息子は、私と夫と妹に毎朝、起こされ、叩き出され、
なんとか、授業日数を満たし単位を落とさずに、
高校を卒業した。

卒業することと、その先の進路を考えるという二つのことが、
同時に考えられないことを、年末に本人も気づき、私も納得したので、
卒業式まで、先のことは忘れた。

そして、卒業式の後は、私はおこずかいも与えず、息子がどうやって
食べていこうとしているのか、ただ見て見ぬふりで過ごしている。

家で、夫が時々持って帰るコンビニの廃棄を食べながら、昼夜逆転の
生活をいつまで、続けるのか、

でも、ここで、仮に私がわめいたところで、彼は動きはしない。

彼が納得できなければ、どうやっても、動かないことを、世間が、
理解できなくても私だけは知っている。

彼は、夫の息子だけあって、生きる力は、ゴキブリ並みである。
だから、私がしてあげられることは、何もない。

昨夜、その息子が、わざわざ、別居している私の家に来てたずねた。

「ねぇ、僕って、どこがお父さんと似てる?」

息子が、夫の事を自ら口にした。

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息子は、長く父親を嫌っていた。

息子は、小学校高学年になる頃から、夫に
叱られ続け、理不尽に怒鳴られ、家を追い出されてきた。

叱られ始めるとそれは、何時間にも及んだ。

答えられない質問を問われ続け、答えても、答えても、

解放されることはなく、追いつめるように、執拗に問い続けられる。

そして、最後に、叱責は、態度や言葉遣いにおよび、
出て行けと怒鳴られ、息子はいつも、静かに家を出て、何時間も彷徨した。

息子は、夫に反抗するよりも、大人になる事を選んだのだ。

息子には、小さい時から怒りという感情が乏しかった。

息子に対する虐待に近い仕打ちを、誰よりも認識していたのは、夫自身だった。

夫は、息子が、学校から『命の電話』のカードをもらって来るたびに、
カードを壁に貼って言った。

「僕に虐待されていると思った時は、ここへ電話をしなさい」

私には、

「僕は金属バットで息子にいつか、殴り殺されると思う。」

と語った。それでも、夫は自分を抑えられない。

息子は、金属バットを手に取ることなく、命の電話をかけることなく、
夫を避けるために、生活リズムを変え衝突から逃れた。

夫が寝静まるのを、見計らって、そっと家に戻ってきた。

息子は、夫よりも、はるかに大人の対応をとってきた。

長い間、息子に夫の話に触れることがタブーになるほど、息子は、
夫を嫌っていた。

息子は、自分に夫の血が流れていることを悔やみ、恨んだ。

私になぜ、あれを夫にしたか責めた。
自分は夫と全く違う生き方をすると誓うことが、息子の精一杯の反抗だった。

特性が夫と同じ事を起こさせる息子に腹を立てた私が、
「そんなところがパパにそっくり」と言ってしまった時には、
見たことがない形相を浮かべ、地獄から這い出てきたような声で、

「それだけは、言わないで欲しい」と唸られた。

そのセリフが、数日のちも繰り返されるほど、私は彼を傷つけた。

その息子が、自ら夫と自分の共通点をたずねてきた。