みなさんこんにちは。
映画好き、暇人の菊次郎です。
映画「桐島、部活やめるってよ」は朝井リョウ原作、神木隆之介、橋本愛、東出昌大、大後寿々花らが出演した、吉田大八監督による青春群像劇ドラマです。

私が考える「桐島、部活やめるってよ」が面白い6つの理由を書いてみた。


1.非映画的高校生の演出
もしくは非村上春樹的若者の登場でしょうか。つまり「気の利いたことをいう若者」は出てきません。出てくる高校生が「この人たち居た」という演技・キャラクター・演出が成されているので、実に作り物っぽくないのです。この徹底ぶりには驚愕です。これがあるからこそ、「高校生」を体験してきた我々若者は物語に没入することが出来ます。

2.すべての「部」を描ききる
部活は大きく分けて「運動部」と「文化部」に分かれますが、両側面でしっかり描かれているので、この点でも物語に入り込みやすい構成をしてます。「運動部」の価値観や、そこに働く力学は「文化部」のそれとはまったく違うものです。逆もまたしかり。その点の描き分けがしっかりしており、ありがちなフォーカスされている側が両側面を統一する、いとったことも起こりません。こういった部分にもリアリズムがあります。

3.共通言語で描かれている
「1」と「2」では「高校生」を経験した人への面白ポイントとして書きました。しかし、これは現役高校生や高校を出た人だけが楽しめる、という意味ではありません。そこ楽しめるということです。なぜならこの映画は「共通言語」で徹頭徹尾創られています。それは、学校に世界を凝縮し分かりやすく描いているのです。そして世界を凝縮し描かれた「学校」は、我々の様々な段階に置き換えることが出来ます。高校、大学、社会人生活etc...「人間関係」や「人の考える価値観」といったことが描かれている本作は、メッセージに普遍性がありまさに「共通言語」です。そういった意味で、すべての世代が分かりやすく楽しめるという構造になってます。

4.学園ヒエラルキーと映画ヒエラルキーの対比
学園ヒエラルキーは、その学校の伝統・校風・偏差値によってさまざまだと思います。本作は地方の学力も部活も普通の共学高校です。ここでは学力・ルックス・恋人の居るいない+その恋人のランクによって、学園ヒエラルキーが決定します。ここでの頂点は文武両道の「桐島」であり、次点が「宏樹」といったところです。映画部で映画秘宝読者の「前田」や、引退時期が終わっても部活をしている「野球部部長」は学園ヒエラルキー下位に属しています。しかし映画的に観たらどうでしょうか。特に前田は映画ヒエラルキーの頂点です。もちろんこの物語の中では野球部部長も強者です。この対比が非常にメタ的な面白さを含んでおり、隠れた見所となっています。この部分はクライマックスのある演出で生きてきます。

5.クライマックスの半端じゃないカタルシス
クライマックスのカタルシスが非常にスマートかつ、燃える展開になっています。「4」との関係性ですが、このシーンで学園ヒエラルキーを映画ヒラエルキーが粉砕する一幕なのです。学園ヒエラルキー上位の人物たちが、下位の人たちに逆襲を受けることになります。この部分は様々な伏線の集大成となっており、ストーリーとしてもすべての集積地です。恐らく単純なストーリー展開に感じるはずですが、その実は非常に綿密に練られているのがここでわかります。

6.この映画を完成させるのは観客自身
クライマックスも終わり、少しシーンが続いてエンドロールです。この僅かなシーンにより、観客はふんぞり返っていられなくなります。最後のピース「宏樹( )」を我々観客が補完しなくては、物語は完結しません。( )の中には何が入るのか、宏樹はなぜ電話を掛けたのか、なぜ桐島は部活を辞めてしまったのか。これらを我々が議論や考察することで映画が完成します。

7.本当は宏樹が…!
神木隆之介君演じる前田は勿論重要人物ですが、宏樹も非常に重要な人物として描かれています。本当は宏樹が○○○なんです!
続きは私が様々な解説や、考察を話しています。是非お付き合いください。