夫ネタ★脱却!カサンドラ

13年前にASDと診断された夫との日常や日々思うことを綴ります

カテゴリ: 第一章 カサンドラ症候群でした。

彼は、二人でも三人でも、同時に女性と付き合えてしまいます。
彼に全く背徳感がないので、恐らく、三人いたら、三人の女性とも、
全く他の女性に気づかないと思います。

後ろめたさがないことって、バレないのね。

 

結婚する前に彼は、「浮気は、僕はしないんだ。いつも本気しかないから」
なんて、言っていました。

 

彼の言葉を聞いた相手が、勝手に私にだけ本気なのだと解釈しているだけで、
実はホントに彼は「浮気」という概念がないから、
「しない」と言っているだけなんです〜。

 

二人の女性の家で、交互にご飯を食べたり、映画を各々見にいったり、
旅行に行ったりするのは、「両天秤かけている」って言うんだよって、
話したら、理解ゼロ。

 

何?両天秤?僕は比較なんてしていない。

だって、僕は、ベンツも欲しいし、アストンマーチンも欲しいんだよ。
それは、だめなの?

Aさんはベンツで、大事だし、Bさんはアストンマーチンだから、楽しいのに、
なんで、片方をを手放さなくてはならないか、理解不可能なのです。

相手の不快や悲しみも、わからない。

キミとは別れないと言っているのに、何が不満なの?という感じです。
「だったら、別れる」という女性の当然の叫びを
彼は理不尽に自分を否定していると受け止めます。
悪かった、後悔したなんていう気持ちなど、みじんもありません。


私には、それをそのまま障害の特性として理解することもできるし、受け止める
こともできます。

納得できないまま、アストンマーチンを手放すことをほめることすら、
必要なのかもとも、思います。



「でも、あなたは、屈辱された心をどこにも持っていけないから、
辛いのでしょう?」 

私は、TOSCAを訪れ、淡々と話していたのに、相談員のこの台詞に
突然、胸がいっぱいになって、泣きました。

私は屈辱的だと思うことすら、自分が忘れていたことを、その時に
思い出したのです。
 



 

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二世帯住宅で一緒に暮らしていた母がアルツハイマーになり、
休職したことがあります。
母は、荒れまくりヘルパーさんも誰も寄せつけなくなり、
24時間体制で、家族がみるか、精神病棟に拘束衣をつけさせて
入れるかという状態でした。

夫は稼ぎがゼロ、私が一馬力の我が家にとって、私の休職は、
切迫つまるものでしたが、タイミングと職場に恵まれました。 

大きな出来事は、わかりやすい気づきを与えてくれます。

夫と母は、鏡のように呼応して、夫が原因で、さらに母はやっかいな
状態を引き起こすのでした。
そんな、二人を見て、また、気づくことが、ありました。

原因を把握することは、第一歩でとても大切だけど、さらにその先に、
大切なのは、その人とどうやって付き合っていくかという事ですから、
原因だけ、追及しても仕方ないと思うのです。

相手を責めたり、変えようとしても、あまり意味がない。
自分の方が、正しいとか、普通だとか、言っても、意味がない。

私は、社会人を障害児学校という環境でスタートしました。
希望していた勤務先では、なかったので、偶然の配置でしたが、
私にはそれは、とても、ラッキーな出来事でした。

毎日が、感動の連続でした。
私は、ここにこそ、人が共生していくためのすべての鍵があると、
思いました。
職員のみなさんが、それぞれ素晴らしい方だったからだと思います。

私は、仕事だけでなく、人としても、そこで育てていただきました。

私が求めていた漠然とした価値観は、ここで確立しました。

私自身が、美大出身、マイノリティな嗜好性が強い。

違いにフォーカスしても、人は、閉鎖的になっていくだけです。

同じものを求めていたら、狭くなるだけです。
違うことを、認めて行くことの方が、広がりがあります。

それは、人でも、しばしば事象においても。


私は、違いを楽しめる性分なのだと思います。

好奇心が強い。
たくさんの違いを楽しんでいくと、理由なんて、どうでものよくなり、
結局、一人一人でしかないんだと思えてきます。


アスペルガーも、聴覚障害も、コミュニュケーション障害だと捉えれば、
共通点があったり、忘れてばかりいる母と、夫も同じだと感じたり。
これって、知っているぞっと思うと、
理解がはやかったり、なんとなく、憶測がついたり。

そうやって、つきあっているうちに、○○という原因を考えるより、
その人自身と、付き合うコツを考えているだけになっていき、
上手く付き合えるようになると、自分も、相手も楽になっていき、
うれしい関係になれる。

いつも、うまくいくとは限らないけれど、うれしい関係になれたときは、
私は、素直に自分をほめてあげます。
自分をほめることも大切ですから。

私達は、所詮、自分に必要だと思うから、
その人と出会っているではないでしょうか。

子供は、親を選んで生まれてくるといいます。
私は、なんで、こんな風かなぁ?と思う時、
そこに存在することに何か意味があって、役目があって、
生れてきたのだと思うことにしています。

母のアルツハイマー発症は、私にそのことを確認させてくれました。



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息子が、診断を受けた時に、一緒に彼自身も、望んで、診断してもらい、
アスペルガー症候群だという診断をもらいました。

私は、これで、彼の様々な問題に関して解決法が見つかるかもと、
期待していたのですが、答えは、ありませんでした。

「ご主人は、障害を克服して、十分社会適応されています。
ご家庭内のことは、奥様がコーチングされてください。」

 

彼は、アスペルガーであることを受容していて、二次障害も起こさず、
当時は、まだ、自営業も細々と続けていたのですから、それ以上の治療も、
フォローの必要もない
「健全な」アスペルガーだと精神内科医は、話を終わらせたのです。

 


でも、実際は、会社を二つ倒産させ、私には借金を繰り返し、
家計は火の車、それでも、東京駅から、40キロ離れた自宅まで、
タクシーで帰ろうとする経済観念の欠落が、彼にあった頃でした。

私が話合いを求めては、話がかみ合わず、大喧嘩になる毎日でした。

私の勤務地が当時は、遠く、通勤時間をとられていたので、小さな子供二人の
保育園の送り迎えから、食事まで、彼が引き受けていました。

任せた以上、文句は言うまいと思いながら、家庭の中が、荒れ放題で、
それも、私のストレスでした。

ある日、仕事から疲れて帰ってきて、山積みの彼の仕事の書類をかき分けて、
食事をしている幼い子供達を、見た時は、私は、涙が出てきて、情けなさで、
爆発しました。

 


子供にこんな環境で、食事させるなんて、人間の生活じゃない!!

 


私は、毎日往復4時間近くの通勤時間で疲れきっていましたが、
一週間で散らかりまくった部屋を週末に、まとめて片付けました。
夫と子供の衣類は着たら、最後、引き出しに戻ることはありませんでした。
子供は、まだ、幼く、一人はアスペルガーとADHDでさらに手がかかりました。


汚れた食器が山積みになった吐き気をもよおす台所や、炭になっているレンジの汚れは、
台所に一切、足を入れないと決めて目をつむりあきらめました。
台所を片付ける余力は、ありませんでした。
肉体的に限界だったのです。

 


そして、時々、おいていた生活費が、引き出しからなくなり、
私の銀行預金通帳から、勝手にお金が引き出されました。

黙ってお金をもっていくのは、泥棒だと彼に教えても彼には、
通じませんでした。

私には、コーチングしきれないと、家計のことを弁護士に相談したことも
ありましたが、夫婦間のお金の管理は法律は立ち入れないと言われ、
私は金庫を購入し、鍵を持ち歩きました。

 


私は、愚痴をこぼしたり、誰かを責めるよりも、解決方法を捜したり、
工夫する方が、ずっと建設的だと考えました。
また、自分だけで抱え込むことも、不健全だとわかっていました。

 

どこかに、自分のストレスのはけ口をつくっておくのが良いと考え、
切り口として、市役所の夫婦問題の相談を受けました。
まだ、アスペルガーも、ましてや大人のアスペルガーなんて、
見たことないと思われていたころです。
言葉に気をつけて「あの、私は離婚したいんじゃないんです。
原因も把握しているんですが、自分がこのままでは、もたないので、
なんとかしなきゃと思ってきました」と、話しだしました。


案の定、夫婦関係が理解してもらえません。
「そのあなたの言い方が、ご主人を不快にしていませんか?」なんて、
逆に、お叱りをうけてしまします。
「あっ、いえ、彼ははっきりいわないとわからないので、彼はそれで、
気を悪くはしませんから」


結局、アスペルガーの説明をすることになり、担当の方が、
私の専門外だということで、保健所の発達障害児童担当のTさんという
保健婦さんにアポを入れてくれました。


Tさんが、私の救いになってくれました。
「私は、何もアドバイスはしないが、聞いてあげることはできる」という約束で、
何度か、時間をとっていただきました。


アスペルガー症候群のことを、理解してくれている人に、私の抱えている問題を
聞いてもらうことで、私は味方を得たような心強さを感じ、孤立感から救われました。

 


当時、少しずつ私を蝕んでいったのは、自分の価値観や常識が彼に通じないために
起こる自己喪失感でした。

 


私の方が、間違っているんだろうか?
私が勝手に苦しいと思っているだけなんだろうか?と何を訴えても、
引き受けてくれない彼といることで、自分に自信がなくし、気力が萎えていくのです。

 


Tさんに話すことで、私がおかしいのではない、私に共感してくれる人がここにいると、
私は精神的に回復していきました。

 


当時、私は、私のような人がいたら自助グループをつくりたいとTさんに話していました。
あれから10年以上経ちました。
子供の成長とともに大人のためのアスペルガーの本も、出版されはじめ、
思ってもいない面でも、アスペルガーという言葉は普及してきていると感じています。

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