江原啓之の何とやらという番組の視聴率が高かったというので一部で話題になっているけれども、みんな胡散臭いものが好きなんだから当たり前だ。

 わたしの周囲に、江原だとか細木和子だとかの番組を見て「危険だ!」と義憤にかられ、科学教育の重要性をひたすらに訴えはじめたりする輩なんて居るんだけども、そういう輩はいろんな意味で何ら考えを致していない。そもそも視聴率が高いことと聴取者の信用度とは全く関係がない。たとえば見世物小屋を喜ぶのは「タコ女」とやらを信用しているからではなくて体にタコ乗せてるだけの婆さんが面白いからで、お化け屋敷を喜ぶのはそこに幽霊が出ると信じているのではなくて道すがらただひたすらに趣向を凝らして驚かしてくるアトラクションが楽しいからである。それは軽信によるものというよりは、単なる覗き見趣味である。
 いっぽう、科学教育をやったからというて「安易に信じる」ことが出来る人間が、容易に信じなくなるなんということは考えがたい。懐疑主義ってもっと面倒なものだ。科学は検証可能性があるから科学と呼ばれるんだけど、そもそも検証をしようとする傾向をもつひとは科学教育なんて必要ない程度に懐疑の方法論を持っている。いっぽうで広義の科学教育っていうのは、一般的に「科学的」であると呼ばれるものを丸飲みさせることであって、そのやりかたは細木和子の物言いを丸飲みさせるのと実は余り変わらない。
 まあ……もっといえば、かりに誰にでも彼にでも懐疑主義の芽が育つとして、何に対してもやたら疑り深い輩ばっかが居る社会では生活したくもないというのが正直な処である。

とか考えていたら、こういうものが落ちておりました。
http://www.youtube.com/watch?v=m5EnbUBH2KQ(「霊視」サウスパークのエピソードから抜粋)

 ところで村上陽一郎によると、もともと「科学」とは「分科の学」のことであり、所謂「専門学」のことであるそうな。だから語源的意味における「科学的思考」というのは、「専門的思考」という意味に過ぎるものではない。
 いっぽう、scienceの大語源であるラテン語のscioという動詞は「知る」という意味がある。それから派生した、やはりラテン語の女性名詞scientiaには、「知識」とか「技術」とかいう意味に加えてやはり「専門性」のような意味も含まれる。

 そういえばグスタフ・ヤホダの『迷信の心理学』に面白いエピソードが記されてあった。ヤホダはどこだったかの大学教授なんだけど、仲間同士の食事会で、余興に、即興の降神術を行うことになった時の話。こういうインテリゲンチャの集まりにありがちなように、最初は誰も神霊なんぞ信じちゃいない。
 中の一人が暗くした部屋で降霊の儀式を行い、「霊」に呼びかける。イエスの返事はノック一回、ノーは二回してください。しばらくしてヤホダがテーブルに足をぶっつけると、その音が心霊現象として把握される。呼びかけごとに、しばらくヤホダがいたずら心でノックすると、ヤホダ以外はそれら「霊spirit」が現前すると妄信する雰囲気になり、ついに誰かが「霊は姿を現してください」と呼びかけるに至る。そのうちに、一人が暗闇を指さして「あそこ!あそこに霊が居る」なんてことを言い出す。勿論ヤホダには何も見えない。えええええ??と思っていると、他の連中まで「見えるぞ確かに見える!」「オレモオレモ」と言い出す。えらいことになった、とヤホダはその時本当のことを話せなかった。
 で、面白いのはここからで、その所謂「降霊の儀式」から何年か経過し、儀式に参加したうちの一人(もちろん信じていた人)に会った時に、ヤホダは当時の懺悔をしようと思って「あれは実は全部ボクがやったんだよ、ノックとか。ごめんね」ってカミングアウトする。ところが相手は何と「キミは科学者だからそう言うんだ、そう科学的に思い込みたいんだ、ところが実際あそこには何かが居たんだよ」みたいな返事をして、せっかくやったヤホダの告白をはねつける。確かヤホダは「一度できた迷信はかくも強固なものである」みたいなことを書いてあった。

 いま読んでいるのはエドガール・モラン『オルレアンのうわさ』。1959年に突然オルレアンというフランスの地方都市で流行し世間の耳目を集めた都市伝説「ユダヤ人の経営するアパレルショップの試着ルームに入った女の人が次々消える」を社会学的に追跡した本で、なかなかに面白い。盲信・妄信が力を発揮するという点では「霊」話と似ているが、霊の話は徹頭徹尾「個人」に集束するに対して「うわさ」は社会的に力を用いるという点が違う。おそらく「霊」の話の蔓延は「死」と非常に深い関係があるんだろう。だからこれの多くは個人で完結する。一方「うわさ」は「不安」特に対人不安に根源を持っている。

 ATOKにて「降霊」の熟語が出ず、面倒だなあと思うと同時に少し安心した。しかし「もーむす」で変換するとご丁寧に句点まで入れてくれる(「モー娘。」)ATOK、熟語を入れ忘れたのではなくてspiritualな物言いを意識的に削っているのか。当然「霊障」とかも出ない。

【本日嗜んだ代物】
ビゼー "カルメン"全曲 プラッソン指揮トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団