彼は、なぜか、長い間、お金をもらうことに嫌悪感がありました。
仕事なのに、しばしば、無償で仕事をしてしまうのです。
無償の行為として、引き受ければ、文句を言われた時に、
断れるからだとも言いますが、それだけではないように思います。
はっきりと理由はわかりません。
いらないと思っていても、そこは、広告業界、
バブルの最中であれば、お金は動き、彼のようなお金に執着がなく、
大雑把な経営方針でも、お金はまわっていたのだと思います。
ところが、会社が傾いて、郊外に住居を移し、主夫業と同時並行で
仕事するようになってからも、金銭感覚の疎さは変わりませんでした。
広告業界は夕方からが佳境です。保育園の送り迎えをどうするのか。
クライアントに保育園のお迎えがあるから仕事は5時までと言ってあると
いう彼の言葉に、すっかり私は、騙されていました。
実は、都心から、自宅近くの保育園のお迎え時間に間に合わせるために、
高速をタクシーで飛ばし、月40万円タクシー代をかけていたのです。
青山に事務所を移した時は、すでに、彼は、会社を縮小し、
5~6人いた社員を解雇し、一人になっていたので、
当然、人件費が、年商分から、浮き、一人で40万の交通費は、
計算上、問題ない経費だったのだと言いはります。
なんとなく納得?いえいえ、違う方法があったはずです。
すでに私から借金を繰り返して、経営を回していたことを考えると、
とんでもない話です。
結婚当初から、今日まで、彼の収入を私は把握したことがありませんし、
家計費を月々決まった額をもらったこともありません。
まったくわからない彼の収入をあてにするよりは、私は、
私で堅実に生活していくことが、何かあった時に役立つはずだと、
覚悟していました。
会社経営していたころの彼は、ほとんど家に帰らないような生活だった
ので、唯一、夕食を外でとって、一緒に過ごすようにしていました。
必ず飲む彼と食事をすると、毎晩1~2万円はかかっていました。
彼の払いとはいえ、月30万以上かかるエンゲル係数に
私は青ざめていましたが、言っても、無駄なので、あきらめていました。
彼は、彼として生きるしかないのです。
お金が足らなくなったら、稼げば良いという彼の発想は、仕事があった
時代の発想でした。
まったく仕事がなくなったときに、彼は、広告の仕事を求めずに、
フランチャイズの小売業にいきなり足を踏みいれたのです。
ここで、また、新たな体験、新たな人達と出会って彼にとって、
驚愕の毎日が始まります。
そして私も驚くことが起き始めました。
私が、変えることをあきらめてきた彼の金銭感覚や時間の概念に
気づきがみられる発言が出てきたのです。
環境ってすごい!体験ってすごい!
それを学習する彼の順応性の高さが何よりも、面白い!

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