禅定日記

旧いカブで旅をする

雑記

カブのある風景46



R0010302s-
京都市東山区

今年の目標が何だったのかをすでに忘れているのはわたしです。


Unspecified place



R0012567_editeds-


ベランダで「MONKEY vol6」を読んでいた。
柴崎友香のショートストーリー「バックグラウンドミュージック」。


瀬戸内海の島にある祖母の家を訪れる姉弟のありふれたやりとり。
そのバックに様々な音楽が流れる。

物語の中に出てくる姉と弟を、
自分の姉と自分自身に簡単に重ねることができてしまうのは、
同世代だからであろう。

この物語は姉目線で語られるが、
弟の行動が自分とほとんど同じなので、
なんだか笑えてしまった。
ああ、姉貴はこんな感じで俺を見ていたのかな。

姉が5年後、10年後のことを想像する場面がある。
自分も想像しようとしたけど、どうにもうまくいかない。
たとえばこれが5年前に、5年後、10年後を想像したのならば簡単だったと思う。
5年前に、
想像していた5年後、10年後の暮らしは、たぶん今の生活そのものだ。

限りなく理想に近い生活。
その真っ只中にいる今、5年後、10年後のことを想像しようとしても、
何も浮かんでこない。
かといってこのままだとも思えない。

薄暗くなったベランダを後にして、
部屋で久しぶりに昔よく聴いたCDを何枚か斜め聴きした。

かつての自分のバックグラウンドミュージック達。
それらの音楽はすぐに自分を「あの頃」の気持ちへといざなってくれる。
心地よく、安心できる空間ができあがる。

でもそろそろ新しい音楽を聴き始めてもいい頃なのかもしれない。
がむしゃらに、貪欲に、色んな音楽を貪り聴いていたあの頃のように、とはいかないだろうが、
ゆっくりと、じっくりと聴きこむような楽しみ方で進めていくのも悪くはない。

まだ見ぬこれから。
この先にはどんな音楽が自分の背景で鳴り響くのだろう。


いつもと違う日


s-R0011960

夕方、缶ビール片手に外に出る。
澄んだ空気。
やわらかい風。

カブに乗ってしらない街に行くと、
いつも普段住んでいる街を想う。

なぜだか今日は知らない街に来たような。
そんな感情を抱く一日だった。


I hope to travel with my cub.


s-R0012301

スーパーカブでダートを走る楽しさを世界に伝えるために、
動画の英語バージョンを作成中です。

まあ、英語だからって「世界」だなんて単語を使うのは気恥ずかしいのですがね。



Because it is there.


s-R0012809

日曜、月曜と一泊二日で日本海側へツーリング。
あまりに寒くてワークマンで防寒具を買うはめになってしまいました。

最近はツーリング中は動画撮影ばかりしていましたが、
今回は写真ばかり撮って、350枚を超えていました。
20年前の銀塩カメラの時代だと36枚撮りフィルム10本近くということになりますね。
仮にリバーサルフィルム一本が1000円だとすると一万円分撮ったということ。
写真家の森山大道は100メートル移動するごとにフィルム一本消費していたと、何かの本で読んだことがあり、自分も挑戦したことがありますが、到底無理でした。
あの頃は一枚撮るのも結構気合いが必要でしたし、私は基本的にISO50のフィルムを愛用していたので失敗も多かった。
当然、撮ってもその場で写りを確認することもできなかったので、
出来上がるまでドキドキしたものです。

いい写真ってなんだろう?ということについては今はあまり考えることはなくなり、
ネットで垂れ流される、ただただ消費されていくだけのたくさんの画像を見つつ、
たまに図書館で写真集を開いたりしているだけ。

動画の世界も、とにかく画面くっきりの彩度が鮮やかな4Kなんかがもてはやされる昨今。
私はあえて彩度は極度に抑えて、コントラストは強めにして、
フレームレートは24に設定して撮影しています。
ツーリング中の動画撮影の大変なところは、とにかく後追いの画が多くなってしまうこと。
前方へ迫りくる画を撮ろうと思った場合、どうしてもツーリングの流れを止めてしまうことになるので、
ライブ感がなくなってしまう。
なので少ないチャンスをモノニスル為には常にカメラを回す準備をしておかなくてはならない。
出来上がった動画は大したものではないけど、結構大変だったりする。
もちろん編集も大変で、撮影もやっているとどうしても客観的な判断ができないので、
第三者が見た場合のことを考えながら編集するのはむずかしい。
どうやったら魅力的な動画になるのか。それは楽しい悩みでもあり、絶望的な願望でもある。

動画も写真もやはり人を撮るのが面白い。
こっちが何もしなくても人が勝手に動いてくれるので、
私のようなセンスのかけらもない人間でも、勝手に魅力的に写ってくれる。

今は淡路島を自転車で一周した動画の編集をしているけど、
なんやかんやとやりたいことが重なってあまり進んでいない。
撮影から間が空くと、当時の空気感を忘れてしまい、どうにもドライな映像になってしまいそうで、
そういうのは避けたいところだ。

誰が見るかとか、誰が読むかとか、何のために、とか、
そんな意味付けの思索と闘いながら、これからも見ることも感じることもできない何かを追うための作業は続いていく。







二冊の本

パーツ交換のために長らく預かっているヤマモト氏の自転車があるのだが、ようやく作業に着手する。
リヤキャリアに括り付けられていた鞄も、預かってから二週間ずっと放置したままで、やっと解放した。

中身は自転車パーツの他に、、貸していた膝サポーター、頼んでいたバイク雑誌・・・、
そして一冊の本が入っていた。

賀曽利 隆 「50㏄バイク日本一周2万キロ」

そういえば淡路島を自転車で一周した時、野宿地で自転車本やバイク本の話をしたような気がする。
ぼくはカブラー斎藤(考えてみればこの人はバイクの人ではないのだが)をおすすめしたのだが、
ヤマモト氏は賀曽利隆の本をすすめてきた。
ぜひ貸してください、と言ったような気がするのだが、完全に忘れていた。

あーそーかー、と思い出し、作業を後回しにしてパラパラとページをめくるが、
思いのほか面白く小一時間没頭。

この本を読む何日か前にポール・オースターの「闇の中の男」を読み、
人間の根元にある見たくない部分をチラチラと見せられ、
深い井戸の中に放り込まれたような感覚に溺れていた。
そんな中で読む、原付で日本を一周する話は、ものすごく分厚いステーキをたらふく食べた後のお茶づけのような、さっぱりとした清涼感すら感じられた。

野宿中心の旅。バイクはハスラーTS50。ぼくが原付免許を取って初めて買ったバイク。
著者のハスラーにはリミッターが付いていて60㎞以上はでないみたいだが、
ぼくが乗っていたハスラーはメーターをはるかに振り切り90㎞ぐらいでた記憶がある。

「ゴミらしいゴミは落ちていない。ただ、異様なのは、人を威圧するかのような巨大な防潮堤である。津波にこっぴどく痛めつけられてきた三陸海岸だからなんだろうが、海岸はかわいそうなほどコンクリート漬けになっていた」   

「三沢基地から飛び立つジェット戦闘機の鋭い金属音に肝を冷やしながら北に走り、大規模開発が予定されているむつ小川原地区を通り過ぎる。道路沿いには大手建設会社の工事事務所が並び、青森県を大揺れに揺るがしている六ケ所村の原子力燃料サイクル工場建設予定地周辺には、三菱、東芝、日立・・・といった大手企業の看板がずらりと立っている。人を寄せつけなかった下北の原野だが、あと10年もしたら、どんな姿に変わっているのだろうか・・・」

この本が書かれたのは1990年前後である。

原発産業や軍需産業にはたくさんの大手企業がかかわっているのは知ってのとおりである。
そしてそれらの企業には防衛省から多くの人間が天下っている事実も周知のとおりである。
もちろんそれらの企業からはある党へ多額の献金があり、癒着は強化されていく。

話がずいぶん脱線しそうになってきたので、元にもどす。
ちなみに震災で三陸海岸の防潮堤は無残にも破壊された。
そして今、もっと高い防潮堤を建設する予定だと言う。たくさんのお金が必要だね。
また話が脱線しそうになってきた。
あの震災以来ぼくはずっと、被災地に足を運びたいと思い続けてきたが、従来の出不精の為、計画は頓挫したまま今に至る。

この本には(当たり前だが)震災以前の東北があった。
とてもおだやかだが、賀曽利氏の視線にはどこか失うものを見つめるような寂しさを感じる。
もし震災がなかったら。
おそらく急速なスピードで原発関連の施設が建設されているのではないだろうか。

オースターの「闇の中の男」では、ある男による、911がなかったアメリカの妄想からはじまる。
が、そこは内戦の真っ只中のアメリカだった。
あの時、日本に震災がなかったら?
それはそれで怖くもあるのだ。


涅槃


main

鴨川で友人と釣りをしたあと、ビールを飲みながら散歩をして、
風呂に入ったあと、晩御飯を食べながら、テレビを見た。

「1945年 黒の黙示録」と題されたその番組に香月泰男という画家の絵が紹介されていた。
「涅槃」と名付けられたその絵。
シベリヤ抑留体験を元にした絵を、現代社会と重ね合わせて見てしまうのはなぜなのか。

スーパーカブという乗り物が高度経済成長時に登場、
各年代のスーパーカブを思い返してみると、その時々の世相を表しているように思える。
60年代はとにかくメイドインジャパンのすばらしさを世に知らしめるために各人が技術を惜しみなく発揮した時代、
70年代に入って生産性を重視し、80年代以降はコストを最重要視する。
そして今現在はグローバル化を叫び、生産拠点は海外に移され、全ての価値観を統一しようと躍起になっている。
そこには、かつてのものづくりにあったアイデンティティが感じられない。

僕が中学生の時にバブルがはじけ、そこから色々な無理が表面に表れはじめたが、
世の中はそれを見て見ぬふりをして、経済発展を推し進めてきた。
やがて上っ面に経済が回復しつつある時にサブプライムローンが破たんし、リーマンショックが起き、
デフレ時代に突入し、今がある。
モノの価値が失われていく一方で、人々は繋がりを求め、近所の人よりも、遠くの見知らぬ人とのコミュニケーションに励む。
その関係はとても儚く希薄である。

「涅槃」を見ていると、現代社会はまだまだ戦後を引きづっていることを痛感せざるを得ない。
というよりも、国家権力に右往左往する我々が、無意識に感じているだろうどうしようもない不条理さのようなものを感じざるを得ないということかもしれない。

秋になって夏の疲れがじわりとにじみ出てきたような気がする。
そのせいか思考がいい方向に向いていかない。
本を読んでも頭に入らない。

こんな時は釣りがいい。
カブや自転車でどこかまで行って釣りをするのがいい。


ギャラリー
  • 京都裏道ツーリング
  • 年内最後のツーリング
  • 年内最後のツーリング
  • 何かを成し遂げようと思ったとき、他人の目線なんて気にしていられない
  • 紀伊半島を駆け抜ける
  • ようやく片付いた
記事検索