ジャーナリストの取材ノート(鎌倉)

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。世界遺産登録挫折に続く鎌倉の歴史まちづくりの真実を探る。

JICAのパレスチナ難民救済活動(難民キャンプ拡大)

JICAとパレスチナ難民❸

パレスチナ難民救済事業はパレスチナ自治政府の難民問題局にJICAがその理念について働きかけてきた。これが新たなプロジェクトのきっかけとなった。JICA事務所のスタッフが現地での住民集会に立ち会い、直接意見を聞いたケースも結構多かったと聞いている。私の感想ではあるが、難民の側からすれば外国人のサポートが目に見える状態にあるということでもある。 

 

 キャンプに内外の関係者がやって来て自分たちの活動を視察したり、メディアに取り上げられたりするなど、プロジェクトの評判があがってくることで、キャンプ改善計画(CIP)実現に向けてのモチベーションになっているようにも見える。たとえば東京のJICA本部から出張者が来た際には、積極的にキャンプ内を案内し、胸を張って自分たちの活動をアピールし、その成果が認識されることで次の活動へのモチベーションをさらに高めていく。

 

プロジェクトの[フェーズ1]は3カ所の難民キャンプを対象に実施したが、2020年から始まった[フェーズ2]では、同様の活動を12の難民キャンプへ拡大することになっていた。新型コロナウイルス感染症の影響を受け、〔フェーズ1〕で対象とした難民キャンプを含め、予定よりもCIP策定の活動が遅れているが、プロジェクト実施に要する資金のための無償資金協力を供与するなど、さらにCIPの実施を推進していく予定である。

 

これまではパレスチナ自治政府内の限られた予算により、CIPはあっても実施できないものがいくつかあった。活動のインセンティブを高めるためにさまざまな支援を検討している。プロジェクトで推進しているCIPの実施のためには、無償資金協力だけでは資金が不足する見通しである。そこでJICAからだけではなく、クウェートとかサウジアラビアなど湾岸諸国のドナーから直接資金を調達する仕組みを作りたいと思っている。



 JICAとパレスチナ難民❹

JICA20209月から4年計画で「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクトフェーズ2」に取り組んでいる。西岸の3カ所のキャンプで実施した集会所の改修、公園の環境改善など「フェーズ1」の実績を「フェーズ2」で12カ所の他のキャンプに広げ、湾岸諸国からのドナー確保を図った。だがプロジェクトは予期せぬ障害で修正を余儀なくされている。

 

「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクト」の対象は、ガザではなく西岸のパレスチナ難民キャンプである。このプロジェクトにおいてはUNRWAが難民と認定している人々を対象としている。ガザの方が西岸よりも難民人口は多いが、カウンターパートである難民問題局(DoRA)の活動状況など、さまざまな背景により現状プロジェクトの対象としてガザは外している。

 

 ガザ向けの支援をしていないということではない。学校建設や医療機材の供与、最近ではコロナのワクチン接種関係の機材を供与するといった無償資金協力事業をガザを含めて実施している。また技術協力では教育や保健医療分野の協力などがあり、ガザ・西岸双方で実施している。JICAの対パレスチナ支援が開始された1993年からガザ・西岸の双方を対象にプロジェクトを実施しており、ガザを特別に除くようなことはなかった。
 

 イスラエルと独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する二国家解決の方向に向かって自立できるように、JICAは難民に限らずさまざまな分野でのパレスチナ支援を行っている。難民キャンプ改善プロジェクトのように、西岸のパレスチナ難民が支援対象であるプロジェクトもあるが、難民ではない住民への支援も実施している。

 

 パレスチナでの事業の実施においては、ヒト、モノのパレスチナ域内への移動がイスラエルにより管理されていることから、イスラエルとの調整が不可欠である。事業に必要な資機材がパレスチナに持ち込まれる前に、長期間留め置かれることもある。とくにガザは反イスラエル武装闘争を続けるイスラム原理主義組織ハマスに対する警戒からイスラエルの管理が厳しく、事業実施の制約が非常に大きい。

 

 たとえばガザにいるパレスチナ人に西岸でのセミナーや研修に参加してもらうためにはイスラエルの通行許可が必要だが、その取得は非常に困難である。またイスラエルが武器転用の可能性があるとして、ガザ域内への持ち込みを禁じている資機材は非常に広範囲に渡るため、支援内容はそれに影響されない範囲にとどまらざるを得ない。ガザの経済状況、住民の生活環境等は西岸よりもさらに厳しく、支援の必要性は高いので、制約が大きい中で実現可能な方法、内容を模索し支援を続けてきた。



JICAとパレスチナ難民❺

 JICAが支援の対象にしているのは、主に自治区のパレスチナ難民だが、自治区外のパレスチナ難民も排除していない。自治政府との関係はJICAとしては密におこなっている。それがJICAの活動のベースになっている。プロジェクトの範囲では、将来的に難民問題局が住民の生活環境改善を活発化させて、資金を確保することができるようにしたい。そこに向けて引き続き活動していくことがプロジェクトの範囲での将来像といえる。


 難民プロジェクトの実施にあたって日本人の専門家は9人、うち5人が出張ベースでパレスチナで活動している。JICAはこの専門家の人件費や現地でのセミナー等の開催費用を支出している。プロジェクトのキャンプ改善計画についての資金はJICAから大きな支援を行うということはなかった。しかし、2020年に難民キャンプ改善のために10億円の無償資金協力が決定され、住民が作ったキャンプ改善計画の実施費用に活用されることが期待されている。

 

 中東各国にはパレスチナ難民への資金援助や技術協力を行う機関がある。ただし難民へのサポートは国連のUNRWAがやっていると各国では認識されており、各国独自に難民支援を行っているというケースはあまりない。JICAの場合はUNRWAのキャンプの中で活動しており、UNRWAと調整しながらプロジェクトを実施している。JICAパレスチナ事務所(ラマッラ)の職員が、実際に西岸とガザの難民キャンプに行ってさまざまな活動を行うことはある。

 

 JICAによる支援は、政府高官から現場の難民のところまで伝わっているのではないかと思う。中東地域全般での話だが、日本は「政治的関心が少ない」と思われているようで、そういう意味でも非常に受け入れられやすいところがある。中東のほとんどの国で言えることだが、一般のパレスチナ人の日本に対する印象は非常にいい。

JICAのパレスチナ難民救済活動(住民参加の強化)

JICAとパレスチナ難民
 パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクトは包括的な住民参加を強化することから始めた。難民キャンプの管理や自治は住民委員会が主体となり行っていた。住民委員会は一般的に成人男性が主な発言権をもっており、女性や若者の意見を十分反映していないことが以前から指摘されていた。そこで女性や若者など、それまでコミュニティに意見を表明する機会がなかった難民もメンバーに含めた「キャンプ改善フォーラム」(
Camp Improvement Forum、略称CIF)という組織をつくり、いくつかのキャンプでCIFの組織活動をパイロット的に展開した。

 

CIFは住民のニーズに基づく「キャンプ改善計画」(Camp Improvement Plan、略称CIP)をキャンプごとに策定し、実際に実施することで、自らの手でキャンプを改善していった。パレスチナ側でプロジェクト実施を担当する難民問題局(Department of Refugee Affairs、略称DoRA)が自治政府の部局として作られた。DoRAは難民キャンプ住民たちの活動をサポートし、活動を活性化するようなインターベンション(仲介)の訓練をしたり、DoRAの職員として来日し、自治体による住民活動のサポートの取り組みなどを実体験した。


始動したキャンプ改善計画 

具体的な改善活動は集会所の改修、公園の環境改善、モスクのバリアフリー化などの例がある。活動の経過の中で見えてきたのは、「自分たちでやれることがあるのだ」というキャンプ住民の声であった。プロジェクト当初、住民の中には「何もよくなることはない」と絶望感を抱き、将来への希望が持てないといった反応も見られた。

 

自分たちの活動の中で実になることがあるということが、大きなモチベーションとなり、自分も生活環境の改善に貢献しているという自信や、将来への希望を感じているようだった。女性や障害者、若年層等を含むキャンプ内のさまざまな住民からそのように感じることができた。これが数年間にわたるパレスチナ難民支援活動を通して出てきた発見であったといえる。

 



サクラが咲いた

 36日、日曜日の昼間は快晴で、「花の寺」として親しまれている長谷寺はちょうどサクラが満開。ピンク色の河津桜が目を引いた。わが家では娘が撮ってきた「長谷寺のサクラ」をめぐってサクラ談義が一気に花開いた.
長谷寺のサクラ❶
         長谷寺の境内を彩る河津桜(22.03.06  大江美浦撮影)

 

 長谷寺の境内では河津桜が目についた。一般的なサクラの品種であるソメイヨシノに比べて開花の時期が早い早咲き桜のひとつ。花は大きめで濃いピンクが特徴である。1月中旬から1月末にかけてコフク(子福)ザクラ、2月中旬に開花する河津桜に次いで、3月中旬から4月上旬には長谷寺ではソメイヨシノ、シダレザクラが順に咲く。

 

 心が躍ってインターネットで地元のサクラのことをにわか勉強でいろいろと学んだ。家の近くでサクラが次々に咲く環境を大事にしたいと思う。鎌倉のサクラのことを東京の旧友に知らせて一緒に散策したいものだが、一昨年、昨年に続くコロナ禍である。今年もモヤモヤ感を抱えながら、また長谷寺での妻と二人だけの静かなお花見となった。

八十坂を越えて(あいつぐ救急車出動の師走)

80歳、人生節目の1年の瀬戸際に立ち、健康面では何とか無事に乗り切れそうだと淡い期待を胸に師走を迎えたはずだった。12月なかば何の前触れもなく食事中と入浴中の意識消失が立て続けに起き、気が付いたら妻が付き添い救急車で湘南鎌倉病院に運ばれていた。5日の間隔をおいての救急車出動を要請、八十坂(やそざか)の危険な現実に直面しながら、お互いの健康を気遣いながら妻と一緒に生きていることの運命的な意味を否応なく思い知らされた。

 

平穏ではない健康履歴

 私の健康履歴は決して平穏なものではなかった。19945月の夕方、取材でフロリダに行き、メキシコ湾に面したペンサコーラの白い砂浜を散策していた時ふらっとした。脳梗塞の最初の兆候だった。翌朝手足が思うように動かなくなり、とりあえず妻の勧めでホテルの近くにあった総合病院で集中治療を受け、2週間の入院となった。救急搬送用のベッドで飛行機に乗り、駐在していたニューヨークに戻り、半年ほど仕事を離れ治療に専念した。

 

 その年の暮、仕事復帰してロサンゼルスに飛び、空港からタクシーで街に出ようとした時、

高速道路で大型トラックの側面にぶつかり大破、妻ともども顔面を強打して血だらけになったこともある。帰国後の201911月に脳梗塞の再発で左手脚にマヒが残った状態のまま現在に至っている。

 

 

昨年12月には八十坂の厳しい現実に直面した。8日午後9時過ぎ、妻、娘、孫娘とともに食事をしていた。私は突然意識が薄れテーブルに突っ伏した。妻が大きな声で「グランパ、グランパ」と叫びながら口に残っていたご飯がのどにつまらないようにかきだそうとしているのが、無声映画の画面をみているようにゆっくり動いた。気がつくと救急車に運ばれ、湘南鎌倉病院に着いた時には意識は回復していた。

 

点滴をしてCTスキャンをとり、2時間ほど病室のベッドに横になって意識が正常になるのをみて、「一時的な失神」との医師の診断で3人でタクシーで帰宅した。次いで13日午後10時前、入浴中にまたもや意識が薄れ、ズブズブと体が湯舟に沈みかけた。異変を知って妻が衣服を着たまま飛び込み、救急隊員が到着するまで首を支え続けていたようだ。体を毛布でくるんで救急車に運びこまれ、ようやく意識を取り戻した。

 

妻はあわてて救急車に乗ったため、濡れたままの靴をひっかけてきたことに気づき、「5日前にあなたの口を開けようとしていた時にかまれた跡よ」と右手の親指の爪に残った黒い二個の出血の跡を見せてくれた。濡れた冷たい靴も生々しい傷跡も、夫の突然の異変に妻が無意識のうちに反応した咄嗟の行動だったことを示した。

 

2件の事故は一瞬タイミングがずれたら、命取りになりかねない大ごとだった。ご飯が口の中に残っていたら気管支をつまらせることになっていたかも知れないし、発見が遅れたら、浴槽に沈んでいたかも知れない。脳梗塞のリハビリ中で要注意の体調だったため、妻が浴室を開けてのぞきにきてくれていたことで命を救われた。老人の一人暮らしだったら致命的な騒ぎになっていたはずである。

 


 

JICAのパレスチナ難民救済活動(ユダヤ人国家建国で難民流出)

 JICAとパレスチナ難民 

 2021年10月26日以来80歳になった精神的不安定に加え体調を崩し、10年を越えるブログの発信が途絶えた。この間パソコンの操作も忘れてしまったようで、指先が思うように動かない。リハビリを兼ねて貯めてきた原稿をよちよち発信する。独立行政法人国際協力機構(JICA)がパレスチナ難民に特定した救済活動を始めてから5年。パレスチナ自治区で十数年にわたり難民救済にかかわってきた中東・欧州部中東第二課の吉川正紀課長に聞いたJICAの救済活動とパレスチナ難民の現状である。

 

難民支援の現状

パレスチナ難民支援前線本部であるJICAのパレスチナ事務所はヨルダン川西岸のラマッラにあり、日本人スタッフとパレスチナ人スタッフがパレスチナ向け支援にあたっている。周辺のイスラエルからのロケット砲攻撃など国境問題をかかえたガザ地区には出張所があり、パレスチナ人スタッフが勤務しており、日本人スタッフが出張してガザへの支援を続けている。

 

 1948515日のイスラエル建国(国際連合のパレスチナ分割決議に従ってユダヤ人国家の建国を宣言)で、居住地を追われた住民はパレスチナ難民と呼ばれた。UNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)によって認定された難民は、当初は70万人程度だった。パレスチナ難民キャンプに限らずパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸・ガザ地区)の市街地にも住んでおり、第3世代、第4世代まで子孫が増え600万人を超えた。

 

JICA1993年のオスロ合意でイスラエルを国家、PLO(パレスチナ解放機構)をパレスチナ自治政府として相互承認して以降、パレスチナに対して直接的な支援を行ってきたが、2016年からパレスチナ難民に特化した救済事業が始まった。パレスチナ難民が生まれてから約70年が経過し、インフラの劣化など難民キャンプ内の生活環境が劣悪なものになっており、何らかの対応を迫られていた。

 

新たなプロジェクトの模索

JICAはパレスチナ政府関係機関とパレスチナ難民自身が主体的にキャンプの改善に取り組んでいく必要があるという問題意識のもとで具体策の検討を重ねた。難民キャンプはあくまでも一時的な居住環境であり、生活環境の改善はキャンプへの定住促進に繋がる可能性もあるとキャンプ改善に疑問を持つ住民やドナーもいた。

 

2016年にプロジェクトが始まったのは、難民キャンプの生活環境などの視察、パレスチナ自治政府や住民との対話を通じて、支援の必要性が確認されたためである。例えばJICAのラマッラ事務所のスタッフにも難民がいるが、当時は難民キャンプに住んでいたそのスタッフからも生活環境を改善したいという声を直接聞いていた。そうした難民の声を聞き、可能な支援を模索してきた結果、プロジェクトの実施に繋がった。(つづく)

 


JICAとパレスチナ難民❷
 パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクトは包括的な住民参加を強化することから始めた。難民キャンプの管理や自治は住民委員会が主体となり行っていた。住民委員会は一般的に成人男性が主な発言権をもっており、女性や若者の意見を十分反映していないことが以前から指摘されていた。そこで女性や若者など、それまでコミュニティに意見を表明する機会がなかった難民もメンバーに含めた「キャンプ改善フォーラム」(
Camp Improvement Forum、略称CIF)という組織をつくり、いくつかのキャンプでCIFの組織活動をパイロット的に展開した。

 

CIFは住民のニーズに基づく「キャンプ改善計画」(Camp Improvement Plan、略称CIP)をキャンプごとに策定し、実際に実施することで、自らの手でキャンプを改善していった。パレスチナ側でプロジェクト実施を担当する難民問題局(Department of Refugee Affairs、略称DoRA)が自治政府の部局として作られた。DoRAは難民キャンプ住民たちの活動をサポートし、活動を活性化するようなインターベンション(仲介)の訓練をしたり、DoRAの職員として来日し、自治体による住民活動のサポートの取り組みなどを実体験した。

 

具体的な改善活動は集会所の改修、公園の環境改善、モスクのバリアフリー化などの例がある。活動の経過の中で見えてきたのは、「自分たちでやれることがあるのだ」というキャンプ住民の声であった。プロジェクト当初、住民の中には「何もよくなることはない」と絶望感を抱き、将来への希望が持てないといった反応も見られた。

 

自分たちの活動の中で実になることがあるということが、大きなモチベーションとなり、自分も生活環境の改善に貢献しているという自信や、将来への希望を感じているようだった。女性や障害者、若年層等を含むキャンプ内のさまざまな住民からそのように感じることができた。これが数年間にわたるパレスチナ難民支援活動を通して出てきた発見であったといえる。

 


JICAとパレスチナ難民❸

パレスチナ難民救済事業はパレスチナ自治政府の難民問題局にJICAがその理念について働きかけてきた。これが新たなプロジェクトのきっかけとなった。JICA事務所のスタッフが現地での住民集会に立ち会い、直接意見を聞いたケースも結構多かったと聞いている。私の感想ではあるが、難民の側からすれば外国人のサポートが目に見える状態にあるということでもある。 

 

 キャンプに内外の関係者がやって来て自分たちの活動を視察したり、メディアに取り上げられたりするなど、プロジェクトの評判があがってくることで、キャンプ改善計画(CIP)実現に向けてのモチベーションになっているようにも見える。たとえば東京のJICA本部から出張者が来た際には、積極的にキャンプ内を案内し、胸を張って自分たちの活動をアピールし、その成果が認識されることで次の活動へのモチベーションをさらに高めていく。

 

プロジェクトの[フェーズ1]は3カ所の難民キャンプを対象に実施したが、2020年から始まった[フェーズ2]では、同様の活動を12の難民キャンプへ拡大することになっていた。新型コロナウイルス感染症の影響を受け、〔フェーズ1〕で対象とした難民キャンプを含め、予定よりもCIP策定の活動が遅れているが、プロジェクト実施に要する資金のための無償資金協力を供与するなど、さらにCIPの実施を推進していく予定である。

 

これまではパレスチナ自治政府内の限られた予算により、CIPはあっても実施できないものがいくつかあった。活動のインセンティブを高めるためにさまざまな支援を検討している。プロジェクトで推進しているCIPの実施のためには、無償資金協力だけでは資金が不足する見通しである。そこでJICAからだけではなく、クウェートとかサウジアラビアなど湾岸諸国のドナーから直接資金を調達する仕組みを作りたいと思っている。



 JICAとパレスチナ難民❹

JICA20209月から4年計画で「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクトフェーズ2」に取り組んでいる。西岸の3カ所のキャンプで実施した集会所の改修、公園の環境改善など「フェーズ1」の実績を「フェーズ2」で12カ所の他のキャンプに広げ、湾岸諸国からのドナー確保を図った。だがプロジェクトは予期せぬ障害で修正を余儀なくされている。

 

「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクト」の対象は、ガザではなく西岸のパレスチナ難民キャンプである。このプロジェクトにおいてはUNRWAが難民と認定している人々を対象としている。ガザの方が西岸よりも難民人口は多いが、カウンターパートである難民問題局(DoRA)の活動状況など、さまざまな背景により現状プロジェクトの対象としてガザは外している。

 

 ガザ向けの支援をしていないということではない。学校建設や医療機材の供与、最近ではコロナのワクチン接種関係の機材を供与するといった無償資金協力事業をガザを含めて実施している。また技術協力では教育や保健医療分野の協力などがあり、ガザ・西岸双方で実施している。JICAの対パレスチナ支援が開始された1993年からガザ・西岸の双方を対象にプロジェクトを実施しており、ガザを特別に除くようなことはなかった。
 

 イスラエルと独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する二国家解決の方向に向かって自立できるように、JICAは難民に限らずさまざまな分野でのパレスチナ支援を行っている。難民キャンプ改善プロジェクトのように、西岸のパレスチナ難民が支援対象であるプロジェクトもあるが、難民ではない住民への支援も実施している。

 

 パレスチナでの事業の実施においては、ヒト、モノのパレスチナ域内への移動がイスラエルにより管理されていることから、イスラエルとの調整が不可欠である。事業に必要な資機材がパレスチナに持ち込まれる前に、長期間留め置かれることもある。とくにガザは反イスラエル武装闘争を続けるイスラム原理主義組織ハマスに対する警戒からイスラエルの管理が厳しく、事業実施の制約が非常に大きい。

 

 たとえばガザにいるパレスチナ人に西岸でのセミナーや研修に参加してもらうためにはイスラエルの通行許可が必要だが、その取得は非常に困難である。またイスラエルが武器転用の可能性があるとして、ガザ域内への持ち込みを禁じている資機材は非常に広範囲に渡るため、支援内容はそれに影響されない範囲にとどまらざるを得ない。ガザの経済状況、住民の生活環境等は西岸よりもさらに厳しく、支援の必要性は高いので、制約が大きい中で実現可能な方法、内容を模索し支援を続けてきた。



JICAとパレスチナ難民❺

 JICAが支援の対象にしているのは、主に自治区のパレスチナ難民だが、自治区外のパレスチナ難民も排除していない。自治政府との関係はJICAとしては密におこなっている。それがJICAの活動のベースになっている。プロジェクトの範囲では、将来的に難民問題局が住民の生活環境改善を活発化させて、資金を確保することができるようにしたい。そこに向けて引き続き活動していくことがプロジェクトの範囲での将来像といえる。


 難民プロジェクトの実施にあたって日本人の専門家は9人、うち5人が出張ベースでパレスチナで活動している。JICAはこの専門家の人件費や現地でのセミナー等の開催費用を支出している。プロジェクトのキャンプ改善計画についての資金はJICAから大きな支援を行うということはなかった。しかし、2020年に難民キャンプ改善のために10億円の無償資金協力が決定され、住民が作ったキャンプ改善計画の実施費用に活用されることが期待されている。

 

 中東各国にはパレスチナ難民への資金援助や技術協力を行う機関がある。ただし難民へのサポートは国連のUNRWAがやっていると各国では認識されており、各国独自に難民支援を行っているというケースはあまりない。JICAの場合はUNRWAのキャンプの中で活動しており、UNRWAと調整しながらプロジェクトを実施している。JICAパレスチナ事務所(ラマッラ)の職員が、実際に西岸とガザの難民キャンプに行ってさまざまな活動を行うことはある。

 

 JICAによる支援は、政府高官から現場の難民のところまで伝わっているのではないかと思う。中東地域全般での話だが、日本は「政治的関心が少ない」と思われているようで、そういう意味でも非常に受け入れられやすいところがある。中東のほとんどの国で言えることだが、一般のパレスチナ人の日本に対する印象は非常にいい。

ガザの「戦争」に焦点(オンライン交流授業❷)

(10月25日)関東学院六浦中学・高等学校(横浜市)の高校とガザの学生をオンラインで繋いだオンライン交流授業では、パレスチナ側が常にさらされているイスラエル側からの空爆など攻撃について横浜の学生から質問があいついだ。「戦争」を知らない日本の若者の関心を集めたのであろう。オンラインで見た授業のあらましである。
インティファーダ(1089年2月)ガザ取材❸
ンティファーダ燃えさかるガザで住民を力づくで連れ去る治安要員(1989年2月ガザ取材の時、パレスチナ赤新月社から入手)

(ピースとは)
 関東学院の高校生が「あなたたちにとってピース(平和)とはどういうことか?」と聞くと、ガザ側から「われわれは外に出て自由に動き回ることができない(こうした状況をピースといえるか)」、「パレスチナとイスラエルの2国家が共生できれば、双方が平和に暮らすことができるはずだ」などの回答があった。

 「国境でイスラエル側がわれわれの動きを監視しているので、ガザから出られない」
 「freedom of movement(行動の自由)が圧倒的に制限されている」
 ガザの若者にとっては檻の中に押し込められたような現状は、到底ピースとはいいがたいのであろう。

(ハマスの評価)
 イスラム原理主義ハマスは1987年末にガザで発生したインティファーダ(パレスチナの蜂起)がパレスチナ全域に拡大したとき、武装闘争によるイスラム国家樹立を目的として活動をはじめた武装組織である。ハマスはロケット砲撃を繰り返し、イスラエル側は「テロリスト」としてガザ領内への報復を続けてきた。

 横浜の高校生からはオンライン交流の前に学んだのかハマスについての質問も多かった。これに対してガザの高校生の発言とは思えない感情を抑えた冷徹な分析が目立っていた。
 「暴力は全面的に支持しているわけではないが、私たちを守ってくれるのはハマスである」
 「ハマスとイスラエルはお互いに自分たちの権利を守るために防衛しているだけだ」
 横浜もガザの若者たちも交流授業が「戦争」に終始するとは、思ってもいない展開だった。

(交流を通して感じたこと)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
オンライン交流授業を通してみて感じたのは、❶関東学院とガザ側の高校生の英語力の差が大きく、議論を深めるのは難しい状況だった❷ガザの4人はJICAパレスチナ事務所の現地職員の子弟という恵まれた環境で育った。ガザの一般のパレスチナ人だったら恐らく授業は別の展開を見せたかも知れない。ガザの若者の人選にちょっぴり不満が残った。
でも現実に行われているイスラエルとの「戦争」や占領政策について語るという願ってもないチャンスだった。オンライン交流授業に参加した若者たちがどんな印象を持ったのか。議論に参加した関東学院の高校生たちに聞いてみたいと思った。

ガザと関東学院六浦の中高校生オンライン交流授業❶

(10月25日)関東学院六浦中学・高等学校(横浜市)の高校 1 年生 23 人とパレスチナのガザの学生 4人をオンラインで繋ぐ交流授業が国際協力機構(JICA)のサポ ートで22日に開催された。6月には都立小石川中等教育学校とのオンライン授業が実施された。開発途上国の実情と日本との関わりを伝えるJICAの出前講座の一環として行われた。過去に筑波大附属中が3週連続で授業をしたことがあったので、授業の回数ではなく、これまでに参加した学校の数をカウントしたものである
オンライン交流❶交流授業が行われている関東学院六浦の教室(オンライン画面より)

●オンライン交流❷ガザから参加した4人の学生(オンライン画面より)

 ガザは長年イスラエルの経済封鎖下にあり、人やモノの移動の自由が制限されている。今年 5 月の空爆では医療機関も被害を受け死者 256 人、負傷者 2000 人以上(国連人道問題調整事務所)が出るなど、状況はますます厳しくなっている。さらに新型コロナウイルスの感染者も増加しており、パレスチナにおけるワクチン必要回数接種済人数は人口の 15%に留まっている。

(パレスチナの若者とのオンライン交流)
  パレスチナの 10 代の若者はどのような厳しい状況で暮らしているのか?彼らの目に日本はどのように映っているのか?日本の高校生にガザの同世代の若者の声を届けることで、相互理解の促進を目指せるのではないかというさまざまな背景で、今回のオンライン交流に期待が寄せられた。グローバルに活躍するためには英語力に加え、さまざまな課題を自ら考え解決するコミュニケーション力が欠かせないと関東学院六浦は多彩なプログラムを提供してきた。

 2021年度にスタートしたGLE (Global Learning through English)クラスでは、高い英語力だけでなく、日本語での書く力、探究力の3つの力をつけることをめざした。このクラスに3年間在籍することで、自分の強みと弱みに気付き、どのように社会に貢献できるかを考える。そしてその理想に対して誠実に向き合い、学びに没頭し、自分軸を確立していくことができる。オンライン交流はまさにGLEクラスの教育理念を結集したものだった。

(JICAの出前講座)
 出前講座は❶国際協力について❷日本の援助(ODA)やJICAの事業について❸開発途上国での暮らしや活動体験などについて講座を開き、開発途上国の実情と日本との関わりを伝え、同じ地球に暮らす市民として途上国の問題を自らの問題として捉え、自分にできることを考え、自発的に行動する姿勢を促すことを目指すものである。JICAが紹介する講師は、青年海外協力隊、シニア海外ボランティアなどいずれも国際協力の現場で活躍してきた人材である。 講座では現場でのさまざまな経験に基づく生きた体験談を提供する。途上国ってどんなところ?どんな人々がどんな暮らしをしているのだろう? なぜ国際協力が必要なんだろう? といったさまざまな疑問、関心に沿って授業の準備がなされた。

 22日のオンライン交流授業では国境でイスラエル兵が目を光らせている国境の状況など生活にかかわる一般的な質問もあったが、「空爆はどう思ったか?」の質問にはガザ側から「私たちはまったく安全が保障されていないと思った」との中高校生とは思えないしっかりした回答があった。イスラム原理主義ハマスの「テロリズム」については「パレスチナのテロに反発しているだけだとイスラエルに言い訳させている」と専門家並の回答だった。

 オンライン授業には、私も視聴を申し込んだ。当日の授業では参加者と申込者の画像が画面にならんでいた。外部からの申し込みは私だけで、画面を見る限り他の申込者はなかったようだ。関東学院六浦といえばエリート校として知られる。英語がぎこちなくても何とか質問がとぎれることがなかったのはよかったと思う。英語が達者でなくても何とか進行すればいい。すぐに助けを求められる教師が近くにいることがよかったのかどうか考える必要があるかもしれない。(次回で交流授業の模様を送ります)(つづき)

心を癒やすちいさな日常の生活(ニューヨーク通信❾)

(10月8日)108日付の「週刊NY生活」で編集長三浦良一さんは、眞子様と小室圭さんの結婚とニューヨークでの新生活について編集後記で現地の空気を取り上げている。日本での誹謗中傷から逃れて、「楽しい会話とちいさな日常のしあわせがあれば、傷ついた二人の心を癒してくれるだろう」とニューヨーカーの心情を伝えている。
●●結婚支えるちいさな幸せ眞子様の結婚伝える10月8日付「週刊NY生活」1面

ニューヨーク通信

秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんが1026日に結婚すると1日に宮内庁から正式発表があり、米メディアも相次いでこれを取り上げました。1日付ニューヨークタイムズ紙電子版は、「おとぎ話ではないお姫様の結婚」と題した東京電の記事を大きく掲載しました。「眞子さまを責めることはできないが、馬車に乗って国民からの祝福を受ける機会もなく、お二人のご成婚に国民の多くの賛同が得られていない」と報じています。同紙は1965年に朝日新聞が報じた島津貴子さん(昭和天皇の5皇女で天皇徳仁・秋篠宮文仁親王《眞子さまの父親》の叔母)のワシントンDCでの海外生活についてのインタビューを紹介。滞米生活を振り返って、日米での生活を比較して最大の変化はと聞かれ「大勢の人前に出ること

もなく、静かに平和に暮らすことができたこと」と応えた記事を紹介、NYタイムズ紙は、眞子さまのNYでの新生活が、日本での誹謗中傷から脱出(エスケープ)し、静かで平穏な生活になるだろう」と結んでいます。

 

NY在住30年の邦人男性(60代)は、本紙の取材に「皇室を離れて一般人になるのだから、こちらで静かに生活してもらえたらなという気持ちが一番。上皇の孫娘とはいえ、一般人と結婚するのだから静かに見守るということに尽きるのが基本的な考え方。天皇家のことが芸能ネタのように取り上げられるのは行き過ぎ。本当にそっとしていくのが一番だ。安全に平和に暮らすことを静かに見守っていたい」と話しています。婚約発表に沸く祝福ムードに水をかけた3年前の小室さんの母親と元婚約者との金銭トラブルの問題。日本の週刊誌の執拗な報道などの情報が入ってくるにつけ、闇の深さに気が重くなるばかりですが、好きで結婚を望む2人を止めることは親はもちろん何人(なんぴと)たりともできません。

 

であるならば、結婚ということに関しては、2人の幸せを見守るというのが一番良いのではないか。法律に違反していなければ罰せられることはないし、結婚することによって皇室から離れ、眞子さまから眞子さんになった後はもう、個人の自由です。今までの生活では、公邸料理人がいたので、眞子さまがご自身で料理をしたりすることがあったのかどうかは存じあげませんが、愛する人に作った手料理を美味しいねと言って夫が笑顔で食べた時の喜びを眞子さまにはしみじみと味わっていただきたい。楽しい会話とちいさな日常の幸せがあればきっとニューヨーク生活は傷ついた二人の心を癒してくれるに違いありません。きっといつかは君のパパも許してくれる。だから、グッドナイトベイビー、じゃなかった、それでは、みなさん、よい週末を。

 

中東でのパレスチナ難民救済の実態(吉川正紀・中東二課長に聞く❹)

(10月6日)パレスチナ難民救済事業についてのインタビューでJICAの吉川正紀・中東二課長は、10数年にわたりパレスチナで難民にかかわり、救済活動を担ってきた体験に基づいてパレスチナ難民の現状とJICAの難民救済活動の実態について語った。「パレスチナとイスラエルの二国家解決に向けた協議が進めば難民の状況は少しは緩和されると思っていたが、実際には和平交渉は進んでいない」として難民救済を通してみた政治的な感触を提示した。

    ベドウィンのテント(ヨルダン川西岸)❶
             ヨルダン川西岸のベドウィンのテントでの話し合い(JICA提供)

【中東と世界各国のパレスチナ難民救済機関】
 中東各国にはパレスチナ難民への資金援助や技術協力を行う機関がある。ただし難民へのサポートは国連のUNRWAがやっていると各国では認識されており、各国独自に難民支援を行っているというケースはあまりない。JICAの場合はUNRWAのキャンプの中で活動しており、UNRWAと調整しながらプロジェクトを実施している。JICAパレスチナ事務所(ラマッラ)の職員が、実際に西岸とガザの難民キャンプに行ってさざざまな活動を行うことはある。

 国連唯一の食料支援機関UNRWA傘下での活動ということで、その拠出金をつかってUNRWAがやっているプロジェクトに協力しているか、あるいは資金を受けているNGOなどがどれくらいあるかは不明。どのような機関と協力関係にあるのかは、UNRWAの組織内の話で調べようがないということもある。

 パレスチナ難民以外では、たとえばシリア難民やウガンダ・ザンビアにいる難民、また直近ではミャンマー北西部ラカイン州からバングラデシュ南東部の地域に暮らし、古い歴史を持つ民族でラカイン州からの避難民などへの支援を検討している。こうした難民に対する支援というのもJICAの支援対象だと思っている。

【パレスチナ難民の生起】
 1946年6月1日から1948年5月15日のイスラエル建国の当初、居住地から追われた人たちをパレスチナ難民と呼び、人口は70万人程度であった。彼らは難民キャンプに限らずパレスチナのまち中にも住んでおり、第3世代、第4世代まで子孫が増加し、600万人近くまでになっている。

 ちょっと政治的な話になるかも知れないが、当初は期間限定の仕組みとしてできたはずだった。ところがその後ずっと解決を見いだせずに今に至っている。私(吉川)の理解だが、オスロ合意がパレスチナとイスラエルの二国家解決の実現に向けて、大きな期待をされている状況にあるが、実際のところ和平交渉は進んでいない。最近ではアメリカのトランプ政権がイスラエル寄りの政策であったことも影響し、二国家解決に近づいているという実感はない。

  二国家解決に向けた協議が進めば、難民の状況も少しは緩和される方向と考えられていたのではないかと思う。現状では一般論としてパレスチナの人たちもインティファーダ(パレスチナの蜂起)をやっていたころと比べると、あきらめ感があるように思うし、難民にとってみればどこに向かっているのかといった感情があるのではないか。彼らにとっては自分たちでコントロールできる要素がない中で生活していて、どこに前向きな希望を見出されるのかというような難かしい状態なのではないかと思う。


【パレスチナでのJICAの活動ヘの認知度】
 プロジェクトの対象となっている難民はよく知っていると思う。また自治政府の多くの政府高官も知っていると思う。たとえばパレスチナのアッバス大統領が来日した際にJICA理事長との会談に同席したが、末席の私(吉川)ともしっかりとした握手をしてくれた。理事長と二人での写真撮影をしようとすると、「全員入れ」と声をかけてくれたのを忘れられない。

 JICAによる支援は、政府高官から現場の難民のところまで伝わっているのではないかと思う。中東地域全般での話だが、日本は「政治的関心が少ない」と思われているようで、そういう意味でも非常に受け入れられやすいところがある。中東のほとんどの国で言えることだが、一般の人たちの日本に対する印象は非常にいい。

【インタビューを終えて】
 日本国民にパレスチナ難民の現状を少しでも広く伝えたいというのがかって中東にかかわっていたジャーナリストの役目だと思うのだが、今はマスコミ自体が難民に限らずパレスチナについて語るのを紙面で見るという機会がだんだん少なくなってきている。

 気候変動対策、脱炭素化の動きもあり、中東の石油への依存が少なくなってきており、中東への関心が集まりにくくなっている。それが紙面にも表れているのだろう。アメリカにとっての中東、とくにイスラエル・パレスチナ関係への重要性が相対的に下がっていると言われており、マスコミでもパレスチナ或いはパレスチナ難民の記事が少なくなっている。

JICAガザ抜きのキャンプ改善プロジェクト(吉川正紀・中東二課長に聞く❸)

(10月4日)国際協力機構(JICA)は、2020年9月から4年計画で「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクト・フェーズ2」に取り組んでいる。西岸の3か所のキャンプで実施した集会所の改修、公園の環境改善など「フェーズ1」の実績を「フェーズ2」で12か所に増強した他のキャンプに広げ、湾岸諸国からのドナー確保を図った。だがガザはプロジェクトの対象にはなっていない。JICA中東二課長の吉川正紀さんとのインタビューによるプロジェクトを通してみたパレスチナ難民の現状である。
      ガザの露天商❶
                 ガザの露店で果実を売る八百屋(JICA提供)
【プロジェクトの対象は西岸のみ】
  「パレスチナ難民キャンプ改善プロジェクト」の対象は、ガザではなく西岸のパレスチナ難民キャンプである。このプロジェクトにおいてはUNRWAが難民と認定している人々を対象としている。ガザの方が難民人口は多いが、カウンターパートであるパレスチナ自治政府の難民問題局(DoRA)の活動状況など、さまざまな背景により現状プロジェクトの対象としてガザは外している。

 ガザ向けの支援をまったくしていないということではない。学校建設や医療機材の供与、最近ではコロナのワクチン接種関係の機材を供与するといった無償資金協力事業を実施している。また技術協力でも教育や保健医療分野の協力などはガザ・西岸双方を含めて実施している。JICAの対パレスチナ支援が開始された1993年からガザ・西岸の双方を対象にプロジェクトを実施しており、その中でガザを特別に除くようなことはなかった。

 イスラエルと独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する二国家解決の方向に向かって自立できるように、JICAは難民に限らずさまざまな分野でのパレスチナ支援を行っている。難民キャンプ改善プロジェクトのように、西岸のパレスチナ難民が支援対象であるプロジェクトもあるが、難民ではない住民への支援も実施している。難民キャンプ改善プロジェクトでは、ガザは対象に含まれていないが、その他のプロジェクトではガザも対象になっているものもある。

【ガザに対するイスラエルの厳しい管理体制】
 パレスチナでの事業の実施においては、ヒト、モノのパレスチナ域内への移動がイスラエルにより管理されていることから、イスラエルとの調整が不可欠である。事業に必要な資機材がパレスチナに持ち込まれる前に、長期間留め置かれることもある。とくにガザは反イスラエル武装闘争を続けるイスラム原理主義組織ハマスに対する警戒からイスラエルの管理が厳しく、事業実施の制約が非常に大きい。

 たとえばガザにいるパレスチナ人に西岸でのセミナーや研修に参加してもらうためにはイスラエルの通行許可が必要だが、その取得は非常に困難である。またイスラエルが武器転用の可能性があるとして、ガザ域内への持ち込みを禁じている資機材は非常に広範囲に渡るため、支援内容はそれに影響されない範囲にとどまらざるを得ない。ガザの経済状況、人々の生活環境等は西岸よりもさらに厳しいが、支援の必要性は高いので、制約が大きい中で実現可能な方法、内容を模索し、支援を続けてきた。

【JICA対パレスチナ難民支援の将来】
 「難民キャンプ改善プロジェクト・フェーズ1」で3つの難民キャンプに対して実施してきたことを、「フェーズ2」のプロジェクトでは西岸の他キャンプに広げようとしている。これは難民問題局の人たちが自力で活動を継続できるというのが目標であり、さらには他のドナー資金を始めとするさまざまな資金を自分たちで調達できるようになってほしいと思っている。その目標に向けて難民問題局職員の能力強化と住民活動の活性化が必要である。
 
 難民問題局というのは主にパレスチナ自治区のヨルダン川西岸とガザのパレスチナ難民を対象にしている。ただもとはPLOの機関であるので、自治区外のパレスチナ難民も排除していない。それが私たちの活動のベースになっている。今プロジェクトの範囲では、将来的に難民問題局が住民の生活環境改善を活発化させていき、また資金を確保することができるようにしたい。そこに向けて引き続き活動していくことがプロジェクトの範囲での将来像といえる。
 
 日本人の専門家は9人、うち5人が出張ベースでパレスチナで活動しているが、JICAはこの専門家の人件費や現地でのセミナー等の開催費用を支出している。これまでプロジェクトの中で住民が策定したCIPの実施資金はJICAから大きな支援を行うということはなかった。しかし昨年(2020年)に難民キャンプ改善のために10億円の無償資金協力が決定され、住民が作ったCIPの実施費用に活用されることが期待されている。(つづく)

プロフィール

高木規矩郎

昭和16年、神奈川県三浦三崎生まれ。読売新聞海外特派員としてレバノン、イタリア、エジプト、編集委員としてニューヨークに駐在。4年間の長期連載企画「20世紀どんな時代だったのか」の企画編集に携わる。のち日本イコモスに参加、早稲田大学客員教授として危機遺産の調査研究に参加。鎌倉ペンクラブ、鎌倉世界遺産登録推進協議会に参加、サイバー大学の客員教授として「現代社会と世界遺産」の講義を行う。

【著書】
「日本赤軍を追え」(現代評論社)
「パレスチナの蜂起」(読売新聞社)
「世紀末の中東を読む」(講談社)
「砂漠の聖戦」(編書)(講談社)
「パンナム機爆破指令」(翻訳)(読売新聞社)
「ニューヨーク事件簿」(現代書館)
「20世紀どんな時代だったのか」全8巻(編集企画)(読売新聞社)
「20世紀」全12巻(編集企画)(中央公論新社)
「湘南20世紀物語」(有隣堂)
「死にざまの昭和史」(中央公論新社)

《写真撮影と景観からの視点》
写真は妻の高木治恵が担当します。特派員時代からアシスタントとしてインタビュー写真などを撮ってきました。現在は「鎌倉景観研究会」で活動しています。

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