きちでんせいけん

「きちでんせいけん」という取り組みについて淡々と報告しております。感じるブログというコンセプトのもと写真を中心に展開しております。文章が中心になっている部分もあるのですが、方向性が定まらなかった当時のなごり雪なので予めご了承ください。

U

蟹のシール


電車のドアに貼ってあった蟹のシール。どこか変じゃないですか?

大山のぶ代(前のドラえもんの声の人)って美人だったんですね

tumblr_l6xhyePpE31qz52zeo1_500

若い頃って・・。

通信教育はじめようかなあ

a
ユーキャンの通信教育にもこれがないかなあ。
試合まで時間がないからさあ。

U慈 161〜180話

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】
U慈101〜120話【サカナ】
U慈 121〜140話【U慈とダイスケ】
U慈 141〜160話【夜のシゴト】
U慈 161〜180話【無題】

【U慈・第160話】しばらく、「U慈」の執筆を怠っていたために書き方を忘れていた。前の記事を見直し思い出しながら書き出すことにする。が、しかし、どこから書き出せば昔の記事との整合性が合うのかわからない。http://bit.ly/axVXsV

【U慈・第161話】最近、当の本人からミクシイ経由でメッセージが届く。恐らくこの文章も読まれるに違いないが、そうであって欲しかった。むしろ彼のために書いているのに違いないから。まあ、あいつは面白い奴だった。だったといっても死んではいないが。http://bit.ly/axVXsV

【U慈・第162話】そうそう、ある日なんか何回も掛ってきた奴からの電話に出なかったら奴は急に怒り出して、折りたたみ式の携帯電話をバキバキに折ったっけ。酔っ払うと始末が悪かった。このときは素面だった気もするが。http://bit.ly/axVXsV

U慈 目次

U慈という人物を中心に話を展開しようと思っていたのだが、
それ以外のエピソードがたくさん溢れてきた。
きちでんせいけんの過去を語る連載ストーリー。

U慈という人物を中心に話を展開しようと思っていたのだが、
それ以外のエピソードがたくさん溢れてきた。
きちでんせいけんの過去を語る連載ストーリー。

現在はツイッターに書いたものを転載したのみであるのでいずれまとめたい。

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】
U慈101〜120話【サカナ】
U慈 121〜140話【U慈とダイスケ】
U慈 141〜160話【夜のシゴト】

U慈 141〜160話

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】
U慈101〜120話【サカナ】
U慈 121〜140話【U慈とダイスケ】
U慈 141〜160話【夜のシゴト】

【U慈・第141話】深夜に集合して朝に終わる。かなりの重労働だった。ある時は、あまりにも自分の花粉症が酷くて仕事にならなかった。あと数件、居酒屋の清掃が残っていたにもかかわらず、ナリさんは早朝に駅まで送ってくれた。一軒の居酒屋の清掃だけでもひとりで行うのはそれはそれは大変だっただろう。

【U慈・第142話】珍しく朝8時に東京駅集合という現場があった。その日は、あわてて家を出発したため、早朝からタクシーと接触事故をした。特に、大きな怪我もなく、タクシーへのダメージもなかった。しかし、タクシーの運転手にかなりどやされた。

【U慈・第143話】そのテンションのまま現場に行った。朝からずっと仕事をしてナリさんは「今日元気ないじゃん」と言ってきた。朝起きたことの顛末を話すとタクシー会社に連絡すると言った。しぶしぶ連絡先を教えるとのっけからこう言った。

【U慈・第144話】「○○さんいますか?」「あっ、○○さんですか。今日の朝、うちの若い衆がお世話になったようで。」と。向こうも相当驚いたのだろう。なんかすごく謝っていたらしい。その後、同じ道を通ることは何回もあったが、なんだかいつもタクシーの運転手に悪いことをしたな。と思った。

【U慈・第145話】親戚にもタクシーの運転手をしている人がいる。もう60は超えているだろう。40歳くらいのとき、タクシーの運転手という商売柄、帰宅時間と出発時間がまちまちだったので、事件の容疑者と間違えられ尾行されたことがあるらしい。

【U慈・第146話】話を戻すと、あのナリさんにもU慈は会ったことがある。何回か現場に入ったから。でもほんの数回であったので、U慈からはナリさんの話はあまり出なかった。学生時代にはこういう苦労的な現場を経験しないといけないと思う。

【U慈・第147話】汗にまみれた仕事場を知らないでいると損をすることがあるのかもしれない。時代が行ったり来たりして申し訳ないが、一昨年、塩太が運転するトラックに乗り込んだときもそう思った。それにしてもあの仕事はきつかった。

【U慈・第148話】塩太は、学生時代からの仲間であり、一応、2歳年上の面白いやつだ。この男だけでも一つのストーリーが展開できるくらいへんてこなエピソードが多い。

【U慈・第149話】ある日、塩太が、車を運転している際に警官に呼び止められた。塩太は、禿面でガタイが良く一見悪者に見えるので、良く警官に呼び止められる。その日は、運悪く前日と同じ警官に声をかけられた。「とまりなさい」

【U慈・第150話】その時、手に持っていたのは、粉の入った袋。警官は言った。「何だその袋は?まさか・・」塩太は答えた「そうだよ。わるいかよ」。直後に警官は各所に通報してパトカーが20台くらい来たらしい。「この検査薬が紫に変わったらお前を逮捕するからな」

【U慈・第150話】「ああ、調べてみろよ」。「調べるぞいいな」「あれ、なんの反応もないじゃないか」「あたりまえじゃないか。団子の粉だから」塩太は友達からもらった粉のついた団子をちょうど食べ終わったところであった。その後、かなり酷く警官にしかられたらしい。

【U慈・第151話】この塩太は、大学卒業後に居酒屋で仕事をした。しばらくそこで働き、事故車の輸出入をする会社に入った。事故車を路上で見つけては、当事者と交渉してその車を買い取ったり、ディーラーに来た事故車を引き取ったりしていた。

【U慈・第152話】常に最新の車買取価格情報を頭に入れていた。昭和60年式のカローラで空調がある、凹んだ箇所はどこで、走行距離は何キロというような情報から瞬時に価格を割り出していた。最初は、会社の中でそれをやっていたが、転勤の話を期に独立した。

【U慈・第153話】独立した当初は偉く羽振りが良かったらしい。自分で値段を決めて、買い取るのだから、交渉次第だった。しかし、車市場の景気が悪くなるにしたがって彼の個人経営の会社も雲行きが怪しくなっていった。

【U慈・第154話】それゆえ、生活も楽ではなくなった。昼間は、車の仕事をして、夜間から朝にかけて某飲食店の肉を運ぶ仕事をはじめた。神奈川の港の工場から出発して、山梨県の甲府、塩山など数箇所を回った。途中の道路で野生の鹿を見ることもできた。

【U慈・第155話】ある嵐の夜に深夜の山梨山中で遠くの方に塩太は黄色いものを発見した。それは、小学生のランドセルにかける黄色いカバーのように見え、深夜2時を回っていたので怖くなった。そのままトラックを走らせていくと、それは近づいてきた。

【U慈・第156話】あまりの怖さに、迂回しようとも思ったのだが、その道しかないので進んだ。すると、突然、その黄色の物体が窓ガラスに飛んできた。塩太はあわてて急ブレーキをかけた。良くみると、黄色のビニール袋であった。

【U慈・第157話】私はこのトラックに何度か同乗したことがあったが、多少は荷物の積み下ろしを手伝ったが乗っているだけで疲れた。道は狭く、4トントラックで行きは高速道路の使用が許されていたが、帰りは一般道を通って帰ってきた。

【U慈・第158話】眠さと疲労で、何度も事故になりそうになったらしい。しかも、塩太は、中間地点の店の横に廃墟があるのだが、私が乗っていたときに「あいつ、また見てる。ほれ、あの廃墟からまたこちらを見ている」とこちらを脅かそうと思ったことで、後に自分が恐怖に陥るという失態を犯した。

【U慈・第159話】自分のつくり話でそれ以後、そこを通るのが怖くなってしまったようだ。このような生活を約半年続けて塩太は、病に倒れた。が、二週間くらい寝込んで復活をした。しかしその際に、職業についてかなり考えたらしい。

【U慈・第160話】塩太の職業話はまた機会があればしたいと思う。http://bit.ly/axVXsV

U慈 121〜140話

U慈という人物を中心に話を展開しようと思っていたのだが、
それ以外のエピソードがたくさん溢れてきた。
きちでんせいけんの過去を語る連載ストーリー。

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】
U慈101〜120話【サカナ】
U慈 121〜140話【U慈とダイスケ】

【U慈・第121話】寮長はその名の通り、寮の全ての責任者であった。寮生に万一事故があった場合も彼に責任がある。副寮長は常に寮長と寮の運営について語り合って行動していた。Zは更に個々の寮生をグループ単位で任されていた。

【U慈・第122話】その副寮長を選出する選挙にダイスケが出て、U慈はダイスケの後見人であった気がする。同じ時期に、10人の候補と10人の後見人が寮内で様々な対話に勤しんでいたから、すごい騒ぎであった。それこそ、寝る間を惜しんで、自分の今後の寮に対するビジョンを語っていた。

【U慈・第123話】ダイスケがあまりにも疲れて風呂で眠りに入りおぼれそうになっているのを見たことがある。U慈はとことんダイスケを「ダイちゃん頑張れ!」と側でサポートして、後見人としての対話も活発にしていた。

【U慈・第124話】結局、ダイスケは副寮長になることはなかったが寮にはその後も残った気がする。U慈は、寮を抜け出して勝手気ままな人生に入ったのである。そして、はじめに住んだところがあの寿司屋のコウモリ屋敷。

【U慈・第125話】そして、その後の山奥の家。山奥の家に住んだ頃から、U慈は、某鉄道会社のバイトをし始めた。所属の駅名を言ってしまうとどこの鉄道会社かわかってしまうので言わないが。バイトでここまでするの?という内容だった。

【U慈・第126話】自分も短期間ではあったが、U慈先輩のもと、そこでバイトをしたので分かっているが。因みにU慈の弟はU慈のことをU慈さんと呼ぶらしい。兄弟でこのような呼び方は面白かった。ちょっと思い出した。

【U慈・第127話】早番と遅番があって、早番は確か17時位に駅に入って、22時くらいには就寝した。からすかと、朝になって駅全体の電気をつけて、パソコンを立ち上げて、エスカレーターを作動させ、始発に荷物を乗せる。

【U慈・第128話】だからバイトの駅係員が寝坊するととんでもないことになる。駅の朝の立ち上げに関わらず、終電後も1人のバイト駅係員が電気関係を終了させる。社員の駅員のいびきがすごいときは本当に参った。

【U慈・第129話】4時頃ひとりで目覚まし時計を頼りに起きて、2時間くらいしたら社員の駅員が起きて朝ご飯を作ってくれる。そして、朝8時くらいにバイトが終わる。U慈もこんな暮らしをしていた。

【U慈・第130話】よく「駅員のバイトをしていた」というと満員電車に人を押し込んでいるイメージが人にはあるらしく、そういうこともやったことがあるのかと聞かれる。が、この路線は確かに満員になるが、押し込むまではならない。

【U慈・第131話】自分もこの駅員のバイトをはじめとしてあらゆることをやった。ある時は、朝6時に八王子の駅前に集合して、ワゴン車に乗せられ山梨のケーキ工場に運ばれた。衛生に関する講習を20分くらい受けて、工場へといった。

【U慈・第132話】8時からいちごのヘタとりを連続で5時間くらいした。黙々と。そのあと、ベルトコンベアを流れてくるスポンジケーキに生クリームをつけて、その上に薄くスライスした丸型のケーキを乗せる作業をし続けた。

【U慈・第133話】気がついたときには、14時を回っていた。やっとの昼飯だったが、昼飯時間の長さを聞いていなかったので二回にある休憩室から工場へと戻ったら最後、また工場で連続闘争をさせられた。

【U慈・第134話】やっと、作業が終わったのが20時で八王子に戻ったのが21時半だった。これは、あの悪徳グットウィルの仕事であった。まあ、グットがなければこの仕事で得た金もなかったと思うと少しは感謝しないといけないだろうが。

【U慈・第135話】グットウイルは先ず、人を人としてみなかった。というより信用していなかった。面接すらなかったのだから、信用できなかったというほうが正しいのかもしれない。朝から晩まで、5回にわたり、現場にいることを支店に電話した。こういう管理のしかただ。

【U慈・第136話】またとにかく金にケチだった。ある日なんか、国分寺駅に8時に集合ということで行ったら、一緒に仕事をする人がなかなか来なかった。というより、ドタキャンした。そのまま10時ぐらいまで支店の社員と連絡を取ったが、こなかった。

【U慈・第137話】その日は、そのまま仕事がなくなって、グットウイルからお詫びに、1,000円くれるとの連絡があった。通話代、電車代などを考えると軽く1,000円は超えていたのに。とにかく、金を払いたくないところが手に取るように分かった。

【U慈・第138話】これも書いていいのだろうかと思うが、書く。ある時には、夜中の二時にグットウイルから電話がかかってきた。翌日に作業できる人がいないというのだ。一度や二度ではなく何度もこれはあった。

【U慈・第139話】その後、グットウイル系の仕事とはおさらばして、深夜の清掃の仕事をすることにした。ナリさんというお茶目な人と出会った。現場に入った当初はこのナリさんからかなり罵倒されたが、次第に仲良くなっていった。

【U慈・第140話】ナリさんは、新人には厳しかったがすごく親切な人であった。ちょっと危ない人だったが。具体的な仕事内容は、床を清掃した後に、ワックスをかける仕事であった。都内の様々な箇所に行った。ビーナスフォートからお洒落なバー、コンビニ、新宿の居酒屋に至るまで。http://bit.ly/axVXsV

U慈 101〜120話

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】
U慈101〜120話【無題】

【U慈・第101話】大学祭終了後の直後、かなりの無気力状態に陥った。というよりも、あまりに集中して準備をした期間が長かったので、放心状態になった。こういうことは自分の人生のうち何回かある。

【U慈・第102話】タニマとのエピソードからこんなに長いストーリーになるとは思わなかった。おかげですっかりU慈は姿を消してしまった。U慈とは、カラオケに行くこともあった。こんな話の戻しでいいのか?まあ、書きたいように書く。

【U慈・第103話】あいつは酔っ払うとすぐにカラオケに行きたがった。そして歌うのが、中国の歌謡曲。「月亮代表我的心」などであった。これは、蠟麗君が歌った名曲である。あと「朋友」も好んだ。

【U慈・第104話】更に、「猟奇的な彼女」の主題歌でもあった「I Believe」にも挑戦していた。自分はもっぱら、「上を向いて歩こう」や「もしもピアノが弾けたなら」「ごめんよ涙」などのヒット曲を歌った。

【U慈・第105話】そんな、U慈は、韓国の女性とインターネットで会話をしていたことがあった。そして、その女性が日本に来るという日に、上野まで会いに行った。しかし、相手は日本語を全く話すことができなかった。

【U慈・第106話】上野にU慈がつくと予定の時間の三時間後、携帯電話に電話がかかってきた。しかも、公衆電話からである。相手が話した内容は「今、上野駅」ガシャン。それだけだったらしい。相手に会ったこともなく顔も知らないのに。

【U慈・第107話】それでも何とか本人と会ったらしい。どうやって?と思えたが、こういう力を見せるのがU慈である。あいつはどんな逆境になろうと乗り越えていくと思った。

【U慈・第108話】寮にいた時代もU慈は数々の局面を乗り越えた。寮の部屋は、入口が一つで真ん中に二段ベットがあり左右に3帖くらいのスペースが分かれていた。右の3帖間は下段のベット、左の3帖間は上段のベットを使った。勿論、しっかり部屋は仕切られていた。

【U慈・第109話】いきなり寮の説明をしだしたのには理由がある。U慈の難局を思い出せないからだ。自分たちが残寮生(Zと呼ばれる)として寮にいて、1年生のU慈達が入ってきた。Zは20人くらい。一年生は80人くらいの大所帯である。

【U慈・第110話】このように100人近い人々が一つの建物に暮らすと実に愉快なことがおこる。4月の初旬から、隣の部屋でボウの買ってきた冷凍の魚が冷凍庫の調子が悪かったことによって溶け出した。溶け出した魚の生臭さは甚大な被害を出した。

【U慈・第111話】魚の臭いをなめたらいかん。因みに「臭う」は悪いにおいをさし、「匂い」は良いにおいを示すらしい。魚の臭いに関して書きたいので、申し訳ないが寮の時代から10年後の出来事についてふれたい。

【U慈・第112話】これは一昨年の秋頃のはなし。その年もその前年と同じく、小田原の先の早川漁港から出港する海釣りに誘われた。会社の取引先のカメラマンの方々が釣りを好むというので、二年連続で海釣りに出かけた。八王子を夜中に出て、早川漁港の側で仮眠をとった。同行したのはあのADのヒロ。

【U慈・第113話】仮眠をとったのはいいが、蚊が多くて殆ど寝ることができずに朝になった。朝食を松屋でとり、港へ向かった。そして、朝7時カメラマンたちと一緒の船で出港した。この時期はイナダがとれるという。仕掛けを作るのがすごく面倒で、それ以上に糸が絡まる事態が多くて、2時間くらいしたら飽きてしまった。

【U慈・第114話】ヒロは結構楽しんでいた。彼は、今では某市の学童クラブに勤め、魚を獲ったりカブトムシをつかまえに行ったりするのが好きな少年のような心を持った男だ。結構、魚も釣っていた。午後3時くらいまで海の上にいてかなり日焼けをした。

【U慈・第115話】解散後、小田原の湯に行った。これがまずかった。湯は心地よかったが、この時間に車内にすっかり魚の臭いがついてしまった。そのおぞましき臭いは半月以上とれなかった。車の中で香を焚いたりあらゆる消臭剤を使っても太刀打ちできなかった。

【U慈・第116話】そのくらい魚の臭いは恐ろしい。また八王子に北陸方面の魚を扱っている魚屋があるがこの店内もやはり恐ろしい臭いに満たされている。ボウの魚事件のことでここまで話をのばしてしまった。http://bit.ly/axVXsV

【U慈・第117話】大学2年のZである、きちでんとジャスティスグループには1年生のリョウ、アキ、U慈、ボウ、ヤマ、ダイスケがいた。ボウとジャスティスは、とても仲が良く、朝9時頃、「あっ、話をしているな」と思って寮から出かけて、23時頃帰るとまだ同じ格好で話をしていたくらい仲が良かった。

【U慈・第118話】U慈とアキが同じ部屋で、たまに喧嘩をしていた。結構、二人とも頑固なところがあった。アキは、浪人していたので自分と同じ歳であった。寮生活はこんな個性的な仲間がたくさんいたので面白かった。

【U慈・第119話】ダイスケもユニークな奴だった。U慈とは同じ北海道出身で、ゆっくりとした人だ。得意なことは走ることで、大学卒業後も数々のマラソンの大会に出ていた。しばらく、八王子に住んでいたので、八王子の走ろう会に所属していた時期もあった。

【U慈・第120話】このダイスケとU慈がパートナーとして激しい寮内の選挙戦にでたことも懐かしい。丁度、自分が展示責任者として毎日を苦闘していた時期と被る。寮には寮長と副寮長がいる。そして、残寮生(Z)がいる。http://bit.ly/axVXsV

U慈 86〜100話

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】
U慈66〜85話【広島と平和
U慈86〜100話【戦争の展示】

【U慈・第86話】そうこうしているうちに、当日は足早に近づいてきた。展示の構成を考えた上で、各パートに分かれて作業が開始される。第一章〜第六章まで展示の構成はあったと思われるのだが、それぞれのパートにチームリーダーをおいて更に内容を深めていった。完全にU慈とは縁のない物語になっているがこのまま進める。

【U慈・第87話】第一章のプロローグ部分では、「戦争というものがあったが、それは今この平和な時代に思い返してみるとどんな時代であったか」という問いかけではじまっていた。しかし、その問いかけをどのようにしていくのかという部分が、ここのパートの力の見せどころであった。

【U慈・第88話】また、具体的な戦争の状況を取り上げるパートでは膨大な記録がある「戦争」というもののどこを取り上げていけばいいのかを思慮していた。核兵器の怖さ、沖縄戦、そして敗戦と戦争には様々な場面がある。展示自体の責任者である自分たちは、各パートに入り込み進行状況を見ながら共に内容を考えた。

【U慈・第89話】こんな状況の中でも、ADのヒロをはじめとする先輩たちがサポートをしてくれていた。ADのヒロは、みんなのために常にお弁当を買ってきてくれた。ほかほかな唐揚げ弁当や吉野家の牛丼などを愛車を走らせて買ってきてくれた。この人には今でも大体、月に3回は会う。

【U慈・第90話】本当に疲れがピークに達していて、大学から寮に帰るのですらもママならないことがあった。自転車にまたがっては寝て、こけそうになったり。その最中、寮でも大きなイベントがあった。だがこのイベントに触れるとU慈は出てくるが肝心な展示の当日にならないのでこのまま進める。

【U慈・第91話】無計画に書いているうちに時間経過がかなり前後したので整理したいが、大学祭の展示を行ったのは大学二年のとき。このときはまだ寮に住んでいる。ヤマグと同じボロアパートに住むのは大学3年からだ。すまない、混乱させて。

【U慈・第92話】そのような毎日を過ごして、当日の2日前、遂に「うどん棟」の2階で展示の設営に入った。「うどん棟」という建物は、うどんをメインに販売する学食の建物だ。うちの大学には当時、8くらいの学食があった。そのひとつひとつに個性があった。

【U慈・第93話】若干、学食の説明をしていいかね、ワトソン君。ワトソン君を、あまり気にしないでほしいが。うどん棟の一階部にはうどん専門店があった。ここでは、うどんライスを多くの人が食していた。しかし、2階はちょっとセレブな空間であった。2階の価格は650円からであった。

【U慈・第94話】なかなかこの空間には立ち入ることができなかった。そのうどん棟の北の谷間に喫茶パリという建物があった。ここは実にボリューム満点で、多くの日はここで食した。その側に、ホタルを育てている場所があり、夏の夜はホタルが飛ぶ。

【U慈・第95話】ホタルが飛ぶ場所の近くに「文学の池」という池があってアヒルや鯉がいる。この池の周囲を囲む道には、周桜という桜がある。周恩来首相と大学の創立者の出会いを記念して植えられた桜である。毎年、4月になると中国の人々を招待して観桜会が開かれる。

【U慈・第96話】サイマル出版というところが発刊した「人間周恩来」という本には大変に感動したことがあった。大学の体育館の側には「滝山亭」という食堂があった。ここのカツカレーも良く食べた。430円だったと記憶している。また、野菜丼やイカ丼という270円のシンプルなドンブリもあった。

【U慈・第97話】滝山亭は当時24時間開放されていて、食堂は閉まっても、ダンスのクラブの人々がひたすら練習をしていた。そのダンスサークルは何度も大会で日本一となっているらしい。その、滝山亭の下に、「ロンドン」というちょっとお洒落なカフェがあった。ここも、良かった。

【U慈・第98話】そして、一年生の時から馴染みだったのが「ロワール」だ。入学当初、生活費がどのくらいかかるかわからなかったので一日に「ロワール」の定食を一食のみで過ごした時期があった。そうしたら、寮の掃除の時間に雑巾掛けをして立ち上がると立ち眩みがするようになった。

【U慈・第99話】やっぱり、しっかり食べないとダメだぞ。戦ができなくなるわい。学食の話はここまでにして、展示の設営も順調に進んだ。そして、大学祭の初日の一番早くに学長が挨拶に来てくれた。感動した。展示にも約5,000人くらいの方が訪れてくれた。何回も足を運んでくれた人もいた。

【U慈・第100話】そして、大成功で「戦争」を考える展示が終了した。平和を目指すには、平和とは何かを考えることが先ず重要であることを思った。平和という漠然としたものを具体的に考えていかないと、目指すも何もなくなるからだ。http://bit.ly/axVXsV

U慈 66〜85話

U慈【目次】
U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】
U慈 51〜65話【丹木町】

【U慈・第66話】原付で走っていてもどこを走っているのか分からなくなるほど暗かった。更に、心霊現象が起こる場所としても有名である。因みに「リング」という映画の貞子の井戸は滝山城址に存在する。

【U慈・第67話】タニマが山頂にいたから良かったが、いなかったら絶望しただろう。このタニマも、陣馬山で白装束を目撃したひとりである。愛車のエスティマを乗りすぎた為、ブレーキパッドが信号待ちの途中に剥がれ落ちたこともあった。

【U慈・第68話】このエスティマで様々な箇所にドライブした。後々語ることもあるだろうが、雪の富士山、広島、湘南、聖蹟桜ヶ丘などを旅した。どの旅もほとんど無計画で挙行された。自分が同乗しているだけでも軽く2,000kmは走った。

【U慈・第69話】一度だけ、タニマが「豪遊」と称した遊びをした。それは、12時頃拝島方面のスタミナ太郎という店に行き、焼肉を1,000円で鱈腹食べた後、スパ昭島でゆったり風呂に浸かるという「豪遊」だった。昼間のスーパー銭湯は良かった。

【U慈・第70話】しかし、一度で辞めたのはどうも学生らしい「遊び」とかけ離れていた為だ。今ならばこういう日も過ごしてみたいのだが。今思い出してみると意外にタニマとの思い出は多い。

【U慈・第71話】この、タニマとのつながりは同じサークルに所属していたことにあった。同じアパートのヤマグは、大学3年のときにそのサークルの部長になった。サークルのテーマは「国際平和」だった。

【U慈・第72話】サークル内には150人ほどの部員がいて、日夜、国際平和について活動していた。研究テーマは硬くとも、気さくな人々が集っていた。夏も近づくある日の16時頃、いつものメンバーが大学に揃っていた。

【U慈・第73話】突然、誰かが言った。「今から広島に行こうぜ」。誰もが冗談かと思ったが、例のエスティマ王子が賛成した。23時には男女6人くらいが広島を目指して車に乗り込んだ。広島に行った理由は、一度、原爆の怖さを知りたかったからだと言われている。

【U慈・第74話】また、ちょうど大学祭の展示企画の内容を決める時期でもあったからだった。23時に出発して1時間くらいは車中が賑やかだったが、やがてみんなが眠りについた。運転手を除いて。朝6時ごろには大阪を過ぎた。誰かが言った「意外と早いね」と。

【U慈・第75話】さすがのエスティマ王子もこれには堪忍袋の緒を切らしたようだった。更に、3時間ほど走って広島の原爆ドームの見えるところについた。はじめて見たその建物には複雑な思いがした。その後、原爆資料館を見学した。そこで、当時の映像が生生と映し出されたビデオを借りた。

【U慈・第76話】広島の知り合いにあって、被爆された方にもお会いした。そして、帰りにみんなでガストによって帰った。東京にもあるガストによって帰った。タニマは当時ガストでバイトをしていたと言うのに。帰りの道中は、ニシが車を運転した。

【U慈・第77話】その翌日には展示企画の責任者が自分も含めた3人に決まり、夏休みが明けてから11月の大学祭に向けて物凄い勢いで準備が遂行された。先ずは、サークルの部会で展示テーマのプレゼンテーションがされた。

【U慈・第78話】タニマを中心とする3人ほどが「20世紀の戦争展」という企画をプレゼンした。その結果、そのほかの企画もあったのだが多数決でそれに決まった。ここからが物凄く大変であった。戦争といっても一概に定義と範囲を言えないからである。

【U慈・第79話】タニマに企画を詳しく聞くと「20世紀の戦争の悲惨さを訴えて戦争を無くすために自分たちは何をすべきか考える展示にすればいい」とだけ言った。「それ以外は君たちが考えるところだ」とも言われたような気がする。

【U慈・第80話】先ずは、展示責任者で展示の構成を考えた。導入部からどう戦争の悲惨さを訴えていくか?しかも、ただ訴えるだけの自己満足的な展示にならないように。「考えてもらう」という点を考慮した。そのため様々な文献を読み漁った。

【U慈・第81話】そして、その構成を部会で披露して意見を受けて作り直していった。途中、何を考えればいいのかかなり苦しんだ。連日、徹夜のような日々があった。そして、サークルの合宿に突入した。そこで、ある程度の内容をかっちり決める必要があった。

【U慈・第82話】果たして、内容と構成は決まった。が、毎日多忙で気持ち的にも限界がきていたので、「アンネフランクとホロコースト展」をみんなで観に出かけた。この展示は、人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センターが資料を提供して開催されている展示である。

【U慈・第83話】サイモン・ウィーゼンタール・センターの創設者であるサイモン・ウィーゼンタールは、ユダヤ人であり、ナチス・ドイツによって様々な強制収容所に収容された。その後、戦後まで生き延びて1977年に同センターを開設した。そのセンターの中には、「寛容の博物館」がある。

【U慈・第84話】ホロコーストという言葉で思い出すのは、「ライフイズビューティフル」と言う映画だ。ロベルト・ベニーニの傑作でアカデミー賞、カンヌ映画祭のグランプリ他数々の映画賞を受賞した傑作である。ベニーニの父親は、強制収容所で2年過ごした。

【U慈・第85話】この映画は「世界一愛のある嘘」によってできている。映画の内容はここでは触れないが、思い出すだけで感動してしまう作品だ。アンネフランクとホロコースト展を観たことで新たな発想がひらめいたし、この展示企画の主催者に話をしてパネルも借りることができた。さらに、あっ、これはここには書くことができない。http://bit.ly/axVXsV

U慈 51〜65話

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】

【U慈・第51話】この一郎の部屋で、あの歴史的な事件を目撃した。21時ごろ一郎の部屋に遊びに行っていたとき実家から電話がかかってきた。「今大変なことになっているからテレビをつけてみろ」しかし、一郎の部屋にはテレビすらなかったが、幸いなことにPCがあった。そのPCを立ち上げ、5分後にネットスケープのボタンをすばやくクリックした。

【U慈・第52話】まだ初期のYahoo!のニュースをたよりに緊急速報を見た。通信速度が遅いPCの画面にゆっくりと映し出されたのが二つのビルに穴が開いて炎上しているさまだった。そう、あの9.11の事件である。それを見て一郎が最初に言った言葉は「マジかよ」であった。

【U慈・第53話】この映像は衝撃的であった。自分は、はじめ映画でも観ているのかと思った。今までに見たことのない事実がそこにあった。恐ろしいことにこの後の記憶はない。

【U慈・第54話】最近の映像について常々思うことはリアリティを求めすぎることで、リアルが欠落する恐れがあるということだ。どういうことかといえば、HNKの番組に「映像の世紀」というスペシャルがあった。

【U慈・第55話】江戸の末期から第二次世界大戦終結までの欧米と日本の歴史的な映像を解説つきで紹介する番組である。ナチスやチャーチル、真珠湾攻撃、ニューヨークの沸きあがる市民の映像まで淡々と善悪に寄らない事実を伝えている。

【U慈・第56話】その中の映像は当時撮影された「事実」であるのだが、映画やドラマでCG等を使いリアリティが求められる中で、その「事実」の映像すらも今の自分には「嘘」に見えてしまうことがある。

【U慈・第57話】広島の原爆資料館から借りてきた生々しい被害の映像ですらも「原爆はサタンである」と感じながらも、一瞬つくりモノの映像に感じてしまったことは否めない事実である。それは、かなり恐ろしいことであると思う反面、どうすることもできない流れであることを感じている。

【U慈・第58話】映像についてこんな解釈をしている人もいた。のぶ。やつもこの記事を読んでいるらしいから慎重に書かないといけないが。彼は、映画やドラマを見ても一切感動しないらしい。理由は、作っている光景をすぐに思い浮かべてしまうからだそうで。

【U慈・第59話】役者がどんなに憎悪にまみれた演技をしていても「こいつら休憩中は仲良くやっているんだよ」と思ってしまうらしい。考えてみればかなり悲しい性だ。のぶは先日、第二次世界大戦中における米軍と日本軍の思想の違いを熱く語っていた。

【U慈・第60話】一郎はあれほど「グリーンディスティニー」を批判したのに「タイタンズを忘れない」という映画をみては泣いていた。それを少しでも悪く言うものがいれば「お前らはこいつらの戦いがわかるのか」と激しく嘆いていた。

【U慈・第61話】学生時代に住んでいた場所は、八王子市の丹木町というところだった。いまでものどかな風景が広がる。確か、家賃が35,000円のアパートだったと記憶している。二つ隣の部屋には、ヤマグが住んでいた。

【U慈・第62話】ヤマグとは、寮時代からの親友だった。様々喧嘩もしたが、平和について熱く語った。ヤマグの部屋では一週間連続で宴会が開かれたことがあった。得意料理は親子丼であった。ヤマグとU慈との接点ももちろんあった。

【U慈・第63話】そうかといってこの二人の接点で何があったかは知る由がない。最近、U慈の登場が少ないとの指摘があったので登場させたに過ぎない。丹木には、丹木マートやパークというスーパーがあった。

【U慈・第64話】丹木マートで購入したシメジが完全に腐っていたこともあった。が「丹木マートならば仕方がないな」と思われる店であった。更には、縁がなかったが乗馬場もあった。

【U慈・第65話】丁度そのコンビニの裏側の道から滝山城址に行くことができた。ある日の21時ごろ滝山城址のある山の上にいると、タニマから電話がかかってきた。意を決して、原付で勢い良くこの山を登ったのだが、電灯一つないこの山は恐ろしかった。

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】

U慈 41〜50話

【U慈・第41話】U慈は、酒癖が悪かったことも否めない事実だ。街で飲んでは暴れていた。中国スナックにも通っていた。街中のアジア系客引きがU慈を見つけると気軽く親友のような中国語で話しかけてくるまでに街では知られはじめていた。

【U慈・第42話】あるときなんか、酔っ払った状態のU慈が突然うちに遊びに来た。ちょうど「シュリ」という感動的な映画を観ていたのだが横から場面場面でちゃちゃを入れてきたので、クライマックスのシーンで全く感動しなかったのを覚えている。

【U慈・第43話】また、「サトラレ」という映画を観ていたときも同じように横で「こんなことあるわけないじゃないか」と言っていたので全く冷めてしまった。そんな、U慈が好きだったのが「猟奇的な彼女」という韓国映画だった。

【U慈・第44話】「猟奇的な彼女」は繰り返し何回も観ていた。彼が好きになる女子はこの映画の主人公になるような人に性格が似ていた。自分もこの映画には感動した。途中のシーンでえらく泣いてしまった。女子はこのくらい我侭の方がいいと思った。U慈は言った「ただし美人に限る。」

【U慈・第45話】そんなU慈が「グリーンディスティニー」というワイヤーアクション満載の映画を借りてきたことがあった。ちょうどそこにいたのが一郎だ。一郎は、グリーンディスティニーを見ながら「こんなアクションは嘘過ぎる」とずっと笑っていた。

【U慈・第46話】確かに嘘みたいな部分は多かったが、チャンツイイーの飯屋での戦いや、かつてはボンドともコンビを組んだミシェル・ヨーとの戦いに驚いた。チョウ・ユンファも「アンナと王様」では見せなかったすさまじいアクションをしていた。

【U慈・第47話】ここにいた一郎という奴がまたいい味を出した人物であった。大学では200名を超える音楽系サークルの部長をしていたのだが、とにかくニュアンスで行動することが多かった。何かの話をするときも、大体こんな感じという具合に話を展開した。

【U慈・第48話】大学卒業後は、バークリー音楽大学というアメリカの音楽大学に行った。アメリカにわたる当日も寝坊して飛行機に乗り込むことができなかったらしいし、音楽サークルの定期演奏会当日に寝坊して遅刻したとの噂が立つほどだった。

【U慈・第49話】バークリーといえばジャズピアニストの上原ひろみも行っていた名門だ。一郎はこの留学で音楽を徹底的に学び、今ではアメリカで映画の音楽製作やあらゆるCMの曲をつくっているらしい。先日、池袋で久しぶりに会ったが以前よりも更にニュアンスで話すようになっていた。

【U慈・第50話】この一郎の部屋には、照明が一つしかなくそれも間接照明だったので夜は大変に暗かった。一郎はこの部屋の中で数々のミュージックをつくった。また、この男の奇妙なところは、スリッパを履いて寝るところ。あの怪獣の足を模倣した靴のようなスリッパだ。

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】
U慈41〜50話【一郎】

U慈 31〜40話

【U慈・第31話】また、当時としては最先端のアイリバーというMP3プレーヤーを買って四六時中、中国語のヒアリングをしていた。この頃は、まだADSLが出たばかりであった。多くの人はISDNという通信速度が遅いサービスを使っていた。携帯電話もモノクロ画面でまだ3和音になる前の話だ。

【U慈・第32話】その5ヵ月後に半年〜1年間、U慈は台湾に留学で行ってしまった。台湾から戻ったU慈の中国語レベルは半端じゃなかった。中国語を母国語とする人々でもネイティブだと間違える実力を兼ね備えていた。

【U慈・第33話】彼は、台湾から80ギガのハードディスクを持ち込んだ。その中には全てアダルトの動画が入っていた。DVDに入れて持ち込むと厄介なことになるとの理由からだった。だが、ハードディスクの故障で殆どのファイルが壊れていた。

【U慈・第34話】しかし、彼はしょげることなくハードディスクを解析し、ファイルの半分の復活に成功した。また、お気に入りの動画サイトからあらゆるアダルティッくな動画をダウンロードしては、その一つ一つに点数をつけて審査していた。

【U慈・第35話】その中でも中国語の勉強は熱心に続けていたようだ。中国語で中国語が解説されている中中辞典を見せてもらったが、全ての項目にマーカーがしてあった。しかも、あまりに言葉を調べすぎて辞典がふやけていた。

【U慈・第36話】また、駅前にあるマッサージ店に行っては中国人の娘と会話を楽しんでいた。マッサージをしてもらうというよりも会話をしに行っていた。その方法であらゆる中国地域の方言をマスターしていった。

【U慈・第37話】そんな、U慈とは本当に様々なことを語らった。ある晩、突然そのU慈がスクーターで事故にあった。ひざのところを激しく負傷し、肉がもろに見えていたらしい。事故の直後、医者に行ってこのような治療を受けたらしい。

【U慈・第38話】「せいけんさん。あの時、ひざを物凄く負傷したんですよ。それで、オキシドールをつけた綿で激しくその負傷した部分をこすられたんですよ。でも、ぼくは笑っていたんで看護婦さんに精神的に異常があるように見られましたよ」とU慈は明るく語った。痛みを感じない体をしているようだった。

【U慈・第39話】U慈とあるラーメンショップに通ったことがある。そこは「ラーメンショップ」という店名だった。浅川橋のあたりにあった店だが、客の入りが悪く、土曜日・日曜日は平日の半額の料金で食べることができた。

【U慈・第40話】普段は500円のラーメンも250円になった。そのような価格設定をしたため結局ただでさえも少ない客が、土曜日と日曜日ばかりに来るようになって、やがて店を閉じてしまった。商品の価格設定を間違えると痛い目を見ることを知った。

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】
U慈21〜30話【山奥の家で】
U慈31〜40話【中国語】

U慈 21話〜30話 

21話〜30話は執筆中
ツイッターで徐々に公開予定

【U慈・第21話】しかし、湿度が高いことによって部屋が崩壊しそうになっていた。U慈は、自分の足の臭さだといっていたが、それ以外の変な腐敗臭がした。なんか思い出せないところが多い。一回しか泊まった事がないがえらくうなされたと思う。

【U慈・第22話】そこで寝起きをしながら、U慈は焼き鳥屋でバイトをしていた。もちろん大学にも行きながら。八王子ではあまり見かけなくなった、「大吉」という焼き鳥屋。大吉丼という丼物がうまかったが、ここも後に閉店してしまった。

【U慈・第23話】次に移り住んだのが、八王子の山奥。焼き鳥屋でバイトしていたときに知り合った人の家の2階に転がり込んだ。かなりの山奥なので、八王子市街よりも冬は更に気温が低くなる。夏は更に気温が高い地域だった。

【U慈・第24話】しかし、陣馬高原に行く道にある夕焼けの里ほどの山奥ではない。この物語は、実話であるが、自分は陣馬高原に行く道でこんな体験をした。夜中の2時頃、友人3人と一緒に星を見に行こうということになった。

【U慈・第25話】陣馬高原に行く道には温泉などがあるがその更に先に進むと電灯がまったくなくなる。ヘッドライトを消すと本当に何も見えなくなる。そして、さらに怖いことに木の幹に行方不明者の写真が貼ってあるものがある。高尾の山は迷い込んだら出てこられないほど実際は深い。

【U慈・第26話】友人のキクチ君はこの高尾の山できのこや野草を採取することを趣味としていた。みなみ野にある専門学校の帰りに、高尾山によってきのこを採ってそれを晩飯のおかずにしていた。いつものように高尾に行ってきのこを採っているとあたりは暗くなり道が分からなくなったらしい。

【U慈・第27話】ただただ、前に進んでもより迷うだけなので、高尾山の山中でじっとして独り夜を過ごしたと話してくれた。それを、考えただけでも戦慄するのに正直、感心した。また、ある時は川で鯉か何かを捕まえてきては晩飯にしていた。今から二年くらいの前の話である。

【U慈・第28話】話を元に戻すが、夜中の陣馬高原への道で白装束の人間にすれ違った。自分たちは車に乗っていたものの、かなりびっくりした。真っ暗な闇から丑三つ時に一人の人間が出てくる怖さ。しかも、全身が白い服を着て。何かの見間違えかと思ったが、全員が目撃していた。

【U慈・第29話】U慈が住んでいた、山奥の家には時々、手のひらの大きさくらいの蜘蛛が出た。外には蛇などもいた。一番近くのコンビニまで軽く3kmはあった。しかもそこは夜の11時には閉店してしまう。そこで彼はひたすらに中国語を勉強していた。

【U慈・第30話】その頃、U慈は焼き鳥屋のバイトを辞め、中国人オーナーの経営する中華料理屋で働いていた。そこは、オーナーとおばさんが切り盛りする店で、店が終わると一緒に食卓を囲みU慈は中国語も教えてもらっていた。そのかいもあってU慈の中国語は徐々に上達していった。

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈11〜20話【コウモリ】

U慈 11話〜20話 

【U慈・第11話】こんな具合にお笑いに対してうるさい人々が集まる中でU慈は独自の路線で笑いをとっていった。ある時は、自分の大事にしているメガネにキラキラ光る目玉を描いた紙をセロテープで貼ってみんなの前に登場した。これは、実に初歩的なテクニックであるが、彼の自信に満ちた行動は俺の心に一時のざわめきを与えた。

【U慈・第12話】また、ある日は、独自の踊りを開発してみんなの前で披露した。あまりの突然さに唖然とする者もいたが、自分の瞳の裏側にはまだあの光景が焼きついている。瞳といっても人物の名前ではないことは断っておきたく思う。

【U慈・第13話】U慈は、この前も述べたとおり北海道の生まれだ。そのU慈が、こんなことを語っていたことを思い出す。酪農を営む親戚の家に泊まった時に、とにかく酪農の家は物凄い匂いが立ち込めていたらしい。U慈が親戚と会話をしていると「今日は、牛が下痢だという。」こんな匂いの中で、牛が下痢かどうかわかるのが笑えたと。事実を書いたのみで、文句は彼の心に言ってほしい。俺は知らない。

【U慈・第14話】そんなU慈と寮で過ごしたのは、1年間だった。その後は、彼の家に頻繁に行った。先ず住んだのが、老舗寿司屋の2階の部屋。築50年以上は経っているだろうと思われるあばら家に住んでいた。冒頭の、コウモリが飛んでいた住まいである。

【U慈・第15話】その部屋は常にジメジメしていた。というのも、部屋は3部屋あったのだが、ベランダに面する部屋に後付の風呂場を拵えたからだ。どこに注文すればそういうユニットバスを注文できるのかは知らないが、風呂の湯気が全ての部屋に充満した。

【U慈・第16話】北側には、3畳ほどの部屋があったが部屋に入ると毎回寒気がした。なんだか気のせいかもしれないが、人が自ら生命を絶ったような寂しさすらあった。昼間でもその部屋は窓があるのに暗く、今思い出しただけでも背筋がぞっとする。

【U慈・第17話】コウモリ事件はそんな部屋で起きた。暑い夏、U慈が、バスケットボール部の合宿の最中に盲腸に痛みを感じ、2週間ほど入院したようだ。その間、彼と一切連絡が取れなかったので心配した。ある日の夜、携帯電話がけたたましく鳴った。

【U慈・第18話】「U慈です。入院していましたが。部屋にコウモリが飛んでいます。どのように育てたらいいですか?」とかなり動揺している。詳しく聞いてみると3匹が飛んでいて、1匹は壁にくっついているとのことだ。「壁に蛙のようにくっついてます。」

【U慈・第19話】その後、「今からコウモリを捕まえようと思います」とU慈は冷静さを取り戻した。ふとんで覆ったりして捕まえたのだが。後日、その日のことを聞いてみると、実家にも同じような電話をして瞬間的に冗談だと思われ切られたようだ。

【U慈・第20話】でも冷静になれるところが、こいつのすごさだと思った。コウモリが部屋の中に飛んでいたら、その部屋に入ることは二度とできないだろう。カメムシが部屋の中に飛んでいて、肩に電灯のコードの先の重たい固まり部分がぶつかっただけでもカメムシが肩に飛んできたと勘違いして、バタバタした自分にとっては。

U慈1〜10話【旅立ち】
U慈10〜20話【コウモリ】

連載小説U慈 今宵、始まる 1〜10話まで

2010年6月10日 連載小説U慈がツイッター上でスタート

【U慈・第1話】夜中にU慈から電話があった。いま、家の中でコウモリが飛んでいるんです。なんだか、相当にあわてた調子だ。私は言った「落ち着くんだU慈。」。U慈は言った、「2ヶ月くらい入院していて部屋に入ったらコウモリが孵化していたんです。」何のことだか分からなかったが実話が始まる。

【U慈・第2話】U慈と出会ったのは、大学2年の時だった。寮の後輩として奴は来た。北海道からの上京してきた。身長は高く、ジョンレノン風の容姿をしていたのでレノンと呼ぶ者すらあった。だが、俺は彼のことをU慈と呼ぶことを日常としていた。良く彼は俺の部屋に来た。様々なことを話した。

【U慈・第3話】U慈は、いつも俺の部屋に来て、俺の所有する本を眺めていた。そして、自分も色々勉強して行こうと決意をしたらしい。この男の滑稽さは、出会った段階では分からなかったが徐々にわかって行った。後々は、後輩でもあったが親友と呼べる存在となった。

【U慈・第4話】寮には門限はなかった。寮生は100人くらいいて、入寮したときには先輩が歓迎会を開いた。魁!男塾のような歓迎会ではなかった。あたたかさを持った人々が集まっていた。その会の中では、コント的なお笑いも繰り広げられた。

【U慈・第5話】うちの大学は何故だか、お笑いが盛んだ。ナイツやエレキコミック、モンキッキをはじめ数々のお笑いのスターを輩出している。ナイツのもう一人の方とは大学時代に話すことがあったが、こんなに有名になるとは思わなかった。

【U慈・第6話】故に、深い関わりをもたなかった。かといって、有名になると知っていれば急速に近づいたかといえば、そうではないからね!ミーハーじゃありませんから。ちょっと取り乱したが、そんなわけもあって、寮の定期的なイベントではお笑いバトルが繰り広げられることもあった。

【U慈・第7話】お笑いといっても内輪ネタにとどまらず結構なレベルの作品を作り出していった。自分たちの卒寮式のときは午前、午後に分けてお笑いのトーナメントが組まれた。エントリーしていなかったが、知らぬうちに自分は決勝のシードに入っていた。http://bit.ly/doiPem

【U慈・第8話】シードに入っていたのだが「静岡県人会」というトリオ名で登録されていたことを、決勝の3時間前に知った。お笑いバトルの司会から、「ネタできてるの?」と突然の鬼振り。思わず面食らった。他の「県人会」と思われるメンバーに問い合わせたが、二人はもはやあきらめモードだった。

【U慈・第9話】言ってしまえば、あきらめも何もない。エントリーしていなかったのだから。私は、どうしようかと悩んだ挙句、「静岡県人会」の解散宣言をユーモアたっぷりに書いてやった。そして、それを司会に渡したのだった。

【U慈・第10話】司会も実にお笑いに長けた人物で、この宣言の要点を一瞬のうちに把握して、上手に読んでくれた。故に爆笑の渦が会場から出た。うぬは、勝利を勝ち取ることができた。トリオで出なかったため、優勝こそなかったが。http://bit.ly/doiPem
Categories
ナンデモレビュー 9190d seiken1214@hotmail.com
Archives
カウンターカウンター http://capture.heartrails.com/ PDF JPG作成 c2009.7.10〜 きちでんせいけん
Woopie 動画検索
CM考察シリーズ
CM考察【50】クリスタルヴェールCM考察【49】ガリバーCM 蓮舫みたいな人がCM考察【48】タカスギのCMCM考察【47】村田製作所CM考察【46】マルハンコミュCM考察【44】パチンコタイタニックCM考察【43】ヨドバシカメラCM考察【42】クルマのCMCM考察【41】三菱東京UFJCM考察【40】エネファームCM考察【39】黄桜CM考察【38】吉幾三のCMCM考察【37】つけてみそかけてみそCM考察【36】ダダン!CM考察【35】バナナで釘が打てるCM考察【34】東進ハイスクールCM考察【33】JリーグカレーCM考察【32】日本香堂 青雲の歌詞CM考察【31】家庭教師のトライ 声を変えた。CM考察【30】みすず学苑 合格してクレオパトラ!CM考察【29】クリエイトCM考察【28】サントリーオールドCM考察【27】野茂のエアコンCM 台詞に心がこもっていない?CM考察【27】競輪のCMCM考察【26】永谷園のお茶漬けCM考察【25】不気味なケンミンの焼きビーフンCM考察【24】PTAから抗議が殺到した伝説のCMオートベルCM考察【23】湯川専務CM考察【22】丸大ハンバーグCM考察【21】オリエンタル 生乃カレーCM考察【20】ジャポニカ学習帳 CM考察【19】禁煙パイポCM考察【18】タンスにゴンCM考察【17】ポリンキーとそんぽ24CM考察【16】リゲイン 「24時間戦えますか」CM考察【15】公共広告機構CM考察【14】カロリーメイトCM考察【13】グラタンコロッケバーガーCM考察【12】ダイワハウスCM考察【11】低燃費少女ハイジCM考察【10】イナバ物置CM考察【9】メガネ屋のCMからCM考察【8】そうだ京都へいこうCM考察【7】ボラギノールCM考察【6】一本満足バーCM考察【5】スタッフサービスCM考察【4】近藤産興CM考察【3】やぶきたぶれんどCM考察【2】ろってのふぃっつCM考察【1】せいほのCM
U慈
U慈 U慈との懐かしき思い出を書き綴った小説。 内容の改善の余地は大いにあるが。 劇団ズーズーCズーズーCの魅力人格破壊兵器ヘラクレス
ギャラリー
  • 広州市場にて
  • アフリ。恵比寿。半端じゃなくうまい
  • 麹町の「ソラノイロ」に行った。 彩り鮮やかな、ベジタブルのうまさ際立つ逸品。
  • らあめん大安
  • かわいい文具
  • 六本木 麺屋武蔵 虎嘯
  • サザエさん 多羅尾が三河屋にあこがれる
  • 嫌な女
  • 感動をつくれますか 他
  • 「前世への冒険」「青春ピカソ」
  • 前田さん家のスウィートポークの野菜
  • 前田さん家のスウィートポークのベーコン
  • 路地の風景 大森
  • 思い出横丁
  • シティの看板
  • 富士そば
  • 中華調理店
  • 日日是好日
  • ミラクルリモコントラベルトリップミニ
  • 7匹のこぶた@府中
記事検索
お問い合わせ
Powered by NINJA TOOLS
記事、画像、リンク等について、個人のブログの運営に関しまして不適切なものがあれば早急に対処いたしますので、恐れ入りますがご連絡をお願い致します。
ac
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ