カサンドラという状態が、あることが徐々に認識されつつある。

以前、カサンドラの方は、自分の心身の不調のために
街中の開業医の精神科を受診した際、
夫に対する違和感を訴えると、全く受け入れてもらえないために
さらに傷を負うというケースがほとんどだった。 

私は、自分の状況を訴えても、誰も耳を貸してもらえないことから、
心身を痛めていくカサンドラにとって、
精神科医の一言が、どれだけ、酷いことか痛感してやまないので、
精神科医のいうことは、聞かなくていいとアドバイスしてきた。

ところが、今は、驚くほど、精神科医の対応が違う。

「それは、ご主人様に発達障害の可能性がありますね」
とすぐに言ってもらえるらしい。

もちろん、言ってもらえたカサンドラの方にとっては、こんなに、
嬉しいことはない。

息がつまるような閉塞感、叩きのめされ続けているような毎日、
誰にも救ってもらえない孤独感を抱えている自分の状況を
肯定してもらえる要因が、見つかった時の嬉しさは、
回復するエネルギーになっていく。

それは、とっても良いことだ。
回復するエネルギーを蓄えなければ、次のステップには、すすめない。

さて、その後である。

この精神科医の「ご主人様は、発達障害の可能性」の大安売りは、
一方、問題になっている「精神科医の発達障害の膨れ診断」を彷彿させる。

診断と受容は、イコールではない。

ましてや、可能性は、診断でもない。

その後、精神科医の話で、回復するエネルギーを得た妻が、そのエネルギーを
無駄に使い果たさないように、ハーンの妻達は、ともにすすむ道を
探っていきたいと思うのだ。