2011年06月26日

羽賀研二さんという芸能人のイメージの転換 2

羽賀さんの事件についてさらに考えてみようと思う。参考になるものは、前回紹介した

「110623 緊急シンポジウム「検察・世論・冤罪 」

「110623 緊急シンポジウム「検察・世論・冤罪 」 第2部」

「シンポジウム「検察・世論・冤罪供 羽賀事件を検証する」

というものだ。特に、八木さんのブログから引用して考えてみようと思う。まずは恐喝について

「恐喝が存在したかという点

1和解の席で渡邊氏と暴力団関係者が会社社長A氏を脅して、書面にサインさせた。(羽賀氏は現場に同席せず)。ゆえに、検察は「羽賀氏が暴力団関係者と共謀」と主張。羽賀・渡邊両氏は「共謀」と「現場での恐喝」を否定。(ここだけ聞くと、弁明の余地はないように見えます)

2問題の被害者で告訴人A氏を脅したとされる暴力団員は、もともとA氏が連れてきた、つまりA氏サイドの人間。

3会社社長A氏は弁護士を同席させていない。つまり、和解の席に出たのは、羽賀氏側は「羽賀氏代理人+弁護士」、A氏側が「A氏+暴力団員2名」

4脅して和解させたとされる一ヶ月後に、A氏と暴力団員は組んで、一緒に羽賀氏相手に偽造文書で12億円の取立をやっている。この私文書偽造に関して、A氏自身が公判で認めている。」  続きを読む

Posted by khideaki at 23:21Comments(0)TrackBack(0)

羽賀研二さんという芸能人のイメージの転換 1

岩上安身さんが羽賀研二さんに対して行ったインタビューが素晴らしかった。まだアーカイブが配信されていないので紹介することが出来ないのが残念だ。インタビューの中で実名が出た部分があったので、そこを編集してから配信すると語っていた。ぜひ見て欲しいインタビューだ。

羽賀研二という芸能人に対して多くの人はどのようなイメージを持っているだろうか?インタビューの間にそれを視聴している人たちがツイートをしていたのだが、「自業自得」だとかそれまでの生き方の報いだというような言葉を投げつける者もいた。そのようなイメージで彼は見られていたようだ。

しかし、そのようなイメージを持たずに岩上さんのインタビューを見れば、羽賀研二という人のまじめさや誠実さが伝わってくるのを強く感じた。マスコミが報道するゴシップ記事とのこの違いはいったい何だろうか。この感じは、その前の日のシンポジウム

「110623 緊急シンポジウム「検察・世論・冤罪 」

「110623 緊急シンポジウム「検察・世論・冤罪 」 第2部」

を見ても、そのような感覚が分かってもらえるかもしれない。また、このシンポジウムの内容は、司会を務めた八木啓代さんが「八木啓代のひとりごと」というブログで

「シンポジウム「検察・世論・冤罪供 羽賀事件を検証する」

にまとめている。これを参考にして、羽賀さんの事件についていろいろと考えてみたいと思う。八木さんは、この事件がそもそも詐欺に当たるのか、ということに疑問を呈している。ブログでは次のように書かれている。  続きを読む
Posted by khideaki at 21:54Comments(0)TrackBack(0)

2011年06月14日

この論理的帰結の前提になっている命題は何だろうか

時事通信が伝えている記事

「電気料金1000円アップ=全原発停止で試算―日本エネルギー研」

の内容が目について、ここからいろいろと論理的な考察が出来そうだと感じた。まず、記事の全文を引用しておこう。

「経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所は13日、すべての原発が停止して火力発電で電力需要を代替する場合、燃料コスト増により、1カ月あたりの標準家庭の電気料金が、2012年度は10年度実績に比べ1049円増加するとの試算をまとめた。
 同研究所は「産業の国際競争力への深刻な負の影響、経済成長への悪影響の可能性もある。原発の再稼働問題を真摯(しんし)に検討することが喫緊の課題」と主張している。
 試算では、日本の原発54基のうち、停止中の35基が再稼働せず、19基が順次定期検査に入り運転を停止すると、2012年6月には原発発電量はゼロとなる。この結果、同年夏には発電能力が最大消費電力を7.8%下回り、全国規模の電力不足に陥る可能性がある。
 また、火力発電所を高い稼働率で運転させるため、燃料の石炭、液化天然ガス、石油の消費が増え、3.5兆円の燃料調達コストが追加されるという。」

この記事では電気料金の試算というものを報道している。これが試算であると言うことは、まだ事実として確認されていない予想であるから、その結論は当然論理的な帰結になる。つまり、何らかの前提を元にして、そこから論理的に導いた結果としてこの帰結が得られていると考えられる。その前提を記事から探してみると次のようなものになるだろうか。  続きを読む
Posted by khideaki at 10:46Comments(0)TrackBack(0)

2010年09月23日

「個人の問題ではない」ということの意味

最高検が9月21日夜に証拠隠滅の疑いで逮捕した、郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件の主任を務めた大阪地検特捜部検事の前田恒彦容疑者(43)の件について、多くの人が表題のような「個人の問題ではない」という意見を述べていた。検察批判に鋭い指摘をしていた郷原信郎さんも

「証拠改竄で主任検事が逮捕! 「村木裁判」で露呈した特捜部捜査「終わりの始まり」」

という文章の冒頭で「この問題を個人の犯罪に矮小化してはいけない。堕落した検察組織には、徹底的にメスをいれるしかない」と主張している。だから、このことは今更改めていうこともないほど、多くの人が知っていて理解していることのようにも思える。しかし、この「意味」に関しては、ちょっと難しい事柄もあるのではないだろうか。この証拠の改ざんの件については、基本的には逮捕された前田検事個人の問題ではない、というということを基本に据えて、その意味を考えてみたいと思う。

さて、個人の問題ではないということを単純に受け取れば、それは集団あるいは組織の問題だということになる。しかし、その際も、この問題を組織の一員である個人に属するものと解釈し、個人ではないがみんなの問題という風にあくまでも人に帰属する問題ととらえると、それはどこまでも「個人の問題」になってしまうだろう。

これが、個人の問題ではないというのは、それはシステムの問題なのだと理解するのが正しいのだと思う。それではシステムの問題とは何か。それは、ある個人の資質や状況に関わりなく、そのシステムに配置された人間は、誰でも同じような問題を生じさせる可能性があるものとしてシステムの問題をとらえなければならないということだ。従って、そのようなシステムの問題で生じた問題の解決は、システムそのものの改革によって解決しなければならないということになるだろう。事件を起こした個人を厳罰に処したからといって、システムがそのままであれば、同じようなことがまた生じるという可能性を残したままの処理ということになってしまう。  続きを読む
Posted by khideaki at 17:11Comments(0)TrackBack(0)

2010年09月19日

『反日』あるいは『売国』という呪縛

今週のマル激のテーマは、グリーンピースのメンバーが行った行為(鯨肉が入った宅急便を無断で持ち出したというもの)に対する判決を巡る議論だった。この判決はちょっと前のものだったのでもう一度新聞記事で確認しておこうと思う。このニュースについては、判決直後に見ただけで、その後それを解説するようなものは全くなかった。だから、マスコミのニュースしか見ていない人は、グリーンピースという訳の分からない団体(新興宗教か何かの団体だと思っている人もいるらしい)のメンバーが、鯨肉を盗んだ窃盗に対して裁かれた、というようなことで理解しているかもしれない。しかし、マル激を聞くと、その内容は全く違っていることに気づく。

とりあえずマスコミの報道記事を確認しておこう。

「鯨肉窃盗:グリーンピース有罪 4争点、弁護側主張退け−−地裁判決 /青森」

「毎日新聞 9月7日(火)10時41分配信

 ◇被告ら即日控訴
 国際環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」のメンバー2人による鯨肉窃盗事件の判決公判。「横領を告発するための正当な行為」と無罪を主張した2被告に対し、青森地裁は「犯行手口は大胆で、強い非難を免れない」と懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を下した。被告らは判決後の会見で「市民が知る権利を侵す不当な判決」と抗議し、即日控訴した。【鈴木久美、三股智子】
 法廷で各国のグリーンピース(GP)関係者が傍聴する中、メンバーの佐藤潤一(33)、鈴木徹(43)両被告に判決が言い渡された。判決後、GPは地裁前で「知る権利に不当判決」との幕を掲げて不満をあらわにした。
 裁判では、鯨肉を自分のものにしようとする「不法領得」の意思があったか▽行為に正当性があるか▽憲法が保障する「表現の自由」に違反するか▽国際人権規約に違反するか−−の4点が争われた。地裁はいずれも弁護側の主張を退けた。
 不法領得の意思については「段ボールを開けて肉片を採取するなど、所有者でなければできない利用をしている」として、「あった」と認定。行為の正当性は「捜索・押収に類する行為で他人の財産権や管理権を侵害することは、法と社会が許さない」と認めず、憲法、国際人権規約にも違反しないとした。
 判決後、GPは青森市内で会見を開いた。「調査捕鯨活動に一部不明朗な点があった鯨肉の取り扱いが見直された」と小川賢司裁判長が認めた点について、佐藤被告は「大きな成果」と評価した。しかし、有罪判決について「不正を指摘する人への萎縮(いしゅく)効果は計り知れない」と語った。
 同席した日隅一雄弁護士は「隠されたものを暴くには捜索、押収に類する行為が必要」と批判。「(鯨肉を持ち出す以外の)代替手段があったかや証拠の重要性について、判決で具体的に検討されていない」とも指摘した。
 クミ・ナイドゥGP事務局長は鯨肉横領疑惑について、「第三者機関にもう一度調査してもらいたい」と訴えた。有罪判決を受け、GPは今後、各国で抗議活動などを予定しているという。
 一方、青森地検の新河隆志次席検事も会見を開き、「犯罪が成立するかの評価が争われた裁判。有罪判決で、検察の主張が認められた」と述べた。
………………………………………………………………………………………………………
 ■解説
 ◇「調査の限度逸脱」と指摘
 裁判の焦点となったのは、情報収集活動で違法な手段をとった時、目的が公共の利益を図るためなら手段が正当化(違法性が阻却)されるかだった。GPJメンバー2人に有罪を言い渡した青森地裁判決は「公益目的で正当であったとしても、調査活動として許容される限度を逸脱したものであり、非難を免れない」と指摘した。さらに「本件のように、捜索・押収に類する行為」と手段を具体的に挙げたうえで、「容認できない」とした。
 情報収集活動の手段が問題となった裁判では、沖縄返還を巡る日米政府の密約に関する文書を外務省職員から入手した新聞記者が国家公務員法違反(そそのかし)の罪に問われた沖縄返還密約事件(72年)がある。
 最高裁は有罪判決(78年)の際、「(情報収集の)手段・手法が相当なものとして社会観念上認められる限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為」と一定の理解も示した。地裁判決は、「社会通念に照らしても到底認められない」としてこの基準にならった内容だ。
 一方、GPJが持ち出しの目的として訴えた「鯨肉横領」について、小川裁判長は「鯨肉は不正に入手したものとは断定できない」と述べた。船員らの業務上横領容疑を不起訴処分とした東京地検や東京第1検察審査会の判断に沿った形だ。GPJは「鯨肉の取り扱いに『一部不明朗な点があった』と裁判所が認めた」と評価したが、訴えが完全に認められたとは言えない。
 今回の判決は、公益を目的とする情報収集活動でも、認められる違法な手段・手法は限定的であると、確認したと言えるだろう。【三股智子】
………………………………………………………………………………………………………
 ■鯨肉窃盗事件の経過■
08年4月16日 国際環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」(GPJ)のメンバーが運送会社青森支店に侵入。調査捕鯨船の船員が発送した鯨肉入り段ボール箱を持ち出す
   5月15日 GPJが調査捕鯨船の船員らによる「鯨肉横領」を東京地検に告発
     16日 運送会社が青森署に被害届を提出
     20日 東京地検が告発状を受理
   6月20日 青森県警と警視庁が、GPJメンバー2人を窃盗と建造物侵入容疑で逮捕。東京地検が「鯨肉横領」について船員らを不起訴(容疑無し)
   7月11日 青森地検が窃盗罪などで2人を起訴
10年2月 8日 国連人権委員会の作業グループが「(2人の逮捕は)国際人権規約に違反する」との意見書を日本政府に送付
     10日 「鯨肉横領」の不起訴処分について、GPJが東京第1検察審査会に審査申し立て
     15日 青森地裁で初公判
   4月22日 東京第1検察審査会が「鯨肉横領」について不起訴相当と議決
   6月 8日 第7回公判で、検察側がGPJメンバー2人にそれぞれ懲役1年6月を求刑。GPJは無罪を主張
   9月 6日 2人に懲役1年、執行猶予3年の判決

9月7日朝刊」  続きを読む
Posted by khideaki at 23:56Comments(2)TrackBack(0)

2010年05月12日

刑事責任とはどういうものか?

「「パロマ有罪「公正な判決に感謝」と涙の母」
5月12日3時4分配信 読売新聞」


という新聞記事によると、

「パロマ工業製の湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故で、同社元社長・小林敏宏被告(72)ら2人を有罪とした11日の東京地裁判決は、事故が起きる危険性を認識しながら対策を取らなかったとして、メーカートップらの過失責任を明確に認めた。」

という結果が出たらしい。この二人は「無罪を主張してきただけに」とも報道されている。この事件は、新聞でも大きく報道されたものだが、その責任をどの範囲で認定するかはたいへん難しい問題があるようだ。責任があることは確かだが、それが道義的なものなのか、刑事罰を科すようなもの、つまり犯罪行為として責任を問うものなのか、ということが誰の目にも明らかになるように説明することが難しいと僕も思う。

この裁判の結果に対しては、

「パロマ有罪判決」

という、郷原信郎さんの電話インタビューがYoutubeにアップされている。これが的確な論評となっているように感じる。郷原さんは、この問題の事実面のみを見る限りでは、刑事責任を問うことが果たして適切だったかどうかに疑問を投げかけている。道義的には責任があったかもしれないが、刑事的責任は問えないのではないかという意見だ。むしろ、このことの刑事的責任を問うならば、その弊害が今後起こるのではないかという危惧を語っていた。  続きを読む
Posted by khideaki at 09:53Comments(0)TrackBack(0)

2010年04月07日

民主主義の根幹を揺るがす行為

ちょっと前の報道だったが、3月31日7時56分配信の産経新聞で

「長官銃撃 「オウムのテロ」断定 警視庁 異例の捜査結果公表」

という記事があった。この中では、

「平成7年3月の国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件が公訴時効を迎えた30日、警視庁の青木五郎公安部長が会見し、「事件は教祖の麻原彰晃死刑囚(55)=本名・松本智津夫=の意思の下、オウム真理教の信者が組織的・計画的に敢行したテロ」とする捜査結果の概要を公表した。時効が成立した事件で犯行グループを名指しして捜査結果を公表することは極めて異例。概要は31日から30日間、警視庁のホームページ(www.keishicho.metro.tokyo.jp)でも公表する。」

というような内容が語られているが、このことは、今週のマル激のニュースコメンタリーでは「民主主義の根幹を揺るがす、あってはならないこと」と強く批判されていた。この記事では、公表に当たっての理由を

「概要では、A〜Hまでの仮名で元信者8人の事件前後の動向を詳述。青木部長は公表理由について「事件の重大性やオウムが観察処分を受けていることなどにかんがみて公表することにした」と説明した。
 「人権侵害に当たらないか」との質問が出たが、「犯行主体を明らかにする上で必要な限度で事実を公表した。公益性と社会正義との均衡を考慮した」と述べた。さらに、「刑事責任を問うことと、捜査結果を分析した結果を国民に報告することは違う。法的に問題があるとは考えていない」と強調した。
 また、事件の教訓として「情報収集の対象がオウムのような新しい脅威に十分な注意を払っていなかった」とし、「国民の協力で対処能力を高めていきたい」と話した。」

というふうに説明をしているが、このことは果たして正当なものとして受け止められるだろうか。そもそも、裁判さえも行われていないのに、警察の捜査段階だけで、犯人だと名指しされるというのは司法の原則に反するのではないだろうか。罪が確定するのは裁判を経てであって、警察の捜査段階では、その可能性を証明するデータを提出するだけではないのか。それは、間違えているかもしれないのであって、推定無罪の原則が守られるべきではないかというのが近代民主主義国家ではないだろうか。このニュースを聞いて、宮台真司さんは、日本は近代民主主義国家ではないということを宣伝しているようなものだという内容のことを語っていた。  続きを読む
Posted by khideaki at 10:15Comments(0)TrackBack(0)

2010年03月30日

「制裁」と「対話」、どちらがより正しい政策か?

3月28日20時34分配信の毎日新聞のニュース

「拉致問題 被害者家族会が蓮池透さんの退会発表」

の中に次のような記述があった。

「透さんは、北朝鮮への制裁などを巡る家族会の方針に異論を唱えていた。増元照明事務局長は「家族会の総意を無視した(透さんの)発言が誤解を招いている。会とは無関係であることをはっきりさせた」と説明した。」

家族会の方向としては、3月29日0時13分配信の時事通信のニュース

「北への送金「全面停止を」=拉致家族会など訴え」

にあるように、基本的には「制裁」を強める方向を取ることを主張している。

僕が信頼する宮台真司さんは、日本による北朝鮮への制裁は、外交政策としてはほとんど効果がなく、拉致問題の解決には何も資するところがないと語っていた。それは感情的には治まるものがあるかもしれないが、実質的には拉致問題の解決には一歩も近づかないだろうという見方だった。このような見方は宮台さん以外にもかなりあるようだ。ヤフーで検索してみたらehLabLogというところの2004年12月27日 (月)の記事

「「経済制裁+北朝鮮」(その2)」

にも、  続きを読む
Posted by khideaki at 11:07Comments(0)TrackBack(0)

2009年01月19日

『14歳からの社会学』 卓越主義的リベラリズムとエリート

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、民主主義を「最後の奴隷制」と語っていた。奴隷というのは意志のある主体的な存在とは認められず、その持ち主の意志に従ってどうにでもなる存在だ。民主主義における人間も、自らの意志に反して他者の意志を強制されるという一面を持っている。多数が賛成した事柄は、たとえ少数の反対者がいようとも、多数の賛成によって決定したというプロセスを元に、反対者といえどもその意志が強制される。この面を捉えて、板倉さんは民主主義を「最後の奴隷制」と呼んだのだろうと思う。

民主主義は非常に価値の高いものとして多くの人に捉えられてきたし、僕もそう思っていた。科学的な真理というのは、科学としての手順を踏んで証明されたものは、賛成者が多いか少ないかにかかわらず真理であることが確信できる。しかし、科学として真理が確かめられない事柄は、最も真理に近い判断を求めるために民主的な手続きを踏むことがいいという発想は正しいように感じる。議論を尽くして求められた結論は、多くの人が賛成したものの方がより真理に近いように思えるし、それが間違えていたときも、賛成した多数者が責任をとるという形にしておけば、間違ったときの反省も出来て、以後はより真理に近い判断が出来るようになるだろうと期待できる。

民主主義がすばらしいものであるというイメージがあったときに、それを「奴隷制」と呼ぶようなマイナスのイメージを提示されることは衝撃的だった。民主主義には必ずしもいい面ばかりではなく、欠点もあることを具体的に指摘され、しかもそれが納得できるようなものだった。板倉さんの指摘は、科学における真理にも、多数決的な民主主義的な判断がされた歴史があり、それが間違えていたということから導かれたもののように感じる。みんなが判断するということにふさわしくないことまでも民主的な手続きで決定することに間違いがあるという指摘だ。
  続きを読む
Posted by khideaki at 09:49Comments(2)TrackBack(0)

2009年01月15日

『14歳からの社会学』 社会におけるルールの正当性

宮台真司氏は『14歳からの社会学』の第2章で社会のルールについて語っている。社会にある種のルールが存在するのはある意味では当たり前で、そのルールにほとんどの人が従っているときは、それがルールであることさえも意識せずにいるだろう。しかし、そのルールを破る人が出てくると、それがルールとして正しいのか・有効なのかということが気になってくる。その判断はどうして考えたらいいのだろうか。

ルールを疑わない人は、そんなものは常識ではないかといって済ませるかもしれない。しかしその常識が通用しないときは、いくら常識であることを主張してもルールを維持することには役立たない。また、そのルールが今の状況には合わないのではないかと思っても、ルールがある以上仕方がないというあきらめの気持ちも生まれてくる。そのような場合はなし崩し的にルールが守られなくなっていく無秩序の状況を、何か変だと思いながらも受け入れていくようになってしまうような気がする。

社会のルールは、自分の感性(好き嫌いや気持ちがいいかなどという感情の働き)で判断して正当性を確立することが出来ない。これだけ感性が多様になってきた現代社会では、感性に頼った判断は合意が出来ないからだ。多くの人が合意できるような判断を求めるには、やはり論理に従った判断を求めるしかない。それが社会を理論的に捉えようとする社会学の必要性を要求する。現代社会のルールを理解するには社会学的な素養が必要になる。現在の成熟社会を生きる人間だからこそ「14歳から」社会学の素養が必要になる。  続きを読む
Posted by khideaki at 09:56Comments(0)TrackBack(0)