事件は日々、更新されていく。
 そして継続性のない事件は、われわれの記憶からも、一部を除いたネットニュースサイトからも、削除されていく。

 多くの媒体によって削除されてしまったニュースのひとつに、「ライヴドア事件」がある。この話からしよう。

 なんだか「ライヴドア」と聞くだけで懐かしい感じがするが、その懐かしさこそ、われわれの記憶が風化しつつある証左、その枯れた匂いである。

 2006年1月、ライヴドア社長堀江貴文、CFO宮内取締役ら数人が、旧証券取引法違反の疑い(偽計取引及び風説の流布、有価証券報告書虚偽記載)で逮捕された。ご存じの通りである。
 この「ライヴドア事件」については、会計学上も法学上も面白い点がいっぱいあるのだが、それはそれで稿を改めて「世相継続考察」で書きたい。

 歴史がそのギアを入れ替える際、その世相を象徴するような人間が登場し、そしてその「象徴人間」は彼らが代表する世相とともに象徴的事件を起こし、彼らはそれつまり波乗り押し上げている世相とともに共倒れして歴史が変わった警鐘とする。
 たとえばホリエモンは金融ビッグバンから始まった日本版「カジノ・キャピタリズム」に乗って高みに上り、そして叩き落とされた。まさしく時代の波に一度乗ってみた、その意味で「時代の寵児」であるといえよう。
 当時のライヴドアグループ、外形はITのふりしてるが、その実堀江が主導していたIT部門は赤字続き、まったく収益が出ないなか、高い収益性を帯びていたのは宮内が主導するファイナンス部門、つまりライヴドアはITベンチャーのふりした単なるキャピタル・ゲイン狙いの投資会社でしかなかった、そういうことがまず面白い。
 また、当局に偽計取引の疑いをかけられたスキームが面白い。
 会社を買収する際に株式交換を擬して自社株を還流して売って売却益を丸取りする、という夢のような方法なのだが、簡略化すると以下の通りである。

 1.ライヴドア、ライヴドアファイナンスへ新株を預ける
 2.ライヴドアファイナンス、投資事業組合を介して(名目上株式交換扱いだが現金で)外部の会社を買収
 3.ライヴドア、株式分割。M&Aと分割を好感し株価が急上昇
 4.投資事業組合が持つライヴドア株は(ロンダリング目的で)海外の会社および証券会社をまわって市場で売却される
 5.売却益をライヴドアファイナンスおよびライヴドア本社へ還流!
 6.「そんなにもうかっちゃうんだ?」(ホリエモン)
 7.ウマー

である。

 いや全く、これは日本の錬金術とでもいうべきもので、ホリエモンの四次元ポケットから出た「に〜ほ〜ん〜ぎんこうけん〜じどう〜じゅうばいぞう〜そうち〜!」(大山のぶ代の声で)である。もちろん一般的には、資本増強のために新株を発行して、高値で新株を引き受ける引き受け手があれば、それは市場が勝手に判断することなんだから構わんのである。すげえのは株価を吊り上げて還流したうえで売却し、売却益を儲けとして計上していたところだ。こんなの、自分とこで日本銀行券刷ってるのと同じである。

 で、このスキームを可能としているのは、ライヴドアと投資事業組合の疑似非同一性、そして一般投資家の「ゆめ」である。M&Aも株式分割も、好感材料とするから投資家が株を買う、株を買うから株価が上がる、という、まあいわば当然の話だ。投資家が「期待」するわけだな。で、「ゆめ」をつかみに行くんだな。でもそれは泡沫、うたかた、一時の空騒ぎみたいなもので、実際はただの紙くずなんだな。


 さて、本題(ここまでが前置き)。

 鳩山由紀夫がね。
 面白いんだわ。

  小沢氏出馬表明で、風見鶏発言の鳩山前首相に批判集中

 いうとくが鳩山は風見鶏ではない。
 風見鶏はその瞬間の風向を指し示すという極めて重大な仕事を忠実にこなしている。しかるに鳩山はそうではない。その時吹いた風の方向を向くときもあるが、突然思いついたように自分の向きたい方向を向くこともある。

 近代的人格の要諦は、人格的同一性である。
 人格的同一性とは、有り体にいえば、今日も昨日も明後日も、わしはわしである、あらねばならない、ちうことだ。わしがわしであるために、どうすればいいかというと、別に尾崎豊みたいに正しいものが何なのか歌い続けないといけないわけではない。そんな大変なことではなくて、昨日のこと、一昨日のことを覚えておればいいのである。
 つまり、

 昨日はイシイさんにこういう話をした。
 一昨日はキムラくんに『けいおん!』を持ってくる約束した。
 一昨々日はAmazonでテンガロンハット買った。

 こういうことを覚えていないと、社会生活を円滑に営むことができない。
 全員が昨日のことを忘れるタイプだと、日本は近代国家の体をなさない。
 (そんな状態でも原始的狩猟採集生活はできる)

 だから、皆、約束は忘れるまいとする。
 言ったことと、できるだけ齟齬がないよう行動する。
 法学用語でいうと、契約を誠実に履行しようとする。

 わたしが昨日行った約束を今日履行する。
 わたしが昨日言ったことを今日覚えている。
 そこに人格的同一性が担保される。

 でも困ったことに、鳩山はこの前言ったことを覚えてない。
 あるいは、簡単にひっくり返す。

 皆彼を莫迦だというが、莫迦なのではない。
 鳩山は立場的に現在、シオシオのパーになったのでバラエティなどに呼ばれる機会はないんだろうが、たぶん呼ばれれば、水道橋博士に政治バラエティにしょっちゅう呼ばれていた昔と同じように面白いんだろう。本当に莫迦なら突拍子もない話はできるが、意識的に面白い話はできない。

 じゃあなにか。

 人格的非同一性の権化、匿名性の象徴。有り体にいえば鳩山はたぶん「名無しさん」なんである。
 発言がころころ変わるというよりは、発言主体が匿名性を帯びているのである。
 今回の発言だって、「先日の鳩山」だと思うからこちらが混乱するのであって、これは平成15年に民主党と自由党が合併した際の指導部の立場から「名無しさん」が発言しているのである。明日になると違う立場から発言する蓋然性が高い。

 そう、たまたま「鳩山由紀夫」という名札が貼られているからおかしいような気がするのであって、複数のスクリプトをクリックで選択出力する自動発言ジェネレーターだと思えばいい。
 わたしが思うに、たぶん一つの考え得べき質問に対して、鳩山の頭の中には並列で回答が山のように確保されているのではないか。

 で、たぶん出力のさいにソートを間違うんだな。

 結果としてちぐはぐになると。

 しかし先年の、マンガばっか読んで漢字が碌に読めない首相といい、つねに発言が匿名性を帯びる前首相といい、ほんとうにここのところ、表舞台に出るれんちゅが世相をトレースするなあとほとほと感心の限りである。