鎌倉の世界遺産登録を考える

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。鎌倉の世界遺産登録をめぐる動きを追っています。

行政不信募らせる市長決裁(第三者委員会の小泉淳教授に聞く2)

(5月22日)「緑の洞門」開削工事のきっかけとなったのは、昨年夏に日本トンネル技術協会の報告書を基にした市長決裁でした。松尾崇市長は実際に作成にあたった第3者委員会の報告書を見て、それまでの柔軟な態度をガラリと変えてなぜ開削を決めたのか、そもそも委員会はなぜ開削を選択肢のひとつとして残したのか、洞門問題の最大の謎です。第3者委員会の委員の1人だった小泉淳・早大教授の見解を伺いました。
DSC03796開削工事着工と同時に休工となった緑の洞門(高木規矩郎撮影 2016.04.04)

 洞門が閉鎖された直後の昨年5月の小泉教授の調査では、「洞門は今すぐ閉鎖しなければならない状況ではない」「アーチ型に補強することも可能」といった結果が、6月1日の住民集会で報告されました。次いで6月末の調査にも参加され、その結果が中間報告、最終報告にまとめられて、「坑口補強+アーチ・パネル(透明型)工法」(小型車+歩行者)と「開削案」(2車線通行可)の2つの方策が残され、市長の判断にゆだねられていました。
以下は小泉教授の発言です。文中のカッコは高木の質問内容です。

≪松尾市長第三者委員会委員との面談≫
 (市長決裁に先立って市長は3人の委員と面談されたということですが、面談そのものが決裁に影響しているのではないのでしょうか)市長決裁の前に第三者委員会の委員と市長室で面談されました。その時は西村和夫委員長(首都大学東京教授)、真下英人さん(国土交通省国土技術政策総合研究所)と私がおりましたが、4人のうちもう1人の太田岳洋さん(鉄道総合技術研究所)はおられなかったですね。委員会はまだあるのだろうとおもっていたら、これで終わりですと言われました。委員の1人が欠席の状態で、何で結論が出てしまうのか、何となく納得できませんでした。

 決裁というのは公的な立場を表明するものですが、そのときは道路課の課長が「それでいいですね。委員長」と確認を求めました。それを受けて「市長そういうことで開削ということになりますが」と課長から市長の同意を求めるようなやりとりでした。市長は「うん分かった。開削だね」と応じていたように思います。私は「ちょっと待ってください」と言おうと思ったのですが、開削の必然性がちょっとおかしいと思いました。大体ストーリーはできていたみたいな感じで、「それじゃあありがとうございました」と言われ、「委員会これでおしまい?」といった変な感じがしました。

≪委員1人欠員30分の市長面談で結論≫ 
 全体で30分もなかったような気がします。委員長が説明をしてどれを道路課長が受けるということで、「市長やはり開削しかないみたいです」「あ、そう。じゃあそうしましょう」というイメージでした。(それで行政側にいわせれば、一応委員の先生方にも説明して納得いただいたということになるのでしょうか)でも委員の1人はいなかったわけですからね。私は何となくもやもやした思いでした。それで最終報告書までに何が変わるのかと思ったら(報告書が)出てきません。やっと出た最終報告書を見たら中間報告書とほとんど同じようなことだけで、ちょっとこれはねえと思いました。初めから中間報告書、最終報告書ができていたのではないかと思いました。

 私が委員長をやった時も「こういう方法でいかがでしょうか」というのはありますけれど、ただその通りではなくて、「これは気をつけなくてはいけないよ」とか、「ここのところはもう少し検討する余地があるよ」とか、「これは無駄だよ」といった話を委員会のときにはするんです。それにしても何かちょっと出来過ぎというか、そんな感覚を1回目から持ちました。その時には結論ありきだからこんなものなのかとは思いながら、これはちょっとひどいなという感じはしました。たくさんの委員会を見てきましたが、こんな委員会は初めてです。

(コメント)
 小泉教授も言っておられるように第三者委員会という公的な機関に属しておられる以上、その発言には何らかの自己規制がかかっているのでしょう。いいたいことも充分に言い尽くせず「自分でも歯がゆくなることもあります」とも言っておられました。そのことを踏まえた上でも第3者委員会に調査委託した鎌倉市に対する不信感が鬱積しておられるようです。発言はなるべく元のままで再現したいと思い、なるべく忠実に書き留めました。さらに原稿のチェックを依頼して、微妙な言い回しや行政批判のニュアンスなどをどうされるか指示を仰ぎました。文章のぎこちなさなどもあるかと思いますが、事情をよろしくご理解ください。

昭和レトロの遺産のまち(大船)と歴史・文化のまち(鎌倉)の共存をめざして

(5月21日)大船まつりの映画仮装パレードは快晴の15日、熊本支援をテーマに据えて賑やかに行われました。昨年の大船まつりでは松竹120周年を記念、「映画のまち大船」のまちおこしとして「寅さん」が仮装パレードの主役となりました。21日には鎌倉市役所から由比ガ浜にかけて第1回市民カーニバルの仮装行列が行われ、大船まつりの参加者もかけつけました。「映画のまち」と「歴史・文化のまち」がまつりを通して盛り上がりました。

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大船まつり開会式に集まった市民(高木規矩郎撮影 2016.05.15)

 大船まつりは熊本支援一色に染まりました。開会式では大船まつり実行委員長の田子祐司さんが大江一史・熊本市長から書簡が寄せられたことを紹介し、書簡の内容が読み上げられました。松尾崇・鎌倉市長と田子委員長が、「くまモン」のTシャツを着てパレードの先頭に立ち、続いて「熊本応援団」の市民は、「がまだせ熊本」「がんばれ熊本」など激励の言葉を掲げて行進しました。
チームサムライ画像3加藤清正を先頭に大船商店街を進む仮装パレード(チームサムライ提供 2016.05.15)

 熊本城を築いた戦国の武将加藤清正がパレード本体の先頭に立ち、今年の大船まつりのテーマを象徴していました。パレードを主催した市民団体チームサムライから熊本市に募金活動や支援イベントの報告とともに写真を送ったところ、秘書課からさっそく返信があり、「おまつりには10万人もの方々が参加されたとのことで大いに賑わわれたものと拝察し、大船まつりのご成功を心よりお喜び申し上げる次第です」と謝辞が寄せられました。

 熊本支援パレードの総合プロデューサーであるチームサムライ代表の大津定博さんは、映画仮装パレードについて「昭和レトロの遺産のまち大船」の伝統を受け継いでいくものにしたいとの夢を語っています。
 「大船といえば映画のまちです。映画にちなむパレードを伝統を担うものとして何とか続けていきたいと思っています。大船は映画と昭和レトロの庶民のまち、鎌倉は歴史と文化のまちと色分けして、お互いに共鳴しあうようになったらいいですね。そのためにも市民が楽しめるお祭りは大きな力となります。今年から始まった鎌倉の市民カーニバルと大船まつりのさらなる展開をみまもっていきたいですね」

(コメント)
 「市民不在」で挫折した「武家の古都・鎌倉」の将来を考えるとき、市民がこぞって楽しめるまつりの創成は重要な意味を持っていると思います。そのためにも大船まつりがなぜ10万もの動員力をもつのか、映画仮装パレード
へのチームサムライの挑戦の行方もからめて「大船の魅力」を考えていきたいと思っています。




「緑の洞門」で何が起きているのか(第三者委員会の小泉淳教授に聞く1)

(5月19日)「緑の洞門」開削工事は、着工直後からの休工が1か月半たった今も、現場での混乱が続いています。工事の決め手となった昨年夏の日本トンネル技術協会の報告書作成に関わった第3者委員会の早稲田大学理工学術院小泉淳教授に委員会で何があったのか聞いてみました。小泉教授の応援メッセージは、開削に反対する地元住民の心の支えになっています。
早稲田大学理工学術院で会見に応ずる小泉教授西早稲田キャンパスの研究室で会見に応ずる小泉教授(2016.05.06)
 保全に向けて柔軟な姿勢を見せていた松尾市長が、第3者委員会の報告書を見てなぜ態度を豹変させて開削を決めたのか。住民集会で差し迫った危機はないと言っておられた小泉教授をはじめ4人の専門家が加わる委員会は、なぜ開削を認めるような報告書を出したのかなどの質問に対する発言を詳報します。第1回は「第3者委員会での小泉教授の意見と報告書の結論の相違について」がテーマです。

≪結論ありきの第3者委員会≫
 はじめからこういう方向で処理をしたいという結論がなくはない状況でした。前に(問題の隧道を)切通にするのだという答申を出したサンコーコンサルタントが事務局をやっていました。形の上ではトンネル技術協会が事務局なのですけれども、その資料をコンサルが全部出していました。自分たちが出したのと反対の結論は出てこないというのが初めから分かっていました。もともと結論ありきだったように思います。

 何が何でも隧道は崩れないということではありません。東日本大震災級の地震が来れば、今何も手を入れないでも問題がないということではないでしょう。でも洞門の根元はしっかりしています。少し手を入れれば十分に耐えられるような構造にはなると思います。一般にどのような地震の場合にも絶対ということはないですね。相当な地震が来ても大丈夫なように若干手を入れるということです。それは可能だと思います。

≪岩盤の植生整備が必要≫
 岩盤の上に木が生えていて、木を切ってしまえばいいわけですが、根っこは毎年太ってきます。岩盤の間に入り込んだ根が太れば、どんなに硬い岩でも砕くことができます。それが一番の問題です。まずは木を切ること、根を枯らすことは簡単にできます。大きな地震がきても壊れないように、隧道の坑口をきちんとすることが必要ではないかと主張してきました。洞門を開削してしまわなければ危険という状態ではないというのが私の認識でした。

 第3者委員会が始まる前に洞門を見せていただいたときには、洞門の上に生えている木を切り,その根がこれ以上太らないようにしてから表土をかけるとして、アジサイなどで植生し直せば、根があまり入り込まないので、景観も維持できるのではないかと(住民説明会で)お話しました。このようにすれば皆さんが愛着を持つトンネルも守れるだろうというのが、昨年5月8日に最初に現地を見た時の印象でした。話は聞いていたし資料も送ってもらったのですが、やはり現場を実際に見てみないとわかりませんねということで出かけた次第です。

≪コンサルの言動に違和感≫
 洞門問題は随分前からあったという話なので、その時に切っておけば、全然問題にはならなかったのでしょうねと言ったような気がします。やはりトンネルを壊したいのでしょう。昨年6月25日の第1回目の委員会では、私はどういう方が実際にコンサルとして入っておられるのか分かりませんでした。委員会の後、懇談しました。そしたらサンコーコンサルの方だというので、ちょっと違和感を覚えました。

 委員会のあとで(とくに最初や最後)事務局を交えて懇談することは、なくはありません.第三者委員会の事務局の判断です。その場にコンサルがいることもあります。多くは第三者のコンサルです。前に答申を出しているコンサルが状況を一番よく知っているので、最初の委員会に来て「開削」に決めた経緯や計測されたデータなどを説明する、というのも問題ないように思います.しかしその委員会での資料や発言は、実情の説明だけではなく、何らかの方向性を示しているように感じられました。そのコンサルが飲みながらもそのような主張をされたことに違和感を感じたものと思います。

≪もやもや感残した行政≫
 3回ぐらいあるだろうと思っていた委員会は、7月17日の2回目が最後で、結論ありきみたいな形でした。委員会での指摘に対して、いろいろと対応して結論をまとめ、最後の委員会を開くのが普通なのですが、2回目の委員会が終わったあと市長がお見えになり、道路課の職員が結論として岩盤を切って開削すると述べて、「そういう風に決めましょう」ということになりました。2回の委員会でまだ問題がありそうなのに何で終わってしまうのかなという感じがしました。

 そのときは7月末までに報告書をだすということでした。8月になってどうなっているのかと事務局に聞いたら、急きょ最終報告書が出ました。ほとんど中間報告と同じもので、何かおかしいなと思いました。また委員は4人ですが,第2回目には3人しか出席していません。たった4人の日程調整ですので、なぜ3人の日に第2回の委員会を開いたのか、なぜ結論を出したのかもよくわかりませんでした。何となくもやもやした感じでした。

(コメント)
 小泉教授の発言は穏やかで丁寧な言い回しながら、第3者委員会での鎌倉市の対応には強い憤りをもっていることが伝わってきます。とくに❶初めから結論ありきの委員会の状況❷無視された岩盤の樹木伐採の要望❸委員会終了後に設営されたコンサルタントとの飲食❹報告書の遅れについては、「それ違うのではないのか」「何かおかしい」などと首を傾げておられました。委託を受けている第3者委員会にも疑問を残す行政の対応だけに、開削に反対する住民にはあの手この手で事実を覆い隠そうとしているのではないでしょうか。

ブルーフラッグの浜で大腸菌騒ぎ(由比ガ浜の国際認証3)

(5月16日)今年の海水浴シーズンからブルーフラッグ(BF)が掲げられることになった由比ガ浜が、時ならぬ大腸菌騒ぎで揺れています。稲村ガ崎の崖の一部が崩落し、国道134号の歩道下の下水圧送管が破損したため、下水を海に放流したことによるものです。鎌倉市では由比ガ浜での遊泳やサーファーの利用を控えるよう呼びかけています。BFの認証を決めたFEE Japanではシーズン前に3回の水質調査を義務付けていますが、とりあえず海への放流を押しとどめる関連工事がいつまで続くか、予測がつかない状態で、日本初、アジア初の認証という「美しい海」は風前の灯火です。
稲村ガ崎の崩落現場と仮送水管埋設工事稲村ガ崎の崩落現場(中央斜面)と送水管埋設工事(高木治恵撮影 2016.05.16)
≪稲村ガ崎の崩落事故≫
 鎌倉市によると崩落は4月14日に発生し、その後22日に鎌倉地域の約17,000世帯の下水を坂ノ下のポンプ場から七里ガ浜処理場に圧送管が破損しました。市では止むを得ず下水を消毒処理して海に放流しました。29日には仮設送水管を設置したものの、すべての量を送水できず、5月になっても送水できない下水を海に流しており、水質汚染を引き起こしています。

 圧送管の破損個所は管の下の地盤が不安定になっており、稲村ガ崎の崖が再度崩れる危険性が高いことから、破損した管を直ちに復旧できない状況です。現在現場では仮設の送水管を補強する工事とともに、本復旧に向けて全力で取り組んでいるとのことです。旧鎌倉の浄明寺、材木座、小町、由比ガ浜、長谷など15地区に対して海への放流を最小限に抑えるため、節水を呼びかけています。
水質汚染で閑散とした由比ガ浜閑散とした由比ガ浜(中央は大腸菌の汚染を伝える立て看板)(高木治恵撮影 2016.05.15)

≪大腸菌の検出≫
 市では長谷、坂ノ下地区から稲村ガ崎に至る歩道で、仮設送水管補強工事などを進めると同時に4月24日以降、由比ガ浜、材木座海岸の波打ち際や沖合12か所で水質検査を行ってきました。海水浴場水質判定の基準を越えるふん便性大腸菌群数は、放流口付近以外では検出されませんでした。しかし5月11日に滑川河口付近1か所で基準を越える大腸菌が検出され、騒ぎは大きくなりました。

 翌12日には大腸菌は基準値を下回りましたが、風向きや潮流の変化などの影響を受け、今後変動することも予測されています。市では念のため海水浴客やサーファーに海に入ることを控えてほしいと16か所の立て看板を臨時に立てて呼びかけました。15日の夕方、由比ガ浜にでてみました。日曜にもかかわらず、海に入っている人は1人もいませんでした。いつもは賑わうサーファーも見られない異常な光景でした。

≪どうなるBF認証≫
 日本初、アジア初のBFの認証を決めたFEE Internationalは、由比ガ浜に「条件」を突き付けていました。そのひとつが水質調査で「汚染について調べるために水質のサンプルを通常より多めに採取することを強く勧めます」との条件を付けていました。海開きが予定されている7月1日までに、条件についての回答をFEEの国際委員会に提出することを要請しています。

 鎌倉市は当然今回の大腸菌騒ぎにも触れざるを得ないでしょう。FEEがどのような判断を下すのかわかりません。FEE Japan(東京)に確認したところ、海水浴シーズンに青い旗が由比ガ浜に掲げられるかどうかは、事前に3回の水質検査が義務付けられており、その結果を踏まえて判断するとのことでした。日本遺産にも認定された鎌倉のプライドをかけて、突然降ってわいた大腸菌汚染に市は明確な対応を示してもらいたいものです。

(ブログ)坪井清足さん「鎌倉への遺言」

(5月15日)平城宮跡や飛鳥寺跡の発掘に関わった考古学者坪井清足さんが亡くなりました。坪井さんは鎌倉の世界遺産登録のきっかけになった暫定一覧表への記載の影の貢献者でもあり、鎌倉の文化遺産の現状についても率直な発言をされてこられました。鶴岡八幡宮直会殿での1996年10月5日の講演「奈良・京都・鎌倉の文化遺産の特質」での発言を基にまとめた坪井さんの「鎌倉への遺言」です。

 坪井さんは奈良国立文化財研究所(現在の奈良文化財研究所=奈文研)を経て文化庁文化財鑑査官、大阪府文化財調査研究センター、元興寺文化財研究所所長を歴任、99年には文化功労者に選ばれました。奈文研の松村憲司所長は「開発優先だった高度経済成長期に、開発者負担で事前に遺跡の有無を調査するなど、現在の文化財行政の全体構造を作った大恩人です」(読売新聞)と言っています。

 鎌倉とは主に市民団体「奈良・京都・鎌倉三都市民共同フォーラム」を通じて世界遺産がらみの発言を続けてきました。八幡宮での講演は「三都市フォーラム」と連携する「古都フォーラム鎌倉」(卯月文代表)の企画で行われ、坪井さんはイコモスの役割や登録の手順など世界遺産にかかわる総論のあとで、中世都市鎌倉を独自の視点で分析されております。

≪防衛都市≫
 武家政権のまちである鎌倉は、周りに防塁を巡らせています。切通で出入口を造りながらやったという意味で、大陸都市にも似た防衛都市であります。一番の特色の中世の防衛線について、昔の状況が分かるような保存について、部分的には私どもの先輩が苦労しました。けれどもそういうところがうまく表現されていません。若宮大路の釘貫(くぎぬき)という木戸などもどんな形だったのか、一か所ぐらい昔通りに作ってみたらいいのではないかと考えます。

 和賀江嶋を史跡に指定しようという時にも、うまく写真に写るようにと随分苦労した覚えがあります。海の側については防衛線がどうなっていたのか、海から水軍が攻めてくる時には、どんなことを考えていたのか分かりませんが、鎌倉には12世紀末から13世紀初めに防衛都市的なものが日本で初めて作られました。立て籠もるお城があっても、都市全体を防御するというのは鎌倉が日本では非常に珍しいという点で、鎌倉の特色をもう少し強調していただけたらと思います。

≪やぐら≫
 このごろは自然保護の方がうるさくて気が気でないのです。やぐらが植物の根によってどんどん崩壊していくことについて、何かいいキャンペーンの方法はないのでしょうか。やぐらの墓制というのは、起源的には7世紀から8世紀にかけて全国にあった横穴の伝統がやぐらにつながっているのではないかという気がしています。

≪御成小学校≫
 小学校の地下を深く掘ったら、奈良時代の役所の跡が出てきたことから、鎌倉郡というものがすでに8世紀ごろから存在していたことが明確になりました。そして地域の中心であったことは間違いないと思います。それが武家政治の中心になるというのは、大きな性格の変革で、それが防衛的な施設を巡らしたものだということは、日本の都市の流れの中での大きな意味合いをなすものと思います。

≪観光客≫
 二階堂の史跡の整備がもう少しはかばかしくいかないものかと考えていますが、整備ができても地元の協力が得られないということで、そこへの道路などの問題で多くの方が大変不便なことになるのではないかといった問題もあります。でも全国の人たちに鎌倉についてよりよく理解していただくためには、何か前向きな話ができないだろうかといつも考えています。

≪宗教都市≫
 貧しい人たちが鎌倉の周辺にたくさんたむろしていました。そういう人たちの生活をいくらかでも助けようと、日蓮のような新しい考え方で、庶民を取り込もうという宗教の人が来て説法をしました。忍性の場合なども現在で言えば福祉事業的なことをして、鎌倉に入れてもらえない人たちの救済を図るという新しい宗教の方向が出てきました。

 日本的な哲学というか、ものの見方というものを確立していくのと、宗教改革とが同時期的に起こる。そのひとつの中心が鎌倉にあったと言えるかと思います。日本の歴史のありようについて、今までの定説に縛られずに、広い目で見て鎌倉ではこういうことが言えるというようなことを、みなさんの中からもっと盛り上げていっていただきたいと思います。

≪史跡指定≫
 文化財の指定を受けると、規則があるからけしからんという話ではなく、文化財を活用するにはどうするかという視点で、もう少し前向きにいろんなことを考えていただくより仕方がないのではないでしょうか。一方であれだけ古都法の先頭に立って、一生懸命おやりになった鎌倉市が、いまや一番遅れて世界遺産登録できるかどうか、なんてことを言っておられるというから、釘が何本か抜けているのではないかという気がします。

(コメント)
  「何度か坪井さんにお会いするたびに、『鎌倉は今の行政のままでは世界遺産はダメだね』と言っておられました。暫定一覧表では率先して記載を支持するなど、鎌倉には並々ならないほどの愛着を示しておられただけに、先生の強い言葉に驚かされました。鎌倉が中世都市として存在するのなら、周辺の山の木は切って改めて再生を考えるべき放置していたら、いずれやぐらがダメになってしまうとも言っておられました」
 「古都フォーラム」の卯月さんはイコモス勧告が出る前の坪井さんの言葉をはっきりと覚えています。鎌倉はどこまで真剣に世界遺産登録に取り組むのか、坪井さんの厳しい言葉をばねにして新たな挑戦に立ち向かっていってもらいたいものです。

 約20年前の坪井さんの鎌倉での講演は、2012年1月に「奈良・京都・鎌倉の文化遺産の特質(坪井清足を読む)」のタイトルで1度、ブログ発信しています。ただイコモス勧告による「武家の古都」の世界遺産登録が挫折した後の醸成の変化を踏まえて読み返してみると、新たなメッセージが読み取れます。それを「遺言」としてまとめてみたものです。

条件付きのブルーフラッグ(由比ガ浜の国際認証2)

(5月12日)鎌倉の由比ガ浜海水浴場がFEE International(Foundation for Environmental Education:国際環境教育基金)によって日本初、アジア初の国際環境認証ブルーフラッグ(BF)取得を認められたものの、その認証に「条件」(日本の結果について)が付いていることがあきらかになりました。条件とは何なのか。対応によっては認証そのものが取り消されることもあるのか。ゴールデンウィーク明けに鎌倉市に届いた「条件」は、現実の由比ガ浜にゴミや海の汚れなどマイナス材料が残っていることを示していました。FEE報告書の内容(要旨)にコメントをつけました。
DSC_1115海開きの式典が行われた由比ガ浜(高木治恵撮影 2015.07.01)

≪日本の結果について(総論)≫
 (FEE報告)審査委員会では2つの申請サイトについて審査し、結果、鎌倉については国内審査委員会が認めなかったにも関わらず、国際審査委員会において、日本からの2つの申請サイトについて審査を受け付けました。このような措置は非常に例外的措置であることを、お伝えします。(コメント)(国内委が由比ガ浜の認証を認めなかったことは重要です。日本人委員は現地視察でマイナス面についてもより詳細に把握していたはずです。にもかかわらず国際委が認めたのは、初の日本・アジアでの認証ということでの政治判断なのでしょうか)

 鎌倉市が海水浴シーズンの開始前に基準を満たす努力をすることを了承していること、また日本においてBF認証が初めてであること、そしてFEE Japan理事から提出された嘆願書にある国内事情を考慮し、再度国際委にて審査することにいたしました。しかしながら、これは将来的に再び認められる措置ではないことを強調しておきます。(文字通り解釈すると、国際委の再審査で認証を却下することもあり得るようにも考えられます)

 FEE今後国内審査を進めるにあたり、来年以降は、国際審査に間に合うように候補地の申請書類を提出できるように締め切りを順守してください。また2017年の国内委のメンバーは国際本部より規定された各専門家をそろえるようにしてください。(国内委と国際委の評価の違いは、どうやら国内委からの書類の遅れにあるように読み取れます。それに国内委の構成も国際基準に達していなかったということでしょうか。日本側へのかなり痛烈な批判のように見受けられます)

≪詳細な環境整備と報告の要請(各論)≫
 (情報掲示板について)
 最終的な情報掲示板について、印刷をする前にその内容を国際委に送り、確認を取る必要があります。さらに国際委は日本のナショナルオペレーターに、BFサイトで使用される国内情報掲示板が、BFインターナショナルで許可されている定型に沿った国際基準と同じデザインの物が使われるように要請します。

 (海水浴場のゾーニングについて)
 高浜と鎌倉の海岸について海水浴場の各アクティビティエリアの区切りについて、海水浴シーズンにはライフセービングの団体としっかりと協働し、特別に注意を払い、必要であればエリアの区切りについて修正することが求められます。

 (ビーチでのリサイクルシステムについて)
 鎌倉のビーチに関しては、海岸でのリサイクルを利用者に確実に伝え、利用者が使用するビーチの入り口に必ずリサイクルの分別箱を設置してください。

 (BFビーチでのキャンピング規制について)
 国際委は鎌倉市に対し、BFの基準に従って、海岸でのキャンピングの法令を定め、利用者に対する法規や規制を公示することを求めます。

 (BFビーチのバリアフリー対策について)
 国際委は鎌倉市に海水浴シーズンまでに、障害者が海水浴場および障害者用トイレにアクセスできるように整備することを求めます。

 (安全リスク評価の実施について)
 国際委は鎌倉市に2016年の海水浴シーズンに、安全リスク評価の実施を遂行することを強く求めます。

 (海の家および汚染水の監視について)
 国際委は海の家に於いては、環境に良い製品を使うことを要請し、海水に汚染水が入らないよう徹底した対策を行うことを求めます。この夏の状況をきちんと調査し、翌年には、この問題についてのデータを国内委と国際委に提出する必要があります。また鎌倉市はブルーフラッグ取得後5年以内に、海の家からの排水をすべて下水道処理できるよう整備することを要請します。

 (水質について)
 国際委は鎌倉市が規定内でのサンプリング除外申請を適応したことについて、特例を認めます。通常この特例は海水の水質サンプルが4年に渡って問題がなかった場合に認められています。海岸責任者はBFのルールに基づいて、汚染について調べるために水質のサンプルを通常より多めに採取することを強く勧めます。最後に夏の海水浴シーズンの開始前(7月1日)までに、上記の全ての書類を国際委に提出することを要請します。

(コメント)
 鎌倉市のBF担当者に国際委から送られてきた「条件」について、感想を聞いたところ「条件といっても一般論に近く、あまり厳しい内容ではなくほっとしています」と言っていました。だが実際に内容をチェックしてみると結構厳しいもので、BFの却下すら考えられるような文面もありました。今年の夏から環境整備などであわただしい対応を迫られそうです。市は今回のBF認証を理想的なビーチに向けての「第一歩」と受け止めています。初志を忘れないように由比ガ浜に代表される鎌倉のビーチづくりを進めていってもらいたいものです。

パレード引き立てる一通の書簡 

(5月11日)第13回大船まつりでの映画仮装パレードの実施に先立って、熊本地震の被災地を訪れたパレードを主催するチームサムライ代表の大津定博さんのもとに、大江一史・熊本市長から直々の書簡が届き、パレードへの感謝の気持ちを伝えてきました。これまでは昨年の松竹120周年記念行事としての開催の後だけに中心テーマをどうするか思いあぐんでいましたが、「熊本応援」を表面に掲げての開催となりました。そこへ大江書簡が届いたもので、主催者側は「大船と熊本が直接つながった」と沸き立っています。
熊本地震②屋根瓦の大半がずれ落ちた熊本城(大津定博さん提供 2016.05.04)
  「大船まつりが、地域の皆様の連携のもと、盛大に開催されますことを心よりお喜び申し上げます。熊本はこのたび、予測もしない大きな地震に見舞われましたが、その一方で、全国各地から心のこもったご支援の数々をいただいております。このような中さらに、今回のおまつりでは、様々な形で、熊本への応援をいただくと伺い、遠く鎌倉の地の皆様から、そのような温かいご支援を賜りますことを大変心強く感じますとともに深く感謝申し上げる次第です。本市は、これからも、皆様からのご支援を力にして、全市一丸となって、復興への歩みを進めてまいります。結びに大船まつりが、触れ合いに満ちた素晴らしいものになりますことを心から祈念申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます」

 書簡を受け取った大津さんは、「現地では復興の激務の最中に、わざわざ大船まつりの真摯な姿勢を汲んで頂き、お手紙を頂く事になったと思います。素晴らしい事です。一方通行ではない、相互交流となりました。大船まつりは、熊本被災地復興を前面に打ち出します。パレードが行われる15日まで残すところわずかとなりました。頑張りましょう!」と市民や近隣からの200人の仮装パレード参加者やチームサムライの仲間にエールを送っていました。

 大津さんは大船まつりの前のゴールデンウィーク中にボランティアとして1人で熊本に行きました。滞在中に大江市長に挨拶しようと思って、市役所に行きました。市長に会うチャンスがなかったので秘書課の課長に会い、大船まつりで全面的に支援する母体として「熊本応援団」を作って、パレードの中心に据えるとの計画を伝えました。さらに武家の古都鎌倉は同じ武士の鏡である加藤清正に寄り添う存在でありたいと考えを述べたところ、とても感謝されたとのことです。

 大江市長からの書簡は大津さんにとっても、全くの想定外のことでした。復興に向けて忙殺される状況下で、秘書課長からの報告を受けて感謝の書簡をしたためるという行為自体も貴重なものです。大船まつり実行委員長の田子祐司さんが、15日午前9時半からの開会式で大江書簡を披露し、その書簡が持つ意義を伝えることにしています。

 松尾崇・鎌倉市長と田子委員長は、「くまモン」のTシャツを着てパレードの先頭に立ちます。熊本支援の演出も着々と整ってきました。高知県の「土佐いごっそう」、青森県の「津軽 じょっぱり」と並んで「肥後もっこす」は、日本の三大頑固と呼ばれ、熊本の県民性を現す言葉として良く使われます。「頑固ではあるが一度信頼関係が作られれば裏切らない」(大津さん)という心映えを示す書簡が取り持って、仮装パレードは大いに盛り上がることでしょう。

熊本大地震と大船まつり仮装パレード

(5月7日)第13回大船まつりが15日開かれます。昨年は「映画のまち大船」を取り戻そうと「寅さん」を主役にした映画仮装パレードがまつりを盛り上げました。今年はどうしようかと考えていた時に熊本大地震で、「被災地支援のパレードにしよう」総合プロデューサー大津定博さん(大船まつり実行委員会副委員長)の頭にひらめきました。大津さんは思いを確かなものにしようと被災地熊本に駆けつけました。
2016映画仮装パレードちらし
 さっそく熊本支援構想が4月末、主催のチームサムライ(大津代表)映画仮装パレード委員会でも激論が交わされました。「復興支援のためのパレードだということをアピールしよう」ということで、パレードの構成が協議の中心テーマとなりました。「鎌倉女子大のマーチングバンド、松尾崇市長に大船まつり実行委員長の田子祐司さん、その次に熊本応援団、そしてパレード本体いうところ」と大津さんが議論をまとめました。

 市長、委員長らがご当地キャラ「くまモン」のTシャツを着て、人気のぬいぐるみも登場することになりました。鎌倉女子大・短期大学部の学生有志が結成した「熊本地震募金プロジェクト」のメンバーもパレードに加わって、復興支援を呼びかけます。プラカードは鎌倉女学院の中高校生ら20人が持って歩きます。「被災地を励まそうというイメージは十分だね」とチームサムライのメンバーも納得していました。

 東京の大手銀行員でもある大津さんは、ゴールデンウィークを利用して熊本に入りました。被災者の家族を優先させたいとして飛行機ではなく、新幹線で現地入りし熊本では宿泊施設が取れないので二日間、博多から通いました。熊本城は石垣と屋根瓦が崩れ落ちて、無残な姿をさらしていました。地元の初老は「加藤清正の造った石垣だけは壊れなかったし、唯一現存する宇土櫓だけはほとんど無傷でした。さすがですたい」と自慢していたとのことでした。

 大津さんは「創設以来400年、遺産の価値は私達が思う以上に重要ではないかと感じました。北鎌倉の緑の洞石垣が崩れ落ちた熊本城門も同じです。古いものを見直していかなくてはなりません」と言っています。市内のどこからも見える熊本城の破損で市民の落胆は大きかったものの、熊本市民の思いは強固でした。それだけにパレードでは加藤清正も熊本応援団のキャラのひとつとして登場することになりました。

 大船まつりは映画仮装パレードが初参加した昨年の来場者は約7万5000人で、今年はさらに上回りそうです。パレード参加者も昨年の160人に対して今年は200人がすでに参加を申し込んでいます。パレードが加わったことで、相乗効果でまつりの人気も確実に高まっています。昨年は松竹120周年記念、今年は熊本大地震と仮装のテーマも何とか決まりましたが、長く続けていくためにはパレードの基本理念を決めるべきでしょう。
石垣が崩れた熊本城(大津定博撮影)
 
 大船まつりの仮装パレード、由比ガ浜の恒例行事となっているビーチフェスタ、一部で始まった鎌倉カーニバルと別個に動いていた市民のエネルギーを市民まつりとして結集しようという動きが具体化しつつあります。5月22日に初めて行われる市民まつりには、仮装パレードが再現されます。大船まつりと鎌倉まつりを一本化して大鎌倉まつりを実現しようという動きもあり、市民まつりはその第一歩となるかも知れません。

開削工事休工1か月の現実(「緑の洞門」消える景観5)

(5月4日)4月4日の開削工事着工以来1ヶ月たった北鎌倉駅裏「緑の洞門」では、着工と同時に休工となった異常事態が続いています。地元住民組織「緑の洞門を守る会」は、ゴールデンウィークにも連日午前9時から正午までホームのフェンス越しに乗降客に洞門の保存・安全対策を訴えています。「守る会」の報告メールが伝える動きを基に着工1ヶ月の洞門の現状をお知らせします。
テレビ取材を受ける住民(画像)TBSの取材を受ける住民(「緑の洞門を守る会」提供 2016.04.13)
≪休工の背景≫
 鎌倉市都市整備部道路課が本来必要な協議・許認可の手続きを怠っていたことが判明し、休工を余儀なくされました。❶開削しようとする現場が第二種風致地区にかかっているための事前協議、❷県指定の急傾斜地崩壊危険区域であるための県の土木事務所の許可、❸宅地造成等規制法の許可などの手続きが行われていなかったのです。さらに❹円覚寺と雲頂庵の土地の造成がらみで、住民側は宗教法人法違反での告発に踏み切り、行政側に追い打ちをかけました。

 行政側からは4月14日付けの市議会議員への説明文書、4月15日付の関連町内会への「平成27年度北鎌倉隧道安全対策工事(市道434-046号線)について」という文書がだされましたが、そこには4月7日付けで住民側が横浜地裁に提出した「建築工事禁止仮処分命令申立」のせいで工事が滞っているかのような文面が見られます。住民側は「役人自らの責任を回避し、ごまかす卑劣な言い逃れ」と行政に対する不信感を募らせました。26日には本訴にあたる「北鎌倉隧道開削工事公金支出など差止請求」で横浜地裁に提訴しました。

≪抗議を続ける地元住民≫
 洞門が閉鎖され、通行禁止となってから1年、ようやく開削の工事着工で動き出したと思ったら、直後の休工措置で工事が1か月ストップし、ゴールデンウィークの真っただ中にもかかわらず「緑の洞門を守る会」などの現地住民の見守りによる抗議活動が続いています。北鎌倉構内の横須賀線乗降客に向けての立て看板によるアピールを行い、さらに観光客にフェンス越しに直接チラシを手渡して洞門の閉鎖、開削の矛盾を懇切丁寧に説
明しています。


 洞門問題が表面化してから神奈川新聞が住民サイドの目線で詳しく報道してきました。また洞門開削の工事着工➡休工という異常事態になってからは、TBSテレビ「噂の東京マガジン」で放映され、朝日新聞では宮代栄一・編集委員(朝日新聞社東京本社・文化くらし報道部・文化担当、史学の博士)の取材で、特集記事「鎌倉の尾根削るか残すか」が掲載されました。とくにテレビを見た多くの観光客が現場を訪れて、見守り住民を激励する光景が見受けられました。

 どうやら風向きが変わったのでしょうか。道路課職員が「これは工事ではない」と強弁して無理矢理着工した仮囲いが取り除かれ、薫風が洞門を吹き抜けました。ゴールデンウィーク中、洞門前に臨時改札を設けたJRから一時的に撤去してほしいとの要請があったためとのことです。「このまま洞門を見れるよう、通れるようにしてくれないか」と住民が要望したものの、鎌倉市の指示だからとして工事着工前の封鎖状態に戻されてしまいました。報告メールは「業者の斉藤建設も、法令・許認可無視の鎌倉市行政のでたらめにふりまわされ困っているようで
す」と伝えています。


≪有識者・学者が文化庁長官に申し入れ≫
 開削工事の休工の間に住民の見守り活動などと連動して、洞門の保全を求める動きが加速しています。先月26日には「円覚寺結界遺構の保全と活用を求める専門家有志一同」の有識者・学者が29名の連名で、鎌倉市長・神奈川県知事・文化庁長官に対し、「あらためて円覚寺西側結界遺構の保全を求める申入書」を提出しました。次いで「守る会」では28日、共同代表(鈴木一道、出口茂)名で松尾崇市長に対し、「通行禁止1周忌にあたり 洞門の即事封鎖解除・通行権を求める要望書」を手渡しました。


≪分岐点の洞門開削≫
 4月7日には洞門に接する地権者が、鎌倉市・齊藤建設に対して「建築工事禁止仮処分命令の申し立て」をしました。その第一回目の「審尋」が、15日横浜地裁で行われ、開削・破壊側の弁護士が、裁判官から工事が始まっていない理由を問われると、市側の手続き不備には触れず、あたかも住民の見守り活動によって工事ができていないと印象付ける態度をとられたようです。裁判官が理解できないような態度を見せると、市都市整備部次長より市側の手続きに時間がかかっているとの説明がありました。

 風致条例や宅地造成等規制法にかかわる手続きの不備を指摘され、対応を迫られていることを示した証言と思われ、1か月の休工期間中に行政側の体質が次々に暴露されている感じです。果たして表面化した課題は思惑通りクリアされるのでしょうか。休工期間がさらに延長を迫られたり、新たな課題が浮上することも否定できない状況です。洞門開削問題は重要な分岐点にかかっているといえます。

旧鎌倉図書館にみる木造建築物の保存

(5月2日)西洋建築史研究の第一人者で「古い建物を見る目」を広く普及させてこられた横浜国立大学名誉教授吉田鋼市さんは4月末、「図書館とともだち・鎌倉」などの主催で開かれた講演会(鎌倉生涯学習センターホール)で、御成遺産(御成小学校講堂と旧鎌倉図書館)の保全について語りました。とくに後半では山手総合計画研究所代表の建築家菅孝能さんとともに会場からの質問に答え、木造建築の保全管理について理念と対応をあげました。2人は昨年5月、建築専門家による旧図書館調査の中心メンバーとして陳情書を提出し、鎌倉市が保存に向けて舵を切るきっかけになりました。講演会の要旨をまとめました。

御成遺産講演会
会場からの質問に答える菅さん(左)と吉田さん(2016.04.23)
≪宮大工の技を結集した建築(吉田名誉教授)≫
 御用邸があった地に建てられ、今小路通りの良好な景観を構成しています。昭和戦前期の鎌倉の大工では、ダイマン(石渡万吉)、ダイイク(三橋幾蔵)、モトキチ(三橋元吉)、ナオキチ(三橋直吉)、セキ(咳藤助)と呼ばれる5人組に蔵並長勝と桜田工務店を加えて戦前の主な施工業者として知られていました。御成小は宮大工の流れをくむ鎌倉大工が総出でかかわったといわれます。
 
 旧図書館も御成小との関わりが大きかったのではないでしょうか。建長寺、円覚寺、覚園寺大工との関係は不明ですが、鎌倉大工の技術が宮大工とのかかわりで育まれたのではないかと思います。御成小講堂の構造・構法は洋風ですが、妻飾りに懸魚と大瓶束を備えた入母屋の大屋根、2か所に設けられた宝形屋根の大きな塔屋、外壁小壁の舟肘木、入母屋屋根の玄関、内部の格縁天井などに和風意匠が見られます。御用邸跡を意識したと思われます。

≪瞬間的に消滅を図るのは犯罪(吉田さん)≫
 今あるものは残さないと後になって失敗したということになりかねません。ある年数立たない限りは単なる施設でも60~70年たって本当に味のある建物になります。何十年かけて残された味が、瞬間的に消えるのは犯罪です。建物は使わないといけません。保存が決まった旧図書館も博物館にしておけば意味があるでしょう。もう少しい市民が積極的に使える日常的な場所にするのが一番いいと思います。

 形を変えての保存ではいみがありません。いろいろな方法やレベルを考えると千差万別ですが、ピンからキリのピンは修理しながら使うことです。火災になったら、壊れたものをどうするかで、いろいろ考え方があるでしょう。費用の問題、需要の問題もあり材料を変えることもありおかんがえると99.00%から100%までの差をどのように考えるか。批判も簡単ですが、残すことも簡単です。柔軟に対応していくことが大切です。

≪子どもの家としての活用(菅さん)≫
 木造の建物の改良はやむを得ません。防災上は戦前の建物なので十分ではありません。材料の吟味が必要になってきます。「子どもの家」として活用し、御成小講堂の方は教室不足に備えるというのが市の考えです。学校施設だけでなく、市民も利用できるようにしてほしいという希望も出ています。シンポジウムとかパブリックコメントを聞いて活用を考えています。社会的寿命を考えると用途そのものも変わってきます。

≪まとえ=和田安弘・図書館とともだち・鎌倉代表≫
 人には途切れることなく生きてきたもの、時が変わっても変わらぬものが必要です。環境、自然、まちなみ、建築などです。戦乱のヨーロッパの人たちは、変わらぬものの大切さを自覚し、古いものを壊してはいけないと考えています。その点、日本人の意識は低いですね。吉田先生の話をお聞きして古い建物を保存して引き継いでいくことが、生きる上で必要だということを改めて気づかせてくれました。

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