鎌倉の世界遺産登録を考える

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。鎌倉の世界遺産登録をめぐる動きを追っています。

モザイク画のまち鎌倉をキャンペーン(日本遺産フォーラムの開催)

(3月29日)2016年4月に鎌倉が日本遺産に認定されてから1年になります。3月26日には認定後の日本遺産のまちについての認識を新たにしようというフォーラムが開催され、会場の鎌倉商工会議所で「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ」というコンパクトなブックレットが配られました。平安時代から鎌倉、室町、江戸時代を経て明治、大正、昭和に至る53の構成文化財のガイドブックの体裁を取り、「モザイク画のまち」をビジュアルに描き出そうとしています。認知度は今ひとつの日本遺産を定着させる決め手の一つになるのでしょうか。
●●●日本遺産ブックレット
≪モザイク画のまちを目指して≫」
 ブックレットは全部で40ページほどのカラー印刷、厚目の紙質でA5版のかなり凝ったデザインです。「日本遺産いざ鎌倉協議会」(事務局:鎌倉市歴史まちづくり推進担当)の発行ということになっています。ページをめくるとまず目次と一緒に「鎌倉の地図には、さまざまな時代を象徴する史跡や社寺がモザイクのパーツのようにちりばめられている」、「幾重にも層をなすこの土地の時間の重み」などと「モザイク画のまち」のイメージを提示しています。

≪古代」(平安時代)から中世、近世。近代、現代へ≫
 「平安時代」は「幕府ができる前の鎌倉ってどんなところ?」として、杉本寺、長谷寺、御霊神社の3つの構成文化財が登場します。「鎌倉時代」は「日本の中心が変わった!鎌倉で武家の政治がスタート」というコピーライトの後に、荏柄天神社、鶴岡八幡宮、若宮大路、小動神社、銭洗弁財天宇賀福神社、浄妙寺、法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)、永福寺跡、寿福寺、成就院、明王院が創建の年代順に続きます。

グックレットに織り込まれた」鎌倉モザイクマップ
 朝夷奈切通、光明寺、浄光明寺、安国論寺、極楽寺、妙本寺、鎌倉大仏、建長寺、円覚寺、浄智寺、東慶寺、覚園寺、瑞泉寺、大町釈迦堂口遺跡、報国寺、宝戒寺と寺院のオンパレードです。「室町時代」は「鎌倉府がおかれ、その後戦国の世に」と形容されて、明月院、本覚寺が時期的に符号します。観光地としての鎌倉の土台を築いた「江戸時代」は、英勝寺とガイドブックのさきがけとなった鎌倉名所記が構成文化財に名を連ねています。

  「近代(明治・大正時代)、」になると「古都の風情と風情と詩的な文化が漂う市民のまちへ」ということで、鎌倉宮、長谷子ども会館、古我邸、石川邸(旧里見弴邸)、「現代(昭和)」には三河屋本店、旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)、旧華頂宮邸、扇湖山荘、鎌倉文学館(旧前田家鎌倉別邸)、湯浅物産館、ぼんぼり(雪洞)祭、吉屋信子記念館、檑亭が並びます。

≪鎌倉を深掘り≫
 構成文化財のうち大仏切通、名越切通、仮粧坂は「切通」、白日堂、寸松堂は「鎌倉彫」、流鏑馬は、それぞれ関連のあるところで「鎌倉を深堀り」という囲みの中で取り上げられており、全体で54か所になります。「深堀り」では「源頼朝の都市計画」、「鎌倉五山はどう決まったか」、「昔の旅人が見た鎌倉の景色とは」、「埋蔵文化財でわかる中世都市鎌倉の暮らし」、「鎌倉を特徴づけている切通という場所」、「武士の宗教・禅宗」、「宋風とは何かが、よくわかる大仏の見方」、「中世に出会うやぐら、石塔」、「力強さから中国風へ――鎌倉時代の美は個性的」、「江戸時代に広まった鎌倉名物」と興味あるテーマを取り上げています。

 近代になると「貸本屋から大学まで。文化復興を担った鎌倉文士たち」、「日本初のサナトリウムから始まった海水浴」、「忘れがたい青春期を過ごした芥川(龍之介)」、「鎌倉文士の前夜となった『文学界』」、「鎌倉が熱狂!分子がつくった夏の風物詩・鎌倉カーニバル」、「小津調の記念碑的名作『晩春』」、「別荘族も愛用した伝統的工芸品鎌倉彫」、「日本初ナショナル・トラスト運動発祥の地・鎌倉」とテーマは、ますます身近なものになります。

≪文学者の足跡≫
 さらにもう一つの囲み「文学者の足跡」では、川端康成、中原中也、夏目漱石らの鎌倉文士との交流や鎌倉での参禅などに触れており、モザイク画のまちの広がりを示しています。
鎌倉市では文化庁からの1100万円の補助を得てブックレットの日本語版10万部を作り、合わせて10万部の英語版を発行する予定です。観光案内所、5月開館予定の鎌倉歴史文化交流センター、鎌倉文学館などで希望者に配布することになっています。

(コメント)
 商工会議所での「日本遺産フォーラム」の座談会でも、鎌倉市が指向する「モザイク画のまち」について意見が交わされました。確かに日本遺産のコンセプトである「歴史と文化が描くモザイク画のまち」によって、世界遺産登録がつまづくきっかけとなった「武家の古都・鎌倉」には見られなかったイメージの広がりは感じられます。

 でもブックレットを読んでみて、モザイク画のイメージがごった煮のイメージにつながりかねない一面も強く印象付けられました。54の構成文化財ももっと整理する必要があるのではないでしょうか。それに鎌倉文士や現代の有形文化財と無理につなげようとすると、かえって焦点ボケするのではないかというところもあります。今後じっくりと日本遺産関連の動きを見ていきたいと思います。

浪花節だよ洞門は(緑の洞門を守る住民運動の展開)

(3月26日)北鎌倉史跡研究会(緑の洞門を守る会)の主催で3月12日夜、新作浪曲「浪花節だよ洞門は」が上演されました。浪曲師東家一太郎さんが洞門の現状を聞いて創作した浪曲です。153席の鎌倉商工会議所ホールは超満員。浪曲の人気?、それとも洞門を守る住民運動の盛り上がり?と首を傾げるほどの盛況でした。それにしても浪曲と住民運動の結合は、想定外のユニークな発想でした。
「浪花節だよ洞門は」画像
     東家一太郎、美(みつ)夫妻の浪曲「浪花節だよ洞門は」の上演(北鎌倉史跡研究会松本芳路さん撮影)
 なれそめは2015年秋「守る会」の支援者で写真家の関戸勇さんが、写真展で訪れた土沢(岩手県)で巡り合った東家さんの浪曲に聞きほれました。料理屋での懇親会で関戸さんは「洞門が抱えている問題を浪曲にできないでしょうか」と東家さんに訴えました。この出会いがきっかけとなって、千葉にお住まいの東家さんは何度か北鎌倉の洞門の現場を訪れ、関係者に話を聞いて、「浪花節だよ洞門は」を創作しました。

 そして大船の料理屋、北鎌倉のカフェと2か所でお披露目の上演で観客の動向をみました。収容人数を大きく上回る反響で、自信を持った「洞門を守る会」では鎌倉の中心部にある商工会議所ホールを押さえて、本格的な上演態勢で臨むことになりました。「いざ鎌倉と大船の駅を出てから2~3分、長い列車は頭を振って山と山との間の駅に走りゆく。山は見えます。その山が左にせまりきて、緑流れる窓の外・・・」と韻を踏んだような軽快な言葉が続きます。

  「ホームの中ほどにいくとトンネルがある?ないな。(そこには)赤いバッテンと通行止め(の表示)。熱弁ふるう1人の紳士。聞いとくれ。ご覧の通り、この駅の岩肌を昔の人が掘り抜いて、トンネルは『緑の洞門』となった。役人が通行禁止にしてトンネルを崩し道を広げるというこんな策略ゆるせな――い。切り崩しは白紙に戻ったけれど、まだ一件落着とはいえない。仮設工事が決まったけれど樹木は伸び放題」

  「山門近く十王堂の横を上ると幼稚園、尾根に沿って歩いていく・・・石段の上から眼下を走る横須賀線、鎌倉街道しげみにかくれ、真正面の里山の大きな自然があふれてる。春は絶景山ざくら、台峯の散歩道から見渡すさくらのパノラマ、夏はホタル、冬は星月夜・・・」、「1日も早く洞門が開通することをねがっている。『どんなもんだ洞門だ』で通学、通勤、早く開通してもらいたい。自転車で洞門通る人も自転車譲り合って通る。安全なんですよ(洞門は)」

 東家さんが洞門をどのように表現するのかできるだけメモを取ろうとしたのですが、ともすると流麗な名文と巧みな声、節、話芸に惹かれて物語が飛んでしまうこともありました。何とか洞門への思いをつないでみました。「自然を見守る人たちの思いと○○の結晶がいま目の前にある(この)軌跡。洞門をニコリ笑って通りゆく子どもたちの話し声。洞門はいにしえ学ぶタイムマシン」との最後の1章は、弾けるような東家さんの感性を示すものでした。○○部は重要な言葉なのでしょうが、興奮でメモの文字が崩れて読み取れません。ごめんなさい。

 東家さんを『浪花節だよ洞門は』の創作に引き込んだ関戸さんは、「この浪曲には私たちが知らないことも多くありました。よく勉強しておられますね。早稲田大学では落語を卒論のテーマとして、サラリーマンを経て浪曲師になりました。浪曲への夢を妻の美(みつ)さんに話したところ、『あなたが浪曲なら私は三味線師になる』といって、2人で全国をまわるようになった」ということです」とエピソードを紹介されました。

 東家さんの浪曲を聞いて、名調子に心が洗われる思いでした。洞門を守ろうという住民の力を何年かにわたってみてきましたが、浪曲という芸能のもつ力を改めて痛感しました。短歌、俳句も含めた文学や美術の力もあるはずです。住民運動が文学や芸能と影響しあって、運動の質を高める時期に至っているのではないでしょうか。

20年の空白は何だったのか(御成小旧講堂について教育長に聞く2)

(3月21日)御成小学校旧講堂は学校施設として保存活用されることになりましたが、なぜ20年にわたって放置されてきたのでしょうか。校舎の改築の時に旧講堂も合わせ改築するという動きはなかったのでしょうか。安良岡靖史・教育長に旧講堂の最大の謎について聞いてみました。

御成小旧講堂内部

    
 旧講堂の内部(鎌倉市ホームページより)
≪旧講堂改築の動き≫

1995年(平成7年)に御成小学校改築計画が作成され、講堂も全員一致で大規模補修を実施することになりました。96年に講堂はそのまま修復保存して利用するとして、市教委は講堂の改修計画を提案しました。ところが何もされずにずっと今まできてしまいました。本来は御成小の改築の時にこういう考えは、もともとあったということです。ではいつやるのかというところで全然手付かずの状態が続きました。

≪ガイダンスセンターとしての活用計画≫

なぜ手付かず状態が続いたのか、私もわかりません。その後、世界遺産のガイダンスセンターにしたらどうかという話が持ち合がり、その方向で進めることになっていました。ところが扇が谷にある建物の寄贈があり、歴史ガイダンス施設は扇が谷の施設に開設することになりました。旧講堂については、歴史ガンダンスセンターとしての活用は、鎌倉の歴史等を学ぶ場として適していると思いましたが、新たな施設を使った構想が出てきたことで再び学校施設としての位置づけとなりました。

≪旧講堂の建物現況調査≫

御成小学校旧講堂は1998年(平成10年)に基本調査を行い、保存と活用について関係部局で協議を続けてきました。工事としては2012年(平成24年)8月に屋根材等落下防止対策のため、屋根スレートのズレ直しと飛散防止ネット張りをしました。6年前の東日本大震災の時には、鎌倉から寄付をいただいた支援物資を被災地に発送するための倉庫としてしばらく使っていました。

 
その後、屋根からの雨漏りが見られるようになり構造上の影響が心配となったことから、2014年(平成26年)に建物の現況を把握するため、基礎部・主要構造体・非構造部等の調査を行いました。調査からは耐震診断において耐力評価は低く倒壊の可能性が高いこと、構造体は大変強固な上に劣化や損傷は見られず健全であることなどから、耐震改修工事を行えば引き続き使用可能という結果でした。

≪アスベスト・シフトの旧講堂≫

特に屋根葺き材は石綿スレート板で劣化が非常に著しいこと、2005年(平成17年)以前に製造された石綿スレート板はアスベストを含有していることが指摘され、解体工事等においては石綿飛散防止対策マニュアルに基づいた対応が必要とされました。2015年(平成27年)6月市議会で現況調査の報告をするとともに、学校という安全であるべき場所で、アスベストを含有している石綿スレート板が使われていることに関して早急に対応すべきとの指摘がありました。

 
つづいて7月の全員協議会において、松尾市長からスレート屋根の取り扱いと今後の方向性について旧講堂の歴史的・文化的価値と御成小学校の教室不足等の現状を踏まえ、保存した上で学校施設として活用することが示されました。スレート屋根は8月に石綿スレートの撤収作業を行い金属板の屋根を仮設したところです。

≪旧講堂にからむ予算措置≫ 

1998年(平成10年)に「鎌倉市立御成小学校講堂基本調査報告書」により、修理工事の概要が示され、「御成小学校改築に関する検討委員会」において講堂の活用について検討がなされました。財政状況から講堂の修復工事を本格的に行い活用することは困難との判断により、当面は郷土歴史教育等の資料展示施設として暫定利用することとなりました。

 
2009年(平成21年)度には中期実施計画において事業目標を「世界遺産の登録資産に関するガイダンス機能や埋蔵文化財の展示機能等の導入を検討」としました。検討する機関として、「御成小学校旧講堂の保存と活用に関する調整会議」が設けられ調整が進められてきました。しかし平成23年に後期実施計画を策定する段階で「世界遺産ガイダンス施設の設置」が新規事業と計画されたことから、「御成小学校旧講堂の保存と活用」を再度検討することとなったのです。

(コメント)

 安良岡教育長との“年頭会見”は、学校施設として修復保全されることになった御成小旧講堂の急展開の謎を少しでも解きたいという思いから、市議会対策等でご多忙のところを引き受けてくださり、実現したものです。とどのつまりはアスベストが見つかったことで、すべてが好転したということになるのでしょうか。

 教育長会見となると、一言一言が鎌倉の行政に大きな影響を与えかねません。第1回目を発信してから1か月近くの空白ができてしまいましたがこの間、教育長や教育委員会と何度かやりとりをして、ブログ内容をチェックしていただきました。お世話になりました。次回の「教育長に聞く」は旧講堂を離れて、今小路西遺跡の将来像などについて語っていただきました。

胸突き八丁の洞門保全(第3回北鎌倉隧道安全対策検討委員会報告)

(3月19日)北鎌倉隧道(緑の洞門)の安全対策に関する第3回検討委員会が16日、鎌倉市役所で開かれ、「本設に向けた文化財的価値の保全方針と対策工法の検討」について議論されました。1月30日に行われた第2回委員会では、閉鎖されている洞門の通行を可能にするライナープレートの仮設工事が取り上げられましたが、工事がいつ始まるのか、いつまで続くのかなどについても議論が進まず、本設についても具体案は提示されないままで封鎖状態は長期化しそうです。
浪曲2北鎌倉史跡研究会松本芳路さん撮影
     鎌倉の浪曲会場「緑の洞門を守る会」の観客で満員の盛況(北鎌倉史跡研究会松本芳路さん撮影)

≪積み上げ方式で形成する対応策≫
 第3回委員会の基調路線は、先立って開催された委員会での意見を積み上げて形成されています。「文化財的価値の保全について」の項目では、委員の意見として「尾根には文化財的価値があり、尾根の形が残っていること、尾根が張り出していることが分かるように現状を残すことが重要である。トンネルには文化財的価値がなく、通行の安全確保を優先して差し支えない」との意見が提示されていました。

 この意見に対して文化財専門委員会(2017年1月27日開催)で確認されたとして、行政は「通行の安全を確保するために必要な対策を実施する」との処方箋(対応案)を提示しています。項目としては「対策工法について」、「植生管理について」、「施工時の事前調査の必要性について」でそれぞれ「意見」と「対応案」を据えています。鎌倉市の委託で「一般社団法人 日本トンネル技術協会」が委員会の資料としてまとめたものです。

≪市民の声≫
 さらに第2回委員会のあと2017年2月11日に鎌倉市主催で開催された「(市民の)意見を聴く会」の意見(要約)も、資料として第3回委員会に提出されました。「トンネルの通行について」の項目では、「沿道住民は通行できないことで、日々の生活に支障が生じている。一日も早く通行再開できるようにしてほしい」とか、「トンネルは廃道にして、景観を残すことを検討してはどうか」などさまざまな意見が出されました。

 「仮設について」では「一刻も早く人が通れるようにしてほしい」、「本設について」では「仮設はやめて、早く本設工事を実施したらどうか」といった意見が取り上げられています。「安全対策方針について」では、市民の声はより現実的で具体的です。「山側を削ってまで車を通りやすくする必要はない」、「コンクリートで固めるくらいなら切ってしまった方がよい」などと今後議論を呼びそうな意見も紹介されました。

≪何のための仮設か≫
 「何のための仮設か明確でない」という委員の1人の発言が、仮設から本設にかけての対応を決める第3回委員会の空気を物語っているように思えます。隧道内部にアンカープレートを設置して通行人だけが通れるようにするということで、第2回委員会で大枠は決まったのですが、今回も仮設工事着工の日時も決まらない状況に「さっさと工事を始めたらどうなんだ」と憤懣やるかたないようです。

 本設についても委員会全体の流れは、いつの間にか隧道を拡幅して小型車や救急車も通れるようにするという方向に動き出しているようです。隧道には手を触れないという原則もなし崩し的に消滅しかねません。実際に「救急車が通行できる断面とした案」などいずれも車両の通行を前提として5つの案が委員会に提示されました。3月末までに議論のそこで報告書が出されるとのことで、そこでどのような方向付けがなされるか注目されます。
(コメント)
 16日の第3回委員会は一連の安全対策検討委員会の最後であり、工事の行方について方向付けがなされるのではないかと期待していました。傍聴人14人の募集について公示があったあと、すぐに電話で申し込もうとしたところ、すでに埋まってしまってどうにもならないと断られました。そこで当日に会場に行って、傍聴人が出てくるのを待って委員会の内容を聞きました。

 委員会では行政側から小型車通行と救急車通行を前提とした工事方案5案の説明があり、委員との間で検討が行われたとのことです。「自動車や救急車が通るという前提は何時なされたのか分からないままだった」、「『今までの経緯をおろそかにするな』という2人の委員の発言がなければ、うやむやのうちに委員会は進んでいたかも知れない」と前提に首を傾げていました。

 直接傍聴できていれば、第3回委員会について異なるニュアンスの受け止め方をしていたかも知れません。でも車両、救急車の通行という前提がこのまま定着すると、本設では隧道の壁面を切り崩す方向になるかも知れません。本設についての論議は内容をじっくりと見極める必要があるのではないでしょうか。「緑の洞門」保全の行方は仮設から本設にかけての議論の展開で、胸突き八丁にさしかかったともいえそうです。

「仮設」と「本設」の真相(行政現地司令官に聞く3追加)

(3月10日)前回のブログ(「仮設」と「本設」の真相)で、「本設」の考え方について再質問したことに触れました。(鎌倉市都市整備部道路課)森明彦課長からの回答を「行政現地司令官に聞く3追加」で発信します。また「本設」について「緑の洞門を守る会」の共同代表(出口茂、鈴木一道さん)名で、松尾崇市長にあてて質問書が提出されましたので、内容を紹介します。3月16日の第3回安全対策検討委員会の開催を前に「本設」の中身について関心が高まっています。
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       尾根の大船側から鎌倉側の3Dレーザースキャニング画像2(第2回検討委員会資料より)  
≪本設についての森課長の回答≫
 (「仮設工事が終わってから尾根の工事が始まる」ということは「本設」をお考えのことだと思うのですが、「本設」では尾根の工事が主体となるとみていいのでしょうか。尾根の工事とは具体的に伐採などを考えておられるのでしょうか。「トンネルには触れない」という原則は「本設」でも生かされるのでしょうか)
 (森課長の回答)北鎌倉隧道安全対策検討委員会では、トンネルが所在する尾根の文化財的価値とトンネルの通行の安全が両立できる方策を検討しています。「本設」のご質問については、まさに検討委員会において検討しているところです。

 (北鎌倉駅の仮改札口増強工事も「本設」の一環と考えていいのでしょうか)
 (森課長)北鎌倉隧道は、隧道の点検調査により「利用者に対して影響を及ぼす可能性が高い」と判定できる。「緊急に対策を講じる必要がある状態である」との診断を受けたため、2015年4月28日から通行禁止としています。今後も引き続き隧道の安全対策の検討を行う必要があることから、本設工事が完了するまでの間、臨時改札口を改修し、4月上旬から一般に利用できるようにするもので、本設工事が完了した後は、撤去することになります。ご質問にある「本設」の一環とは何を意味しているのか理解できませんが、私としては北鎌倉隧道の安全対策の一環と考えています。
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≪本設についての松尾市長あて質問書≫
 3月2日付けで「緑の洞門を守る会」共同代表から松尾市長に提出された「本設工事に向けての意見表明および質問」の概要です。
【国史跡指定に向けて】
 円覚寺結界尾根の価値については、昨年7月8日の文化財専門委員会においてその文化財的価値が認められ、国指定史跡の指定を図るべきとの結論が出されました。尾根に穿かれた洞門についても、文化財保護の立場から言う「文化的景観」として貴重であるとの見解が出されています。市としてもその結論を重く受け止め、その後の具体的対応が北鎌倉隧道安全対策検討委員会において検討され、今日に至っていると推察します。

【洞門には手をつけないという基本に沿って】
 また、本年2月11日に開催された市民向け「意見を聴く会」においても、発言者の大多数が、隧道の保存については本設工においても、洞門には基本的に手を付けないという仮設工の考え方に沿って慎重に行うべきことを求めていました。

【現在の通行機能の確保】
 しかるに2016(平成28)年度北鎌倉隧道安全対策検討業務委託仕様書によれば、「3検討の条件」の(1)として、小型自動車の通行ができる「現在の通行機能を確保」と明記されていますが、小型車の通行を条件とすることは、いつ、どこで機関決定がなされたのでしょうか。このことにつき客観的な記録に基づく説明を求めます。

【本設でも自動車の通行は必要ない】
 北鎌倉隧道は近年まで小型自動車の通行が不可能であり、近年以降も小型自動車がギリギリ通れるといった状態でした。隣接地権者の方は私有地の自動車の通行を認めておらず、また歩行者の安全確保の観点からも私たちは本設工において自動車の通行は必要ないものと考えています。

【隧道の原状保全を厳守】
 自動車の通行を前提とすれば、隧道を大きく削る必要性が出てきます。「3検討の条件」の(2)にあるように、「北鎌倉隧道の原状をできる限り保全する視点で検討を行うこと」という理念を厳守し、自動車の通行を前提としないことを求めます。そのことが、文化財専門委員会の結論を「重く」受け止めたことになると考えるものです。

【3月12日の回答期限設定】
 「小型車の通行を条件とすることは、いつ、どこで機関として決定したのか」については、10日以内(3月12日まで)に文書による回答を求めます。この意見表明および質問は、北鎌倉隧道安全対策検討委員会委員長澤田正昭氏はじめ委員全員にも郵送しました。

(コメント)
 「守る会」の質問書は、松尾市長に12日までに回答期限を設定するなど従来にはあまり例のない厳しい内容になっています。ただ「小型車の通行」という条件だけに絞って文書による内容確認を求めるもので、すでに人の通行だけが可能なライナープレート工法で仮設を実施することがなかばきまっていることを考えると、やや違和感が残ります。 でも隧道の現状には手を付けないということを改めて確認することで、開削をめぐって二転三転した松尾市長の抜け道を絶つという意味があるのかも知れません。あと2日、どういう回答が寄せられるか注目されます。

かるた大会に見る鎌倉文化の底力

(3月8日)「鎌倉かるた」を使っての「かるた大会」が4日、建長寺の方丈で開かれました。鎌倉ペンクラブの主催で今回で15回目となりました。学童にとどまらず壮年チームや家族チームも参加して、市民に広く支持されていることを物語っていました。世界遺産再挑戦を最終目標にした鎌倉市の歴史まちづくりは、市民の支援をいかに実現するかが課題になっていますが、 かるた大会に見る市民の熱気に学ぶべきところがあるようです。
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     建長寺での第15回かるた大会(高木治恵撮影 2017.03.04)
≪鎌倉ペンクラブ伝統のかるた大会≫
 鎌倉ペンクラブは1919年(昭和8年)、鎌倉に住んでいた小林秀雄、林房雄、川端康成、深田久弥ら文士が会員相互の親睦のための社交機関・文化団体として創設されました。しかし会費の滞納などで1961年(昭和36年)に自然消滅しました。作家の三木卓、井上ひさし、エッセイストの伊藤玄二郎さんが話し合って2001年(平成13年)に第2次鎌倉ペンクラブが産声をあげました。

 公開文学講座や会報の発行など活発な活動を続けていますが、2002年には鎌倉にゆかりのある文士や源頼朝、義経ら歴史上の人物などを選んで「鎌倉かるた」を作りました。会員の画家や漫画家の協力できれいな絵札も出来ました。読み札は一般公募して3000人を越す応募がありました。2003年に建長寺で第1回かるた大会が開催され、今年の第15回まで毎年欠かさず続けています。名実ともに鎌倉ペンクラブを代表するイベントになりました。

≪1000人近い参加者で迫られる赤字対策≫
 大会は1チーム4人の勝ち抜き戦で、参加の年齢制限はなく学校の友だち、家族、職場の仲間同士でも申し込めます。2014年(第13回大会)では過去最多の118チーム472人が参加し、応援の父兄やボランティアの審査スタッフなども含めると1000人を越え、さしもの広い方丈もかるた一色で塗りつぶされた感じでした。主催者側の参加者数の調整の意向も反映して、翌年からは漸減傾向を見せていました。

 今年一気に100人台を割り込んだのは、それなりの背景があってのことです。❶開催ごとに赤字対応を迫られていたので、1チーム2000円の参加費を3000円に値上げせざるを得なかった❷主催者側が参加者にふるまっていた建長寺のケンチン汁のサービス中止した❸正面入口での入山料は、昨年まで参加者すべて無料だったのが、今回からは全員支払うことになったことなどが影響しての参加者の減少につながったと思われます。

≪ピンチを救った支援の動き≫
 でも新年会でペンクラブ会員に寄付金を募ったほか、円覚寺、大船観音寺、光照寺、高徳院、浄智寺、瑞泉寺など鎌倉市内のお寺、江ノ島電鉄、製菓会社や飲食店など11団体から協賛金が提供されました。こうした支援体制を確立したことなどが大幅な“かるた離れ”を食い止め適正人数での開催となりました。大会には92チーム368人が参加し子供会、小中学生の他に女子大生、現役会社員チームなどいろいろなジャンルのチームが出場し、年代層に広がり、大会の定着ぶりを示しました。

 受付で何組かの小学生グループが手持ちの硬貨を出し合って、参加費を具面しようとしている光景が印象的でした。「今年はケンチン汁がないの?」とがっかりする父兄も少なくないようでした。かるたの絵札の中から会員が描いた2枚の絵柄を選んで缶バッジを参加者全員に配るなど、ペンクラブ側の気配りも並々ならぬものでした。大会の結果は清泉小中学校チームが金、銀、銅メダルを独占するという際立った結果となりました、

≪かるた大会と歴史まちづくり≫
絵札(連結)
                 モザイクのまちの魅力を描いた「鎌倉かるた」
 「稲村ヶ崎剣投ぜし新田義貞」、「平家を倒し幕府開いた頼朝公」、「若宮大路鳥居抜けると光る海」、  「ノーベル賞川端康成鎌倉文士」、「江ノ電がごめんなさいと軒先に」・・・  
 市民の参加で創られた読み札とペンクラブ会員が総出で描いた絵札の1枚1枚には、歴史文化から現代の生活環境に至る“鎌倉の魅力”がふんだんに取り入れられています。昨年4月に認定された日本遺産のストーリーにある「歴史と文化が描くモザイク画のまち」そのものです。

 先に認定された「歴史的風致維持向上計画」と合わせて、鎌倉市は「歴史的遺産と共生するまち」を実現して、世界遺産登録に再挑戦しようとしています。ところが市民は笛吹けど踊らずの状況です。このままだと「武家の古都・鎌倉」で挑戦して失敗した2013年の世界遺産登録の二の舞を踏みかねません。行政の考えを市民に少しでも理解してもらって、官民協働で歴史との共生を推進しようとしていますが、名案は浮かんでこないようです。

 そこでかるた大会の構造改革を考えてみてはどうでしょうか。モザイクのまち鎌倉を取り上げているのは行政も鎌倉ペンクラブも同じです。「鎌倉かるた運営委員会」をペンクラブ、行政(歴史まちづくり担当)と市民代表の三者で構成し、大会開催準備だけでなく、その過程でモザイクのまちの理念を共有していくのです。ペンクラブの一会員としてかるた大会にもかかわる老人の戯言かもしれません。でも楽しいではないですか。

「仮設」と「本設」の真相(行政現地司令官に聞く3)

(3月5日)北鎌倉隧道(緑の洞門)安全対策検討委員会が決めた隧道の「仮設工事」が、いつ始まり、いつまで行われるのか。その後の「本設工事」では何をどのように変えようとしているのか。さまざまな謎を残したまま、洞門問題の核心部が動き出そうとしています。「出来るだけ早くやりたい」という鎌倉市都市整備部道路課の森明彦課長に「仮設工事」について疑問をぶつけてみました。カッコ内は高木の質問です。
尾根の大船側から鎌倉側の3Dレーザースキャニング
     尾根の大船側から鎌倉側の3Dレーザースキャニング画像(第2回検討委員会資料より)
≪仮設工事が決まったいきさつ≫
 2016年11月10日に検討委員会の先生方に続いて、11月15日に文化庁からもこれでいいよと言われました。これについてはまだまだ構造計算もしなくてはいけないので、それを並行してやっているところです。トンネルはライナープレートの工法で鉄板を張り、周りは土嚢といって、災害などでビニール袋に砂を詰めたもので覆います。尾根やトンネルは今回は触らないという工法で今動いています。

 ただ仮設工事をいつやるのかというのは、まだ決まっていません。土地の関係が整理できていないので、まだ予算措置をしていないところです。3月着工という話もありますが、2月議会で補正予算をとらなければいけないので、間に合うかどうかわかりません。仮設工事そのものも新年度になることもあり得ます。その時はトンネルの周りの状況が当分今のまま続くことになります。

≪仮設の後の本設工事?≫
 (仮設工事を終えた後は、検討委員会の了解を得ながら尾根の工事になるのか)そういうことになろうかと思います。ただもう一つ必要な工事があります。先の12月市議会で補正予算を上程した今の臨時改札口を補強する工事です。県立大船高校の生徒が使っていた鎌倉寄りの改札口は、トンネルが通行止めなので通れません。そこでJRにお願いをして大船寄りに2015年6月ぐらいから臨時改札口を開けてもらって対応しています。

 ですが仮の改札口として出口専用のスイカしかありません。入口用のスイカもつけてくださいと頼みました。始発から終電までかどうかはわからないのですが、出入口両様の機能を持つ改札口として機能させてくださいと頼んだわけです。工事費等の資金は市で負担するとの申し出でした。朝だけの臨時改札口から一定の時間開くように仮改札口へと協定を結んで、JRが工事を進めていくというところが並行して動いています。

≪市の負担で北鎌倉駅に仮改札口の増設工事≫
 ゲートそのものは機能しています。今は1時間で閉まってしまいますが、そこを日中から夜まで開けてもらいます。3年間の債務負担工事ということで7100万円の予算を計上しました。検討委員会で説明をした時には、特に厳しい質問はなかったですね。あとの撤去も含めて3年間の維持管理のための予算で、人件費も含まれます。夜は駅全体で駅員が1人しかいないとのことです。

 改札口が空いている間は、お客さんが切符も何もなく無賃乗車する可能性があり、そういったことを防止するためにも、ガードマンをおくとのことで、そのための人件費です。ホームが狭いということもあります。最近地下鉄で目の不自由な方がホームから落ちたこともあり、JRはとてもシビアでナーバスになっています。ただスイカの機能に限定しますからスイカさえあれば高校生以外でも電車を利用できます。

(コメント)
 森課長との会見は昨年12月末に行いました。ちょうど検討委員会が行われ、刻一刻と洞門の運命が決められていく目を離すことができない時期でした。それだけに客観情勢が動いてしまって、会見の時と微妙な“時間差”を感ずるところもあり、ブログにまとめた原稿を森課長にチェックしていただくことが重要な意味を持っています。

 会見の12月末には私の頭の中で「仮設」に対する「本設」のイメージが明確なものにはなっていませんでした。今回のブログでは「仮設のあとの尾根の工事」という森課長の指摘がありますが、これが行政の考えている「本設」そのもの、ないしは「本設」の一部ということになるのでしょうか。また横須賀線ホームの仮改札口の増強も「本設」の一部と解釈できます。

 11月の検討委員会が非公開で行われ、会見との「時間差」もあって「本設」についての混乱があることについてはお詫びします。この混乱を整理するために森さんに追加の質問を出しました。❶尾根の工事とは具体的に伐採とかを考えているのか。「トンネルには触れない」という原則は「本設」でも生かされるのか❷北鎌倉駅の仮改札口増強工事も「本設」の一環と考えていいのか――の2点です。市議会2月定例会もあり、森さんのお返事がないので、疑問を残す形のままでブログを発信しました。

洞門の救世主になれるのか(行政現地司令官に聞く2)

(2月24日)北鎌倉隧道(緑の洞門)安全対策検討委員会がトンネルの運命を握る存在として浮上してきました。文化庁からの指示に基づいて「尾根を残す」ことになり、昨年11月と今年2月と3月に委員会を開催し、新年度も引き続き同じ顔触れで洞門にかかわることになりそうです。検討委員会は住民の期待を担って洞門の救世主となるのでしょうか。行政の現地司令官である鎌倉市都市整備部道路課の森明彦課長に検討委員会の存在の意義と将来について聞いてみました。カッコ内は高木の質問です。
30)
                   ライナープレート仮設工事後の歩行者通行イメージ図(日本トンネル技術協会資料より 2017.01.30)  

≪新年度の検討委員会≫
 私たちは尾根が残せて、安全が担保できればいいのですから、それがどういう工法になるのかというのは、検討委員会の先生方の意見を聞かないとわかりません。委員会について3回開催と決めたのは、「今年度」の案件という期限を考えてのことです。ただ今年度では終わらない可能性もあります。この3回の委員会では工法の概略までは何とか決まるでしょうが、細かいところまでは決まらないと思っています。

 どこをどうやって残せばいいのかといったことについては、新年度に改めて委員会を作る必要があるのではないかと考えています。今年度の委員会そのものが延長されるのか、それとも新たに設立するのかはまだ決まっていません。(でも一連の動きの中で考えると延長のかたちになるのではないか)先生方もせっかく文化庁から紹介していただいた方なので、第一人者でしょうから、先生方に引き続きお願いしたいとは考えています。

≪委員会の顔ぶれ≫
 検討委員会の構成は(開削の方針を決めるきっかけとなった2015年8月の北鎌倉隧道安全性検証等業務履行報告書作成にかかわった)第三者委員会(4人)のうち土木関連の先生3人は同じ顔触れです。残る1人は呉(広島)におられ、遠方のため委員になっていません。当時の西村和夫委員長(首都大学東京・都市環境学部教授)、小泉淳委員(早稲田大学理工学術院教授)、真下英人委員(日本建設機械施工協会施工技術総合研究所長 )が土木専門で検討委員会にもかかわっておられます。

 文化庁から紹介していただいた文化財の先生は3人です。検討委員会の澤田正昭委員長(東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター長)、長田昌彦委員(埼玉大学理工学研究科環境科学・社会基盤部門准教授)、河野眞知郎委員(鶴見大学仏教文化研究所学外兼任研究員)です。河野先生は鎌倉市文化財専門委員会委員会長をやっておられます。

≪結論と方向性≫
 3月の検討委員会で方向を決めることになっており、どういう方向になるかははっきりすると思います。全体構想をまず決めて、それから細かいところを詰めていくことになるのではないのかと思っています。どういう形での安全がいいのか、どこがどれだけ史跡として大事なのかを整理してもらわないと、土木の先生もどういう方向ならいいのか提案もできませんし、史跡としての価値をどう捉えるかというところもあると思います。

 その前に出来るだけ早く仮設工事をやりたいと考えています。仮設工事というのはトンネルの中にトンネルを入れるようなものです。その内側に鉄骨を入れて鉄板でトンネルの中にトンネルを入れるということになります。ここを人が通れるようにしようというもので、ライナープレートというものです。1㍍75㌢の高さですから私がぎりぎりになると思います。地権者の方と話し合ってこの方法で仮設工事を進めようと思っています。

あいまいな洞門の「本設工事」

(2月21日)「隧道が存在する尾根の文化財的価値の保全方針(案)」について市民の「意見を聴く会」が11日、鎌倉市役所で開催されました。あくまでも「意見を聴く」ということで、市民は一切の質問はできず、行政の一方的な意見聴取に終わり、「アリバイ工作、ガス抜きに利用されただけではないか」と市民側に不満を残しました。「聴く会」では、トンネルの安全対策に向けた「仮設工事」のあとの「本設工事」の実態解明に関心が寄せられていましたが、行政が何を考えているのかまったくわからないまま閉幕しました。
緑の洞門画像
       通行禁止になる直前の緑の洞門(高木治恵撮影 2015.04.26)

 「聴く会」には130日に行われた「第2回北鎌倉隧道安全対策検討委員会」の6委員のうち澤田正昭(東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター長)委員長と西村和夫(首都大学東京都市環境学部教授)副委員長の2人が参加しました。参加した26人の市民のうち15人の市民は、緑の洞門(北鎌倉隧道)を含む尾根筋の文化財的価値と保存を求めるものでした。これに対して6人は開削支持の立場から「病院に行くのに不便」「救急車が入ってくることができず困る」などと、日常生活をベースにして意見を述べていました。

 

「本設」については公開された検討委員会では、配られた資料の表紙に「本設に向けた文化財的価値の保全方針の検討について」とまるで衆知の事実であるかのように、触れられていました。「緑の洞門を守る会」共同代表の出口茂さんの「聴く会」での発言から本設についての意向を探ってみました。発言はいずれも昨年78日の文化財専門委員会の結論を原点にしています。

 

❶仮設工事に続く本設工事もまた文化財専門委員会の精神と矛盾することなく、首尾一貫したものであるよう願います。「緑の洞門」は長年にわたって人や自転車が通れるための素掘りのトンネルとして親しまれてきたものです。

❷本設において、洞門の山側の岩肌を相当削って車を通れるようにするというのは、安全対策とは何の関係もないことです。安全対策と関係のない掘削を本設の前提にすることは、文化財専門委員会の意思に反する愚挙に他なりません。

❸人が通れるよう仮設が早期に実施できさえすれば、本設は拙速でなされる必要はありません。本設のためにはこの3月以降も検討委員会をさらに継続し、検討を積み上げ、じっくりと時間をかけて安全対策工法を練り上げれば良いと思います。

 

行政側の工事関係者は本設について概要を語ってくれました。

「現在審議中の内容は尾根には文化財的な価値があり、これを残すこと、そのためにはトンネルを残さざるを得ないこと、取り急ぎ人の通行を再開できるようにすること、およびその暫定的な方法(仮設)です.次年度から本設についても検討してゆくとのことです。いずれにしても尾根を残すことが大命題ですので、本設は景観に配慮した上でトンネルをどのようにするかが話し合われると思います」

 

「できれば地山が一部でもいいので見えるようにすることになろうかと思います。開削はあり得ません。逆に極端なことを言えば、トンネルは全面的にふさいでもよいということです。ただし人と最低限の車を通す必要も認めざるを得ないため、全面的にふさぐことも開削と同様にあり得ないということになります。仮設にしても本設にしても,安全第一は譲れないということでしょう」

 

(コメント)

 傍聴した「第2回北鎌倉隧道安全対策検討委員会」の資料で、初めて「本設」という言葉を見つけたのが、そもそもの不安の発端でした。資料では「本設」がいつ、どこで決まったのかもあいまいなままで終わりました。市民が洞門保存の意義を踏まえて慎重な対応を求めていたのに、「聴く会」の閉会にあたり「(必要なのは)やっぱり安全」という検討委員の一言で、今後の展開が不透明になるのではないかという不安は嵩じてきました。

 

 そこで「守る会」の共同代表や行政の工事関係者(匿名)らに、同じ質問をぶつけてみました。そこで分かったのは「仮設」があるのなら「本設」は当然あるという単純な理屈でした。「守る会」の出口代表や「匿名」の回答は、「本設」を客観的に分析していることを示しています。3月の検討委員会や市議会の動きなどを通してどんな本設のシナリオができのか、見守っていきたいと思います。

2つの陳情が示す課題(大規模商業施設建設計画66)

(2月20日)由比ガ浜の大規模商業施設建設計画は、まちづくり条例手続が終了し、開発事業条例に基づく各課協議に入っています。建設計画の縮小や敷地内での駐車車両の削減など商業施設建設事業者の(株)大和情報サービスの懐柔策ともいえる動きが目立っています。でも最大の課題である建設予定地周辺の交通問題などは行き詰まったままで、地元住民を中心に建設計画に反対する動きが続いています。こうした情勢の中で住民から市議会に出された国道134号線交差点右折レーン増設と計画地西側の赤道払い下げ見直しを求める2件の陳情が、22日の建設常任委員会で報告されます。

≪右折レーン増設について≫
 建設常任委員会への付託が決まったのは、事業者側の右折レーン増設計画にからむ第69号陳情です。商業施設の建設計画地に隣接する由比ガ浜4丁目にお住まいの原正己さんから提出されたもので、「(国道134号の海浜公園前交差点に右折レーンを増設するという)計画によると交通渋滞はもとより歩行者等の安全を観点からも重要な課題があり、事業者はじめ関係機関に見直しをしていただきたい」と(陳情の要旨)で述べています。

 まず(陳情の理由)では「(海浜公園前交差点周辺には)多くの観光客が訪れ人と車で溢れる状態です。また当該交差点と滑川交差点との短い距離の間に県営地下駐車場の導入路が左右にあり、道路幅員が制約された状況になっています。こうした背景の中で、歩道幅を削減し、路線を湾曲させ右折レーンを増設させる計画が住民への説明もなく、一事業者の思惑で勝手に計画されたことは誠に遺憾であります」と問題点を指摘しています。

 次いで「国道134号線は鎌倉市民の生命線であり、この計画により道路環境がさらに悪化し、通過車両が地下駐車場入口の外壁へ衝突する可能性もあり地域住民の安全や通過車両の危険、交通渋滞に問題があるという懸念について不安が募るばかりであります。関係機関におかれましては、歩行者ならびに車両の安全な通行が両立できるように見直しを行うことを陳情する次第です」と陳情に至った理由を述べています。

≪赤道の払い下げについて≫
 陳情第71号(由比ガ浜4丁目の住民4人から提出)では、「(交通渋滞悪化や住環境悪化、屋上駐車場建設など不安定な状況であるにも関わらず)新たに計画地西側の赤道(市町村が管理を移管されている国有地の公道)の鎌倉市から事業者への払い下げといった計画追加・拡大案が存在し、それに対して鎌倉市が明確な不認可判断を行っていないことは到底容認されません」と問題を指摘しています。

 (陳情の理由)としては、❶2015年11月に公示された事業計画では「赤道および地番1185-13(以下当該地)については記載されておらず(計画されていない)、住民への周知も住民説明もなされていません。従っていわゆる「なし崩し的」に当該地を既存の計画に含めて同一事業とすることは許容されません。❷赤道には10㍍を越える高木が複数存在し、周辺住宅への防音、防砂、防風、緑環境などに多大な貢献をしており、伐採や当該地の事業利用(駐車場など)は、周辺環境への侵襲が多大です――などを指摘しています。

 なお2014年に(陳情した個人が)住宅建設をした際、赤道の部分取得を申し出たところ、鎌倉市の担当部署において十分な検討や説明もなく、無下の拒否されたとの経験を述べています。その上で「鎌倉市担当者の『市民には厳しく、外来事業者には甘く』の対応には到底納得できません」として、当該地の鎌倉市からの事業者への払い下げについては認可されないよう陳情の理由を記しています。

(コメント)
 事業者側が進めてきた建設計画の見直しによって施設の規模などは、部分的に縮小されたものの、新たに共同住宅が建てられることになっており、計画縮小の意味をも根本的にないがしろにしかねません。さらに交通シミュレーションを重ねておりながら交通問題解決の意欲はまったく伺えません。シミュレーションも住民懐柔策の一環としか思えません。

 現地住民の1人が共同住宅事業者であるNTT開発担当者に直接「どの時点から大和情報との集合住宅計画が持ち上がったのか?」と詰問したところ、「企業間の情報管理上、返答できない」と返事で愕然としたそうです。もしかすると、計画変更以前、もしやすると計画初期段階からからこの集合住宅の計画が存在したのでは? と言っておられました。事業者と住民間の溝は、工事の規模縮小にもかかわらず、むしろ広がっているのではないかとの印象を持ちました。
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