今日は尼崎市の小田公民館へ出向き、「心のふるさと 〜なぜ墓じまいなのか〜」というテーマで講演を行いました。3回シリーズで私の担当は最終回になります。ちなみに3回の共通テーマは、「墓じまい 弔われるものと弔うものの行方」です。
 市民講座ではいつも政治・経済のテーマを扱うことが多く、私にとっては初チャレンジのトピックスになりました。ただ「墓じまい」という言葉はよく耳にしていた上、少子化、高齢化の進展でお墓の維持管理が難しくなっていることは、直感的にわかっていました。私自身も、生活の拠点が西宮でお墓は三重の伊賀市にあるため、そう簡単にお墓参りができません。将来的にお墓をどうするか、自分に差し迫った切実な問題ととらえ、文献や新聞記事に当たりまとめました。報告の骨子は次のとおりです。
 これまで日本の葬儀や墓は檀家制度のもとで行われ、死者を弔う主役は家族や親族でした。しかし近年経済環境が大きく変わり、少子化の進行が著しく、自立生活が困難な単身高齢者も増加し続けています。その結果、介護・看護、看取りから葬儀、墓の管理に至るまでの過程の引き受け手がいなくなってしまったことを指摘しました。。
 そこでまず、そのような事態の引き金となった伝統的な(昔ながらの)家族形態崩壊の要因を明らかにしました。その後このような社会が抱える様々な課題を洗い出し、もはや家族と親族だけで解決するのは困難で、社会全体で対策を立てる必要があることを述べました。
 さらにこうした状況変化とともに、葬儀のスタイルの簡素化が進み、墓事情においては、墓じまいの件数が増えていることを論じました。また墓じまい後の遺骨の行方が多様化していることにも言及しました。そして最後に日本人にとっての弔いの意味について、私なりの考えを示しました。
 日本では古くから故人を丁重に弔ってきたといえます。 葬儀・告別式では遺族が家族と過ごした日々を思い出しつつ、死を心の中で受け止め、参列者は、遺族に慰めの言葉を寄せ、ひとりひとりが焼香したり献花を行い、故人に最後の別れを告げます。
 火葬の後には、「骨拾い」が行われます。親族が集まり、故人の骨を拾い集め、骨壺に入れる習慣も日本の特徴的な葬送儀礼だと思います。「骨」は生命活動の完了を象徴するものといえます。
 そしてお墓は遺族が故人と向き合うための場所であり、心のふるさとなのです。
 こうした日本人の高い精神性に裏付けられた葬送儀礼が衰退の危機にあるのは大変残念です。繰り返しになりますが、介護・看護、看取り、葬儀、お墓の維持という人生の最終局面で直面する問題を家族や親族で支えきれなくなった現代社会においては、社会全体で支える仕組みの構築が不可欠です。