キクチブログ

MOOVe RECORDS(ムーヴ・レコード)のプロデューサーであり、作詞・作曲・編曲もこなす菊地和久の「言いたいこと」を垂れ流すブログです。
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“短冊型” 8cm CDシングル の起源(?)

昨日(2月21日)が『8cmCDシングル発売』から35周年ということで、幾つか思い出したエピソードがあるので久々にブログを書きます。

私のレーベル #ムーヴレコード#MOOVeRECORDS)が1996年4月に最初の作品をリリースしているので、時代的には8cmCD全盛期の頃。
当レーベルもかなりの枚数の“短冊型”8cmCDシングルをリリースしました。
8cmCDシングル 左:1996年4月1日発売 森下純菜『いちごのしずく』 右:1998年2月21日発売 森下純菜『Teardrop〜たったひと粒の涙〜』


※左:1996年4月1日発売 森下純菜『いちごのしずく』
右:1998年2月21日発売 森下純菜『Teardrop〜たったひと粒の涙〜』

写真右の『Teardrop〜たったひと粒の涙〜』の発売日について「今年の2月21日で8cmCDが発売されて10年なんですって」という話を誰かとした記憶があります。
ちなみにこのシングルは販売元のバンダイミュージックやインストアイベントで多大なるご協力を頂いた『HMV渋谷』のウィークリー・シングル売上1位を獲得した思い出のある作品です。

最近ちょっと気になって「“短冊型”8cmCDシングルとは何だったのか?」をいろいろと調べてみましたが、その「成り立ち」について明言しているものを見付けることが出来なかったので、当時、私がレコード会社の方や音楽業界関係者から聞いたまとめてここに記しておくことにした。

日本で最初にCD(12cm盤)が発売されたのが1982年後半。(アメリカは翌1983年の5月に発売)
リアルタイムで経験した人なら解ると思いますが、消費者の選択がアナログレコードからCDへと移行するのが想像していた以上に早かったのです。
小売店も時代の流れに対応して行くしかありません。
その当時は現在では考えられない程、小売店(いわゆる“レコード屋”さん)が強い立場にありました。
街の商店街にあるレコード屋さんなどは今まで使っていたレコード棚を買い換えなければいけないという事態になり、それを不満に思う経営者も多かったそうです。
今と違い個人商店がいっぱいあり、そういった小規模の小売店にとってはかなりの経済的負担となります。
そこで小売店の組合(団体)が「今までシングル盤(7インチ/17cm)を置いていた棚(ディスプレイケース)をそのまま使えないものか?」といった趣旨の要望をレコード会社の業界団体に伝え、「小売店側がそう言うのなら……。」という感じで「このサイズなら2枚並べてそのまま使えるでしょ?」的な発想で出来たのが“短冊型”8cmCDシングルのあのカタチだと聞かされました。
(12cmの通常サイズのCD発売時はメーカー主導なスタートでしたが、小売店の要望を吸い上げて作られたフォーマットという感じでしょうか。)
サイズ比較 左:7インチ/17cm アナログ盤 右:“短冊型”8cmCDシングル

※サイズ比較 左:7インチ/17cm アナログ盤 右:“短冊型”8cmCDシングル
7インチアナログ盤と8cmCDシングルのサイズ比較
7インチアナログ盤と8cmCDシングルのサイズ比較


そういえば、輸入盤の初期CDアルバムも縦長の箱に入ってましたよね?

ギター雑誌の表紙は40年ぐらい変わらない人たちで回してる

現在店頭に並んでいる『ギター・マガジン 11月号』の表紙はChar
この種の雑誌の表紙になる日本人と言えばChar、高中正義、高崎晃などなど……。
40年前と全然変わってないんだな。
しかもこのギター・マガジンに載ってる楽譜が中森明菜『1/2の神話』と松山千春『長い夜』だ。
もう90%以上"オッサン向け"にしか作られていないんだな……。
若い子は雑誌買わないの? たまには買ってみようよ!


原美織『アドレセンスの終りに』制作秘話

昨年に引き続き、8月12日に行われた『コスホリック21』に於きまして現役セクシー女優(って言うのね、今は。)原美織さんの"2ndシングル"『アドレセンスの終りに』を販売しました。

去年の段階では『コスホリ』の度、毎回新曲をリリースするのも面白い……。などと考えていたのですが、時間の流れに私が全くついて行けず、結局1年という長いインターバルになってしまったというワケです。

いわゆる《同人CD》という意味合いの強い作品なので、前作の『InThe Fantasy』よりその辺りを意識しました。(具体的にどうかと言われると、極めて私の感覚的なものなので説明はできませんが、CDを販売する8月12日"コスホリ"のギリギリまでミックス〜マスタリング作業をしていたという部分も含めてです。)

この曲は歌詞とメロディーがきちんと出来上がっているデモ音源を原さんに聴いてもらって、曲を覚えてからリハ〜レコーディングと進行しました。

メロディーの雰囲気は90年代J-POPなのですが、アレンジ(特にベースとドラム)に関しては"テン年代"に活躍してる某バンドを意識しました。ただし、"上モノ"はかなりオーソドックスな感じというか、定番な感じ満載にしてあります。
元々は数年前、深夜にUSENで流れてた名前も知らない海外のROCKバンドの曲にインスパイヤされて書いたメロディーです。
歌詞はちょっと難しくなってしまって、タイトルが『アドレセンスの終りに』なのに、歌詞の最後が「終わらない」という、決して"単純ではない"感じになってます。

ボーカルに関しては今回もコーラスパートも含めて全部原さんです。しかも、音程を機械的に補正するとか全くしてません。《純度100%の原美織ボイス》をパッケージングしました!

ミックス作業中にふと思ったのですが、彼女には初期の菊池桃子みたいな曲を歌わせたら面白いのではないかな……。またチャンスがあればそういう方向にもトライしてみたいです。
アドレ_ジャケ写




ZEALOUS解散から30年

1986年11月27日、「私の10代の全てを捧げた」と言っても過言ではないバンドZEALOUS(ゼラス)が解散しました。

ZEALOUSは1983年11月27日に初めてステージに立ち、その後も毎年、同じ11月27日にLIVEをやっていて、その日は"3周年記念LIVE"だったというワケだが、そこで突然『解散』を発表した。

ZEALOUSというバンドは私は言い出して始めたバンドではあったが、後期は特にメンバーチェンジが激しく、3年間の活動の中でVocalである私以外に25人ぐらいがZEALOUSとしてステージに立っていることになる。

バンド活動に於ける様々な雑務をほとんど一人でこなし、納品書や請求書の書き方から、社会との接点などを学んだ場であったように思います。

あれから30年が経った今、私はもう一度『ZEALOUS』を名乗りたいと思っています。

※写真は1986年11月27日の解散LIVEの様子。(どなたが撮ってくれたか失念しましたが、感謝!)19861127


原美織『In The Fantasy』制作秘話

8月12日に行われた『コスホリック18』で現役AV女優である原美織さんの"ファーストCD"『In The Fantasy』が販売されました。
それにともない、今回は恒例の(?)制作秘話を書きます。

このお話は5月末、A&Rとして辣腕をふるうT氏からの連絡で始まりました。
彼曰く「原美織という、とてもポテンシャルが高いコがいる」と…。
電話でいろいろお話を伺い、資料も送ってもらい、その後、実際に原美織さんの所属事務所に伺って、事務所関係者及び原さん本人に会ったのが6月10日。
そこで「今、MOOVe RECORDSで出来ること」や原さんや事務所の意向を話し合う中、"8月12日コスホリ"の話が出たのです。
『コスホリック』というコスプレイベントでコスプレもお色気も関係無い"アイドルポップスど真ん中"のCDを販売するという面白さにヤル気が漲りました。
その時点でコスホリまであと2ヶ月…。

こちらは「1曲入りでCD-Rでなら可能」とし、ジャケットの仕様やRであることの持ち味を活かし、盤面に本人がアーティスト名・曲名を書き入れることで最終的に"商品"とする__などのアイディアを出しました。
取り敢えず、その場で"GO!"となり、原さんには幾つかの提出物をお願いして制作スタート!

提出物とは、原さんが「こんな曲が好き」というのを数曲挙げて頂くのと、≪タイプの違う2曲以上の楽曲をカラオケで歌った音源≫でした。
これらを受け、楽曲が決定。しかし、今回の問題は詞です。
「作詞は何よりも技術が重要」と日頃言ってる私も歌う人との年齢的(自分の子供の世代)な言語感覚の差が気になりました。言語感覚として"アリかナシか"を確認する必要が出てきます。今回はそのために20代前半の女性にそのジャッジを委ねました。そこで「ナシ」とされた言葉を排除し、大事なキーワードである"妹キャラ"とか、"メロディーと母音との関係"(この曲では、サビの出だしの伸ばす音は必ず母音を「ア」にする…、など。)そういうのを踏まえた上に「原美織という人はFantasyの中の人だよな…。」というイメージが私の中で積み重なって出来上ったのが『In The Fantasy』なのです。

原さんに聴いてもらったデモ音源には全く違った歌詞が乗っていて、後日別な歌詞を渡して、それをメロディーに当てはめてもらった上でスタジオに入ってリハーサルをするのですが、その時点で歌詞の乗せ方は100点でした。
歌詞とメロディーを別にもらった場合、解釈の仕方で若干こちらの意図と違ってしまうのが普通で、そこを調整するためにもリハで1日取るのですが、彼女は最初から完璧に私の意図してた通りに歌ってくれました。
でも、そんなリハで思わぬトラブルが発生!
リハで録った原さんの歌を私がSaveせずに機材をシャットダウンしてしまい、翌日それに気付くという、今まで一度も無かった事故(?)が発生。原さんは自分が歌ったリハ音源を改めて聴き直すこともなく、数日後のレコーディングに臨むことになりました。


今回、彼女の柔らかく、キュートな声をより良く集音するために新しいマイクを購入。午後から夜遅くまで掛けて、1日でメインボーカルからコーラスパートまで録りました。
普通は"歌のお姉さん"を発注してコーラスパートを歌ってもらうのですが、コーラスパートも彼女自身が歌ってます!(←これ重要)

「歌の上手い/下手は音程の問題ではなくて、リズム感・タイム感の問題の方が主。あるべき位置に歌があれば音程が微妙に違っていても魅力的な歌になる」という説明などをして、遂に歌録り開始。
何度も何度も歌い、その中から"使えそう"なテイクを残す(後でそれ編集する。)という方法でコーラスパートも含め、歌録りは無事終了。しかし、ここでのオケ(各楽器の演奏)は仮のものなのです。
歌を録った後にまた(歌声の雰囲気に合わせ)アレンジ〜演奏〜ミックスという方法で制作します。

ドラムやベースの土台部分は大きく変化することは無かったのですが、ほぼ全編に渡って登場するピアノとギターは全く違うものになりました。というか、ギターは入っていなかったので、歌を録った後に入れました。YAMAHA SGを16分でチャカポコ弾いてる感じは80年代前半にビッグヒットを飛ばしたカジャグーグーのイメージ。奇しくも私のYAMAHA SGも80年代初期のJapanヴィンテージ。
間奏の部分も当初はギターソロを弾こうと思っていたが、SAXの音色でイイ感じのものがあったので、その音色で鍵盤を弾いてたら気持ち良くなって、そのままSAXが間奏を"担当"することに…。
ピアノはデモ段階より全然明るいフレーズになりました。
最後に入れたパートがサビ部分のキラキラした音色での「ピロリ〜ン」的なフレーズ。
これは≪Fantasyの入口≫を表現したもので、私にとって思い出深いシンセ『KORG M1』で出してます。

CDを販売する8月12日"コスホリ"のギリギリまでミックス〜マスタリング作業をしてマスターを作り、それをRに焼いて数時間後にユーザーの手に渡るという、クリエイターとしてはとても"熱い"作業になりました。この感じを関係者、ユーザーの皆様にも感じていただけると幸いです。

最後に、このCDを手にした人はオビ部分のカタカナ表記のタイトルを見てください。『イン・ザ・ファンタシー』となっていることにお気付きでしょうか?
歌も「ファンタスィー」と歌ってます。「ファンタジー」ではなく、「ファンタシー」これもちょっとしたコダワリなのです。
オビ部分のスタッフクレジットのところに水色とピンクの星が描かれてるのですが、これは『キキララ』をイメージして入れたものなのですが、コスホリの時、原さんが『キキララ』のバッグを持っていたのを見て妙に安心しました。ある意味、Fantasy感の共有は出来たのかと。表1






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