2006年07月23日

うちのこにかぎって

全文いってみよう。ρ( ̄∇ ̄o)

理不尽な親急増 教師に無理難題 研究会発足

「取り上げた携帯の料金払え」「この通りに担任配置しろ」

 「あの子の親と仲が悪いから、今すぐうちの子を別のクラスに移して」「うちの子がけがをして学校を休む間、けがをさせた子も休ませろ」…。保護者が教師に無理難題を言うケースが各地で急増している。教師が頭を悩ますこうした「理不尽な親たち」について、大阪大の小野田正利教授(人間科学、教育制度学)は、文部科学省の科学研究補助金を受けて教育関係者や弁護士、精神科医らによる「学校保護者関係研究会」を発足させ、原因究明と対策に乗り出した。(池田証志)

 「基本料金を日割りで払え」。持ち込み禁止の携帯電話を生徒から取り上げた中学教師は、保護者にこう言われ、言葉が見つからなかった。

 ある幼稚園では、おもちゃを取り合う園児を見た親が「取り合うようなおもちゃを置かないでほしい」と申し入れた。小学校の1学年全クラスの担任配置表を独自に作成し、「この通りでなければ子供を学校に行かせない」と要求した保護者もいる。

 小野田教授のもとには、信じがたい親たちの実態が全国の教育現場から続々と集まっている。

≪病む先生…≫

 先生たちはお手上げだ。文科省調査では、全国の公立小中学校で精神性疾患による教職員の休職者は一昨年度、病気休職者の56%を占める3559人に達した。10年前のほぼ3倍だ。研究会メンバーの嶋崎政男・東京都福生市教委参事は「現場感覚でいうと、精神性疾患による休職の多くに保護者対応による疲弊が関係している」とみる。

 小野田教授の調査に、小中学校・園の8割が「無理難題要求が増えた」と回答。背景として嶋崎参事は「教師の能力に問題があるケースもあるが」と前置きした上で、「行政による『開かれた学校』がうたわれた結果、些細(ささい)なことにもクレームが寄せられるようになった」と指摘する。

 保護者の理不尽な要求への関心は高まっており、小野田教授の講演依頼は学校やPTA、民生委員から殺到している。

≪家庭に原因≫

 「過保護型」「放任型」「過干渉型」。嶋崎参事は、無理難題を言う保護者の養育態度を3種類に大別する。いずれも家庭内の人間関係に原因がある場合が多く、過干渉型の場合、親にとって「良い子」を演じる子供が教師の言動を大げさに報告し、事態を悪くすることもある。また、要求態度については、子供の言い分をうのみにする溺愛(できあい)型▽教師の困った様子を見て満足する欲求不満解消型▽利得追求型−などに分類している。

≪学校の限界≫

 このような保護者への対応として、嶋崎参事は(1)複数の教師で対応に当たる(2)専門家のアドバイスを受ける(3)マニュアルを作る(4)事前研修の実施−などを提案する。

 その一方で「学校に無理な要求をする保護者は皆何らかの問題を抱えている。その解決のために学校と話したいという意思表示と考えるべきだ」とし、要求を機に保護者を“味方”に変える努力を呼びかける。

 小野田教授は「たてつかない弱者をいじめる“言った者勝ち”の傾向が社会に蔓延(まんえん)している」と指摘。社会問題としてとらえ、第三者機関の設置や学校の“守備範囲”の限定を訴えている。

 

 

目安になる。盲目的か、否か。上記を繙いてこれなら許容範囲と一瞬、おもえた。すべての例が一線に並ばなかった。たとえば「うちの子がけがをして学校を休む間、けがをさせた子も休ませろ」なんてとこは肯きそうになった。「取り合うようなおもちゃを置かないでほしい」は素直に“おかしい”とおもえた。常識を失う瞬間というのは常日頃、背中合わせだ。湘爆の桜井がいってた。思い出の品ってできる瞬間は呆気ないな。
関係ない。
mof担ってのがあった。銀行と当時の大蔵省との橋渡しだ。部外者からみるとバカバカしい。なんのために東大でたの、と訊きたくなる連中が五万といる。結果にすぎないことは承知するが芸能界に入るための東大だったのか、と揶揄したくなることはある。
周りからみると滑稽にみえることがある。毒を喰らわば皿まで。新宿鮫シリーズには警察内部の滑稽さがある。看守が囚人に対し「おまえはベテランなんだから新人の面倒をみてやるんだぞ」って台詞を吐く。よくよく考えればこれほどおかしな台詞はないと鮫島はいう。内部にいると気づかない。知らず知らず、外部とずれていく。どんな業界にも、あるいは分野にも世界にも社会にも団体にも、もしくは学校にも、そして、家庭にもある。ある著名な日本人生物学者の子供は米を知らなかった。「お父ちゃん、みんなお米というものを食べてるらしいよ」親の常識は子に感染する。おかしいとおもえば改善するだろうし、おかしくないとおもえば事態は続くのだろう。生き様に一家言持つ人間ならばなおさらだ。気づかぬうちに齟齬を生み、蝕んでいく。美味しんぼの言葉を借りるならば「銭湯にフェラーリで乗りつける常軌を逸した行動」となる。ただ、おれはこれをおかしいとはおもえない。ベンツで銭湯にやってくるおっちゃん連中をみてきたせいかもしらん。法律が適用されない“常軌を逸した行動”ってのはやっかいだ。結句、普遍的な道理は道理として適用されなければならない。いろんな業界の人間と付き合い、見聞を広め、自分を疑うしかない。されど、たいていそういった――業界のルールに凝り固まった――人間には“時間”がない。出世欲はある。気づくしかない。自戒だ。台風の目の中にいるとわからない。たまには『狭い世界の他人』とではなく『広い世界の他人』と歩調を合わせるのも重要かもしらん。信じがたい親たちの実態同様、信じがたい学校の実態、信じがたいおれの実態ってのもある。なにより、常識こそ害悪かもしれないし、普遍的道理も時代、社会によって変わらざるを得ないかも。



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