鎌倉歴史文化都市の光と影~30年後のたたずまいを見据えて

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。世界遺産登録挫折に続く鎌倉の歴史まちづくりの真実を探る。

前庭の導入路と鎌倉博物館建設構想(歴史まちづくり担当桝渕規彰部長に聞く❸)(鎌倉歴史文化交流館5)

(6月23日)鎌倉歴史文化交流館前の緑地の斜面に交流館に至る「導入路」が造られました。近隣の住民対策の決め手として整備されたもので、将来は緑地の一角に(仮称)鎌倉博物館を設置する構想もあります。鎌倉市歴史まちづくり推進担当の桝渕規彰部長に、導入路と博物館設置の真意を聞いてみました。背景には住宅地のど真ん中に交流館を造ることになったことで、地域住民といかに折り合っていくかという課題があったようです。

≪導入路エリアに鎌倉博物館≫
 2013年度末の鎌倉歴史文化交流センター整備基本計画の中では、確かに空地も今回オープンした歴史文化交流館も一体として、(仮称)鎌倉博物館を整備していくという基本構想があります。それを今度は具現化、具体化していくという検討段階に入っていくわけですが、具体的に中世博物館の建物を建てられるのかとなると、いろいろと法規制上の問題もあるので、そこはどうしていったらいいか検討していくことになるでしょう。

 いずれにしても中世博物館を造るということではなく、鎌倉博物館を整備していくということは、われわれの使命だと思っています。今回の交流館のオープンでわれわれの仕事は、これでおわりではないということです。鎌倉博物館のコンセプトはまだぜんぜん詰まっていません。これからのことです。どういう内容の博物館にしていくのか。これからコンセプトを考えることになっています。

≪博物館へのみちゆきの整備≫
 鎌倉博物館の建設予定地である交流館の前庭は、導入路として整備しました。みちゆき(目的地に達するまでの過程を表現する日本の文芸,芸能上の表現形式)といえるかも知れません。(これは住民対策の一つとして考えていいのか)いや一つではなくて住民対策そのものです。一般の来館者が交流館の東側の従来の道路を通行すると、やはり近隣の13軒に対して影響が出るだろうという判断に基づく対応です。

 それよりも敷地があるのだから、来館者にはそこを通ってもらって、交流館の中にはいっていただくという構想を具体化したものです。合わせて博物館的な施設にはいっていただく心の準備というか、だから博物館への導入路であり、みちゆきというわけです。気持ちを高めていって別世界の博物館に至るみちゆきというわけです。銭洗弁天に行く道でいつも賑わっています。その賑わいがそのまま脇の道に入ると、やはりよくないという判断です。

≪近隣住民との話し合いを通して≫
 地域住民とは十数回会って、導入路の建設についても説明し、基本的には受け入れてくださいました。そこで住民の方々が一番心配していたのは、静かな住環境が保持できるのかということです。交流館をつくるということではみなさん前向きにご理解いただいています。ほとんどすべての方々が交流館の内実を知って、「そんなに大事な施設なのか」とみています。ですが13軒に関していうと、構想が現実のものになるということで心配されています。

 交流館を造る一方で住民の不安を解消するということで、この2つを両立させるにはどうしたらいいのかいろいろ考えてきました。(その段階で前庭での導入路の建設の話が持ち上がり、住民側にその案を提示したのか)もちろんそうです。「導入路の建設でみなさんのお住まいの前の道をわいわい通らないようにします」と説明しました。住民は「いいことだね」といって、概ねご理解いただけたと思っています。そんな道は造るなという意見はなかったですね。

 交流館と鎌倉博物館を一体として整備していくということは、基本計画の中で表明しているわけですが、この一体性ということがどういう形になるかということが今後、重要になってきます。導入路東側の下段になっている土地に鎌倉博物館が造られるとみています。さらに一体として整備する構想の中で、庭園部分をどうしたらいいのかを考えていかないといけないと思っています。

日曜祝日休館とは?(歴史まちづくり担当桝渕規彰部長に聞く❷)(鎌倉歴史文化交流館4)

(6月19日)開館1か月を過ぎた鎌倉歴史文化交流館の内実について、所管の鎌倉市歴史まちづくり推進担当の桝渕規彰部長にいろいろ疑問をぶつけてみました。最大の疑問は鎌倉に観光客が殺到する日曜と祝日を休館日にしていることです。静かな住宅地の一角に交流館があるため、せめて休日ぐらいは環境を保持したいという住民対策の配慮があるようです。カッコ内は質問です。
開館1-1(交流館近隣の高級住宅地)
     交流館近隣の高級住宅地(高木治恵撮影 2017.05.15)

≪近隣住民への配慮≫
 日曜祝日を休館日にしたのは、近隣住民への配慮に神経を使いながらやってきた結果と言えます。通常博物館のような施設は土曜、日曜、祝日はオープンしてみていただくということになるのですが、やはり閑静な住環境に配慮して、当面は日曜祝日は開館せず、土曜日のみの開館になっていて、条例にも織り込んでいます。ものすごく議論があり、教育的な社会教育生涯学習が日曜祝日はやらないというのはおかしいだろうとの意見も出されました。

 それはごもっともだと思っています。ただオープンの時には地域住民には、ぜひ見てほしいということで始めました。しかし今後の管理運営の課程で地域のみなさんのご理解をいただいて、日曜祝日もなるべく早い時期にオープンできるようにしていきたいと思っています。(たとえば市にこの日に見たいからという申し込みがあったときにはどうするのか)昨日まさにそのような提案があって、そこについては検討していくことになっています。

 たとえばお休みの日しか団体の人たちが交流館見学などの活動を予定できないというパターンもあります。こうした申し込みがあった場合についても、配慮していかなくてはいけないと思っています。その場合には住環境に影響を与えないというところで検討していきたいと考えています。(学校から修学旅行での見学の申し込みがあったらどうするのか)地域の方にご理解いただいた上でということになると思います。

≪住民側の動き≫
 実は特殊な事情があって、あそこは第一種低層住居専用地域なので建物の用途を変更する許可をもらって施設として使うことにしました。その用途変更の許可は市長が出すのですが、市長が自分のところの事業を勝手にやるということはできないので、建築審査会に諮ってそこの意見をいただいて許可を出すことにしました。建築審査会に諮る際に一人でも住民が反対しているような状況というのはよくないということで、全員の納得をいただくような調整をしてきました。

 その中で少しでも押さえられるところは押さえるという対応でやってきました。とくに休日の設定などで反対されないような工夫をしなさいということで、日曜祝日は開館にするか閉館にするかで話を詰めてきました。せっかく作るのだから日曜祝日を休館にするのはもったいないというのが、大半の意見でした。でもたとえ少数意見であっても開館に消極的な意見があるのなら、ちゃんと意見として聞いて対策を考えるようにしてきました。

≪世界遺産ガイダンスセンター構想≫
 これはやはり一つ一つのステップとして考えていくべきだと思います。(地域住民との間で協議会みたいなものがあるのか)協議会ということではなくて、必ず節目節目で説明会、情報交換会を設けて住民側の意見や考えを吸い上げて、こちらとしてもこういうことだと説明をしてやってきています。すでに10回を越えます。

 そもそもここは世界遺産のガイダンスセンターにするということで、2012年ぐらいにスタートしました。あのような閑静な場所だからこそずっと住み続けたいという住民ばかりです。確かに細かくして分譲しているところも見られます。とにかく活動を始めて、その活動の内容をご理解いただきたい。数を押さえれば静かな環境が保たれるということでは決してありません。

 月曜から土曜まで開館、日曜祝日は休館ということです。くどいようですが本来ならば国宝館と同じような開館時間の設定をするべきであるし、そのようにしたかったのは間違いありません。国宝館は基本は月曜日が休刊日で、連休の場合には連休明けの次の日が休館ということになっています。それと年末年始は役所と同じように休館にしています。(つづく)

(コメント)
 日曜祝日休館と聞いた時、耳を疑いました。これでは観客は動員できないよと思いました。案の如く5月末までの1日あたり平均の来館者は、200人を予測していたのに対して140人と大きく下回っています。普通なら開館のあとは大幅に数字はあがるはずです。やはり休館についての考え方が観客の足を引っ張っているのではないでしょうか。

 桝渕部長も「大半の意見は日曜祝日を休館にするのはもったいないということでした」といっています。いずれにしても早期解決して開館できるようにしたいというようなことも言っておられました。住民対策に骨を折っておられることはわかりますが、それも度を越すと何もできなくなります。休館問題は住民対策の現状を象徴しているように思えます。

総合プロデューサーの本音に迫る(歴史まちづくり担当桝渕規彰部長に聞く❶)(鎌倉歴史文化交流館3)

(6月16日)鎌倉歴史文化交流館は開館1か月になりましたが、予定していた来館者1日あたり200人に対して現実は140人と思惑通りに稼働しておりません。館内の展示も歴史的風致維持向上計画と日本遺産のコンセプト「歴史と文化が描くモザイク画のまち」を基本にした展示構成は、鎌倉の魅力につながっているのでしょうか。デザインから展示構成まで全般にかかわってきた鎌倉市歴史まちづくり推進担当の桝渕規彰部長に聞いてみました。(カッコ内は高木の質問要旨です)
開館1-9
    交流館の通史展示室の模様(高木治恵撮影 2017.05.15)
≪交流館の組織体制≫
 (交流館職員の名刺を見ると歴史まちづくり推進担当に所属しているように見えるが、そもそもどういう組織体制になっているのか)交流館の所管は教育委員会文化財課です。その補助執行(長以外の執行機関の補助職相互の間の兼職)ということで、市長部局の歴史まちづくり推進担当が手掛けてきました。実質は歴まち担当がやっています。

≪館長委嘱≫
 館長は外部から非常勤嘱託という形で委嘱しています。青木豊さんという国学院大学文学部教授で、専門は博物館学と考古学、博士号は歴史学でとられています。国宝館の館長と立場とか身分的にはまったく同じです。今後われわれが交流館を博物館として育て、拡充していくことをビジョンとして持っています。そのために指導、助言していただくということで、博物館学の第一人者である青木先生にお願いしました。

 (事前のコンタクトはあったのか)展示のコンセプトを組み立てていく際に本来、博物館として開設準備をしていくため、学識者の委員会のようなものを立ち上げて、検討していくというのが、オーソドックスなやり方です。やはり長い期間をかけてということではなかったので、文献史学とか考古学など何人かの方に個別に展示構想についてアドバイスを受けた中のひとりが青木先生でした。

≪交流館設置と展示構想≫
 (官主体の設置・展示で市民はいっさいかかわってこなかったのではないか)展示のコンセプトを煮詰める段階で、こまかい部分は副館長の高橋真作・学芸員が実力を発揮してくれています。だが大きな流れはみんなで議論して作ったというのが正しいと思います。確かに2014年に県から鎌倉市に出向してきて、いくつかミッションを与えられた仕事の中に歴史文化交流センターの整備がありました。

 聞いてみたところ展示を中心にやるということなので、展示のコンセプトはどうするのか、柱は何なんだというようなことは考えました。大きなものはこれまで埋蔵文化財の出土品を常設展示するところがなかったので、常設展示施設の設置ということを1つの大きな柱にしてきたことです。さらに鎌倉の歴史文化というものを展示資料にしながら組み立てていくというのが、大きな考え方でした。

 昨年、高橋学芸員を引っ張ってきて戦力に加わってもらいました。2015年度は学識者とか、文化財課の学芸員、国宝館の学芸員と一緒になってやってきて、大筋はこうした中で庁内の組織をあげてみんなで決めてきました。(第三者委員会のような外部組織の議論はなかったのか)それがオーソドックスなやりかたですが、そういういとまがあまりなかったので、個別に有識者のご意見を伺いながら進めてきました。

(コメント)
 厳しい財政状況下で財源不足にどのように対応していくのか? 路線バスやシャトルバスなどのアクセスはどうなのか? 博物館運営に見合う継続的な来館者が見込めるのか? 民間事業の参画の可能性はあるのか? 問題山積のまま博物館構想は宙に浮いた形で、世界遺産登録が20年にわたって何ら進展をみないのと同じように10年がたってしまいました。

 決断できない行政の動きにしびれを切らせて、市民の間では風致保存会の分科会として「鎌倉の博物館構想を支援する会」や「中世博物館を支援する会」を新たに立ち上げ、細々と支援活動を続けています。御成小学校旧講堂を世界遺産ガイダンスセンターとして行政で予算措置が講じられたこともありますが、歴史文化交流館の建物と土地が民間から寄贈されると、行政は方針を変え、そこを改造して今回の交流館開設につながりました。でも財源や安定した来館者の確保などの課題は、まったく変わりません。

ウォーナーの謎のリスト

(6月14日)文化を守る映画製作委員会「ウォーナーの謎のリスト」が、鎌倉市川喜多映画記念館で上映されたので、どんな謎が提起されるのか大きな関心があって見に行きました。金高謙二監督のドキュメンタリー作品です。新しい謎への挑戦と思っていたのですが、実際は戦時鎌倉の文化財がウォーナーリストによって救われたという肝心のところはまったく触れられていませんでした。
謎のリスト
 「戦争は狂気である。人もモノもすべてを焼き尽くし破壊し、無に帰す。その中で狂気に立ち向かい勇気ある行動を取った人々の真実を見つめたい」という思いで、日本の文化財151か所の保護リストを作成したとされるラングドン・ウォーナーを描いています。鎌倉では鎌倉大仏と円覚寺舎利殿の2か所だけがリストアップされているだけですが、「戦禍から守られた鎌倉の美しい自然と文化財に目を向け、新しいまちづくりのあり方を考える好機にしたい」として1988年には、鎌倉駅西口時計塔広場にウォーナーを顕彰する記念碑が建立されました。

 石碑にはウォーナーのレリーフと「文化は戦争に優先する」という理念が彫り込まれました。なぜ鎌倉に石碑が造られたのかは謎のひとつですが、映画ではまったく触れられていません。代わって神田神保町の古書店街の戦時体験など無関係のエピソードが延々と取り上げられていました。ただウォーナーはもとは考古学者だったとして、カーネギー財団から中近東に派遣されたことなど興味ある事実も紹介されました。

 また「日本の禍機」の著者で開戦直前戦争回避のために秘かに行動した朝河寛一と組んで、ウォーナーがセオドア・ルーズベルト大統領から昭和天皇への親書を草案したことなども効果的に触れられています。「ウォーナーの謎のリスト」ではなく、「ウォーナーと太平洋戦争」というタイトルなら何も反発することはなかったでしょう。

 私は2011年春に防衛庁資料室に行って、ウォーナーリストを確認し、大量のコピーを作って持ち帰ったことがあります。そのリストに基づいて11月にブログで「ウォーナーリストの真実」「ウォーナーリストとハーグ条約」など何本かの記事を発信しました。「別の米空軍文書によると都市爆撃の目標として、京都は4番目、奈良80番目、鎌倉も124番目」として、ウォーナー・リストに載っているからといって決して特別扱いされているわけではないなどと報告しました。

 従軍経験のある日本文学研究家のドナルド・キーンさんに聞いたところ、多くの文化財がある京都や鎌倉を空襲から救ったのはスチムソン陸軍長官だといっておられました。同志社大学のオーティス・ケリーさんも、1975年に文芸春秋と毎日新聞に「京都爆撃禁止命令を出したのはスチムソン」とする別人説を発表しています。地域史家の石井喬さんは、「京都は原爆投下目標として温存されていただけ」、「GHQ民間情報教育局(CIE)による反米感情払拭のための米軍美化の情報操作によるもの」と断じていました。

 米国が日本の文化財を尊重したからこそ、古都は破壊を免れたという太平洋戦争の「常識」は「謎」のままです。上映後に会場から質問を求めたので、真っ先に手をあげて「キーンさんもスチムソンだと明言しているが、監督自身はどんな考えなのか」と聞いてみました。金高監督は「私もキーンさんにコンタクトしたのですが、映画の主要人物で対日工作員の1人だったロシア生まれのセルゲイ・エリセーエフを嫌っているというので、会見は断念しました」と言っていました。鎌倉はウォーナーのお陰で救われたのかといった謎は、今も何も変わらず都市伝説として温存されており、今年も石碑の前で「偲ぶ会」が行われました。

由比ガ浜ショッピングセンターは建設困難(トップ当選の長嶋竜弘市議に聞く3)

(6月9日)由比ガ浜の開発で市議会も巻き込んで大きな問題となっていたショッピングセンター建設計画は、住民の強い反対にもかかわらず規模縮小、共同住宅の建設という“妥協案”のままで押し切られてしまいかねない状況です。市議選でトップ当選した長嶋竜弘議員は、他市でのスーパー開設にかかわった体験から由比ガ浜にショッピングセンターを開設するのは困難と言っています。由比ガ浜開発の現状と今後の展望を聞きました。
ボランティアガイド中の長嶋さん
   市民や観光客の意見を聞く場でもあるボランティアガイドの長嶋さん(本人提供)

≪由比ガ浜開発≫

 3月末に事業者による住民説明会がありました。私も松中議員と上畠議員と一緒に商工会議所に聞きに行きました。やりとりがあったのですが、(株)大和情報サービスというショッピングセンター建設を計画している事業者は、ここまで反対が強烈だとは思ってもいなかったと思います。共産党から自民党の議員までいて、陳情などいろいろやってきました。 

 
(株)NTT都市開発が事業者の共同住宅は別ですが、ショッピングセンターについては、私は西友にいて、新店開設を2店舗で開発をやり、横須賀とか福岡とかで新しい店をやってきました。その経験からすると、近隣の住民が一番のお客さんですから、その人たちが猛反対している中で、ショッピングセンターやってもうまくいくとは思えません。大和情報サービスはショッピングセンターを作って賃料を取る側でしかないから、出店するわけではありません。

 出店する側のスーパーとかテナントにしてみたら、周りが強く反対運動をしているところは絶対に嫌だ、入りたくはないですね。揉めている案件には入りたくはないですね。よほどの好条件でもなければ、厳しいですよね。店の進出で出入りする車がかかわるような事故が起きたら、店としては責任をとらされます。大和情報サービスは関係ないですからね。出店する側にしたら、そんなところに入りたいかというと厳しいと思います。

≪半分は海の商圏≫

 私は商売ですからやはりそこはすごく気にするのです。私がいた西友でも近隣住民の合意というか取り込みを一生懸命やりました。まあ訪問してピンポンと鳴らして、お菓子なども持って行って、開店までは慎重に住民対策をやります。由比ガ浜の場合は事業者にはそういう姿勢も見られず、「もう取れないよ。帰ってくれ」と追い返されるような状況です。考えれば考えるほど厳しいですね。

 
テナントを募集しても入らないのではないかと思います。私は専門ですから最初から言っているのですが、半分が海なので、人は住んでいません。普通2キロといったショッピングセンターの商圏を円を描いて考えます。人口が何人で人口密度はどのくらいで、来店客数を弾いて客単価を掛ければ、年商は弾き出せます。それが最初から半分ないのですから条件はものすごく悪いのです。

 
それにこれだけ強烈に住民の反対運動が加われば、計画自体つぶれる可能性はあります。そして全部マンションになる可能性もあります。ショッピングセンター的に言うと、地代が高いので、入居テナントの賃料も上がります。企業は利益のためにやるので、反対運動がなかったにしても、そもそもの条件がよくないですよ。それによくわからない聞いたこともないような大和情報サービスみたいなところがやっているのです。

 
Sグループとは親しいので聞いてみたところ、大和情報サービスはいろいろなところの開発で揉めると言っていました。それで大和がやったあとはSグループで不動産もあるから「たとえば分譲でやるとか考えられませんか」という話をしてみたのです。「まず大和さんのやったあとというのは揉めるから、近隣住民はとにかくショッピングセンターはNGで、やろうと思っても全然手も付けられません」とのことでした。

 もうそうした状況は起きていると思います。今言ったとおりにテナントのオファーはしているはずで、私はYスーパーという情報は聞いています。テナントを決めるのにこれだけ時間がかかってしまって、住民の反対もあり目途が立たないとなると、「うちはいいですよ」といわれているのかも知れません。だから一流、二流のスーパーが手をつけないのはそういうことです。最初から条件が悪いですね。

≪撤退の可能性大≫

 (そのように考えるとこちらが考える以上に早く幕引き図る可能性はあるのでは)埋蔵文化財の調査も時間がかかりそうだし、一流、二流のスーパーは条件がよかったら絶対に出ているはずです。物件が大きいし値段も高いので、本当は三流の店が扱えるわけでもないのです。コーナンに入っているライフは三番手ぐらいですが、それでもそれなりに品ぞろえはしっかりしています。そういうところが出ないということは物件が難しいからです。これは私の仕事の経験に基づく見解です。最初の計画を聞いた時点で私は「これは難しいと思います。頓挫する可能性は大きいですよ」と言っていました。近隣住民が猛反対していれば、テナントはちょっとなあと腰を引いていると思います。近隣住民には「声を大にして、言い続けた方がいいですよ」といってきました。NTTのマンション開発は引かないと思いますが、ショッピングセンターの方は引く可能性は結構あります。

(コメント)

 長嶋議員はなぜ選挙戦で、ダントツの得票で再選されたのでしょうか。(トップ当選の長嶋竜弘市議に聞く1)で分析結果を語っておられますが、まだ実感としてつたわってきません。会見の合い間にときどき触れておられましたが、「鎌倉駅前ボランティアガイド」に10年かかわって11年目に入りました。会見記の最後にこのガイド体験について聞いてみました。

 「観光案内所的な活動です。市内各所への道案内、今日の見処、グルメスポット、お勧めコースなどの紹介をやっている定点ガイドです。勿論無料です。お気軽になんでも聞いてください。土・日・祝日、9時半頃から13時半頃までおります。現在普段はシルバーの植木屋さん、某大企業の元社長さん、元理容師さん、海外生活のほうが長いおじさん、中国語と英語が得意な大学生、特別職地方公務員と一緒にやっています。その他サポートメンバーが23人など個性的なメンバーです」

 ❶「ガイドとして立っていると市民の声を聞く機会が増えますか」とお聞きしたところ、「もちろん増えます。今回の選挙後益々増えています」、❷「日常的な活動として議員の方にもプラス効果が見込めますか」に対しては、「鎌倉駅前でガイドに立っていると様々な観点の世相がよく見えて大変役立ちます」との返事がありました。地方議員の場合、少しでも市民に顔を知ってもらうことこそ、活動の基本でしょう。それに個々の市民が抱えている問題を知ることもできます。そのために愚直に10年間ガイドをやってきたのでしょう。選挙での大量得票要因のひとつになったはずです。

市民カーニバル彩る「歴史と文化」

(5月29日)炎天下の由比ガ浜で28日、第2回鎌倉市民カーニバルが開かれ、市民が市役所から海浜公園の会場までパレードしました。今回のテーマは「鎌倉の歴史と文化」。鎌倉時代から現代までの鎌倉をイメージする仮装での参加を呼びかけました。「モザイク都市鎌倉」が昨年、日本遺産に認定されたこともあり、市民として鎌倉の歴史・文化を学ぼうということでしょうか。さまざまな企画の共通テーマになるかも知れません。
「カーニバルの歌」を披露するルートカルチャーのメンバー
     「カーニバル鎌倉の歌」を披露するルート・カルチャーの仲間たち(2017・05・28)     
 パレードに参加したのは巫女姿に仮装して「カーニバル」の横幕を持った若い女性2人組、井手太一会長と今年のミス鎌倉3人の鎌倉観光協会グループ、「アラジンと不思議なランプ」に仮装した鎌倉商工会議所チーム、小豆あらいなど妖怪変化のチーム・ハト(鳩サブレーの企業仲間)など17組116人。湘南信用金庫チームは鎌倉営業部の新人たちで、武士と足軽、お姫様に扮し歴史を取り込んでいました。

 中でも他を圧倒していたのは、NPO法人ルート・カルチャーの10人ほどのチームです。鎌倉在住の芸大出身者を中心にイベント企画やメディアづくりなど多彩な活動を展開しており、昨年に続いてパレードに参加しました。舞台では「鎌倉ほんとにいい街だ どうしてこんなにいい街だ 風と光と木と波と 自然と歴史 休まない カマカマカマカマカマクーラ」と「カーニバル鎌倉の歌」を楽器入りで賑やかに披露しました。

 自作自演だと思ったら戦争で中断したものの、鎌倉文士を中心にして1934年から62年まで続いた「鎌倉カーニバル」でも使っていた團伊玖磨作曲の歌という説明がありました。「歴史と文化」のテーマを象徴するような歴史との新鮮な出会いでした。5月はくまモンが飛び入り参加した大船まつりなど若者主体の市民参加型イベントがあいついで開かれ、お互いに開催時間や場所などを調整するなど新たな協力関係が目立ちました。

 さらに市民カーニバル開催にあたっては大船と旧鎌倉のまつりの合体で、両地域の間にあった見えない壁をなくすことができないかと言ってきた大船まつり副実行委員長の大津定博さんの夢がどうなっているのか知りたいという思いがありました。ところが昨年は大船のパレードの参加者が大津さんの説得で市民パレードにも何組か参加していましたが、今年はゼロでした。しかし実行委員長の田子祐司、大津さんを始め大船まつりの実行委員7人が由比ガ浜にかけつけました。

 「5月15日の仮装パレードから2週間しかたっておらず、大船の参加者の足を引っ張ったのかも知れません。まつりの合体構想もまだ進展はありません。焦らず相互に応援していくことでじっくりと相互理解を深めていくときでしょう」と大津さんは言っていました。大船まつりと鎌倉市民パレードでは、鎌倉世界遺産登録では姿が見えなかった若者のエネルギーと結集力を見せつけられた思いです。鎌倉の歴史まちづくりにもこの大きな潜在力を掘り起こしていくべきではないでしょうか。

住民との対話を欠いた洞門対策(トップ当選の長嶋竜弘市議に聞く2)

(5月25日)文化財行政ともかかわりのある北鎌倉隧道(緑の洞門)開削問題は、行政側が隧道保全に向けて舵を切ったため、削減反対の抗議活動を進めてきた地元住民側にも軟化の兆しが出始めています。でもこれで解決ということになるのでしょうか。長嶋議員は問題が表面化してから長期にわたり洞門の動きをフォローしてきました。市議選でトップ当選されたのを機会に、洞門の現状と今後の展望について意見を聞きました。カッコ内は高木の質問です。
市議選で駅立ちする長嶋議員(本人提供)
     市議選での駅立ち(後ろ姿の左側)(本人提供)
≪松尾市長の変貌≫
 (松尾市長が開削を引っ込めて洞門を残すと発言したことで洞門問題は保全に向けて動き出したように思えるが)市長はいつも場当たり的で自分の信念がないから、周りから強く言われるとすぐ曲がってしまいます。文化庁が出てきて住民組織「緑の洞門を守る会」代表の出口茂さんらが強く攻めると、へなへなとなってしまうのです。そもそも鎌倉のまちづくりをどうするということについても市長にはビジョンがありません。

 たとえばいろいろなものを守っていこうというスタンスなのか。そのために環境とか文化財を守っていこうというのか。そうではなくて開発を進めて大勢の人が住めるようにしていこうというのか。そういうことですら明確なビジョンが伝わってきません。なんでも場当たりで、その場で主張がガラリと変わってしまいます。

 結局請願等も出たのですが、近隣住民の方でも温度差があります。洞門閉鎖が長期化したので、何でもいいから早く通れるようにしてくれという意見が、圧倒的に増えています。学校に通う子供たちのことを考えるとこうした意見がかなり多くて、多分出口さんたちもそうした変化を肌で感じているのかも知れません。文化庁の息もかかっていることだし、市長が言っていることはもう曲げられないでしょう。

≪洞門仮設と本設≫
 (予定されている本設の内容次第で再び住民側が態度を硬化させることも考えられるか)それは分かりません。要は今回の選挙で結構議員も入れ替わっています。新人の人たちがそれこそどういうスタンスを取るのかは私らには分かりません。今までいた人たちは分かるのですが、そういうこともあるので、結構入れ替わった新人の人たちが全体的にどういうスタンスを取るのかは、見てみないと何ともいえません。

 (「守る会」の出口代表が選挙前に候補者を対象に「洞門への意識調査」をしていたが)候補者全員ということではなく、新人全員ということでした。私については「もともとは洞門を守る側」とされていましたが、質問は来ていません。選挙への票はこんなことでは動きません。若干はあるかも知れないけれど、もっと複合的なものです。洞門は開削反対か、賛成かだけでしたが、新人は聞かないとわからないということなのでしょう。

 (洞門問題は最終的にはどういう結着になると思うか)難しいですが仮設がまずできたとします。そこから先が難しいと思っているのですが、本設に向かって仮設状態のままで、ずっと行ってしまいそうな気配を感じます。そこは懸念するところです。また市長だってどうなるか分かりません。10月の選挙で市長が代わると洞門対策もまた代わるかも知れません。いずれにしても仮設までは行くと思います。その先がちょっと今は予測ができません。

 (長嶋議員の洞門の立場は)私は早く本設まで行ってほしいと思っています。仮設なんかも必要なのかなと疑問符がつきます。問題になる前に20年あったわけですから、何で放っていたのか聞きたいところです。開削にしても最初の段階できちっと近隣住民や関係者と話をしてから決断すべきで、開削ありきで決めてしまったから間違いが起きたのです。その前に両方の意見をちゃんと聞いて、どうするべきかを決めるべきだったのです。

 鎌倉で壊すとなったら、絶対に反対運動が出てくるというのは目に見えていました。行政は過去の勉強をしていませんね。だったら市民も一緒になって、みんなでどうしようか考えようというステップもありませんでした。行政が勝手に決めてしまって「こうです」といったから、それは反発をくらいますよ。その前のステップをもうけるべきだったのです。

≪欠落した住民対話≫
 あとは文化庁がかかわってきたことが大きいですよね。ただ文化庁も悪いですよ。それだったら最初にいっておいてくれよということになります。開削を決める前に、文化庁も入れて賛成の人、開削をしてほしい人もいたわけですから、そこでみんなで話せばよかったんです。20年もあったのに話す機会がなかったというのは、それは悪いことです。20年もあったのだから話しておいてくださいよ。

 揉めることは分かっているのだから、賛成、反対あって仕方ないですよ。生活もあるのだから話してみなければだめですよ。話し合いで解決できれば一番いいのですが、そう簡単にはいかないから、最終的に話した中で政治家が政治判断すればいいことです。やり方については市長にもいいました。旧図書館もそうだし、いろんなこともそうです。だから私は「対話でまちづくり」といつも言っているのです。

 みんなの意見、何で聞かないのか。旧図書館だって子どもの意見聞いてください。使うのは子どもなんですから。子どもは突飛なことを言うかもしれないし、何を言うか分からないけれど、親の意見だってろくに聞いてないでしょ。本庁舎の移転だってそうです。もっと聞いてください。このことが鎌倉のまちづくりには、絶対不可欠のことなのです。勝手に役人が決めてしまってはダメですよ。洞門に限らず、鎌倉みたいな街は当然意見をいろいろ言う人はいるのだから、やはりやるべきなんです。それでこそ民主主義だと思います。

くまモンのいる暑い午後

(5月22日)5月としては例のない30度を越す真夏日の21日、熊本大地震からの復興を支援しようという第14回大船まつりが開かれました。今回はくまモンの飛び入り参加で会場は盛り上がりましたが、暑さに弱いわたしにとっては苦難のまつりでした。
kuma
     くまモンと一緒(大船まつりのメーンイベント)
 歩行者天国となった芸術館通りをまたいで急造された仮設舞台では、午後2時のくまモン到着予定時間前から松尾崇市長、大船まつり実行委員長の田子祐司さん、副委員長の大津定博さんがあいさつをしました。田子さんと大津さんは熊本の被災地を訪れ、くまモン誘致の下ごしらえをしてきました。午前中に行われたパレードには、熊本城を造設した加藤清正公がたかえぼし姿でくまモンを迎えました。

 「熊本が誇る3つの自慢はなーに」「阿蘇山に熊本城それにくまモン」、「くまモンはダンディーかな」「(大声で)ダンディー」と進行役の男性と会場の幼稚園児や小学校低学年児との軽快なやりとりが進みます。幼児たちの反応に合わせてくまモンは大きな図体で飛び跳ねたり、首を傾げるなど大忙しの様子。最後にはクイズに当たった幼児を舞台に呼んでハグしたり、写真をとったり大活躍していました。
ミス鎌倉も復興募金に協力
     ミス鎌倉も復興募金に協力(いずれも高木治恵撮影 2017.05.21)

 ただ5月の異常熱波で炎天下での30分間のショーは、かなりこたえました。孫と一緒に舞台前に敷かれたビニールシートに何とか座れましたが、日射を避けて途中で席をたって近くの住宅の軒下にかけこむ始末でした。くまモンのイベントは時間通り行われるのかなどの情報も少なかったために、観客動員にも響いたのではないかと気になりましたが、ざっと見渡したところざっと500人は集まっていたようです。最後にくまモンは100人ぐらいの子供たちと市民に囲まれ記念写真を撮って、大船を後にしました。

 午前中の映画仮装パレードと午後のくまモンのイベントを軸にして、大船まつり実行委員会では30万円の目標額に向けて復興支援の義援金を募り、何とか目標は達成されたようです。くまモン招致の立役者である鎌倉ガーディアンズ、チームサムライ代表の大津定博さんは、「熊本県の県民性を表現する肥後もっこすという言葉には、一度打ち立てた信頼関係は裏切らないという意味もあります。財源がない市民まつりですが、これまでの鎌倉の復興支援活動に感謝の意味もあってかけつけてくれました」と評価していました。

市議選勝利の背景を探る(トップ当選の長嶋竜弘市議に聞く1)

(5月21日)423日に行われた鎌倉市議会議員選挙で、他候補を大きく引き離してダントツでトップ当選を果たした長嶋竜弘議員に勝因の分析をしていただきました。次いで日ごろから取り組んできた北鎌倉隧道(緑の洞門)の開削をめぐる行政と住民との対立と由比ガ浜での大規模商業施設建設計画について、現状分析と将来展望を聞きました。第1回は市議選の結果についての自己分析です。長嶋議員の発言のままで構成しました。    
●●●市議 駅立ち光景4(画像)ボランティアガイドとして活躍される長嶋さん(本人提供)
≪トップ当選について≫

勝因は3つぐらいあります。まず市民のみなさんに日ごろの議員活動を正しく評価していただいたことです。受ける相談とか扱う案件の数では、おそらく他の議員の比較にならないぐらいやっています。次に私の言動とか活動が、今の世界的な政治の潮流にのっていることです。トランプ・小池百合子現象ともいうべきことで、英国のEUからの離脱とかフランスの大統領選挙もそうです。ここにはアンティ・エスタブリッシュメントの抬頭があります。

 
こうした世界的な政治の潮流があって、鎌倉も同様な現象の中で、対抗の反主流派が今まではどちらかというと革新系、左翼系の人たちが目立った活動をしていました。今の政治の潮流はどちらかというと、小池都知事にもトランプ米大統領もそうですが、改革派の保守が主流をになったというのが特徴で、市議選での爆発的な得票につながっていると思います。

 
鎌倉はとくに保守が強いので、選挙期間中にもボランティアガイドをしていて、古くから町に住んでおられる市民から、鎌倉は何かおかしくなっている、乱れているので、何とか基に戻してほしいというご意見を伺いました。私に寄せられたのは、圧倒的にこうした意見ばかりでした。とくに古い鎌倉の方々のご発言が多かったと思います。多かったというよりか、それ以外はほとんどなかったですね。

 
そしてほかの候補者とは比にならないほどの新聞とウェブによる情報の発信力です。新聞はポスティングと駅頭でお渡ししていますが、数と回数では圧倒的に多いですね。かかわっている活動も市民に知らせなければ、みなさん知らないわけでそこは差が出ます。票が大きく伸びたのはこうした背景がありますが、一つだけではなく複合的なものだと思います。とくに国際的潮流は、ほかのことがなければいくら言っても認められません。

≪議員活動に活かすべきトップ当選の実績≫

 私の票は組織、団体一切ない票です。色は全くついていません。ごく一般のサイレントマジョリティーというか、多数派の市民の意見だと思います。そこが反映されていないのが、今対話と言いましたが、今の市政の実態です。私の役割はそこを拾って市政に反映させることです。「みんなで作る夢のあるまち鎌倉」というキャッチフレーズで、対話でまちづくりをしようとずっと訴えてきました。このステップを行政にやらせるようにすることが一番の役目だと思っていて、それが私のスタンスです。

 

 鎌倉市の職員はすでに態度が変わってきていますが、ただあまり偉そうに振りかざすのは、よくないと思っています。でも民意それも多数の民意です。それは重要です。今はサイレントマジョリティーの人たちの意見を拾えてないから「緑の洞門」のようなことが起こるわけです。そこを拾ってから行政も決断してくださいと言いたい。それは市政をスムーズに進めていく上で一番大事なことです。

 日本海沿いのまちで、仕事のファシリテーターが市長になったとされる方がおられました。夢と希望あふれる地域社会の実現に向けて、対話によるまちづくりに取り組んでおられ、共鳴するところもあり、親しくさせていただきました。市長が対話路線を実践している事例として注目していました。市政における対話がいかに重要かを学んだのも、この体験がひとつのきっかけになりました。

(コメント)

 開票結果は長嶋竜弘(無現)6,198票で2位の吉岡和江(共現)2,803票以下に大差をつけての勝利でした。前回の市議選は2,960票で2位、その前が3,280票で3位でした。得票率では前回4.45%、その前が4.44%で固定した支持基盤があるようですが、今回は一気に9%を越えており、基盤が大きく拡大したと分析できます。選挙運動期間中の駅前での演説という基本的な運動が主体ということで、とくに目を引く対策ではありません。

 「大差でのトップ当選」で興味をそそられ、最初の質問で勝因についての本人の分析を聞いてみました。文章にするといささか抽象的にも思えますが、肉声で聞いた時には十分説得力を感じさせました。それに会見申し入れなどでの回答の迅速さや、何回か続いた追加質問では、フェースブックで翌朝8時前に必ず返信をくれるなどさり気ない行為に惹かれます。こうした日常の積み重ねがトップ当選を支えているのかも知れません。

大船まつりに「くまモン」飛び入り参加

(5月18日)5月21日(日)の大船まつりで今年も映画仮装パレードが開催され、大地震から1年が経過した熊本からくまモンが飛び入り参加することになりました。昨年のパレードでも復興支援を目的として、加藤清正公の甲冑を着た武者の参加もあり、パレードの責任者で、大船まつり副実行委員長の大津定博さん(鎌倉ガーディアンズ)のもとに、大西一史・熊本市長から直々の書簡が届いて紹介されました。今年はくまモン本体の参加で大船まつりを盛り上げることになりました。
加藤清正
          加藤清正公も加わった昨年のパレードも熊本復興支援一色に(大津定博さん提供)
≪くまモンを呼ぶ≫
 くまモンは九州新幹線全線開業の2011年3月12日、熊本県で生まれました。6歳というのは都市伝説で、年齢は「ヒミツ」のやんちゃな男の子です。仕事は「いちおう公務員」。知事から「熊本県の営業部長兼しあわせ部長」に抜擢されました。日常はだれかをハッピーにしたいという想いがあるところ」に出没して、くまもとサプライズを広め、熊本の魅力をみんなに伝えています(くまモンのオフィシャルホームページより)。

 フランス、中国、台湾の観光親善大使としてくまモンは、世界的にも知られる存在となりました。「イベントにくまモンを呼びたい」と問い合わせが殺到しており、出動依頼があると熊本県では、真摯に熊本大地震からの復興支援を実践してくれているのかどうか」などを総合的に判断して、くまモン隊の出動を決めます。派遣にあたって原則的に料金はかからないとのことです。高島屋や三越などでの熊本や九州物産展にはよく出かけますが、これまでは大船まつりのような地方都市の市民まつりへの派遣はあまり例がなく、非常にめずらしいケースです。

≪震災復興の中で≫
 昨年4月の大地震の発生で熊本城が破損したことを知って、広島市の出身で被爆からのまちの復興を見守ってきた大津さんは、熊本の震災復興に注目しました。三井住友銀行本社勤務の大津さんは休暇を利用して熊本に行きました。震災直後の昨年5月のゴールデンウィークを手始めに8月にも現地でゴミのかき出し、壊れた家屋の立て直しやら炊き出しの手伝いなどのボランティア活動に集中しました。

 この間5月の大船まつりでは熊本の復興支援をテーマとして、くまモンがプリントされたTシャツを着た市民や肥後熊本藩初代藩主の加藤清正公も登場したパレードを繰り広げました。会場では大津さんのもとに届いた熊本市の大西一史市長からの感謝状が読み上げられました。8月の訪問では大津さんは大西市長に直接会って、復興の難しさなどについて話を聞くことができました。

 熊本で合流した大船まつり実行委員長の田子祐司さんは、復興の現状や熊本城の破損などについて現場を回って情報収集しました。次いで今年2月にはチームサムライとともに代表をしている防犯防災組織鎌倉ガーディアンズの仲間と一緒に熊本を訪れ、7月に鎌倉市民にも呼び掛けて計画している防災ツアーの下見を兼ねて被災地を回りました。こうした被災地に寄り添う大津さんの努力の積み重ねが、今年の大船まつりのパレードへのくまモンの飛び入り参加につながったといえるでしょう。

≪大船三武将もパレードに登場≫
 パレードには大船にゆかりのある「大船三武将」が初めて登場します。鎌倉幕府御家人の岩瀬与一太郎義正、玉縄城の北条氏の家臣甘糟佐渡守長俊、玉縄城三代目城主の北条左衛門大夫綱成です。この3人を大船の英雄としてパレードの中心に配します。大船の住民に大船の歴史を知ってもらおうという企画で、田子・実行委員長の熱い思いが実現することになりました。

 午前中にパレードは終わりますが、午後はくまモンを迎えて大津さんの司会で、午後1時45分から「くまモン大船にようこそ!」の特別イベントが行われます。会場には松尾市長とパレードに参加した「加藤清正公」もかけつけます。午後2時くまモン登場、2時30分に記念写真をとって終了の予定です。くまモンの誘致の成功は、実行委員長の田子さんと副実行委員長の大津さんの熊本と大船への熱い思いが、大きく実った結果と思います。

 「くまモンの参加は熊本と大船の成熟した関係を象徴するものです。私たちの熊本復興支援は関東では最初の支援事業になりました。大船まつりに来られる市民や観客のみなさんのご寄付を心から期待しております」
 パレード、くまモンのイベントの成功に加え、鎌倉ガーディアンズの警備計画にもかかわらなければならない大津さんは、最後の最後まで力を抜けないようです。
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