陰樹である茶がこの夏をどう耐え凌いだか気掛かりだが、地下深くに伸びた根は秋肥の施用が始まるまでに再び活性化し来春の萌芽に備えるのであろう。忍び寄る秋の風が茶株の裾に分け入り、朝日を浴びた露はその輝きを茶葉によせていた。

八月末に開催された全国茶品評会の余韻が九月に及んでいる。京都の「てん茶」「かぶせ茶」部門の成績は揺るぎのないものであるが、「玉露」は既に過去の名声になってしまった感がある。二年前、京都で開催された全国茶品評会で地元京都が「玉露」の上位を独占したのは何だったのか、昨年に続いて今年の成績の不甲斐無さが問われているのである。実質最高の京都の「玉露」が何故低迷するのか、評価に狂いが生じているのでは。

全国の茶生産量が報告された。それによると全国的に落ち込みが見られ併せて茶価が低迷している現状が記されていた。茶の主産県では農家の茶離れが進んでいるとの話を聞くようになってきた、そして玉露が飲まれなくなった。その一方でボトルに詰められた低温で抽出した高級玉露が市場を賑わせている。消費拡大の掛け声は何処に行ったのか、「日本が駄目なら外国で」と茶商は目を外に向ける、これでいいのだろうか、ただ憂うばかりである。その中で京都の「てん茶」だけ景気がよいのが気掛かりである。「てん茶」が夏の夜の威勢のいい打ち上げ花火で終わらない事を願うのである。

日本遺産認定を記念して京都府内では宇治茶フェアーが花盛りである。京都茶業のために今、何をなすべきか、イベントや講演会だけで茶業振興ができるのか、今大切なのは、「家庭から急須が消え、葉茶が飲まれなくなった」ことだと思うのである。

秋雨前線が途切れ久しぶりの晴天となった九月の第一土曜日、松尾大社では恒例の八朔祭が行われた。その日の夕刻、月読尊が祀られている月読神社の前を通り、鈴虫の鳴き声と、神社の前を流れる川音を聞きながら松尾大社に向かった。近づくにつれて子供の声と太鼓の音が聞こえてきた。参道の両側は夜店が並び歩けないぐらいの大勢の子供たちが楽しんでいた。境内には櫓が設え年老いた男女が幾重にも輪を作り江州音頭を踊っていた。子供の頃が懐かしく、音頭に合わせて手足が自然に動いていた。何時も思うのであるが、祭りの光景は心を豊かにさせ日本人の原風景を見る思いがするのである。

その日の京都新聞夕刊に「抹茶スイーツ、戦中にルーツ」の見出しの記事が掲載されていた。「軍用サプリ糖衣錠から食品素材」までの抹茶の役割等記されていた。今、何故軍用サプリなのか理解できない記事であった。翌6日、京都新聞は“「日本遺産認定記念シンポ」として「日本茶800年」の世界味わう“と題した記事を掲載していた。二日続けての宇治茶の記事は、世間の関心を高めるのに良いのであるが、何かしら残るのである。

戦後の日本・台湾の茶交流に尽くされた茶業界の重鎮、谷本陽蔵氏が6月28日に逝去され、その訃報を知ったのは7月であった。そして「お別れの会」が8月6日に行われた。私にとって恩師である谷本氏の送別の会には是非参加するつもりでいた。しかし、体調を壊し、参加することができず大変不義理なことになってしまったのである。谷本氏は私に台湾茶を紹介して頂いた方で、氏の自宅で巡り会った台湾烏龍茶、包種茶が、その後の私の茶人生に台湾茶という大きな仕事を背負う事になったのである。台湾茶を通して茶の香気、萎凋香を学ぶことができたのは偏に谷本氏のお陰であった。そして台湾茶の研修を通じて最も私に影響を与えたのが、中華民国台湾省茶業改良場研究員の徐英祥先生との巡り合わせであった。今は亡きお二人の冥福を祈るばかりである。

徐英祥先生との係わりの中で思い出深い事柄がある。今から25年前の9月30日、徐先生は二番目の娘(徐瑜芳)さんの結婚式に研修中であった私を招いて下さったのである。

徐先生の家は基隆から高雄までを結ぶ鉄道、西部幹線の埔心駅から歩いて10分程のところにある。埔心には駅から遠くないところに茶業改良場が設置されており、改良場の外れにあった場長公舎は研修中の宿泊・食事のお世話になった思い出深い場所でもある。

徐先生の家は洋風の三階建てと大きな石榴を境に客家文化を代表する白壁と赤レンガ作りの三合院住宅で繋がっており、結婚式は三合院住宅の正庁である祖先や道教の神が祀られている部屋で行われ、披露宴は三合院住宅の広い前庭で催されたのである。正庁の祭壇に向かって右側に花婿の親族が座り、左側の奥に仲人夫婦と手前に花婿が座るのである。花嫁は衣装を整え、右側の部屋から一礼して正庁に入り、お盆に茶を入れた湯のみを順に花婿の親族に配る事から式は始まったのである、次に花嫁が湯呑を片づけるために再び正庁に入り湯呑を受け取るのである。花婿が湯呑に続いて赤い紙袋を花嫁の持つお盆の上に置くことが結婚受諾の意となるのである。その後、花婿の親族から仲人を通じて結納が花嫁の両親に渡され、指輪の交換等が行われ披露宴へと続くのであった。

披露宴は正庁前の広場に24の円卓が用意され約300人の招待者が16品の料理を御馳走になったのである。約2時間程の宴の間に花嫁は二回衣装を替えて花婿と共に円卓を廻り杯を重ねたのである。披露宴の客家料理は花嫁の縁者が手伝って準備されていた。このような挙式は広東省の風習との事であった。

桃園の茶業改良場での研修は、徐先生の指導で手摘みされた茶芽を用いて、日乾萎凋、室内萎凋、釜炒り、揉捻、乾燥と実地の指導であった。出来あがった荒茶は次の日に審査を行うのである。場内での研修の外に文山分場、魚池分場、凍頂工作站、台東分場、台湾大学演習林等の研究機関で、その地域の茶業を研修し、更に各地の農会が主催する品評会や台湾を代表する茶農家への視察も行ったのである。帰国後、「暗香残留」と花香への憧れは同時に日本緑茶の失われた香気を憂うことに繋がったのである。

それから四半世紀、日本各地の茶畑から醸し出されていた「地香」は何処へ消えてしまったのか。厚化粧された深蒸し茶からの離別を唯願うだけである。(杉本 則雄)

 

 

茶事雑感第106号(27-8)

 

茶事雑感第106号(27-8)

  八月の茶園は静寂の中にあるのが常であった。宇治の育種家である平野氏がその著「茶園の四季」の中で「八月、茶園の土用芽は二番茶が伸び続けているものである。土用芽の頃、茶園が最も端正に見える時であって、他の地方では三番茶として刈り取られてしまうものであるが、宇治では樹勢の充実を望んで土用芽のすくすくと伸びるのを翌年の茶の品質に思いを致して眺めているだけである」と述べている。亜熱帯の陰樹としての特性すら耐えがたいものにしている本邦の夏の一時。里山茶園の静けさに、蝉の鳴き声すら遠慮がちであったが、今では茶摘採機の金属音が里山を駆け抜け喧噪を作りだしている。茶樹はこの炎天下、萎れという荒技を使いながら、それでもなお地中深く根を張り巡らせようともがいている。せめて一時の休息を施す術があっても良いのではと思うのである。

茶は移ろう季節の中で、生きた農産物として刻々変化している。新茶の頃は正に香りである、芳香を漂わせ人の五感を発揚させるのである。そして夏に向かって香味の熟度を増し、秋に茶本来の真価を発揮するのである。冬はその余韻を楽しみ次に来る新茶を待つのである。茶は僅かな含水分で取り巻く温度の変化に対応しているのである。人は折々の茶をその時の茶として愉しみ潤せたらよいのであって、人の赴く季節に見栄えるよう加工すべきではないのである。近頃、四季の香味が楽しめるよう虚飾された茶が売り出されている。人間の傲慢さと無粋・野暮を感じるのである。

八月三日、京都新聞が茶市場の「止め市」の記事を掲載していた。四月初旬の萌芽から始まった今年の茶期、八月の立秋を目前に控えて尚も市場が開設されているのである。茶樹はどのような生育をこの四ヶ月間してきたのであろうか私には理解できないのである。新聞紙上では増収と扱い量・金額の飛躍的増加の記事が誇らしげに書かれていた。

 「止め市」は、所謂二茶てん茶と呼ばれる茶の取引で終了した。「てん茶」とは、定義上摘採時期により分類出来ない茶種であるが、流通上では、宇治てん茶・初茶てん茶(一番茶期)・二茶てん茶(二番茶期)・秋てん茶(秋期)と四分類されている。「初茶てん茶」の入札価格は荒茶キロ当た14、000円~1、200円で茶が落札され、「二茶てん茶」は4、000円~700円と宇治てん茶を除いても20倍もの差で「てん茶」が茶問屋に運び込まれるのである。そして、それらが挽かれて等しく抹茶と呼ばれ消費の道を歩むのである。

 これ等の抹茶を点てて飲むと茶の価格差は明瞭に香味で知覚できるのであるが、加工食品素材に窶した抹茶は消費者にはその差を見極める事は難しいのである。小麦粉やバター等の素材に僅かに混ぜられる抹茶、高温による加工や他の素材の雑多な香りの中で14、000円の「てん茶」を挽いた抹茶なのか700円の「てん茶」を挽いた抹茶なのかどうして判別できるのであろうか。ただ、緑の色だけは酸化防止剤を加えて鮮やかさを保つのである。

 近年抹茶の用途は食品素材としてその多くは使われる。本来定義に基ずいて使われる「てん茶」を挽いた抹茶は主に茶道等で使われるが茶道人口の減少により消費は低迷の一途である。

一方食品素材としての抹茶、その香りや味はそれを提供する素材(小麦粉、油等)により抹茶の持つ特性は必要とされず、色だけが求められる素材になるのである。そこで二茶てん茶・秋てん茶の出番が来るのである。そして、消費者もその実態は分からなくても緑色した抹茶(加工食品素材)に満足しているのである。

八月まで続く理解出来ない「てん茶」の耕種履歴、茶園が荒廃していくのは必須である。

「天を仰ぐカメリアの女皇を崇拝するのでなく足蹴にして伸びるてん茶」の光景が見えてくるのである。悲しい限りである。この状態がもたらすのは供給過剰に陥り茶園の荒廃へと続くと確信するのである。

8月15日終戦の日、「東京裁判」による自虐的歴史観で日本人としての矜持を喪失してきた70年。今、見つめ直す時。靖国への慰霊を込めて記す。     (杉本 則雄)

新学会 第1回研究会のご案内

 関係者にはすでにお知らせしてありますが、これまで3年間にわたって活動を続けてきた社会再生学会をリ ニューアルし、この8月より「関西学院大学 政治・経済と文化研究会」として出発することにしました。
 リニューアルしたと言っても、ゆるい会則をつくり、活動の幅を少し広げただけで、基本的な活動方針は従来と何ら変わりません。すなわち、市民感覚を重視し、社会全体の幸福度と個人の幸福度を高めるため、多方面からアイディアを出し、会員相互で十分な意見交換を行うことです。
 現時点で私たちが議論しようと思っているジャンルは、① 政治・経済・外交、② 歴史・文化・宗教・趣味、③ 医療・健康・食育の3分野を想定しています。集団的自衛権の行使問題や、ギリシャの財政危機に関心があればジャンル①で、旅に出かけて発見したことや自分の趣味の奥深さを語りたいときはジャンル②で、身体の健康や食生活改善の話題はジャンル③のテーマとして取り上げ、参加者相互でディスカッションします。報告者と聞き手の意見が一致する場合もあれば、異なるケースもあるでしょう。その際、ディスカッションを重ね、意見が収斂すれば私たちの学会全体の考えとできるし、どちらの言い分にも説得力がある場合は、あえて結論は出しません。ディベート大会のように勝敗を決める必要はなく、議論の過程で色々な考え方があることがわかる点に、現会員のみなさんは意義を感じてくださっています。
 さて記念すべき「関西学院大学 政治・経済と文化研究会」第1回研究会を8月9日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。報告をお引き受けくださったのは西村登さんです。すでに詳細な報告資料をお送りくださっています。従来の報告は1つのテーマについて2時間報告と意見交換を行ってきましたが、西村さんは私たちの研究会が取り上げるべきジャンルより大きく4つのテーマを選び、お話ししてくださいます。関心の間口が広く、個々のトピックスについてかなり掘り下げて分析してくださっていますので、初回から充実した研究会になりそうです。
 学会リニューアルに当たり、新会員も募集します。一般市民の方も学生も入会していただけます。正式な入会は、一度研究会に参加していただいた後決断していただいたら結構です。
 
【プログラム】

第1部  西村登氏(元長瀬産業)
1.最近の政治をみて感じること
2.東京一極集中の現状について)
3.関西活性化と地方創生
4.歴史・文化・宗教・趣味にまつわるいくつかの話題

第2部 ティータイム

第3部  
「関西学院大学 政治・経済と文化研究会、今後の活動目標と活性化策」 (意見交換会)


新学会・寺本ゼミ共催企画 水島昇先生講演会のご案内

 8月9日より新たな第一歩を踏み出す学会のプレ企画第二弾です。
 経済学部では毎年11月、あるテーマに対し、賛成組と反対組に 分かれてそれぞれの立場の意見を述べるディベート大会を行っています。今年の基礎演習の学生は、原発再稼働の是非と成人年齢の18歳への引き下げ議論をテーマに選びました。両者とも今新聞・ニュースで盛んに報じられている話題で、国論を2分するほど活発な議論が行われており、取組応えがあります。学生のディベートのテーマにとどまらず、すべての国民が真剣に考えなければいけない重要課題です。
 そこで私の基礎演習所属の学生と、日頃一緒に研究を進めてくださっている社会人のみなさんを対象に、下記の要領で法律の専門家による勉強会を企画いたしました。企業見学会と連日になりますが、せっかくの機会ですから、みなさん奮ってご参加ください。

講師:水島昇氏(水島法律事務所弁護士)
● 日時:2015年 8月7日(金) 13:30~15:30
● テーマ:
1.原発再稼働の是非をめぐる論争
2.成人年齢見直し論と法的課題
● 場所:経済学部1号教室(関西学院大学上ヶ原キャンパス内)


新学会・寺本ゼミ共催企画 食品産業1日研修旅行のご案内

 2012年よりスタートした社会再生学会、これまで順調に会合を重ねてきました。研究会を始めてちょうど3年が経過した先般(5月)の研究会において、会員のみなさんと第4年度以降の取組について協議したのですが、その際、研究発表会と並行して、社会見学など、体験型のイベントを取り入れてはどうかという意見が出されました。そこで早速会員の西村正美さんが動いてくださり、エム・シーシー食品と、六甲バターの見学を手配してくれました。8月9日に再出発する新学会のプレ企画として実施したいと思います。
 研究会のメンバーのほかに、私が担当する基礎演習の学生にも呼びかけました。早い時期から企業活動に精通しておくことは、就職活動を有利に進めるのに直結すると考えたからです。
 本企画は一般に行われているような、不特定多数の人を対象にした見学会ではありません。両企業の担当者が、寺本ゼミだけのために特別にご案内くださり、質問にお答えいただける貴重な機会です。加えて食品産業に対する認識と、参加者相互の親睦を深めることも目指しています。多くの方のご参加をお待ちしています。お気軽にお声掛けください。

〈Ⅰ〉1日研修旅行の概要

日時:2015年8月6日(木)、午前8時30分(雨天決行)時間厳守での乗車
・集合場所:阪急西宮北口下車(南西改札口を出て) ⇒ 芸術劇場前辺り
・費用 昼食込みで、ひとりあたり概算 7,000円~8,000円 ← 確定ではありません。参加者が増えるほど、単価は下がります。
対象 関西学院大学寺本ゼミの学生およびその他科目の受講生 市民大学など講座を受講していただいた社会人  
・送迎バス配車:マイクロバス1台(15名~20名)

〈Ⅱ〉行程

⇒ 8時30分、西宮北口出発 ⇒ 神戸市東灘区深江「エム・シーシー食品㈱本社工場」へ移動
・①9時30分~11時:「エム・シーシー食品工場」見学
⇒ 11時、東灘区出発、神戸市須磨区須磨浦通へ移動
⇒ 11時30分、「シーパル須磨:昼食」
・②11時30分~12時30分:明治創業の神戸オリエンタルホテルが誕生させた当時の味に近い「絶品カレー」を現在に受け継いだ製法でご賞味ください。
⇒ 12時30分、須磨区出発、兵庫県加古郡稲美町へ移動
・③13時30分~15時30分:「六甲バター㈱(QBBチーズ)稲美工場」見学
⇒ 16時出発、阪急西宮北口へ移動   到着予定(17時30分~18時)

〈Ⅲ〉付記

・途中、交通事情等により、遅延の可能性がありますが、極力スケジュールどおり行動していただけるようにいたします。

茶事雑感105号(27-7)宇治茶の特徴(平成16年の取材から)

茶事雑感105号(27-7)宇治茶の特徴(平成16年の取材から)
  文月七日、子供のいる家庭の軒先に小振りの笹が飾られていた。カラフルな短冊には何が書かれているのであろうか。少年の日、密かに思いを託した短冊を神社に飾られた笹に結びつけた日が懐かしく思い出されるのである。七夕の多くは雨模様で、夜空を仰ぐことは少なかった。「結び」「託す」の意味を分かろうとしていた時期でもあった。

 てん茶を水出しで飲むという記事が新聞に掲載されていた。長い年月を掛けて茶の香味を発揚する為に、茶を揉むという工程を創り出してきた人々は何を思うのであろうか。お茶を如何様に飲もうと自由であるが、ここまで来たかと敢えて論ずる気になれないのである。台湾南部の亜熱帯の茶産地で熱湯を注いで飲んだ茶が偲ばれるのである。

今から十年程前、調査研究として、京都の茶の現状を把握するため「宇治茶の特徴」について調査に取り組んだことがあった。宇治茶を扱う京都の主だった茶問屋を訪ね、宇治茶の特徴を聞きとりしたのである。ここに一部を紹介する、

「宇治茶の特徴」

  宇治茶は京都府を代表する特産物としてだけでなく、日本緑茶の代名詞として、日本人の多くはその名前を知っている。京都市内や宇治へ観光に来る人の多くは、有名な社寺や観光地の見学と併せて土産物の一つとして宇治茶を選んで帰るのである。         
  宇治茶という名が歴史上に初めて現れるのが1374年(室町時代前半)と言われており宇治は室町時代初期から産地名として名前が挙がっていた。宇治茶の品質評価は南北朝時代の「異制庭訓往来集」に見られるように栂尾が第一で宇治は遙かに及ばない産地名として記されている。室町時代中期になると宇治が栂尾に代わって最上位になるのである。この背景(どうして宇治は栂尾を超えられたのか)については諸説あるが、覆い下茶園の栽培が大きく影響したと言われている。
  室町前半期、茶に対する呼び名は地名を冠していたが、中後期にはこのような現象は見られなくなり「茶の湯に使った茶はみな宇治茶であった」と言われている。各地にあった茶(炙り茶、釜炒りに近い茶・・)と併行して覆い下栽培のてん茶は宇治だけのものとなり、宇治の茶は地名を冠する必要はなくなったのである。そして、茶は産地名を付けることから等級を表す茶銘へと移行していったと言われている。この傾向は青製煎茶が登場するまで続いた。

  一方、一般の茶は、平安ー鎌倉ー室町と、炙り茶や番茶に類する製茶が一般的で庶民はそのような茶を飲んでいたわけでそこには各産地の茶の特徴を云々するレベルに到ってなかったと言えよう。

  1738年に創設された青製煎茶製造法は数年の間に南山城に広まり、18世紀半ば過ぎには近江南部まで伝わったと言われる。19世紀、大和、河内、摂津、丹波、伊勢、紀伊に伝搬し1830年から44年の間に伊賀、駿河、武蔵、常陸、日向に伝わった。    
  このように青製の煎茶製造技術の伝達は遅々としたものであったが、それまでに作られてきた日乾茶、筵揉み、板摺り揉み茶等の釜炒り茶に比べて確かに優れていたのである。そして、1834~35年以降玉露の生産が始まったのである。

宇治茶の特徴は

(1)宇治という地域(土地)と宇治川に係る氣象条件、         

(2)長い年月の中で自然淘汰されて残った優良な形質を持った茶樹、        
(3)栽培技術、加工技術、     

(4)それらの茶の良さを十分に引き出せるブレンド技術、火入れ技術

(5)永年のてん茶の名声を取り巻く環境などが重なり

宇治茶の特徴を作り出したと言える。       

宇治茶の特徴について府内茶業者の聞き取りの極一部を紹介すると、

 (1)京都市 H氏

  ・宇治煎茶の特徴(丸葉で大型)は実生の茶にしか求められないのではないか。それは香気の良さ(ホトロ香)に尽きる。水色は透明で濃かった。ヤブキタの導入により、その特徴は薄れてきた。

  ・宇治玉露の特徴は、本簀(ホンズ)の香り,灰汁の香りに尽きる。旨く色浅青いの
     特徴。

 (2)京都市 T氏

  ・宇治煎茶の特徴は在来種の香りに尽きる。形状は持ち重りがした。色は無色透明に近い黄色いものであった。

  ・宇治茶の特徴は、ブレンドによって引き出されたところにあり特有の相性を持っていた。

 (3)宇治市 H氏

  ・宇治茶の香り、五月は匂いを飲む(新茶は香り)と言い独特のプン香があった。

  ・宇治玉露、てん茶の香りは、ホトロの代わりに藁を入れたもので、ホトロを入れると下木香がした。

  ・宇治てん茶は摘み旬というのに拘る。てん茶では、摘採適期は最適日から±3日しかない、それ ほど茶の摘み時期と芽は厳しいものがある。一番茶の芽が出て芯が止まったときが最高の日であり、三日過ぎると柏の臭いがし、茶でなくなる。これが宇治茶のこだわりであり、特徴でもあった。

  ・宇治茶の特徴は三つ合にある、四つ合ではダメである。三つの畑の茶のブレンドという意味と併せて形状、色、香味の三要素も意味している だから、形は・・・の畑、色は・・・の畑、香味は・・・の畑といった具合で、四つの場合更にもう一つの要素が加わり茶の特徴を失うことになる。(宇治茶作りのこだわり)畑の相性ということにもつながる。

 (4) 宇治市 K氏

  ・煎茶の香気に特徴がありそれは下木(シタキ・ホトロ)によるものである

  ・玉露、てん茶は後熟に価値があり、後熟の香味に特徴があった。

 (5) 宇治市 K氏 

  ・宇治煎茶の特徴はプン煎(ホトロ香)に尽きる。       

  ・香気の豊な地域として、第三紀層の地層を持つ地域が上げられる。この地域の風呂(地下水)は、笹濁りといって上澄み液が濁る程コロイド状になった細かい土が特徴で。この地域の茶は仕入れ精選している工場に入るだけで香りがした。  

  ・宇治煎茶の形状は良くなく、浅青い茶が多いのが特徴。

  ・宇治産のてん茶は地域の差より工場毎の差がありそれぞれの工場に特徴があった。これは、被覆資材の差であり十分な遮光を維持する資材が使われているかどうかで差がついた。寒冷紗の導入により差はなくなった。(資材の差とは、本ずとコモの差)香味の特徴は品種より被覆の差によるものである。

  ・てん茶の色は、茶園毎の差と業者の好みにより差がつき、特徴はそれぞれ異なっていた。

(6)宇治市 K氏

  ・宇治煎茶の特徴は、旬に摘まれたプン煎によるものであった。香気に野趣があった。それは、他産地と判別出来るほどの差があった。

  ・宇治てん茶の特徴は、茶問屋(茶師)の嗜好であり、茶問屋毎に差があった。

  玉露の水色は淡くやや赤みを呈するのが特徴。香味は助炭を用いた練りで作られたものが特徴であった、生葉原料に大きく影響された。

(7)宇治市 T氏

  ・てん茶の特徴、色沢は青緑色で透明感のある濁りのない色、やや光沢がある。極みとして、紫色があった。

  ・玉露の特徴、色沢は濃緑色のやや青みを帯び光沢がある。形は大型で濡れ手拭いを絞ったような形であり、他産地のような煎茶揉み(細い茶)ではなかった。

(8) 宇治田原町  M氏

  ・茶は旨・渋・苦で成り立っている。この全てが備わっているのが宇治茶であり特徴である。地香(その土地の持つ香り)を持っているのが特徴。

  ・宇治在来種の香りが良かった。

  ・宇治被覆茶の特徴は、糯藁による被覆にあった。糯藁が被覆茶の香気を高めた。

  ・助炭の紙の張り方  玉露は二枚張り、煎茶は薄く張る。この張り方が特有の香気を生み出した。

 総じて、宇治の茶業者の言う宇治茶の特徴は既に過去のものになったのであり、今ではそれを求めるのは無理である。宇治煎茶の特徴は、宇治の実生とホトロ香を生み出す土作りにあり、玉露は豊富な肥料と覆い技術にあったと言えよう。ただ、てん茶は今も宇治茶の特徴を僅かに保持している茶種と言えよう。耕種概要が全国平均化している現状では地域性を求めることが困難になっている。
  今では茶とは言えない「色と火香だけ」の深蒸し茶がこの世界を席巻している。深い香りの茶を飲みたいと願うのは私だけなのか。

                           (杉本 則雄)











 


 


 


 


 

茶事雑感104号(27-7)茶審査の季節

 京都、四条通の西の端に鎮座する松尾大社で夏越の祓である茅の輪くぐりに参拝した。この日は和菓子「みなずき」を食べる日である。子供の頃を思い出した。この日は母が市中へ出掛け仙太郎で“みなずき”を買って家族で食べるのが恒例であった。“みなずき”を食べる習慣は今も続けている。

 その夜、雨降る空の彼方に十五夜の月を偲んだ。明けて七月に入った。

山城の平坦部では一番茶の後片づけも終わり静まりを取り戻した茶園もあれば、里山では二番茶の盛りの園もある。全農京都の茶市場では、初茶てん茶(一番茶のてん茶)、てん茶2(二番茶のてん茶)が共にキロ二千五百円前後で入札がされていた。七月を迎えても一番茶、二番茶の「てん茶」が同じ時期に生産・入札されている現状、長年茶に携わってきたものとして理解できないのである。消費者に理解されるのであろうか?

この季節は丹精込めて作られた茶の審査、品評会の季節でもある。六月上旬の市町村主催の品評会から始まって府の審査会、関西茶品評会へそして全国の茶品評会へと八月末まで続くのである。求評的な審査会はこの時期を外して行われる。

昭和55年以降延べ三十年近く茶の審査に携わってきた。全国、関西茶を含めて多い年には年十三回もの審査会に参加してきた。今まで何回、審査スプーンで茶の滲出液を飲み吐き出してきたことか。同じようにすくい網で何回茶の香りを覚いできたことか。今、審査から解放され、つくづく茶は審査するものではなく飲むものであると思うのである。

茶審査の基本は元静岡県茶業試験場の研究員であった柴田雄七氏から多くを学んだ。故人となられたが、茶の製造・審査については静岡県を代表する方で機械製茶の基礎を確立された人であった。氏から始めに習ったのが「茶の水色は白色ですよ」と言われた事が今も忘れられない。当時は今流行りの深蒸しなどは陰も薄く「深蒸しは静岡東部の煎茶品質の悪い地方で工夫された産物ですよ」と教えてもらった。今では緑に厚化粧した色だけの深蒸し茶が香気に無頓着になった消費者の間で定着しているのである。

茶は萌芽・伸育し摘採され加工され僅かばかりの水分を含んだ荒茶となる。乾燥機を出てから商品として仕立てられるまで冷蔵保管され熟成が進むのである。茶の価値は人が飲む時にすべきものを、荒茶が作られて間もない時期に、それも熱湯を注がれての評価となる。これは、飲料としての茶の評価ではなく、生産地の特質を色濃く持つ荒茶をそれぞれの地域の特質を無視して同一基準で評価するということなのである。

 茶の品評会の役割・目的は当初と比べ大きく変貌してきた。今一度再考すべき時であると思うのである。

 茶の評価については、多様な方法があるが、多くは官能によって行われる。

官能審査は、対象となる茶の形・色・味・香り等の評価を人間の五感によって行う方法で

個人差や環境等の誤差が入り込みやすい。従って官能審査の実施にあたっては、これらの

誤差の入り込みを排除し、正確性、再現性を期す必要がある。審査順序は茶の形から色沢

に入り続いて香り、水色、味へと続くのである。

審査盆に盛られたその茶が辿ってきた生い立ちを想う時、黒光りする尖鋭な茶葉の化身

に臆することなく身構えなければならないのである。

茶審査技術は、その多くを生産現場で学んだ。「茶の良否は生葉に由来するものであると」「美人コンテストではないこと」等々現場で多くの先輩が私を鍛えてくれた。

 荒茶の審査は「農」の領域での評価であり、流通上の「商」の領域での評価と明らかに異なるのである。

 若い頃は白いチョークを手にして、自信ありげに茶の欠点としての指摘を理解したつもりで黒い審査台の上に書いてきた。茶を審査するという意味も茶そのものも十分に分かり得ていない時であった。時を経て、茶が少しは分かり、自分なりに審査方法が確立してくると、審査台を白いチョークで汚すことが少なくなってきた。

 長い審査経験の中で納得して香味を称賛できる茶は、一回(数十点から数百点)の審査でせいぜい一、二点しかなかった。審査会で一等一席の茶は優れて満点の逸品であるが、私には凡そ美味しい茶ではなかったのである。

 茶生産組織の代表と言われる人が、6月29日のNHKテレビ番組の中で「玉露は咽を潤すものではなく、心を癒す飲み物だ」と述べられたようであるが、「茶は心を癒す飲み物では決してなく、ただ咽を潤すものである」と言いたい。茶は単に茶であり茶以外のものではない、カメリアの女皇の涙する一滴なのである。心を癒すのはその茶を飲んだ場と時である。(杉本 則雄)

 

茶事雑感103号(27-6-2) 「お茶」と茶色と「抹茶の緑」

茶事雑感103号(27-6-2) 「お茶」と茶色と「抹茶の緑」

 水無月、浄住寺(黄檗宗)の参道に立って梅雨空を見上げた。漂う重い空気が今にも新緑の木々に覆い被さろうとしていた。この寺は、明智光秀が本能寺を目指して亀岡から京都へ駆け抜ける時に使った唐櫃越えの京の街中に到る街道の脇にあり、嵯峨天皇の御代に勅願寺として創建され天皇の勅命で茶が植えられたであろう密教系の寺院である。後に禅宗に改宗され、境内にはその名残であろうか実生の老茶樹が散在している。

一番茶は既に摘み取られ、腋芽から二番芽が覗いていた。

 京都山城の城陽市にある全農京都茶市場では、県祭りが過ぎてもなお、碾茶の入札が続いていた。荒茶kg単価、最低1,500円前後(初期には900円)から最高30,000円近い茶が「碾茶」と呼ばれて流通しているのである。碾茶(荒茶)の約65%が抹茶に挽かれる。「碾茶」と同様「抹茶」と呼ばれる茶にも「碾茶」以上の価格差がつくのであろう。茶葉における“燕雀”安んぞ“鴻鵠”の茶葉の志をしらんやである。本当に相和して宇治抹茶として消費者の口に運ばれるのであろうか。

 何か釈然としないものを感じるのである。

 かつて、抹茶の消費拡大策として農林水産省の補助事業を使って中華の食素材として抹茶を使った料理作りを試みたことがあった。現在では抹茶スイーツが氾濫し生産・消費が伸びていると言われているが。

さて、抹茶の「緑」は中華の国では翡翠をイメージさせる色である。と同時に、破廉恥な品性を持つ亀を連想させる色として、罪人に「緑の頭巾」を被せたり、現在でも「緑の帽子」は被らないという国民性。はたして、抹茶をかぶせたスイーツ、中国での消費の動向を見守りたい。

「日本の伝統色」(青幻舎発行)によると、茶という色は飲料のお茶の色に由来するもので、番茶の赤茶、煎茶の黄茶、碾茶の緑茶の三系統があり、○○茶と称する色が表れるのは江戸時代に入ってからで、俗に「四十八茶、百鼠」と言われ、茶には多くの変相色があると言われている。

 「日本の伝統色」の中に碾茶の緑茶の変相色(御納戸茶など)が多くあるが、碾茶(抹茶)の色とはかなり違う。果たして江戸時代の碾茶の色はどのような色なのか、今と変わらないのか、ご存知の方が居られたら教えを請いたいものである。

茶との係わりに距離を置くようになってから、私の茶に対する姿勢が変わり始めた。宇治茶一辺倒の世界から、本居宣長が収録した近江君ケ畑の茶摘み唄「ここで揉む茶が秋田へくだる、秋田女郎衆にふらりよかよ」の世界と童謡「ずいずいずっころばし」の「“茶壺に追われてとっぴんしゃん”に込められた街道の傍らに住む人達の茶」への移行である。

更にこの街道脇で営まれた茶の様こそ本当の「日本の茶」であると思うようになってきたのである。

 弘法大師が歩んだ四国霊場の奥深い山里の地で、大師が見付けた湧水で山茶を煮だして茶堂で参詣者の咽を潤したものは、宇治田原の永谷宗円の煎茶とは別の、鉄釜で炒った茶や蒸して莚や洗濯板で揉まれた茶等々、そこには僅かな香りを見付け慈しみ大切にした我が同胞の感性を想い致すのである。だからこそ、人は集いて田畑の畔、家屋の軒先等で「お茶でも・・」「お茶にしましょうか」と粗末な茶でも咽を潤し心を癒してきたのである。一方で、畳の目筋に心を配りその所作や規矩の美しさを競う白足袋の人々が抹茶の色香を真に鑑ることなく「結構なお手前で・・」と演じて、日本文化を構築したのも事実であり、多くはその高度な文化の中に身を窶してきたのであった。なればこそ、茶壺に追われ身を潜めた人々の茶への思いを大切に守り引き継がねばならないと思うのである。

 自然仕立ての玉露や碾茶園では、京番茶の原料として収穫されることがなくなった今、高く伸育した枝条が番刈り機で刈り落とされ株間を被うのである。

 少し前まで、時代祭りの行列に出てくる、御所に花を届けた白川女と称する女性が、京都、伏見界隈の玉露・碾茶園の摘み終えた枝葉を刈り、洛北白川まで持ち帰りその日のうちに蒸して次の日、陽に干して京番茶として炒って売りに歩いたのが偲ばれるのである。

 時代は大きく変貌していく、二進法の化け物が跋扈し人の心がその「しとり」を失いかけた時、カメリアの女皇の涙する一滴に身を委ねようではないか。

美味しいお茶が飲みたいものである。

                      (杉本 則雄)

茶事雑感 102号

 前回、茶事雑感101号で名前を忘れたので、併せて102号を投稿します。

                              (杉本 則雄)

茶事雑感

102号(27-6)

 台湾茶を代表する烏龍茶、その呼び名は主に広東系の客家人が使う椪風茶(客家族は嘘つきを椪風と言います。高価に売れたお茶で他の人が信用せず、嘘つきの人が作ったお茶という事でついた名前と言われている)を中心に着園茶、膨風茶(福建系の人が使う)、白毫烏龍茶、白毛猴茶、東方美人茶(英国皇室が賛美して使った)、香檳烏龍茶(フランス人が使う)、福寿茶等色々な呼び方がされています。また茶の色沢が白、紅、緑、黄、褐色の五種類ある事から五色彩茶とも呼ばれています。
 烏龍茶の製茶の季節は“芒種”の前後一週間が摘採適期と言われており今正に最盛期を迎えている事でしょう。香り高い烏龍茶を初めて賞喫したのは三十年程前、大阪堺の茶匠、谷本氏のお宅でした。台湾への製茶研修の前で日本緑茶の香りが低下していた頃で、烏龍茶の香りに驚愕したのでした。台湾での研修は、私にとって公私に亘る師となった徐英祥先生の下で受けました。徐先生の案内で烏龍茶の第一人者と言われた苗栗県頭份鎮の鄧國權に出会う事ができました。今では有能な台湾の茶農は大陸に渡り共産党の幹部や一部の富裕層の咽を潤す茶作りに励んでいると伝え聞きました。ですから、日本では滅多に本当の烏龍茶を味わう事は出来ないようです。

 数年前、日本の最高級の玉露(全国茶品評会で入賞した最高級の茶)を中国の富裕層が買い占めた記事を見ました。本当に茶を理解して飲んでもらえるなら有難い事ですが、大方は共産党幹部への賄賂に使われると聞きました。
 ますます、日本人が玉露を飲めなくなる時が来るのではないかと思いました。

 宇治県祭りを控えてもなお、京都の茶市場では「てん茶」の取引が行われています。「てん茶」に宇治てん茶と初茶てん茶の二通りに分類されての取引です。何時から二通りの「てん茶」が生まれたのでしょうか。

茶業界で最も信頼の出来る日本茶業学会(元茶業技術協会)が発行している「茶の科学用語辞典」に、“てん茶”を「おおい下茶園の芽を用い、蒸熱して揉まずに乾燥した茶。これを臼で挽いて抹茶とする」と紹介し、“おおい下茶園”を「玉露、てん茶用の原料を栽培する園で、棚施設を利用し、一番茶の萌芽後摘採までの一定期間をよしず、わら、こも、化学繊維資材などで覆って日射を遮り(最終遮光率95%前後)、新芽を軟化させて摘採する。」とし、“抹茶”を「てん茶を臼で挽き微粉にしたもの。」としている。

 ここで問題がある。本来の“てん茶”から仕上げられる抹茶の量とは桁違いの量の「抹茶と呼ばれる茶」が世間に流通しているのである。京都府の公的な統計数字(茶業統計)に一番茶、二番茶、秋てん茶が“てん茶”の欄で公表されているのである。“てん茶、抹茶”の主産地の京都でこのような数字を公表しているとは、あきれるだけである。

そして流通である。「宇治抹茶入り○○」なる食品がスーパー、デパ地下を賑わせている。かつて、日本の商人は「士農工商」と差別の下位に在りながら、高い矜持を持っていたと言われていた。今や、彼等は中国人を拝金主義者と呼べなくなってきているのではと、悲しくなるのである。

 このような時、思い出すのは三島由紀夫の「英霊の声」で記された「・・・、ただ金よ金よと思いめぐらせば、人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき、・・・」である。

 “色だけの深蒸し、薬に窶したペットボトル、茶粉末と名を変えた抹茶“ただただ茶を憂うだけである。                      (杉本 則雄)

茶事雑感 101号

「茶事雑感」

 (はじめに)

 照葉樹林文化の先端が海上の道を進み豊葦原瑞穂国を柔らかく覆い、黒潮がその豊饒なる大地に四季の恵みを潤す。何時の頃から茶を飲み始めたのか、確かにオオゲツヒメの屍にはなかった。既に、オノゴロ島に御柱が建てられる以前から我が縄文の祖はカメリアの女皇にかしずいて来たのか。遅れて宋より将来したカメリアの一族は佐賀背振り山を経て栂尾高山寺に発し、宇治川の周辺部に白い花を咲かせ秋にはその幽き香りの下で多様なる優れた形質を持った子実を熟させてきたのである。

 茶作り人は柳田の言う瑞穂の国のオオミタカラとは基軸をやや異質にしているかに見え、しかし、その崇拝する伊勢の神と暦に同胞としての原像を見るのである。

茶の子実はその形質の不安定なるが故、幾重にも分かれ、その卓越した香味は、多くの茶人を作り、嗜好飲料の頂点に達したのである。

 茶の長い歴史は、お茶が日本人の喉咽を潤した事を証明した。そして日本の文化を醸成してきたのである。

 大正の御代が終わりを告げようとした時代、

京都府
で本格的な茶業研究が開始された。昭和50年、宇治の茶業研究所に赴任したのが茶との係わりの始めであった。以降平成17年まで茶業は私の人生を拘束しその中に引きずり込んだのである。研究、普及、奨励と茶に係わり多くと交わることになった。そこで扱う茶は紛れも無く宇治茶であり、そう信じて疑わなかった。しかし、宇治茶と称されてきた茶は大きく変貌してしまったのである。それは嗜好飲料として唯「飲む」ための茶から逸脱し行方定まらない途に迷い込んでしまったように思うのである。

退職後、生産団体の参与として再び茶と交わることになった時、些かの違和感を以って宇治茶と接することになるのである。

「茶事雑感」(1~100号)は平成17年から平成25年まで生産団体の発行する月刊情報誌に憂いを以って掲載してきた文章である。

そして今「茶事雑感101号」を再び記そうと決意したのである。日本茶が茶でなくなったと嘆くのではなく、改めて日本茶を考えようと思うのである。

 

101号(27-5)

 弥生三月の大気の乱れは寒暖の差をもって地上にもたらしたが、大地に深く根を張る茶樹の暦を狂わす事はなかった。包葉を破り天を仰いだ茶芽の萌芽を平年比2日早い4月3日と宇治の茶業研究所は宣言した。開花、萌芽とその生理は違えるものの相前後して満開を迎える桜花は茶芽の先導者としての華やかさを茶畑に披露した。萌芽後の曇雨天は新芽の伸育を遅らせ第一葉の展開を鈍らせた。皐月に入り大気は一変した。五月の空に夏を思わす陽と風が茶芽の開葉速度と充実の歩調を狂わせた。予想を上回る速さで茶期を終息させてしまったのである。

 日本遺産に登録された山城の緑の山並み景観は、無残にも黒と銀色の寒冷紗に模様替えとなったのである。製茶工場の処理能力を超えた新芽の伸育、摘採適期を遅らせるため寒冷紗が一面を覆うたのである。

 街中の大型スーパーの新茶売り場の棚は静岡、鹿児島の深蒸し茶が占拠し、馥郁たる新茶の香りは何処にも漂う事はなかったのである。テレビの画面は指先を品なくカラフルに染めた茶摘み娘が緑の新芽を汚しているのを映し出していた。

 連休に参詣する愛宕さんの山登りは、今年も腰痛で断念した。連休の後半、近江舞子で茶摘みを行った。畦畔に植えられた実生茶樹の新芽を手摘みし、数時間萎凋させ、蒸し鍋で蒸しホットプレートで揉みながら乾燥させた。我が家の新茶となった。香りは格別である。やはり茶は香りである。

 五月二十九日金曜日NHK大阪放送局の夜八時からの番組「えぇトコ 宇治茶の里の和の心」で宇治茶の産地(宇治田原町と和束町)を紹介していた。お茶について気になる事があった。

一つにお茶の味覚の表現で「甘いお茶」という言葉をガイド役の俳優さんが使っていた事である。甘み成分が無いとは言えないが、お茶では評価に「旨み」「渋み」が挙げられても、甘みという評価を私は知らない。逆にお茶の命である香気については全く語られないのである。近年、香気が稀薄している事は是認しながら「香り」については新茶の紹介の中で当然語られるものと思ったのである。二つ目は、未だに「お茶の美味しい淹れ方」なる作法が茶伝道師と呼ばれるお茶をよく知った人から指導されている現実である。お茶は嗜好品であることが未だに理解されていない。要はお茶の淹れ方など無いのである。自分流の淹れ方であって美味しい方法など無いのである。「美味しい淹れ方」ではなく「美しい淹れ方」が大事なのである。作法は「道」の世界であって、茶の世界では無いと思う。

 日本を代表するお茶の産地であり、日本茶の銘柄である宇治茶において、更にそれを紹介する報道機関がNHKであるという事に於いて些か残念なのである。

更に次の日、民放(世界一受けたい授業)の番組での事。国の研究機関で茶の研究をしている女性が茶品種と機能性について延々と説明をしていたのである。世界で最高の嗜好飲料である日本茶が機能性飲料、薬として紹介されているのである。「おいしい日本茶がのみたい」(PHP新書)の波多野公介氏が聞いたら何と嘆くであろうか。盧同の茶歌を読んでもらいたいと願うばかりである。 一椀喉吻(こうふん)潤い(=一杯飲むと喉が潤い)である。

萌芽からの二カ月が過ぎ、新茶の季節を終えようとしている。6月5日は宇治、県(あがた)祭りである。深夜の奇祭として有名であるが、宇治では街中の茶問屋さんが新茶を売り出す日として昔から知られている。四十年程前、茶業研究所に勤務していた頃、県祭りの午後は研究員の茶市場研修の日として街中に出かけることが許され、売り出された新茶を見て回った事が懐かしく思い出されるのである。

籠破り・焙炉終い等、茶園・茶工場を寿ぐ酒宴が済み、こぼたれた覆い資材の隙間から簀又が褐色に戻された番刈り面から天を仰ぐのである。

新茶の季節は終わりを告げるのである。(了)

社会再生学会第16回研究会のご案内

 社会再生学会第16回研究会を5月24日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。会員のみなさんは万障お繰り合わせの上、ご参加くださいますようお願いいたします。
 今回第1報告は、大西和明さんにお引き受けいただき、「キリスト者として『平和』について考えてみました」と題してお話しくださいます。時宜にかなっており、私たちメンバーひとりひとりが真剣に向き合わなければいけないテーマです。わが国は、第二次世界大戦後、再び悲惨な戦争を起こし、取り返しのつかない失敗を繰り返すことのないよう平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久平和は、日本国民の宿願です。そしてこの平和主義の根幹をなすのが、日本国憲法は第9条であり、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定が置かれていています。
 しかし今、この憲法解釈が変わり、やがて改憲の方向へと進んでゆくかもしれません。ニーバーの祈りを持ち出すまでもなく、私たちは「変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵」を求められています。
 意見交換の際には、平和への思いを、できればみなさんの体験もまじえ、語っていただきたいと思います。議論が盛り上がることを期待しています。
 後半は4年目を迎える私たちの会の活性化について、みなさんからご意見をいただきたいと思います。社会再生学会は3年間の活動を通じ、計16回の研究会を重ねてきました。設立時、年度内に5~6回研究会を開催することを目標にしてきましたので、会の運営はうまくいっていると思います。偏にみなさんのご協力のおかげです。
 ただしこのところメンバーが固定化し、新入会員が獲得できていません。また、ブログのアクセス数が10の壁を越えられないことも、会の停滞を象徴しているように感じられます。こうした折、ふだんよく接している会員から、本研究会の新たな取組について、話し合う機会を設けてはどうかというご提案をいただきました。そこで、第3年度の最後の研究会でみなさんからアイディアを募り、7月からスタートする第4年度に備えたいと思います。
 具体的には、会員数とブログのアクセス数増加のための対策、広報活動、見学会開催など、研究会以外の催しの実施方法について、ご相談したいと思います。できれば、参加者全員のご意見をいただきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

【プログラム】

13:30~15:30  大西和明(元関西学院大学職員)
「キリスト者として『平和』について考えてみました」
15:40~17:00  
「社会再生学会、一層の活性化を目指して」 (意見交換会)


(寺本益英)

社会再生学会、第4年度の活動に向けて

 すでにご案内のように、5月24日(日)に社会再生学会の第16回研究会を開催し、第3年度の活動を終了することなります。大西さんにご報告いただいた後、会の一段の活性化について、意見交換を行いたいと思います。
 まず学会の活動目的ですが、シンプルにいうと、社会全体の幸福度と、個人の幸福度を高めるため、「市民感覚」を重視した研究と実践活動を行うということになります。これまでは発表を中心に会の運営を行ってきました。現メンバーは(予定者も含め)全員1~3回話題提供していただいております。この方針は、今後も継続してゆきたいと考えています。
 また研究発表の際は、「市民感覚」を大切にしてきました。私たちの研究会は、アカデミックな厳密性を追求するつもりはありません。日ごろのニュースや新聞記事から得た情報に対するコメントや、旅行記、最近読んだ本の読後の感想などを、平易な言葉で伝え、会員全員が問題意識を共有するというスタイルをとります。本会が目指すのは、「経済・社会をよりよくすること」ですが、目標実現のカギは、一般市民の素朴な思いの中に隠されているのではないでしょうか。
 「 実践活動」とは、私たちの主催企画を想定しています。当面は冊子か本の発行を目標にしてきましたが、私が校務多忙であったため、まだ実現していません。なるべく早く原稿のとりまとめを行います。その他にも色々可能性はありますが、財務基盤を強化し、会員数をもっと増やしてから、話し合いたいと思います。
 ここで私たちの研究会で取り扱うジャンルを挙げてみたいと思います。以下の領域を想定しています。
① 政治・経済・外交
② 歴史・文化・宗教・趣味
③ 医療・健康・食育
 会員の顔ぶれから考えると、大まかには上記3本柱でやってゆけると思います。
 最後に、本会に集うメンバーは「同袍(どうほう)友有り 自(おのづか)ら相(あひ)親しむ」でなければいけません。この精神をどう具体化すべきでしょうか。簡単なティータイムや、懇親会、見学会などによって、実現可能です。みなさんから提言いただき、なるべく実現してゆきたいと思います。

(寺本益英)

部活辞めるってよ。

こんにちは!!
経済学部2回生の長澤公大です!!

雨が降ると蒸し暑くなりますね。
この中でサウナスーツを着て1時間走ると汗だくになります
それから、小雨の中半袖Tシャツで原付に乗って買い物に行くのは、めっちゃ気持ちいいもんです。風邪とか気にしなーい(笑) しかし、帰りは雨が強くなり気持ちいいでは済まされなくなってしまいました。
帰って暖を取って、TSUTAYAで借りた『桐島、部活辞めるってよ』を観ながらブログ更新してます。

今日の話題は・・・真面目に『日米安保』について

先日、アメリカで安倍総理が日米安全保障条約の強化を明言しました。
そして日本での記者会見では、次のことがポイントとなりました。
 
 『日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありません

う~ん・・・気になりますね。 そんなこと言って大丈夫なんでしょうか。

アメリカでは条約の強化を約束しましたが、日本では戦争とは関わらないと・・・
日本ではそれが通じても、アメリカと敵対する国は、そんなこと関係ないですよね。武器を供給してたら日本は当然 根を絶つ感じで巻き込まれるでしょう。 だから絶対とは言えないですよね~
あと、日本がアメリカから救援を求められたら断ることができるでしょうか?仮に断れて、次・・・僕らの世代で断れるでしょうか? その場しのぎの政治にしか正直見えませんが・・・

そしてもう1つ、秘密情報保護法により内容があやふやなこと。
記者からの質問に、煙を巻くような返答しかしないので、内容が全く国民に伝わらなくなってしまいました。
この秘密情報保護法に関して、私たち国民にとってはどうなんでしょうか?
実際私たちの秘密がどうなったとかは関係ないですし、お偉いさんの都合がいいようになっているだけの気がします・・・

あかん。映画観てたら何書こうか忘れてもーた。
この映画・・・ 日本の映画で 僕の中でベスト3に入るかも(′∀`)
面白いですよ~


僕の周りでは、次々と20歳を迎える人がいます。
日付が変わった今日、1回生の時基礎演習が同じだったサッカー部のH君がハタチになりました!!
僕ももうすぐだなー

野球部の先輩が『20過ぎたら体にガタが出るぞ』と言っていました。
天気が悪い時偏頭痛になったりするのはそのせい?

とにかく、大人の階段登りたくない長澤です。

なんか、正直全然集中できませんでしたが、久々の更新でした。ありがとうございます。

ではでは、おやすみなさーい。
さらばじゃーー!!


経済学部2回生 長澤公大

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題名 『祈願』 研究演習ゼミ受かりますように・・・(≡ω≡.)

西洋に翻弄され続けた「中東イスラム」の一考察 (5)

 中東地域での宗教は、最初に「ユダヤ教(聖典は旧約聖書)が生まれ、次に同じ神を信仰する「キリスト教(聖典は旧約聖書と新約聖書)」が生まれます。

 その後6世紀頃に、最後の預言者として、神が直接「ムハンマド」を選び、肉体を通じて啓示(語り掛け)された言葉を、書き留めてまとめた言行録「ハディーズ」が、イスラム教の聖典コーランになります。  

 その教えには、「キリスト教」や「仏教」が、神や仏の前では、皆平等であるのと同様に、「イスラム教」でも「神アッラー」の前では平等です。神の前では、民族を超えて万人が平等との考え方があり、ユダヤ教の預言者(モーゼ)、キリスト教の預言者(イエス)も預言者として認めています。 

 さらにイスラム教では、ユダヤ教やキリスト教の事を「啓典(聖書)の神」、つまり同じ神を信仰する人々と呼ばれています。

 キリスト教や仏教の教えは、それぞれの弟子が後世に書き記した聖典や仏典に基づいていますが、イスラム教は、直接の啓示である「神の言葉」を、肉体を通じて啓示(語り掛け)された「聖典コーラン」であり、人間の手で勝手に変える事は出来ません。

最も神聖なものとして接し、決して軽んじたりせず、当然の事ながら外部からの侮蔑や中傷、冒涜等もっての外なのは、言うまでもありません。
 ここでイスラム教の教えを示します。

① 神は唯一絶対の神である。

② 世界は神によって創造された。

③ 偶像崇拝はしない。

④ 人間は罪人である。
⑤ 神は慈悲・恩寵・力に満ちた方である。
⑥ 神の前には民族を超えて万人が平等である。
⑦ 人は終末の日に最後の審判を受ける為に復活する。そして、神は万人を正しく裁かれる。
 キリスト教の教えとほぼ同じで、最後の審判があり、人は天国と地獄に振り分けられます。
 ただ
し、神に対しては、「絶対帰依」を説くのみで、他宗教の様に、「罪と滅亡から救う為に降臨された救い主(メシアや如来)」は説きません。
 「モスク」寺院、又は礼拝堂、集会場では、「偶像崇拝」禁止の為、モスクの中は何もなく、只、部屋の壁にメッカの方向を示す「凹み」が作られている様です。


(西村正美)

西洋に翻弄され続けた「中東イスラム」の一考察 (4)

・「礼拝」は一日5回を「聖地メッカ、ムハンマド生地」の方角を向いて行います。

・「断食」は、ラマダン月(太陰暦に基づき一年に一度一か月間)に、日の出から日没まで行われます。

・「喜捨」は、裕福な人が貧しい人に「金品」を分け与えなさいと言う事です。

この行為をする意義は、「来世」に救われると言う考え方があり、イスラムでは「儲ける事」、「財産を貯める事」を良しとしない、卑しいとするもので、逆に分配する行為で、神からの最後の審判を受けた時、天国に導いてもらうものです。

 「義務」としての「喜捨」を「ザカー」と呼び、「自発的」な「喜捨」を「サダカ」と呼びます。

例えば、銀行は、預金の運用益を「喜捨」的事業に使用します。これは、イスラムの銀行に預金する事で、間接的に「喜捨」した事になると言うものです。

 「仏教」で示す所の「比丘や比丘尼(僧)」に応じる「托鉢」や、「六波羅蜜(この世で生かされたまま仏様の境涯に至る六つの修行で、波羅蜜とは、彼岸の悟り:涅槃の世界の意)」での、「布施」に相当すると思います。

因みに、「六波羅蜜」の他五つは、「持戒」・「忍辱」・「精進」・「禅定」・「智慧」になります。

 また「聖職者」は存在せず、信者は全て平等で、「イスラム法」の専門家である法学者(ウラマー)は聖職者ではないと言う事です。キリスト教では、「司教や司祭」、「神父や牧師」と言われる聖職者がいます。

 イスラム社会は、イスラム神学やイスラム法学の学識を尊敬します。学識があれば、お互い敬意を持って意見交換する事が出来るのが、イスラム人の根底にある様です。

 加えて、同じイスラムについて、きちんとした知識を持たない一般のムスリムから見て、得心・納得出来るなら、学識とその人の「徳」が、自ずと人々から尊敬を集めていきます。

(西村正美)

西洋に翻弄され続けた「中東イスラム」の一考察 (3)

 さて今日は、イスラム国の宗教について、見てゆくことにしましょう。

 私たちの生活環境の中で、宗教関連を見渡すと、「神道」を除き、渡来宗教である「仏教」や「キリスト教」での仏閣・寺院は多々目にしますが、イスラム教のモスクはあまり見かけません。 

 世界三大宗教の一つが「イスラム教」です。信者数は、中東のみならず、インドネシア等東南アジアを含めれば、15億から16億人(世界人口約70億人の約23%)と言われています。ちなみに、キリスト教徒は、225400万人(約32%)。仏教徒は、3億8400万人(約6%)です。 実は、仏教徒より多いのが「ヒンズー教徒」で、91400万人(約13%)です。  

 イスラム教信者の挨拶は、「アッサラーム・アライクム」です。意味は、「あなたの上に平安や平和があります様に」と願いながら言います。それへの返答は、「ワ・アライクム・サラーム」です。意味は、「あなたの上にも平穏や平和があります様に」と同じく願いながら言います。

 また、「イスラム」とは、「神アッラー」に帰依する意で、心から深く信仰し、その教え「聖典コーラン」に従い、生活するものです。イスラム教徒は「ムスリム」と言い、神に帰依した人々となります。その教えには、「六信五行」と言うイスラム教信者の実践義務があります。なお「六信」とは、「神」・「天使」・「啓典コーラン」・「預言者」・「来世」・「天命」を信仰すること、「五行」とは、「信仰告白」・「礼拝」・「断食」・「喜捨」・「聖地メッカ巡礼」の実践を言います。

(西村正美)



西洋に翻弄され続けた「中東イスラム」の一考察 (2)

 アメリカは2003320日にイラク戦争を仕掛けます。この戦争の大義は、イラクに「大量破壊兵器」があり、自国内の議会等で兵器の存在を断定させ、最も危険と判断させて国連へ武力攻撃を容認させています。

 しかし結果的に、大量破壊兵器はどこにもなく、後にアメリカ中央情報局の画策と判明し、ブッシュ大統領も認めています。当時の小泉純一郎元首相は、その事には一切触れていません。  

 アメリカは、アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻以来、日本への支援を要請し続けており、結局、その後、日本からは、巨額の資金援助(13,000億円:庶民の税金)を圧力により拠出させています。「ショー・ザ・フラッグ」を示せとの理由で。

 加えて、「憲法」論議も曖昧なままで、自衛隊による「サマーワ」へのPKO派遣で後方支援活動を実施させているのが実態です。

 この様な状況下にある事を認識して、今後、拍車を掛けていく日本の外交(防衛)政策には、国民への危険性が無制限に及ぶ恐れがあります。

 更に、国家による税金の使われ方が、軍事防衛関連へ注ぎ込まれ、軍備増強へと、国民の安全・安心確保の為と称して、知らない間に巨額な投入を図っていく可能性も否定出来ません。

私たち一般生活者にとって、政治・政策の考え方によって、命運が大きく左右されている事を自覚し、将来への生命に関わる危機予測に対し、常に注視し続ける事が肝要ではないかと思います。

(西村正美)

 

西洋に翻弄され続けた「中東イスラム」の一考察 (1)

自然に恵まれながらも、様々での生活資源が乏しい日本は、現在もエネルギー資源(石油・天然ガス等)のほとんどを中東産油国に頼っています。 

中東諸国に何らかの関わりを持つ企業やODANPONGO等、専門的な関係者以外は、私を含めて多くの日本人が、中東諸国の内実に関心を示してこなかったと思います。

それが、ここ最近注目される様になったのは、2015120日に日本人2名の誘拐人質事件が発覚してからではないでしょうか。

 実は、2014年秋以降には、既にこの人質拘束事件の情報が政府関係筋では入っており、結果的には最悪の事態となっています。
この様な結末に至ったのは、政府内部状況(12月統一地方選挙?)とアメリカ等西側外交上(テロ首謀者の条件には応じない?)対応での思惑が働いていたのではと思います。
 特に、中東の事が大きく報じられたのは、2001911日に突然勃発したアメリカ同時多発テロと主犯と断定した「アルカイダを率いるウサマ・ビン・ラディン組織」への攻撃開始した2001107日のアフガニスタン侵攻からで、この攻撃により、アフガニスタン国内の治安や秩序を混乱状態に陥らせ、今日に至るまで、パキスタン武装組織「タリバン」を含むイスラム過激派勢力によるテロの増幅を助長させる結果となっています。
 アメリカ等西側参戦国は、地上戦と空爆による一般市民への誤爆等を行い、破壊による被害の拡大で収拾どころか、憎しみの連鎖が続いている現実があります。
 イスラムでは、特に子供と女性への外的要因による死亡(暴力や暴行、爆死)に対しては、恨みや憎しみの特別の憎悪を持つとされています。 

 その22年前の19791224日には、突如、ソ連軍がアフガニスタンを支配しようと侵攻しています。その理由には、アフガニスタンの一部勢力に社会・共産主義思想の芽生えがあるとして、強引に軍事加担します。

 この戦時下での約10年間(~1989215日)をソ連軍に抵抗すべく、隣国親パキスタンの協力の下、タリバン(本来、学生の意)を戦士として、育成していきます。

 戦士育成の陰には、ソ連と冷戦状態にあるアメリカが関与(武器・資金等供給)していた可能性があります。

(西村正美)

「日本国憲法」その歴史的背景と意義について (4)

改憲を主張する「押し付け論者」の思惑(狙い)は、常に、国家が国民を監視と統制する側に回り、国家の都合のいい様に「憲法」を改変し、危ない方向へ導こうとします。 

 国際紛争の解決策として、集団的自衛権を行使する事は、「武力攻撃」があらゆる地域で許される事態となり、発動が容易になり、人命(派遣隊員)軽視につながります。そして、戦闘地域では、多大な犠牲とともに、収拾の目処さえ立たず、泥沼化による際限のない地域荒廃と難民増加に拍車を掛けていきます。 

もはや従来の日本近郊での専守防衛に重きを置かず、日米安保協定による同盟強化を積極的に推進していく事が積極的平和に資すると考え、世界に関わる多くの日本人(派遣隊員のみならず、現地生活者や海外渡航者、巡り巡って国内惨事等)が、どれだけ危険性を伴うかを振り返ろうともせず、アメリカと歩調を合わせ、軍事力増強と集団的自衛権行使での派遣地域の軍事活動範囲が無制限に拡大させようとしています。 

 さらに、「集団的自衛権」発動の恐ろしい所は、派遣地域が決定すれば、国連決議とは無関係に、日本国防衛を超越して紛争地域等他国で武力行使する事が可能となります。 

 例えば、ベトナム戦争(196012月~1975430日)の約15年間での双方の犠牲者(戦死者・行方不明者)は、民間人を含め、800万人以上と言われています。この戦争に加担したアメリカは、国連に対し「集団的自衛権」を行使して参戦する旨報告しており、もし、その時代に日本が「集団的自衛権」を決定していれば、必ず、南ベトナム(資本主義陣営)へ参戦させていたでしょうし、泥沼化する現地での、計り知れない犠牲者が出ていたのではないでしょうか(どちらも悲惨ですが、南ベトナムが敗戦します)。 

 私たちは、大日本帝国憲法の下ではなく、日本国憲法の下で生活しています。この事で、国内は言うに及ばず、諸外国に対しても日本国憲法に照らした国家観により、行動しており、それが、信用と信頼、より良い評価へとつながっています。つまり、戦後一貫して、武装(武力)による紛争や戦争地域へは、決して参加しない事で、厚い信頼関係を築いてきた実績を最も重視する必要があると思います。 

激変する将来に向けて、安心・安全な世の中をどうすれば構築出来るのか、平和の形をどの様なものにすればいいのか等、「日本国憲法」の意味する所、誰の為の憲法なのか、熟考が求められています。その中で、憲法第9条が示唆している意義と役割について、一部政治家に任せるのfではなく、国を挙げて議論しなければいけません。再び、戦前に戻らない様に、国民ひとりひとりが自問自答し、国家の動向を厳しく見ていく必要があるのではないかと思います。

(西村正美)

「日本国憲法」その歴史的背景と意義について (3)

 日本政府は、この草案に基づいて再度検討し、修正を加えます。その中身は、「国民主権」導入を曖昧にする為の翻訳工作や、外国人の人権保障の規定の削除等、少なからず抵抗したと言われています。

  松本烝治委員長調査委員会の修正草案を、「極東委員会(FEC)」やアメリカ本国へGHQがそのまま提示すれば、各国の激しい攻撃を受ける事は目に見えており、その時点で天皇の戦争責任への糾弾が必至で、回避する事は不可能であり、最悪の場合、「天皇制廃止」への猛攻につながりかねない状況にあったのです。

 「日本国憲法」成立において、当時の背景の中に、天皇制を維持、存続させる為の切羽詰まった努力と攻防があったと思います。

 この事からも分かるように、要するに、日本政府指導部の草案では、「国民主権」や「民主主義」への憲法改正転換が出来なかったのです。
 この日本政府指導部の実態を直視し、GHQは、もし日本政府がこのGHQ草案を日本国民に公表しない場合には、GHQ自ら公表する旨、通達しています(何故なら、大日本帝国憲法では、国民には一切知らされる事なく制定された事実があり、これこそが当時として人権を無視した国民に対する押し付け憲法になっています)。 
 その後、1946626日の衆議院本会議において、当時の吉田茂首相は、国会質問の中で、「憲法第9条は、自衛戦争も放棄した。従来、近年の戦争の多くは自衛権の名に於いて戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」と述べています。  
 かねてより、「日本国憲法」は「戦勝国の押し付けである」と主張する政治家や学識者等がいる事は、前段に述べています。特に、改憲推進の根底には憲法第9条の変更を企図しており、戦後70年もの間、貫いてきた「日本国憲法」の意味、意義、効力等をあまり理解しようとせず、ひたすら「押し付け論議」を展開している様に見えます。その主張の主なポイントを取りまとめると、以下のようになります。

● 「日本国憲法」は押し付けられたものであり、「自主憲法」がなければ、真の独立国とは言えない。

● 諸外国では、時代の変化に合わせて改憲している。

● 他国の信頼によって、自国の安全を確保すると言う「憲法前文」は、おめでたい考え方である。

● 専守防衛では、時代にそぐわない。

● 自衛隊がなければ、日本の防衛はどうするのか。「個別的自衛権」では不十分である。

● 紛争解決の抑止力として、無制限に活動出来る「集団的自衛権行使」は必要である。

(西村正美))


 


「日本国憲法」その歴史的背景と意義について (2)

未だ、戦時中の規範が染みついている敗戦当初の実態の一例を示します。

○ 194593日、当時の山崎内務大臣は、「政府形態の変更や天皇制廃止を主張する者は、全て共産主義者と考えて、治安維持法によって逮捕される」と述べています。
○ 1945926日には、「治安維持法」違反者の逃亡をほう助した容疑で、豊多摩刑務所に収監された哲学者の三木清氏が獄死させられています。○戦時中、共産党員であった徳田一球氏は、投獄中の恩赦も撤回され、獄中、丸18年を過ごし、19451010日に釈放されています。
 *「治安維持法」が適用された期間は、1925422日から19451015日です。
 天皇は君主として、道義的責任のみならず、政治的にも戦争責任があり、ナチス・ドイツのヒットラーやイタリアのムッソリーニと並んで、侵略戦争を牽引してきた事実として、決して否定出来ないからです(大日本帝国憲法下では、天皇のみ統治権及び軍隊を指揮監督出来る最高権限である統帥権を総攬していました)。
 そこで急きょ、GHQ主体で憲法草案(民主主義国家の樹立憲法)を作成します。趣旨は、今後、日本はいかなる場合においても、他国を武力侵略しないと言う法的保障を作り上げる事を大前提として、「極東委員会(FEC)」やアメリカ本国の強い意向での「天皇制廃止案」行使を踏まえつつ、反面、日本人の天皇に対する心情、深い思慕を鑑み、天皇制廃止により、長期的復興への足かせ(混乱)状態になるのを懸念して、結果的に「天皇の地位の保障(国体護持)」を考慮され、廃止勢力を如何にして説得するかを、タイミングと迅速な行動により、天皇制の存続に至らせます。
 日本国は、「天皇の地位を確保」する事で、天皇の戦争責任を免責にして、日本国憲法前文に「平和主義」を示し、第2章「戦争の放棄」に第9条の内容を本文に入れます。そして、1946213日には、GHQの憲法草案が「日本国憲法」として日本政府に公布されます。

(西村正美)

「日本国憲法」その歴史的背景と意義について (1)

 日本国憲法については、過去にも述べていますが、人それぞれに意見や捉え方が異なります。究極的には、自主憲法による改憲を希望される方もあります。

 しかしまず確認出来る事は、戦後新憲法の下、約70年間、立憲民主主義に則り、現在の生活基盤、及び社会環境が出来ている事です。それにも関わらず、この憲法を改憲しようと長年考えている政治家や学識者等の本音では、「日本国憲法は戦勝国の押し付けである」という思いがあります。

 「日本国憲法」の意味するところは何か?、またその意義や役割は?、誰の為の憲法なのか?、旧憲法との違いは何なのか?、時代背景は如何に?、等々考えるべき課題は山積です。

 そもそも、国の根幹を成す「憲法」を、軽軽に判断出来ません。 「押し付け論」の前に、自ら、現憲法の隅々までを理解した上で、考え方や意見を持ち、自国の進むべき道を発展させる事が出来ます。憲法こそ、私たち国民が無関心であってはならないものです。
 ここでブログをご覧のみなさんに、次の質問を投げかけます。
どちらを支持しますか。

 「大日本帝国憲法」下の生活と、「日本国憲法」下での生活のどちらを選びますか。あるいは、天皇主権と民主主義を伴う国民主権とでは、どちらを希望しますか。

 多くの束縛を伴う自由意思の限られた前者の生活と、あらゆる可能性にチャレンジ出来る後者の生活とでは、どちらを選択しますか。

 ところで以前述べたように、「憲法」と「法律」とは、全く異なります。歴史を振り返ると、 日本は、「ポツダム宣言」を無条件で受諾して、1945815日に敗戦を迎えます。その後、連合国GHQ(ダグラス・マッカーサー主体)による戦後処理を数年間にわたり執行されます。

 「ポツダム宣言」は、日本が民主的かつ平和的な政府が樹立されるまでGHQが占領統治を継続します。その時、国の根幹を成す「憲法」も、戦時中までの「大日本帝国憲法(欽定憲法)」を改憲する必要があり、当時の日本政府指導部や有識者により「新憲法草案」を指示します。しかしながら、実際は、政府指導部は、この戦争責任を果たすべく国際社会からの強い要求に対して、大日本帝国憲法の全面見直しではなく、一部修正したものを草案作成します。 

194510月、GHQの指示により、松本蒸治氏を長とする「憲法問題調査委員会」で検討会を開始させます。この中での改憲改正案は、「主権在民」ではなく、大日本帝国憲法の天皇主権を変えず、又、佐々木惣一氏も内容は「天皇神権論」であり、国民主権や民主主義を取り入れません。つまり、大日本帝国憲法にある、天皇が統治権及び統帥権を総攬する事には、何ら手を付けず、議会の権限を若干拡充し、国民の権利や自由の保障を少し広げた程度に留めています。
 ところが、194621日、毎日新聞記者により、松本烝治委員長調査委員会の「憲法草案」がスクープされます。 これを知ったGHQ関係者は、日本政府指導部に対して、国際認識の甘さと強い憤りを示したと言われています。

(西村正美)

沖縄・基地問題について考える

 最近の政府の動向をみていると、民意の軽視、場合によっては無視の高圧的態対応が見受けられます。とりわけ気になるのは、原発放射能汚染問題と沖縄米軍基地問題ですが、今日は基地問題について考えたことを述べてみます。

 沖縄の今日までの米軍基地配備については、先の大戦では、本土決戦に向けての盾(捨て石)となった惨状から、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争によるアメリカ軍の戦略的軍事拠点としての活用、さらに遡ると、琉球王朝期には薩摩藩よる併合、明治政府の帰属に至ります。

 「ウチナンチュー」と「ヤマトンチュー」。全く異なる歴史と文化を持ちならが、先の大戦の犠牲がそのままの形で戦後70年の今日に至るまで、傷痕を残したまま現実進行しており、全く戦後が終わっていないのが沖縄です。

 日本国土の約0.6%しかない土地に、約74%もの米軍基地が存在する異様さを、本土から離れている私たちには想像がつかないのが現実です。  

 戦後も居座り続ける占領下の米軍の存在が、一部の米軍基地就労者の雇用のみに関心が寄せられています。しかし、沖縄の潜在資源である美ら海と島ンチューは、世界でも屈指の自然豊かな産業(特に観光・レジャー)になりますが、その活用を妨げているのが広大で危険極まりない米軍基地です。

実際に基地以外での産業発展と雇用創出規模試算では、数百倍以上の可能性があると言われています。今は、本土より、諸外国からの沖縄観光が増加しており、24時間のハブ空港も視野に入れ、中国を中心に東南アジア圏では、2時間圏内の好立地に恵まれています。沖縄振興は、基地ではなく、正に自然環境を活かした「観光・レジャー」を中心に、人的・物流拠点を目指す方向が最適ではないかと考えています。

言い換えれば、私たち本土に住む者と日本政府が、沖縄県民の自立を妨げているのを認識すべきだと思います。 また、日本政府は、アメリカに対し、毎年「数千億円の思いやり予算」を与え、更に、暗黙の了解とも取れる「日米地位協定」による「治外法権」的従属姿勢は一向に改善されず、沖縄県民の我慢にも限界で、随所で怒りが爆発しています。  

私は、今後の沖縄県民の動きは、辺野古への代替基地建設阻止をもって、もはや泣き寝入りはしない方向へと進んで行くものと察しています。基地がある事で、過去幾多による事件や事故による犠牲者が発生していますが、日本政府の対応は全てアメリカ依存となっています。政府の沖縄県民に対する高圧的、支配的扱いを是正しない限り、益々、反感と反発、怒りの増幅により離れていく事になるでしょう。たとえ、代替基地が強引に建設されようとも。

 この様な状況を、この先も強いられ、知らない間に、アメリカの軍事世界戦略に巻き込まれていく実態を、誰が望むでしょうか。もはや、基地もアメリカもいらないのが沖縄県民の本音だと思います。沖縄の負担軽減とは、原発立地と同じ様な「危険手当的財政支援」をするのではなく、基地除去への軽減を積極的に推進する事、日本国土には、米軍基地は移設を含め、これ以上作らせない事を明言出来なければ、益々、国民と国家の間の乖離が進む事になるでしょう。
 「防衛の考え方」は、ただ単に、軍事力だけではないはずです。もっと、真剣に考える時代に来ているのではないでしょうか。 例え、世界情勢が混沌としていても。
 武器を持てば、敵と見なされます。やれば、やり返されます。前に出る事も必要ですが、出ない事の方が、もっと重要ではないでしょうか。過去の紛争や戦争で収拾のついた試しはありません。常にどこかで燻り続け、恨みや憎しみの連鎖は、永遠に続くからです。

(西村正美)


ネコさん・・・ちょっと手貸してくれない?

こんにちは! お久しぶりです
経済学部2回生になりました。 長澤公大です!

久々の投稿です。全然投稿しないし、最近の僕の投稿内容が薄いと親から苦言を呈されてしまいました(T▽T)
最近はいろいろなことがあって忙しい日々です。新学期の履修が厄介で、部活ではリーグ戦にアルバイト・・・。猫の手も借りたいものです。

内容のある投稿ですか・・・何しましょう?

まず、話題のジャンルを何しようか・・・ 経済、国際、政治、スポーツ、芸能、科学・・・
じゃあ、真面目に政治といきますか!!

最近、政治のMyニュースになっているのは選挙。これに関しましては、某新聞社の選挙関係の仕事に就いているので、ちょっと興味がある話題ですかね(笑)

もうすぐ地方統一選挙も行われます。もうすでに、期日前が始まっていますが、僕の地元の静岡でも行われます。静岡市の現在の問題は人口の減少でしょうか?とりあえず100万都市を目指しているみたいですが、僕の個人的な意見では、どうして100万都市にする必要があるのかなと・・・。現職の議員さんは簡単にまとめると『ここの生活水準の上昇』という感じでしょうか?『100万都市に!』というのは新人議員さんの意見のようです。現在の静岡市は確かに人口の減少が問題になっていますが、人口増加を目指したりするというより、人口減少に歯止めをかけて過疎化に歯止めをかけるには何をするべきなのか? ということの方が大切な気がするし、人口減少⇒少子化 この問題を解決するのに、家庭個々の生活水準上昇に努めるべきではないかと・・・。
静岡市は50万人以上の市民がいる政令指定都市です。この静岡市という全国から見たときの立場を維持するには、人口増加より減少に歯止めをかけるほうが先のように感じます。

こういった人口減少は静岡市だけの問題ではなく、もはや日本全体でも問題になっていますから、今回の選挙でも一つポイントになるのではないでしょうか?

まあ何だかんだ言っても、最近の政界はピリっとしません。
有権者の関心離れや、維新の党の上西議員の除名問題。 決して議員さんだけの問題ではなく、我々国民も参政権がある以上、そろそろ政治と向かい合わなければならないと思います。お偉いさん任せではいけません。

今回の話は、これまでです(´・ω・`)


今回の長澤のフリータイムは・・・高校野球
先日行われた、春の選抜高校野球で母校がベスト8という成績!! なんと嬉しいことでしょう。
負けてしまったのも、優勝した敦賀気比高校にサヨナラ負け。雨の中本当に頑張ってくれました。
甲子園でしかも選抜で勝ったのは本当に久々で、甲子園で校歌を歌えたのには感動しました(T▽T)

夏、春と出場を果たした後輩たち、本当に誇りに思います。
夏はきっとリベンジを果たしてくれると思います!! 頑張れ静高野球部!!

1回戦 対 立命館宇治高校 7-1
2回戦 対 木更津総合高校 4-2
準々決勝 対 敦賀気比高校 3-4



今日はメチャメチャ寒かったです。
皆さん体調に充分気をつけてくださいね~ヽ(*´∀`)ノ
あ~ 明日フル授業で、バイトもヘルプだ・・・ 寝よ寝よ

それでは皆さん さらばじゃ!!

経済学部2回生 長澤公大

DCIM0593
↑ 『2回戦勝利の校歌(^O^)』

幸せの社会再生学・社会再生美学(7)

🌸遠江島田の「帯桜」の開花の知らせで春の予感を感じ、しだれ桜の満開の下で雅な気分を味わうことができる春の季節。この春うららかな日本的情景は、感性的に再生・新生スタイルを学ぶことができる事象でもあります。
🌷さて、2014年度の課題研究講座の活動報告ですが、講座名は「ソーシャルデザインと美学」でした。キーワードは、「」&「健体康心(健康)」&「」です。校外研究活動としては、次のような展開となりました。
○5月 ・ポートターミナルで外国チャータークルーズ船
            出港の送迎観船
         ・神戸北野坂にあるギャラリーで芦屋在住の
             洋画家の個展鑑賞 &ヨーロッパ絵画紀行と
             洋画美のエッセンスについてのお話を会話
             を通じて拝聴
         ・須磨離宮公園で王侯貴族のバラ園鑑賞&
             アスレチックコース散策
○6月 ・大学大学院経営学研究科教授による講義
          「社会福祉法人の事例で考える経営者の役割」
            を受講
         ・ポートアイランドで、神戸医療産業都市
             推進本部による医療産業都市構想について
             の講義受講&構想地域展望
         ・大学医学部附属病院薬剤部にて
           「チーム医療」についての講義受講と
              薬剤部・院内見学
         ・ポートアイランドで開催された
           「国際フロンティア産業メッセ2014」を見学
○9月  ・神戸元町に開店した新しいスムージー専門店
              への取材
○11月 ・神戸メリケンパーク南東広場にて展示された
              花のある暮らしの素晴らしさを普及させる
              イベント「KOBE FLOWER HEART
            (神戸フラワーハート)
               〜神戸の花であなたに あの人に幸せを〜」
               の花壇アートを鑑賞&旧居留地散策
🎓上記校外研究活動をもとに、コンセプトメイキングを実施。その結果最終的に考案された提案コンセプトは、
目指せ! 健康美学都市 神戸」でした。地域の身近な自然的・文化的資源を新しい美的コンセプトで再認識し、地域居住環境そのものをより健体康心の維持に適したホスピタリティあふれる生活空間にデザインし直していきましょうという目標理念です。
🔮高齢社会が急速に進行し、健康寿命延伸社会の進展が期待されている今日の日本では、各地にある公共空間をより洗練された美的環境に再生デザインし、より楽しく親睦交流できるところにしていくことが急務となるでしょう。健体康心文化の発展には、自愛精神を醸成し、自己治癒力を維持するような生活感性と、美的情操力をパワーアップさせる生活環境の整備が必要です。
💞古来より「医は意なり」「病は気から」といわれていますが、心というソフトウェアシステムの維持・再生には、2つのイガク(医学と意学)を「情報の流れ」という視点から、さらに総合的に研究を深めていくことが大切だと思われます。意学は、知・情・意というコンセプトと真・善・美というコンセプトとの関係性でとらえると、美学と両輪で研究成果が発揮できると考えられます。また、豊かな善美的情操性は、「慈立」という心的態度を生み、Give&Give志向のソーシャルデザインと経済システムの成立につながると考えられます。そしてまた、慈立は、不完全の美の世界よりも完全の美の世界において成立する方が、平安な社会をもたらすと思われます。

(島田  融)

🍒幸せの社会再生学・社会再生美学(6)

地下鉄サリン事件から20年 -我々はどのような教訓を得るべきか-

20年前の今日、何の予告もなく、突然数千人が同時に事件に巻き込まれる事態が、大都会の通勤時間帯で発生しました。1995320日(月)午前8時頃、東京(地下鉄3路線5車両内)で、通勤客を狙い無差別サリン攻撃がオウム真理教により行われた日です。死者13人、重軽傷者6300人以上で、今も多くの人が後遺症に苦しめられています。

 この事件は、大都市に生活圏を持つ人たちのみならず、世界全体を震撼させました。

 これより9ヵ月前の1994627日未明には、28日の早朝にかけて長野県松本市内の住宅地でサリン事件が発生します。これは、外部へ噴霧出来る装置を付けた改造トラックにより、周辺に無差別噴霧させた事件です。死者8人、重軽傷者660人以上で、一般住民に使用しました。

 現場の人たちは当初、何が何だか訳が分からず、ご夫人が被害に遭いながらも情報提供した河野義行氏は、警察や報道機関への丁寧な説明にも関わらず、犯人扱いされ、オウムの仕業と判明するまで、執拗に身辺調査をされていたとの事です。また同時に、世間からも白い目で見られる事になります。これは、「冤罪未遂事件」、及び、「報道被害事件」としての教訓になっています。

 あれから20年を経過した現在でも、名称こそ異なるものの、オウムの教えを踏襲するとされる「アレフ」や「ひかりの輪」教団に活動を移す信者は、数千人とも言われています。 

 一方で、彼らは、信者獲得の為に積極的な活動を実施しており、表向きは「ヨーガ教室」や「ダイエット健康法」等の看板を掲げ、主に女性や若者をターゲットに興味を引き付ける企画で勧誘している様です。

 オウム真理教による事件を知らない年齢層では、勧誘により体験していくうちに、指導者の行う態度や言動に共感させられて、又は精神的支柱を得たとして入信する人が増加しつつある様です(1年間で約100人と言われています)。

 一面、現在世界各地で無差別に殺戮を繰り返す、イスラム過激派組織「イスラム国」のやり方と酷似しているのではないでしょうか。若者に興味を持たせ、入信すれば、絶対服従を誓わせられ、洗脳(ジハード)により次第に抜け出せない様に縛り、遂には有無をも言わせず与えられた戦場に送られます。脱退しようものなら殺される運命にあります。

 特に、生まれた時から物質的豊かさを受けてきた現代の若者に、それ程多くはないと思うものの、目指す目標を失い、時の流れに身を委ね、最終的には刹那的(流行に乗り遅れない様、今が楽しければよい?)な生活に陥る可能性や危険性があり、その反面、突如、刺激的な事物に遭遇すると、盲目的に引き付けられていく要素も否定出来ません。 

 たとえ、一部でもその原因が、個人を取り巻く背景(家庭環境や生活環境、社会環境)にあるとしても、将来の夢や希望、生き甲斐等を探求し、実現していこうとする意志、あるいは、価値観や人生観の醸成、個人と社会とのつながり等、厭世等での関わりの無い生活を希求しない限り、日々不安定要因での解決策を見出さなければなりません。  

しかしながら、精神力を伴う対応力や応用力、リセット力がなかなか見出せずに、安易な友達や、携帯モバイル等でのつながりに終始し、真剣な相談者を得る事なく、本心では一人孤独の中で悩みながら、もがいているのではないかと推測しています。 

 自立心、忍耐力、思考力、想像力、バランス感覚、交友力等、社会生活を営む上で、物質的豊かさとは裏腹に、もっと根源的なもの、他人には見えない、IT技術等では計り知れない「心の病」が深刻化しているように思います。

(西村正美)

戦前日本の世論とメディアについて (5)

 欧米先進国では、メディアによる「報道の五原則」があります。  

① 「推定無罪の原則」:最初から有罪である様に印象付ける報道はしない。

② 「公正な報道」:検察の発表だけを垂れ流すのではなく、巻き込まれた人々の弁護人の考えを平等に報道する。
③ 「人権を配慮した報道」:他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐ為、検察・警察の逮捕権、家宅捜査権の行使には、正当な理由があるかを取材・報道する。
④ 「真実の報道」:自主取材は自主取材として、検察・警察の情報はあくまでも検察・警察の情報である旨を明記する。
⑤ 「客観報道」:問題の歴史的経緯・背景・問題の全体構図、相関関係、別の視点等をきちんと報道する。
 最後に
 第二次世界大戦で敗戦国となった、ドイツ元大統領「ワイツゼッカー」が、敗戦40周年に当たる「19855月の連邦会議」において、以下の演説をしています。
◎「歴史と向き合わない者は、自分の現在の立場が理解出来ない」
◎「過去を否定する者は、過去の過ちを繰り返す危険性を犯している」
◎「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
 と、述べています。

(西村正美)



 


戦前日本の世論とメディアについて (4)

 各メディアへの「言論統制」が厳しくなるのは、1937年頃からで、戦時下においての戦局が悪化するにつれて、事実が歪曲化され、「大本営」に都合のよい情報だけを発表し、不利な情報は一切知らされず、「作り上げた情報」のみを流し、国民を欺く様になっていきます。

 日中戦争の本格的開始に準じ、政府(近衛文麿政権)は、在京の新聞、出版、通信会社の幹部約40人を首相官邸に集合させ、戦争協力を要請します(当時は国内132社)。ちなみに近衛文麿首相は、当時「日本放送協会(NHK)」総裁であり、新聞社、出版社のみならず、通信会社(ラジオ媒体)をも掌握する事で、「言論統制」を強化していきます。

 統制への「法律」制定も益々厳しいものになっていき、「軍事機密保護法」である「軍事機密の探知・収集・漏洩等を取り締まる法律」の規制強化を推進し、また、「新聞紙法27条」での「陸・海・外相による軍事・外交に関する記事掲載の差し止め権」も発動します。  

 更に、19384月公布の「国家総動員法」にも、「新聞紙その他出版物の掲載制限・禁止」を可能とする条項が盛り込まれます。

 これらの「言論統制法規」により、新聞各社及びマスメディアの抵抗は非常に弱くなり、「新聞紙等掲載制限令」では、10以上の法令で縛られる事となりました。その上、「治安維持法」や「軍用資源秘密保護法」等も加わり、全く自由の利かない状態にまで、「規制の網」に掛けられていきます。

 追い打ちは続き、19413月に公布された「国防保安法」は、「国家機密保護」を目的としており、それを外国や他人に漏洩した者は、「死刑もしくは無期懲役、少なくとも3年以上の懲役に処す」と規定されています。  

 日本国全体のムードが、【新聞社の戦争協力記事の一例】に現れています。

●「満州国独立支持共同宣言」:読売・朝日・毎日等全国132

●「「肉弾三勇士の歌」:朝日

●「アッツ島血戦勇士懸賞国民歌」:朝日

●「みんな兵士だ、弾丸だ」:毎日

●「爆弾三勇士の歌」:毎日

●「大東亜決戦の歌」:毎日

●「空襲なんぞ恐るべき」(毎日)  

 戦後1946723日に、過去の過ちを二度と繰り返さない為に、「日本新聞協会(全国の新聞社、通信社、放送局)」が、倫理の向上を目指す自主的な組織を創立します。

「新聞倫理の向上」、「言論・表現の自由」を擁護する目的で、取材・報道を規制する法規制に反対し、自由で責任ある新聞を維持・発展させる為、「新聞倫理綱領」、「新聞広告倫理綱領」を制定させ、販売・広告両委員会を中心に営業活動でも倫理向上に努めるとしています。 
 思うに、一般的に、マスメディア等、社会的使命を帯びた組織としての「ジャーナリズム」の役割とは、あくまでも国民の幸福追求に寄与する側にあり、国家を運営する権力に対し、よくない方向に進まない様、常に監視する目線で、国の動向を的確に取材し、出来るだけ真実を報道し、国民が冷静に判断する材料を提供する事であると考えます。誤った情報が、時に国民の運命を不幸へと左右される可能性が多々ある事は、既に何度も歴史が示しています。

(西村正美)




戦前日本の世論とメディアについて (3)

そんなムードの中でも、政府や軍に批判的なメディアには、「言論弾圧」を徹底的に加えていきます。当時の「信濃毎日新聞」には、1933年「信濃郷軍同志会」から、民衆での「新聞不買運動」が起こっています。背後に言論弾圧があった事で、「信濃毎日新聞」は軍を批判する記事を書いた記者を退職させ、お詫び文を掲載させられています。 経営不振を回避する為には、戦争礼賛と美化へと方向転換せざるを得ず、国家と軍、民衆の「言論弾圧」と「国家統制」圧力により、屈する事しか方法がなかった事実があります。
 日本の満蒙開拓への積極的進軍は、各国に脅威を感じさせ、1933224日の「国際連盟総会」では、満蒙開拓による満州国独立に向かう日本を、「リットン調査団報告書」により、日本の満州国独立支持の是非を問い、審議と採択がなされます。
 結果は、賛成1票(日本)、反対42票、棄権1票(シャム:現タイ)になり、日本の満州国独立が承認されず、採決後、日本全権代表の松岡洋右は、議会席上で「もはや日本政府は、国際連盟と協力する努力の限界に達した」と述べ、退席したと言われています。
 
結末を知った世論は、「国際連盟脱退」ムードと一国・孤立化を選択する方向へと舵を切り、1933327日、正式に国際連盟脱退を表明します。この脱退を契機として、益々、国家と軍と国民、マスメディア等が一体化し、戦争協力していく事になります。国家や軍部は、挙国一致体制を強固にすべく、手綱を緩める事なく、徹底的に厳しい「言論統制」や「情報統制」を敷いていきます。
 
その中枢局として、内閣直属組織である「情報局」が担います。この「情報局」は、従来の「内閣情報部」、「外務省情報部」、「陸軍省情報部」、「海軍省軍事普及部」、「内務省警保局図書課」、「逓信省電務局電務課」を統合し、194012月に発足させます。それに伴い、戦況報道に関しては、「大本営」が許可したもの以外は、一切掲載禁止と言う示達を出します。
 また
、従来の「大本営・政府連絡会議」を改組して、「首相・外相・陸相・海相・陸海の幕僚長」で構成する「最高戦争指導会議」を設置し、「政治と戦争戦略」を図るべく、戦局の全体像を掌握する事に努めます。

(西村正美)

戦前日本の世論とメディアについて (2)

 さて、明治期の一般庶民にとって社会の動き(ニュース)等の情報収集の多くは、新聞記事(号外を含む)や雑誌・書籍等から取ります。

やがて、1920年代(大正期後半から昭和期)には、民度の向上と共に、世論(輿論)が政治を動かす社会(例えば、大正デモクラシーや、世界大恐慌での経済政策の失敗による各地の貧困暴動や反乱、一部軍部主導による国家的反逆事件等)になっていきます。

その後、情報媒体としては、それまでの新聞、出版(雑誌・書籍)等の活字メディアに加えて、速(即)効性と広汎性の点で遥かに凌ぐ「ラジオ」が出現します。

 1930年代から1940年代には、新聞、出版(雑誌・書籍)等の活字メディア、電波放送(ラジオ)のマスメディアは、1931918日の「満州事変」に端を発し、その侵略の途上の中で、193777日の「蘆溝橋事件」勃発による日中全面戦争突入、更に1941128日からは、日本海軍が中心に参戦した太平洋南下政策が加わり、第二次世界大戦(大東亜戦争)へと突き進み、日本国は挙国一致の「総力戦」を徹底させていく中で、・国家・軍部・大衆(世論)に向けて、戦争賛美へと大いに活躍していきます。

 少し遡りますが、1929年にアメリカ金融市場における「世界大恐慌」発生で、世界と日本経済は、大ダメージを受け、ました。特にわが国の庶民生活は、失業・倒産・離散・身売り・自殺・暴動等が全国各地で発生するほど、あらゆる貧困によるどん底生活を強いられます。

 政府はこの最悪事態を立て直すべく、緊縮財政を仕掛けるものの失敗しました。その後軍による圧力や暴動の激化もあり、結局、景気浮揚策の販路を海外(中国大陸)に求めていきます。日本経済回復の道は、朝鮮・中国等の植民地化であり、軍や大衆の目を満蒙開拓による満州国独立に向けさせる事で、国内の不景気を打開し、社会的不満等による暴動気運を阻止する手段に利用していきます。

新聞各社は、世界大恐慌により一時的には販売部数を激減させるものの、1931918日に端を発した「満州事変」をきっかけに、部数再拡大を図ります。

 マスメディアは進軍と連勝を大きく取り上げ、次第に戦争に加担してゆきます。紙面構成や論調を軍の意向や主張に合わせる様になり、「戦争翼賛報道」の方向へと舵を切っていきます。「国家ナショナリズム」を煽り、「御用新聞」化していく過程で、最終的には「大本営」や「大政翼賛会」の発表をそのまま記事にしていきます。

 当時のマスメディアは、結局、社会的使命より、存続(利益)を優先し、戦争賛美へと飲み込まれてしまいます。さらに、大衆の戦意高揚を煽る為に、ラジオ電波を使い、戦争の前線から戦争中継を放送します。例えば、中国の首都(当時)南京の陥落が伝わると、陥落祝賀等で国民の熱狂が一気に盛り上げられます。

(西村正美)


 


 

戦前日本の世論とメディアについて (1)

 これまでにに何度か述べてきましたが、周知の通り、国際社会は至る所で混迷に陥り、益々、先行きの不透明さと危険性での危うさが、私たちの日常生活への安全、安心に不安を抱かせています。特に戦後70年の節目に当たる今年は、今後の日本の「在り方」が、国内外においては大変重要(注目)な位置付けになっています。
 古来来より紛争や戦争を繰り返す人間、その最も悲惨と悲劇を伴い、残虐非道であった第二次世界大戦は、世界で数千万人もの犠牲者を生み、ヨーロッパではナチスドイツがユダヤ人迫害と、究極的には民族の殲滅(600万人以上とも言われる殺戮)へと恐怖に陥れています。
 
一方、東アジアの日本は、朝鮮半島から中国大陸、東南アジアへ、さらには太平洋地域へと戦火を拡大していきます。やがて追い詰められ、戦況悪化による敗戦間際には、日本国民は「一億総玉砕」の命令を受け、誰もが生き残る事は許されず、「弾の盾」となるか、「自決」への道を選択せざるを得なかった歴史があります。たとえ、万が一、生きて捕虜にでもなれば、「日本国の恥」とされた時代があった事実を忘れてはならないと思います。 

 今を生きる私たちは、戦争における過去の歴史に背を向ける事は許されません。私を含む戦争を知らない若い世代に、ついこの間まで現実に起こっていた事実に向き合う姿勢がなければ、この先も続くであろう近隣諸国、特に、韓国や中国、北朝鮮等からの執拗な揺さ振りや圧力が強化され、日本の将来への希望や展望が不安定な状態で推移していくのであれば、何らかの火種によって不幸の連鎖が始まるかも知れません。
 歴史に学ぶとは、特に、明治期以降の日本国及び日本人が様々な形で国内外に行ってきた行為や交渉等に対し、私たち一人一人が良くも悪くも誠実に真摯に振り返り、英知を駆使し、争い事から最も遠ざける不断の努力を推進し、相手と常に関わり未来へつなげていく事ではないかと思います。
 国内では、先の戦争体験者の多くが高齢者であり、記憶等から、生の体験談を伝承される機会が遠のく中で、保存されている資料や文献、資料館施設、屋内外の遺跡等により、70年前までは現実に起こっていた戦争の中身(何故その様な方向に進んでいったのかの原因・理由等)を知る事しか方法が見出せません。 

例えば、明治政府は1873110日、国民に「徴兵令(後の兵役法)」により、(志願兵や義勇兵を除き)兵役義務を負わせます。これが1889211日公布(18901129日施行)の「大日本帝国憲法」制定により、「国民皆兵」となり、国民男子の20歳に達した若者のほとんどが、国家から「召集令状(いわゆる赤紙)」が届けられます。指名されれば出征兵士として、有無をも言わせず徴集させられ、過酷な訓練を受けてから戦場へ送られます。無事に生きて帰れる保障はなく、家族や親族から永久の別れを意味するものです。1943年からは、「徴兵制」が学生まで及び、「学徒出陣」が制度化され、19歳の学生を戦場に送り出します。
 
実感としてつかめない多数世代が理解するには、加害者意識や被害者意識を抜きにして、先ず、先人が戦争に飲み込まれていった時代背景を学び、その当時の国家体制と社会動向、国民の生活・文化思考や思い等を想像する事で、ある程度汲み取れるのではないかと思います。
 もし、この事実認識に無関心や無頓着でいる人が多ければ、思考が停止してしまう状態に陥り、あるいは、偏ったり、誤った方向へ支持していくならば、知らない間に再び多数の犠牲者が出る気運や風潮の方へ流されて、今までの生活が一変する社会体制に変貌させられても、その時は既に手遅れになっている可能性も否定出来ません。

(西村正美)

原発・基地問題に対する懸念

 311日で丸4年になります福島原発事故の収束はどうなっているのでしようか。現実は全くもって収束していないのが、情報によって露呈されています。今も放射能汚染が、周辺土壌を含め、止まる事なく空や海に流され続けています。又、事故の真相も曖昧でほとんど究明されていません。

 その中で今も約13万人が避難生活を強いられています。将来設計も立てられないまま4年も仮設住宅に押し込められているのです。家族がバラバラになりながらの二重生活を余儀なくされている人、身内のいない独居老人等、高齢者にとって孤独と孤立化による精神的苦痛に加え、健康面でも限界を超えています。

 さらに、福島県の健康調査(20152月福島県発表)では、疑いも含めて117名の子供が小児甲状腺がんを発病しており、87名は甲状腺の摘出手術を受けているとの事です。この他に、心臓病、内臓疾患、白血病、先天性異常出産等が発症している事実が伝えられています。

 このような実態があるにも関わらず、国も県も放射能被曝の影響を一切認めようとしていません。それどころか、これまでの基準値であった年間1ミリシーベルトに対し、急きょ、放射能-放射線を取扱う請負業者及び従事者の基準値で設定している20ミリシーベルトを一般地域住民に押し付け、帰還政策を推進しています。

 安倍政権は、このような状況下でも厳密な実態把握をしようともせず、地元民の意見を適当に促して、一方では、原発輸出に世界を飛び回り、国内では安全対策も中途半端な状態で、再稼働に向けて急速に動いています。

 原発問題だけでなく、沖縄県普天間.辺野古米軍基地移設(沖縄県民意無視強引着工)問題、及び日本各地の駐留米軍基地問題、集団的自衛権閣議決定行使容認問題、特定秘密保護法問題、歴史教育教科書問題、TPP農林畜水産業問題等、国家権力による国民生活不安を作り出し、今まで以上に恐ろしい行動に出ている様に映ります。世論の考えや見方が二分しているにも関わらず、偏った方向での説明に終始し、国会及び国民への詳細な情報公開もしようとしません。

 沖縄県を除き、国家権力を監視すべきマスコミ等メディアはこのまま放置し続けるのでしょうか。安倍政権はこのまま強行突破出来ると思っておられるのでしょうか。
 私たちは決して対岸の火事でない原発、沖縄、自衛隊派遣等、多数の犠牲者が出て初めて気付く愚かな国家にならない様に、常に意識する必要があると思います。


(西村正美)

紅茶のふるさとダージリン茶産地(インド)のミニ報告です

紅茶のふるさとインド・ダージリン茶産地の視察で感じたこと!

社会再生学会の皆さんに遅くなりましたが、昨年の10月下旬にダージリン茶産地視察から帰国した報告です。遠い日本から見ればインドのダージリンはダージリン紅茶の故郷でカレーの国だと思っていました。ダージリンは標高が約2100mと高いので熱帯・温帯・高山気候の三大気候を体感できる地形です。インドは自然と世界遺産の宝庫であり、カースト制度(身分制度)と「宗教のるつぼ」の国です。私はお釈迦様の誕生した国で仏教発祥の地でありながら現代では仏教はほとんど消滅していることに驚きました。
12世紀にイスラム勢力のインド征服とヒンズー教徒より壊滅状況になり、今ではインド人の大半はヒンズー教徒で、牛は神聖な動物として崇拝されていますので牛肉は食べません。第二位はイスラム教でイスラム教徒は豚を汚い穢れたものとして豚肉は食べません。肉を食べるとなると鶏か羊が一般的です。
ダージリン茶園は標高が高く茶畑の位置が山の斜面にあり機械の導入は困難な状況なので茶摘みは重いカゴに茶葉を詰め込んでの上がり下がりは相当の重労働であるが労賃は安いです。茶摘みの女性の顔に刻まれた姿は労動の厳しさを感じるものでありますが、すれ違う際の茶摘み女性の笑顔が印象に残っています。

ダージリンには約80程度の茶園がありますが、ほとんどのオーナーはコルカタ(州都・旧名カルカッタ)に住んで工場長とマネージャーが茶園に在住しています。その中でマカイバリ茶園の茶園主のバナジー氏と家族は茶園で暮らし、有機栽培(バイオダイナミック農法)でダージリン紅茶を生産しています。そのお茶はティーオクションで歴代世界最高値を付け美味しい紅茶を世界に届けています。ダージリン紅茶の産地は標高が高いなどにより生産量は少ないですが、市場に流通しているダージリン紅茶の量はそれを相当上回っているのが現状です。・・・?良いものは量産できない!!

ホテルの朝食に出されていた見かけの悪いバナナは、日本のスーパーに売られている形の良いバナナとは比べ物にならないほど美味しかったです。外見が良いものが必ず良いものとは限らない。インドで体験した小さな出来事!!

表面だけでは分からない事が沢山世の中には有ります。ダージリン紀行のミニ報告を皆さんは何を考えますか?

今回の視察で体験した色々の事が、人の幸福とは何かを問い直す機会になればと思いました。

 

  湯 浅  

 

再び「国民主権から国家管理体制へ:道徳教育》の恐怖 (2)

 201212月の衆議院総選挙で大勝した第二次安倍政権で具体的行動を取ります。「教育再生実行政策」です。中身は、①いじめ対策、②道徳教育の強化、③道徳の教科化を挙げています。これに基づいて、首相直属の「教育再生実行会議」が新設されました。同会議は、各地の教育現場での「いじめ」対策を口実として、「道徳教育強化」と「道徳教育化」実現に向け、最大限利用することを目指していると考えられます。

 これまで「道徳教育」を副教材扱いであったものが、「検定教科書」となり、教科書検定基準に政府見解の記述を義務付けるとした規定を20141月に新設(官報告示)します。

 安倍政権下では、様々な形で、「日本国憲法」で示す国民主権をほとんど蔑ろにし、無視した状態で国家主義の考え方を強要している様にしか思えません。油断をすれば、更なる不幸に陥る事が予見されます。
 端的に言えば、日本国民全体に対し、「愛国心」の醸成を図る目的で、先ずは、児童や生徒が受ける義務教育から、巧妙に洗脳(マインドコントロール)していく手法を、道徳教科書から教え込もうとしています。
 
これは、教育現場に国家、及び都道府県知事、市町村長、更には国家権力である警察等の介入を容易に許すものとなり、今まで以上の規制を強いられ、教育委員会及び教育現場を形骸化させ、弱体化させる方向にある様な気がします。
 思うに、以前より「いじめや暴力、自殺」を引き起こした原因と責任のほとんど全てが、あたかもそこに携わる教育者や教育現場にあるかの様な風潮で沸き立ち、それらの事故や事件が発生する度に一斉攻撃されます。

 もちろん、当事校の最高責任者や直属監督官、担任等への追及と謝罪責任、及び、再発防止対策は免れませんが、教育現場のみで1から10まで対処するのは到底不可能であり、根本的な問題解決にはならないと思います。

 そこには、過去からの児童や生徒の家庭環境や生活環境、学校内外での地域性等、教育現場では、なかなか把握し切れない要因も多々内在しています。

 つまり、児童や生徒の日常生活を営む社会と、守られ保護(半ば隔離状態)された学校空間との生活の調和を、いかにすれば確立出来るのか、一方的に責任を押し付けるのではなく、教師、保護者、PTA、自治会、自治体等、そこに居住される関係者が地域ぐるみで調整し続けていくしか方法はないのではと考えます。

(西村正美)

再び「国民主権から国家管理体制へ:道徳教育》の恐怖 (1)

 戦後これまで「副教材扱い」されてきた「道徳教科書」を、第一次安倍政権の200612月に、突如として、「教育基本法」の全面改定を行うべく、全教科で道徳的内容を盛り込む事を指示しました。これは世界に冠たる「日本民族を作り上げる」為に、教育改革の柱に国家が「愛国心」を養う政策を指示します。
 この考え方は、先の大戦を経験されたご高齢のほとんどの方々にとっては、全く自由の利かない悪夢の「軍国主義」や「国家ナショナリズム」を連想させ、やがては、「修身」の復活につながる危険性を察知しておられるのではないかと想像してしまいます。
 「修身」とは、明治政府が1880年に「教育令改正」により、道徳教育(宗教教育を含む)を徹底する政策です。小学校教科から始め、各学校の国民道徳を国民教育の基本として、1890年の「教育勅語」発布から1945年の「第二次世界大戦終結」まで、半世紀以上にも及んでいます。
 その1年前には、「大日本帝国憲法(明治憲法)が制定されており、日本が欧米列強に対抗する為、「富国強兵」政策を積極的に推進していく過程として、小学校から「軍国主義教育」の徹底を図っていきます。
 18941895年の日清戦争を皮切りに、19041905年の日露戦争、19141918年の第一次世界大戦、19311932年の日中戦争、19411945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)まで、国民の自由を全て国家の奉仕へと向かわせます。
 1890年までは、自由民権運動の主流である主権在民思想が浸透しつつありました。しかしその後、天皇主権こそ唯一の日本国の在り方として「欽定憲法」が制定されました。国家の指し示す方向が、個人主義から全体主義へ、物質主義から精神主義(節約主義)へとへと転換してゆきます。

 さらに、「教育勅語」による「軍国主義教育」で効果を発揮するのが、「紀元節(建国記念日:1940年{昭和15年の皇紀2600年には国民挙げての大提灯行列})」や、「天長節(天皇誕生日)」等の国家による式典・儀式です。
 1891年制定の「小学校祝日大祭日儀式規定」により、祝日でも全校児童や生徒は登校し、校長が「教育勅語」を奉読する事と、奉読している間は式場で強制的に「最敬礼」をさせられます。その最中、少しでも身が緩めば、式後には即、体罰を受け、児童や生徒の中には、おもらしも発生したそうです。子供たちにとっては、過酷な儀式であったに違いありません。
 
重ねて、全国の小学校には、天皇の「御真影」が下賜されます。「現人神」である天皇の分身「御真影」を収める「奉安殿」が、校門との間に設置されます。
 これらの圧力により、児童や生徒は登下校の度に、その前で「最敬礼」を義務付けられます。又、その光景の様子を教職員室から見張り、監視する事で、国家への忠誠を誓わせている事になります。
 個人的自由の奪われた、徹底した国家体制を敷いていきます。
 しかし、国力の低下とともに、戦況の悪化が顕在化するにつれて、国家は世論に対し、益々、厳しい統制を敷き、制限・監視(取締り強化)を至る所で進め、もはや逃げられない状況の下、国家体制に組み込まれていきます。
 それが、戦後の今、「御真影」に代わり、「日の丸」と「君が代」が式典・儀式の要とされ、思想や信条等を異にするマイノリティにとっては強い抵抗感がありながらも、粛々と進行させていきます。

(西村正美)

「宇治茶を思う」の講演に感動

杉本先生の「日本茶を思う」は宇治茶のあるべき姿の本質を突いた素晴らしい講演でした。このテーマで述べられた要因は茶の生産者と販売者の構造的な問題と売上重視とコストを抑える至上主義によるものが今日のシステム構造に変化したと思われます。いつの時代も社会構造は目先の利益のための形を変えていく生き物であり利潤を追求していく構造は万国共通であると思われます。従ってこのシステムが変わらなければ杉本先生のお考えは茶業界において受け入れられないことだと思われます。このことは茶業界のみならず、日本経済のシステムもすべて同じだと思料しています。話を茶業界に戻すと本来の茶に関する伝統的な文化について、それらを守っていく後ろ盾がないことが大きな要因であると思われます。生産、販売に携わる事業体は国をトップに関係省庁が利益構造を守る組織として機能し、食の問題が起こった時は消費者の立場で提言する消費者庁がありますが、あまり存在が評価されたことはないと思います。即ち消費者を本当に守り正しい情報を提供してくれる組織が欠落しているのが現状だと思っています。

 既存の利益構造のシステムに対抗し茶文化を含む食文化を守る組織作りには多大な金額がなければ何もできないのが現状と思います。和食の世界遺産についても、どうも本質が忘れられているように思われます。世界遺産そのものは良いことですが、和食の原材料の企業並びに販売する料理店のみに目が向きその結果、「きらびやかな料理」のみが情報発信され、一般家庭において和食のあるべき姿が定着していないのが現状であります。

 食品についても消費者の大多数の方は安ということで添加類等の食品を購入しているのが現状です。これらは物価安定・全国に流通などによる色々の要素が考えられ一様に悪いということは言えないが、他方、毒入り餃子などの報道がされるとその食品のみが拒否反応により不買が行われ極端な行動になっているのが現況です。しかしその原因の本質がほとんど報道されていないことにより、日常的に添加類、合成味付け、防腐剤などの食品が流通していることには無関心です。政府が決めている範囲の容量だから話題にならないのです。特に残留農薬については日本政府が決めている基準が欧州(EU)では日本の茶などの食材は輸出できないのが現状です。残留農薬などをすべて否定しているのではありません。欧州並みにすべきだと思うだけです。1月16日の毎日新聞に掲載されていました農薬基準値緩和に異論「害虫駆除・クロチアニジンが現行の10倍以上」にと掲載されていました。それぞれの国の実情もあると思いますが、何故、海外との基準の差が明確に示されず基準格差が大きく生じることに不安を感じています。これも本来の要素は利益とコストと物価安定のための構造的なものの理由によるものだと思います。ただ、私として国家的構造システムを変えることができませんのでこの現行内で何ができるか・・・を考えています。しかも古今を通じ文化を守ることについては国が守った経緯は見当たりません。財を子孫に残すのではなく、堺の豪商(安土桃山時代)は神社仏閣などに寄進をしてきました。今もそれらは残る歴史的遺産として残っているのです。昔は当たり前のことが今ではその伝統的文化などを継承するのも困難な状況に私たちは警鐘を鳴らし大きく情報を発信できる組織とそれを理解する人々が必要ではないだろうか。せめて杉本先生がお話をされた伝統的なお茶づくりのための拠点作りのために核になる生産者の復活ができないだろうかと思うばかりである。

伝統文化で儲ける取り組みは賛同者がいるだろうが、本質を捉えての取り組む文化には

時間とお金がかかるのが現実であり、まして大きな利益を生むことのない事業には関心が無いのも事実です。しかし三年先には伝統食材(品)として高く売れて支持されることも有ることを忘れてはならないと思います。決して良品は量産できないのであることを理解する必要があると思うのです。

今回の講演は茶を通じ私たちの食に関連しての幸福あるいは喜びは何なのかと改めて考えることをご提言頂いたと思います。

日本のことわざにあるあります「沈黙は金」はもう日本では通じないのであろうか。

 

    湯 浅  薫

 



 


 


練習・・・練習・・・練習・・・

こんにちは! お久しぶりですヽ(・∀・)ノ

前回の投稿から2ヵ月が経過してしまいましたが元気です!!
春休みに入ってからは連日練習で、先日の研究会は参加できませんでした《゚Д゚》

久しぶり過ぎて全然ブログの調子が上がりません(涙)

最近は、イスラムだの地震だの良い事ないですが・・・今回は挨拶程度で


さて 何を話そうか、、、

三月の後半から春の選抜高校野球が始まりますが、僕の母校の静岡高校が2季連続で甲子園出場を決めました!! 今年の代は、ここ数年で一番良い成績で強いみたいで、甲子園に応援行くのがとても楽しみです!!

母校が甲子園出るのは、とてもアツいです!!
がんばれ 静高!!


最近は部活の毎日で、なかなかプライベートがありませんが、家に新しくソファが来て、弟も高校が決まって とてもハッピーヽ(´▽`)/
次回の更新の時にもっと濃いお話を載せたいと思いまーす( ◔ิω◔ิ)

さて、明日も練習や~
最近バットの芯にボールが当たらなくなってます・・・バッティングのドツボにハマってます。 頑張れ俺!!!

それでは 今回はこの辺で ドロンさせていただきます・・・
さらばじゃ!!

経済学部1回生 長澤公大


オマケ・・・ 先日、人生で初めてバレンタインデート経験しました

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↑ とあるお店のドリンクです もちろんノンアルコールですよ(笑)

社会再生学会第15回研究会のご案内

 社会再生学会第15回研究会を2月15日(日)、午後1時半より、関西学院大学上ヶ原キャンパス池内記念館第2研究会室で行います。今年最初の研究会になります。会員のみなさんは万障お繰り合わせの上、ご参加くださいますようお願いいたします。
 さて今回の研究会は、宇治茶研究の第一人者でいらっしゃる杉本則雄先生に、最近京都府茶生産協議会の参与として情報誌に執筆・掲載されてきたいくつかの文章(「茶事雑感」「京の茶を支えた女人たち」)をご紹介いただきながら、本物のお茶、宇治茶のあるべき姿に迫っていただきます。
 みなさんもご承知のとおり、食生活の洋風化・簡便化志向の高まりにより、年々リーフ緑茶離れが進み、伝統的産地である宇治でさえ苦境に陥っています。私が接する生産者や茶商は口をそろえて「業界に元気がなくなった」と落胆し、消費者の声に耳を傾けると、「おいしいお茶が飲めなくなった」と嘆いています。いったいどこに問題があるのかと、ずっと気になっていました。
 今回の杉本先生のお話は、お茶のフードシステムの構成員すべてか感じている上記のような問題点を解決する契機となりそうです。お茶の持つ「のどの渇きを潤す飲料」を超えた多くの価値について議論し、「日本人にとってお茶とは何か」という究極のテーマに挑戦し、私たちの研究会としての答えを見出したいものです。
 なお終了後、西宮北口あたりで懇親会を行う予定です。全員がご出席であれば、積立金を一部取り崩したいと思います。懇親会にも是非ご参加ください。

(寺本益英)

【プログラム】

13:30~15:30  杉本則雄(元京都府立茶業研究所所長)
「日本茶を思う」
15:40~17:00  
フリーディスカッション 「私にとってのお茶」
17:30~
懇親会

再び「忘れかけている日本人の心」について (2)

 総人口が1億人を割り、労働(支える)人口が減少する事で民力の低下を余儀なくされます。たとえ外国人労働者の援護を受けたとしても、バランスを失うのは必至だと思います。
 高齢者の多くは、年金給付の低減と共に、医療・介護費を含む多くの社会保障費、生活保護費の削減が待ち構えており、寿命の長い人ほど、さらなる医療負担を強いられ、病院等の医療機関や介護施設、デイサ-ビスや療養所、自宅介護にも多大な影響を与える事となります。
加えて認知症は、既に若年齢化からの発生進行で、増加傾向(厚生労働省の発表では今後700万人以上)にあり、家族・親族への負担になります。
 思うに「美しい日本」とは、先ず安心出来る土地であることです。取りも直さず、周囲には精神的安らぎが良好である環境がなければなりません。安心とは、人と自然との共生、調和を図る事で、生命に危険性を取り払う役割があります。
 
これらの大前提には、そこに生活する私たちが、自然への畏怖と敬意、お互い信頼ある人間関係(利他意識や奉仕の心)を保ちつつ、地域自らが日々構築されていることが必要になります。本来の日本人の在り方そのものです。この良き伝統文化を絶やすことなく、日本人の誇りとして維持し、発信出来れば、世界貢献に値するものではないでしょうか。
 今、伝統ある東洋文化の一つを示す日本人の「和の心」、「おもてなしの心」、「助け合いの心」を、私たちが一般的生活者として普通に感じるケースが少なくなりました。伝統をを受け継ぐ地域、旅館・ホテル、飲食業等のサ-ビス業、良識ある高齢者で構成されるコミュニティなど、非日常的なシーンや特別の場においてのみ、辛うじて残っているだけです。

 私たちが大切にしたいのは、太古より自然に育まれた土地で助け合い、共存共栄社会を築き上げてきた「日本文化の心」です。今後もこの化を継承していくために、先ず何よりも安全な環境であるかが大きなウェイトを占めると考えます。
 
しかしながら 、現在は以前にも増して殺伐とした環境になっています。経済社会が求め追い掛ける経済効率第一主義の苛烈さと、IT技術の劇的な進歩にともなって、膨大な情報処理を余儀なくされ、押し潰されそうなほど息苦しい世の中です。
 また
、大衆化と世界経済のグロ-バル化の中で、不慮の事故事件との遭遇は、何の前触れもなく、我々の身の回りで起こっています。まさに一瞬先は闇です。避ける術は皆無に等しいと言わざるを得ません。
 
そうした中で国際社会は日本の長い歴史に培われ、貫かれた素晴らしい精神文化や行動規範の堅持に十分な理解を示しているのではないでしょうか。そして国際社会から絶えず尊敬されてきた存在といっても過言ではありません。
 我々日本人はともすれば
、「物質的豊かさ」は当然のものと思いこみ、時に優越感を抱いてしまいがちですが、もう一度原点に立ち返るべきです。すなわち、「心の豊かさ」を取り戻すべく、日々の生活を見直すことが大切だと思われます。
 
先般世界文化遺産に登録された「和食」は、自然と調和した我が国の風土と、日常生活(暮らし)そのものが見事に融合した結晶であると思います。地域社会において失われつつある「近所どうしが気遣う町」、「袖すり合うも多少の縁」、同時に「おもてなしの心」がカギとなります。
 今後の日本が世界に向けて発信すべきは、まさに四季折々の魅力が満載された豊かな風土と、親切で礼儀正しい国民性ではないでしょうか。軍事力よりも、ソフトパワーにおいて、存在感をアピールすべきでしょう。
 私たちは
我欲(自我)を少し遠ざける意識を持ち続け、人はお互い生まれつき皆平等であり、自分の存在は、等しく他人の存在でもあること、自身が自由を求めるなら、他人にも自由を求める権利が存在していることを認識する必要があります。
 
「和の文化」の根底には、「お互いに人を信じる心」が如実に示されているのです


(西村正美)

再び「忘れかけている日本人の心」について (1)

 日本文化の、特に庶民的生活地域では「向こう三軒両隣り」と言う言葉があります。かつて同じ長屋や地域集落に住む人通しの間では、例えば、家には鍵を掛けず、知り合う隣り同士が、時に醤油や味噌、砂糖や塩、米等、どちらか不足している場合には、自由に出入りし、お互い遠慮なく貸し借りをしています。また小さな子供がいれば、周りの人の誰かが気に掛けたり、注意を促したり、時間があれば世話をしてくれたりもしています。

 これを古くて遠い昔の話として感じてしまうのですが、未だほんの数十年前の日本人の「良き支え合い」の姿です。私はこの文化こそが、日本の原点、日本人の心の有り方だと感じています。
 それがやがて高度経済成長期に入り、太平洋ベルト地帯から順にインフラ整備が進み、商工業など諸業が活発になってゆきます。またたく間に、産業別の労働人口構成比が激変し、第一次産業(主に農林畜水産業)から第二次産業(主に鉱工業)・第三次産業(主にサ-ビス業)へとシフトしていきます。さらにこの現象と前後するように、都市部周辺では宅地造成が始まり、初期の団地(低層集合住宅)群、いわゆるベッドタウン開発が急増し、やがて高層マンション群へと進化します。社会経済の中心が大きく変わり、地方人口減少から都市への人口流入へと拍車が掛かります。

 ハ-ドインフラはもちろんのこと、ソフトインフラの多くが今現在も続く都市部に集中しており、地方産業の空洞化(地場産業や伝統技術・工芸産業等の衰退とシャッタ-通り商店街の発生)に至っています。

 いわゆる都市型生活様式により、日本人の「良き支え合いの文化」は、もはや過去のものとなっています。各地の新興戸建住宅はもとより、アパ-トやマンション等隣り合う住人間のつながり(自治会等)も、機能性やセキュリティ強化により希薄になりつつあります。

 その間にも日本は、近々少子高齢化が確実にやって来ます。総人口が1億人を割り、労働(支える)人口が減少する事で民力の低下を余儀なくされます。

(西村正美)

次回(2月15日)実施、社会再生学会について

 ついこの間お正月を迎えたばかりの感覚でしたが、もう2月に入りました。1月中旬から2月中旬は大学が1年で最も忙しい時期です。定期試験の採点など成績評価、来年度のシラバス作成、入試実行委員会の業務が重なり、猛烈な忙しさです。
 このような事情で、次回(2月15日)実施予定の社会再生学会の準備が遅れまして申し訳ありません。次の第15回研究会では、前回見学の形でご参加くださった元京都府立茶業研究所所長の杉本則雄先生が正会員として入会してくださり、早速ご報告いだだけることになりました。正式な講演タイトルは、近々あらためてお知らせいたします。もう少しお待ちください。
 なお杉本先生のご報告をお聞きした後は、フリーディスカッションの時間を設けたいと考えています。お茶に対する会員のみなさんの思いを語っていただければと思います。茶業活性化、喫茶文化振興は、私のライフワークでもありますので、本学会でも意見交換を重ね、機が熟したら、提案書のとりまとめをできればと願っています。
 時間はいつもどおり、午後1時半~5時を予定しています。それから1月16日の記事で、湯浅薫先生がご提案くださったように、今回は懇親会を実施しようと思います。あらためてみなさんのご都合をお尋ねしますが、なるべくご出席くださいますようお願いいたします。
 今度は2015年に入ってはじめての研究会です。みなさん、万障お繰り合わせのうえ、ご出席ください。
 日本社会、国際社会が混迷を極めている今こそ、あらゆる分野において健全な議論に根差した言説を作り上げ、発信してゆくことが重要です。私たちは小規模でも、重要な存在意義を持つ研究グループです。今年も学会活動へのご協力、よろしくお願いいたします。

(寺本益英)

岐路に立つ国際社会 (2)

 私たちは今何を感じ、どのように関わっていかなければならないのでしょうか。振り返ると、平凡な人間が皆、思考を停止し、周囲に同調して悪魔の所業に加担した過去からの紛争や戦争参加者の事を、「自覚なき殺戮者」と呼びます。「自覚なき殺戮者」とは、「凡庸な悪」であり、ドイツ系ユダヤ人政治哲学者(ハンナ・ア-レント)の言葉との事です。「傍観者になるな」、「自分で考えよ」、「凡庸な悪に陥るな」と述べます。

 戦後70年を経ても、世界各地では人類の過ちが、今尚消滅する事はなく、日本では先の大戦すら遠い昔話の如く、記憶の継承すら危ぶまれています。教育が最重要である基本の一つには、今日までの歴史の歩みを真摯に実直に知り、教え伝えていく事にあります。

 歴史には日本国内は元より周辺国との関わりがあり、果ては世界へとつながっていきます。歴史認識を異にする国家間がお互いを尊重する事なしに、このままいけば、世界は憎悪や排斥、暴力が再び拡大化していく事になります。日本も歴史の教訓を学ばずして、停止した状態で、今や国家権力に従い国民の同調圧力により、軍拡路線を突き進んでいく危険性を含んでいます。
 
過去の過ちと全く同じ轍を踏む事で、今後は、多くの地域において二度と立ち上がれない程の打撃が加わる事になるかも知れません。多大なる人命損失のみならず、国土のインフラ破壊等にもつながり、もし良くない方向への同調により阻止出来なければ、破壊から再生に費やす膨大な年数と、再生に適した人材や資源確保、最も大きい財政負担が国家存亡にまで影響していく事になりかねません。

 日本は常に米英中心の西側諸国とは少し距離を置き、欧米の度重なる威圧的行為の遂行よりも、日本人が得意とする「和魂の文化を全面に人的交流促進する」事を現地人道支援として共同作業していくのには、最も相応しい国民性と考えます。日本は何があろうと、中東への人道・難民支援を継続し、イスラム指導者や法学者、専門家とのコンタクトを持ち続ける事にあり、特に現地部族間との人間関係による調整が接点の鍵になると言われていますので、民間交流の原点継続が最適になるのは言うまでもありません。情報ではイスラム国も刻一刻と変化しており、展開が大きく変わる可能性があります。

 今回の事件を契機として、中東諸国(イスラム圏)と距離を置かず(置けば逆にテロに屈する事に)、今まで以上に働きかけていく政策が賢明であると考えます。

(西村正美)

岐路に立つ国際社会 (1)

 今、世界は地球規模で未来へ向け、あらゆる方向から「岐路に立たされている」と感じています。

 イギリス産業革命の科学技術革新を皮切りに、今日までの欧米列強がもたらした植民地政策の罪、人口急増に伴う食料資源争奪と、エネルギ-資源の飽くなき開発競争とが自然環境への負荷のみならず、国家間の領土・領海・領空侵犯にまで及んでいます。

 かつては、南北対立では、奴隷制度による人種差別(アパルトヘイトや白豪主義)と人権侵害、東西対立では、初期の資本主義社会から金融資本主義経済での貧富の格差助長拡大と、社会主義や共産主義での国家統制経済による民主主義の未成熟、さらに王制や軍事政権等、一般生活者にとっては、どちらの社会体制も抑圧の中に閉じ込められています。

 一般的に民主主義の追求は、個人の生存権と尊厳等を保証する為に継続的行動を取り続ける事、さもなければ自由意思による行動も、油断をすれば国家権力により打ち消される可能性もあります。

 自由社会は、生活可能な相手との協調性、共生、共同体があって初めて成り立つものと思います。他方、世界の混乱の一端は、人権侵害と人種差別、異宗教や異宗派信仰への無理解と冒涜、思想.信条への侵害と迫害、伝統無視等が挙げられます。

 その国や地域独自の文化をお互いに尊重しようとしない国家間の対立が、至る所で権力紛争の火種となっています。第二次世界大戦以降、東西代理戦争(朝鮮・ベトナム・アフガニスタン)やイスラエルとパレスチナ戦争等、対峙する国家間の破壊の繰り返しがあります。

 それらは地球規模での生態系を揺るがす由々しき難題として現在も収束する事すらなく、恨みの連鎖により対処の方向性が示せず、返って延焼していく兆候にさえあります。

(西村正美)

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