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<title>数学屋のメガネ</title>
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<description>数理論理学を勉強してきました。そのメガネで世界を眺めてみたいと思います。
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373326.html">
<title>誤解の考察　３</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373326.html</link>
<description>道協会賞授与式での日隅一雄さんの発言を巡るものだ。それは「誤解」という評価をするときにかなりの難しさを持っているものだと感じる。日隅さん自身は、発言について＜情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士（ヤメ蚊）日隅一雄＞というブログで

「自由報道協会賞授与式での...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2012-02-05T23:31:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>言葉</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[道協会賞授与式での日隅一雄さんの発言を巡るものだ。それは「誤解」という評価をするときにかなりの難しさを持っているものだと感じる。日隅さん自身は、発言について＜情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士（ヤメ蚊）日隅一雄＞というブログで<br>
<br>
<a href="http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/5de3523badbeec519452cc1553de13d7?fm=rss">「自由報道協会賞授与式での発言について」</a><br>
<br>
というエントリーで語っている。ここでは、冒頭で「私が自由報道協会賞授与式で行なった挨拶について誤解されている方がいるようですので、この場を使って、挨拶の趣旨などについて説明させていただきたいと思います」と書いている。つまり「誤解」を問題にしている。<br>
<br>
だがこの「誤解」は、<br>
<br>
「まず、私の挨拶でチベットの高僧の高貴な行為が傷つけられたと思われた方に謝罪いたします。私としてはそのような意図はまったくありませんでしたが、そのような受け止めをされる余地のある表現しかできなかったことは、本業も含め表現行為を糧としてきた者として不甲斐ないことです。故意ではないにしても傷つかれた方に謝罪する必要があります。本当に申し訳ありませんでした。」<br>
<br>
とも表現されている。つまり間違えた方だけではなく、表現した日隅さん自身にも責任があると語っている。板倉さんは、自分の表現には差別はなく、誤解した方が間違いだと主張したが、日隅さんは誤解を与えるような曖昧な表現をしたことに自分の責任も感じている。表現者と受容者のどちらにも責任がありそうなケースは最も難しいものであり、それを考察してみたい。<br>

<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373326.html">続きを読む</a>
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=20885&name=khideaki&pid=52373326" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373302.html">
<title>誤解の考察　２</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373302.html</link>
<description>仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、かつて著書の中にあった「片輪（かたわ）」という言葉が差別語だという抗議を受けたことがある。抗議をしたのは、障害児学校の校長を務めた人だったと思う。

「片輪（かたわ）」という言葉は、相手をののしるときにも使われるので、...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2012-02-05T22:24:31+09:00</dc:date>
<dc:subject>言葉</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、かつて著書の中にあった「片輪（かたわ）」という言葉が差別語だという抗議を受けたことがある。抗議をしたのは、障害児学校の校長を務めた人だったと思う。<br>
<br>
「片輪（かたわ）」という言葉は、相手をののしるときにも使われるので、差別感情を込めて使われる場合もある。だから「差別語」だと感じる人もいるだろう。しかし、それは文脈から決まることだと板倉さんは反論していた。<br>
<br>
「片輪」の元々の意味は、片方の車輪というものだった。車輪は普通2つあるのだが、その一方が欠けていると本来の機能を発揮しないと言うことがそこに含まれている意味だ。それは事実を語る言葉であり、言葉そのものに差別的なものはない。差別的な意味を込めるのは、それをどこで使うかという話者の認識の中に差別感というものが入り込んだときだ。<br>
<br>
板倉さんがそこに込めた意味は、「本来二つあるものの一方が失われることで、機能的に不完全なものになってしまった」という事実の方だった。文脈上はそのようにしか読めないように板倉さんは表現したという反論をしていた。差別的な意味を読み取るのは「誤解」であると主張したのだった。<br>
<br>
これは正確な文章を今持っていないので再現することが出来ないのだが、僕は板倉さんの主張の方を信用した。ここからは一つの教訓も学ぶことが出来る。言葉に対する先入観が「誤解」というものに与える影響の大きさが重要だと言うことだ。「片輪（かたわ）」に敏感に反応する人たちは、この言葉自体に差別感情が込められているという先入観があるのではないか。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373302.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373281.html">
<title>誤解の考察　１</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373281.html</link>
<description>誰のツイートだか忘れたのだが、「誤解するのは誤解する方が悪い」というようなものがあった。これは論理的な真理（ある前提を認めるとそこから論理的に帰結される）だと思うのだが、説明を要するものではないかと思う。

誤解というのを文字通り辞書的に解釈すると「ある事...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2012-02-05T21:08:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>言葉</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[誰のツイートだか忘れたのだが、「誤解するのは誤解する方が悪い」というようなものがあった。これは論理的な真理（ある前提を認めるとそこから論理的に帰結される）だと思うのだが、説明を要するものではないかと思う。<br>
<br>
誤解というのを文字通り辞書的に解釈すると「ある事実について、まちがった理解や解釈をすること。相手の言葉などの意味を取り違えること。思い違い」という意味になる。この意味の範囲（この辞書的意味を前提として）においては、誤解は誤解する方の間違いであるから、誤解する方が悪いと言うことになる。<br>
<br>
だが、誤解というのは往々にして誤解する方がそれを誤解だとは理解していないので、単純に誤解する方が悪いという言い方ではすまなくなる。特に難しいのは、その表現をしたときは全く意図していなかった（つまり意識の中にはなかった）ことが、第三者の解釈では違う意味で受け取られてしまったとき、それを誤解だと言って済ますことが難しくなるときがある。<br>
<br>
意図していなかったことを読み取られるという「誤解」の場合、表現することが怖くなってしまう人もいるだろう。かつて差別語が糾弾を受けた時代には、公の場で発言すること自体を怖がる人もいた。いつ、自分が意図したことではないことで糾弾されるか分からなかったからだ。<br>
<br>
誤解というのは果たして客観的に判定できるものだろうか。言語表現というものは曖昧さを含んでいる。その曖昧さがあるにもかかわらず、誤解であるかどうかが客観的に判定できるだろうか。もし客観的な判断が出来ないなら、誤解が生じたときどのような解決をしたらいいのだろうか。<br>
<br>
誤解が間違った理解なら、正しい理解というものがなければ誤解の判定が出来ない。文章において正しい理解というのはどういうものなのか。国語的な文章読解が正しい理解になるのだろうか?文章表現に客観的な正しさが読み取れると言うことがなければ誤解の判定も出来ない。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52373281.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52370904.html">
<title>安冨さんの視点の素晴らしさ</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52370904.html</link>
<description>「東大話法」と呼ばれるような詭弁的な議論は、これまでも指摘する人は多かったように思う。しかし安冨さんの視点は、それらの今まで語られていたものとは違う斬新な面があるのを感じる。それはどこから来る感じだろうか。

「東大話法」を語る人間は、いわゆるエリートで...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2012-01-27T01:06:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>論理</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「東大話法」と呼ばれるような詭弁的な議論は、これまでも指摘する人は多かったように思う。しかし安冨さんの視点は、それらの今まで語られていたものとは違う斬新な面があるのを感じる。それはどこから来る感じだろうか。<br>
<br>
「東大話法」を語る人間は、いわゆるエリートであり、偉そうに振る舞っている人間が多い。頭はいいのだろうが人格的には低劣だと思いたくなるような人間たちだ。感情的な反発を感じる人は多いと思う。そのような偉そうな人間たちが、実はそれほど頭がいいわけではなく、本当のことをよく分からずに、利害という嫌らしいことを基本にして語っているとしたら、なんてひどいやつだと感情的に軽蔑することが出来る。そうするとかなり溜飲を下げることが出来るだろう。<br>
<br>
このような言説だったら昔からよくあったし、今でもネットでは多く見かける。だがこのような言説は実際には余りよい効果は生まない。感情的な溜飲を下げるだけで、それで世の中が変わることはない。<br>
<br>
この感情的な悪口がもう一歩進むと、彼らの詭弁の論理面の批判というものが出てくる。僕の視点はそのようなものを見ることが多い。これは感情的な溜飲を下げることに比べて、より建設的ではあるけれども、なかなか他者に理解してもらうのが難しい。詭弁というのは感情的に受け入れやすく、それが詭弁であることを理解することがかなり難しい面があるからだ。<br>
<br>
安冨さんの「東大話法」の視点は、この論理的指摘を超えてそれが日本社会のシステムの問題であることを指摘して、それに気づかせようとしている。これは僕には斬新な指摘に見えた。宮台真司さんが高く評価する山本七平氏の「空気の論理」に匹敵するもので、山本さんが直感的に捉えたものを理論的に整理して学問として耐えられるものに洗練しているように感じた。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52370904.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52365733.html">
<title>映画「悲しみは空の彼方に」</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52365733.html</link>
<description>暮れから正月にかけて時間があったので、撮りためていた映画を幾つか見た。その中で「悲しみは空の彼方に」という映画に非常に感動した。最近の日本映画では、泣けるということが重要な要素になっているようだが、どうも無理矢理感動を演出したようなお涙ちょうだいのドラマ...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2012-01-07T14:31:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>映画</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[暮れから正月にかけて時間があったので、撮りためていた映画を幾つか見た。その中で「悲しみは空の彼方に」という映画に非常に感動した。最近の日本映画では、泣けるということが重要な要素になっているようだが、どうも無理矢理感動を演出したようなお涙ちょうだいのドラマのようなものを感じる。しかし、この映画は本当の感動を呼ぶもののように感じた。<br>
<br>
ストーリーを語るとネタバレになってしまうのだが、主役を演じるのはラナ・ターナーが演じるとびっきりの美人の未亡人だ。彼女は女優としての実力はあるものの無名のためにくすぶっていたが、あるチャンスをものにして大スターになると言うものだ。これだけなら、ハリウッド映画によくある成功物語なのだが、表向きのこのストーリーに沿って展開される日常のエピソードが素晴らしい。<br>
<br>
主人公のローラは、夫に先立たれて幼い娘と二人で暮らしていたが、ひょんな事から同じような境遇にあるアニーという黒人の母親と巡り会う。アニーは白人である夫に捨てられて独り身になっていたようだが、住む家もなく途方に暮れていた。最初は同情からアニーを家に泊めたローラも、アニーがなくてはならない存在へとなっていく。<br>
<br>
最も感動したのは、このアニーという人物の描き方だ。これほど思慮深く、しかも他者に対して暖かみのある人間はいないと感じられる。ローラがくじけずに頑張ることが出来るのも、すべてアニーが支えていたからだと思える。何もかも包み込んでいやしてくれるという姿は、母として理想の姿であるとともに、キリストのイメージすら感じさせるようなものだった。<br>
<br>
だが、皮肉なことにこのアニーの素晴らしさが、自分の娘にだけは伝わらない。それは娘のサラジェーンが、黒人でありながら白い肌を持っていて、白人のように生きようとしていたことと関係がある。母親としてのアニーを評価する以前に、黒人であると言うことのマイナス面が、サラジェーンにとっては最も大きかったからだ。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52365733.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52354786.html">
<title>武田邦彦先生の主張の論理性を考えてみる</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52354786.html</link>
<description>武田邦彦先生は、テレビでの発言が問題となったり評価の分かれる人だ。僕もその主張のすべてに賛成しているわけではないが、科学者としては誠実な人だと感じている。それは自らの主張が、どうしてそうなるかという論理的前提をいつも説明するからだ。

テレビで問題になっ...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-11-27T22:21:31+09:00</dc:date>
<dc:subject>論理</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[武田邦彦先生は、テレビでの発言が問題となったり評価の分かれる人だ。僕もその主張のすべてに賛成しているわけではないが、科学者としては誠実な人だと感じている。それは自らの主張が、どうしてそうなるかという論理的前提をいつも説明するからだ。<br>
<br>
テレビで問題になった、プルトニウムの毒性を青酸カリと比較する発言も、青酸カリの毒性のイメージが生々しかったので、福島のイメージをより落としたと言うことで非難された。だが、毒性の比較でプルトニウムが青酸カリの1000倍という言い方だっただろうか、それには致死量のデータを提出して、それを元にそう結論したという説明をしていた。青酸カリの致死量は約250㎎で、プルトニウムは0.25㎎ということだった。だから、判断の前提を説明するという範囲に限っては僕は武田先生は誠実な科学者だと思ったものだ。<br>
<br>
この武田先生を批判する言説として<br>
<br>
<a href="http://blogos.com/article/3494/">「武田邦彦氏の哀しいウソ」</a><br>
<br>
という池田信郎さんの文章を教えてもらった。これは、表題を見る限りでは武田先生の誠実さを疑うような内容のものに見える。果たしてそうであるのかを考えたい。まずはここで批判されている武田さん自身の文章<br>
<br>
<a href="http://takedanet.com/2011/10/post_242c.html">「世田谷の高線量率と福島の新米（緊急）」</a><br>
<br>
から先に考察しようと思う。ここに書かれていることは、論理的にきちんとしているのか。論理破綻をせずに、設定された前提から正しく導かれているのかを見ていきたい。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52354786.html">続きを読む</a>
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</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52347341.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　９</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52347341.html</link>
<description>次に語られている「動機」に関しては、これは直接証拠を示して確定することは出来ないものだ。動機というのは心の中の問題だから、直接見ることはできないのだ。これは推測する以外にはない。それではその推測にどれだけの妥当性があり、論理的に納得出来るかと言うことを考...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-11-03T09:53:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[次に語られている「動機」に関しては、これは直接証拠を示して確定することは出来ないものだ。動機というのは心の中の問題だから、直接見ることはできないのだ。これは推測する以外にはない。それではその推測にどれだけの妥当性があり、論理的に納得出来るかと言うことを考えてみよう。<br>
<br>
まずは「本件4億円がその原資を公にできないものか否かについて」として書かれている部分は、どのような推測につながるかというと、これを公に出来ないと言うことは怪しい金だからと言うことにつながっていく。怪しい金を隠すために収支報告書を意図的に虚偽記載したという推測になっていく。怪しい金というものが、それを隠したいという動機につながるという論理だ。では、その前提となる原資について、これが隠されているものという事実の方はどうだろうか。<br>
<br>
小沢さんのウェブサイトには<br>
<br>
<a href="http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2010/ar20100124150021">「陸山会への貸付等に関する経緯の説明」</a><br>
<br>
という記述がある。ここには4億円の原資についても<br>
<br>
「平成１６年１０月に私が陸山会に貸し付けた４億円の原資について<br>
①昭和６０年に湯島の自宅を売却して、深沢の自宅の土地を購入し建物を建てた際、税引き後残った約２億円を積み立てておいた銀行口座から平成元年１１月に引き出した資金２億円、②平成９年１２月に銀行の私の家族名義の口座から引き出した資金３億円、③平成１４年４月に銀行の私の家族名義の口座から引き出した資金６０００万円を東京都港区元赤坂の事務所の金庫に保管していました。平成１６年１０月には、同金庫に４億数千万円残っており、うち４億円を陸山会に貸し付けました。<br>
４億円の一部は建設会社からの裏献金であるやの報道がなされておりますが、事実無根です。私は不正な裏金など一切もらっておりませんし、私の事務所の者ももらっていないと確信しています」<br>
<br>
と書かれている。これについては判決では
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52347341.html">続きを読む</a>
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</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52344590.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　８</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52344590.html</link>
<description>次に判決要旨に登場するのは、４億円を分散入金したことが書かれている。ここには有名になった「推認」という言葉も登場している。とりあえずここで指摘されていることを事実と推測に分けて書き出しておこう。

・１（事実）被告人石川は、本件4億円を平成16年10月13日から...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-25T10:54:01+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[次に判決要旨に登場するのは、４億円を分散入金したことが書かれている。ここには有名になった「推認」という言葉も登場している。とりあえずここで指摘されていることを事実と推測に分けて書き出しておこう。<br>
<br>
・１（事実）被告人石川は、本件4億円を平成16年10月13日から同月28日までの間、前後12回にわたり、5銀行6支店に分散入金した。<br>
・２（事実）後、りそな銀行衆議院支店陸山会口座に集約している。<br>
・３（推測）このような迂遠な分散迂回入金は、本件4億円を目立たないようにするための工作とみるのが自然かつ合理的である。<br>
・４（事実）本件4億円は、本件土地購入原資として小沢から借り、実際に本件土地取得費用等に充てられている。<br>
・５（事実）被告人石川は、本件土地の残代等を支払った後に、小沢関連5団体から集めた金員を原資として本件定期預金担保融資を組み、小沢を経由させた上で陸山会が転貸金4億円を借り受けている。<br>
・５（解釈）被告人石川は、これらの行為に及んだ理由について、合理的な説明をしていない。<br>
・６（推測）このような一連の経過等をみると、被告人石川は、平成16年分収支報告書上、本件4億円の存在を隠そうとしていたことが強くうかがわれる。<br>
・７（推測）被告人石川は、本件土地の取得費用等の支出を平成16年分収支報告書に記載せず、平成17年分収支報告書に記載しようと考えた。<br>
・８（事実?）被告人大久保を介して売主側と交渉し本件登記を平成17年1月7日に延期している。<br>
・９（推測）被告人石川は、本件4億円の収入や、これを原資とした本件土地取得費用等の支出が平成16年分収支報告書に載ることを回避しようとする強い意思をもってそれに向けた種々の隠ぺい工作を行った（ことが強く推認される）。<br>
・１０（推測）後述する背景事情をみると、被告人石川には種々の隠ぺい工作を行って本件4億円を隠そうとする動機があった。<br>
<br>
ここで「?（クエスチョンマーク）」にしたのは、他の資料からの判断で事実かどうかが確認できなかったところである。後はおおむね事実ではないかと考えられる。そこで論理的に問題になるのは、これらの事実が「推測」によって結論を正当に導いているかどうかということだ。
<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52344590.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52343758.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　７</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52343758.html</link>
<description>西松建設事件に関する記述に論理的に納得出来ないものを感じているのだが、陸山会事件に関しても同様に論理的な側面に疑問を感じる。まず「問題の所在」として次のような指摘がある。

「平成16年分収支報告書には「借入先・小澤一郎、金額・￥400,000,000、備考・平成16年...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-22T21:41:29+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[西松建設事件に関する記述に論理的に納得出来ないものを感じているのだが、陸山会事件に関しても同様に論理的な側面に疑問を感じる。まず「問題の所在」として次のような指摘がある。<br>
<br>
「平成16年分収支報告書には「借入先・小澤一郎、金額・￥400,000,000、備考・平成16年10月29日」との記載(以下「本件記載」という。)があるが、この記載について、検察官は、陸山会の定期預金を担保に小沢がりそな銀行衆議院支店から4億円を借り入れ、陸山会が同人からその転貸を受けた「転貸金4億円」であって、平成16年10月初めころから同月27日ころまでの間に小沢から陸山会が借りた合計4億円(以下「本件4億円」という。)ではないと主張するのに対し、被告人石川は、小沢から借りた4億円を記載したものであると主張している。 」<br>
<br>
ここには、検察と石川被告の対立点は書いてあるが、どこが悪くて告発されているかという指摘は書かれていない。それは判決要旨には書かないものなのだろうか。文脈からすれば、石川被告の主張が間違っていて、それが悪いと指摘されているようにも感じるのだが、どこが悪いのかが分からない。つまり論理的な理解が出来ない。このあとのところに書かれているのだろうか。<br>
<br>
「検討」と書かれているところには、<br>
<br>
「「平成16年10月29日」という収支報告書の備考欄の記載は、その体裁からして、陸山会が小沢から4億円(転貸金4億円)を借り入れた日を書いたとみるのが自然かつ合理的である。本件記載が本件4億円を書いたものだとすると、被告人石川は、本件定期預金担保融資における本件定期預金4億円を収支報告書に記載しておきながら、それを担保にする形をとって小沢から転貸を受けた転貸金4億円を記載しなかったということになって不自然である。」<br>
<br>
という記述がある。ここでは「不自然である」と判断しているが、本当にそうだろうか?誰もがそう考えるならこの言葉も頷けるが、そうでない考えもたくさんある。小沢さんからの現金４億円と、銀行融資の４億円を両方記載すると、合計で８億円の借り入れになるが、実際に土地購入に使われたのは４億円である。８億円はいらないのだ。いらない金を記載するのが自然で、必要な金だけを記載したのが不自然なのだろうか。
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52343722.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　６</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52343722.html</link>
<description>判決要旨には政治資金収支報告書の虚偽記入について大久保被告の関与を語るところがある。ここにも僕は違和感を感じる。そこでは、

「収支報告書に新政研及び未来研からの寄附であるとの虚偽の記載をすることを承知の上で、同人らをしてその旨の記載をさせ、提出させてい...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-22T19:30:23+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[判決要旨には政治資金収支報告書の虚偽記入について大久保被告の関与を語るところがある。ここにも僕は違和感を感じる。そこでは、<br>
<br>
「収支報告書に新政研及び未来研からの寄附であるとの虚偽の記載をすることを承知の上で、同人らをしてその旨の記載をさせ、提出させていたことが認められる。したがって、陸山会の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」<br>
<br>
「被告人大久保は、本件各寄附が新政研及び未来研からのものであることを内容とする第4区総支部の収支報告書が提出させることになると承知の上で、それに至る各作業をさせ、これを提出させていたことが認められる。したがって、第4区総支部の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」<br>
<br>
と書かれている。虚偽記入について、大久保被告がそれを承知の上で書かせていたという「共謀」の証明を述べているように見える。この証明が、どうも論理的にすっきりしない。この証明には、この結論を論理的に導く前提が必要だ。それは、新政研及び未来研という二つの政治団体がダミーであり、しかも大久保被告がそれを認識していたということだ。この前提がなければ上の結論は出てこない。<br>
<br>
収支報告書には新政研及び未来研の寄付は記載されているから、記載漏れではない。この記載が虚偽であるという告発だ。つまり正当な寄付ではないということだ。これは証明された事実なのか、ということにどうしても違和感が残る。<br>
<br>
確かに西松建設そのものの裁判においては、西松建設という会社がその政治団体がダミーであることを認めている。だが、西松建設が認めているからといって、それが事実になるのだろうか。裁判というのは事実を明らかにするところではなく、事実ではなくても会社にとって有利と判断すればそれで手を打つということもあり得る。西松建設は、郷原さんによれば全面降伏したと指摘されていた。そのような会社のいうことをそのまま信じられるのだろうか。
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52341848.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　５</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52341848.html</link>
<description>判決要旨には「新政研及び未来研が西松建設の隠れ蓑であることについての被告人大久保の認識の有無」として書かれている部分がある。この部分に僕はどうも釈然としないものを感じる。大久保被告は、元々ここで語られているようなことが罪に問われて「西松建設事件」として起...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-16T23:17:20+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[判決要旨には「新政研及び未来研が西松建設の隠れ蓑であることについての被告人大久保の認識の有無」として書かれている部分がある。この部分に僕はどうも釈然としないものを感じる。大久保被告は、元々ここで語られているようなことが罪に問われて「西松建設事件」として起訴された。しかし、その公判は２回を終わったところで消えてしまった。訴因変更をされて、石川・池田両被告とともに陸山会事件でも訴追されることになったからだ。<br>
<br>
西松建設事件そのものでは判決が出なかった。出せなかったといった方がいいだろう。それは有罪に出来ないと踏んだ検察側が訴因変更をして陸山会事件でも改めて起訴したからだ。その消えてしまった犯罪要件で、証拠も疑問視されていたもので何でここでまた裁かれなければならないのだろうか。<br>
<br>
当時のこのような状況を伝える情報は以下のようなものだ。<br>
<br>
<a href="http://shadow9.seesaa.net/article/135966471.html">「１「小沢一郎公設第１秘書「西松献金事件」初公判」」</a><br>
<br>
<a href="http://electronic-journal.seesaa.net/article/213449624.html">「２「西松事件公判はどこに行ったのか」（ＥＪ第３０９２号）」</a><br>
<br>
<a href="http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-854.html">「３「「大久保元秘書の調書取り下げ」でも、まだまだ安心できない！腐れ検察・司法は何をしてくるかわからない！」」</a><br>
<br>
<a href="http://mewrun7.exblog.jp/12647839/">「４「小沢秘書の訴因変更、地裁の許可いまだにおりず。東京地検は、焦り気味？」」</a><br>
<br>
<a href="http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2410">「５「西松建設献金公判、マスコミに頼る検察「天の声」乱発で小沢一郎幹事長攻撃へ2009.12.18（金） 郷原 信郎」」</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52340114.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　４</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52340114.html</link>
<description>判決要旨では次に大久保被告が新政研および未来研からの献金を西松建設からのものと認識していたかどうかと言うことが論じられている。つまり両政治団体をダミーと認識していたかどうかと言うことだ。

この論述の冒頭に出てくるのが「天の声」というやつだ。これが論理的...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-11T21:09:04+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[判決要旨では次に大久保被告が新政研および未来研からの献金を西松建設からのものと認識していたかどうかと言うことが論じられている。つまり両政治団体をダミーと認識していたかどうかと言うことだ。<br>
<br>
この論述の冒頭に出てくるのが「天の声」というやつだ。これが論理的にはどう関係しているのかというのが分かりにくい。小沢事務所が「天の声」を出せるほど権限を持っていたのだから、ダミーを使ってでも献金をする必要があったと、論理の展開を導きたいのだろうか。しかしそれは西松建設側の都合であって、小沢事務所の献金を要求する動機にするには無理がある。<br>
<br>
大体小沢事務所というのはマスコミからも検察からも常に狙われているところであり、それを自覚していたはずだ。そうであれば、なぜそのような危ない橋を渡って金を集める必要があったのか。絶対にばれないという状況を作ってからそういうことをするものだと思うのだが、判決要旨のストーリーではあまりに単純すぎるのではないか。<br>
<br>
「天の声」についても小沢事務所がどれだけ力を持っていたかを判断する材料を探したのだが見つからなかった。当時は小沢さんは野党のみであるから、国政に関する権限はない。岩手県知事も、２００７年からは達増知事になって小沢さんと親しい人間になったが、それまでは小沢さんの息がかかっている人間ではない。前知事は当選してから反小沢になったとも言われている。<br>
<br>
論理的には、「天の声」など発する条件がないと思われるのに、なぜ判決がそれを主張しているのかに疑問を感じていた。そんなときに見つけたのが<br>
<br>
<a href="http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/08gendainet000156288/">「小沢元秘書裁判　東北ゼネコン幹部は「天の声」判決に大笑い (ゲンダイネット）」</a><br>
<br>
という記事だ。これによれば<br>

<a href="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52340114.html">続きを読む</a>
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52340113.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　３</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52340113.html</link>
<description>判決要旨には「本件各寄附は、西松建設の意思決定及び指示に基づき実行されたものか否かについて」という記述がある。この内容を評価するのは難しい。論理的にはその前提になる事柄から結論が正しく導かれるか、ということを見たいのだが、その前提がどこにあるかと言うこと...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-11T21:01:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[判決要旨には「本件各寄附は、西松建設の意思決定及び指示に基づき実行されたものか否かについて」という記述がある。この内容を評価するのは難しい。論理的にはその前提になる事柄から結論が正しく導かれるか、ということを見たいのだが、その前提がどこにあるかと言うことが分かりにくい文章になっている。とりあえず判決要旨から引用しておこう。<br>
<br>
「西松建設は、平成9年、小沢事務所との間で、以後、小沢事務所側に対し、西松建設から年間1500万円、同社の下請企業(協力会社)から年間1000万円の合計2500万円の寄附を行うことを申し合わせた。このうち、西松建設からの年間1500万円の寄附は、平成9年から平成18年までの間、西松建設名義のほか、新政研、未来研等の名義で行われた。西松建設は、この総額1500万円について、西松建設の持つ複数の献金元のうち、どの献金元からいくら支払うかをそれぞれの時期ごとに慎重に検討し、その全体を見通 した上で、新政研・未来研名義の献金額も定めていた。本件各寄附についても、西松建設では、あらかじめ西松建設社長の指示及び了解を得た上で、同社経営企画部長が被告人大久保と会って、陸山会、第4区総支部又は県連のいずれにいくら振り込むか、その場合、どの献金元からいくら振り込むことにするかなどを打ち合わせて決定し、新政研及び未来研の事務を担当していた西松建設0Bにその決定内容を伝え、同人をして本件各寄附を実行させた。同人は指示されたとおりの振込手続を行っていただけで、献金先や献金額を決定する権限も相手方と交渉を持つこともなかった。したがって、新政研・未来研名義の政治献金(本件寄附を含む)は、西松建設の意思決定及び指示によって行われていたものである。 」<br>
<br>
ここで語られている論理的帰結は、最後に書かれている「新政研・未来研名義の政治献金(本件寄附を含む)は、西松建設の意思決定及び指示によって行われていたものである」ということだ。この文章の前に「したがって」という言葉が見えるのでそう判断できる。では、この結論を導く前提はどこにあるか。それを抜き出すと次のようになるだろうか。
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<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52339974.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　２</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52339974.html</link>
<description>さて西松建設事件においては「本件各寄附の原資は西松建設の資金か否かについて」と言うことも論じられている。これに対しては、もちろん裁判所は寄付の原資は西松建設の資金であり、それを隠すためにダミーの政治団体を作ったのだと論証している。その論証の根拠になるもの...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-11T11:40:15+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[さて西松建設事件においては「本件各寄附の原資は西松建設の資金か否かについて」と言うことも論じられている。これに対しては、もちろん裁判所は寄付の原資は西松建設の資金であり、それを隠すためにダミーの政治団体を作ったのだと論証している。その論証の根拠になるものはなんだろうか。要旨では次のように記述されている。<br>
<br>
「新政研及び未来研による寄附の原資は、一定の西松建設の社員及びその家族を新政研又は未来研の会員とした上、この社員の賞与に一定額を上乗せ支給し、この社員及びその家族が、「会費」支払名下に新政研又は未来研の預金口座に振り込み、あるいは、現金で払込をする方法等により調達されていたから、新政研・未来研名義の政治献金の原資が、西松建設の資金であったことは優にこれを推認することができ、新政研・未来研名義の政治献金である本件各寄附についても、その原資が西松建設の資金であったことは明らかである。 」<br>
<br>
ここの文章には、批判の的となった「推認」という言葉が出てくる。これは、事実として確認されてはいないが、論理的帰結としては他はあり得ないというようなニュアンスで語られている。果たしてそうだろうか。推認の前提となる事柄を拾い出してみよう。<br>
<br>
・西松建設の社員及びその家族を新政研又は未来研の会員としている。<br>
・この社員の賞与に一定額を上乗せ支給している。<br>
・この社員及びその家族が、「会費」支払名下に新政研又は未来研の預金口座に振り込むか、あるいは、現金で払込をする方法等により調達されていた<br>
<br>
確かにこれらの事実は、この政治団体が献金のための隠れ蓑にするために作られたという疑いを抱かせる。しかし、この事実が確認されればすぐに、寄付の原資が西松建設の資金だと言うことが論理的帰結として得られるだろうか。さらにこの政治団体はダミーであり、違法献金を隠すために作られたのだと「推認」出来るものだろうか。この論理の展開にはかなりの無理があるように感じる。
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</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52338996.html">
<title>陸山会事件判決の論理的分析　１</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52338996.html</link>
<description>陸山会事件判決について論理的な構造を分析したいと思っていたのだが、そのためにはより詳しい判決文が必要だった。出来れば全文を入手したかったのだが、それは公開されていないようだった。そんなときに日々坦々というブログの

「登石郁朗裁判長によるデタラメ判決全文...</description>
<dc:creator>khideaki</dc:creator>
<dc:date>2011-10-08T11:49:56+09:00</dc:date>
<dc:subject>国内政治</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[陸山会事件判決について論理的な構造を分析したいと思っていたのだが、そのためにはより詳しい判決文が必要だった。出来れば全文を入手したかったのだが、それは公開されていないようだった。そんなときに日々坦々というブログの<br>
<br>
<a href="http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1222.html">「登石郁朗裁判長によるデタラメ判決全文（参照程度）と山口一臣氏による突っ込み箇所」</a><br>
<br>
というエントリーを見つけた。そこに少し長い要旨というのが載せられていた。これを参考にして、ここに表現されている論理的側面を分析してみようと思う。<br>
<br>
論理的側面というのは、結論としての判決が論理によって導かれているはずなので、それの前提を遡って、最も根源的になると思われる前提を突き止めてみようとするものだ。その前提を認めることによって、判決としての有罪が導かれるという大本を捜そうとするものだ。まずは西松建設事件から書かれているので、これの分析をしてみよう。<br>
<br>
結論としての判決は次のようになっている。<br>
<br>
「1被告人大久保隆規を禁錮3年に、被告人石川知裕を禁錮2年に、被告人池田光智を禁錮1年に処する。<br>
　2この裁判が確定した日から、被告人大久保隆規に対し5年間、被告人石川知裕に し3年間、被告人池田光智に し3年間、それぞれその刑の執行を猶予する。<br>
　3 訴訟費用中、証人○○○○に支給した分は被告人大久保隆規の負担とし、その余は、その3分の1ずつを各被告人の負担とする。」<br>
<br>
ここには結論が語られているだけで、その結論が導かれた論理的前提は語られていない。結論で重要なものは、「有罪である」と言うことと「執行猶予」がついたと言うことだ。この結論がどのような前提から導かれたかというのを考えてみたい。
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