2004年07月12日

選挙の評価

何事も、評価をするということは難しいものだ。評価というのは基本的に「解釈」に過ぎないので、その正しさを証明することが出来ない。今の時点では、それが妥当であるかどうかという印象を語るしかないからだ。
数学における評価というものを考えてみても、「数学が出来る」というような抽象的な評価は出来ない。どのような現象を捉えて「数学が出来る」というのか、その具体的な評価基準を作ることが出来ないからだ。

もっとも客観的な評価は、ある時点で、ある試験を課して、その時点では正解を何%書けたかということが事実として知られるだけだ。だから、特殊な時点の特殊な問題に対して、どれだけ出来たかという評価は、かなり信憑性が出てくるだろう。しかし、それにしても、問題の正解というものが、誰の目から見ても確かに正解だと思われるほどハッキリしていなければならない。誤解されそうな問題が入っていたら、評価の信憑性はそれだけ低下する。

数学という白黒がハッキリ出せるものであっても、評価というものはそれほど信用できるものではない。これが、「数学への興味・関心」という「数学的態度」を評価したり、「数学的能力」を評価しようとすれば、ほとんど信用できない評価になってしまうだろう。僕は大学での数学科の同級生が、高校までは最高の数学の評価を得ていたのに、大学では「学問」と呼べるレベルの数学がほとんど出来ていないのを見てきた。高校までの評価がいかにいい加減かが分かる。

さて、表題にしている選挙の評価というものを、今回の参議院選挙に当てはめてみると、これは信頼できるものがほとんどないのではないかと感じる。

新聞報道などでは、「自民敗北」「民主勝利」などという文字が躍っているが、本当にそうだろうかと僕は疑問に思う。自民党が改選前の議席を獲得できなかったという、それだけの単純な基準で「敗北」などという評価が下せるのだろうか。また、勝った・負けたという次元で選挙を評価しようということに、僕はそもそも疑問を感じる。

選挙は、スポーツのような勝ち負けを競うゲームなのだろうか。正当なルールがあり、審判がいて、インチキがないように誰もが注目し、ゲームが終わったあとは、なんの影響も後に残さないという、スポーツのような要素を持っているのだろうか。結果として、勝ち負けが出てしまうのは仕方がないとしても、勝ち負けを競うものだととらえるのには僕は大いに疑問を感じる。

勝ち負けで選挙を評価するのは、占いが当たったかどうかで評価するようなものだ。選挙の評価というのは、今後の予想を伴った評価で、今後にどのような影響を与えるかということが分かる形で評価すべきなのではないだろうか。評価としては、今回の結果を解釈することになるのだが、その解釈が、今後を正しく予想しているかどうかで、解釈としての評価の妥当性が確かめられる、というような評価をすべきではないのだろうか。

今の段階では、市井の一個人である僕には、選挙の全体像をつかむだけの情報がないので、とてもまとまった評価は出来ない。しかし、評価の観点はいくつか考えられる気がする。それは次のようなものになるだろうか。

1 今回の選挙を自民党・公明党の与党はどう受け止めるか。

2 批判と受け止めて、これまでのことを反省して改めるか。たとえば、説明責任を果たしていないという批判に対して、これからは、十分な説明をするようになるだろうか。

3 与党として過半数を取ったことを「支持」と受け止めて、これまでの方向をさらに押し進めるようになるのか。

4 民主党は数字の伸びをどう受け止めるか。与党への批判が回ってきた「期待票」と受け止めるか、民主党自体が「支持」されたものだと受け止めるか。

5 人々の、民主党への期待はどういうものか。また、その期待に民主党が応えていけるかどうか。

6 民主党以外の野党は軒並み議席数を減らした。これをどう受け止めるか。これらの政党は、基本的な大衆的支持を失ったと言えるのか。それとも、選挙制度に問題があるのか。

7 本当の意味での民意というのはあるのか。また、民意があるとしたら、それは今回の選挙で反映されたのか。

8 民意を作るには、一人一人に情報が行き渡り、判断をする材料がなければならない。それがちゃんと出来るような環境があるかどうか。

9 投票行動に関するもので、投票しやすい条件が作られているかどうか。アメリカの大統領選などでは、黒人の票などは、民意として反映しないように、黒人が投票しにくくなるような制度になっていると、マイケル・ムーアが批判していた。そういうものは、日本の選挙制度ではないのだろうか。

ざっと考えただけでも、このような疑問がわいてくる。この疑問に関連した観点というもので、今回の選挙を評価することを考えてみたいものだと思う。どっちが勝ったかということよりも、今後どうなるかということの方が我々には大事なのだと思う。

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2004参院選 総評【KAIGAN】at 2004年07月13日 20:22
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護憲派への鎮魂歌(Requiem) 【前編】【Paisiblog = paisible + blog】at 2004年07月13日 19:20
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参院選−敗北したのは「政治」であり、勝利したのは「イメージ」である【tool box under the tree】at 2004年07月12日 15:35
一応、やっといた方がいいでしょう(苦笑 新聞やマスコミ報道では 「民主躍進」「自民低調」と書いていますが、小生はそう思っていません。 昨年の 衆議院選挙と同じで共産・社民という泡沫政党を削って民主に足しただけの結果ですから。 以前、 小泉総理大臣が「
参議院選挙総括【或る荒川区民のつぶやき】at 2004年07月12日 12:49
昨日は参議院選挙。 一応、10時頃までニュースをつけていましたが、だいたい勝敗がわかって寝ました。 それにしても、以前より選挙のワクワク感がなくなったような気がするのはなぜだろう? 私が小さい頃は、「選挙」と「台風」の日だけ夜更かしが許されていて、夜遅く.
参議院選挙雑感【働く人々】at 2004年07月12日 12:41
この記事へのコメント
僕は、神保哲生さんと宮台真司さんの「マル激トーク・オン・デマンド」を見ているのですが、今週は選挙についての評価で、やっぱり刺激的で面白いことを語ってくれています。

基本的な流れとしては、二人とも、自民が衰退して、いままでの古い体質の政治は終わりを告げるという見方は一致しているようです。それは、自民党にとって、ますます公明党に頼らざるを得ない状況が強まっていることから、その流れを判断しています。僕もそれには頷けるものを感じます。

しかし、対抗勢力の民主党が、この流れをつかみきれず、自民党と同じ古い政治体質を引きずっているために、「なんだ変わらないじゃないか」というあきらめが有権者にあるのではないかという見方も、なるほどと思えるようなものです。

実際には、古い政治と違う、本当の意味で民意を反映するような政党が出てくれば、韓国で劇的な選挙があったように、日本でも古い政党が消え去っていくという期待が出来る日が訪れるのではないかと思っています。いまは、それを一日でも早く実現するにはどうするかということを考えたいですね。
Posted by 秀 at 2004年07月13日 09:36
秀さん今日は トラックバックありがとうございます。
コメントいただいて以来、全てのエントリーを拝見しています。
物の見方を身近な話題に当てはめて語る秀さんのエントリーを見るのが一つの楽しみになっています。
私にとっては今回の選挙はいろいろなねじれと矛盾を含んだものでした。すっきりとした気持ちで投票できず、限られた選択肢の中から投票せざるを得ない、それがますます願いとは違う大きな流れであるにもかかわらず、そうせざるをえない。
気持ちの悪い選挙でした。
Posted by FAIRNESS at 2004年07月12日 20:44