今は昔・・・・・・楽しく笑ふ声もきこえずし怒りたる様を見ることもなし。あまりにもあながちなるかたなると感ず

〈旅の日記から〉原文のままに・・・・・。

〈本日の宿泊詳細〉
安宿,ゲストハウス,Guest house,安ホテル,Cheap Hotel,その他(野宿、駅・空港で夜明かし),自宅,
WiFi,ワイファイ,シャワートイレ付き,TV付き,冷蔵庫,エアコン

50日目    :Bago(バゴー)
宿泊             :パンディタ・ラマ森林瞑想センター(64の11号室)
両替    :なし
食費    :朝食(5時30分) おかゆ、大豆、モヒンガー、パン(ジャム・バター)、パパイヤ
      :昼食(10時30分) 前菜4種類、メイン料理6種類、デザート4種類、梨
      :夕食 午後の食事は戒律により禁止
雑費    :ヨギは外出することが禁止されている     
 
 今日のテーマは【喜怒哀楽】。人間社会を表現するのに「喜怒哀楽」の言葉はピッタリですね。苦しい時を乗り越えれば楽しい時がやってくるし、哀しい出来事に遭遇してもいずれそれを克服して、人間として成長してゆく。一人ひとりの人間がそれぞれの幸福を求めて生きている以上、競争のある社会になり、いろいろな問題が起こる。人間として生まれた以上、避けて通れぬ道だと思うのです。
喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだりする、人間であれば当たり前と言える「喜怒哀楽」の世界に我々は生きている。
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写真は、ヤンゴン行きの出発を待つ人々〈ドンムアン空港〉すごい混雑だ

 ところが私が今、生活している上座部仏教のコミュニティーには、この「喜怒哀楽」がありません。その姿・形さえも消されている。ここに住みついて今日で41日目。最近そのことを強く意識するようになった。テレビは無いし、ラジオも無い。新聞も無いし、雑誌も無い。スポーツをする場所も道具も無い。祭りも無いし、踊りも歌も聞こえない。娯楽と言えるものが皆無だ。
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写真は、田んぼの中に建っている寺に鎮座する仏像〈ヤンゴン郊外〉

 ここで生活していて笑顔を見ることもないが、喧嘩をして怒っている声を聞くこともない。人の顔を見てもそこには表情が無い。あまりにも極端な場所だと感じる。このような「喜怒哀楽」の存在しないコミュニティーでしか暮らしたことのない人間は、どんな大人に成長してゆくのだろうか。
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写真は、托鉢する僧侶たち。彼らの顔に表情は見つからない

 日本のお寺には嫁さんを持つ住職がいて家庭を営んでいる。家にはテレビがあるだろうし新聞だって読んでるだろう。自治体の寄り合いがあれば皆で催し物をするだろう。上座部仏教の極端な社会とは大きく違う。私がミャンマーに来た目的のひとつに「上座部の僧侶の生活を見る」があったが、想像とは大きく違っていた。
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写真は、町中の大衆酒場(バゴー市内)、生ビール一杯700チャット(約56円)で飲める