夫ネタ★脱却!カサンドラ

13年前にASDと診断された夫との日常や日々思うことを綴ります

カテゴリ: 第三章 新たな出発

彼が、コンビニオーナーを目指して、コンビニに勤めだしてから、
私は彼の言葉に耳を疑いました。

「時間がない!」

PTAとコミュニュティーの役員を降りなきゃ・・・」

普通の人であれば、始める前に調整することですが、
彼は、コンビニを始めてから、いくつかの仕事が、
時間的に両立できないことをやっと実感したのです。


そして、彼にとっては、コンビニは、生まれて初めての
過酷な肉体労働でもありました。
身体を休めないと、翌日、もたないのです。

結果、睡眠時間の確保が今までより、確実に必要になりました。


すべてフレックスだった生活が、一転して、規律とリズムの
ある生活にかわりました。人並み?

彼の「時間がない!」というはじめて時間を認識したと思われる実感の
こもった言葉と生活の変化は、私には天と地がひっくり返る
ほどの驚きでした。

今まで、時間は無限、寝なければいいんだと無責任に仕事を
引き受けてきた彼が、生まれてはじめて、仕事の量に時間的限界を
認識したのです。

考えてみたら、彼は、コンビニが、生まれてはじめての、
時給で働く仕事だったのです。

そこにいないと成立しない仕事。
反対に言えばいるだけで、時間分の御給金がくる仕事。

彼の今までの仕事は、3分で1億円分のアイデアを出したり、
締め切りの1時間前に、100万円分の企画書を書きあげたり、反対に、
いるだけでは、役には立たない能力給でもありました。

時間はつくるものということが、まさに文字通り可能だったので、
いくらでも仕事を受けてきたのです。

身体を時間でしばられる。そして、いくらいても、時給800円が急に
800万円にはなりえない世界、彼はそのことにまず、驚愕したのです。

そして、そこで働く人達の価値観や、生活感を彼は学び、
コンビニオーナーとしての組織作りと人材育成に関心を深めていきます。

これは、もちろん、今までの地域やPTAでの活動が、ベースにあり、
また、障害がある息子の育成に真剣に関わってきたからこそ、
いきついた関心事です。


彼は、誰でも、楽しく働ける環境を、それこそ、息子が働くことができる
コンビニ経営を考えていたようです。




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コンビニオーナーを目指し始めた彼は、現場からスタートしました。
ですが、一緒に働く現場の皆さん全員に
「オーナーになれるのかな~??????」と最後までなれると
思われていなかったはずです。


なぜなら、彼は、コンビニ業務が、ことごとく苦手だからです。


まず、はじめから、一年以上たっても、できないことの一つに、
商品の袋詰めがありました。
袋と商品の形状比較ができないから、袋が、大きすぎたり、
小さ過ぎたり、毎日モタモタで、お客さんを苛立たせます。


次から次へと、仕事が途切れない業務です。
目先のことにかまきりのごとく、反応して動いた瞬間、
彼は、今までにやっていたことを置き去りにします。

「このビニール袋は?この雑巾は?この伝票は?」
彼の歩いた後には、?のやりかけが点々としているそうです。


コンビニ業務は、同時に色々な事が起きるそうです。
お客さんがレジで待っている。
外のごみ箱が、一杯だ。
納品の車が、到着した。
トイレ掃除の時間だとか、おでんの具を追加する時間だとか。
そうなると、彼には、何を優先して動いたらいいか、わからなくなるので、
動きがぎくしゃく、もともと、歩き方が妙なのに、ますます、固まります。


また、とりかかった仕事にどれくらい時間を割いたら良いのか、
時間配分が把握できない。


はじめのころ、1時間で済む翌日の発注業務に5時間以上かけてしまう。


声の出し方も、苦労します。
彼は、自分の声のトーンが、わからない。
大きいのか、小さいのか、高いのか、低いのか、
どれくらいの声で、「いらっしゃいませ」を言えば良いのか?


態度だけは、そのまま大きいままなので、本部の方が来ても、
店長さんと思われてしまうそうです。
この態度のでかさも変えられません。

現場のみなさんに、呆れられながらの毎日だったはずです。


彼が、現場のみなさまにご迷惑をかけずに、勤められるコンビニが、
もしも、できたら、それは、つまり、発達障害の方が
勤められるお店になるはずです。
彼は、オーナーになることで、そんな事も考えていたようです。



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彼は、なぜか、長い間、お金をもらうことに嫌悪感がありました。

仕事なのに、しばしば、無償で仕事をしてしまうのです。
無償の行為として、引き受ければ、文句を言われた時に、
断れるからだとも言いますが、それだけではないように思います。
はっきりと理由はわかりません。

いらないと思っていても、そこは、広告業界、
バブルの最中であれば、お金は動き、彼のようなお金に執着がなく、
大雑把な経営方針でも、お金はまわっていたのだと思います。

ところが、会社が傾いて、郊外に住居を移し、主夫業と同時並行で
仕事するようになってからも、金銭感覚の疎さは変わりませんでした。


広告業界は夕方からが佳境です。保育園の送り迎えをどうするのか。
クライアントに保育園のお迎えがあるから仕事は5時までと言ってあると
いう彼の言葉に、すっかり私は、騙されていました。

実は、都心から、自宅近くの保育園のお迎え時間に間に合わせるために、
高速をタクシーで飛ばし、月40万円タクシー代をかけていたのです。


青山に事務所を移した時は、すでに、彼は、会社を縮小し、
5~6人いた社員を解雇し、一人になっていたので、
当然、人件費が、年商分から、浮き、一人で40万の交通費は、
計算上、問題ない経費だったのだと言いはります。


なんとなく納得?いえいえ、違う方法があったはずです。
すでに私から借金を繰り返して、経営を回していたことを考えると、
とんでもない話です。


結婚当初から、今日まで、彼の収入を私は把握したことがありませんし、
家計費を月々決まった額をもらったこともありません。
まったくわからない彼の収入をあてにするよりは、私は、
私で堅実に生活していくことが、何かあった時に役立つはずだと、
覚悟していました。


会社経営していたころの彼は、ほとんど家に帰らないような生活だった
ので、唯一、夕食を外でとって、一緒に過ごすようにしていました。
必ず飲む彼と食事をすると、毎晩1~2万円はかかっていました。
彼の払いとはいえ、月30万以上かかるエンゲル係数に
私は青ざめていましたが、言っても、無駄なので、あきらめていました。
彼は、彼として生きるしかないのです。

お金が足らなくなったら、稼げば良いという彼の発想は、仕事があった
時代の発想でした。


まったく仕事がなくなったときに、彼は、広告の仕事を求めずに、
フランチャイズの小売業にいきなり足を踏みいれたのです。

ここで、また、新たな体験、新たな人達と出会って彼にとって、
驚愕の毎日が始まります。

そして私も驚くことが起き始めました。

私が、変えることをあきらめてきた彼の金銭感覚や時間の概念に
気づきがみられる発言が出てきたのです。



環境ってすごい!体験ってすごい!
それを学習する彼の順応性の高さが何よりも、面白い!
 
 


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PTAでは、役員として、地域では、コミュニティーの
運営委員として、
彼の主夫業は、さらに充実していきます。


彼には、長年やりたかったことの一つとして、
「子供の放課後居場所つくり」が、ありました。
彼は、すでに、地元の学校や学生ボランティアの協力得て、
子供の放課後の学習会を実践していました。

彼は、「子供の放課後居場所づくり」を拡大化させた地域の
コミュニュティーと子供の食育をコラボレーションした企画を
行政に地域活性事業案として提案し、
私の心配をよそに、
プレゼンテーションを通してしまいました。


私の心配とは、また、大風呂敷を広げて、やりきれなくなり、
皆さんにご迷惑をかけ、信頼を失うことでした。


これまで地元で築いてきた皆さんの協力なくして、
通らないプレゼンテーションだったはずです。


彼のコンセプトは、いつも素敵です。
現実的ではない点は多々あっても、夢と勇気を人に与え、
何が大切なことかを思い出させてくれるのです。
現実的ではないなあと思いながらも、本当にできたら面白いと
思う人達の心を彼は動かします。

そんなたくさんの協力者がいながら、彼の意識は、常に一人です。
大勢の味方を得ているように見えて、
実は誰とも、共に何も構築している意識はない人、それが彼でした。


どんなに彼の夢に関わりたくても、私にできることは、いえ、
私だけでなく、どんな人でも、できることは、
側にいることだけだということを、私はわかっていました。


私の特権は、それを一番前で、舞台裏まで、関係者として、
立ち入る権利をもっているということだけです。


その頃、彼の細々と続いていた広告関係の仕事が、
完全に途絶えてしまいました。

さて、自分のおこづかいもまったく稼げない状態になった時に、
彼の中で、何か変化があったようです。


お金にまったく興味がなかった彼が、「稼ぐ!」と決めました。


彼には、どうしよう~?という期間はありません。

広告業界で、古くからお世話になった方が、近所でコンビニオーナーとして
成功していることを思い出し、会いに行ったかと思いきや、コンビニ開業を
決めて帰ってきたのです。


 

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