鎌倉の世界遺産登録を考える

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。鎌倉の世界遺産登録をめぐる動きを追っています。

世界遺産再挑戦担う4県市委員会

(1月19日)再挑戦を掲げて鎌倉の世界遺産登録への準備がゆっくりとしたペースで進んでいます。イコモス勧告で「不記載」とされた基本コンセプト「武家の古都・鎌倉」の推薦に向けて主導的な役割を果たしてきた「神奈川県・横浜・鎌倉・逗子市世界遺産登録推進委員会」(4県市)が、2013年5月末にコンセプトの取り下げを決定して、今も再挑戦の主役を担っています。4県市の動きを追ってみました。

≪4県市委員会設立のいきさつ≫
 2002年2月考古・歴史・都市計画などの専門家によって設置された「鎌倉市歴史遺産検討委員会」が2004年「武家の古都・鎌倉」のコンセプトを決めました。次いで検討委は中間報告書「武家の古都・鎌倉 ~鎌倉における歴史的遺産の普遍的な価値について~」をまとめ、2007年7月に設立された4県市の「世界遺産一覧表記載推薦書作成委員会」に引き継がれ、推薦書案として議論を重ねました。

 4県市は世界遺産登録を目標に実質的な取り組みをしてきました。❶登録候補となる歴史的遺産の国指定文化財としての登録、保存管理計画の策定、バッファゾーンの確保など登録に向けた基礎的条件の整備❷レベルの高い推薦書案の作成のため、文化庁とともに国際的コンセンサスの形成を目的とした4回にわたる国際会議の開催❸文化財保護ポスター事業、国際会議に併せたフォーラムの開催、遺跡展「発掘された武家の古都・鎌倉」の実施など成果をあげてきました。

 こうして2012年1月に政府から推薦書(正式版)がユネスコに提出され、9月にイコモスの現地調査が行われました。ところが2013年4月末に「不記載」とのイコモス勧告が公表されました。4県市は5月27日、世界遺産の推薦を取り下げる方針を決定したのに続いて、6月4日には国が「武家の古都・鎌倉」の推薦を取り下げました。次いで新たなコンセプトや構成資産を検討するため、イコモス勧告の検証、分析を行ない、1年後の2014年6月に報告書「武家の古都・鎌倉に対するイコモス勧告の検証について」をまとめました。

≪再挑戦での4県市委員会のかかわり≫
 勧告の検証で4県市では、再挑戦について「比較研究を中心に基礎的な調査研究を充実させる必要など課題が顕在化するとともに、再推薦がより現実的なものとして、その道筋もより明確になってきたのではないかと考えている」(報告書の「今後の方向性」)としています。分析に基づいて4県市は「鎌倉」の価値を見直そうと、2014年から3年間、比較研究の調査研究を実施し、その成果を連続講座「鎌倉の文化財、その価値と魅力~比較研究から見えたもの~」として中間報告してきました。

 報告内容は「禅宗寺院」から「禅宗様建築」、「大仏」、「やぐら」、「神社」と多岐にわたり、国内類似資産や中国、韓国などとの比較研究の成果を市民県民に向け報告しました。2月11日には生涯学習センターで総括的な比較研究報告を行うとともに、社寺関係者や国内学識者等を招いてパネルディスカッションを行います。イコモス勧告以降の4県市の活動はめざましいものがあります。その延長線上で世界遺産再挑戦もようやく軌道に乗ってきたように思えます。

≪違和感残す4県市の介在≫
 県教委生涯学習部文化遺産課の福田美子課長は、「武家の古都の推薦を取り下げましたが、4県市では引き続き鎌倉の世界遺産登録を目指して取り組みを継続しています。2014年から現在に至る3年間は、主に鎌倉の価値を改めて確認するため、文化財の比較研究を中心とした基礎的な調査研究を実施しています。イコモス勧告への対応を検討した 結果、4県市では一体となって鎌倉の世界遺産登録に向けて、積極的に取り組んでいくことを確認し、国に対して支援や早期の再推薦の実現を要請するなど取り組んでいるところです」と現状を分析しています。

 次いで鎌倉市の桝渕規彰・歴史まちづくり担当部長(4県市事務局長)は、「現在は新たなコンセプトの構築に向けて、比較研究を中心とする調査研究の仕上げにかかっています。4県市体制を維持しているのは、構成資産の候補として武家の古都の重要な要素を基本に検討して、現段階では比較研究の項目としています。コンセプトについては、あくまでも武家の古都・鎌倉に代わる新たなコンセプトを構築する必要があると考えています」との視点を明らかにしました。

≪まずは官民協働態勢の構築≫
 「武家の古都・鎌倉」の登録推進のために設置された4県市は、イコモス勧告で推薦書を取り下げた以上、形の上では一旦消滅し、再挑戦で仕切り直すということを明確に表明すべきではないでしょうか。2月の報告会はいい機会なので、4県市の位置づけと新たな役割を明確にすべきだと思います。会長は松尾崇市長、事務局長は桝渕部長と実質的に鎌倉市が4県市を担っています。4県市の存続について横浜市、逗子市がどのよう見ているのかも知りたいところです。市民不在の弊害を取り除くためにも4県市としてまず取り組むことは、官民協働の“世界遺産への道”の再構築を図ることではないでしょうか。

剥落部分の応急対策工事について(「緑の洞門を守る会」共同代表に聞く4)

(1月17日)開削に向けて工事に取りかかろうとした洞門の現場で、住民組織「緑の洞門を守る会」が鎌倉市など開削推進派の動きを見守る活動を始めてから足かけ10か月目に入りました。「守る会」共同代表鈴木一道さんには、今回は10か月の間の動きに絞って、昨年8月の洞門近くの岩の剥落にからむ応急対策工事(2016年10月18日~28日)について聞きました。市議会建設常任委員会では将来、「崩落」が起きかねないとの報告が行われました。
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     昨年8月、洞門前で発生した岩盤の剥落
≪剥落部分の応急対策工事≫
 応急対策というのは新たな剥落が起きた時に、岩の破片がJRのホームや線路側に飛び散らないように土嚢を並べる工事のことです。この工事はただ土嚢を置くだけですから、(昨年)10月20日から2日ぐらいで終わってしまいました。剥落防止の本当の対策を講ずるのなら、剥落部分の上部の樹木の手入れをする必要があります。とくに藤の木など岩を壊す種類の樹木については枯らして、根っこが岩をいじめないような対策を講じる必要があり、これは専門家も同様の見解です。樹木の手入れについてはある時までは行われていたのですが、なぜかその後放置されるようになってしまいました。
 
 しかし鎌倉市はあくまでも現状維持というような姿勢で、樹木をはじめとする植栽にはいっさい手をつけようとしません。私たちは樹木の手入れまでやって初めて応急対策になると思っています。また、岩塊を調査した専門家が「ここが危ない」と指摘していたまさにその箇所で剥落が起きました。かねてわれわれが鎌倉市に申し出ていることを聞いて対策を講じてくれたら、こんなことにはならなかったはずです。私としては非常に不満です。

≪将来の不安は放置された樹木の手入れ≫
 昨年10月20日には剥落の現場を専門家に観ていただいていますが、「予想通りのところが崩れましたね」と別段驚かれることもありませんでした。洞門の本体ではなく坑口外側の斜面および上部なので、今のところ洞門本体に影響を及ぼすものではないと言っておられました。

 もちろん洞門も将来にわたって言えば、崩れる危険性はないわけではないのですが、それは今回の剥落とはメカニズムも力学的にもまったく違うものです。「剥落したから即洞門は崩落するのではないかと言っておられる方もいるようですが、それはまったく別の問題ということです。むしろ藤などの樹木の根をなんとかしなくてはいけないということについて、特に夏は根が太くなるので鎌倉市が現状維持などと言って手を付けないことでは、前々からとても心配されておられました。

≪剥落原因についての市議会建設常任委員会報告≫
 「守る会」では建設常任委員会での報告を傍聴するとともに情報公開に基づいて、報告内容「北鎌倉隧道安全対策について」を入手しました。後日私(高木)も市役所でコピーを取らせてもらいました。剥落原因については6人の専門家からなる北鎌倉隧道安全対策検討委員会委員のうち調査に当たった埼玉大学理工学研究科の長田昌彦准教授の見解が、建設常任委員会で報告されました。植栽の影響などについては、「守る会」の考えとは大きく隔たっています。

 長田報告はまず「岩の割れ目に樹木の根が入り込み、徐々に根の影響で割れ目が開いていった。水が入ると水圧で押されることもある」など、剥落発生状況に触れています。次いで「鎌倉側の坑口上部は本当に危ない。いつ崩れてもおかしくない」など剥落の再発危険個所をピンポイントし、「水平方向のひび割れJR側斜面に通じているようであれば問題である。必ず確認した方がいい。水平方向のひび割れが下のほうに発生すると大きな崩落につながる可能性がある」と指摘しています。

(コメント)
 建設常任委員会では極めて重要な内容の報告が行われたようです。結論として洞門とその付近の岩盤のひび割れは深刻で、いつ「剥離」するかわからないと危機感を煽っています。また、「洞門内部に埋設された水道管工事をも洞門の安全性を脅かす原因の一端がある」と、これまであまり指摘されなかった新たな問題をも指摘しています。開削派をバックアップする有力な論拠となるでしょう。

 私は傍聴できなかったのですが、報告内容を読む限り長田准教授の調査結果だけが紹介されているのが気になります。他の検討委員会委員はどのような考えなのでしょうか。2015年に日本トンネル技術協会がまとめた北鎌倉隧道安全対策検証報告書が、「開削」を支持する一方の側の見解だけに頼って、それを根拠に鎌倉市が開削方向に向かうことになったことにも通ずる不自然さを感じます。次号ブログでその安全対策検討委員会の動きをお伝えします。

開削か保全か?からむ資金の謎(「緑の洞門を守る会」共同代表に聞く3)

(1月13日)開削か保全かをめぐる北鎌倉駅裏隧道(緑の洞門)問題は、解決を見るまで一体いくらの資金が消えていくのでしょうか。これまでさまざまな委員会が作られ、調査が行われてきましたがいずれも具体的な成果に結びつかないまま、資金だけが確実に計上され消えていきました。神奈川県立大船高校生徒が利用する横須賀線下りの臨時改札だけは洞門閉鎖後、間もなく開かれたもののJRや神奈川県などの関連機関のうち鎌倉市だけが負担しています。この予算編成に絡む疑問で「洞門を守る会」共同代表の鈴木一道さんのお話を聞き、共通する認識を持ちました。鈴木さんの分析です。

≪どうなる横須賀線臨時改札口≫
 (県立大船高校の生徒が利用している洞門の大船よりの臨時改札口はどうなっているのか)「守る会」の記録によると生徒の通学ルートとして2015年6月8日に臨時改札口が開けられました。同月24日の建設常任委員会での道路課担当課長の報告「北鎌倉隧道のその後」でも、「JRとの協議により、隧道の大船側に臨時改札口及び簡易スイカが増設され、運用されています」と臨時改札口開設について触れています。

 ただ臨時改札口が利用できるのは、午前7時半から8時半の降車時だけで、乗車時には利用できません。洞門の安全対策工事の遅れから市では、生徒や地域住民の不便を解消する必要に迫られています。そこで市は乗車時に利用でき、開設時間も長くした仮設改札口の開設を目指すようです。臨時改札口は大船高校の生徒だけですが、仮設改札口が完成すれば一般の乗降客も使えるようになります。

 鎌倉市は市議会12月定例会に補正予算案として、仮設改札口の設置費用7100万円を計上し決まりました。市では「債務負担行為」として予算設定し、今年春ごろの開設を考えているようです。設置工事自体はそんなにお金がかかりません。スイカの機械の設置だけでJRは何もしません。仮設改札口には市が人を雇って見張り番を置くということで、要は全部の費用を鎌倉市が負担するということになります。JR側はこうした恒常的経費を負担する意向は一貫してありません。

≪鎌倉市だけがなぜ負担する仮設改札≫
 (われわれの税金で改札機能を整備するということになるのか)JRとしてみれば仮設改札口を設けることは、安全管理上のリスクはあれ、メリットはないとのことです。洞門開削の話が持ち上がった際に間違えていなければ、こんなに長時間にわたり洞門がふさがれることもなく、お金もかからないし、もっとスマートに処理できたのだろうと思います。歴史的価値があるとかないとかの検討もなしに、トンネルを壊して4㍍の道路を造りたいというところから出発しました。

 なぜそういう議論になったかというと、事実だとすると大変残念なことですが、墓地を造るための駐車場が必要だからという話も聞こえてきています。墓地開発で鎌倉市がお金を出すというのはおかしいので、開削の理由はどうするかということになり、「安全」を掲げることになったのでしょう。開削のために「トンネルは危険だ」ということを口実にすればいいのではないかということでした。われわれは前から言っていることですが、情報公開請求で鎌倉市からそういった会議録というのを入手しています。この会議では様々なことが事実関係を曲げて話し合われ、とにかく鎌倉市は壊すということしか頭になかったようです。

(コメント)
 隧道の封鎖➡開削に向けた工事着工➡鎌倉市文化財専門委員会の結論➡鎌倉市の開削から尾根の保全への方針転換とあしかけ3年にわたり揺れ動いた「緑の洞門」問題で、もう一つ何とも理解できないのが、大船高校の生徒のための臨時改札口と今年春にも住民にも開放される予定の仮設改札口の開設です。もう少し詳しく事実関係を調べなければなりませんが、「JRにはメリットがない」ということで開設にからむ7100万円をなぜ鎌倉市だけが出さなくてはならないのでしょうか。

 大船高校の生徒のためというのなら、県立高校を所管する神奈川県にも予算の一部負担の義務があってもいいはずです。「メリットがない」なんていうJRの口実も勝手なものです。いずれ住民にも開放されるのなら、JRにもわずかなものとはいえ収益が入ってくるはずです。鎌倉市、神奈川県、JRの痛み分けというのなら分かりますが、われわれ鎌倉市民の税金だけというのは何とも理屈が通らないように思えます。誰に聞いたらすっきりと説明してくれるのでしょうか。

揺れ動く鎌倉市長の発言(「緑の洞門を守る会」共同代表に聞く2)

(1月8日)2015年夏、それまでの柔軟な態度をがらりと変え、松尾崇市長は日本トンネル技術協会の北鎌倉隧道安全性等検証委員会報告書をもとに「緑の洞門」の「開削」に方向転換しました。ところが昨年7月8日に鎌倉市文化財専門委員会が開催され、「(洞門がある)尾根は文化財的な価値があり、出来るだけ残すべき」との結論が出ると「尾根を残す形での安全対策工事について検討する」と方針を再転換しました。市長の発言が大きく揺れ動くたびに住民は翻弄させられてきました。洞門を通行可能にする仮設工事に向けて動き始めている現状について住民組織「北鎌倉緑の洞門を守る会」共同代表の鈴木一道さんに聞きました。
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     強制着工に抗議する鈴木さん(左端)(2016.04.04)

≪今の洞門の状況はどのようになっているのか≫
 大船側と鎌倉側に柵を造って、外からのぞき込めないように白い幕を張って、大きな土嚢を必要以上にやっているのではないかと思う位にたくさん積んでいます。道路課によるとその理由というのは再度剥落が起きたときに、剥落した部分がはねてホームの方に飛び込んだりしないようにするためということでした。最初はもっと高く土嚢を並べて、囲いももっと鎌倉側の方にはみ出したものにしたいと言っていました。専門家に聞いたら、重いものを積むとむしろ圧力がかかるから地盤がゆがむということでした。あまり良いことでもないというお話でした。そこで私たちはできるだけ土嚢の数を少なくしてもらいたいと鎌倉市に要請しました。

≪行政と住民側との根比べ≫
 根比べだったら我々の方が負けません。行政の側は仕事でやっています。彼らからすればトンネルを壊せなくてもそれはそれで仕方がないのです。けれども、私たちは仕事を離れてしかも強いチームワークの下でやっています。ですから私たちの方が絶対に強いですよ。今のところは表面的には静かです。新しく設立された北鎌倉隧道安全対策検討委員会の方も3回の委員会開催を予定しており、昨年11月10日に続いて1月に行って、そのあとは2月ぐらい。それで結論が出て作業にはいるのではないでしょうか。市では洞門の通行の安全確保のための仮設工事を考えているようです。

≪洞門保全を前提とした仮設工事のきっかけ≫
 作業に入ってもしばらくは通れるわけでもないので、やはり4ヵ月とか5ヵ月かかるのではないでしょうか。市では夏に完成すると言っています。そうなって初めて人と自転車ぐらいは通れるようになるのではないでしょうか。昨年7月の鎌倉市文化財専門員会以降、開削から仮設工事に向けての大きな進展が見られました。この場所は、重要文化財の円覚寺境内絵図にもある非常に重要な尾根であるというようなことが言われましたし、併せて洞門は文化財保護の立場で言う「文化的景観」であるから、守るための努力をすべきであるというのが文化財専門委員会の指摘でした。

≪文化庁と住民の努力≫
 住民だけではなく、市議会議員でも意識の高い方がおられるし、学者の方々も動いての結果だと思っています。トンネルを守ろうとしているのは、私たちのグループだけではありません。とくに専門家の方々を集めて、見解を行政にぶつけていくというようなことをやっている方々も、考古学、歴史学的な見地からシンポジウムを開くなど精力的に活動しているグループもあります。さらに、古都フォーラム鎌倉とか北鎌倉のまちづくり協議会などが、それぞれアプローチが違いますが、独自の活動を精力的に行い、それらの数団体と共同して市長に洞門保存の訴えをしたこともありました。決して私たちだけでやってきたとは思っていません。

≪文化財の保護の役割≫
(市長の発言で市民が一時的に盛り上がったりして、住民の揺れ動きがみられた。そのポイントとなるのはどんなことだったのか)個人的には文化財の議論が大きかったのではないかなと思っています。文化財専門委員会開催の直前の7月5日に円覚寺雲頂菴を会場として一部住民が集まり、市長を呼んで開削への圧力をかけるようなことがありました。そこでのやりとりなどが、後日町内会の回覧で回ったのですが、それを見ると「文化財専門委員会で貴重と言われても突っぱねていきたい」というようなことを市の職員も混じって、委員会が開催される直前に高らかにしゃべっているのです。市長まで「こういう会を設けていただいてありがたい」なんて馬鹿なことを言っていました。それを知った時には本当に腹が立ちました。

 結局、文化財専門委員会の結論は彼らの思い通りにはならなくて、それをひっくり返すこともできなくて、それで一旦はこれでうまくいったと安心はしました。時系列で言うとその前に「洞門は今にも崩落する」というサンコーコンサルタントの洞門調査があって、次に2015年6月の検証委員会があって、それで良い方策が出て何とかなりそうだというというような空気になったこともありました。

 「ああ良かった」と思っていたら、一昨年の6月に発足したその検証委員会も大変不明朗な運営がなされ、しかも8月末の「最終報告」を待たず、2週間前の「中間報告」をもって市長が開削の意思決定をするなど、「これは無理だ」と気持ちがガクンと落ちてしまいました。それと同じ不明朗な運営が再度7月8日の文化財専門委員会でも行われるのではないかといった危機感を持っていた矢先に、雲頂菴であの会合が開かれたので、7月8日に傍聴したわれわれは、非常にピリピリした気持ちで委員会のやり取りを見守っていたのです。

「鎌倉の世界遺産登録を考える」新春ブログ

今年も「世界遺産のまち」のウォッチを続けます。よろしく応援お願いします。以下ブログ年賀です。

    新年おめでとうございます。
 旧年は古都保存法制定、古代エジプト発掘調査開始、そして私たち夫婦にとっては結婚50年の年でした。息子や娘はみな仕事で忙しく、集まる機会がないので1年が淡々と過ぎ去りました。 でも私たちの気持ちの上では、「50年」が踊っています。結婚式と同日の3月30日には2年間の修復工事を終えた鶴岡八幡宮参道の段葛で開通式が行われ、2人でブログのテーマである「世界遺産のまち」の取材に行きました。雑踏の中でみなにお祝いされたと勝手に思っています。その後、七分咲きの夜桜を背景に記念写真を撮りました。
金婚式の段葛(年賀メール2)
 
 秋には発掘調査50年の記念シンポジウムが早稲田大学で開かれました。吉村作治隊長(東日本国際大学学長)に「私たちも金婚式だから」と駆け込み陳情し、若い隊員たちとのパネルトークに参加させてもらいました。ジャーナリストとして古代文明との出会いについて語りました。
年賀4(早稲田シンポジウム)
 
 1年前から考えている「カメラと文章で綴る50年」は、まだ未完ですが2人でゆっくりと取り組んでいくつもりです。ブログと筋肉トレーニングで心身の健康管理に努め、「道楽」を貫く有意義な第三の人生?を模索していきたいものです。お元気でご活躍ください。 
平成29年元旦          ブログ「鎌倉の世界遺産登録を考える」高木規矩郎

行政を見守る市民の群像(「緑の洞門を守る会」共同代表に聞く1)

(12月30日)「緑の洞門」として住民に親しまれていた北鎌倉隧道の安全対策工事として鎌倉市が今年4月4日に開削工事に踏み切ってからあしかけ9カ月が過ぎ去りました。文化庁や文化財専門委員会などからの指摘もあり、工事は中断したままです。8月11日には洞門坑口付近の岩が剥離して落下しました。洞門は最終的には開削されてしまうのでしょうか。それとも文化財的および景観的価値が認められて洞門は保全される方向に向かうのでしょうか。あいまいなまま年を越すことになった洞門問題の現状について「緑の洞門を守る会」の共同代表である元大東文化大学教授(経営学)の鈴木一道さんに聞きました。年末から新年にかけて6回にわたって報告します。
開削工事着工(「守る会」ホームページより)
     洞門前で始まった開削工事(まもなく休工)(2016.04.04 「守る会」ホームページより)
≪住民活動について≫
 「緑の洞門を守る会」としては行政の強硬措置に対して洞門の見守り、市民や北鎌倉駅の乗降客に対する啓蒙活動、『緑の洞門ニュース』発行、その戸別配布やホームページ、ブログ発信などで状況と活動の報告をしています。直接洞門を保護することにはつながらないかも知れないが、行政がどういう姿勢でトンネルに対して取り組んできたのかを知らせることは大切だと思います。なお、新らしい検討委員会が発足して、第1回が終わり、その次の委員会が来年に2回目、3回目をやってそれで仮設の工事がおこなわれるということになっています。

 私たちは、はじめのころから一連の行政の姿勢とか市会議員の対応にも、これでいいのだろうかという疑問も持っています。受け止め方は人によってさまざまでしょうが、行政と住民との対立をはらむような問題が他のところで起こるとしたら、このような活動の経験がもっと上手なやり方であまり時間もかけずに効率よく処理する知恵を生み出すのではないかとも思っています。

 地元の方でも事実をあまりよく知らず、ただ通れなくて不便だという人もいました。そうした方々にはどうしてこんなことになったのかということで、行政がまず開削ありきということで取り組んで、文化財的な価値については全く考慮しなかったという出発点でのつまずきについて説明するのです。そういったことが尾を引いて時間ばかりかかる、お金ばかりかけるということでお話すると、大体ほとんどの方が納得してくれます。
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     洞門前に建てられた住民の立て看板(高木治恵撮影 2016.04.04)

≪見守り活動の実情≫
 今年の4月はじめに洞門開削の工事が始まろうとしたときに、集まった住民を中心にして現地で見守りの活動が始まりました。当時は行政に対して本当に不信感を持っていました。今でも不信感はありますが、その時は市の強引な着工に対しては特に不信感は大きかったですよね。

 (洞門の価値などを住民が学ぶ機会もなかなかないので、見守りのような運動を続けることによって、彼らが学ぶ機会でもあるわけではないですか)「緑の洞門を守る会」ではこれまで12号まで発行してきた『緑の洞門ニュース』等を通して、現状や問題点などの説明をしてきました。山ノ内地区では戸別のポスティングをやってはきているのですが、どういうわけかそれを見ておられない方もいらっしゃるようで、どうしたら読んでいただけるか今後の課題です。中には「あいつらの(洞門の前の)見守り活動のせいで、工事が遅れてしまうんだ」というような間違ったことを言っている人もいます。実態を知ってもらうための広報活動がいかに大事かを強く感じています。そこで北鎌倉駅の乗降客に対してと今までの経緯と現状などについてお話しているわけです。

≪他の市民組織との連携≫
 行政側の対処が大幅に遅延、混乱してしまった大きな原因は、前に述べたように何よりも開削という結論ありきということで始めてしまったことにあります。このことが住民の反発を招く結果になりました。例えば急傾斜地の工事で神奈川県土木事務所の承認を得なければいけないのに、それも見込みでやってしまったために県から待ったをかけられるなど、いくつかの手続きミスもありました。こうした行政側のいくつかのミスが市民の訴訟で明るみに出たことなども工事の遅延と混乱の背景をなしています。また洞門を覆う岩塊が円覚寺の寺域範囲を示す結界遺構であるとしてその保存を主張する団体もあり、「緑の洞門を守る会」はこうしたさまざまな団体と緩やかな連携をとりつつ運動を展開してきました。(つづき)

鎌倉ガーディアンズ東京五輪に挑戦(大津定博さんの決断6)

10東大寺サミット流鏑馬警備集合写真
     10月の東大寺サミットで流鏑馬奉納に勢ぞろいした鎌倉ガーディアンズ(最前列左から2人目が大津さん)
(12月29日)「チームサムライ」代表として大船まつりで仮装パレードを始めた大津定博さんは2009年の創設以来、市民団体「鎌倉ガーディアンズ」の代表としてイベント警備の民間活動を7年にわたって続けてきました。その大津さんのもとに「東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部」事務局からオリパラのボランティア警備にあたり、突然警備のマニュアル作成の要請が飛び込んできました。大津さんはとまどいながらも、「活動の集大成としてマニュアルを創りたい」と意気込みを語っています。

 イベント中心にパトロールを続けており、全国的にも例のない活動として知られています。寺社でのイベントにとどまらず、数多くの市民活動にも出動を要請されてきました。鶴岡八幡宮流鏑馬奉納などにも出動し、長谷寺の朝市などでも背中に鮮やかな黄色で「防犯鎌倉ガーディアンズ」と記された黒のジャンバーとベレー帽はおなじみの光景となっています。「黒子に徹する」というチームの存在意義を象徴する色にしたということです。
オバマ警備
     長谷観音前でオバマ大統領の警備につく大津さん              オバマ大東y楼の訪問で封鎖された若宮大路
                                   (写真はいずれも大津さん提供 2010.11撮影)

 国史跡法華堂跡など鎌倉固有の文化財の警備活動も続けてきました。実績を買われて各国大使などVIPが鎌倉に来た時にも警備を行いました。2010年11月にオバマ米大統領が鎌倉大仏を訪れた時には、大仏の近くで観光客と警察官などプロの警備陣をわかつための任務でした。こうした経験の積み重ねが評価されてオリパラ推進本部からの要請となったのでしょう。

 マニュアルではソフト面でのオリパラ警備のノウハウ提供が求められています。実際にオリパラ開催となれば会場や周辺での警備活動にも加わることも予想されます。江の島でのセイリング会場警備ということも考えられます。さらに大勢の外国人観光客が日光や鎌倉にもやってくるでしょう。横浜では野球大会も計画されており、東京・横浜に近い鎌倉に外国人観光客が押し寄せる事態にもなりかねません。

 マニュアルは2017年末までに提出してほしいと期限が設けられているようです。再来年の2018年にはプレ大会なども予定されており、そこでマニュアルがうまく作動するかどうかをテストする予定になっています。大津さんは地震や津波など自然災害の発生がもっとも心配される課題とみています。鎌倉周辺は全国でも大地震発生の可能性がもっとも高く、プレ大会の時にもどんな警備活動ができるかを実際に検証するとしています。

 現在の鎌倉ガーディアンズの人員は120人。企業を定年で退いた中高年層の間で地元鎌倉のために何かしたいということで人気が高まってきました。「ガーディアンズのエンブレムはハートに星冑(ほしかぶと)をつなげたもので、武士の熱い心を示しています。7年間の活動の集大成としてまずマニュアルづくりに取り組みたいと思っています。大仏でのオバマ大統領の警備の経験から白羽の矢があたったのでしょう。これまでの体験がオリパラに生かされると思っています」――大津さんのオリパラへの挑戦が始まります。

熊本大地震に思う(大津定博さんの決断5)

(12月27日)大船まつりの仮装パレードは、昨年の第1回には「映画のまち大船」をテーマに「寅さん」を主役にしました。第2回の今年はテーマを考えていたときに熊本大地震が発生、大津さんは支援のために現地入りし、「震災地支援パレード」にしようと決断しました。熊本で鎌倉の歴史まちづくりへの思いは、確かなものになったようです。大津さんの発言骨子です。(  )内は高木の質問です。
●●●熊本支援一色に染められた大船の仮装パレード
   熊本支援で盛り上がった大船の仮装パレード(2016.05.15 大津さん提供)
≪鎌倉の歴史まちづくりの現状を考える≫
 閉館後の近代美術館の動きとか、華頂宮邸を含めた洋館建築の価値とかがどれだけのものなのかというのを、具体的に知りたいと思っています。もし歴史的建造物が世界的に評価されるものなら、その方面でも世界遺産の挑戦をしても面白いかなと思います。(とはいっても世界遺産はあくまでも中世の武家文化を前提にしたものですよね)もちろん武家文化があることによって文人たちが、明治期に鎌倉に集まってきたという側面もあります。中世鎌倉はもちろん大前提です。

 東京だったら古我邸ぐらいの洋館があったら、おそらく東京都の遺産にして、都が管理して、お金を取って中をみせていますよ。たとえば岩崎弥太郎邸です。明治の洋館は東京には数か所しかないので、都が管理して拝観料をとって定期的に公開しています。要は史跡扱いしています。鎌倉にはそうした建築が山ほどあります。山ほどあっては行政も管理はできません。実態すら把握していない状態です。きちっと把握したらおそらく眠れる遺産があるのではないでしょうか。

 (鎌倉の場合は“眠れる獅子”ならぬ“眠れる市民”ですよね。世界遺産登録の時の市民の無関心でもろにその弊害が出てしまったわけです。市民がそっぽを向いてしまったということで市民不在とか騒いでいました)歴史のロマンというのは日本国民にとってはすごく大きいですよね。いろんな歴史書が出ているし、テレビをつければ必ず1日に何回か歴史ロマンの番組が流れています。たとえば豊臣秀吉とか千利休とかが流れています。

 ロマンを求めるという情熱はすごいものがあります。関東で歴史ロマンを語るには、鎌倉を除いて他にはないわけです。鎌倉は関東で一番古いまちなのです。関東といえば鎌倉、鎌倉といえば頼朝とか政子ということになります。だから骨が出たとなると、ロマンを求めて多くの人が集まるわけです。長谷で古代の人骨が出てきた時に市民に公開したところ3800人もの人が集まり話題になりました。鎌倉は歴史ロマンの中心でなくてはいけないと思っています。

≪熊本との連帯を求めて≫
 熊本大地震の後、支援のため現地に入りました。熊本市役所の幹部の方に鎌倉から来たといったら、なんと言わわれたと思いますか?東京や横浜から来ていただいたのとわけが違う。鎌倉といえば私たち熊本にとっては、武家の故郷で、武家の頂点のまちだというのです。熊本というのはその昔、護良親王という後醍醐天皇の皇子が鎮西探題に幕府の支所をおいていたそうです。その鎌倉から来てくださったことは私たちにとって、本当に勇気をもらうことでもあるということでした。

 私たちが考える以上に日本各地の方々は、鎌倉に対してもあこがれと敬意をもっているということを改めて自覚しました。そういう意味ではブランドです。ルイヴィトンもそうですが、ブランドというのは一朝一夕にできるものではなくて、900年近くずっと積み上げた鎌倉という名前を私たちは背負っているわけです。私たちの時代に鎌倉の価値を毀損してはいけないと思います。次世代へのバトンタッチをしっかりとやっていかなくてはいけません。

≪「緑の洞門」の価値は時間をかけて検証すべきもの≫
 北鎌倉の「緑の洞門」開削問題にしても今私たちが短期間で判断して、ばしっと切ってしまったら、百年経ったときに何であの時に切ったのかということになりかねません。半年や1年ぐらいの基準で論議するだけではなく、もっともっと時間をかけて検証すべきだと思います。壊してしまったらそれまでです。ちょっとした判断ミスで将来の遺産を壊してしまうというのは、絶対に避けるべきだと思います。

 私が生まれた広島で原爆ドームも壊そうという動きがあったそうです。父に聞いたら更地にして復興に役立てるというためだったとか。でも市民が中心になって原爆のモニュメントを残して平和の象徴にしようということになったようです。世界遺産になりオバマ大統領にも感動を与えたのではないでしょうか。安易な判断で歴史的建造物を壊すということは絶対にやってはいけないことです。鎌倉の行政の判断はものすごく重要なものになってきたと思います。

(コメント)
 大津さんの心の中で「歴史のロマン」への思いは、震災地熊本から誕生の地の広島、そして開削の瀬戸際にある「緑の洞門」、鎌倉の歴史的建造物へと飛翔します。結論として「安易な判断で時を積み重ねた建物を壊すな」というメッセージを伝えています。鎌倉ガーディアンズやチームサムライで実際に行動して学んだ教訓だけに胸にずしりと響くものがあります。

市民カーニバルの意義(大津定博さんの決断4)

(12月24日)ことし5月の大船まつりでの映画仮装パレードに続き、旧鎌倉地区では鎌倉市民まつりウィーク最終日に「鎌倉市民カーニバル」と銘打ったパレードが行われました。鎌倉駅西口から御成商店街から若宮大路を通過して、由比ガ浜海岸の「鎌倉ビーチフェスタ」に合流しました。アメリカのアニメのシュレックに扮して大船のパレードにも参加した鳩サブレー豊島屋代表の久保田陽彦鎌倉商工会議所会頭が旧鎌倉では、島津の家紋の甲冑姿で先頭に立って、「鎌倉市民カーニバル」を盛り上げました。

 もともと大船まつり仮装パレード(5月15日)は、市民まつりウィークのスタート行事として位置づけられており、大津さんが考えていた、祭りを通しての大船地区と旧鎌倉地区の統合が自然発生的に動き出したともいえます。今回の大津さんとの議論は鎌倉市民カーニバルに焦点を合わせました。パレードには全体で155人が参加、大船のパレード参加者のうち約15人が、1週間おいて旧鎌倉のパレードにも参加していました。以下大津さんの見解です。(  )内は高木の見解です。
鎌倉市民カーニバルの光景
 市民カーニバルの標識を掲げる大津さん(中央)            仮装パレードを終えて由比ガ浜ではしゃぐ若者たち(いずれも大津さん提供)
≪市民カーニバルの感想≫
 ルートが車道だと交通規制しなければいけないので、パレードは若宮大路の歩道を通らざるを得なかったのですが、個人的には車道でやったらもっと盛り上がると思いました。でも1回目としたら鎌倉市民カーニバルだけで参加人数も150人来ましたし、素晴らしいです。大成功です。陣頭指揮をされた久保田会頭は凄いと思いました。会頭は祭りの全体像や指揮系統や人の動きなど、コンサートの指揮者のようにコンタクトを振れる方です。さすがに鎌倉を代表される企業を、やりくりされている方だと思いました。又、中心的に関わった観光協会の役員の方々も、イベントのプロでしたので実現までもスムースに進みました。

 (市民カーニバルの動きというのは、広い意味で鎌倉文化のあり方を考える場合に、いろいろなことを考えさせてくれる新しい方向性のあるものと捉えることもできるでしょうね)鎌倉市民カーニバルを大きくするということは、将来的には鎌倉文士たちが創設した鎌倉カーニバルぐらいの規模のものにすることを想定しています。今はタマゴですが大きくしていくきっかけができたわけですから、少しずつでも拡大していければ良いと思っています。市民カーニバルのように、お互いに関係者が交流しながら双方の企画に顔をだすということが重要です。ちょうど中間にある北鎌倉のことも踏まえて考えれば、ほかにも将来的にいろいろなアイデアが生まれるのではないでしょうか。

≪世界遺産を考えるきっかけとしての市民まつりの意義≫
 (大船まつりのトップも含めて旧鎌倉地区の文化財のあり方を考えているところと一緒に話し合うような協議の場ができるといいですね)北鎌倉は行政区域で言うと大船側に入ります。大船まつり実行委員長の田子祐司さんもおっしゃっていましたけれど、北鎌倉付近の町内会など帯状の横須賀線沿線の住民は必ずどちらかの祭に参加して、それが交流しながら市民まつりウィークが全市を対象にしたものとして、地域的にも拡大し定着していくといいですね。

 世界遺産登録をささえていくはずの市民が地域的、世代的に分裂して登録の挫折の一因になったことも、解決の糸口が生まれてくるかもしれません。鎌倉は世界遺産に失敗したかもしれませんが、それを持って鎌倉の価値や魅力が無くなったと思っている市民は誰もいません。その証拠に、いまでもこれだけの人が鎌倉に来るのですから。又、胸を張って鎌倉在住と言えるのですから。だからこそ今こそ、市民の交流や一体化を進めることが重要です。その一つが祭りなのです。

 私は市民の力というか、市民の熱意は高いので、時間をかけてでも出来ると思います。鎌倉の市民活動家の特徴としては、口は出すけど手は出さないという人が多く、結局実働部隊がいないことです。意見はあるし、考えもあるのですが、誰がこれをやるのということになるとなかなか実現しません。結局会議だけになってしまうというきらいがあります。このことは私も百も承知していることです。チームサムライは「笛吹けど踊らず」には絶対になりません。鎌倉ガーディアンズの運営方針と同じで、徹底した現地現場主義です。しゃべる前に動けということでいろいろ進めてきました。

 大船と旧鎌倉でのパレードなどでの浄智寺住職の朝比奈恵温さんの発言や動きに注目しています。お寺は大船と鎌倉の中間で、チームサムライの顧問でもあるし、どんなことにも顔を出してくれます。畏れ多いお寺というものを市民にある程度開放してくださっておられます。その点は心が広いというか、鎌倉市民とともに歩いてくださっておられると思っています。私はとても尊敬しております。

(コメント)
 挫折した世界遺産登録の時にも大津さんとは、何度となく登録の支援母体となるべき市民の分裂について話をしてきました。大津さんの基本的な考えは「祭によって市民の心をひとつにする」ということだと思います。チームサムライを率いて2015年に大船で映画仮装パレードを実現し、今年は鎌倉市、鎌倉商工会議所のバックアップの下で、旧鎌倉での市民まつりとの連携に向けて一歩を進めました。それが市民カーニバルへの参加でした。まさに基本通りの布石です。大津さんの挑戦を見守っていきたいと思います。

映画のまちに代わる大船のまちづくり(大津定博さんの決断3)

(12月21日)大津定博さんの頭の中では、映画のまちとして一時代を築いた松竹大船撮影所(19361月~20006月)の閉鎖のあと、どんなまちづくりをするのかという課題が大きな比重をしめています。2015年にチームサムライを率いて始めた大船まつりの仮装パレードもまちづくりへの挑戦でした。鎌倉にとって大船とは何なのか。大津さんの考えを聞いてみました。( )内は高木の見解です。
05)
   第2回仮装パレードの記者会見に臨んだ大津さん(2016.02.05)

≪レトロなまちなみを軸にした安らぎ空間≫

大船のまちづくりの方向というのは、今までにもいろいろな方々が考え、チャレンジしてきました。松竹が出ていって、映画を軸としたまちづくりの役割は終わりました。そのあとどうするかということになるのですが、個人的には松竹から引き継がれた昭和の雰囲気とか、レトロなまちなみというのを逆に活かして、落ち着き、安らぎのある空間ができないかと考えています。

 
もう一つは大船は商店街がめちゃくちゃ強く、大型店が入ってこれないのもそのためだとも言われています。物価も県内で一番安いとか。それを売りにして鎌倉市民の台所、市民の胃袋の機能を大船に兼ね備えれば、いいのではないかと思っています。その役割を強調することによって中世鎌倉(旧鎌倉)と昭和のまち(大船)がうまくドッキングしていくことができないかと思います。

≪日本遺産でも無視された大船地区≫

(歴史的風致維持向上計画にしても日本遺産にしても行政は大船を無視し、旧鎌倉を前提にしてコンセプトを組み立てています。このまま行ったら大船地区が再び置き去りにされかねないという気持ちもあります)大船地区の悩みというか、考えとしては人口も商業も鎌倉の大きな部分を占めています。住民は大船で税収をあげたものが旧鎌倉につぎ込まれると考えがちで、非常にまずいイメージです。

 
イタリアも同じで、ミラノなど北部は工業、商業都市です。そこで生まれた税収を南のポンペイとか貧しい農村地区に向けています。北で吸い上げたものを南で使っているとイタリア国民は言っています。これがイタリアの北と南の分断の現状です。鎌倉もそうなってはいけないわけで、やはり等しく大船にも大船の魅力を作っていかなくてはいけません。

 
魅力はすごくあると思います。商店街を中心としたレトロな町並みというのを逆に売りにして何かやっていくということが必要です。松竹が生んだまちなみも遺産としてはすごく価値があると思います。今度は大船地区に予算も投じて、大船には大船、鎌倉には鎌倉という風にもっていかなければいけないかなと考えています。

≪大船と旧鎌倉を結びつけるか映画仮装パレード≫

(大船にあるフラワーセンターとか、大津さんの力で伸びてきた映画仮装パレードとか旧鎌倉の事業の中でもどんどん取り込んでいく必要があります)そうした方向性はいずれ出てくると思います。大船まつりの時に鎌倉商工会議所の久保田陽彦会頭(豊島屋社長)にも仮装して出ていただいて大船の人たちにも勇気を与えました。会頭がここまでやってくれるということは本当にうれしかったと思います。第一回目のときにはなく、それを見て今回は会頭が動いたという印象です。

 

かつ大船を見て市民カーニバルもやっていただいたので、会頭はある意味で大船に対しても一定の評価というか、リスペクトを持って接していただいております。それが大船まつりの関係者や大船のまちづくりに関わっておられる方々は、非常な喜びを感じているところです。そういう意味では兆しが少しずつ見えてきて、かつそれを見て観光協会とか行政も大船に目を向けてくれるようになるのではないかなという風にも思っています。

 

(コメント)

 20155月に第1回、20165月に第2回、20175月の大船まつりの第3回仮装パレードの準備が早くも始まっています。パレードの準備に取り組んでいるのは、大船をはじめとする周辺地区にとどまらず、旧鎌倉からもボランティアで参加した大勢の若いスタッフたちです。世界遺産登録の時に見られた世代間ギャップとは無縁です。正直言って後期高齢者の私などは弾き飛ばされそうなエネルギーです。世界遺産ではこうした若者たちの“お祭り騒ぎ”が欠けていたなと感じています。

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