彼に教わった事に、「人は我慢しない」という言葉があります。
彼には、本当に我慢がないのです。
白と黒しかないのです。
やりたいことは、その時にやるし、嫌なことはやりません。
「本当は・・・・」なんていう感情は、皆無です。
そうと知らなかった私は、この言葉を自分の気持ちを
よく見極めろという意味で、解釈してきました。
我慢は、最後まで貫いた時は、真実になるけれど、途中で、
挫折してしまった時は、浅はかな感情が露見してしまうことがあります。
私が、今、決めたことは、本当に、最後まで、貫けることなのか?
あとで、「本当はね・・・」なんて、泣きごとになったり、
相手に恩をきせるようなさもしい気持ちは出てこないのか?と
自分に問いかけるとき、私は「人は我慢できない」という彼の言葉を
思い出します。
私にとって、何が本当に、嫌なことなのか?
何が、本当はしたいことなのか?を、考えていくと、我慢はなくなり、
自らが選択した答えだけが残ります。
彼にこの言葉を、教わってから、私は、とても楽になりました。
自分の決めた事に、自分でけりをつけられるからです。
そして、私は、自分に正直でいることを一番に選択できるようになりました。
そして、同時に、自分が誰かを我慢させているのではないかと、
考えすぎることもやめられました。
人は、自分のしたいことを貫いているだけで、何者かに、
我慢させられているようなことはないのだと考えることが
できるようになったからです。
彼と別れないのは、我慢なのか?いや、我慢したことはない。
もし、我慢であったなら、とっくに別れていたはずです。
私は、誰のためでもなく、何のためでもなく、自分のために
彼と一緒にいる、それを自分に問いかける、ただ、それだけが
毎日続いてきたのです。
コメント
コメント一覧 (2)
自分が「こうだ!」と思っていた考えが、彼の言葉によって、私の固定観念に過ぎなかったのだと気づかされる時があります。そうして、家族以外の世界の中での私の許容範囲(受け入れ幅)は広がり、視野も広がっていく。彼とぶつかった時にはものすごく嫌な思いをするけれど、冷静になって考えた時、自分が絶対の存在ではない事を自覚してしまいます。皮肉なもんですね。
でも、だからといって、決して自分に自信がなくなるわけではない。いろんな解釈があって当然だし、考える機会が生まれ、苦しみながらもお互いがバランスを取っているのかも・・・と思えてしまう。そして、子供たちにも、そこからいろんなことを学び取って欲しい。
だから、私も主人と一緒にいる。決して依存したいからではない。
そうは言っても、やっぱりきつくなる時ってあります
自分を理解してくれるであろう人がいる。とても大きな支えとなっています。
まだ全部読めてないのですが、読めば読むほど、うちの主人に似ている!と思います。
私も主人のおかげで、自分の価値観がひっくり返りました。私自身は人の評価が自分の評価にしていることを、ことごとく指摘され、叩きのめされました。今は落ち着いていますので、そのことについて感謝する気持ちでいっぱいです。私のような人間だから、主人と縁があったのかなとも思います。
ですが、やっぱり正直いろいろきついです。
もっと早くsoraさんのお話を読んでいて、主人のトリセツが少しでも理解できれいればなぁ、と思います。