年が明け、いつもの日々がはじまった。

新年早々、仕事でストレスが溜まっていたので、景気付けに、コンビニで甘いモノを買いまくって、朝から食べまくってやろうと思った。
なんだかその発想自体が貧相で悲しいのだが。

そんなことはおかまいなしに、シュークリームやエクレア、プリンなどを次々にカゴに放り込む。

こんなもんかな、と思い、レジに向かって精算したが、驚いたことに千円を超えていなかった。
自分の満足レベルって案外安上がりなことを知る。
そしてなぜか割り箸がつけられていた。

甘いモノは偉大である。
食べると、即効で幸せな気分になれる。

それはもちろん、ソフトドラッグとも呼ばれる砂糖によって、脳のエンドルフィンレベルが一時的に上げられているだけだということは頭ではわかっている。
しかし一時的にでも幸せな気分にひたりたいときに、甘いモノはとても有効だ。

たとえそのあとに、血糖値が急激に上がる反動で低血糖状態に陥り、様々な弊害を引き起こすことがわかっていても、今の今、幸せな気分にひたれるのであれば、そのあとの未来なんてどうだってよくなることもあるのだ。

未来を犠牲に、一瞬の偽りの幸福感を得る。
そんなことは現代社会を見ていればいくらでも例を挙げられ、枚挙にいとまがない。
砂糖によるドラッグ的な効果もそのひとつだろう。
そうやって文明は発展してきた。

砂糖の歴史はある意味血塗られた歴史でもあった。
主にたくさんの奴隷によって、砂糖は生み出された。
巨大なプランテーションで過酷な労働を強いられた人々は、その疲れをごまかす為にアヘンを使用した。
そしてアヘン依存に苦しむことになった。

要するに仕事の疲れを砂糖で癒す今の自分も大して変わらないのである。

ちなみに、「甘いモノで疲れがとれる」と思っている人達が多いが、実際はそれは一時的な効能で、やがて、「甘いモノをとらなければ疲れを感じる」という依存状態になろことを知っておくべきだろう。

そんなわけで、千円弱分の甘いモノは、仕事をしながらも午前中には完食。
しかし夕方に腹の調子が悪くなり、トイレにこもることになったのであった。