最近はラジオ体操に夢中だ。
ラジオ体操とは言ってもユーチューブを見ながらやっております。
今までも何度かラジオ体操を日課にしようとしたことはあったけど、今回はなかなか続いている。
第一と第二を両方やり終えるとかなりの爽快感を得ることができる。
第一の方は音楽を聴けば自然に体が動くが、第二は画面を見ながらじゃないとわからない。夏休み中に行われる早朝のラジオ体操も、市民プールで突然始まるラジオ体操も、第一だけだったからだろう。
人の身体は30歳をこえたあたりから、使っていない部位はどんどん衰えはじめていく。走っていないと走れなくなるし、車ばかり乗っていると歩くことも困難になる。もちろん自転車ばかり乗って満足しているわけにもいかない。ラジオ体操を真剣にやると、身体のほとんどの部位を使っていると思われる。普段使っていない部位を使うと、身体が生き生きとしてくるのがわかる。
顔の表情筋も鍛えてやることも忘れてはならない。
表情筋も使っていないと衰えていく。笑っていないと、いつしか笑えない顔になってしまう。ポーカーフェイスも場合によっては必要だが、時には感情を顔に出すことも大切だ。逆に言うと、感情を抑え込んでばかりいると、無表情になるだけでなく、本当に感情も無くなっていまいそうな気がする。ロボトミー手術を施された患者のように。
使わないと衰えるのは脳も同じだ。
毎日同じような生活では脳のどこかの部位は衰えるだろう。同じことの繰り返しは脳も身体も楽なものだが、それでは脳も身体もゆっくりと衰えていく。たまには遠回りしたり、違う道で通勤するとか、何かしら変化があったほうがいい。ネットを通じて世界中の情報を入手することができる時代。垂れ流され続ける情報を鵜呑みにするだけではなく、しっかりと咀嚼してから体内に取り入れなければならない。それらを栄養にして行動するエネルギーとする。具体的に例を挙げるとすれば、本を読み、それについて考え、人と議論を交わすこと。やがてそれは思想として確立され、生きていくうえで役立つものになる。国家がマスメディアを通じて発信する情報だけを鵜呑みにしていては、人はいつまでも見えない鎖に縛られたままである。
ひとつのことを追求していくことと平行して、新しいことにチャレンジし続けていく好奇心も忘れてはならない。脳の衰えは「慣れ」と綿密に結びついているところがある。
世の中に便利な機械が登場するということは、その分だけ人の機能は一つ衰えていくことも認識しておくべきだろう。こうやってキーボードをたたく指先は、いつしか文字を書くことを忘れてしまうのではないか。
というわけで、今からラジオ体操やります。
February 2017
Feb26

シフター用の緑色のアウターケーブルがどうにもMTBから浮いている感じがしたので、黒いケーブルを買いに行った。
しかし、家に帰ってから太さが違うことに気が付いた。
我が家にあるアウターケーブルの切れ端はこれよりも細いタイプばかりで、アウターキャップの使いまわしができない。アウターキャップなしで付けてみたら、グラグラであまりよろしくない。
たまたまブレーキ用のアウターケーブルが同じ太さだったので、こいつのキャップを使うことにより、事なきを得た。
買う時に太さがいくつかあることを確認していたのだけれど、アウターキャップのことまで頭になかった。
太さの違いで操作感が違うのだろうか。穴の大きさも違うのだろうか。
インナーワイヤーもいくつかの太さがあるけれど、これらとの相性みたいなものはあるのだろうか。今後ブレーキワイヤー共々気を付けよう。
知っている人にとっては、しょうもないことだ。
けれど、赤ん坊程度の自転車知識しかない自分には、こうやってひとつひとつ経験を重ねることでしか知識をつけることはできない。本を読んだり、ネットで調べたりで、ある程度のミスの予防は可能でしょうけど。
でもひとつひとつの体験が楽しい。
やっぱり自転車って大人のプラモデルだと再認識した日でした。

久しぶりの電車。
誰も乗っていない車両を選ぶ。
本を持ってきていなかったのでやることがない。
ボーっとする。
2月も間もなくおわる。
やるべきことはやったか?もっとできたんちゃうの?自分に問うてみる。
あとまだ数日ある。
毎朝ぼくが布団の中でうつらうつらとしているときに、隣の家から、玄関の扉を開けてツカツカと足早にぼくの家の前を通り過ぎる音がする。
毎晩ぼくが布団の中でうつらうつらしているときに、ツカツカと足早にぼくの家の前を通り過ぎ、玄関の扉を開ける音がする。
その一連の音は朝と夜では全く違う音質、もちろん夜に聞こえる音の方が好きだ。
気が付けばうつらうつらと眠りに落ちていたみたいで、あやうく乗り過ごすところだった。
短いけれど深い時間の眠りは、アタマの中がスッキリしていて、いつもよりも世界が鮮明に見える。
送り鐘の音が聞こえる。隣の家の人は聞くことができただろうか。

シマノのシフターの中でダントツの安さを誇るこのサムシフターが結構好きだ。
このプラスチッキーなおもちゃのような質感が愛らしい。
初めてシマノのウェブサイトを見た。
どのパーツも全部同じようなデザインとカラーリングで、グレード以外に全く選択する要素がないのにまず驚いた。これじゃあ、世の中の自転車はほとんど同じデザインになってしまいますね。
それにしてもなんとも戦闘的なデザイン。スポーツだから一生懸命に走りなさい。自転車は人に勝つためのモノ。人よりも速く走るためのモノ。より高いグレードを買いなさい。さすれば人の上に立つことができる。そんなプロパガンダが見え隠れするデザインですな。第一、スポーツなのに、こんなにグレードによる性能差をつけたらフェアじゃないと思うんですが。
個人的にはスモールパーツはアルミっぽいものがいい。
レバーは磨かずとも使っているうちにピカピカに磨かれていきそう。
でもこのご時世、そういったものはなかなか手に入らない。あるけど結構高い。物質的に豊かになったはずの世の中だけど、いいモノを手に入れるのはそれなりに大変だ。
プラスチックは磨いても輝くことはない。新品のときが一番よくて、あとは経年劣化していくだけ。使いこむことによって出てくる味わいもない。
そんなことを言いながらも、700円のプラスチッキーなサムシフターをぼくは買った。今のところは気にいっているが、一年もすればイイモノに買い替えたくなるのだろう。文句を言いつつ買う自分も大量消費社会の一員である。
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