ジャーナリストの取材ノート(鎌倉)

鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎による公式ブログ。世界遺産登録挫折に続く鎌倉の歴史まちづくりの真実を探る。

2018年03月

≪新年特集≫右折レーン新設の詭弁(由比ガ浜編❹)(大規模商業施設建設計画92)

(3月28日)開発反対の住民組織THINK YUIGAHAMA共同代表の産形靖彦さんとの長い会見でまとめた連載ブログ「汐留と由比ガ浜」は、今回の9回をもって一応終了します。電通の役員として関わった新社屋建設と「超高層ビル群のまちづくり」での体験に基づいて、由比ガ浜開発計画の不条理に立ち向かっておられます。番外編として10回目には元朝日新聞特派員のフリージャーナリスト横村出さんも加わって開発予定地の真ん前にあるKKR鎌倉わかみやで語り合った「由比ガ浜の未来図」を送ります。
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     由比ガ浜で初日の出を待つ人々(高木治恵撮影 2018.01.01)
≪臭いものにはふたをしないおかしな論理≫
 何というか、出来の悪い幼稚園児が母親の言いつけを守らずに、勝手に旧鎌倉の中心地に入り込んで来て、非常に幼い弁解をしています。自分たちがこの地に進出してきても、来店者が車で来店しても、周辺道路の混雑を加速することはない、というものです。われわれがもっと怖れるのは、計画案にあるような商業施設ができると、出店が仮にディスカウンターだったりすれば、そうした店の装いというのは決して美しいものではありません。ダンボールに詰め込んで山積みにする野菜とか、売り出しの幟とか旗とか、拡声器を使って様々な呼び込みを流すとか、あるいは電飾看板やデジタルサイネージをつけて、夜遅くまで営業を続けるなど。出店者によっては24時間営業をするチェーン店もあり、そうなると周辺の住民はたまったものではないですよね。

 建築基準法では、10㍍以下の高さの建物については、近隣の日照権云々は問題なしです。デベロッパーが拘るのは坪効率だけです。敷地目一杯、限度ギリギリに建築をすることで、近接に戸建てがあろうとお構いなしに建物を造ろうとします。今回の申請案件は、空調だとかトイレの排気システムを全部、隣接戸建ての住宅の直近に置いています。そこから上がってくる臭いや温度や風、振動などを発するシステムを、全部戸建て住宅の近くにレイアウトする計画です。商業施設の場合、普通はこうしたシステムは屋上に設置するものですが、近隣住民からすれば屋上駐車場からのぞかれた上に、臭いものにはふたをしないというていたらく。賛成できる余地は何もありません。

≪買い物が便利になることには反対ではないと少数派≫
 業者による住民説明会の時に、年配の女性二人が発言をして、「私どもは買い物が便利になるという点においては、決して反対ではない」という見解を表明しました。ただし「当地が長い間更地で放置され、雑草が生えて見苦しい景観が続いていたままで今日まで来た、そんな環境としてみっともない姿よりは、店ができた方がまだマシ」という程度の話でした。これを以って、周辺住民に賛成者がいるというのはおかしな話です。実際に計画を見ると、近接住宅にこんなに大きな建物が東側にできて、庭もテラスも日照が入らず、騒音も激しい。それも10メートル以下だったら規制はないため、強行されても我慢するしかないのか、それではあまりにも住民無視ではありませんか。

 住民がもう少しセットバックしてくれと言ったら、二次案では1㍍下がったということらしい。ルールにあるなしにかかわらず、とくに戸建ての人たちの住まいの庭とか居宅内にずっと日陰が及んでしまうことは、絶対やってはいけないということで、市当局が業者に言わないとだめです。交通事情については現認しているようですが、ほかのことでも市にはよく計画を吟味してほしいですね。

≪問題の本質は鎌倉の価値を高めること≫
 市当局の担当者レベルでは「計画を見直せ」などと言える人はいないでしょうね。こうした市街地の開発行為によって、鎌倉の価値を高めることになるのかということを事前に十分に議論をして取り組まなくてはいけないと思うし、問題の本質はまさにここにあります。私は地方の再開発計画にかかわったことがありますが、地方の方がもっと切実です。人がいない、ジジ、ババばかりで財政は苦しい。そこに人を呼ぶには、町や界隈を美しくする、古来の歴史や風土、文化を尊重しなくては、人はその地域にやってこないのです。

 たとえば古い街道沿いの10軒ずつの民家を市が死に物狂いで国から予算を確保してきて買い取り、そのうち何軒かを旅籠にし、地域産品を販売する道の駅にしたりすること。そうすると馬籠宿のように見事に再生が可能になる。素敵な街並と美しいデザインがあれば、人は必ずやって来ます。鎌倉はいままでのポテンシャリティーに依存しているだけです。

 150余もの神社仏閣があり、年間2000万近くの観光客がやってくるといっているけれど、市の観光セクションは、市民との意見交換会の席上で、6年後には来訪者が減少するとはっきり言っています。市の中心部に、安易な開発計画を許認可してしまえば、市の財政や市民のアイデンティティを損ね、鎌倉は衰退していきます。行政は奮起して、新たなランドマークを作るべきです。かつての鎌倉海浜ホテルのような、あらゆるジャンルのセレブが集まるようにすべきです。

北鎌倉隧道(緑の洞門)工事「地権者B」の排除(3月25日更新)

(3月20日)(3月25日更新)2015年4月末から間もなく3年にわたり閉鎖が続く北鎌倉隧道(緑の洞門)再開に向けての工事をめぐって、隧道の地権者の1人(Bさん)が工事の承諾を求める協議から意識的に排除されていた不透明な事実が市議会の建設常任委員会での議論で明らかになりました。排除の構造は「地権者B」だけのものではなく、行政の意にそぐわない住民組織(緑の洞門を守る会)には、情報を伝えなかったり、協議会開催を知らせないなどさまざまな場面にも見られる体質でもあります。
+隧道前で崩落
        隧道前で崩落、仮設、本設の議論のきっかけに(岩田薫撮影 2016.08.11)

≪繰り返された市長の公約≫
 Aはトンネルの一部を所有している2つのお寺、Bはトンネルの鎌倉側の道路の所有者で、仮設工事で市から協力を求められました。昨年の6月議会では、地権者は3者で、AとBとJR。ところが12月の議会のあと都市整備部が、トンネルの地権者にはBは入らずAが2人、そしてJRの3者だと言ったので、冗談じゃない!と思ったのです。道路課の言い分は、Bさんは、トンネルに掛かっていないからというものでした。

 建設常任委員会の武野裕子委員(共産)は、仮設か本設かについて重要な動きを示してくれました。
「隧道では2016年には松尾市長の公約通り仮設工事の方向性が出され、2017年1月の市長の記者会見では、仮設は夏ごろにはできると言っていました。しかし5月なかばには北鎌倉幼稚園の保護者への説明会で、仮設はやらず本設工事をするといっていたそうです。保護者の中にはまた半年延ばされるのかと落胆した人もいたと聞いています」

≪立ち消えになった仮設工事≫
 「地権者B」については市議会2月定例会の建設常任委で武野委員と道路課との間で、集中的な論議が交わされました。
 (道路課)ご指摘の通り第1回検討委員会においては、本設についての議論をしていただいています。道路をお持ちの地権者については、以前行われた開削工事の仮設にはご理解いただいていたというご意見もあるので、とりあえず本設を議論する検討委員会を先行してご理解をいただければ、話をしていこうと考えています。まずは本設の安全対策を先行するということで再開した第1回検討委員会にはお呼びしなかったということです。
 (武野委員)この会議の議事録をとろうと思っても市が開催したものではないということで、議事録がとれません。昨年も1回から3回まで検討委員会が開かれましたが、4回目ということで仕切り直しもあって、第1回としています。仮設を進めていくということでずっとやってきて、いきなり本設に変わってきたという経緯があります。本設の方が安く済むからということのようです。
 (道路課)議事録についてはさきほど言っておられた通り、今回の検討委員会は日本トンネル技術協会が開催しており、そちらの方で作成しています。そのためになかなか議事録がとれないということだと思います。市の方としては委託でお願いしている経緯もあるので、市の条例に従って公開できるところはチェックしてトンネル技術協会の方に送っているので、ご請求いただければ可能だと思います。

≪地権者Bの怒り≫
 建設常任委員会での仮設工事と地権者Bについての武野委員と市道路課のやりとりを聞いて、Bさんにコメントを求めました。
 「市は一昨年秋、仮設工事を行うから『ぜひ協力頂きたい』と言ってきた。歩行者の通行に関しては住民は不便を強いられているので、仮設に協力するという話になっていた。現在置かれている大型土のうの設置についても、仮設をしっかりと行うという条件の下で設置を承諾している」
 
 「ところが昨年春以降、仮設はやらないでいきなり本設を行うという方向に変わってきているようだが、市からは何の説明もない。市長や道路課の議会答弁を見ても方向性が全く分からない。市は方針が変わったのであれば、すぐにでも説明をする必要があるのではないか。尾根の地権者に対しては、方針転換したからと謝罪したというのであれば、「仮設工事をやらない」という方針転換に対しても説明や謝罪があるのは当然ではないか」

 建設常任委員会で市側は、Bさんの排除を認めた形になっています。3月1日の広報かまくらで松尾市長は「北鎌倉隧道の安全対策について」という実名記事を掲載しました。タイミングからしてBさんの排除とも関係があるのでしょうか。次回ブログでフォローします。

北鎌倉隧道(緑の洞門)工事「地権者B」の排除

(3月20日)2015年4月末から間もなく3年にわたり閉鎖が続く北鎌倉隧道(緑の洞門)再開に向けての工事をめぐって、隧道の地権者の1人(Bさん)が工事の承諾を求める協議から意識的に排除されていた不透明な事実が市議会の建設常任委員会での議論で明らかになりました。排除についてはBさん側からは何度か指摘されてきたことですが、行政側から公表されたのは初めてです。

≪繰り返された市長の公約≫
 隧道では2016年には松尾市長の公約通り仮設工事が行われて、地元の高校生や現地住民の歩行が確保されているはずでした。隧道の内壁を補強して人や自転車が安全に通行できるようにしようとするものでしたが、何の進展もないまま17年1月と夏には、市長は仮設の公約を繰り返しています。その時も「地元住民地権者」は「市長も地権者との信頼関係は大事といっていましたが、その後も都市整備部からはわが家には何の連絡もなく、市の不誠実な態度には呆れています」と言っていました。

 2月26日の市議会建設常任委員会で「地権者Bさん」の動向に焦点があてられました。委員会では「Bさん」として実名は伏せられていましたが、一昨年から昨年にかけて仮設が議論されていた時に行政サイドでその動向が伝えられていた「地元住民地権者」と同じ人物とみられます。Bさんについては委員会で、武野裕子委員(共産)と道路課課長との質疑で意見が交わされました。どんな内容質疑内容だったのか。検証してみました。

≪立ち消えになった仮設工事≫
 (武野委員)昨年12月16日の「北鎌倉隧道安全対策検討委員会」第1回会合では、仮設ではなく本設にかかわる工事なので、地権者Bを呼ばなかったということなのだろうと思いました。というのは仮設においても地権者の同意が得られないということではなかったのでしょうか。その時の仮設は民地Bの方が入っていたと思います。4人目の地権者というか、隧道にかかわらない地権者がおられるということなのでしょうか。

 (道路課)ご指摘の通り第1回検討委員会においては、本設についての議論をしていただいています。道路をお持ちの地権者については、以前行われた開削工事の仮設にはご理解いただいていたというご意見もあるので、とりあえず本設を議論する検討委員会を先行してご理解をいただければ、話をしていこうと考えています。まずは本設の安全対策を先行するということで再開した第1回検討委員会にはお呼びしなかったということです。

 (武野委員)この会議の議事録をとろうと思っても市が開催したものではないということで、議事録がとれません。昨年も1回から3回まで検討委員会が開かれましたが、4回目ということで仕切り直しもあって、第1回だとしています。仮説を進めていくということでずっとやってきて、いきなり本設に変わってきたという経緯があります。本設の方が安く済むからということのようです。2月になって一般質問で同僚議員がこの点を糾した時に、地権者と話したということが出てきました。いつどなたとどなたが会ったのですか。

 (道路課)議事録についてはさきほど言っておられた通り、今回の検討委員会は日本トンネル技術協会が開催しており、そちらの方で作成しています。そのためになかなか議事録がとれないということだと思います。市の方としては委託でお願いしている経緯もあるので、市の条例に従って公開できるところはチェックしてトンネル技術協会の方に送っているので、ご請求いただければ可能だと思います。

≪地権者Bの怒り≫
 建設常任委員会での仮設工事と地権者Bについての武野委員と市道路課のやりとりを聞いて、Bさんにコメントを求めました。「市は一昨年秋、仮設工事を行うから『ぜひ協力頂きたい』と言ってきた。歩行者の通行に関しては住民は不便を強いられているので、仮設に協力するという話になっていた。現在置かれている大型土のうの設置についても、仮設をしっかりと行うという条件で設置を承諾している」

 「ところが昨年春以降、仮設はやらないでいきなり本設を行うという方向に変わってきているようだが、市からは何の説明もない。市長や道路課の議会答弁を見ても方向性が全く分からない。市は方針が変わったのであれば、すぐにでも説明をする必要があるのではないか。尾根の地権者に対しては、方針転換したからと謝罪したというのであれば、「仮設工事をやらない」という方針転換に対しても説明や謝罪があるのは当然ではないか」

 建設常任委員会で市側は、Bさんの排除を公表した形になっています。新しい局面ともいえます。3月1日の広報かまくらで松尾市長は「北鎌倉隧道の安全対策について」という実名記事を掲載しています。タイミングからしてBさんの排除とも関係があるのでしょうか。次回ブログでフォローします。

≪新年特集≫右折レーンで事業者の詭弁(由比ガ浜編❸)(大規模商業施設建設計画91)

(3月19日)開発反対の住民組織、THINK YUIGAHAMA共同代表の産形靖彦さんは、徹底した沈思黙考型の人です。ご自分が関わられた昨年秋のシンポジウムでも影の人に徹していました。電通時代の東京・汐留の開発では、総合プロデューサーとして「超高層ビル群のまちづくり」に大きな足跡を残しました。そして退職後は汐留の体験を活かして、「由比ガ浜のまちづくり」に全力投入の構えです。住民運動をどのように動かそうとしているのか聞いてみました。
由比ガ浜開発予定地(兵藤沙羅撮影)
     由比ガ浜開発予定地の現状(THINK YUIGAHAMA提供)
≪開発案件を知らない市民≫
 私が由比ヶ浜の商業施設等の開発反対運動に関わろうと思ったきっかけは、周辺住民は事業者側が再提起した新しい開発計画について何も知らないばかりか、開発計画は中止になったと思っていると感じたからです。前回の衆院選で敗れた浅尾慶一郎さんも地域に詳しい方ですが、彼も終わったと思っていて、第2次案の内容を説明すると「まだやっているの?」と驚いていました。1度は開発から撤退したと思わせ、改めて許認可申請を出しているのです。業者は意図的に、いまだに商業施設の営業時間も明示していません。

 鎌倉市にはこの開発案件を正面から議論して、由比ガ浜のポテンシャリティーとか、これからの由比ガ浜の価値を創造していこうといった考え方はまったく見られません。手続き的に進めていけばいいと思っています。この場所に商業施設など不要とういう、われわれサイドの情報、提案、市長や市当局者への要請も、幾度となくやってきました。われわれとしてはこの由比ヶ浜の開発案件に鉄槌を下すということで県議や市議とも会って、行政というよりは立法府の皆さんに、この悲惨な状況を知らせてきました。

≪ガンは市の中途半端な対応≫
 国会議員や県会議員のところへもTHINK YUIGAHAMAの幹事の方と一緒に行って話をしました。話をしていくとみんなよくわかってくれるのだけれども、市の窓口側は粛々と業者との協議を進めていて、既成事実を積み重ねていこうとする業者側の要望と市の中途半端な対応が、ある意味でピークに達していて、許認可が決済されるかもしれない段階にきています。だからそれに冷水をあびせるためには、市長に対して明確に我々の意を伝えて、市長がかつて作った「指導と助言」の精神をもう一回さかのぼって、業者側へ早急に具体的な提案、対応をするように求めてきました。

 市は開発計画を受領してしまってから、待ったをかけています。業者もたまらないでしょうね。「いいといったではないか」「少なくとも申請を受け入れたではないか」という声も聞こえてきました。片やでは由比ガ浜がブルーフラッグの認証を受けたとか、日本遺産の認定を受けたとか、世界遺産に再挑戦したいと言っているわけですから、この地区の開発案件について、もっと気持ちを引き締めて対応してもらいたいのです。

≪右折レーン設置問題の詭弁≫
 これまでの大店法における駐車場設置は、周辺に渋滞を起こさないように、収容力の高い規模のものを造れということでした。鎌倉の混む時間帯、とくに土曜、日曜、祝日だとか夏休み、あるいは春休みのよく晴れた日などの朝夕は134号線に限らず、市内各所で悲劇的な渋滞が起きます。逗子葉山方面に出かけようものなら帰路は小坪トンネルの向こうから大渋滞になって、滑川交差点、海浜公園前交差点から七里ガ浜の先まです。車が動かなくなります。

 こうしたことが常態になっている場所は、よく市もわかっています。国土交通省もこれ以上の渋滞をおこさせないために、最初に業者が言っていたように、滑川からくる海浜公園前の交差点には、右折レーンをつくることを提案してきました。でも現地に行って精査してみると、坂ノ下方面からくる道は右折レーンを造ることによって、道が直線ではなく曲がり込むような形をとらざるを得なくなります。

 しかも地下駐車場への入口が交差点脇にあるわけですから、右折レーンをとる余地がありません。まさか海浜公園を削るわけにはいかないでしょう。業者はそのことを知っていて「右折レーンなんてできるわけがない」と考えているのではないのでしょうか。だから自分たちの費用で右折レーンを造ると恭順の意を一旦示しておいて、「あれは構造上でも無理なので止める。滑川から来る車の右折ラインを造らなくても、海浜公園前の混雑を加速することにはならない」といった詭弁を弄するのではないでしょうか。

文化財行政の滞り示す埋蔵文化財発掘調査報告書の欠落(松中健治議員に聞く2)

(3月16日)埋蔵文化財発掘調査の調査報告書68件が、未刊行のままになっていることが明らかになりました。鎌倉市は8000万円の予算を投じて5年間で報告書を作るとしていますが、背景には文化財行政の滞りがあるようです。鎌倉市議会最長老の松中健治議員と朝日新聞出身のフリージャーナリスト横村出さん、読売新聞出身の私の3人で問題の本質について議論しました。松中さんの議会活動を中心に未刊問題を報告します。
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     小町通り沿いで行われた発掘調査(高木治恵撮影 2014.05.12)
≪68件が未刊のまま≫
 川喜多映画記念館周辺では10年間発掘しておいて、調査報告書を作っていませんでした。埋蔵文化財発掘調査報告が68件作成されていません。報告書は全国の大学などに配布され、中央図書館でも一般公開されています。発掘はモザイクです。それを総合的に記録して報告書を作らなかったらその後、やりようがありません。人がいないとかで報告書ができていないことの弁明をしています。いずれにしても発掘とセットになっている報告書がないことは問題です。

 債務負担行為といって必ず調査報告書は発掘と一体のものとして予算措置が講じられてきました。ところが10何年間、分離ということでやってきたため、報告書を作らなかったのです。本来なら調査員が作るのですが、行革で人を増やさない、後継者を育成しないという状況が続き、分かっている人間はみな辞めていってしまいました。だから報告書を作ろうと思ってもできなかったということです。

≪民間業者への委託≫
 (横村=調査費を計上しなかったのか。お金が付かなかったということで報告書を作らなかったのか)そうではありません。本当は調査員が作ることになっており、今までは作っていました。ところが発掘にあたった調査員がみな辞めていったから作れなくなったのです。資金面でも調査員がやるのだからお金はかからず、予算を付けるのは印刷費だけでした。今年度は外注にして16件ぐらいあり8000万を計上しています。1件500万になります。

 毎年10件程度は報告書を刊行してはいますが、未刊行分は2005~17年度で78件になります。発掘を終了してから原則3年以内に報告書を刊行するという県のルールがありますが、3年を過ぎているのは68件にのぼります。外注の業者が発掘に携わった職員に聞き取りして報告書を刊行するということですが、そもそも調査員を育成していないのが問題です。大きいところは3年以内に調査報告書を作っています。製本代は200万ぐらいです。

≪報告書未刊刊行の発掘調査リスト≫
 (高木=ところで報告書が未刊になっているのは、具体的にはどの遺跡か)議会で質問して未刊行分報告書の刊行予定表として、平成29年度以降3年間の78件のリストを出してもらいました。29年度に刊行予定していた27件には(18年度調査分)「宇津宮辻子幕府跡」など2件、(19年度調査分)「由比ガ浜中世集団墓地遺跡」など12件といった古い年度の発掘調査で報告書が未刊のものが含まれます。

 30年度刊行予定の28件には「大倉幕府跡」(18年度調査分)、「北条時房・顕時邸跡」(20年度調査分)、「若宮大路周辺遺跡群」(21年度調査分)などが含まれ、多年度にわたっています。31~33年度刊行予定の23件には、「米町遺跡」(24年度調査分)、「材木座町屋遺跡」(29年度調査分)など中世鎌倉の生活を知る上で、魅力いっぱいの遺跡が並んでいます。刊行によって市民にも知られざる鎌倉が紹介されるはずです。まさに宝の山です。

≪内部告発で発覚≫
 発掘調査とセットでとりくまなくてはならない報告書の未刊行分があまりに多くなったことが、内部告発によって発覚しました。埋蔵文化財はモザイクです。空いているところに新しく見つかったものや、新たに判明した理論などを当てはめていったら、中世鎌倉の実像が分かって来るかも知れません。その意味で発掘調査の結果をそのまま地下に埋めてしまうのではなく、きちんと報告書にまとめて記録を残すことが極めて重要です。

 (横村=各年度で8000万、民間企業に委託した報告書の刊行事業は、5年間で総計で約4億円になる。そのお金はどうなったのか)突然計上されたから具体的な運用はこれからの話です。これも市が調査員を育成していれば済む問題です。お粗末な文化財行政をさらすような騒ぎです。(横村=考え方によっては埋蔵文化財の体制作り直しのチャンスでもあります。報告書が完備されたら鎌倉の文化財行政の重要な基礎資料になります)

 (高木=報告書を民間業者に委託して残る未刊の78件の発掘調査をすべて刊行するというのは、内部告発によって明るみで出たとはいえ、あまりにも急激な変わりようだ。大体報告書刊行を管理する文化財部では8000万という委託の詳細を検討したうえでの決定なのだろうか。退職した調査員の再雇用で作成する方がはるかに合理的で、内容も豊富な報告書ができるはずだ)

(コメント)
 松中議員の「発掘調査報告書の欠落」を聞いて、あまりにも杜撰な文化財行政がまかり通っていることに唖然としました。行政サイドの言い分を聞こうとおもって16日、西山朗・文化財課担当課長と直接未刊報告書問題にかかわってきた職員に松中さんの指摘について、ひとつひとつ「弁明」をもとめました。本来は行政の説明で判明した“真実”をお伝えすべきですが、市会議員として受け止めた「怒り」をなるべく忠実にお伝えしようと「松中議員に聞く」を元のブログのまま流します。

 別途ブログで「報告書未刊問題行政の見解」を報告します。なお26日の市議会で「平成30年度未刊報告書発行費」として8667万6000円が上程され、議決されました。松中さんが8000万として会見で触れていたものです。一連の未刊発行書問題をみなさんがどのように判断されるか、行政の見解をお読みになってぜひご意見をお聞かせください。

試掘を終え本調査へ(幕府跡にマンション建設計画❷)

(3月5日)すっかり春らしい陽気となった4日、大倉幕府跡にマンション建設計画がある清泉小学校前の“桜道”沿いの現場を見にいってきました。今でこそ雑草が伸び放題の荒地ですが、ここにマンションが建設されると遺跡のイメージが大きく変わりかねません。現場では本格発掘調査に向けて、試掘が行われましたが、歴史まちづくりを進める行政は、建設計画にどのように対応するのでしょうか。

≪地上4階地下1階33戸のマンション計画≫
 マンション建設予定地は国大付属小学校・中学校のグランド脇の市道を右折して桜道に入り、清泉小に向かって左の空地です。市道と空地の境界はモルタルの壁が続いており、そこに「開発事業計画の概要」(標識)が取り付けられていました。標識によると(開発事業の目的)は共同住宅(ファミリータイプ33戸、(事業区域の地名地番)は鎌倉市雪ノ下三丁目694番の2、694番17(計2筆)です。
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     現地に張り出されたマンション工事計画図 18.03.04撮影
 (事業区域面積)は1,951.58㎡(建築敷地面積1,855.49㎡)、(建築面積)1,270.94㎡、≪延床面積≫4,630.18㎡(容積対象延床面積2,782.31㎡です。何よりも気になるのは(階数)地上4階地下1階、(高さ)13.635mになっていることです。ここで(株)東急不動産(東京都渋谷区道玄坂一丁目21番2号)が(工事予定期間)2018年11月1日~2020年8月31日の工事を予定しています。

≪狭い路地に工事車両≫
 建設予定地は鶴岡八幡宮から法華堂跡、荏柄天神社や永福寺跡など他の史跡に行く観光客のメインルートになっており、人通りも絶えません。住民組織「鎌倉幕府跡の桜道の景観を考える会」から市議会に出された「鎌倉幕府跡(桜道西側)のマンション建設認可を見直しして頂きたい旨の陳情書」も高さ規制10㍍の鎌倉らしい町並みに対する違和感、圧迫感や通学路の環境保全などに言及していました。
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     閑静な桜道(左側電柱の後ろがマンション建設予定地)18.03.04撮影

 代表として陳情書をまとめた住民の池和夫さんは、「1月末に東急不動産の説明会がおこなわれましたが、マンション建設にからむ工事についての説明だけでした。前から土地利用の話はありました。祖父が売った土地で抵当になっていました。抵当権が外れたため、マンション計画がもちあがりました。本格的な埋蔵文化財の発掘調査に先立ち、2月末に試掘が行われました」と現状を語ってくれました。

≪「取りまとめ中」の試掘結果≫
 幕府跡と幕府周辺の遺跡で行われた発掘調査は30件にのぼります。鎌倉時代初期の六浦路沿いの遺跡からは、建物跡や側溝と建物を区切る薬研掘りの溝や掘立跡がみつかりました。2004年度には清泉小学校西側の個人専用住宅建設に絡む3地点での緊急発掘調査が行われ、深さ3m近い地下の鎌倉幕府の時代層で遺構が発見されました。さらに2011年11月から翌年2月にかけては周辺遺跡の元治苑で、マンション建設のための発掘調査が行われました。でも本丸の幕府跡では清泉小を除くとマンション建設計画が持ち上がったのは、今回が初めてです。

≪本発掘調査への期待≫
 それだけに担当部局も神経をとがらしています。試掘の結果について、問い合わせてみました。「結果は別としてもあれだけ広大な土地で広く発掘調査して、幕府跡地としての真価を裏付けるには願ってもないチャンスだと思います。東急不動産への工事についての申し入れなども当然必要になるでしょうが、このさい学術調査に準ずる発掘をしっかり行うことが必要ではないでしょうか」と率直な疑問をぶつけてみました。
 
 「試掘の結果については、『現在、取りまとめ中』との報告を受けており、詳細は把握しておりませんし、未だ事業者にも伝達していないようですので、私の立場で詳しくお知らせすることははばかられますので、お察しいただければと思います。ただし概要では、本発掘調査が必要な遺構等は確認しているが直接、幕府跡を示すものはまだ確認できていないようです。本調査ではそこのところをしっかりと確認する必要があると考えています」

 「開発に伴う発掘調査ですので、あくまで事業者の理解と協力によって調査が行われるものです。その理解を進め、十分な協力が得られるよう、試掘調査の結果を丁寧に説明し、綿密な本発掘調査を実施するよう要請していきます」
 文化財部長を兼ねている桝渕規彰・歴史まちづくり担当部長からのメール回答は、具体的な内容には触れてないものの、試掘で何らかの進展があったことを伺わせます。

≪新年特集≫腰の引けた行政と「個別撃破」の事業者(由比ガ浜編❷)(大規模商業施設建設計画90)

 (3月5日)なかなか決断しない市長、各課協議ということで延々と会議が続く市役所、その間隙をぬってひとつひとつのハードルを「個別撃破」の構えで強行突破を図る事業者、抑止力として頼りにしている市議会もあいつぐ開発案件を抱えて住民側にたった有効な支援策は出てきません。住民組織「THINK YUIGAHAMAの会」共同代表の産形靖彦さんは、開発と歴史都市との共存をめぐる行政と事業者のかけひきの複雑さを感じています。火災で焼失した海濱ホテルの跡地とスケッチした利用状況
   焼失後の海濱ホテル跡地(右側は住民の記憶で描いた跡地と関連建物)鎌倉中央図書館近代史資料室提供

 ≪立法府、行政府が同じ方向を向くことが大事≫

われわれとしては市議会という立法府と市の行政府の両方が、同じ方向を向いてもらわなくては困ります。市議会では長嶋竜弘さんとか松中健治さんといった議員が決議をしてくれていて、業者側開発申請案を抑止する役割を担ってくれてはいます。ところが行政府がやること、なすことが緩いと言えます。旧鎌倉の市街地は山奥の田んぼではありません。開発の方向性を市がしっかり持つべきです。

 

この旧鎌倉の一等地を開発する申請が提出されたときに、どのような対応をしたら鎌倉にとってベストなのかという発想が、どんな小さな部課であってもあるいは係であっても行政として考えられていないというのはまずいと思います。たとえば業者がやろうとしているマンションとか商業施設ができたとします。その結果鎌倉市の財政がどう変わるのかとか市民の雇用がどうなるのか、関連事業による良い影響とか悪い影響はどうなるかといったシュミレーションは考えていないと思います。

 

≪生活者尊重道路の真実≫

小売店の人たちで、申請されている商業施設とバッティングするようなことはたくさんあると思います。その人たちへの影響を鎌倉市はどう考えているのか。商圏との関係もあります。交通障害にしても業者が出した申請をどのように扱うかを考えているだけで、自分たちのベストアンサーを自主的に考えていません。生活者尊重道路といった宣言はしていても、申請案件がその道路にいかなる悪影響を与えるかを考えずに、出路規制をして、そこになるべく入らないようにしてくれと申し入れをしているだけです。

 

交通整理に警備員を出すと業者は言っているものの、車の通行に対して、警備員は強制執行はできません。まず鎌倉のセンターである由比ガ浜のポテンシャリティーを、歴史的に培ってきたカルチャーと共に守っていこうという水際の抑止力がないと思います。4年半地元住民が反対運動をやってきても、手続き的に許認可の方向へどんどん動いていくわけです。行政側のルールや慣習法だけではなく、新たなルールを拵えるといった動きにはなっていません。

 

≪どうなる共同住宅≫

(皆な駐車場の方にだけ目が向いていて商業施設とセットで建設を計画する共同住宅については何も言っておられない)おっしゃる通りです。集合住宅案について言えば、デザイン段階でただ平面図を書いてみただけだと我々は思っています。材木座に住んでいる日本有数の某設計会社のK氏は、「こんなマンションの設計案は論外だ。いいデザインだとは認めない」と言っていました

 

おそらく由比ヶ浜に向かって横2列のあのデザインのまま申請をしても、後ろ側のマンションは、海への眺望はまったくありません。ただ自分たちの機械式駐車場を上から眺めるだけです。しかも北側は商業施設の駐車場です。そんなマンションを誰が買うのでしょうか。私に言わせると下手なポンチ絵です。どうせ作るのならもっとテイストの高いしゃれたマンションでもつくってくれればと思います。ダサい昔の校舎のようなデザインですね。

 

90戸余のマンションというのはこの辺りにはありません。多くて40戸、大体2526戸で、戸数は少なくゆったりつくっているマンションが多いのです。底地が十分ではないところに無理してギリギリに造ろうとしています。商業施設に関して、われわれが困惑しているのは、開発案に営業時間を明示していないことです。テナントも対象をしぼってはいるのでしょうが、まだ決まっていない為、営業時間の明示はできないといっています。静謐な住宅街の真ん中に、大型の商業施設を、住民の反対を押し切って強行しようとしているのです。

プロフィール

高木規矩郎

昭和16年、神奈川県三浦三崎生まれ。読売新聞海外特派員としてレバノン、イタリア、エジプト、編集委員としてニューヨークに駐在。4年間の長期連載企画「20世紀どんな時代だったのか」の企画編集に携わる。のち日本イコモスに参加、早稲田大学客員教授として危機遺産の調査研究に参加。鎌倉ペンクラブ、鎌倉世界遺産登録推進協議会に参加、サイバー大学の客員教授として「現代社会と世界遺産」の講義を行う。

【著書】
「日本赤軍を追え」(現代評論社)
「パレスチナの蜂起」(読売新聞社)
「世紀末の中東を読む」(講談社)
「砂漠の聖戦」(編書)(講談社)
「パンナム機爆破指令」(翻訳)(読売新聞社)
「ニューヨーク事件簿」(現代書館)
「20世紀どんな時代だったのか」全8巻(編集企画)(読売新聞社)
「20世紀」全12巻(編集企画)(中央公論新社)
「湘南20世紀物語」(有隣堂)
「死にざまの昭和史」(中央公論新社)

《写真撮影と景観からの視点》
写真は妻の高木治恵が担当します。特派員時代からアシスタントとしてインタビュー写真などを撮ってきました。現在は「鎌倉景観研究会」で活動しています。

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