2017年12月25日

発行順では6巻だった『魔術師のおい』の新訳をついに読みました。

どうしても、この巻をシリーズ初見の最初に読むのはどうなんだろう? と思ってしまう。

とはいえ、もう何度もこのシリーズを初見でもなく読んできたわけで、
初見でしか得られない驚き? みたいなものはとうに得られない立場として、
どうしてもこちらを後にすべきだと強く主張する気持ちもそれほどでもないのだけど…(こだわってるけども)

でも、もしどちらを先に読むかを、
過去のまだナルニアに出会う前の自分に向けて選ぶのであれば、
やはり初見では後、つまり原作のもとの発行順に読むように、ただし『魔術師のおい』は6番目もしくは『馬と少年』と順を逆にして5番目のどちらかで読むように勧めたい。

いずれ歴史順に読むとか、順不同に読むという選択肢があることは内緒で。

初見でなければ、どんな順に読もうが好きなように読めば良いと思うのだけど…

『ライオンと魔女〜』→『カスピアン王子』→『ドーン・トレッダー号〜』→『銀の椅子』という流れがあるから、この順番は初見向けには動かしたくない。

ただ、『馬と少年』は『ライオンと魔女』以降ならどの順でも良いように思う。

個人的には『馬と少年』が最初だったけど、そもそもシリーズとして認識も覚えてもなかったから、最初でも良いとは強く言いたくないけども、
そもそも外伝だということもあり、
シリーズの最初でも最後でも、ほんとにどんな順番でも良いのではないかと思う。


さて、本編の感想は…というと、毎回のように特筆するほどのことはないんだけど…

毎回のこの本を読むと、主人公ディゴリーの母親の描写に心を揺さぶられる。

初見のことはおろか、幼い頃に読んだ記憶はほとんど覚えてないから、原作者ルイスの生い立ちを知っているから心動かされるのか、単に母親の描写だからなのか、どちらもなのか、我ながらよくわからない。

そんなほとんど覚えてない幼い頃、挿し絵を真似てチラシの裏にナルニアの絵を描いていたのをよく思い出す。

モチーフは主にアスランで、たぶん『魔術師のおい』から真似てたのが多かったような気がしている。

歌い歩くライオンとか、つがいの動物たちがライオンを取り囲んでいるところとか。

きっととても印象を強く心を動かされた場面だったのだろうなと。

しかし、新訳でも、たぶん英語で読んでても、大人になってから読んだなかで、創世記の場面にはさほど心動かされてない気がしてる。

幼い頃には創世記の神話的なことがとても新鮮だったのかもしれない。

大人になってつまらない感性になってしまったのかな。
やはりどうしても宗教っぽさを意識してしまうから。


その宗教的なところへの感受性がないというか…
宗教的な解釈ができないせいで、
シリーズ最終巻は読めないのよね、

幼い頃に結末に強烈にガッカリしたことを、
別の解釈で受け入れることができないというね。

ナルニア国物語シリーズを好きといいながら、最終巻はほぼ読んだことがないので、
色んなこだわりもニワカの域を出ないまがい物でしかないのかな…とも。

さて、新訳の最終巻は読むかしら?

とりあえず、揃えないと気がすまないと思うので、発刊を待ちます。
(うっかり忘れそうだな…)



ピーコkikaku25 at 08:39│コメント(0)Narnia(ナルニア) | 読書

2017年12月21日

古典新訳ナルニア国物語3巻『馬と少年』を読みました。
古典新訳として2回目。

個人的に「ナルニアに出会った順に読む」を実践中につき、半年ぶりに再び3巻です。

『馬と少年』はシリーズ作品ではあるけど、内容は外伝で、
主人公がこちらの世界のものではないし、
こちらの世界が全く描かれないし、
舞台としては、西洋人の空想のアラビアな『アラビアンナイト』のようなところ。
シリーズの主流の舞台が英国的な文化なので。(たいていの日本の作家の作品が日本が文化を基準にするのと同様)

異世界が舞台とはいえ、異文化をやや否定してる気があるので、映画化は難しいのかなという印象。

でも、短期間での再読なのに、やはり面白く読めてしまう、良い作品。

シリーズ全体に言えるけど、目標があって、そこへ向かって進んでいるのが、読んでいてワクワクする。

私にとっての次の作品『魔術師のおい』は、物語の中で目標がみつかるまでの描写が長かったかな?


ピーコkikaku25 at 09:01│コメント(0)Narnia(ナルニア) | 読書

2017年12月15日

航海のお話を読んだら読みたくなって、1冊ずつ買って読むつもりが、古典新訳ナルニア国物語の6巻と1巻をまとめ買い。

さっそく6巻『銀の椅子』を読みました。

小学生当時はそれほど好きな巻ではなかったと思うのだけど…(暗いイメージで)

パドルグラムのキャラクターの面白さとか冒険らしさからいうと、『ドーン・トレッダー号の航海』には及ばないけど好きな巻。

好きなキャラクターがいるかどうかというのも大きいのかな?

前巻までは、ダントツでリーピチープ、この巻はパドルグラムとこどもたち。

BBC版の実写のイメージもあってか、王子がどうにも好感を持てないんだけどね。

パドルグラムといえば、
瀬田版では〈沼人〉の〈泥足にがえもん〉、
BBC版では〈沼わたり〉のパドルグラム、
新訳では〈ヌマヒョロリ〉のパドルグラム。

辞書的には…
marsh-wiggleは〈沼地、湿地〉と〈うごめく、小刻みに動く〉。
Puddleglumは〈水溜まり、こね土、泥水〉と〈むっつり、不機嫌、陰気、根暗〉。

固有名詞を訳さないということで、パドルグラムは問題ないとして…

〈ヌマヒョロリ〉は訳してないよね?

でも、種族的な外見を表現してて、的を射てる感じはするし、愛嬌というか可愛いげがあって好感は持てる。

個人的には和名としてはBBC版の〈沼わたり〉が一番しっくりしてる。
ただ、渡り鳥っぽいし、遊牧民的に流浪してるようにも聞こえるのはどうかと思うけど…

wigwam(アメリカ原住民のテント)とwiggleとは言葉の由来として繋がりはないのだろうけど、音が似てるから、
もしかしてら湿地に住む種族であることが込められてるのだろうなと思う。

つまり、せっかくだから、もっと適した訳がなかったかな…というところね。

アメンボとかみたいに沼をうごめいてるのかな…と考えると、〈ヌマンボ〉とか、ヒョロリとした容姿を込めるなら〈ヌマボウ〉とか?
〈ヌマヒョロリ〉から連想するところは〈ヌマヒョコヒョコ〉とか〈ヌマヒョッコリ〉とかだけど…こっちのが良いと主張するほど秀逸には思えないのが、私の才能の限界かな。

どうせなら、徹底して、カタカナ表記で注釈付きが新訳には合ってたんじゃないかな?

造語で、フォーンやケンタウロスみたいに神話で元々認識率が高い名前ではないし、
例えばマーシュウィグルから沼人という印象が薄くなるとしても、
ドーン・トレッダー号だってそうなのだし、
なぜここだけ〈ヌマヒョロリ〉になんてしたんだろうね?


長く瀬田版も読んでないし、実際に今瀬田版を読んで古くさいとか、平仮名が多くて読みづらいと思うかどうかはわからないけど…

新訳はとても読みやすい。
ちょっと注釈が多すくてわずらわしいけども。
無理に日本語訳してないところも、とても今時な感じ。

『銀の椅子』で言えば、UNDER MEのくだり。
瀬田版の日本語での表現は秀逸なのだけど、原作者の意図から外れてることもあるのではないか? という気もしなくもないし。

『銀の椅子』のあとがきに、ユースティスかスクラブか、ジルかポウルかは原作に合わせてるとあったし、
なるべく原作から離れない訳というのが、理想的だと思う。

なのに、ライオンと魔女のお兄ちゃんお姉ちゃん表記は何だったの? とも思うけど。


言語的な違い(文法とか同じ意味の単語があるとは限らないとか)から、どうしても翻訳に限界があるのは仕方がないことだけどね。

例えばdearを親愛なるなんて訳すけど…
意味はともかくとして親愛なるなんて日本語として日常的ではないと思うのね。

だから、トランプキンをdear little friendと呼んでるのを「親愛なる小さなお友だち」というのは直訳として正しいのだろうけど、
しっくり来ない感じがしてしまう。
瀬田版の「おちいさいかた」のが落ち着くというか。

原作者の意図から離れない翻訳が一番なんだけど、
作品というか言葉の持つ雰囲気を残すというのも大事なことで…

新訳版の良さと瀬田版の良さとはその両端なのかな。


次は再び2巻。

(追記)もとい、3巻。


ピーコkikaku25 at 23:41│コメント(0)Narnia(ナルニア) | 読書