寺本益英の日記

 関西学院大学で日本経済史を担当する寺本益英の身辺雑記です。経済、歴史、お茶、フードシステムの話題を中心に、思い立ったことを綴ります。受講生の質問にも答えます。

2009年03月

アメリカ型資本主義、投資銀行のビジネスモデルの見直しを

 昨日の記事との関連で、もう少し続けたいと思います。
 昨日は投資銀行の高レバレッジ経営について、数値例を示して述べたわけですが、投資銀行はいったいなぜ、このような危険な金融取引に入り込んでいったのかという点を明らかにしておく必要があります。
 その最大の原因は、世界的な低金利環境のもと、高収益が得られる投資機会が乏しくなり、一方で株主からは短期で高利益を求められたことだったと思います。こうした要請に応えるため、アメリカでは1980年代半ば以降、最先端のテクノロジーを駆使して収益を上げる金融工学が発展し、この知識を総動員した金融商品が開発されていったのです。今回の金融危機では、株主利益を偏重するアメリカ型資本主義の弊害とウォール街の強欲さが顕在化しました。
 アメリカは投資で得た利益で世界中からモノを買い、一方で産業の競争力強化が伴わなかったので、貿易赤字は激増しました。また日本や中国などの新興国はアメリカへの輸出を通じ、輸出主導で景気回復をはかってきたのです。
 金融工学を駆使して開発された金融商品の価格が上昇しているときには、すべての経済問題は市場メカニズムによった解決するという市場原理主義や、リスクを取った責任は自己が負うという自己責任原則、政府部門の縮小と市場への介入は極力控えるべきという小さな政府論が支持されてきました。
 しかし今回の危機で、アメリカ型資本主義や投資銀行のビジネスモデルの修正が求められています。そもそも金融業の重要な役割は、経済の潤滑油として働き、「モノ作り」を支えることであり「富を生み出す」道具ではありません。投資銀行の本来業務は、M&A(企業の合併・買収)に対する助言・仲介通じ、産業の再編に資することであったはずですよね。
 暴走し破綻に追い込まれた利益至上主義ともいえるアメリカ型資本主義の価値観と投資銀行のビジネスモデルは、原点に立ち返り、本来の姿を取り戻さないかぎり、世界経済の安定は期待できません。

高レバレッジ経営の危うさ

 4月から英語経済書講読の講義が始まるので、そろそろ予習を蓄積しています。分厚い文献の1章を読むよりは、今最も話題になっている経済トピックスの解説を教材にしたほうが学生にも役立つのではと思い、英語の新聞や雑誌から適当な記事をさがしています。
 私がまず取り上げたいと考えているのは、何といってもサブプライム問題です。どうしてこのような危機が起こったのか、この危機を克服するためには、どのような政策を講じるべきかは重要なテーマです。
 さて今読んでいる英文記事の中に、「高レバレッジ経営」という言葉が出てきました。そこで今日は、この言葉について、わかりやすく説明したいと思います。
 レバレッジとはテコの原理ということですが、ようするに負債を自己資本の何十倍にも膨らませて行う金融取引で、ここ数年の投資銀行の経営を象徴していたといっても過言ではありません。
 ここで次のような事例を考えてみましょう。
(前提)
 仝什澆硫礎佑1,000億円の金融商品に投資し、1年後10%価格が上昇すると仮定する。
◆仝住点で手持ち資金が50億しかないので、950億円借り入れする。この950億円の借り入れ金利は4%で、1年後に返済しなければならない。
上記前提より、
 投資した金融商品の1年後の価値は、1,000億×1.1=1,100億円
 借入金の返済額は、950億×1.04=988億円
 したがって儲けは、1,100億−988億=112億円
 元手は50億円しかなかったので、この取引で資産は2.24倍になったことになります。
 ところが予期に反し、投資した金融商品の1年後の価値がゼロになったらどうなるでしょうか。残るのは、988億円の返済だけですよね。この投資銀行に返済能力がなければ、950億円の融資を行った銀行は、資金を回収することができなくなります。

2009年度 春学期のスケジュール

 メールボックスへ行ったら2009年度のスケジュール表が入っていました。とりあえず春学期の予定は次のとおりです。秋学期と比べると、春学期のほうが負担が軽くなっています。総合教育研究室の副室長はそのまま継続で、新たに大学院(経済学研究科)の教務学生副主任も務めることになりました。昨年と大きく変わるのは、大学院生の研究環境を整える仕事が加わったことです。
 なお水曜日の午後は教授会と研究科委員会、金曜日の午前中は総合教育研究室の室長室会の予定です。(毎週ではありません。)講義と会議以外の時間は、基本的に研究室で仕事をするつもりです。何か用件のある方は、遠慮なしにお知らせください。
 新年度も講義と研究に全力を尽くしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

月曜日
3限 春 経済史機。臓檻横娃
4限 通年 大学院 研究演習 経−9
火曜日
2限 春 英語経済書講読 経−5
4限 通年 研究演習機〃弌檻
水曜日
2限 聖和大学 政治・経済と文化 523
木曜日
1限 通年 研究演習供。帖檻械娃
3限 春 総合コース502「日本の食文化史」 第5別館−4

兵庫医療大学の非常勤講師会へ

 今日は夕方、兵庫医療大学の非常勤講師会に出席しました。会議室で意見交換を行った後懇親会というプログラムでした。昨秋オープンセミナーで講演していただいた学長の松田暉先生はじめ、専任教員のみなさん、はじめてお会いする非常勤講師の先生方と、有意義で楽しいひとときを過ごすことができました。
 兵庫医療大学の学生にとって、、最終の目標は国家試験の突破です。その意味で、医療系科目の知識と技術さえ身につけて試験をパスすれば、専門家として認められ、生計を立ててゆくことができます。したがってその目的を達成するだけなら、私の担当する経済学やその他の教養科目はあまり重要ではないということになります。
 しかし兵庫医療大学にはそのような雰囲気は全くなく、教養科目は医療系科目と相互補完的な関係にあるという位置づけで、非常に重視されています。実際、2008年度の経済学の受講生はとても熱心で、経済の現状と政治の混迷に強い危機意識を持ち、何とか改革しなければいけないという意欲にあふれていました。受講生のリクエストで、講義時間を延長したこともしばしばでした。
 「医療の世界で働くのに教養は不要、給料のアップにはつながらない」という考え方もできます。しかし患者の立場に立てば、「教養を持った専門家」に診療してほしいと思います。そういう人は、人間としての魅力に溢れ、患者に病気を克服できるという希望を与えてくれるからです。教養とは何か、うまく表現できませんが、「専門知識を核として、まわりに大きく広がり、相手を引き付ける力」といったところでしょうか。読書量を増やし、歴史や文化に親しみ、新聞を隅々までよく読んで政治・経済の動向に明るくなるといった具合に、教養を高めるためにはかなりの努力が必要ですが、私は大学時代、専攻分野が何であれ、しっかり教養を身につけておくことが大切だと考えています。経済学の講義で接した兵庫医療大学の学生は、このような私の思いをよく理解して、とても真剣に毎時間の授業に臨んでくれました。
 もうすぐ4月。新年度も春学期は聖和大学、秋学期は兵庫医療大学で講義します。本務校の関学はもちろんですが、非常勤で教える大学でも、よい学生との新しい出会いを期待しています。

卒業生へのメッセージ(2008年度)

 今日3月18日は関西学院大学の卒業式です。考えてみると、今年卒業する学生たちが生まれたのは、バブル経済真っ只中の1980年代後半です。卒業生たちが歩んできた20年余りの日々と、私が関学に入学して経済学を研究している年数はほぼ一致します。そこで今日はこの間の経済の推移を振り返りながら、感じたことをコメントしてみます。
 学部時代の研究の関心は、日本経済はなぜこんなに好調か、そのメカニズムを様々な角度から解明することでした。企業業績は上昇基調をたどり、株価も面白いほど上がり、世の中はとても明るいムードだったのが忘れられません。就職は銀行や証券会社、それに不動産業界が人気で、入社直後から親の給料より高い給料をもらっていると自慢していた知人もいました。
 それが90年代に入ると、状況が一変します。バブル経済があっけなく崩壊してしまったのです。大学院に入ってから今日までの研究テーマは、日本経済のどこに問題があるのか、どうすれば不況を克服できるのかという深刻なものに変わりました。経済が悪化する原因ばかりをさぐり、様々な景気対策が講じられても、そう簡単に経済はよくならいことを身にしみて感じました。
 大まかに言うと、私が経済を学んできた期間で好況期は20%程度にすぎず、残り80%は長いトンネルの中だったという感じです。したがって経済に対しては、不況が当たり前で、いつ何が起こっても不思議ではないというイメージがこびりついています。
 いつまで経っても先行き不透明な社会情勢の中で、我々は一体何を指針に毎日を送ってゆけばよいのでしょうか。私はやはり、「幸福の追求」に尽きると思います。卒業生のみなさんは、4年間の学びを貴重な財産として、まず自分自身が幸福になるために研鑽を重ね、家族や親しい友人が幸福になるよう精一杯心をくばり、仕事に全力を尽くして社会全体の幸福につなげてほしいと願っています。

2009年度 総合コース502「日本の食文化史」スケジュール表

 調整が少し遅れましたが、2009年度総合コース502「日本の食文化史」は下記の日程で講義を進めてゆきます。
 食は人間にとって最も基本的な営みであり、良好な人間関係を築くのに重要な役割を担っていると考えています。また食の楽しさや、それぞれの地域で受け継がれてきた食文化を次世代に伝えるのは、文化の継承や文化水準を高めるという観点からも大切ではないでしょうか。
 食には健康や栄養面からのアプローチもありますが、私たちの心を豊かにするため、文化面・精神面から分析することも必要です。本講座では、現代人の食をめぐる問題点を明らかにし、精神的な豊かさを実感できるための食のあり方について、受講生のみなさんと一緒に考えたいと思います。

1.4月9日 本講座のねらい 寺本益英
2.4月16日 現代人の食 −何が問題か−(1) 寺本益英・谷本陽蔵
3.4月23日 現代人の食 −何が問題か−(2) 寺本益英・谷本陽蔵
4.4月30日 知って得する食事学 程一彦
5.5月7日 考古学からみた中・近世の食文化(1) 森村健一
6.5月14日 世界の三大料理 −和・洋・中−  程一彦
7.5月21日 戦後日本における食生活の変遷と特徴 寺本益英・安村碩之
8.5月28日 京都の文化と和菓子(1) 山口富蔵
9.6月4日 京都の文化と和菓子(2) 山口富蔵
10.6月11日 考古学からみた中・近世の食文化(2) 森村健一
11.6月18日 日本の伝統文化と食(1) 冷泉為人
12.6月25日 日本の伝統文化と食(2) 冷泉為人
13.7月2日 食MAPから見た日本人の食生活 斎藤隆
14.7月9日 本講座のまとめ  寺本益英 

※ 講師のやむをえない事情で、上記の予定に変更が生じる場合があります。そのときはできるかぎり早く連絡します。

食の安全とスローフード運動(2)

 仕事が多すぎて時間不足という問題をどう解決するかが、近頃の最大の悩みです。新学期まであと1ヶ月に迫り、そろそろ気になり始めたのが講義の準備です。以前書いたかも知れませんが、2009年度、シラバス上では15科目の開講です。そこに聖和大学と兵庫医療大学の非常勤講師が加わります。実際は多少減るにしても、10科目以上は覚悟しなければいけません。
 ふだんあまり担当しない科目で今度当たるのが英語経済書講読です。これまではマクロ・ミクロの簡単な理論を英文で読んでいたのですが、英語以前の経済理論の説明に手間がかかり、英文はあまり進まないことがわかりました。そこで2009年度は、金融危機とか政治の混迷など、最新の政治・経済の動向を論じた短い新聞・雑誌記事を取り扱うことにしました。
 講義の予習のつもりで適当な記事をさがしかけたのですが、実際始めるとなかなか面白いもので、ついついのめりこんでいます。とりわけ、外国人記者が、麻生総理や小沢代表をどう見ているかに注目して読んでいます。
 さて昨日の記事の続きを書きます。イータリーは、一つひとつ独立した小さな生産者の商品を集め、イータリーブランドで送り出すことを目指しています。これによって、イータリーは消費者が喜ぶ安全でおいしい食を提供でき、作り手は生産に集中できるというメリットが期待できるのです。
 イータリーで扱う食材の価格は、一般流通のものより約2割高いそうです。それでも売れ行き好調なのは、よい原材料を使い、手をかけて作っているからです。そしてこれをはっきり消費者に伝えるため試食ができ、生産者や食べ方について、店員による詳細な解説が行われています。
 食に対する安全が脅かされている今、丹精込めておいしく作られた食材なら、多少割高であっても売れるのですね。競争力を失った日本農業の活路は、スローフードに見出すことができるのではないでしょうか。

食の安全とスローフード運動(1)

 春休み期間中といえども会議が多く、研究時間の確保に苦心しています。昨日は教授会、そして今日も総研の会議と続いています。
 食についての原稿も抱えていて、現在作成中です。その中のトピックスのひとつにスローフード運動がありますので、少しご紹介しておきます。
 スローフード運動は、1960年代半ばイタリアのブラ(Bra)という小さな町からスタートしたものです。契機はローマにマクドナルドのイタリア第1号店が開店したことですが、単にファーストフードの対極を表すだけでなく、多忙な現代人の食生活全般を見直す動きに発展してゆきました。活動の指針は、‐辰┐弔弔△訶租的な食材や料理、質の高い地域食品を守る、⊆舛里茲ち悩爐鯆鷆,垢訃生産者を守る、子供たちを含め、消費者に味の教育を進める です。
 スローフードの動きは、わが国にも徐々に浸透していますが、最近注目を集めているのが、2008年9月、東京・代官山にオープンした食品スーパー「イータリー」の日本法人です。(詳しくは『日経流通新聞』2008年10月17日を参照のこと。)この店の最大の特徴は、イタリア国内で伝統的手法により手工業的に作られるスローフードだけを扱う点です。野菜と肉は日本産だそうですが、約1,200品目ある加工食品は、すべ本国イタリアからの輸入で、かつ大半が日本初の商品です。つまり、目新しく品揃えが豊富なことが人気の秘密なのです。もちろん日本でも40以上の農家や生産者を開拓し、直接取引が行われています。

熟考忘れた社会(3)

 最後にもうひとつ話題にしたいのは、効率優先の学びが横行していることです。近頃の若者は、即効性を求め、役に立つことはする、役に立たないと思われることには見向きもしないという傾向が強いようです。
 私は大学教育の目標は、学士力を身につけることだと考えています。学士力については、2008年8月3日の記事で整理してありますが、あらためてご紹介すると、次の4本柱から成り立っています。

1.知識・理解
‖進顕宗Π枴顕修紡个垢訝亮韻陵解
⊃洋爐諒顕宗⊆匆颪伴然に関する知識の理解
2.汎用的技能.灰潺絅縫院璽轡腑鵝Ε好ル
⊃量的スキル
情報リテラシー
は斥的思考力
ヌ簑蟆魴萠
3.態度・志向性
ー己管理力 
▲繊璽爛錙璽、リーダーシップ
N冤観
せ毀韻箸靴討亮匆馘責任
ダ験恭惱力
4.統合的な学習経験と創造的思考力 

 以上をあらためて注目すると、1ヶ月や2ヶ月で身につく能力はないし、何かに即役立つという性質のものでもありません。しかしどんな専攻を経て、どんな仕事に就いても、学士力を鍛えておけば、立派に役割を果たすことができると思います。
 文化を専攻している人は文化の研究を通じて、法学部に在籍する人は法律の学びを通して、学士力を高めることがとても大切です。
 「百年に一度の危機」を乗り切るには、学士力の向上が鍵を握っています。いうまでもなく学士力の向上に近道はなく、日々コツコツとトレーニングを重ねてゆく以外方法はありません。

熟考忘れた社会(2)

 昨日の記事ではさらに「深刻な活字離れ」も指摘されていました。ようするに最近の大学生は本を読まなくなったのです。これも困ったことだと思います。全ジャンル満遍なくというのは無理だとしても、自分の専門分野や関心ある分野の文献は1冊でも多く読むにこしたことはありません。経済学の場合は、分析のスタイルや議論の進め方は、モデルとなるような本をさがして読む以外身につかないと思います。それも字面を読むのではなく、重要箇所に赤線を引いたり、経済用語の意味を欄外に書き込んだりしながら、繰り返し読まなければ、自分の頭に定着させるのは難しいでしょう。しかしその壁を乗り越えると、内容がよく理解できるだけなく、自分の言葉で文章を書いたり、話したりできるようになります。
 ところで活字離れが進む中でよく売れているのは、就職などのマニュアル本や「あらすじで読む」といったお手軽な本です。その一方で、教養書や古典の名作は、売れ行き不振だそうです。私が一番よく目を通す文献のジャンルは学術書なので、個人的にはよく売れているマニュアル本をよく買うわけでもなく、古典や原書は必要なら参照しますが、愛読しているわけではありません。ただお手軽本で知識を身につけるのは悪くはないし、そもそも古典的名著は日本語でも難解で、それが洋書になるともっと手に負えません。したがって文学や歴史、あるいは経済学でも学説史を専攻する際は原典を深く読み込まなければいけませんが、一般人の第一段階のアプローチとしては、「あらすじで読む」といった類の読みやすい本からの出発で何ら問題ないと考えます。

熟考忘れた社会(1)

 『日本経済新聞』で「知が危ない −学びの今−」という連載が始まりました。シリーズの主旨は「百年に一度の経済危機や環境問題を克服すべく世界中がもがくなか、知力は事態打開の重要な鍵だ。日本の学びは大丈夫か。足元を検証する」というものです。
 第1回目の今日のテーマは、「熟考忘れた社会」だったのですが、最近の大学生の実態が紹介されていて、呆気にとられました。ふだん学生と接していて、うすうすは感じていたことばかりですが、ここまでひどいとは知りませんでした。
 私がまず驚いたのはインターネット上に、レポートや大学の期末試験の「取引所」があるということです。レポートの文例やテスト問題の解答例を掲載するのが売り手、ダウンロードする方が買い手です。もちろん有料で、1件いくらという値段がついているそうです。
 定期試験の採点をしていると、講義で全く話した覚えのない事項が書かれた答案や、一言一句まで同一の答案に遭遇することがあります。ぎこちなく、何となく不自然に感じるので、1回目に出てきたときは横へ置いておきます。その後3枚も、4枚も出てきたら、やっぱりと確信するわけです。
 丸写しの答案を提出する学生には、丸写しの元をさがす能力があるというだけで、講義内容を理解しているとは評価できません。したがって私の採点方針では、部分点も与えないことにしています。またそういう学生にかぎって、他の設問は無解答ということがしばしばです。つまり別の問題では、丸写しの元を見つけられなかったわけです。
 こんな経験もあります。以前レポートを読んでいたら、その学生のレポートの第3章の文言に、「6章で述べたとおり」とありました。元の本の7章とか8章をそのまま丸写ししたのは明白です。全く何も考えていないのです。小泉元総理ではありませんが、「怒るというより、笑っちゃうね」の心境でした。
 インターネットが発達し、情報収集が便利になったのはありがたいことです。しかし、情報の質はピンからキリで、必ずしも正しいとはかぎりません。作成者さえわからない文書がいっぱい出回っています。検索エンジンに引っかかったというだけで、それを何のチェックもせず切り貼りするのは無意味であり、中央教育審議会が指摘する「知識基盤社会」の担い手となる大学生がすることではありません。
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