2008年03月21日

論理トレーニング 25 (論証の構造と評価)

それでは野矢さんが提出する練習問題を考えてみよう。


問1 次の文章から論証の構造を取り出し、論証図を作成せよ。

(1)
1 たぶん彼女は遅れてくる。だって、
2 今日は土曜日だから、
3 道は渋滞してると思う。それに、
4 彼女、時間にだらしないだろ。

(2)
1 今度の試験は落とせないから、
2 さすがに彼も本気を出す。そうしたら、
3 けっこういい成績を取ると思うよ。
4 彼、本気を出すと案外いい成績とるからね。

(3)
1 鳥の卵はほとんどが「卵形」をしている。
2 卵形が産みやすい形だということがまず挙げられるが、
3 球形と違って卵型のほうが転がりにくいというのが一番の理由だろう。
4 実際、崖に巣を作る鳥のほうが球形から遠い卵形をしているのである。


まずは(1)から考えていこう。最初に考えるのは、最終的な結論になる命題だ。それは(1)の場合は1の「彼女は遅れてくる」という判断になるだろう。この「遅れてくる」という判断が、何らかの根拠を元に論理的に導かれているかどうかが、論証として受け取れるかどうかにかかっている。そしてそこに論証が読み取れるなら、それが論証図として示されることになる。
さて、どのようなことが起こると、結果的に「彼女は遅れてくる」ということになるだろうか。それは、3の「道が渋滞している」ということの結果として、車で来るなら遅れるだろうということになる。また、4の「彼女は時間にだらしない」ということがあれば、このことからも時間を守らないということが結論され、結果的に「時間に遅れる」ということが起こるだろう。これが予想されるということから、そこに論理的な帰結としての「彼女は遅れてくる」という判断が導かれる。論証図はまずは次のようになる。

   3   4
   └─┬─┘
     ↓
     1

そして、3と4の根拠を探し求めると、4の「彼女は時間にだらしない」というのは、根拠なしに事実のように語られているが、3のほうの道路の渋滞は、2で「土曜日だから」と語られている。これが3の根拠と考えられるので、論証図は最終的に次のようになる。

   2
   ↓
   3   4
   └─┬─┘
     ↓
     1

(2)の問題では、最終的な結論は3の「けっこういい成績をとる」ということになる。この判断の根拠として理由が述べられているならば、それが論証図として示される。無根拠に、単にそう思うというだけではなく、何らかの理由が語られているときに、それは論証として受け取られ、その論証の構造が図示されるということになる。

さて、どのような理由があればいい成績が取れるのだろうか。それは、2で語られている「本気を出す」ということになるだろう。本気を出して必死でがんばれば、その結果としていい成績が取れるという予想が出来るからだ。しかし、本気を出したときにいつでもいい成績が取れるかどうかというのは、自然科学的な法則にはならない。そうなるかどうかは、やって見なければわからないという面がある。そうすると、「本気を出す」ということだけで、論理的な帰結として「いい成績をとる」としてしまうのは、論理的には足りないということになるだろう。

そこで2だけではなく4もいっしょにして、この二つで3の結論が導かれるというのが論理的には正しい推論ということになる。一つの根拠と、それを前件とする仮言命題とで、仮言命題の後件が結論出来るという、いわゆる三段論法によってその正しさを主張できる。論証図としては次のようになるだろう。

   2 + 4
   └─┬─┘
     ↓
     3

この場合は、「+」の記号が本質的に重要になる。2と4は、単独では3の論理的根拠にはならないのだ。両方が一緒になって初めて、論理的には3が導かれるという関係になっている。

最後に残った1の内容を考えると、これは「本気になる」ということの理由になると思われる。どうしても落とせない試験であれば、何とか受かるように必死になって、そこから「本気になる」ということが出てくるように考えられるからだ。これも、本来なら「その試験を落とせないなら、一般的に人はその試験に本気で取り組む」というような仮言命題が前提されて、その仮言命題とこの根拠によって「本気になる」ということが帰結されると考えたほうがいいだろう。

しかし、これは「本気になればいい成績が取れる」という判断と比べると、ほぼ自明的な正しさを持っているものと思われる。それが落とせない大事な試験であるにもかかわらず必死にならない、本気にならない人間というのは例外的に少ないだろう。もしその人間が本気にならないのであれば、そもそもそのような状態を「落とせない大事な試験」だと呼ぶのが間違っているような気もする。言葉の意味として、「落とせない試験」であれば、それは必死になるのだということが含まれているようにも思う。その意味では、わざわざ仮言命題を書かなかったのは、このような自明性がそこにあるからではないかと思う。論証図を完成させると次のようになるだろう。

   1
   ↓
   2 + 4
   └─┬─┘
     ↓
     3

(3)の問題では、鳥の卵が球形ではなく卵形をしているという1の主張が最終的な結論として提出されている判断になる。これの理由として語られているのは、2の「産みやすい」ということと、3の「転がりにくい」ということになるだろう。これはそれぞれ単独で理由になる。仮言命題と一緒になっているような、三段論法的な帰結ではない。

この根拠には、暗黙の前提となっているような、自明的な仮言命題があるので、これが単独で根拠として働くのだろう。進化論的な、現実の条件にうまく適応するほうが生き残ると考えるなら、産みやすい卵のほうが卵として生き残るだろうと思われる。また、転がって壊れるような卵よりも、転がらずにとどまっている卵のほうが生き残る確率が高いだろう。そのような前提と一緒になって、この2と3はそれぞれ独立に根拠としてみることが出来るのではないだろうか。論証図は次のようになる。

   2   3
   └─┬─┘
     ↓
     1

問題は、残った4をどう位置付けるかということだ。4は内容的に考えれば、実際に崖に巣を作る鳥を実例として採りあげて、「転がりにくい」ということがどのような状況を作り出すかを説明していると考えられる。これは、「転がりにくい」ということの説明でもあり、「転がりにくい」卵が結果的に生き残っているということを実例によって示しているという論証とも解釈できる。

この問題の場合、「転がりにくい」という性質と4の命題がまったく無関係だとは考えられない。内容的に、説明的に解釈できる部分もあるものの、関連性があり、「転がりにくいから卵型になっている」という仮言命題の全体的な判断の根拠になっているとも考えられる。

もし、人間が自分の意志や考えで、「転がりにくい形にして作ろう」と思い立って何かを作るなら、それが卵形をしているのは、「転がりにくい」という目的の達成のために作られたという、理由付けや根拠付けが出来るだろう。しかし、人間の意志ではなく、自然の摂理として、結果的にそうなっているものは、目的論的に理由を設定するのは、論理的に危ういところがある。

それは、目的があってそうなっているのではなく、多くの実例から、法則的にそうなっているのではないかと推測されるという形の方がより論理的に正確だろう。このような意味で、卵形であるというのが、その目的でそう産むようにしたというのではなく、事実としてそのようなことが実例がいくつか発見できるので、おそらくそうなっているだろうという論証としてこの問題の主張を受け取っておいたほうがいい。

4の主張は、3の主張に蓋然性があるのだということの根拠として示されていると解釈したほうがいいのではないかと思う。そのような解釈をすると、論証図は次のようなものとして完成されるだろう。

       4
       ↓
   2   3
   └─┬─┘
     ↓
     1

この解答は、野矢さんが提出する解答とも一致する。そして、解説に野矢さんは次のように書いている。


「この問題は厳密に考えるとなかなか難しい。4「崖に巣を作る鳥のほうが球形から遠い卵形をしている」は、少なくとも「卵型のほうが転がりにくい」事の根拠ではない。むしろ、「転がりいにくいことが卵が卵形をしていることの理由である」と判断することの根拠と言える。だとすると、正確には4は「(3→1)と判断すること」の根拠ということになるだろう。これを論証図として表すのは困難であるから、解答例は単純に「4→3」としておいた。」


この解説は、僕が考えたこととほぼ一致する。野矢さんの解答に納得できるものだ。いずれにしろ、論証というのは、最終的な主張に、ちゃんとした根拠があるかどうか、自分の感覚や思い込みだけでなく、客観的な理由があってそう判断しているかどうかということが語られているかにその正当性が関わっている。人間は、時にはセンス(感覚)によってしか、それを判断した理由が見つからない場合があるが、そういうものは、基本的には誰がどう思ってもかまわないものに限定されるべきだろう。共通のものとして、同意が必要になるような判断は、必ず根拠が述べられ、それが正当なら少なくとも論理には同意できなければならないのではないかと思う。議論になっているような難しい問題、懸案になっているようなものに対して、それが同意できる正当な論理的根拠の構造を持っているかどうか、これが、根拠そのものの検討の前に確かめられるべきではないかと思う。論理的に正当でない主張は、その根拠の正当性とは関係なく、信用できないと思われるからだ。いま対立している政治的な問題において、政府与党と、野党である民主党の、どちらが論理的な正当性をもっているかを考えたいものだ。

日銀総裁の問題、道路特定財源の問題、その他対立している問題の、双方の主張の論理構造が分かるような資料から、そのような論理構造を分析してみたいと思う。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/khideaki/51566865
この記事へのコメント
先生、ありがとうございました。
エントリー楽しみにしております。
Posted by 数学snob at 2008年04月09日 19:43
数学snobさんへ

野矢さんの本は、僕も持っているのでご指摘の個所を見てみました。「嘘つきのパラドックス」は、「嘘つき」という言葉をどう定義するかにその解釈がかかってくるので、解釈によってはパラドックスでなくなることを「もどき」だと言っているのだろうと思います。

どんな解釈をしても矛盾が導かれてしまうような場合は、これは深刻なパラドックスになるのではないかと思います。論理において矛盾が導かれてしまうのは、その体系の危機と言っていいと思うからです。

野矢さんによれば、ラッセルがタイプ理論で回避したパラドックスを、ウィトゲンシュタインはまったく違う方法で解決したと言っていました。これが理解できれば、パラドックスの本質が分かるのではないかと思います。興味深いことなので、今度エントリーにしてみようかと思います。
Posted by 秀 at 2008年04月09日 08:54
先生、お久しぶりです。

私の持っている野矢先生の「論理トレーニング」は、改訂される前のものですので、先生のお持ちになっているものとは異なるとは思うのですが、ひとつ質問させていただいてよろしいでしょうか?

野矢さんは、巻末の注において「エピメニデスのパラドックス」を取り上げ、パラドックスもどきについて言及されています。
先生はこのようなパラドックスもどきはどのようにお考えですか。
また、このような「もどき」ではない真性のパラドックス −天才数学者が何人も挑戦し、しかし、いまだに明快な回答があたえられていない問題− は、言語あるいは認識の必然として起こりうると思いますが、先生はどのようにお考えですか。

私は、まだまだ、論理については理解が及んでいないようで、差し支えなければ、ご教示くださいませ。
Posted by 数学snob at 2008年04月08日 07:23