夫ネタ★脱却!カサンドラ

13年前にASDと診断された夫との日常や日々思うことを綴ります

カテゴリ: 第四章 そして、毎日が進行形

イイトコサガシの冠地情氏プロデュースの「家庭力セミナー」に
講師として、お招きいただいた。


職場カサンドラもやんわりだけど、耳にし、口にされることが以前より、
多くなっている。
 
大人の発達障害者は、意外や、隣にもいるわかりにくい存在と少しずつ、
世間が認知してきている。

合理的配慮の実施迫る教育現場でも、一向にすすまない発達障害理解。

さて、そういった背景で、「家庭力」でできること。
それは、カサンドラ状態の妻や母にまず、元気になってもらうこと他ならない。

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アスペルガー・アラウンドを訪ねてくるカサンドラ状態の男性パートナーは、
社会人としては、自立できていて、構造化された社会生活をこなせる
力のある方々である。

それは、家庭内で、「ことが起きた時」に突如、判然とする。

それは、妻の病だったり、出産だったり、ご本人のリストラだったり、
所属の配置換えだったり、取引先の破産だったり、
あるいは、夫を利用する女性の存在だったり・・・・・。

「一大事」のその時に、その特性はわかりやすく露見するのだ。

大人の発達障害に支援が必要とされるケースがある事は、理解されてきた。
しかし、「大人の発達障害」のための書籍のほとんどは、発達障害当事者のための
就労に関することだったり、社会人としてのコミュニケーション力をつけるための
ものだ。

家庭内のカサンドラは、発達障害当事者の社会自立では、救われないところにいる。

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私は、今、研修会企画を抱えていて、発達障害のある方の大学進学について、
調べている。

大学生活の一つの側面として、一人暮らしを始める学生がいる。

家族から離れて、ライフスキルの必要に迫られる学生。

学生生活を継続させるために、そのスキルの育成を担うことになる大学。

ここに、私は、よく知っているカサンドラ状態の女性が抱える若き日の
パートナーの原型を見つけた。

世界保健機関:WHOによるライフスキルには、
日常のさまざまな問題や要求に対し、より建設的かつ効果的に対処するために
必要な能力である。

その中には、カサンドラ状態の女性が一番に口にする
共感する能力や、自己認識力の項目がある。

冠地情氏プロデュースの「家庭力セミナー」の参加対象者は、けして、
発達障害に関わる方ではなく、一般市民である。

家庭で補えなくなったところを補うのは、果たして、学校なのか。

発達障害者当事者である冠地情氏が、各回入れ替わる講師とともに全6回
参加する。
乞うご期待である。

家庭力セミナー、第一回は、10/18日(日)13:30〜16:30、
狛江市あいとぴあセンター
狛江市・イイトコサガシ共催

詳細は、アスペルガー・アラウンドHP内Facebookをご参照下さい。

かれこれ8年近くお世話になっているハッピーシーズンの
葵先生のところへ昨日は、伺った 。

葵先生は、運気を教えてくださる以上に、私はコンサルティングまで、
最近は請け負ってもらっている。

というよりも、コンサルタントを探していたら、なんのことはない。
長年、信頼を置いている葵先生がコンサルタントとして、
適任だったことに最近、気づいただけである。

2015年前半は、葵先生がご心配くださったほどは、激動することなく、
まずまず、通過してきた。
予想外だったのは、とにかくハードスケジュールだったことである。

葵先生が勉強するのは良いとおっしゃったので、知りたい、学びたいと
気づいたことは、全部突っ込んでしまったので、やらねばならぬことに加えての
習い事だらけ、宿題に追われる日々だった。

ちょっと、やりすぎ?
でも、それは、来年、全て実るそうなので、それを信じて。

6月は自分を大切にする月だと、葵先生からアドバイスされていたことを
思い出し、
悲鳴をあげていた身体のために、無理やり時間をあけて
エステに行き、オステオパシーに行き、ネイルもやった。

昨日はその自分を大切にする最終日だった。

午前中は、葵先生のところへ行き、飛躍運の来年に向けてコンサルティングいただき、
午後は、夫婦カウンセリングで、鳥居先生に癒され、
夕刻から、早稲田大学で米山先生に学び、充実感いっぱいで、満ち足りて終わった。

おまけに、夜、夫がオフィス開設祝いにプレゼントをくれた。

       もちろん、プレゼントは自動的に来るわけはありません。
       私の全て、指定済みのプレゼントです(笑)
       でも、お祝いの気持ちは、嘘ではないので、ありがとうです。

夫婦カウンセリングの話と米山先生の話は、また、どこかで。

米山先生の話は、診断基準(DSM−5)変更後の私が勉強不足だったことを
まとめて伺えた。
かなり、濃密で追いつけていなかったところもあるので、これから、復習。

横浜の宮岡先生の講演でも思ったけれど、最前線で患者を見ている方は、
ちゃんとわかっていてくれていると思う。
でも、圧倒的にその数が少ないんだと思う。

       
        アスペルガー・アラウンド代表として、お名刺を交換して帰ってきました。
 

夫に感心することなんて、しでかすことの大きさですぐに
帳消しになってしまうから、書いておこうと思う。

昨晩は、夫婦カウンセリングで、宿題になっていたことを
実践した。

「母親ができないことを父親が務めるー父親が、息子に独り立ちを通告する」

以前、ここに書いた夫婦カウンセリングで学んだことをおさらいする。

http://blog.livedoor.jp/khan2013214-otto/archives/44126680.html


母親という生き物は、子供から離れられない生き物らしい。 
情を断ち切ることができない。
しかし、その関係は子供の独立には、弊害となっていく。

それを断ち切ることが、父親の仕事らしい。
この見解は、私は、自分のことだけでなく、家庭のあり方として、
とても、納得できてしまった。

そして、自分が息子に対していたらないと思ってきた情けなさを
解放してもらえた言葉だった。

理屈では、「こうするべき」と思うこと、
仕事では、アドバイスできていることが、息子には、
思うようにできない自分を責めていたから。

息子に情愛をかけてしまう自分は、母親という生き物として、
当然のことなんだと自分を許すことができた。

この母親ができない情愛を断ち切って、子供を独立させる役割を
果たすのが、父親だという。

我が家の父親は、自ら曰く、
「断ち切るんじゃなくて、叩き潰す予感がする・・・」
実際、長年、夫は、息子を叩き潰してきたわけで・・・。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

結果は、思っていた以上、パーフェクトだった!
私は、こんな風に息子と対話をすすめられない。

うまくいった要因は、息子が、大人になっていたこと。

そして、夫が、また、変化できていたこと。

夫は、コンビニ経営から、収入を得ることは未だ、できないけれど、
他人を学ぶことは、できてきたのだと思う。

私も口を開きたくなる息子の沈黙に耐え、答えを待ち、
その答えを受容し、丁寧に、質問を返し、最後に、スモールステップを
共有し、目標を定めるところまで、もっていった。

素晴らしい〜!

そして、さらに、300点!と思ったのは、決めたことを、
息子に紙に書かせて、そして、進捗状況を、一週間おきに、
報告させる時間を設定したことである。

すごい!

本当に素晴らしかった。

息子も変化していた。
息子の「はい」という返事を聞いたのは、うーん、15年ぶりぐらいかもしれない。

この息子の「はい」が、ことをすすめた大きな要因ではあるので、
夫ばかり、ほめすぎなのかもしれない。
でも、今までであれば、
息子が奇跡的に「はい」を答えたとしても、夫は、その「はい」を
踏みにじり、叩き潰していたはずだ。

 

今日は、フルリールかながわさんの横浜の講演会にいく。

毎日、追われる生活の中で、
今日は、楽しませていただく事だけ考えて、
出かけられる嬉しさよ。

着物の色合わせを楽しむ。

迷うことや、決めることを喜びとする。

この選択することを楽しめる力を奪われている状態が
カサンドラなんだと思う。

着物3
 

















ちょっと、早いけど、帯に鯉のぼり 

「ねぇ、僕って、どこがお父さんと似てる?」

夫と似ていると言われることを何よりも嫌う息子である。

慎重に答える。

「性格は全然ちがうよね~。」

「でもさ、同じ特性を持っているわけじゃん、アスペルガーの・・・」

「例えばさ、黒人は肌が黒いしさ、日本人は髪が黒いじゃん」

「それは、仕方ないことで、日本人っぽさが日本人にみんなあるように、
アスペルガーの特性はあるわけよ」

「ふ~ん、わかった」と息子は去っていった。

5分にも満たないやりとり。何がわかったんだか・・・。


********


今日は、夫婦カウンセリングだった。

夫が私のためにやってくるはずの宿題について、話すつもりだったが、

宿題は途中だった。

それでも、経過報告があったことに、感心した。やっているらしい。

でも、話すテーマがない。



息子を話題にしてもらった。


私の一番の気がかりだったから。

母親の役割、父親の役割について、第三者入れてを話せるのは
とてもありがたい。

夫は、自分の考え方以外、何も受け付けない。
自分と同じように息子にやらせることしか、思わない。

セラピストは、息子がASDであることを良く理解している。

私の教育者としての、そして、母親としての葛藤も受け止めながら
すすめてくれたと思う。

夫にさらに宿題が出た。

私がやるしかないはずの「男親」の役割を夫にやらせようということになった。


「母親というのは、一生、息子を心配し続ける生きものなんです。
それをナイフで断ち切る役が父親です。
こどもが大きくなったら、オスは、群れからオスを追い出します。
同じ家にいさせることが、不自然なんです」


それができるのは、母親ではなく、父親であると。

********

相談したいことがあって、一緒に帰った。

夫が、言った。

「先生にさ、僕はナイフで断ち切るんでじゃなくて、
ハンマーでつぶしちゃうんですって、言いたかったけどやめた」

うーん。そんな気がする。



息子は、私と夫と妹に毎朝、起こされ、叩き出され、
なんとか、授業日数を満たし単位を落とさずに、
高校を卒業した。

卒業することと、その先の進路を考えるという二つのことが、
同時に考えられないことを、年末に本人も気づき、私も納得したので、
卒業式まで、先のことは忘れた。

そして、卒業式の後は、私はおこずかいも与えず、息子がどうやって
食べていこうとしているのか、ただ見て見ぬふりで過ごしている。

家で、夫が時々持って帰るコンビニの廃棄を食べながら、昼夜逆転の
生活をいつまで、続けるのか、

でも、ここで、仮に私がわめいたところで、彼は動きはしない。

彼が納得できなければ、どうやっても、動かないことを、世間が、
理解できなくても私だけは知っている。

彼は、夫の息子だけあって、生きる力は、ゴキブリ並みである。
だから、私がしてあげられることは、何もない。

昨夜、その息子が、わざわざ、別居している私の家に来てたずねた。

「ねぇ、僕って、どこがお父さんと似てる?」

息子が、夫の事を自ら口にした。

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息子は、長く父親を嫌っていた。

息子は、小学校高学年になる頃から、夫に
叱られ続け、理不尽に怒鳴られ、家を追い出されてきた。

叱られ始めるとそれは、何時間にも及んだ。

答えられない質問を問われ続け、答えても、答えても、

解放されることはなく、追いつめるように、執拗に問い続けられる。

そして、最後に、叱責は、態度や言葉遣いにおよび、
出て行けと怒鳴られ、息子はいつも、静かに家を出て、何時間も彷徨した。

息子は、夫に反抗するよりも、大人になる事を選んだのだ。

息子には、小さい時から怒りという感情が乏しかった。

息子に対する虐待に近い仕打ちを、誰よりも認識していたのは、夫自身だった。

夫は、息子が、学校から『命の電話』のカードをもらって来るたびに、
カードを壁に貼って言った。

「僕に虐待されていると思った時は、ここへ電話をしなさい」

私には、

「僕は金属バットで息子にいつか、殴り殺されると思う。」

と語った。それでも、夫は自分を抑えられない。

息子は、金属バットを手に取ることなく、命の電話をかけることなく、
夫を避けるために、生活リズムを変え衝突から逃れた。

夫が寝静まるのを、見計らって、そっと家に戻ってきた。

息子は、夫よりも、はるかに大人の対応をとってきた。

長い間、息子に夫の話に触れることがタブーになるほど、息子は、
夫を嫌っていた。

息子は、自分に夫の血が流れていることを悔やみ、恨んだ。

私になぜ、あれを夫にしたか責めた。
自分は夫と全く違う生き方をすると誓うことが、息子の精一杯の反抗だった。

特性が夫と同じ事を起こさせる息子に腹を立てた私が、
「そんなところがパパにそっくり」と言ってしまった時には、
見たことがない形相を浮かべ、地獄から這い出てきたような声で、

「それだけは、言わないで欲しい」と唸られた。

そのセリフが、数日のちも繰り返されるほど、私は彼を傷つけた。

その息子が、自ら夫と自分の共通点をたずねてきた。


ハーンは、駆け込み寺とサブタイトルがついているにも関わらず、
現在、ほとんど新規のご相談を受け付けられていない。

より、多くの方のご相談を受けられるように、
事業の拡充を目指すべく、今、ハーンは、活動内容を
ブログタイトルとともに変えようとしている。

駆け込んで来られる方にお会いしながら、
ワークショップの準備に追われてながら、
なかなか、準備は進まない。



時間をぬって、お会いする方は、

「検索していたら、ブログに行き当たりました。」

「夜中に、NONFIXを偶然、見ました。」

そして、

「夫がアスペルガーっぽいと思っていたのですが、まさか、
私と同じような人が他にいるなんて、思ってもみませんでした」

「テレビの中に、私がいるって、びっくりしました」

「私の状態にカサンドラという名前があるなんて、驚きました」

とおっしゃって、「偶然」情報と出会えたことを、奇跡として、
喜ばれ、そして、仲間と繋がったことだけで、明日を生きる力を
得て帰られる。

孤独感、疎外感、自己否定感で、いっぱいなカサンドラにとって、
一番、必要なものは、

自分の状態を肯定してくれる情報であり、

状態を共有してくれる同じ状況の仲間である。


ブログを読んだだけ、NOFIXを垣間見ただけで、
回復に向かったという方もいるのだから、
まず、カサンドラは、社会認知されることが、第一義だとと思う。


まだまだ、肝心の方に情報が届いていない。


後を絶たない新規の方との出会いの中で、
その事に私は、胸を痛め、気持ちは、急いていく。
 

カサンドラという状態が、あることが徐々に認識されつつある。

以前、カサンドラの方は、自分の心身の不調のために
街中の開業医の精神科を受診した際、
夫に対する違和感を訴えると、全く受け入れてもらえないために
さらに傷を負うというケースがほとんどだった。 

私は、自分の状況を訴えても、誰も耳を貸してもらえないことから、
心身を痛めていくカサンドラにとって、
精神科医の一言が、どれだけ、酷いことか痛感してやまないので、
精神科医のいうことは、聞かなくていいとアドバイスしてきた。

ところが、今は、驚くほど、精神科医の対応が違う。

「それは、ご主人様に発達障害の可能性がありますね」
とすぐに言ってもらえるらしい。

もちろん、言ってもらえたカサンドラの方にとっては、こんなに、
嬉しいことはない。

息がつまるような閉塞感、叩きのめされ続けているような毎日、
誰にも救ってもらえない孤独感を抱えている自分の状況を
肯定してもらえる要因が、見つかった時の嬉しさは、
回復するエネルギーになっていく。

それは、とっても良いことだ。
回復するエネルギーを蓄えなければ、次のステップには、すすめない。

さて、その後である。

この精神科医の「ご主人様は、発達障害の可能性」の大安売りは、
一方、問題になっている「精神科医の発達障害の膨れ診断」を彷彿させる。

診断と受容は、イコールではない。

ましてや、可能性は、診断でもない。

その後、精神科医の話で、回復するエネルギーを得た妻が、そのエネルギーを
無駄に使い果たさないように、ハーンの妻達は、ともにすすむ道を
探っていきたいと思うのだ。


 

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