2014年07月31日

佐世保の女児殺害事件をどう考えるか 2

内藤朝雄さんのもう一つの重要な指摘は、マスメディアの報道に関するものだ。それは多くの人の不安をあおり、間違った認識を広めるというものだ。

今回の事件も10年前の事件も滅多に起きない特殊な事件であるにもかかわらず、報道された加害女児については日常生活としてはごく普通の振る舞いをしていたように見える。いったい特殊なのか普通なのかが見えてこない。もし普通の人間がこのような事件を起こしたと考えるなら、どの子どもにもそのような可能性があるという発想になるだろう。

加害女児の持っている特殊性をどのように理解するかというのは、この事件を解釈する上で非常に重要なものになる。しかし、マスコミは視聴者を驚かせるセンセーショナルな話題の方を視聴率が稼げるという理由で採用したがる。それがどのような結果を生むか。

10年前の事件について内藤朝雄さんはNHKの取材について次のように答えたらしい。

「佐世保の小六殺人のような極めて珍しいタイプの事件には、一般的な青少年の像を描くような代表性はありません。統計的には未成年者による殺人は減っていますし、『凶悪化した』などとは言い切れません。それに対して、傑出した人間にしかできない美談のような青少年へのアプローチを紹介して、それで何とかなるような幻想をまき散らすことは控えるべきです。金八先生のような人というのは、人口比で言うと非常に少ないものです。普通のありふれた人が、普通に子どもに接して、それでもうまくいくような良い制度を作らなくてはいけません。」

極めて特殊な事件であることと、制度設計によって問題解決を図るという重要な指摘がされているのだが、実際のマスメディアの報道では全く反対のものが為されたようだ。  続きを読む
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佐世保の女児殺害事件をどう考えるか 1

2004年長崎県佐世保市で女児の殺害事件が起きたとき、内藤朝雄さんは『「ニート」って言うな!』(光文社新書)<http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A8%80%E3%81%86%E3%81%AA-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%AC%E7%94%B0-%E7%94%B1%E7%B4%80/dp/4334033377/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1406765371&sr=1-1&keywords=%E3%80%8C%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A8%80%E3%81%86%E3%81%AA>の中で詳細に論じていた。

今奇しくもまた佐世保市で同じような事件が起きた。10年前に内藤さんが指摘したことを参考に、今回の事件への見方を考えてみたい。

内藤さんは、この中でマスメディアの報道の問題を論じているのだが、最初の重要な指摘は次のようなものだ。

「今は子どもが少し何かしでかすと、我々のコスモス=意味の世界が壊れてしまう、と過剰に恐れる大人たちがいます。「世の中がこんなに不透明になって不安でたまらない」と、弱っちょろい大人たちが捉えて、それをマス・メディアがあおるという構図になっているのです。」

理解の難しいことは分からない状態が長く続いて少しずつ理解できてくる。分からないという不安な状態を保ち続けなければならない。しかしこの不安に耐えられない人間は、単純に自分の理解できる範囲での説明をほしがる。それを提供するのがマスメディアの「報道」と言うことになる。

自分が理解できる範囲を超えているものに対しては「秩序を乱すけしからんもの」という感情がわいてくる。けしからんものが悪いものであり、汚いものであれば心は安心する。マス・メディアはそのような単純な感情を満足させてくれる情報を色々集めてくれる。だがそれでは本質は全く分からない。見えない。見ようとしない、見たくない人にとってはそれでもいいのかもしれないが。  続きを読む
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2014年07月24日

勇気と希望を与えるアドラー心理学 1

久しぶりにまとまった文章を書いてみたくなった。アドラー心理学のすばらしさを日々感じている。そのすばらしさを何とか自分の言葉にしてみたい。『アドラー心理学入門』(ベスト新書)から、感銘を受けた部分を引用しながらそのすばらしさを語ってみたい。

1 「しかしアドラー心理学の特色は、この母親との関係がたとえうまくいかなかったとしても、そのことが致命的であるというわけではなく、後に父親との、あるいは、それもうまくいかなくとも友人らとの関係がうまくいくならばそれでいい、と考えるということです。」

アドラー心理学は、因果論で自分を捉えない。目的論で未来を見る。これが勇気と希望を与える。もし因果論的に自分を見れば、過去の何らかの原因で自分が形成され、その影響がずっと続いているとしか見えなくなるだろう。過去の原因は取り除くことができないので、未来永劫に絶望が続く。

だが、それらはこれからの自分にとっては致命的な欠点ではないのだ。これからの自分がどのような自分になりたいのか、と言う目的によって過去の解釈も変わってくる。この発想は、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんがいつも語っていた「どちらに転んでもしめた」というものに似ている。解釈によってある事柄がいつでも「しめた」というとらえ方ができて、次のステップへの希望になる。

この解釈の違いというのはイソップの「酸っぱいブドウ」ではない。手に入らなかったブドウにどんな価値があるかも分からないのに、それは「酸っぱい」のだと解釈してあきらめるのは単にご都合主義的な詭弁に過ぎないが、可能な解釈の中で、常に前向きに解釈できるものを探すというのは、発想法という技術の問題だ。アドラー心理学は、生きるための技法を与える。  続きを読む
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2013年06月09日

平成21年度一橋大学法科大学院入学者選抜試験問題を考えてみた

「平成21年度一橋大学法科大学院入学者選抜試験」

に紹介されている「平成21年度一橋大学法科大学院入学者選抜試験問題」について考えてみた。

問題は安富歩さんの『生きるための経済学』という著書からの抜粋の文章を読んで答えるものだっ

た。質問は次の二つだ。

問1 問題文の著者は、「選択の自由」、「神の御意に従う自由」および「フーテンの寅さんの自由」

に言及しているが、それぞれの自由の内容と相違を説明しなさい。(句読点も1字と数え、800

字以内とする。)

問2 問題文の著者は、「選択の自由」と「神の御意に従う自由」のいずれも受け入れることが出来な

いと主張しているが、あなたが望ましいと考える自由のあり方について論じなさい。(句読点も1

字と数え、1000字以内とする。)

実際の問題では字数制限があるが、これでは難しいので字数を気にせずに論を展開していきたいと

思う。また問題文だけの抜粋だけでは論考が難しいので、実際の安富さんの著書の他の部分も参考

にして考えてみようと思う。この質問をネタにしていろいろと考えてみようと思う。  続きを読む
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2013年03月26日

促進学級(特に年配者)の生徒の学習について 2

生徒のモチベーションの理解(いかにしてそれを高めるか)


加減乗除の筆算に関しては、概念理解が曖昧でもアルゴリズムそのものが単純なのでその学習にあまり支障は出ない。しかしアルゴリズムが複雑なものに関しては、概念理解を基礎にしてアルゴリズムの法則を学んだ方が理解が深まる。

分数に関しては、異分母同士の足し算・引き算に関してはかなり複雑なアルゴリズムを持っている。これを記憶だけに頼っていると、使わなくなれば忘れてしまう。かつて話題になった分数の出来ない大学生は、記憶だけで計算を覚えていた大学生が、いきなりテストをされてその記憶が間違っていたのを知らされたのではないかと考えられる。これは、概念化されない記憶は使わなければ忘れられることを示しているのだろうと思う。

生徒にとって、アルゴリズムとしての複雑さを持った対象の計算を正しく行うために、その記憶を助けるという観点で概念の確立を目指したい。このような学習は、ある意味では記憶力の優れた生徒にとっては、いたずらに面倒な議論をしているように見えて、かえって煩わしく感じられる。しかし、そのような記憶が十分に出来ない生徒にとっては、記憶の助けとして概念理解のモチベーションを高めることが出来るのではないかと予想している。

学習における困難さを乗り越える鍵は、いかにしてモチベーションを高めるかということにある。簡単なものには壁はなく、繰り返し練習することでそれが習得できる。しかし難しいものは、習得の壁があり、その壁を乗り越えるには単純な反復練習では出来ない。反復練習の限界を補うものが学習対象に対するモチベーションの高さになる。これを喚起することが出来れば、あとは方法的な失敗があっても壁を乗り越えられることが多い。  続きを読む
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2013年03月25日

促進学級(特に年配者)の生徒の学習について 1

今年度の実践をまとめたものを書いたのでここにも残しておこうと思う。概念獲得の学習はどうあるべきかというのを考えてみた。「暗黙知」というものが深く関わっていて、これを解明できたら効果的な学習が出来るのではないかと感じている。まだまとまってはいないが、暗黙知についてもちょっと言及している。


アルゴリズム習得の学習

促進学級で学んでいた年配者の授業では、従来は計算アルゴリズムを覚えて、加減乗除の筆算を練習することが多かった。これは、学校経験がなかった人にとっては、今までやりたいと思いながらも出来なかった勉強であるので、それをすることに喜びがあり意欲も高かった。この数学は、小学生の子どもにとっても、覚えたことの正しさがよく分かり正しい計算が出来ることの成果が見えるので、好きな学習になることが多い。

筆算のアルゴリズムを覚えることは、加減の段階であれば複雑さが少なく覚えることもそれほど苦ではない。しかし、割り算になってくると2桁以上の数で割るときには仮の商を立てるなど複雑さが増してくる。分数の計算になるとそのアルゴリズムはさらに複雑になり、記憶することが大変になってくる。

アルゴリズムを覚えて計算をする勉強は、それがスムーズに行われている間は意欲も高く成果も出るが、その記憶に困難を感じるようになると意欲が低下し成果も出てこなくなる。そのため、やりやすい段階でとどまることが多く、いつまでも加減乗除の筆算にとどまって学習するというケースが多くなる。また、記憶によって習得したアルゴリズムは、使わなくなれば忘れるので思い出すために繰り返し最初からやるようにもなって、筆算の段階から抜け出すのが難しいというのが、これまでの促進学級の現状にはあった。  続きを読む
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2013年02月03日

自民党憲法草案批判 5 憲法34条のロジック

「自民党憲法草案の条文解説 前文〜40条」

で憲法について考えていたら、第34条のロジックに非常に興味深いものを見つけた。現行憲法と改正案とを引用しておこう。

<現行憲法 第34条>
「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」

<自民党改正案 第34条(抑留及び拘禁に関する手続の保障)>
「1 何人も、正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され、又は拘禁されない。
2 拘禁された者は、拘禁の理由を直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示すことを求める権利を有する。」

この条文に対しては解説では次のようなコメントをつけている。

「34条では正当な理由と理由告知と弁護人依頼権のうちの一部がなくても抑留拘禁され得るとも読める文言になっていますが、そこまで意図しているのかは不明です。」

この解説はその通りだと思うのだが、論理マニアとしてこの文章に引きつけられるのは、ここに書かれていることの理解が直感的には難しいのを感じる点だ。直感的には両者の違いがなかなか読み取れない。読めば読むほど分からなくなってくる。これは、この文章の書き手の論理が混乱しているのか、隠された意図を含んだ巧妙な作文なのかと言うことが非常に気になる。  続きを読む
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2013年01月27日

自民党憲法草案批判 4 元首としての天皇(第一章)

「自民党憲法草案の条文解説 前文〜40条」

を参考にして次に天皇について書かれている第一章を見ていこうと思う。ここでのポイントは「元首」という言葉ではないかと思う。「象徴」という言葉で書かれていた現行憲法の天皇を「元首」と呼ぶことにしていることの意味はどこにあるのか。

元首の辞書的な意味は次の通りだ。

「有機体としての国家の首部だとか,国家権力の全能者という元首の観念はほとんど歴史的役割を果たし終え,今日では,通例,対外的に国家を代表する地位にある国家機関をいい,条約の締結,外交使節の任免,全権委任状・信任状の発受などの外交権能を伴う。元首を,君主のように世襲によるものとするかどうか,合議機関(例,旧ソ連邦最高会議幹部会)とするかどうか,また実質上行政の首長として国政を統轄するものとするかどうかは,それぞれの国の憲法の定めるところによる。」(「世界大百科事典 第2版の解説」


この定義に従って日本の天皇を考えれば「元首」であるという判断も出来る。その意味が辞書的な範囲にとどまるのであれば、現行憲法の「象徴」と大した違いはない。自民党のQ&Aでは、あえて「元首」と記述するかどうかが議論されたと語っている。つまり、辞書的な意味では「元首」として扱われているのは事実なので、わざわざ言う必要はなかったのだが、記述することに意味を見いだしていると言うことだ。ではその意味はどこにあるのか?  続きを読む
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2013年01月20日

自民党憲法草案批判 3 各条文の検討(前文)

「自民党憲法草案の条文解説 前文〜40条」

を参考にして、各条文の細部を検討してみたいと思う。最初は前文を読んでいこう。まず目につく変更点は現行憲法が「日本国民は」と国民を主語にしているのに対して、改正草案では「日本国は」と国家が主語になっている点だ。これはどのような内容の変更だと解釈すればいいだろうか。

これはどのような述語につながっているかを見ると予想できる。

・現行憲法「日本国民は」…「行動し」「確保し」「決意し」「確定する」
・改正草案「日本国は」……「持ち」「国家であって」「統治される」

現行憲法では、国民の意識の方を重視し、その意識は「民主主義」「平和協調主義」「自由の尊重」「戦争否定」などをその意識の内容とすることを主張している。これこそが憲法の主題だと宣言している。一方改正草案では、「固有の歴史と文化」が価値あるものとされ、「天皇を戴く」と言うことに国家の重要性を見ている。国民主権という言葉が入っているが、どのような主権が確定されているかの言及はない。むしろ「統治される」と言うことの方が強調され、これは後の内容である、「国民主権」の制限につながっていくのではないかという懸念をもたらす。

現行憲法は、民主主義の理想を実現させるためにアメリカが日本に押しつけたと言われている。ここに語られているのは理想であり、残念ながら日本では実現されていないことの方が多いように見える。だが、理想は現実離れしているからという理由でこれを棄てることの正当性が出てくるだろうか?理想は掲げることに意味がある。それが今は実現されていなくても、理想として持ち続けることに価値があるなら、理想以外のすべての面では妥協をしても、ここでは妥協を許さないという項目として掲げておく価値がある。
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2013年01月14日

自民党憲法草案批判 2 全体像のスケッチ

「自民党憲法草案の条文解説 総論」

を参考にして自民党憲法草案の全体像のスケッチを描いてみたいと思う。細部の理解というのは、全体像の正しい把握があってこそ正しいものになる。全体像を描かずに細部の理解を進めると、細部の言葉にこだわってしまって正しい理解が得られないことがある。特に理論的な問題を考える場合はその傾向が大きい。まず最も大きいスケッチは次のようなものだ。

1 国民が国家に命令する本来の憲法ではなく、国家が国民に命令する逆転した憲法になっている。
2 人権と人権がぶつかったときの解決法(人権の制限)は従来は「公共の福祉」という概念で、これはあくまでも「人権対人権」の対立の解決を目指したものだった。それが無くなり新たに「公益又は公の秩序」というものが人権を制限する概念として登場した。国家が国民の人権を制限する根拠を提出した。

この二つは何を意味しているか。それは自民党憲法草案が通って、これが新憲法になると国家の暴走を防ぐことが出来なくなると言うことを意味している。日本はかつての戦争で国家の暴走を止められなかった。この憲法改正案が通るなら、その反省が全くないと言うことになる。

解説では「人権とは、生きること、幸福を追求すること、知ること、働くことなど、欠くことのできないあらゆる権利のことです」と語っている。現行憲法はこれを基本的人権として現在及び未来にわたっても永久不可侵のものとして守らなければならないと謳っている。だが、どの人間の人権も同等のものとして提出されていると、そこに正反対の利害関係を持ったものが生じる可能性がある。それを調整する概念として「公共の福祉」というものがある。

「公共の福祉」は、「公共」という言葉があるために誤解しやすいが、社会の利益のために個人を我慢させるというものではない。個人の人権同士が衝突している場合、どのようにして調整を図るかという指針になるのが「公共の福祉」の概念だ。

「法学館憲法研究所 第9回 <「公共の福祉」ってなんだろう?>」

には次のように書かれている。  続きを読む
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2013年01月13日

自民党憲法草案批判 1 文献の紹介

自民党の憲法草案に対して批判的立場からそれを検討していこうと思う。本質は、民主的な憲法とは全く違うものであり、民主的な憲法が国民から国家への命令として機能するのに、国家から国民を縛るものとして提出されていることだ。それは反民主的なものであり、憲法と呼べない憲法もどきのものだ。

これから何回か書いていこうと思うが、初回にはいくつかの貴重な参考文献を紹介しておこうと思う。まずは

1 「自民党憲法草案の条文解説」

だ。ここに書かれている解説は自民党の憲法草案の本質を鋭く突くものであり、しかも非常にわかりやすい解説となっている。最初にこれを読んで全貌をつかんでおくと理解が深まるだろう。「総論」の解説が素晴らしく、

「憲法は、法律ではありません。近代立憲主義憲法は、国家権力を制限し人権を保障する法です。つまり、法律を作るときや、それを運用するときは、こういう方針でやらなければなりませんよということを、国民が国家に遵守させる法です。日本国憲法もそうなっています。
 今回の草案は、そうした従来の意味での憲法ではありません(そのことについてどう考えるかは自由です)。
 つまり、国民が憲法尊重義務を負い(102条1項)、人権衝突とは別個の概念である「公益又は公の秩序」(12条後段、13条後段、21条2項等)による人権制限が正当化され、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」(12条後段)することが要求され、前文冒頭の主語が国家になっているなど、国家から国民への法へと変容を遂げているのです。」

と言うまとめには正にその通りだと頷く。  続きを読む
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2012年12月29日

河野太郎さんが提言する特別会計の廃止は実現するか?

河野太郎さんが2011年09月05日のブログエントリー

「さあ、特別会計を廃止しよう!」

で次のように書いている。

「第三次補正の財源の議論が始まっているが、国債整理基金などの剰余金の取扱について、財務省がまた、訳のわからんことを言い始めている。
 財政の内容をわかりやすくするためにも、また、来るべきプライマリーバランスの議論の前提を整理するためにも、特別会計の廃止が必要だ。
 現在の予算では、特別会計とのやりとりでいくらでもプライマリーバランスをでっち上げられるので、プライマリーバランスを実現するためにはその前に、特別会計を廃止し、一般会計への統合が必要だ。
 自民党のシャドウキャビネットの行政刷新・公務員制度改革担当チーム(河野太郎(ただし現在役職停止中)、平将明、古川俊治、柴山昌彦、熊谷大、磯崎仁彦、三原じゅん子)は、特別会計の廃止および一般会計への統合に向けて作業を進めてきた。
 以下、チームの提言を述べる。わかりにくいかもしれないので、図を参照のこと。なお、関係各省庁からはヒアリングを行い、統合の実現性については確認済み。
 新政権の行政刷新もこれぐらい抜本的にやってもらいたい。
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基本方針
プライマリーバランスの均衡を図るために、特別会計を廃止し、全てのフローを一般会計に統合する。
 ただし、ストックの管理のために積立金特別会計を新設し、各種積立金はこの特会のなかにそれぞれの勘定を設置して管理する。この特別会計から派生するフロー資金は、歳出歳入全て一般会計を経由する。
 地方共有税特別会計を設置し、旧地方交付税及び譲与税財源を直入する。直入額があらかじめ定められた一定金額を下回る場合は、その金額との差額のみを一般会計から繰り入れる。この地方共有税特会資金の配分は国が関与せず地方六団体が行う。
 債務の償還に関する国債整理基金を設ける。現在の各特別会計の余剰金で特に将来決まった使途のない『埋蔵金』は一括して国債整理基金に繰り入れ、債務の償還と将来の利払いの削減に充てる。
 フローを一般会計に統合することにより、手数料等における負担と給付の関係性を絶つ。また、一般会計内の電波管理料など特定財源となっているものを一般財源化する。
 一覧性の維持と収支関係の把握の容易性のために、一般会計の中に一般勘定、借換収支を管理する借換勘定、積立金特別会計へのストックの繰入操出に関する積立金繰入操出勘定、各種再保険の保険料と保険金を積立金特別会計に繰入繰り出しするための再保険勘定の四勘定を設ける。
 一般勘定の中に収支のつながりの強いものの関係性を示すために年金関係収支、医療関係収支等の「関係収支」を掲げる」。

やはり河野さんは有能な政治家だ。何が合理的で大切な問題であるかを知っている。

安倍政権で河野さんが重用されたならこの方針が実現されるだろう。しかし河野さんのニュースは全く聞こえてこない。このことで安倍政権が「改革」については本気ではないと言うことが伺われるのではないか。

今後、安倍政権の中で河野太郎さんがどの程度の位置にいるかと言うことに注目していこうと思う。  
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2012年12月27日

『日本が自滅する日』3 利権の巣窟−道路特別会計

日本が自滅の道を歩むのは、日本が持っている富が利権に奉仕するために消費されるので、それがやがて食いつぶされると言うことが見えているからだ。その利権は富を生み出しているのではなく、誰かの犠牲の上に富を食いつぶしている。その犠牲として倒れた人々がやがて誰もいなくなったところで破滅が見えてくるようになってくる。破滅が見えてきたらもう手遅れだ。その前に破滅への道を理解して何とかしなければならない。

石井鉱基さんが具体的に分析する利権の姿を見て、どのように利権が富を食いつぶしていくか見ていこう。最初に分析するのは「道路特別会計」だ。ここにどのように金が入ってきて、どのように金が出て行くかを見れば、利権が富を食いつぶす様が具体的に見えてくる。

収入の中心になっているのはガソリン税(揮発油税)で石井さんは次のように書いている。

「ガソリン税収は年間3兆円弱で、その4分の1が直接、道路特会に入る。残りの4分の3はさらに2ルートに分かれる。いったん一般会計に入れ、そこから道路特会へ入るのが一つ。もう一つは交付税特会に入ってから一般会計経由で道路特会に入る。石油ガス税もガソリン税とは別に二分割で道路特会に入る。さらに軽油引取税、自動車取得税、自動車重量税が道路事業に使われる。NTT株売却益を使った産業投資特別会計からの無利子融資もこの特会に入る。」

この複雑な流れは文章だけではわかりにくい。石井さんの本では図解して説明している。とにかくなぜこれだけ複雑な流れにしているかと言うことはよく考えなければならないだろう。これは流れを見えにくくすることが目的だと思われる。流れがよく見えてしまうとそれが利権に消えていることがすぐに分かってしまうからだ。

これらの道路に関する金が、本当に道路の整備などのために使われていればまだましなのだが、多くは利権に消える。だから石井さんはこれを廃止しろと主張しているのだが、この税金が残り続ければ「目的税としてのガソリン税などと道路特会がある限り、道路整備事業は自動的に、無限に続いていく仕組みになっているわけだ」という石井さんの指摘の状況が続くことになる。  続きを読む
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2012年12月24日

『日本が自滅する日』2 利権財政の御三家−特別会計、財投、補助金

石井鉱基さんは、第一章で利権財政を支える財政について詳細を論じている。財政というのは、利権を生み出す基になる金を作り出す仕組みで、単純化して言えば国に入ってくる金をそのまま使えば不正流用になるので、それが分からないようなカラクリを作って、実際には利権として既得権益者の懐に入っているのに、いかにも公的に使われるように偽装する仕組みになっている。

利権財政はいわば裏の顔で、表の顔の一般会計は税金と借金(国際)で金が入ってくる仕組みになっている。これが公金であることはわかりやすい。公金であるからにはそれを払う人間がすべて納得するような使い方をする必要があり、誰もがその金の流れに注目している。だが裏の財政はどこから金が入ってどこに流れていくかがわかりにくくほとんど情報が明らかになっていない。だから利権に流れていってもそれを指摘する人がいなくなり、既得権益にとってはしたい放題のおいしいものになる。

裏の財政である特別会計にはどのような金が入ってくるのか。一つには特定財源と呼ばれる税金がある。所得税や消費税のような一般的な用途を持つ税金ではなく、使用目的が制限される道路特定財源のような揮発油税や地方道路税のようなものだ。これらはそれを払う自動車の保有者に還元されるのであるから何となくそれが正しいように感じてしまう。だがその特定財源が本当に特定の目的の下に合理的に使われていればいいが、単に利権所有者に流れるだけであるなら、本来その税金によって利益を享受できる人にその利益が回らなくなる。

特別会計の問題として石井さんは次のようなものを指摘している。

「特会は財投と同様、基本的に各省庁が予算編成権を持っているので、省庁の自由裁量で事業予算を決めることが出来る。そのため、特会を持っている省庁は、お手盛りで予算をふくらまそうとするのである。」

特会の予算は省益によって使い道が恣意的に決められている。官僚が国民の側を向いて公正にその使い方を考えているならば、省益が国益と重なることもあるだろうが、今までの省益の歴史を見る限りではそのようなことはほとんどない。国益に反していても省益を優先してきたという内部告発には事欠かない。(宮本政於さんの『お役所の掟』など)国を無視して省益を優先させればそれが破綻することは目に見えている。特会は原理的にそのような破滅の可能性をはらんでいる。  続きを読む
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2012年12月23日

『日本が自滅する日』1 その根本原因と本質的な対処の提言

選挙で自民党が圧勝した現実を目にすると、石井鉱基さんが予言した「日本が自滅する日」というのが近づいてしまったのを感じる。僕は残りの年数をカウントするような年になってしまったが、何とか自滅をとどめたいとも思う。子供達の世代のために。何とか石井さんのこの優れた仕事を広めたいと思いそこから学んだことを書き記していこうと思う。

この本は、副題として「官制経済体制が国民のお金を食い尽くす」と書かれている。石井さんがこれを書いたのは2002年の1月だったのだが、この指摘はまだ国民が共有するものとなっていない。だから、本物の改革ではない自民党が多くの国会議員を輩出するような選挙結果が出たのだと思う。本物の改革を願う民意が大きくなるように、これを深く考えてみたいと思う。

「官制経済体制」というのはいったいどのような状況を言うのか。それはフェアな競争によって経済の発展を促す真の意味での「市場」が失われ、官による経済支配を受けたニセの「市場」が、利権というものへの奉仕をする働きを持っている体制だ。その市場には、国民から集められた富が官によって恣意的に垂れ流され、官が持つ利権に利益をもたらすような仕組みを作っている。どれほど民間経済が疲弊して損害が出ようとも、官が利益を得ればその体制は維持発展させられる。

だがこのような「官制経済体制」は、経済の枠そのものが広がっていくような時代にしか持続可能ではない。枠が狭まり、発展が無くなってしまえば今ある富をどんどん食いつぶしていくだけであるから、その体制を変えない限りは、いつかは限界が来て破滅(自滅)するというのが石井さんの指摘だ。論理的にはきわめてわかりやすい指摘であるにもかかわらずに、その具体的中身がほとんど知られていないので、これに対する本物の抵抗が大きな民意とはなっていない。

「官制経済体制」の基本的構造として石井さんは次のようなものを挙げている。

1 中央集権
2 官僚制
3 計画経済
4 閉鎖財政

「官制経済体制の下では基本的に経済は権力に従属するため、本来の経済(=市場)は失われる」と石井さんは指摘している。市場が失われた経済は、その富を発展させることは出来ない。しぼんでいって最後は破滅するだけだ。これをやめられない日本は自滅への道をたどることになる。  続きを読む
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2012年11月23日

小沢裁判二審判決の論理的考察 5 判決文の合理性を考察する その4

今度は、

「小沢一郎さん控訴審判決要旨  東京高裁・小川正持裁判長 2012年11月12日」

を参照しながら、二審判決が「事実誤認」という指摘をどう覆す論理を構築しているかを見てみよう。まずは、「事実誤認」の内容を改めてまとめておこう。

「被告人は、本件4億円を借入金として収入計上する必要性や、本件土地の取得等を平成16年分の収支報告書に計上すべきであり平成17年分の収支報告書に計上すべきでないことを認識していた」

と言うのが控訴趣意書の主張であり、「認識していない可能性がある」としたのは「事実誤認」だと言うのだ。その根拠は、

・「被告人は平成16年10月29日にりそな4億円の融資関係書類に自署しており」
・「常識的な経済人として、その当日ないし近接した日に融資が実行され、本件土地の売買代金の支払が行われると認識していたのは明らか」

であるというものだ。ここでの証明のポイントは、「常識的な経済人」というものが「その当日ないし近接した日に融資が実行され、本件土地の売買代金の支払が行われる」と考えるのが妥当かどうかと言うことの判断に論理的な帰結がかかっている。これが、必ずしも言えないというのが二審判決の結論なのである。

「本件土地の取得や取得費の支出が平成17年に先送りされたと認識して」いれば、虚偽記載と不記載については、実際にはそうであっても、そう書くのが間違いだという認識が存在せず、「故意」が証明されないことになる。だから、「故意」を証明して犯罪性の証明をしたい指定弁護士にとっては、この認識があったというのが決定的に重要だ。

果たして「常識的な経済人」は、「4億円の融資関係書類に自著」すれば、そこから、それがすぐに行われるものと認識して、先送りになったとは考えないものだろうか?その「可能性」が考えられるのならば指定弁護士の証明は失敗するのであり、「可能性」をすべて否定できれば成功するのである。  続きを読む
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小沢裁判二審判決の論理的考察 4 判決文の合理性を考察する その3

「小沢一郎さん控訴審判決要旨  東京高裁・小川正持裁判長 2012年11月12日」

を参照しながら、二審判決が控訴趣意書の主張をどのように否定していくかという論理の筋道を考えてみようと思う。一審判決では、


「「被告人の故意及び実行犯との共謀について証明が十分ではなく、本件公訴事実について犯罪の証明がない」として、被告人を無罪とした。」


と言う結論を出した。石川・池田という元秘書に対しては「故意」を認めたものの、小沢さんに対しては

「本件4億円の簿外処理や本件土地公表の先送りが違法とされる根拠となる具体的事情については、石川らにおいて、被告人に報告してその了承を受けることをせず、被告人が、これらの事情を認識していなかった可能性があり」

「本件4億円を借入金として収入計上する必要性や、本件土地の取得等を平成16年分の収支報告書に計上すべきであり、平成17年分の収支報告書に同年中のものとして計上すべきでないことを認識していなかった可能性を否定できない」

と言う理由から、上記の結論を出している。キーワードは「可能性」である。共謀という告発を受けていた小沢さんは、その犯罪性を直接証明できる証拠がなかったので、「共謀でない」という「可能性」をすべて否定されて初めて「共謀」だという証明になる。従って「可能性」(これは「共謀でないという可能性」)が少しでも見られるなら、それは犯罪の証明にならないのであり、有罪には出来ない、つまり無罪だという判断になるのである。

これは疑いがあるのに証明できないから無罪になったというのではない。疑いが真実であるという証明が出来なかったのであるから、それは単に疑いに過ぎなかったと言うことなのである。疑いに過ぎないことで人が裁けるはずがない。疑いに過ぎないと言うことは、それが不当な告発であり、えん罪である可能性が高いと言うことなのである。  続きを読む
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2012年11月22日

小沢裁判二審判決の論理的考察 3 判決文の合理性を考察する その2

小沢さんの裁判は、犯罪ではないものの犯罪性を証明するという無理を犯しているので、その証明は重箱の隅をつつくような些細なものを犯罪と結びつけている。従ってどのような事実を認定して、その事実からどのような解釈で犯罪性を導いているかと言うことが非常にわかりにくい。

事実解釈が犯罪に結びつかないと言うことがどう合理的に説明されているかを見ていきたい。それが合理的な判断だからこそ、論理的な帰結として「犯罪の証明が弱い」というものが出てきて、証明できないのだから「有罪ではない」つまり「無罪だ」という結論が出てくる。

「小沢一郎さん控訴審判決要旨  東京高裁・小川正持裁判長 2012年11月12日」

から引用をしながら考えてみようと思う。まずは石川さんの行動を時系列的に拾い出してみようと思う。

・平成16年10月5日
 株式会社ミブコーポレーションの仲介により、東洋アレックス株式会社との間で売買契約書を作成
 買主を「陸山会代表小沢一郎
 残代金支払日を同月29日に予定
 本件土地を総額3億4264万円で購入
 東洋アレックスに手付金等合計1008万円を支払い
 ミブコーポレーションに仲介手数料500万円を支払った

・平成16年10月12日
 本件土地の購入資金等として現金4億円(本件4億円)を小沢さんから受け取る。
 本件4億円を赤坂事務所の金庫に一且保管した後、3億8492万円を陸山会代表小沢一郎名義のりそな銀行衆議院支店の預金口座 (本件ロ座)等の口座に分散して入金した  続きを読む
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2012年11月18日

小沢裁判二審判決の論理的考察 2 判決文の合理性を考察する その1

二審判決の要旨については、

「小沢一郎さん控訴審判決要旨  東京高裁・小川正持裁判長 2012年11月12日」

と言うページに書かれているものが見やすくて、読むのに便利だ。判決文そのものは法律的な文章なので非常に読みにくい。どの言葉がどこにかかるのかを、文法的な知識をもとに読解しなければ全く訳の分からない文章に見えてしまう。それを考察するのに役に立つような工夫がこのページではなされているので、判決に関心のある人はこれを読んで考えるといいだろうと思う。

僕は論理的側面としての合理性に関心があるので、ここに書かれていることが合理的であるという面を引き出せるような読み方をしてみようと思う。陸山会事件の全容を論理的に考察すれば、これが全く犯罪とは呼べないような事実を無理矢理犯罪に結びつけたためにデタラメなものになったと言うことが分かる。

まず確認したいのは、原判決(一審判決)に何が書かれていたかだがそれは指定弁護士の控訴趣意書にも次のように記されている。

<事実認定>

原判決は 陸山会の平成 16年分及び平成17年分の収支報告書に本件公訴事実どおりの虚偽記入及び記載すべき事項の不記載があることを指摘している。

 石川知裕に故意が認められる部分
 ・平成16年分の収支報告書における本件4億円の収入並びに本件土地の取得及び取得費の支出に係る虚偽記入・不記載

 池田光智に故意が認められる部分
 ・平成17年分の収支報告書における本件土地の取得及び取得費の支出こ係る虚偽記入

 被告人(小沢一郎)に関する事実の部分
 ・石川らから本件4億円を簿外処理すること
 ・本件土地の取得及び取得費の支出を平成16年分の収支報告書に記載せず
 ・平成17年分の収支報告書に記載すること
以上の3点にについて報告を受けこれを了承した、しかし次のこと
 ・本件4億円の簿外処理や本件土地公表の先送りが違法とされる根拠となる具体的事情
については、石川らにおいて、被告人に報告してその了承を受けることをしなかった。
「違法とされる根拠となる具体的事情」を小沢さんは知らなかった。  続きを読む
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2012年11月15日

小沢裁判二審判決の論理的考察 1 デタラメな詭弁にどのようにして気づくか

小沢裁判二審判決については、郷原信郎さんの

「陸山会事件の構図自体を否定した控訴審判決とマスコミ・指定弁護士・小沢氏の対応」

と言うブログエントリーを読むと、この裁判のデタラメさがよく分かる。特に、様々な事実が明らかになった今となっては、事実がそのデタラメさを指摘すると言うことになり、検察側の主張の論理的おかしさがよく分かる。郷原さんは、

「この事件の捜査の段階で、検察は、4億円の借入れと定期預金の担保設定は、水谷建設からの裏献金を隠ぺいするための偽装工作として行われたとの構図を描き、マスコミも、その偽装・隠蔽を「水谷建設からの裏献金疑惑」に結び付け、それこそが事件の核心であるかのように報道した。」

と書いているが、この裏献金は全く事実ではなかった。この件に関しては検察の側はまったく立証できなかったのだ。だが、マスコミのデタラメ報道で多くの人がこれを事実だと受け取り、裁判そのもののデタラメさが見えなくなっていた。

今回明らかにされたのは、

「政治資金収支報告書への虚偽記入についての小沢氏の故意を否定しただけでなく、更に踏み込んだ事実認定を行い、重要な事項について、実行行為者である秘書の石川知裕氏及び池田光智氏について虚偽記入の故意がなかったと認定した。そして、それ以上に重要なことは、りそな銀行からの4億円の銀行借入れと定期預金の担保設定に関する指定弁護士や検察の主張の根幹部分を正面から否定する認定をしたことだ。」

ということだ。郷原さんの言葉では「犯意が否定された」というようにも語っていた。犯意が否定されたと言うことは、その行為の結果として何かの間違いがあっても、それは犯罪とは認定できないと言うことだ。この裁判は、元々犯罪でも何でもないものを犯罪のようにでっち上げたデタラメなものであったことが、事実によって認定されそれが判決となったと言うことなのだ。  続きを読む
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