2008年03月

2008年03月31日

6fc093f0.JPGあぁ!急転直下!どうなる僕の人生。。
とりあえず明日は勤務。そこから始めよう。。

昔なにかの本で読んだ「青の時間」
ちょうど陽が沈む前の数十分、辺りが深い青色に染まり、虫たちが起き出す時間のこと。
今日久しぶりに酒屋の前で迎えた。フィレンツェでは気付かなかったのか、この時間がなかったのか。



(19:59)

2008年03月29日

950c4e85.jpg臨時の書斎で書き物仕事。もうたまりにたまっていて不安だったんだけど、手をつけてみると輪郭がわかってホッとする。乗り切れそうだ。
今晩も飲みながらの整理整頓。

(21:41)

2008年03月28日

786974fc.jpg久しぶりにのんびりとお散歩。家から迷い迷い30分で奈良駅に着く。
墨、筆などの画材買い出し。他の画材は京都、大阪に出ないといいものがないが、これだけは奈良の方がいいものがみつかる。

近くでカフェを手作りで立ち上げている友人の陣中見舞い。完成したら素晴らしい拠点になるはず。がんばってほしい。

平城遷都祭の話し合い。僕の知らないあいだにものすごい動きがあったよう。いろいろとアイディアをまとめなくちゃいけない。おもしろくなるよ。

帰ってから逃げ続けていた家の整頓。作品にもようやく取りかかれそう。しかしアトリエせまい。。

HPにいろいろup!
http://www.natsunosuke.com

(18:03)
bc96b8ae.jpg観光客で溢れかえる倉敷での滞在時間は約3時間ながら、屏風作品の受け取り、収蔵作品の状況確認、柳沢さんとのお話など濃密な時間を過ごす。
帰りは近畿道宝塚から松原で完全に車が動かなくなるほどの渋滞に巻き込まれウンザリ。このシーズンは歩きに限る。

引っ越しはなんとか完了。ただ部屋はまだまだ整理がつかない。
今度のお家には小さいながらアトリエがある。時間をかけて居心地のいい空間に仕立てていきたい。
細々したものを買いにいったり、散髪したり、間違いで水道栓を閉じられたり、頼まれ原稿がいくつかあったり、頼まれ講義の素案を考えたり、新年度からの授業計画を立てたり。。
まだ近くの散歩すらできてない。近くに地蔵の群像があるんですよ。
あぁ早く心落ち着けて制作に取り組みたい。

(00:19)

2008年03月22日

61edd7d8.JPG朝から京都へ。久々の車窓が楽しい楽しい。1時間半の道のりを音楽も流さず興奮。変な風景だよ。

まずはギャラリーで打ち合わせ。担当が大学の後輩ということもあって、いつもリラックスできていい。これから時間がかなりできる僕にとって、いろいろと忙しくしてもらえることはありがたい。
話題の中心は北京でのアートフェアのこと。もう商売度外視したどでかい作品を持ち込もうと思うんだけど、どうでしょうか。
帰りに画材屋に寄って和紙を購入。高いよね。非日常素材。
引っ越し準備で出た古本を売って、電気、水道、ガス、電話、ネットなどなどに連絡してたら一日が終わった。
明日は朝から倉敷行き。作品嫁入りの段取りと屏風の受け渡し。
早く寝よ。

HP展示風景UPしました。
http://www.natsunosuke.com

(00:42)

2008年03月21日

0e706c62.JPG車決まりました。HONDAが2台。
引っ越しも決まりました。あと4日後。
仕事も確定。週に3日。
北京のアートフェアへ。150号大を2つも。
5月にニュートロン、12月にイムラアートギャラリー、1月に佐藤美術館。
五島記念文化財団の帰国報告展は2010年になりそうです。
明日は京都へ、明後日は倉敷へ行きます!
大丈夫、花粉症は楽だし、このままいけるはず。
時々ですが、フィレンツェのまったりした時間や空間を思い出します。

(01:21)

2008年03月20日

d78171fd.JPG僕らの世代、いや僕でいいんだけど、60まで生きているわけがないと思ってる。それだけか細い生命力。だからすぐに自閉するし、長いスパンでの活動を考えずに勢いでいろいろやらかしてしまい、まわりに流され、ちょっとしたことで一喜一憂する。でっかい子供みたいなもんで、弱っちい体でなんとか今日をサバイバルするために小さな小さな喜びを見つける。
逆に言うと長生きできるよ〜とか、楽に死ねるよ〜とか、そんな話にほんと弱い。でもなぜそこで強がって作品つくったり、発表したり、システムにあらがってみたりするのかというと、それはもうほんと少ないけど、繋がれているんじゃないかと、意思疎通できているんじゃないかと思われる人たちとの関係があるからだ、なんていうと照れくさくも嘘くさくもどんくさい。
まぁ、大きなシステムの欲望に弱いのと、個人同志の密接な関係に弱いのが同居しているってなところか。



(01:04)

2008年03月17日

6cf3bfbb.JPG自由意志によるこの行為は時に自身を異常に鼓舞したり、異常な幸福感に包まれたり、異常なほどの無常観に陥らせたりもする。

ほんと生きててよかったっていう、日常では中々つかみとれない実感と共に、すべてどうでもいいじゃんっていう、日常では中々つかみとれない破壊願望も鎌首をもたげるんだ。



(23:19)

2008年03月16日

eb05fda4.jpgう〜む、難なくこなせる量だったと思ってたんだけど、ゆるゆるな一年間は僕に大きな影響を与えていたようで、もう頭の中がパンクしそうです。

久しぶりの新幹線はやはりユーロスターと比べてしまう。値段は断然新幹線の方が高い!京都→東京が80ユーロなんて向こうの人はびびるだろうな。
しかしテーブル椅子の文化で生まれたユーロスターのサロン感に対して、新幹線のハリボテ仮設感は否めない。いっそのこと畳敷きに座椅子にすりゃいいのに。靴とかぬいじゃって日本茶に富士山。
そんなオバカなこと考えているうちに久々の東京。まずは渋谷に直行して五島財団に顔を出す。いつも暖かくむかえてくれるし、報告展に関しても作家の意向を100%聞いてくれる。こういったところからも作家のモチベーションは上がる。こんな素晴らしい財団がもっとできればいい。次は鬼頭くんに塩保さんということで西高東低の話に。西の作家は気合い入ってますよ!
夜は日本画復活論の打ち上げのため銀座に日本画復活論者が集まるw
日本語で熱く細かく話し語り笑えたのってこれまたほんと久しぶり。

次の日はあいにくの雨。まずはMOTへ。加藤弘子さんとの久々の再会も、川俣さんのつい立ての後ろで密談の様相。思えばもう2年前。。
そんなMOTアニュアルでは金氏くんのが断然よかった。そうなんだよねって感覚、わかる、そうなってんだよこの世界は!って感覚を作品から受けることは時々あって、その提示の仕方が彼の場合もう発明。謎も多くてほんとよかった。こういう言葉から逃走系の作り手や作品に対してはあまり言葉にしないほうがいい。
そこから新宿信濃町の佐藤美術館へ。
もう発表していいそうです。来年の1月にここで帰国報告展をします。まぁ空間は大きく、3フロアーもあるのですが、構想はばっちり!ワークショップやシンポジウムもこれからどんどん形にしていくのでよろしくです。
ここでは話しも楽しく気付けば5時間。。学芸員さんたちと解りあえて仕事を進められる幸せ。

最終日は東近美へ。なんとも教科書に載ってるような作品のオンパレード。今読みこんでる岸田劉生と同じ展覧会に並んだのは感慨深い。でも「近代日本の美術」のしめがこんなしわくちゃでごめんなさい。
場所をカフェに移して、話が進んでるロンドン個展に関して打ち合わせ。こちらは実現するかはわからない。多くの要素がからんできていて、もう僕は何がなんだかわかりません。なるようになるでしょう。
時間があったので上野まで足をのばしてVOCA展へ。いつも楽しませてもらえるのだけど、今回はほんと最速で出てきてしまった。加藤泉さんの個展が隣でやっていて、こちらはほんと来てよかった。

帰りに不動産に寄って新居の契約書を受け取る。早く静かに描ける環境を作りたい。次は車探しだ。



(13:04)

2008年03月12日

ad338c24.JPGやってきましたね。僕の鼻をくすぐるヤツが風にのってやってきました。今年の関西は少ない?とんでもない。暖かなフィレンツェで花粉タンクを9割方うめて戻ってきた僕にとっては。。汁という汁が体外放出中です。

そんな中、新たな住居は速攻で仮押さえ。いろいろと見せてもらったけど、今回は少し静かな場所にすることにした。毎日こんな風景を眺めてたらたぶん絵も変わるな。帰りに「鹿男あおによし」の撮影をしてた、そんなところの奥地です。

昨日は果敢にもノーマスクで京都入り。お世話さまin京都巡り。あまりに大きな話が進んでいて、ほんとにびびった。どうやらもうこけるわけにはいかないらしい。久々のかるい緊張感にかなりワクワクする。

僕は描くひと。
売るひと、展示するひと、プロデュースするひと、語るひと、宣伝するひと。みんながみんなの場所で充実感を得られればいい。
しかし、京都で久しぶりに見たアート雑誌の多くがスタイリッシュにデザインとの領域を超えて売れるだの買えるだのという記事ばかりで驚いた。おそらくあれらの領域に作家はまったく関与していない。いや、そうだと信じたい。
逆に言うと、そんなところで戦っていない、孤独な戦いを強いられている人たちのメッセージであふれる媒体が必要だ。あ、そんなもの暑苦しくて売れないか。。でも美術ってもっとどんくさいもんでしょ。

まだまだ考えがまとまらないけど、絵描きはデザインとはまったく違うことをしてる。それをこの時代背景において再定義しなくちゃいけない時期がきてる。時代には逆行してるけど、僕のやりたいことはカタカナのアートではないのだろうと思う。僕の渾身がデザイン的に扱われることはある。それは否定しないし、おもしろいとも思う。でもその渾身が何によって、どうやって、何を目指して作られたかに光があたることがないのなら本末転倒も甚だしい。
僕らはいったい何の為に描いているのか。
早くもこの1年間のことを話してほしいという依頼が数件舞込んできた。
奈良の麓でゆっくり考えよう。
あぁどんくさ。。

明日からはお世話さまin東京巡り。

(13:23)