武道空手研究会

伝統的な武道空手の体感と体得。再現性の高い稽古法を追求しています。

稽古会詳細は武道空手研究会のホームページをご覧下さい。

本当に久しぶりの投稿になります。

2年以上も空いてしまいましたが、その間は治療院の仕事と
ストリートダンサーたちのサポート、
そして総合格闘技選手らへの指導を続けてまいりました。

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(右:三郷BRAVE所属のMMA選手、加藤貴大くん。武道空手で活躍してくれてます)

特に試合の続く選手らへの指導は、
当然ながらより強く責任を感じ稽古に集中してきました。

選手らに武道空手の技術をどう伝えようかと試行錯誤を繰り返した結果、
武道空手に限らない理論がまとまってきました。

人間の体の特徴を踏まえ、どんなことから始めればいいのか、
そしてシンプルでなければならない。

そういったことがまとまってきて、ダンサーへの身体操作指導、
一般の主婦の方たちへの健康体操教室などでより成果を上げる様になってまいりました。

その様な経緯でまた選手以外の稽古会を再開しようと思い立ち、
今月の24日(日)から実施してまいります。


詳細は以下の通りです。

その他は、武道空手研究会のホームページをご覧ください。

武道空手研究会ホームページ
https://kidaminoru.jimdo.com/


< 武道空手研究会 稽古会について >

●稽古の内容

一、武道空手の基本原理の体感・体得

1)正中線(体内の正中線、攻防における相手との正中線)

2)浮身(沈身、膝の抜き、地面を蹴る動きを抑える)

3)鞭身(全身の支点の連動)

4)剛体術(剛体化、受動筋の使い方、正しい骨格のアライメント)

その他。

 

二、身体操作の基礎

1)体の外側をゆるめる(連動)

2)体幹部の各パーツの操作(肩甲骨、胸、骨盤)

3)腕・脚などの支点や軸の操作

4)各技・動作における軸・支点の活用法

 

●注意事項

遅刻しての参加について。

始めに説明していく基本操作が理解できないと先の説明が理解が難しくなります。

進行上、重複する説明はできない場合がありますのでご了承ください。

 

●日時・会場

その都度、武道空手研究会のホームページ・ブログ等でご案内します。

ホームページ:https://kidaminoru.jimdo.com/

ブログ:http://blog.livedoor.jp/kid_a1005/

●参加費

¥3,000

 

●持ち物

稽古着または運動し易い服。道着、ジャージ等。稽古は裸足になります。
(※冬場や必要であれば内履きの靴等着用も可)

その他、拳サポーター、グローブ、
プロテクターなどお持ちの方は当日お持ち下さい。

★無理な組手・スパーリング等を強制する事はありません。

 

●参加対象者

・武道および格闘技などの経験者。 その他ダンス、スポーツ経験者。

★それなりの運動強度はありますので、健康状態に不安のある方は、
かかり付けの医師とご相談の上ご参加ください。

 

●申し込み・連絡

稽古日の2日前までに御連絡をお願いします。

★当日参加不可。

 

参加申し込みの際に、以下の項目を御連絡下さい。

 

1、氏名、年齢

2、連絡先(当日、直接連絡がつくもの)

3、参加動機

4、スポーツ歴・武道歴、その他身体に関わる業種についておられればそれについても。

 

 連絡先:kid_a1005@yahoo.co.jp

 (件名に「稽古会参加希望」と入れて下さい)

以上。



対人関係でも想像力が欠かせない。


よりいい人間関係を作り、維持するためには自分の在り方と言う内向きの思考と、相手の気持ちを想像することができなければならない。


当然、自分の中で行われる思考は、現実と一致するわけではないが、人との関係を継続しながら見て、自分の考えと照らし合わせていけば、想像力もより磨かれていくと言うものだ。



武術でも治療でも、この現実感がもっとも大切なものとなる。

どちらも、自分の力量を評価するのは、自分以外の人間であるからだ。


武術であれば、自分が希望したとおりに相手が参ったしてくれるわけではない。


治療であれば、自分が思ったとおりに治ってくれる患者さんばかりではない。


これは常に実戦に身を置かれていると言うこと。


ただ、武術でも治療でも、意識しなければこうした“現実”からいとも簡単に逃れることができる。


いわゆるごまかしだ。




武術も治療もそれでも続けることができる。


どの様な形であっても。



ごまかしていると言うことは自分自身が一番よく分かるから、ごまかしている内は不安が消えることはない。



技が相手に通用しなかったらどうするか。


患者さんがよくならなかったらどうするか。



そういう状況に陥りたくないから現場に出る。



競技選手に技術を指導しながら、その他の戦闘状況も研究する。


怪我人が出そうな所、痛みを持った者がいそうな所に自らおもむき治療技術を試す。



そうやって、なんとかやれていると言うのが現状だ。


極論すれば、生きている間は不安がゼロになると言うことはない。


ゼロにすると言うより、常に自分が経験したことのない状況に出くわせる様でありたい。



そこで今まで培ったもので試していく。


そうしたことを続けていくことこそ、武術であり、治療であるのかと思う。



そうした作業を続けることで、想像力もまた上がっていくだろう。





武術に関して言えば、自分の都合のいい教え方をしない、と言うことだ。


できるだけ実戦的なもの目指したいのなら、指導している選手らが所属しているジャンルは不完全とも言える。


いずれも競技であるから、当然ルールがある。


実戦と言えば、不意打ち、闇討ち、武器、多人数などは当然となる。

当然、競技にはあり得ない。



前提が違うから武術とは違う、と言って、自分に教えやすい教え方、自分に都合のいい教え方をしてしまうのはどうかと思う。


それは指導者本人の実戦観がそのまま現れるからだ。


実戦的(?)技術のお手本を見せる場合も、その指導者が想定した戦闘状況しか用意できないからだ。



戦いとは、いつも同じ状況で行われるはずがない。


自分のもっている技術でさばきやすい状況で弟子たちに技をしかけさせる。

それを綺麗に受け流し、技を返し、相手を制す。


自分に都合のいい状況でのみの実戦もどき。

何一つ相手のためになっていない、ただの自己満足。


一つのスタイルを持つと言うことの弊害とは、そうしたことなのだ。


自分の貧弱な想像力の中での理想を相手にも押し付けてしまうことになりかねない。


そして、競技選手などは失敗し、現実を見る。


その責任を負えると言うのか。


一つのスタイルを持つことはいい。


いや、持たなければならない。


しかし、それがどれほど応用力のあるものなのか、それを常に問うていかなければならない。


応用力がある、応用させてみせる、その自信がなければ指導する資格はない。

 

稽古を進めていく中で、自分は今、ぶれているのではないか?

と思うことがある。

 

だが、そのことをさして悪いこととは思わなくなってきた。

 

ぶれるとは、今の自分からいったん離れること。

 

こりかたまった状態になっていないかと、自然に起こる危機感から、
自分を見直す時機を促している様に思える。

 

常に大局観を失わない様にするための無意識の反応か。

 

とは言え、ぶれる回数が多ければ、
それもまた安定していないと言うことになる。


そこは注意したい。

 

 

 

悔いると言う感情はめっきり減ってきた。

 

すでに四十六と言う年齢から残された時間を思うと、
悔いる間も惜しい気がするからか。

 


あと十四年もすれば還暦。


そう思うと、たいした時間はない。

 

今がこの程度だと、還暦の時にどれほどのものになっているのか。

焦りはしないが、余裕をもってもいられない。

 

そうなると悔いているヒマもない。

 

四十にして惑わず、とは、
自分なりにはそんな解釈か。

 

 

 

選手たちの稽古も着々と進んでいる。

 

週に一度の治療院での稽古、
月に一度は広い会場を借りての稽古会。

 

そんなペースではあるが、選手たちも
各自が所属するジム、道場にて日々磨きをかけている。

 

自分も進化し続けているので、
胸の中には常に伝えたいことがある。

 


常に指導できるわけではないが、
忙しい現代ならではのネット上の掲示板などが役に立っている。

 

疑問や技の伸展などを皆で情報共有できる。

とても助かっている。

 

 


 

体で言葉で、時には文字で技を伝えているわけだが、
一番大事なのは指導者たる自分の精神状態。

 

 

指導者の意識は、無意識の内に弟子たちに伝染すると言うことだ。

 

 

師がおごり高ぶっていれば、弟子たちもおごり高ぶる意識を持つ様になる。

 

師が悟りきった様な状態であれば、弟子たちも悟りきった意識になる。

 

師が現実感を喪失していれば、弟子たちも現実感を持たぬ様になる。

 

 

そんな精神状態で、厳しい現役時代を生き抜けるはずもない。

 

 

そう思うから、自らまだまだと思い、目標を持ち、
それを現実として感じられる状況に置いておかなければならない。


 

武術の上の境地は、人智を超えたものかもしれないが、
それに至る過程は、空想の世界でも夢の世界でもなく、
痛い思いと苦しい思いが存在する現実から始まるもの。

 

 

一つの流派が流派として、
技や稽古体系が整備されて成熟していく内に、
大きな弊害を抱えてしまうことがままある。

 

そして最大の罪は、その流派の代表者が
それに気付かずによしと思ってしまうことである。

 

その大きな弊害とは、
本来自由である戦闘のごく一部の展開のみの
中でしか稽古しなくなることである。

 

武器や多人数は当然だが、最初から求めるのも難しい。


これは段階的でよい。

 


しかし、一対一の勝負とした場合、


離れたところからよーいドンで始まる展開や、


広い場所を跳び回り、先に触る程度でも当たった者が勝利する展開、


禁止技が増え、近い距離で惰性の打ち合いが続く展開、


いずれも武術としては不完全。

 



すべての条件を満たすのは困難ではあるが、
工夫して前向きに取り組んでいかなければならない。

 


特に総合格闘技は現行の競技格闘技の中では、
最も自由な戦いを実践しているので、
その選手たちは非常に目が肥えている。

 


どんなに立派な理屈を言い、
どんなに見栄えのする模範演武を見せたとて、
それが有効であるかどうか、すぐに見分ける能力が高いだろう。

 


そういう選手たちと稽古を進められるのは、
環境としてはとても恵まれている。

 

もちろん、武術のあり方、目指すところは
現状の総合格闘技に収まるものではない。

 

その武術性を多少なりとも示せているためか、
彼らが古典の空手の動きや
各武器術の身体操作に興味を持ち、取り組んでいるのだ。

 


意識は高く、より技術を上げていってほしい。

 

そして、自分も常にもっともっと先をいくようでなければならないと思う。

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