越谷女子 武蔵野線




五十嵐あぐり先生の絵、あぐり先生の漫画から醸されるある種のいなたさが、時に否定的にみられがちなのは否めません。

それが萌え漫画であろうとするなら、なおさら。

そしてそのいなたさがアニメ化の際、そぎ落とされていった部分であったなあと思います。
でもそれはごく自然な流れで、共同作業であるアニメーション製作の折には、
作品の共通認識の摺り合わせとしてニュアンスを、各デザインの記号化を図り、それを用いて各自の感情表現を”簡潔に”伝えようとするから、、、だ。、、である。。。多分。
(ざっくりいえば、びっくりすれば目が点。混乱していれば目が渦巻き。目悪い人がメガネはずせば目が3。。みたいな。。。)
この工程、、手段は、アニメーションに限らず、日本にまだまともなアニメーションが生まれる前、、日本漫画の黎明期から作り出されてきた認識手段であって、、要は手塚治虫が漫画制作にアシスタント制を用いだしたのを端に発して世間に広がっていった考え方で、、、、。というか人が2次元に描かれたものをそれと認識する際に必ず起こる3次元とのずれを摺り合わせる為に脳が勝手にものを記号化して捉えようとする機能を用いたそれこそラスコー洞窟の壁画からすでに行われてきた。。。。。



じゃなくて、、、。



あぐり先生の作風からアニメが作られる場合、そこから記号化されない、されにくい、そんなとりとめの無さ、、
言ってしまえば取るに足らない表現が(いなたい表現が)存在している。気がする。。のです。

ディスじゃないです。
そんな取るに足らないニュアンスが、アニメーションでは拾われることの無いささやかな表現が、あぐり先生の作品のムードを決定づけていて、そんでそれがあぐり作品の味わい深さ、醍醐味になっていると思うのです。





越谷女子 水村史織と宇津木玉子
(あぐり先生のカラー絵を特徴づける暖色系の多様も、作風に一役買ってますよね。。パクりたい。)



いわゆる萌え系の漫画である場合、、デザインの記号化が特に顕著になっていて、そこでそこに存在するあぐり印の野暮ったさが、いわゆるバグが、その萌え記号にブレーキをかけたりする場合があります。
いってみれば、それが絵であってなお素早くそれを人間だと認識して、そしてそれが女の子であって男の子であってと認識して、さらにそれを素早く「かわいい!」感じさせる為には、、、相当なデッサン力が要求されていて。

 たとえば記号化として一番わかりやすいデフォルメとして、人を3頭身、2頭身化させる、、いわゆるSD化させるという工程には、やはり多大なデッサン力が必要になってきます。



あぐり先生の作風は、そういう記号化、デフォルメ化にそんな向いてない、、
萌え絵化に向いていない。





越谷女子 新井ソフィア
越谷女子三年、新井ソフィアを例に見てみると、アニメ、立先生ともに頭のドレッドを、こう、束っぽくまとまってる感じ、と簡略化して描いていますが、、あぐり先生のソフィアはえげつないほど忠実に束を描き込んであって思わず2度見します。
そりゃさすがにこれではかわいい女子も即「かわいい!」に繋げていくのは難しい。
それでもあぐり先生はそれをやる。
自分が見えたニュアンスをそのとおりに、不器用なまでに描き込む。そんな、言ってみれば不器用な「誠実さ」が阿知賀編全体を覆う、ある種特殊な情緒に溢れた作品に仕上がっていると思います。



そしてそんなあぐり先生もまた、果敢にデフォルメーションに挑みます。
萌えの権化たるSDキャラと、ある種の不器用さを抱えるあぐり先生の異質なマッチアップが、
転じて転じて静乃のしずもん化、、玄のクロチャー化、、怜のおっちゃん化等、、なんっともいえないいい塩梅の愛すべきキャラクターが生まれる事とあいなりました。

このキャラクター達の親近感って、萌えとはちょっと違いますよね。。

なんて言いますか、、長谷川町子とか、、西岸良平とかが描くキャラクターに生じる感情に近い。




個人的な見解ですが、、萌えを生産するという行為において、現時点で最高峰の作家さんの筆頭として、なもり先生を挙げたいと思います。
巷でも騒がれるほどの筆の速さ。そこに裏打ちされているのは高いデッサン力。そしてなにより記号化力の高さです。
ぱっと見ではいわゆる判子絵だと切り捨てられがちでもありますがそれは早計で、それこそが萌えとしての記号化、デフォルメ化の真骨頂だと思います。
要は作品の流れとしてそれがそれだと認識できていれば良くて、そしてそこに描かれる記号の微妙な変化でもってその状況を伝える。より素早く。より簡潔に。よりクールに。
その点において、そしてそれを仕上げるスピードにおいて、なもり先生に並ぶ人はそういないでしょう。。

つまりその行為において、なもり先生を萌え漫画界の手塚治虫、だといえましょう。

そして、、ではあぐり先生は。。
いわゆる誠実さでもって、萌え、に対しては若干遅れを見せるところがあるでしょうか。。
その作品の情景やムードを大切にするあまり、、絵のデザイン自体は悪く言うと一向に洗練されない。。
そしてその洗練されなさこそが作品を情感たっぷりに表現する。。。




。。。萌え漫画界の、、鈴木翁二。       







越谷女子 八木原景子と浅見花子


そんなあぐりイズムが色濃く出ていますのがそう、、越谷女子。

かの埼玉の代表としての分を遺憾なく果たすべく面目躍如の活躍を見せた超ネタ高校であります。


さきほど挙げた新井ソフィアを筆頭に、およそ萌えとは結びつかないようデザインされた、かといってモブではない。。そんな爆死を約束された彼女達。
そんなダウナーな表情すらみせる彼女達の、あの、ちょけた感じ。
あぐり先生。 いーい感じです。
玉子とか、、なんやねんあいつ。 瞳4つあるんか。





そんな彼女達でも、、元埼玉住民の私としては肩入れせずにはいられません。
ダザイタマ!いいよー。ダササこそがアイデンティティーである!


さてそんな越谷女子。
詳しく調べていませんが、おそらくこの世に唯一存在する越谷女子メインのSSがあります。

玉子「埼玉を水の都にするである!」ソフィア「へえ」

というものなのですが。。。  これが、いいんです。

埼玉=ダサい、という概念を、とてもパーソナルに捉えていて、好感が持てすぎる。

また本編ではほとんど人となりが見えてこない各キャラクター達の肉付けもとても丁寧になされていて、誰も存在を脅かされることの無いとても平和な世界が作られております。

水村史織がとてもキュート。 「ふふ、さんへぇ。」がたまらないです。


ぺろりと読める手頃なサイズ感、キャラ達のやりとりの灰汁の無さ、懐かしのテレビネタ使い、そしてあふれる郷土感。。。


個人的咲SSベストのひとつとして挙げさせていただいて、今回の更新を締めたいと思います。









(それでもやっぱり景子ちゃんのあれは擁護できませんね。。)
越谷女子のケジメ



(追加)
萌え漫画界のOO。。
立先生は。。。     白土三平。。?

立先生は今は絵的な何々、というより物語のつむぎ方として、部活青春もので4校同時対戦とかいう前人未到の大海原へ漕ぎ出していっている最中なのです。。。
正直、咲-Saki-の部活対戦ものとしては長野決勝がひとつの完成形だとみています。
ここから先はまったくの暗闇。暗中模索の段階だと思います。なんたってBブロック2回戦自体が大掛かりなネタフリとしての存在になったりしていますので。。
この舞台が一体どんな目的地へ到達するのか。。。見守りたい、、というか見たい。見続けたいと思います。