スフィアリーグなど

マンティコラ

ウンベルト・エーコ『美の歴史』を読んでいたら、怪物マンティコラの記述があった。ギリシャ時代から伝わる、有名な「異形のもの」である。

「三重の歯、獅子の胴体、蠍の尾、青い目、皮膚は血のように真っ赤で、蛇のような声を出す」

……マンティコラ?

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マンティコラ?

ここのところ休みが不規則で、そのせいか少し風邪引いたかもしれない。


【本日嗜んだ曲】ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ヤーノシュ・シュタルケル(vc)ドラティ指揮ロンドン交響楽団

凹んだくるみ、割れないくるみ

話題としては少し古いんだけど。
先日、グッドウィルカップという芸能人女子フットサル大会があった。
その大会で、吾らがくるみタンのカレッツァは予選敗退したらしい。
フォローしてなかったんで、最近知った。
スフィアリーグオフィシャルサイトへ)

小島くるみブログを見る限り凄まじい凹みようだ。
「大会後、しばらく考えました。」ってあってどきりとした。
スクロールしたら「引退します」って出るんじゃないかと思った。
事実はそうではなかったので、とりあえずは一安心だ。

確か元・西鉄ライオンズ野武士集団の一人・豊田泰光が言っていたと記憶するが、
一旦スランプに入ってしまうと、フォーム変えようが気分変えようが何を工夫しようがどうしようもないそうな。だからスランプ脱出の為には酒でも呑んでしずしずとスランプが過ぎ去るのを待つしかないそうな。
もう随分前に、しかも週刊誌か何かで読んだことなので、詳細は全然違うかもしれない。
ただ、定期的に試合が行われるスポーツ競技を見ていると、そうなんだろうなあと思う。
何をやっても上手くいかない時というのがあるのだろう。こんなときに焦りの余り大幅にフォームをいじったりした結果余計悪化して上昇不能になる野球選手を、野球の一ファンとして見てきた。

先日のスフィアリーグ4thステージでも、初戦でいきなり敗退した。エナジーの空回り傾向が見られた。というようなことは当時このかつをぶしむしブログに書いてみたことがある。
carezzaはチームとしてスランプに陥っている、という言い方をしてもいいのかもしれない。
豊田説によると、今はどうしようもない。とにかく粘ってやるしかない。

勝とうが負けようが、終局的にはどうだっていいんだろう。
少なくとも私はくるみタンのじゃじゃ馬っぷりが見られればあとはどうでもいい。
そもそも、小島は芸能人フットサルという企画自体に潜む「不安定さ」を体現している。
だって、彼女はフットサルがきっかけでタレント活動をしているわけだから、ある種フットサル・アスリートたらざるを得ないわけでしょ。一方で単なるアスリートであればノンプロフットサルと変わらんわけで、やっぱりタレントでもあらざるを得ない。
実は「芸能人女子フットサル選手」という存在は、絶妙なバランスを要求される存在だ。
で、この企画がなければ多分タレントじゃなかったくるみタンはその代表的存在である。
スフィアのインタビュー企画で、自分の走り方が如何に格好悪いか気付いたというようなことを言っていたけれども、まさにそういうことを考えなければいけないというところが「タレントアスリート」なわけだ。芸能人女子フットサルは、そういう機微を見て取ると結構に面白い。
そんなわけで。
アスリートとしての意識と「女の子」としての意識の間で揺れながらも、ままよとアスリート方向へ「変な走り方」で疾走していく小島くるみを見たいと私は思うのだな。

くるみよ
踏まれても蹴られても割れない
くるみになるんじゃ
くるくる転がり 気儘に芽を出す
くるみになるんじゃ

daikiti

くるくる転がるくるみタン

昨日リンク作業をしていて気付いたのだが、くるみタンのブログアドレス末尾はc-kurumiなんだなあ。
名前をCojimaKurumiと綴るつもりなのだろうか。

古代ラテン語は、カ行をKではなくてCで綴る。kの文字の原型はκ(カッパ)で、これはギリシャ語からアルファベットに入ってきた文字であり、「カッパ」の音が示すとおり[k]の音を示すんだけども、そもそも初期ラテン文化がエトルリアからアルファベットを領した時にCが[k]の音で入ってきていた(これはエトルリアが[g][b][d]という有声破裂音を持っていなかったからだそうな)。ゆえに[k]の音を表す綴りはCとKとが出来たわけだが、Cが既にしてあるのでKは殆ど使用されなかった。ラテン語の中辞書を引いてもK頭文字で出ている単語はKalendae(一日;現在の「カレンダー」の大語源ですな)と、あとはKarthago(カルタゴ;ハンニバルで有名な北アフリカの大都市)。ゆえにラテン語をその祖の一つとする英語において[k]の発音はcとkと両方あるというわけですな(以上、小林標『ラテン語の世界』(中公新書)参照)。
ラテン語においてCで始まる単語はすべからく[k]の発音をすべきで、安物の電子辞書などでCiceroを「キケロー」以外に「シセロー」と読ませていたりもするが、あれは英語式の発音で誤りである。ところで大西英文『はじめてのラテン語』によると、ciceroは今も述べたように本式の発音で「キケロー」だが、はや三世紀にはこの単語の発音は「キーケロ」と変わり、五世紀には「チーツェロ」となり、やがて偉大な雄弁家「キケロー」は、「チチェローネ(「おしゃべりな案内人」という意味)」に変容してしまうという(ちなみに当該書において大西はK・ビュヒナー『ラテン語とヨーロッパ』の表に準拠して話をしている)。

……でまあここまで書いたのだが、くるみタンのアドレス末尾のcはコジマのcではなくてcarezzaのcであるらしい。
それが証拠に、踊る女子高生ゴレイロcarezza赤坂さなえのブログも頭文字はcであった。

……。

ぶおぉぉぉ(;;)←泣いている

まあいいか。

ところでくるみタンつながりで、「くるみ」といえばくるくる転がる木の実のことだが、くるくる転がるという意は正しく「狂う」の語源である。激しく性質・性格が転回する、という意味なのであろう。くるま、枢(くるる)などともその源を一にする。英語でも、転じるという意のturnとかscrewに「狂う」という意味が内在している(西丸四方『狂気の価値』(朝日選書)参照)。
「狂う」といえば精神病院のことを昔は癲狂院といったが、「癲」とは大発作のことであり「狂」は精神疾患のことである。一方「癲疳」の「癲」とは大人の精神疾患或いは発作、「疳」は子供のそれの謂であるそうな(岡田靖雄『私説松澤病院史』(岩崎学術出版社)参照)。

癲狂はともかく、ピッチでのくるみタンも実に感情の変化が激しい。
やはりある程度「名は体を現す」のであろうか?

今日は新宿区中央図書館で本を借りた。
面白ければいつかここに書く。

上げりゃ火が出る斬られ役

花岡信昭、再び。

我々の国家はどこに向かっているのか
第11回ブログ再炎上、きっかけはアイドル名と句点


「再炎上」という表現が涙を誘う。以前、荒川静香の話を花岡ブログで取り扱った際にも、同様の騒乱があって随分苦労したらしい。
花岡の行論が余り上手くないのは少し彼の文章を読めば分かる。理論構成が拙いがゆえにネット論者に突っ込まれ易いということなのかな。ざっくりいうと「オモチャにしやすい存在」という感じか。ということはどうにか方法を変えない限り、保険金詐欺師の自宅みたいにまたぞろ炎上を繰り返すに違いないということは《火を見る》より明らかである。

新しい文章においても、これはコメント欄ないんだから粛々と日本語論をやりゃいいのに、そこでもまたぞろ句読点の話が拡散している。論点を横へずらしたらいかんっちゅうに。
慧眼にも花岡ブログの「コメント」で(花岡によって、では無論なく通行人によって)指摘されていたけれども、80年代、かの糸井重里が「名詞+。」という形を流行らせたという説が説得的に存在する。当時の所謂コピーライターブームとでもいうべきものと、「句読点の、単なる記号への還元」との関係やその功罪なんというのも含めて上手く纏めてくれれば大変建設的なんだけど、公共性の強い場所もらって論点を拡散させて愚痴に終始するというのは如何にももったいない話である。


もうオッサンの話はいい。くるみタンの話をするぞ。

芸能人女子フットサルのエースの一人、小島くるみ。
小島くるみブログへ)
この人、見るたびにルックスの振幅が随分烈しくて、グノタでもある私は「小島は模索期のステルス戦闘機(イタレリとかでモデル化されたF-19など)のようだ」と喩えてみたくもなるんだけど、基本はほとんどフットサルの為にタレントやってるという感じの人である。悪い意味では全くなくて、フットサル一番の人である。
芸能界女子フットサル"スフィア・リーグ"に所属する強豪carezzaのチームキャプテンであり、同じくチームを代表するパーソナリティでもある小島。
carezzaは、かつては、芸能人女子フットサル大会の目玉であるハロープロジェクトが作成したチーム、GatasBrillhantesH.P.のライバルであった。カレッツァ対ガッタスは、正に西武対巨人の「盟主」対決のような組み合わせであった。
でもちょっと最近調子が悪い。
ストライカーデラックスというサイトの座談会で、「小島は一人でやりすぎ」というような意見が随分出ているように、先日のスフィアリーグ3rdステージではワンマンで空回りし過ぎた。

しかしそれにしてもだ。
彼女はやられ役が似合う。


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前回決勝でTeamDreamに負けた際のくるみタン
(クリックで拡大します)


否、打ちひしがれて内省的になっている彼女に、とっても魅力があるという言い方をしたほうがいいかもしれない。


kurumi02
敗戦に正しく打ちひしがれるくるみタン
(クリックで拡大します)


ガッタスからみて、小島くるみは非常にライバルらしい、正に嵌ったようなライバルだなあと思っていたのだが、最近あれはそうではないと思い始めた。
そうではなくて、小島の「やられ役適性」が非常に高い為に、小島を向こうに回して勝った際の華々しさが並でなく、しかも小島のスキルが、スフィアリーグが開幕するくらいまでは頭一つ抜けていた為、《存在として》ではなく《結果として》ガッタスの好適ライバルのように見えていた、というのが真相であろう。
それが証拠に見たまえ、3rdステージで浅井相手に一回戦負けをした時でさえ、carezzaというか小島くるみは敵チームを大いに引き立てている。


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carezzaにまさかの勝利、喜ぶ浅井Redroseの面々
(クリックで山口百恵)


で、小島の「鼻っ柱の強さ」みたいなとこが、チームが負けることによってまろやかになり、初めていい味になってくるという言い方も出来る。


kurumi04
(クリックで拡大します)


フグを土に埋めてテトロドトキシンを中和するのと似ている(ホンマかい)。
ついでみたいに言うが、彼女のブログを読んでいて感じるんだけども、立ち直りが早いのも素晴らしい。やられ役の鑑だ。

ゆえに、先のストライカーデラックスというサイトで次のように言われていたけれども、すなわち、カレッツァはガッタスのライバル的立場をチームドリームに奪われた格好でもある為、「カレッツァは厳しい立場に立たされている」と言われていたけれども、それは正しい指摘ではないように思われる。
小島くるみは常に、散り際は常に華々しい肉弾三勇士的存在なのである。
何処か悲壮感漂う、南極点到達競争のスコット隊のような存在なのである。
……失礼ながら最後まで勝ったら余り面白くないチーム、でさえあるかもしれん。
負けないと火花が出ない。

ガッタスのライバル的立場は取って代わられるけれども、
これは誰にも取って代わることはできない。


kurumi03
敗軍の将、背中で語る
(クリックで拡大します)


そんなことを最近思いましたのですが。

斬られ役二題。
誤解を受けぬよう書いておくけど、私は小島くるみのファンである。
Profile
葉巻はVilliger
ブランデーはMary Blizard
座右の書はStefan Zweig
高価なものではなく
自分で択んだ素晴らしいものに
一徹でありたい

きくいちもんじ


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